
2025年6月16日、デビューから9年2カ月で通算1000勝を達成した加藤聡一(かとうそういち)騎手(名古屋)に、ここまで騎手として活躍してきての思いを聞きました。
1000勝を達成しての気持ちをお話し下さい。
まずは、シンプルに目の前のレースを勝ったので、嬉しかったです。それで、引き上げてきてみんなに1000勝おめでとうと言われたので、嬉しいと言うよりホッとしました。
1000勝というのは大きな区切りですが、自身ではこの数字をどう感じていますか?
確かに数字だけ見れば大きな数字なのですが、それまで負けた回数も多いですから。それでも乗せてくださった皆さまに対する感謝の気持ちが大きかったですし、頑張ってくれた馬にも「ありがとう」と思いました。
6月16日名古屋第4レース、タマモルピナスに騎乗して通算1000勝達成
いま、レースに騎乗する上で意識しているのはどんなことでしょうか?
全部のレースで、とにかく1つでも上の着に持ってくるようにという意識を、かなり強く持っています。そのためには、その馬のレースを普段から見ているわけですから、自分だったらこうしようああしようと思ったことを、レースに行って意識しながら乗ってみます。結果が出ればいいですし、出なければ反省する。それの繰り返しですね。
デビューから9年ちょっとで、考え方とか取り巻く環境とかで何か変化はありましたか?
デビューした頃から、自分が乗せて頂いている厩舎は、結果を出さないといけない、勝ったとしても内容も求められていましたし、勝っても内容が不十分だと、よく叱られたりもしていました。それは、当時も今も変わらないと思っています。
逆に、変わった部分は?
いまは、賞金がすごく上がってきているので、やはり"変なレース"は出来ないなと自分の中では思っています。馬主さんとか、ファンの方に対しては、不完全燃焼じゃないですけど......そういうレースはしないように意識しています。
責任感みたいなものが......。
より一層増してきたなっていうのは、感じます。馬主さんも、競馬場は以前より遠くなったのに、以前よりも一層よく臨場されるようになっていますし、賞金が上がるということは、自ずとそういう風になってくるということなのかなと実感しています。
周囲の雰囲気の変化はどうですか?ご自身も年を取って、メンバーも入れ替わっていますよね?
最初の頃は一番下でしたけれども、名古屋は年下の子が多く入ってくるようになって、ひとりずつ増えていたはずなんですけれども、気づけば後輩がどんどんどんどん増えてきていて......いま中堅みたいなポジションになってきています。
中堅、ですか?まだ若いですよ、相当(笑)
中堅ですね。若い人たちに教えていかなければいけないし、自分もそれと同様に伸びていかなければいけないっていう状況にはあるんですけれども、それはそれで純粋に楽しい、っていう感覚で乗れていますね。楽しく過ごせています。あいつがいるから頑張らないとと、素直に思います。
そういうポジションに変わって、気負いのようなものは?
ないですね。
しばらく年下の騎手が入ってこない時代もあったから、年もそれなりに離れていますよね?年下の騎手は、どんな存在として見えていますか?
「下の子」っていう感じですね。商売敵、とかいう感覚でもなく、見守る、という感覚でしょうか。
自分よりも若い騎手たちに、どんなことを伝えているんでしょう。
これは、騎手になる前にいた乗馬センターの恩師から言われた言葉なのですが、「下手でもいい。応援される人間になりなさい」ということですね。どんなに上手くても、乗せたいと思われなければそれまでだから。下手でも、「あいつ頑張ってるから乗せてやってくれよ」とか、みんなからそういう風に言われるようになっていったほうがいいよと。そういういうことを伝えています。
名古屋競馬の騎手相場も今年は一気に変わって、いまリーディングを若手と争う位置にいます。(6月まで年の半分が終わって、86勝で名古屋リーディング2位)。これについての意識はどうですか?
リーディングですか?取りたいですよ。取りたいですけど......自分はプロセスを大切にしたいんですよね。現状でも、勝てていないわけではないし、一鞍一鞍、変な騎乗はしていないつもりです。でも、数字に意識がいきすぎると、自分の場合失敗する。だから、リーディングについては、きちんとレースをした結果そうなっている、というのが理想です。
6月26日、マッドルーレットでトリトン争覇を制し1年3カ月ぶりに重賞勝利
話は変わって、プライベートのお話。仕事の合間の息抜きはどんなことをされていますか?
以前からずっとやっている釣りの他に、最近はゴルフも。阪野さん(阪野学騎手)が名古屋に来てから、ゴルフに行く機会が増えました。本格的にやるようになりましたね。
スコアはどうなんですか?
言いません(笑)。行くのは楽しいです。
ゴルフは、どんなところが楽しいと感じますか?
単純に、うまく回れたらうれしいです。スコアを語れる腕前ではないのですが(苦笑)。あとは、あのロケーションの中で楽しめるというのがいいですね。スコアは全然良くないですけど、向上はしてきていて、いま「第2コーチ」に父を迎えています。道具も、初めは父のお下がりを使っていたのですが、最近全部自分で買い揃えました。
最後に、オッズパークで馬券を買って競馬を楽しんでおられるファンの方に、一言お願いします。
いま話したように、自分は最近は「1つでも上の着順」という意識で乗っていて、結果それで予想されているより良い結果、良い着順に繋がることもあります。そういう狙い方でうまく馬券に絡めてもらえれば、面白いんじゃないかなと思います。あとは、やはり実際に足を運んで生で観戦してもらいたいですね。是非名古屋競馬場にもお越し下さい。
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※インタビュー・写真 / 坂田博昭
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2025年4月21日に名古屋競馬場でデビューを果たした小笠原羚(おがさはられい)騎手に、デビューからの1カ月を振り返りつつ話を聞きました。
デビューの当日は、緊張と楽しみと半分ずつぐらいの気持ちでした。前日とかの方が緊張していましたね。初日は1レースから5レースまで連続で騎乗していたので、始まってみると思っていた以上に時間がなくて本当に慌ただしかったです。装鞍して、下見所行って、乗って、その繰り返しで、レースのあとビデオもあまり見られなくて。でもいまでは、大分慣れました。
所属の沖田明子調教師)の方針で、4月になっても最初の開催はレースには乗らず、その間に同期がデビューしていました。焦りはなかったですか?
それはもう決まっていたことなので、焦っても仕方ないなと思っていました。同期のレースは見られるときには見ていました。活躍しているのを見て凄いな~と(笑)。私もデビューしたら頑張りたいなという思いはありました。
デビューまでの3週間は、どのように過ごしていましたか?
その間先生には、実習で競馬場に来た時に学んだレースや競馬場の1日の流れをもう1回確認して、攻め馬とか、外からレースを見る中でしっかり馬の癖などを把握するようにと言われていました。レースに乗っていない3週間で、まずここに来ての生活に慣れて、それから競馬に向かうことが出来たので、その意味では良かったと思います。
3日目、デビューから20戦目で初めて勝つことが出来ました。勝ちたいという気持ちとか、勝てそうな予感みたいなものはありましたか?
そんなに簡単に勝てるものではないなと思っていましたし、レースに乗る度にまだまだ足りないな、という思いばかりでした。勝ったレースの時には、予感というのはなかったけれど、沖田先生からはレースの前のパドックで「硬くなりすぎているので、何も考えるな」と言われました。この時には、気持ち的には少し余裕を持って乗れていたのではないかと思います。
初勝利を挙げたレースのパドック。右のスーツ姿が沖田明子調教師
初勝利のレースを振り返ってください。
位置的には良いところに行けました。「前が動き出すよりもっと早く追い出せ」と言われていたので、その前の動き見て、それより早く行こう、追い出そう、ということしか考えてなかったです。3コーナーよりも、ちょっと手前から追い出して、徐々に行けたかなと。
途中で「勝てたかもしれない」と思いました?
直線向いて残り100ぐらいで、もしかしたら届くかもと思ったので、あとはもう必死でした。ゴール板を通過したときにはいけたかも、と思ったのですが、(際どい勝負だったので)馬を止めるまでにやっぱり不安だなっていう気持ちになりました。検量の方に引き上げてきて掲示板で1着ってわかって、嬉しかったですね。
4月23日名古屋第6レース、メビウス(外)に騎乗し初勝利
話は騎手になる前のことにさかのぼるのですが、どんな子ども時代でしたか?
山梨の出身で、自然が多い中で育ちました。小学生の時に、姉について行く形で民間のスポーツクラブで陸上を始めました。長距離走、駅伝ですね。小学生の時はクラブで、中学に入ってからは学校の部活動で続けていました。
陸上をやっている中で、得たものとか感じたことはどんなことでしょう。
練習をみんなと一緒にやる中で、辛いところもあるじゃないですか。そこをみんなで声をかけながら頑張って、それでやってこられたかな、という感覚ですね。走るときはひとりなんですけど、チーム全体で取り組むというか。チーム力が大事だなと感じました。
競馬の仕事に通じるところがありますか?
馬に乗ることとの関連というより、挨拶とか礼儀とか、そういういうことを中学の時からとてもよく教わって来ました。人と普通に喋ることが出来るようになったのも、中学の時代に教えてもらって来たことがあったからだなと思うし、そこは大切にしていることです。「人間性」ですね。
現場での取材やインタビューでも、すごくしっかり話をされるじゃないですか。
いえ、人と話すのはすごく苦手でした。中学の時に「変わりたいな」という気持ちもあって、陸上部の部長をやったり、生徒会の副会長をやったりしましたね。競馬場に来てからも、厩舎関係者の人たちとのコミュニケーションは結構頑張りました。話すの得意じゃないので。
そこは「結構」頑張りましたか(笑)
相手はまだ、自分のことは何も知らないわけじゃないですか。とにかく自分のことを知ってもらうためにも、色々話した方が信頼関係に繋がるかなと思いました。話す中身はどうでもいいことばっかりですけどね(笑)。
初めての口取り。応援に来ていた両親と一緒に。プラカードを持つのは宮下瞳騎手
騎手を目指した理由を取材で聞かれると、「小柄でも活躍できる仕事だから」と答えていますが、「小柄」であることにはコンプレックスを感じていましたか?
いましたね(苦笑)。何かと不利じゃないですか。小さいって。スポーツするにしても、身長が高い方がだいたいいいので、背が高い人はいいなーと思います。騎手の仕事は、陸上競技の先輩から、そういう仕事というかスポーツがあるよって聞いて、何だか面白そうだなと思ったのが、知るきっかけです。調べてみて、小さくても出来るんだ、面白そうだなと思って目指しました。
騎手を目指すと決めるまで、競馬とは何か接点があったのですか?
全くないです(笑)。山梨に競馬はないですし、テレビで見たこともありませんでした。
2年前、地方競馬教養センターに入所する直前に、レディスジョッキーズシリーズが行われた川崎競馬場に見学に行ったそうですね?
家族と一緒に見に行きました。その場で、宮下瞳騎手に会うことが出来て、少し話も出来ました。ふれあいの時間があるとは思っていなくて......確か紹介式の後に父が声をかけて呼び止めてくれて。会って話せたんです。かっこいー!みたいな(笑)。出てるオーラが違うなって。ああいう感じで、大きな舞台に立てるように頑張りたいと思いました。とても貴重な経験でしたね。
2023年3月2日川崎競馬場。真ん中の少女が教養センター入所直前の小笠原羚騎手
乗馬経験がない中で騎手になり、馬を乗るということに関してどんな風に感じていますか?
馬に乗ることは本当に難しいんですけど、それも含めて面白い、と思います。馬をうまくコントロールできたときが、凄く嬉しいです。昨日引っかかった馬に、普通にうまく乗れた、とか。今日はちょっと折り合いうまくついたな、とかですね。
デビューして1カ月経って、いまどんなことを意識していますか?
馬の邪魔をしない乗り方が出来ればと思います。騎乗姿勢は直したい。姿勢が良い方が、見栄え的にもいいと思いますから。あとは折り合い。馬が引っかかるときの対処が一番苦手なんです。
怪我のないように頑張ってください。ありがとうございました。
はい!頑張ります!!
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※インタビュー・写真 / 坂田博昭
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レディスジョッキーズシリーズ(LJS)で2023に続き連続優勝を果たした木之前葵騎手(名古屋)。ハートの勝負服が話題となったデビュー時は初々しかった彼女も、まもなくキャリア13年目を迎え、女性騎手では2番目に年上となりました。いま、競馬にどう向き合っているのでしょうか。
LJS優勝おめでとうございます。今年は2020年レディスヴィクトリーラウンド以来、ばんえいエキシビションが開催されましたね。
ありがとうございます。エキシビションは久しぶりで、女性騎手が増えたなって改めて感じました。ばん馬に乗るのもすごく楽しかったです。以前に会った時は厩務員をしていた今井千尋ちゃんが騎手になって、デビュー後に初めて会えたのでよかったです。ばんえいは男性騎手も増えましたよね。エキシビションで組んだ方も新人騎手(大友一馬騎手)でした。
エキシビションを経て佐賀ラウンドから戦いがスタートしました。佐賀競馬場には"ふるさと応援団"が駆け付けていました。
九州の宮崎県出身なので、九州唯一の地方競馬場で勝ちたいなと思っていました。三股町という所で生まれ育ったんですけど、騎手になりたいと思った小学生の頃、何をどうしたらいいか右も左も分からず、母と「馬を飼っている人なら何か知っているかも」と、近所で馬のいるお家をいきなり訪ねたことがありました。その方が親切に教えてくださって恩人なのですが、残念ながら怪我で入院中で来られませんでした。その代わり、知人に「三股町出身ですごい人がいるんだぞ。応援に行かないか」と声をかけてくださったみたいで、その方々が競馬場まで応援に来てくださいました。
パドックには「三股町の誇り」と書かれた横断幕も掲げられていました。
ありがたいです。三股町は自然豊かで、食べ物がおいしい町です。鳥刺しが美味しくて、スーパーに行けば肉の希少部位も普通に売っていて、こないだ帰省した時は牛のテールを買って、テールスープを作りました。美味しかった~。
佐賀ラウンド第1戦は応援を背に見事、勝利を収めました。揉まれ弱い面があると陣営談話でしたが、最内枠から向正面で外に出して上手く運びました。
先生からも揉まれ弱いと聞いていたので、ゲートを出なかったら、前に行くのはやめようと思っていました。ゲート内でゴソゴソしていて出が良くなかったので控えて、ペースが速くならないうちにいい位置まで上がっていけたらな、という考えがハマりました。ずっと動きっぱなしだとバテるかなと思い、3コーナーではもう一度息を入れてから追い始めました。直線は接戦だったのでドキドキしましたけど、勝てて嬉しかったです。
佐賀ラウンド第1戦を勝利
騎乗馬は成績等によりAとBにグループ分けされていて、各1頭ずつ騎乗するようになっていました。第2戦はBグループの馬ながら3着同着と、高ポイントをゲットしました。
どちらかというとズブい馬で動かすのが大変でしたが、ちゃんと3着までこられてポイントを落とさなかったのはよかったなと思いました。同着は珍しいことなので、なんだかテンションが上がりました。3着同着だった(中島)良美ちゃんと「やった~!」とハイタッチしたけど、ふと我に返って「あれ?これ、勝負的にはどうなんだろう」と思いました。良美ちゃんはポイントのことを考えて、「同着ってダメじゃね?」と言っていた気がします(笑)。
我々マスコミも「2人ともに3着ポイント」か「(3着+4着)÷2のポイント」かでざわつきましたが、前者というルールだったようですね。結果的にポイントが高い方で、佐賀ラウンドを1位で終えて、4日後の園田ラウンドに向かいました。
園田ラウンドは第2戦でいい馬が当たったな、と思いました。過去の成績を見ても、「リーディングの吉村(智洋)さんが乗っていたくらいだから、すごくいい馬なんだろうな」と。ただ、3カ月ぶりだったので「なぜ休んでいたんだろう」と不安がありました。
地元専門紙も本命がズラっと並ぶほど格上の馬でしたが、唯一の不安材料は久々である点でしたね。
そうなんですよ。でも先生に聞いたら、どこかが悪いとかではなかったみたいで、パドックで跨った時にも「めっちゃいい馬」と感じました。背中が良くて、馬が乗っている人のことを信頼して歩いていたので、普段から手をかけられているんだなと感じました。それで、曳いていた厩務員さんに「いい馬ですね。誰が乗っているんですか?」と聞いたら、「僕です」と。で、ゲート裏でまたその厩務員さんとお話していたら、「気づいていないと思いますけど、僕、木之前さんの後輩です」と。地方競馬教養センター時代の1期後輩で、すごく馬乗りが上手な子だったんです。彼が調教をつけているなら大丈夫だろう、と自信を持って乗れました。
園田第2戦勝利後、後輩の厩務員と
単勝1.1倍の人気に応えてLJS2勝目を挙げ、総合優勝を決めました。
LJSはどんな騎乗馬が当たるかという運も大きな要素だと思います。だから、私は運が良かったです。女性騎手が集まってレースをすることはなかなかないので、こうして機会を作っていただけてありがたいです。4月には名古屋からまた1名、女性騎手がデビューして面白いレースができると思うので、またLJSが開催されればいいなと思います。
普段から笑顔が印象的な木之前騎手ですが、それにしても最近は表情がさらに生き生きしていると感じます。
LJSはめっちゃ楽しかったです。優勝できて、「地元でも頑張ろう」とモチベーションになりました。昔は体力がついてきていなかったのか疲れやすかったですけど、最近は余裕があります。ホットヨガを初めて、疲れない体の使い方ができているのかもしれません。デビューして12年。良くも悪くも馬乗りに慣れてきちゃって、ストイックさを忘れかけていた部分もあったんですけど、もっとがむしゃらに馬乗りを極めたいと思っています。
最後に、オッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
このたびはLJSでの応援、ありがとうございました。現地に来てくださった方も、ネット越しで応援してくださった方も、ありがとうございます。SNSでコメントをくださったのも全て読んで、力になりました。これからも頑張るので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
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塚本征吾騎手は、2025年2月4日に川崎競馬場で行われた「佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ」に初出場。第1戦で勝利を挙げ、総合2位という結果を残した。
第1戦の騎乗馬は休み明けでも、とてもいい状態だと感じました。レースでは積極的に行くつもりでしたが、スタート後に宮川実さんが先手を取ったので、3番手の外という位置になりました。その展開にうまく乗って勝つ形になったと思いますが、左回りの違和感はすごかったです。そもそも左回りの競馬場で乗るのが初めてで、左回り自体も、右回りと左回りで訓練する教養センター以来。だから4年ぶりでした。
しかも東日本の競馬場で乗るのも初めて。それで第2位に入ったのだから、相当なインパクトを残したといえる。
第1戦を勝ったあとは、優勝の文字しか頭に浮かんでこなかったです(笑)。第2戦は調教師さんの指示もあって、じっくりと構えていくつもりでした。
でも左回りに慣れていないから重心の移動がうまくできなくて、そのなかで馬に間違った合図として伝わってしまったところがあったようで、早めに動く形になってしまいました。その点を含めて、2位でも全体として納得できる内容ではなかったなと思います。
しかしながら、いつもと全く違う経験は、今後への大きな糧になったことだろう。
振り返ってみると、楽しかったことは間違いないですね。普段の感覚とは違うレベルで競馬をしているというのかな。そういう感覚がありました。トップジョッキーのみなさんはレース運びにスキがないことを実感しましたし、一挙手一投足がとてもきれいだと思いました。それに比べると、自分はまだまだ粗削り。トップジョッキーのみなさんは、どんな馬に乗ってもその馬に合わせた騎乗ができて、その上で馬のよさを引き出せるという印象がありますが、自分は得意不得意がありますから。
今の名古屋で自分が受けている評価としては、ゲートをまずまず出せて、最後まで追うことができる、というところではないかと思います。そのイメージはこれから変えていきたいですね。自分自身、引き出しの数が圧倒的に足りていませんし、これから普段の所作はもちろん、判断力や考えかたを成長させて、また出場したいです。
それでも2021年4月のデビューから順調に勝ち星を伸ばし、24年は209勝を挙げる活躍を見せた。
環境に恵まれていますし、自分でも順調に来ていると思います。その一方で、結果と技術が釣り合っていないとも感じます。実際、反省することのほうが多いですからね。だからこそ、川崎での1日は僕にとってものすごい経験。名古屋だけで乗っていたら、井の中の蛙みたいな状態になっていたかもしれないですから。ほかの世界も見てみたいと思えるきっかけになったことは間違いありません。
とはいえ、まだ5年目。今年1月14日には通算500勝を記録が残っている1973(昭和48)年以降、最も短い日数で達成した。
300勝を達成したときに、ケガをしなければ最速での500勝を狙えると思いました。さきほど、ほかの世界も見てみたいと言いましたが、身近な目標は最速での1000勝。そして名古屋でのリーディング。もっと上を目指したいのはもちろんですが、まずは地元でしっかりと、と考えています。
25年も着実に勝利を積み上げて、2月中旬の時点で名古屋トップの勝ち星を記録。重賞では昨年から勝利を挙げられていないが、23年の秋桜賞ではブリーザフレスカで衝撃的な大差勝ちをおさめた。
あのときはインコースに1頭分の幅だけ砂が軽い場所があって、そこをうまく使えたのが大きかったと思います。今の競馬場に移ってからは、開催ごとに馬場状態が変わるので、その見極めがとても重要です。毎日の調教ではインコースも使いますが、レースになると違うんですよ。最初に乗るレースでは、まずインコースをどこまで使えるのかを探る必要があります。
個人的にはコンビーノでのレースも記憶に残る。ヤングジョッキーズシリーズのトライアルラウンド佐賀(22年8月4日)で、筆者に「岐阜金賞を狙います」と話していた。
あのときは5連勝中でしたからね。2年目であんないい馬に乗せていただけて、本当にありがたかったです。でも重賞では2着ばかりで......(計6回)。コンビーノは新しい競馬場に移ったときに主戦騎手にしていただきました。けっこうウルサイ面がありますが、最初に乗ったときの印象がとても良かったことを覚えています。ただ、頑張りすぎるところがあるんですよね。あの岐阜金賞はアタマ差。勝ちたかったという思いは残っています。
ちなみに昨年は名古屋で131勝、笠松で78勝を挙げた。
調教は午前2時頃から8時頃まで。レースがある日も同じスケジュールで、昼間の開催のときは調教のあとに少し寝てからレースに臨みます。笠松開催ではそこに移動が加わりますから、正直なところ、ちょっとキツイなと感じるときもあります。でも昨年は笠松にたくさん行って、1年を無事に走り抜けられましたから、今年も大丈夫かなと思って続けています。
2月20日で21歳。その年齢なら、まだまだ突破できそうだ。
体のケアとしては、今は鍼灸を定期的に受けています。体もどちらかというと柔らかいほうかなと思いますね。僕の家のテレビでは常に地方競馬中継が流れていて、いつも兄たちのレースを見ていました。その影響もあって、小学校高学年から騎手になると決めていたので、それに向けた体づくりをしていました。ちなみにそういう環境だったので、僕は日本には地方競馬ではない競馬があることを知らずに育ったんですよ。初めて気がついたのが中3の夏。だからJRAの競馬学校の試験には間に合いませんでした。それが分かったとき、親に文句を言いましたよ(笑)。仮に僕がJRAに行っていたらどうなっていたか、これは分からない話ですが、受験くらいはしたかったなあ。
そんな思いも含めて、ワールドオールスタージョッキーズは狙いたい舞台です。でもそれは「JRAのレースで乗りたい」という気持ちより「勉強したい」という意識。川崎での2レースだけであんなにいい経験ができたんですからね。佐々木竹見カップに出られたことは、今後につながる大きな財産になったと改めて感じます。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
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今年4月のデビューから約5カ月という早さで通算50勝を達成(9月5日)した望月洵輝騎手。騎乗数649鞍(10月25日時点)は、同期で飛び抜けた多さです。そして、ヤングジョッキーズシリーズ(YJS)トライアルラウンド名古屋では「人一倍、勝ちたい思いが強かった」と、地元で勝って、ファイナルラウンド進出も決まりました。いま注目の若手ジョッキーです。
まずは生い立ちから教えてください。
愛知県豊橋市出身で、小さい頃から動物もスポーツも好きでした。実家の近くに大きな動物園があって、そこが好きでよく行っていましたし、5歳くらいの頃かと思しき体験乗馬をしている写真も出てきました。小学生の頃は親にお願いしてウサギも飼っていました。
競馬との出会いは?
たまたまテレビで競馬中継を見て、「これ、やってみたいな」と思ったのがきっかけです。その時に初めて競馬を見たんですけど、動物と人が一体になってできるスポーツがあるんだ、と思いました。その後、すぐに乗馬をやりたいと言って、習いはじめました。最初は家の近くで乗っていたんですけど、競馬のようなスピード感ある乗り方に憧れていて、ポニー競馬やジョッキーベイビーズに出たくてそれに特化した乗馬クラブに移りました。
移籍先の乗馬クラブはジョッキーベイビーズで決勝に進出し2位だった永井孝典騎手(兵庫)も通ったことがあるところですね。
習っていた時期は重なっていないんですけど、永井騎手が乗馬クラブに遊びに来た時に木馬を教えてもらいました。いま思うと、すごくいい経験をさせてもらったなと思います。ジョッキーベイビーズには小学5年生から中学1年生まで3回、予選に出て、決勝には行けず悔しかったですけど、「ジョッキーになったら何回も乗れるから」と思いました。
気持ちの切り替え方がすごいですね。愛知・井上哲厩舎への所属はどう決まったんですか?
ジョッキーベイビーズを目指していた乗馬クラブとは別のクラブに最終的に在籍していたんですけど、そこは競走馬を休養で預かることもあって、井上厩舎もそこを利用していました。井上調教師がたまたま休養中の管理馬を見に来た時に僕が「ジョッキーになりたいんです」と話したら、「うちに来いよ」と。その日のうちに所属することが決まりました。
すごい急展開!望月騎手も名古屋競馬でジョッキーになりたいと考えていたんですか?
当時はまだそこまで考えてはいなくて、とりあえず学校に入りたい、という感じでした。今となっては地元で乗れるのはやっぱりいいなと思います。こんないい話はなかなかないので、「チャンスがあるならぜひお願いします」と井上調教師に即答しました。
YJSトライアルラウンド名古屋(9月18日)紹介式
そうして名古屋競馬でデビュー。新人騎手としては騎乗数もかなり多いですね。
できるだけ調教に跨る頭数を多くしたいなと思って、調教師の方々に「調教に乗せてください」とお願いしました。いまは深夜1時から朝8時まで、最大29頭の調教に乗っています。間隔が詰め詰めで、トイレに行けない時はたまにありますけど、お願いしたらほとんどの方が調教に乗せてくださいました。名古屋では調教に跨ったらレースでも乗せていただけることが多いので、それが騎乗数に繋がっているのかなと思います。
もしかして、レースでの騎乗依頼を見込んでの調教騎乗だったんですか!?
それはあります。騎手候補生の頃の厩舎実習中、調教に跨るとレースでも乗せていただけることが多い、と感じていました。そういうのも含めて勉強するのが厩舎実習だと思っていたので、デビューしたらたくさん調教に乗せてもらおうと思っていました。
競馬関係の家庭出身ではない中で、そのアンテナは素晴らしですね。ポンポンと勝ち星を積み重ね、9月23日からは減量特典が1kg減へと変わりました。どう感じていますか?
今が一番感じている時期なんですけど、減量が取れてきて勝てないな、と思っています。数字で最も表れていますよね。デビューした頃の3kg減があった時期は、3~4コーナーも手応え良く回ってこられていたんですけど、今は手応えがなくって......。道中で無駄がまだ多い部分を、デビュー当時は3kg減に助けてもらっていたのかなと思います。
それに対し、いま取り組んでいることは?
乗り方を改善しようと思って毎レース乗ったり、レース後はパトロールビデオ見ながら先輩騎手に教えてもらったりしています。特に村上弘樹騎手にはレースについて全体的によく教えていただいています。
YJSトライアルラウンド名古屋第2戦では直近2戦で村上騎手が騎乗していたインフォーマントに乗って見事勝利を収めました。
出馬表が発表されて、その馬に乗ることが決まってからは毎日のようにずっと村上騎手に聞いていました。地元でのYJSで人一倍、勝ちたい思いは強かったですし、ファイナルラウンドに行きたくて聞いていました。
YJSトライアルラウンド名古屋・第2戦で勝利(写真:NAR)
「しまいは確実に脚を使うから、冷静に乗ればチャンスがあるんじゃない、とアドバイスをもらっていました」とレース直後も話していましたね。
それだけじゃ語り切れないくらい、1から10まで全て教えていただきました。でも、ガッツポーズはファイナルラウンドまで取っておこうと思って、しませんでした。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
いまは試行錯誤しながらですが、近い将来に減量が取れて先輩たちと同じ斤量で乗ることになっても勝てるようになりたいと思っています。一つでも上の着順が取れるように、1鞍1鞍精一杯乗るので、応援をよろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
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