
父は通算3166勝、重賞50勝、14年連続兵庫リーディングジョッキーと輝かしい戦績を残し、"園田の帝王"と称された田中道夫現調教師。その息子として鳴り物入りで競馬界デビューした田中学騎手。デビューして14年の2007年には遂に、親子二代の兵庫リーディングの座を獲得します。そして今年の10月14日には、地方通算2000勝を達成。父同様ゴールデンジョッキーの仲間入りを果たすのです。
竹之上:残り8勝となって迎えたあの週は4日間開催で、1日2勝ずつ勝って決めたんやね。
田中:あの週は良い馬にたくさん乗せてもらってたので、決めないとあかんなぁと思ってました。でもプレッシャーはありませんでしたね。2000勝は今週できなくても来週でも達成できますから。
竹之上:そう言えば2000勝のインタビューのときに、いつも「先生」って読んでるのに、「父が...」って言ってたよね。
田中:えっ、そうでした?覚えてないですわ。もうずーっと先生って呼んでますからね、今でも。ただ、あのときは先生も勝って帰ってくるのを待っててくれたんです。いつもなら自分の(管理する)馬のレースが終わったらさっさと帰るのに。
田中道夫調教師もさすがに嬉しかったのでしょう。そのときは師弟ではなく、単に親子という気持ちだったのではと想像します。だから田中騎手の口から思わず「父」という言葉が無意識に出てしまったのではないでしょうか。
竹之上:騎手を目指そうと思ったのは、やっぱりお父さんの影響?
田中:厩舎に住んでましたから自然とそうなりましたね。だって、小学校2、3年のころから馬に乗ってましたもん。朝5時に起こされて、学校に行くまでの時間に朝の攻め馬前の運動をひとりでやらされてましたよ。中学校のころには、2歳馬の馴致なんかもしてましたもんね。
にわかに信じがたいことですが、恐ろしい英才教育です。そりゃ自然と騎手になるわけです。それでも、思わぬ障壁が彼を待ち受けていました。
竹之上:偉大すぎる父がいることで、競馬学校では周囲の風当たりは強かったと聞くけど。
田中:「バカ息子」とか、「親の七光り」とか言われたりしてね。とてもツラかったです。それでも、ぼく自身もチャランポランでしたしね。生まれたときから競馬界にいて、世間知らずだったんでしょうね。
そんな苦難を乗り越えて、1993年に騎手デビューを果たした田中騎手。1998年に精神面、技術面で大きく成長させられる一頭の馬と出会います。
田中:サンバコールという馬がいて、あまり脚元が強い馬ではなかったんですよ。それで、よその厩舎なんですけど常に気にかけていて、乗りたいとか勝ちたいとかを超えたような気持ちが初めて湧いてきたんです。そしてその後に『全日本アラブ優駿』に乗せてもらうことになるんです。
アラブのメッカ園田が誇る最大のレース『全日本アラブ優駿』は、全国のアラブ4歳馬(現3歳馬)の頂点を決める大一番。サンバコールと田中騎手は2番人気の支持を受け、得意のマクリで向正面からスパートするも、4着に敗れてしまいます。
田中:レースが終わって、次のサンバコールの調教のときに、そろそろ出てくるころだろうとウキウキして待ってたんですね。そしたら、目の前で平松さん(現調教師)が乗っていったんです。乗せ替えだったんですよ。
竹之上:調教師からは何の連絡もないままの乗せ替え、どんな思いだった?
田中:そら悔しかったですよ。そのときから、この人(平松騎手)だけには負けたくないという気持ちになりました。
田中騎手が初めて芽生えたライバル心。眠っていた彼の闘争心が呼び覚まされた瞬間だったのかも知れません。
田中:そこから周りの騎手たちとの比較をするようになり、数字にもこだわるようになりましたね。
こうして少しずつ形成されていく騎手としての心構えに次第に変化が見え始めます。
竹之上:でも、最近は数字にこだわらないって言うよね。
田中:そうですね。楽しく乗りたいんです。面白いレースがしたい。
竹之上:具体的にどういうこと?
田中:康誠(やすなり・現JRAの岩田康誠騎手)がいたころ、相手の動きを読みあってレースをして、それがハマったときが最高でした。「一緒に乗ってて面白い」って康誠に言われたことが嬉しかったですね。
このころから田中騎手は勝利にこだわるより、楽しくレースがしたいという思いが一層強まっていきます。ところが、そうなるとなぜかこだわっていないはずの勝ち鞍は増え続け、99勝にとどまった03年の翌年には、一気に200勝まで勝ち星を伸ばします。そして、07年には兵庫のリーディングジョッキーにまで登り詰めます。
田中:恵まれていたんです。太さん(現JRA小牧太騎手)や高太郎(現JRA赤木騎手)さんが抜け、康誠も抜けて。周りが支えてくれて良い馬に乗せてもらって、本当に恵まれてたんです。
ところが、好事魔多し。安定味を越え、円熟味すら醸し始めた田中騎手に災難が降りかかります。2008年9月2日第5レースで落馬。第1・第2腰椎脱臼骨折という重傷を負います。
田中:振り返ってみると、あのときは嫌々レースをしてたんかなぁって思いますね。それが怪我となって表れたんかなぁって。
手術、リハビリに時間を要し、レースコースに復帰するのは7ヶ月後の翌年の4月でした。それでも、この逆境も、良い転機だったと田中騎手は言います。
田中:入院で苦しんでいるときに親や家族の温かさに触れ、すごくありがたみを感じました。親と食卓を囲むことなんてあまりしなかったんですけど、このごろ進んで行くようになりましたね。呑みに行くときも、この時間と金があれば、家族に何かしてやれるなと思うようにもなりました。
それは騎乗スタイルにも表れ、勝利にこだわらないという考えもより強まり始めます。
田中:正直、そんなことを聞いて、こいつには乗せないって言って去っていた馬主さんもいます。でも、勝利にこだわらないってことは、勝負を諦めたってことではないんです。レースに乗ればがむしゃらに勝ちにも行きます。それが騎手としての務めですから。
ここで、田中騎手の真意を窺い知ることができる事例をご紹介します。11月30日園田競馬第12レース。4連勝中マイネルタイクーンと3連勝中のアスカノホウザンとが人気を二分しました。ともに前走までの連勝は田中騎手でのもの。重複した騎乗依頼で、田中騎手が騎乗を決断したのはアスカノホウザン。しかし結果はマイネルタイクーンが連勝を伸ばすことになるのです。
田中:(勝つことだけを考えれば)やっぱりマイネルタイクーンですよ。でも、厩舎との関係、これまでの流れから、アスカノホウザンに騎乗したんです。
そこには迷いなどない、揺るぎない信念を感じとることができます。
竹之上:いまリーディング争いで2位に10勝差でトップ(12月2日現在)に立っているけど、そこにもこだわらないの?
田中:実はね、腰の手術でプレートやボルトを埋め込んであって、その除去手術を11月に予定していたんです。でも、周りの人やファンの方たちに、絶対(リーディングを)獲ってくれよと言ってもらって、それに応えたいなと思ったので、手術を延期してチャレンジしようと思いました。医者からは、遅くなれば手術の痛みが大きくなるし、復帰も遅くなるよと脅されているんですけどね(笑)。
竹之上:楽しみながら獲れれば最高ってこと?
田中:そうですね、無理に勝てそうな馬を集めて獲りに行くって姿勢ではないですね。ただ、手術をすれば絶対に獲れないですから。
竹之上:最後に、田中騎手の思う一流の条件ってなに?
田中:一流の条件ってなんでしょう?
竹之上:逆質問!?
田中:なんでしょうねぇ、人が認めることですからねぇ。わからないですけど、ぼくが調教師の先生たちに言われることでひとつあるのが、お前は乗り馬が重なったときに、乗らない方の調教師に断るのが上手いよなって言われるんです。自分ではそうは思わないんですけどね。
竹之上:それはどうやって身に付けたの?
田中:いや、それは思ったことを素直に言ってるだけなんです。ただ、上位にいると融通が効くのは確かです。それでも、そこで天狗になったらすぐに鼻を折られるのがこの世界ですからね。
トップに立っても決して驕らず、素直な気持ちで相手と接することで、多くの信頼を得て、多くの勝ち鞍に結びつけていく。"勝利にこだわらない"わけは、それによって失うものの大きさを知っているから。そうして辿り着いた現在の境地。「親の七光り」だけで到底到達できないものであることは明白なのです。
--------------------------------------------------------
写真提供:斎藤寿一
※インタビュー / 竹之上次男
9月8日園田競馬場第4レースで、木村健騎手(きむらたけし・35歳)が通算2000勝を達成。
デビューから14741戦目のことでした。
竹之上:達成したあとのインタビューでは、開口一番「ホッとした」って言ってたけど、本当のところはどうだったの?
木村:それが正直な気持ちですよ。自分が思うよりも周りから2000勝のことを言われていましたので、今年中にしますわ!っていつも言ってたんです。
竹:嬉しさはどう?
木:もちろん、嬉しいですけど、2000勝だけが目標じゃなかったですからね。でも、あとから考えてみると、2000勝ってすごいなぁって思えてきて、ホンマに2000勝なん?もう一回確かめてよ!って感じになりましたね(笑)。
デビューから17年目、いまや押しも押されもせぬ兵庫のトップジョッキーとなった木村騎手。今春には結婚をし、順風満帆に記録達成へのカウントダウンが始まった矢先、椎間板ヘルニアを患い戦線離脱を余儀なくされます。
木:あのときは全く動けなくなって、このまま馬に乗れなくなってしまうと本気で思いました。
いくつかの病院で治療を受けるも、一向に良化の兆しが見えない中、お世話になっている馬主さんの勧めで、レーザー治療による手術を受けることになります。
木:手術が終わったら、嘘みたいに動けるようになって、これで馬に乗れる!って嬉しくてしょうがなかったです。
闘病中、新婚である木村騎手は、奥様の献身的な支えで苦難を乗り越えていったと言います。
木:本当にありがたかったです。何をするにもずっと一緒にいてくれて、結婚して良かったなぁとつくづく感じました。
竹:でも、それからが大変やったそうやね。
木:そうなんです。実は、休んでいる間にかなり太ってしまって...。食べるものが美味しくてしょうがないんです。ぼくは普段お米は食べないんですが、お米の味をいまさらながら覚えてしまいました。美味しいですね。
竹:ノロ気ますなぁ(笑)。で、どれぐらい太ったの?
木:60キロぐらいまで...。人生初の大台に乗ってしまって...。
いや、大台はそんな低いところじゃないよ。桁が変わるところがあるのよ。とは、そこに限りなく近づいたことがある筆者は言えず、自分を棚に上げた発言をしてしまいます。
竹:それはヤバいでしょ!
木:横っ腹に肉が乗ってるんですよ、あんなの初めてですわ。だから必死で運動をして、落ちた筋肉も回復させたんです。でもそうなると、筋肉量が増えて、今度はなかなか体重が落ちなくて...。
竹:それで復帰後は斤量を55キロ以上に制限したんやね。
木:いまはようやく54キロまで乗れるようになりましたけど、あと1キロがなかなか大変なんです。でも頑張って落として見せます。
竹:2000勝したということは、来年2月(予定)の『ゴールデンジョッキーカップ』(全国の2000勝以上のジョッキーが集う園田の名物レース)に参戦することになるね。
木:すごく楽しみです。これまでは観る側にいたんですが、みんな隙がなくて厳しいレースをしているんです。だから、そこに加えてもらえるのはとても光栄です。
竹:名手が揃うと言えば、園田には以前、国際レースの『インターナショナルジョッキーカップ』があったけど、参戦したときはどんな感じだった?
木:あのときも凄かったです。内に閉じ込められたら、もうジッとしていないとしょうがないんです。抜け出す隙間を作ってくれないんですよ。
竹:じゃあ、そんな経験がいまに活きてる?
木:そう思います。そのお陰で成長できたと思っています。
ではここで、川原騎手にも聞いた質問を、木村騎手にも投げかけてみましょう。
竹:木村騎手にとって、一流ジョッキーの条件は?
木:(やや間があって)...挨拶です。
竹:へっ?礼儀ってこと?
木:そうです。どこの一流ジョッキーを見てもそうでしょ。人間的にすごい人ばかりです。人柄が良くなかったら、馬を集めることってできないと思うんです。騎手は乗ってなんぼ。そのために基本の挨拶ができなかったら、絶対だめです。
竹:深いなぁ。では、技術面ではどう?
木:ムダなく、ロスなく乗ることができることですね。でも、ぼくの場合、見てもらいたいのはダイナミックな追い方ですけどね。
そう、木村騎手の一番の魅力は、誰にも負けないあのパワフルでダイナミックなフォーム。ただ、そこに至るまでは、ムダやロスのない繊細さが必要なんですね。
竹:パワフルな姿勢は、誰にも負けたくない?
木:もちろんです!誰にも負けたくないです。とくに、馬に負けたくないんです!
うわぁ、馬と勝負してたんですかぁ。だからあの迫力、そら誰も敵いませんわ。
ド派手なオレンジの勝負服に、ダイナミックなフォーム。ファンの皆さんが馬券を握りしめていたら、これほど頼りになる男はいませんよ。
--------------------------------------------------------
※インタビュー / 竹之上次男
中学2年のとき、「飛行機に乗せてもらえる」という喜びから、親戚の勧めで鹿児島から岐阜県の笠松まで騎手という仕事を見学しに行った川原少年。見ているうちに憧れを抱き、いつしか頂点を極めることになります。
動機も積み重ねた実績も、のちの大横綱千代の富士になる秋元貢少年と一緒だなと、相撲好きの筆者は思ってしまいます。
笠松で、あの安藤勝己騎手を押しのけリーディングを奪い、都合8回も頂点に輝いた川原騎手は、2006年2月からは兵庫のジョッキーとして第二の騎手人生をスタートさせます。
竹之上:どんな意気込みで兵庫に来ました?
川原:一応笠松のトップにいた川原だし、名門曾和厩舎に入るわけだし、周りの目は厳しいだろうから、不様な競馬だけはできないなって思っていました。だから、騎手として再デビューできるときまで、調教も一生懸命して、筋トレもしっかりやってましたね。だから、笠松の頃より良いカラダだったんじゃいなかな(笑)
竹:笠松と兵庫では、レース内容に違いはありました?
川:全然違いましたね。笠松ではレースの流れの中で騎手が動くというものだったけど、兵庫では騎手がレースの流れを変える感じ。駆け引き中心ってことかな。
竹:じゃあ、その違いに戸惑ったでしょう。
川:戸惑ったけど、ここのやり方で勝って行こうと思ったね。安藤兄弟と渡り合ってきたんやから、なんとかなると思ってね。
川原騎手はその年、一日4鞍までという制限(6月27日まで)もあったなか、154勝を挙げてリーディング3位の堂々たる成績を残します。
竹:川原さんはいつも、馬とのコミュニケーションが大事と言ってますよね。馬と会話しながら乗るんだと。そういう気持ちになったのは、いつ頃からですか?
川:笠松でリーディングを獲った頃(1990年代後半)くらいからだと思う。周りが見えるようになったんやね。
竹:川原さんにとって、一流ジョッキーの条件ってなんですか?
川:ミスを少なくできること。慌てないこと。見ている人に安心感を与えられることかな。
竹:間違いなく一流の川原さんに聞きますけど、それはいつごろ体得できたと思います?
川:こっち(兵庫)に来てからやね。
竹:えっ!?そうなんですか!最近ですやん!
川:だって、簡単に勝たせてくれへんもん。
こんな言葉を大ベテランに吐かせる兵庫のジョッキーもやるなと、少し誇りに思うとろです。強力なライバルたちが、更なる高みへ誘ってくれるのでしょう。
竹:いま掲げる目標ってあります?
川:目標ってのはないけど、ひとつひとつを大事に騎乗することかな。それと、騎手はやっぱりカッコ良く勝たないと。
竹:それにしても、51歳ですが体力は衰えませんね。
川:年中カラダ動かしてるからね(笑)。それでも衰えはあるだろうし、いつかはムチも置くだろうしね。そのときはひとに言われてやめるのではなく、自分で決めたいね。
竹:それって、自分で断を下す明確な基準があるってことですか!?
川:あるよ。
竹:いまは言えないでしょうけど、決まったときにコソッと教えてくださいね。でも、それがしょーもなかったら怒りまっせ!
川:しょーもないかもな(笑)
まだまだやめる気などさらさらないなと思わせる口ぶりと騎乗ぶり。カッコ良く勝つシーンは格別で、大人の競馬を教えてくれる川原騎手。是非馬券を買って、安心してご覧になってはいかがでしょうか。
--------------------------------------------------------
※インタビュー / 竹之上次男
写真 / 齋藤寿一
ここ数年、急ピッチに勝ち星を増やしている下原理騎手。
各地への遠征も積極的にこなしており、最近ではチャンストウライで昨年の佐賀記念Jpn Ⅲを
制覇し、ベストタイザンで東海地区の重賞を3 勝と大活躍。激戦の兵庫地区で躍進を続けていく
下原騎手のこれまで、そしてこれからについてうかがった。
下原騎手のこれまでの戦いは、ケガとの戦いでもあった。
■いちばんひどかったのが肝臓裂傷ですね。落馬したときに馬に踏まれたんですよ。即、救急車で
病院に運ばれて、開腹手術をして1 カ月半入院しました。手術はうまくいきましたが、入院の影響で
筋肉が落ちてしまって、体を戻すときにひどい筋肉痛になりました。厩舎に帰ってきて最初に馬に
乗ったときもすごい違和感で、落ちるかもと思ったくらいです。
もうひとつ、頚椎損傷もやっているんですよ。レース中に前の馬につまずいて、後ろの馬にも追突されて
落馬して、救急車で即入院。2 週間くらいでムリヤリ退院して馬に乗って、そのなかでケガを回復させて
いきました。
死に直結してもおかしくない大事故。一歩でも間違っていれば、騎手・下原理はここにいなかっ
たかもしれない。
■生まれは広島県の福山の近くで、小学2年のときからずっと剣道をしていました。あちこちの道場に
行っていましたから、本当に剣道少年ですね。広島の県北大会で優勝したこともありますよ。
剣道のおかげで体が強くなりましたし、瞬間の判断力というのもついたと思います。剣道って知らない
人には単調に見えるでしょうが、やってみると相手との一瞬のかけひきが面白いんですよ。
その修練の蓄積が、大事故のときに致命傷を負う危機から救ったのかもしれない。
そんな運動少年が、ふとしたきっかけで競馬の世界に進むことになる。
■知り合いが福山競馬の馬主さんで、ぼくをみて体も小さいしやってみないかと誘ってくださったんです。
それで中3 の夏休みに福山競馬場の厩舎に住み込んで修業しました。いやあ、体力的にも上下関係的
にも厳しかったですねえ。それでもイヤにならなかったのは、騎手の人たちの華やかさを感じていたから
だと思います。その知り合いは、騎手になるなら兵庫でとアドバイスしてくださって、それで園田競馬場に
も見学に来ました。そうそう、地方競馬教養センターの一次試験は、この部屋(検量室の上にある3 階の会
議室)で受けましたよ。
そうして手に入れた騎手ライセンス。しかし当時の兵庫はベテランが上位を独占。
新人騎手には厳しい状況だった。
■何度もビデオを見て反省しましたよ。ちょっとでも人気があれば、勝ちを意識してしまって失敗とか......。
小牧太さんや岩田さんは人気馬で当たり前のように勝っていて、本当にすごいと思いましたね。
その2 人の動きはビデオでじっくり研究しました。ずっと見ていると、レース中でミスするところも
わかってくるんです。もちろんいい勝ち方をしたときのその理由も。とても勉強になりました。
下原騎手の手本となっていた2 人は、JRA に移籍。自然と次代のトップを狙うチャンスがうまれ
てきた。
■そうですね。だんだんいい馬が回ってくるようになったと思います。と同時にプレッシャーも感じるように
なりましたね。最近はしっかり騎乗してダメならしょうがないと思えるようになりましたが。 レースでの
騎乗は、基本的にはゲートを出てからの流れにまかせます。行くと思っていた馬が出遅れたり、自分が
出遅れたり、思うような展開にはなりませんから、その瞬間でどう対処できるかが重要だと思うんです。
ある程度は相手関係を頭に入れますが、感性のほうを重視しています。
05 年に64 勝だった勝ち鞍は06 年に119 勝に増加し、それ以後は年間3 桁をキープ。
好成績を続ける下原騎手には代表馬といえる存在が2 頭いる。
■チャンストウライのデビューのころは、ゲート試験でスタート直後に横に飛んでいくくらい、怖がり
だったんですよ。それが解消して、エンジンがかかると一気に加速するという感じになりました。
ダートグレードを勝たせなければいけない馬だと思っていましたが、早くに実現できてよかったです。
まあ、どちらかというと馬に勝たせてもらったという気持ちのほうが強いのですが(苦笑)。
一時は調子を落としましたが、ここ2 走は地方馬では最先着。なんとか復活してくれることを期待したい
ですね。
ベストタイザンは昨年の夏休みのあと、走り方が悪かったんですよ。そのころはスタートもいまひとつで。
そういう状況でしたから、笠松グランプリで4 コーナーからスッと伸びてくれたときはうれしかったですね。
一時はもうダメかと心配しましたが、あの勝利で強さを再認識できました。
ベストタイザンも、昔は抑えがきかなくてしょうがなかったんです。2400 メートルで勝ったとき(園田金盃)
なんて、最初からずっと掛かっていたので腕が疲れてしまって、ゴール前では体をなでる感じでしかムチを
打てなかったくらいで(笑)。
勝ち星を積み重ねる下原騎手は、今年中の通算1000 勝達成も不可能ではない。
■うーん、意識はありませんねえ。今、木村健騎手の勢いがすごいですが、人のことより自分。
どんなレースでも最善をつくすことだけを考えています。勝たないことには乗せてもらえないですし。
それでいい馬に巡りあって、そのチャンスを最大限にいかす。それが信用にもつながっていきますから。
本当にひとつひとつの積み重ねなんですよ。
下原騎手はJRA への参戦も多い。 「この前、京都競馬場で3 着に入ったあとパドックで
『下原ありがとう!』という声が聞こえましたよ」と、うれしそうな表情。そんな下原騎手に、
これからの目標について聞くと、「前の年より常に多く勝ちたい」とのこと。その心は、
「自分も勝って喜びたいし、勝つことによってまわりの人たちが喜んでくれる姿をみるのが
うれしいから」 幸せの使者になるために自分の技術を磨く。その気持ちは確実に成功の
道へと向かっているようだ。
--------------------------------------------------------
下原 理
しもはら おさむ
1977 年9 月3 日生 乙女座 B 型
広島県出身 寺嶋正勝厩舎
初騎乗/ 1995 年10 月10 日
地方通算成績/ 9,352 戦849 勝
重賞勝ち鞍/佐賀記念Jpn Ⅲ、園田金盃2 回、
兵庫大賞典、菊水賞2 回、兵庫ダービー、東海
菊花賞、白鷺賞、播磨賞、笠松グランプリ、白銀
争覇、梅見月杯など18 勝
服色/紫、白ひし山形一文字
--------------------------------------------------------
※成績は2009 年2 月23 日現在
(オッズパーククラブ Vol.13(2009年4月~6月)より転載)
一昨年、兵庫のリーディングジョッキーとなった木村健騎手。
昨年はその座を田中学騎手に譲ったが、今年は再びその地位を奪回するべく、目下
リーディング1位を守っている。
■昨年は1カ月くらい、アメリカ(ケンタッキー州キーンランド)に行っていたんですよ。現地では、
厩舎所属騎手として受け入れていただきました。しかしさすがアメリカですね。厩舎も大きくて、
中で運動ができるくらいなのにはビックリしました。レースもこちらとは大違いで、何よりジョッキー
の迫力が違います。
直線400メートルのレースなんか、ずっと追いっぱなしですし。ただ、レースには1度しか乗れません
でした。騎手ライセンスの発給に手間取っている間に、所属厩舎の馬がほとんど出走してしまったんです。
その唯一のレースでは、流れに乗るということを考えていたのですが、"うわ! もう行くのか!"という
感じで、まったく想定外の場所からレースが動き始めたんです。むこうでは強い馬が向正面からでも
仕掛けていくので、ペースが落ちつかないんですよ。しかもバテない。刺激になりましたね。
実戦経験こそ1レースだけだったが、多くを学んだ木村騎手。その成果は現れているのだろうか。
■いちばんの成果は、冷静に乗れるようになったことですね。それまでは、少し出遅れるとあわてて
追い上げて、最後に脚が止まってしまうということがよくありました。お客さんには"見せ場をつくった"
みたいに映るかもしれませんが、検量に戻ってきたら先生には怒られて......。
それが向こうで"強い馬は強い"というレースを体感できたことで、どっしりと構えられるようになったと
感じています。
兵庫県競馬は、岩田康誠、小牧太、赤木高太郎と、JRAで活躍する騎手を生んだ場所。
その3人が抜けた今、次代を担う木村騎手への期待は大きい。
■いやいや、リーディングを取るのはむずかしいですよ。兵庫は騎手のレベルが高いですし。
それより自分としては、目の前のひとつひとつを大切にという気持ちです。でも、名騎手の姿を
見られたことは、自分自身の栄養になっていますね。とにかく流れに乗るのが上手でしたし、
見ているだけで本当に勉強になりました。
そう実感しているという木村騎手は、今年8月13日に通算1500勝(中央含む)を達成した。
■1500勝ですか。うれしいですね。でもひとつの通過点。区切りといえるのは2000勝でしょう。
ゴールデンジョッキーにも出られますし。でもそんな先のことなんて考えられない、そういう仕事を
しているという思いで乗っていますよ。
でも、少し先のことを展望してもらおう。今年、園田競馬場ではJBCが開催される。木村騎手は
JBCクラシックにアルドラゴンで出走する予定となっている。
■アルドラゴンはすごく掛かる馬なので、なかなか操縦が難しいんです。追い切りでも掛かるくらい
ですから。だから、レースでは折り合いをつけるのが大変。それだけに、2400メートルの六甲盃は
快心の勝利でした。あのときは馬場入場のときから馬に勢いがついていて、"これじゃあ2400メートル
なんてもたないよ"と思いましたから。それがレースになったら、前半にハミが抜けて折り合いがついて、
最後にビシッと伸びる、そんな理想的な競馬ができました。
あの勝利は自分の自信にもつながりましたね。帝王賞のときは(同じ兵庫所属の)チャンストウライに
負けましたが、こちらは重めでしたから度外視。放牧からいい体になって帰ってくると思いますし
、ぼく自身もすごく期待しているんです。
ひとつひとつのレースを大切にして、勝ち星を積み重ねる木村騎手。何か心がけていることは
あるのだろうか。
■レースでは基本的に内を回るようにしています。今は馬場の内外の差もあまりないですし。
JRAで勝ったときも、内をずっと回ったことが最後の伸びにつながったのかなと思います。
やっぱり内を回って距離をロスしないのは重要ですよ。競馬が終わってからは、VTRを何回も
見ています。どの馬の騎乗依頼があってもいいようにという意味もありますが(笑)。でもVTRを見て、
初めてわかることも多いんですよね。もちろん、反省できることも。今はレースに乗ることが楽しいですよ。
この生活はやめられないですね!
元気さと勢いが魅力の木村騎手だが、以前は体調管理に苦しんだそうだ。
■昔はしょっちゅう風邪をひいていて、1年に3回くらいは開催を欠場していました。熱も40度くらいまで
上がって......。このままじゃどうしようもないと思ったので、扁桃腺を切る手術をして、それからは熱が
上がらなくなりました。ただ、30代になってからは、体が少し硬くなったかな? でも、昔みたいに
ガンガン競ったりしなくなったのは年のおかげかも(笑)
しかしその姿は年齢を感じさせず、若手のリーダーという表現がピッタリ。その流れもあってか、
木村騎手は兵庫所属の若手騎手で作るユニット、ADONOS7のメンバーに加わっている。
■いやいや、ファンとの交流がまだまだ少ないですよ。兵庫の競馬を盛り上げるためにも、もっといろいろ
なところに出たいと思っていますし、顔も売りたい。
ぼくらはヤル気マンマンなのに、いまだに全員そろってのサイン会もやっていないんですよ。
ホント、何か企画してもらえます?(笑)
木村騎手の父も兵庫で活躍した騎手。ある日、『メインレースを勝つから賞品を取りにこい』と
レース前に言われ、予告どおりに勝った父をみて「かっこいいなあ」と強烈なあこがれを抱いた
という。その背中を追って騎手になった少年は、今や兵庫県競馬を背負って立つまでになった。
そして今年の大一番はJBCクラシック。木村騎手に自信をつけさせたというアルドラゴンとの
コンビで挑む舞台が待っている。
----------------------------------------------------
木村健(きむらたけし)
1975年8月16日生 獅子座 A型
和歌山県出身 西川精治厩舎
初騎乗/1993年10月20日
地方通算成績/12,670戦1,509勝
重賞勝ち鞍/兵庫大賞典、六甲盃(2回)、
園田金盃、新春賞、のじぎく賞、園田ジュニ
アカップ、姫路プリンセスカップ、楠賞全日
本アラブ優駿など10勝
服色/橙、白山形一本輪
----------------------------------------------------
※成績は2008年8月24日現在
(オッズパーククラブ Vol.11 (2008年10月~10月)より転載)