中学2年のとき、「飛行機に乗せてもらえる」という喜びから、親戚の勧めで鹿児島から岐阜県の笠松まで騎手という仕事を見学しに行った川原少年。見ているうちに憧れを抱き、いつしか頂点を極めることになります。
動機も積み重ねた実績も、のちの大横綱千代の富士になる秋元貢少年と一緒だなと、相撲好きの筆者は思ってしまいます。
笠松で、あの安藤勝己騎手を押しのけリーディングを奪い、都合8回も頂点に輝いた川原騎手は、2006年2月からは兵庫のジョッキーとして第二の騎手人生をスタートさせます。
竹之上:どんな意気込みで兵庫に来ました?
川原:一応笠松のトップにいた川原だし、名門曾和厩舎に入るわけだし、周りの目は厳しいだろうから、不様な競馬だけはできないなって思っていました。だから、騎手として再デビューできるときまで、調教も一生懸命して、筋トレもしっかりやってましたね。だから、笠松の頃より良いカラダだったんじゃいなかな(笑)
竹:笠松と兵庫では、レース内容に違いはありました?
川:全然違いましたね。笠松ではレースの流れの中で騎手が動くというものだったけど、兵庫では騎手がレースの流れを変える感じ。駆け引き中心ってことかな。
竹:じゃあ、その違いに戸惑ったでしょう。
川:戸惑ったけど、ここのやり方で勝って行こうと思ったね。安藤兄弟と渡り合ってきたんやから、なんとかなると思ってね。
川原騎手はその年、一日4鞍までという制限(6月27日まで)もあったなか、154勝を挙げてリーディング3位の堂々たる成績を残します。
竹:川原さんはいつも、馬とのコミュニケーションが大事と言ってますよね。馬と会話しながら乗るんだと。そういう気持ちになったのは、いつ頃からですか?
川:笠松でリーディングを獲った頃(1990年代後半)くらいからだと思う。周りが見えるようになったんやね。
竹:川原さんにとって、一流ジョッキーの条件ってなんですか?
川:ミスを少なくできること。慌てないこと。見ている人に安心感を与えられることかな。
竹:間違いなく一流の川原さんに聞きますけど、それはいつごろ体得できたと思います?
川:こっち(兵庫)に来てからやね。
竹:えっ!?そうなんですか!最近ですやん!
川:だって、簡単に勝たせてくれへんもん。
こんな言葉を大ベテランに吐かせる兵庫のジョッキーもやるなと、少し誇りに思うとろです。強力なライバルたちが、更なる高みへ誘ってくれるのでしょう。
竹:いま掲げる目標ってあります?
川:目標ってのはないけど、ひとつひとつを大事に騎乗することかな。それと、騎手はやっぱりカッコ良く勝たないと。
竹:それにしても、51歳ですが体力は衰えませんね。
川:年中カラダ動かしてるからね(笑)。それでも衰えはあるだろうし、いつかはムチも置くだろうしね。そのときはひとに言われてやめるのではなく、自分で決めたいね。
竹:それって、自分で断を下す明確な基準があるってことですか!?
川:あるよ。
竹:いまは言えないでしょうけど、決まったときにコソッと教えてくださいね。でも、それがしょーもなかったら怒りまっせ!
川:しょーもないかもな(笑)
まだまだやめる気などさらさらないなと思わせる口ぶりと騎乗ぶり。カッコ良く勝つシーンは格別で、大人の競馬を教えてくれる川原騎手。是非馬券を買って、安心してご覧になってはいかがでしょうか。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真 / 齋藤寿一
ここ数年、急ピッチに勝ち星を増やしている下原理騎手。
各地への遠征も積極的にこなしており、最近ではチャンストウライで昨年の佐賀記念Jpn Ⅲを
制覇し、ベストタイザンで東海地区の重賞を3 勝と大活躍。激戦の兵庫地区で躍進を続けていく
下原騎手のこれまで、そしてこれからについてうかがった。
下原騎手のこれまでの戦いは、ケガとの戦いでもあった。
■いちばんひどかったのが肝臓裂傷ですね。落馬したときに馬に踏まれたんですよ。即、救急車で
病院に運ばれて、開腹手術をして1 カ月半入院しました。手術はうまくいきましたが、入院の影響で
筋肉が落ちてしまって、体を戻すときにひどい筋肉痛になりました。厩舎に帰ってきて最初に馬に
乗ったときもすごい違和感で、落ちるかもと思ったくらいです。
もうひとつ、頚椎損傷もやっているんですよ。レース中に前の馬につまずいて、後ろの馬にも追突されて
落馬して、救急車で即入院。2 週間くらいでムリヤリ退院して馬に乗って、そのなかでケガを回復させて
いきました。
死に直結してもおかしくない大事故。一歩でも間違っていれば、騎手・下原理はここにいなかっ
たかもしれない。
■生まれは広島県の福山の近くで、小学2年のときからずっと剣道をしていました。あちこちの道場に
行っていましたから、本当に剣道少年ですね。広島の県北大会で優勝したこともありますよ。
剣道のおかげで体が強くなりましたし、瞬間の判断力というのもついたと思います。剣道って知らない
人には単調に見えるでしょうが、やってみると相手との一瞬のかけひきが面白いんですよ。
その修練の蓄積が、大事故のときに致命傷を負う危機から救ったのかもしれない。
そんな運動少年が、ふとしたきっかけで競馬の世界に進むことになる。
■知り合いが福山競馬の馬主さんで、ぼくをみて体も小さいしやってみないかと誘ってくださったんです。
それで中3 の夏休みに福山競馬場の厩舎に住み込んで修業しました。いやあ、体力的にも上下関係的
にも厳しかったですねえ。それでもイヤにならなかったのは、騎手の人たちの華やかさを感じていたから
だと思います。その知り合いは、騎手になるなら兵庫でとアドバイスしてくださって、それで園田競馬場に
も見学に来ました。そうそう、地方競馬教養センターの一次試験は、この部屋(検量室の上にある3 階の会
議室)で受けましたよ。
そうして手に入れた騎手ライセンス。しかし当時の兵庫はベテランが上位を独占。
新人騎手には厳しい状況だった。
■何度もビデオを見て反省しましたよ。ちょっとでも人気があれば、勝ちを意識してしまって失敗とか......。
小牧太さんや岩田さんは人気馬で当たり前のように勝っていて、本当にすごいと思いましたね。
その2 人の動きはビデオでじっくり研究しました。ずっと見ていると、レース中でミスするところも
わかってくるんです。もちろんいい勝ち方をしたときのその理由も。とても勉強になりました。
下原騎手の手本となっていた2 人は、JRA に移籍。自然と次代のトップを狙うチャンスがうまれ
てきた。
■そうですね。だんだんいい馬が回ってくるようになったと思います。と同時にプレッシャーも感じるように
なりましたね。最近はしっかり騎乗してダメならしょうがないと思えるようになりましたが。 レースでの
騎乗は、基本的にはゲートを出てからの流れにまかせます。行くと思っていた馬が出遅れたり、自分が
出遅れたり、思うような展開にはなりませんから、その瞬間でどう対処できるかが重要だと思うんです。
ある程度は相手関係を頭に入れますが、感性のほうを重視しています。
05 年に64 勝だった勝ち鞍は06 年に119 勝に増加し、それ以後は年間3 桁をキープ。
好成績を続ける下原騎手には代表馬といえる存在が2 頭いる。
■チャンストウライのデビューのころは、ゲート試験でスタート直後に横に飛んでいくくらい、怖がり
だったんですよ。それが解消して、エンジンがかかると一気に加速するという感じになりました。
ダートグレードを勝たせなければいけない馬だと思っていましたが、早くに実現できてよかったです。
まあ、どちらかというと馬に勝たせてもらったという気持ちのほうが強いのですが(苦笑)。
一時は調子を落としましたが、ここ2 走は地方馬では最先着。なんとか復活してくれることを期待したい
ですね。
ベストタイザンは昨年の夏休みのあと、走り方が悪かったんですよ。そのころはスタートもいまひとつで。
そういう状況でしたから、笠松グランプリで4 コーナーからスッと伸びてくれたときはうれしかったですね。
一時はもうダメかと心配しましたが、あの勝利で強さを再認識できました。
ベストタイザンも、昔は抑えがきかなくてしょうがなかったんです。2400 メートルで勝ったとき(園田金盃)
なんて、最初からずっと掛かっていたので腕が疲れてしまって、ゴール前では体をなでる感じでしかムチを
打てなかったくらいで(笑)。
勝ち星を積み重ねる下原騎手は、今年中の通算1000 勝達成も不可能ではない。
■うーん、意識はありませんねえ。今、木村健騎手の勢いがすごいですが、人のことより自分。
どんなレースでも最善をつくすことだけを考えています。勝たないことには乗せてもらえないですし。
それでいい馬に巡りあって、そのチャンスを最大限にいかす。それが信用にもつながっていきますから。
本当にひとつひとつの積み重ねなんですよ。
下原騎手はJRA への参戦も多い。 「この前、京都競馬場で3 着に入ったあとパドックで
『下原ありがとう!』という声が聞こえましたよ」と、うれしそうな表情。そんな下原騎手に、
これからの目標について聞くと、「前の年より常に多く勝ちたい」とのこと。その心は、
「自分も勝って喜びたいし、勝つことによってまわりの人たちが喜んでくれる姿をみるのが
うれしいから」 幸せの使者になるために自分の技術を磨く。その気持ちは確実に成功の
道へと向かっているようだ。
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下原 理
しもはら おさむ
1977 年9 月3 日生 乙女座 B 型
広島県出身 寺嶋正勝厩舎
初騎乗/ 1995 年10 月10 日
地方通算成績/ 9,352 戦849 勝
重賞勝ち鞍/佐賀記念Jpn Ⅲ、園田金盃2 回、
兵庫大賞典、菊水賞2 回、兵庫ダービー、東海
菊花賞、白鷺賞、播磨賞、笠松グランプリ、白銀
争覇、梅見月杯など18 勝
服色/紫、白ひし山形一文字
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※成績は2009 年2 月23 日現在
(オッズパーククラブ Vol.13(2009年4月~6月)より転載)
一昨年、兵庫のリーディングジョッキーとなった木村健騎手。
昨年はその座を田中学騎手に譲ったが、今年は再びその地位を奪回するべく、目下
リーディング1位を守っている。
■昨年は1カ月くらい、アメリカ(ケンタッキー州キーンランド)に行っていたんですよ。現地では、
厩舎所属騎手として受け入れていただきました。しかしさすがアメリカですね。厩舎も大きくて、
中で運動ができるくらいなのにはビックリしました。レースもこちらとは大違いで、何よりジョッキー
の迫力が違います。
直線400メートルのレースなんか、ずっと追いっぱなしですし。ただ、レースには1度しか乗れません
でした。騎手ライセンスの発給に手間取っている間に、所属厩舎の馬がほとんど出走してしまったんです。
その唯一のレースでは、流れに乗るということを考えていたのですが、"うわ! もう行くのか!"という
感じで、まったく想定外の場所からレースが動き始めたんです。むこうでは強い馬が向正面からでも
仕掛けていくので、ペースが落ちつかないんですよ。しかもバテない。刺激になりましたね。
実戦経験こそ1レースだけだったが、多くを学んだ木村騎手。その成果は現れているのだろうか。
■いちばんの成果は、冷静に乗れるようになったことですね。それまでは、少し出遅れるとあわてて
追い上げて、最後に脚が止まってしまうということがよくありました。お客さんには"見せ場をつくった"
みたいに映るかもしれませんが、検量に戻ってきたら先生には怒られて......。
それが向こうで"強い馬は強い"というレースを体感できたことで、どっしりと構えられるようになったと
感じています。
兵庫県競馬は、岩田康誠、小牧太、赤木高太郎と、JRAで活躍する騎手を生んだ場所。
その3人が抜けた今、次代を担う木村騎手への期待は大きい。
■いやいや、リーディングを取るのはむずかしいですよ。兵庫は騎手のレベルが高いですし。
それより自分としては、目の前のひとつひとつを大切にという気持ちです。でも、名騎手の姿を
見られたことは、自分自身の栄養になっていますね。とにかく流れに乗るのが上手でしたし、
見ているだけで本当に勉強になりました。
そう実感しているという木村騎手は、今年8月13日に通算1500勝(中央含む)を達成した。
■1500勝ですか。うれしいですね。でもひとつの通過点。区切りといえるのは2000勝でしょう。
ゴールデンジョッキーにも出られますし。でもそんな先のことなんて考えられない、そういう仕事を
しているという思いで乗っていますよ。
でも、少し先のことを展望してもらおう。今年、園田競馬場ではJBCが開催される。木村騎手は
JBCクラシックにアルドラゴンで出走する予定となっている。
■アルドラゴンはすごく掛かる馬なので、なかなか操縦が難しいんです。追い切りでも掛かるくらい
ですから。だから、レースでは折り合いをつけるのが大変。それだけに、2400メートルの六甲盃は
快心の勝利でした。あのときは馬場入場のときから馬に勢いがついていて、"これじゃあ2400メートル
なんてもたないよ"と思いましたから。それがレースになったら、前半にハミが抜けて折り合いがついて、
最後にビシッと伸びる、そんな理想的な競馬ができました。
あの勝利は自分の自信にもつながりましたね。帝王賞のときは(同じ兵庫所属の)チャンストウライに
負けましたが、こちらは重めでしたから度外視。放牧からいい体になって帰ってくると思いますし
、ぼく自身もすごく期待しているんです。
ひとつひとつのレースを大切にして、勝ち星を積み重ねる木村騎手。何か心がけていることは
あるのだろうか。
■レースでは基本的に内を回るようにしています。今は馬場の内外の差もあまりないですし。
JRAで勝ったときも、内をずっと回ったことが最後の伸びにつながったのかなと思います。
やっぱり内を回って距離をロスしないのは重要ですよ。競馬が終わってからは、VTRを何回も
見ています。どの馬の騎乗依頼があってもいいようにという意味もありますが(笑)。でもVTRを見て、
初めてわかることも多いんですよね。もちろん、反省できることも。今はレースに乗ることが楽しいですよ。
この生活はやめられないですね!
元気さと勢いが魅力の木村騎手だが、以前は体調管理に苦しんだそうだ。
■昔はしょっちゅう風邪をひいていて、1年に3回くらいは開催を欠場していました。熱も40度くらいまで
上がって......。このままじゃどうしようもないと思ったので、扁桃腺を切る手術をして、それからは熱が
上がらなくなりました。ただ、30代になってからは、体が少し硬くなったかな? でも、昔みたいに
ガンガン競ったりしなくなったのは年のおかげかも(笑)
しかしその姿は年齢を感じさせず、若手のリーダーという表現がピッタリ。その流れもあってか、
木村騎手は兵庫所属の若手騎手で作るユニット、ADONOS7のメンバーに加わっている。
■いやいや、ファンとの交流がまだまだ少ないですよ。兵庫の競馬を盛り上げるためにも、もっといろいろ
なところに出たいと思っていますし、顔も売りたい。
ぼくらはヤル気マンマンなのに、いまだに全員そろってのサイン会もやっていないんですよ。
ホント、何か企画してもらえます?(笑)
木村騎手の父も兵庫で活躍した騎手。ある日、『メインレースを勝つから賞品を取りにこい』と
レース前に言われ、予告どおりに勝った父をみて「かっこいいなあ」と強烈なあこがれを抱いた
という。その背中を追って騎手になった少年は、今や兵庫県競馬を背負って立つまでになった。
そして今年の大一番はJBCクラシック。木村騎手に自信をつけさせたというアルドラゴンとの
コンビで挑む舞台が待っている。
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木村健(きむらたけし)
1975年8月16日生 獅子座 A型
和歌山県出身 西川精治厩舎
初騎乗/1993年10月20日
地方通算成績/12,670戦1,509勝
重賞勝ち鞍/兵庫大賞典、六甲盃(2回)、
園田金盃、新春賞、のじぎく賞、園田ジュニ
アカップ、姫路プリンセスカップ、楠賞全日
本アラブ優駿など10勝
服色/橙、白山形一本輪
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※成績は2008年8月24日現在
(オッズパーククラブ Vol.11 (2008年10月~10月)より転載)