今年でキャリア33年目となる戸部尚実騎手。2011年に地方通算2000勝を達成し、昨年6月には2300勝をマークと、コンスタントに勝ち星を積み重ねています。
一昨年も昨年も98勝と、好成績が続いていますね。
健康体であるのがいちばんの理由ですね。それ以前は3年ぐらい続けて骨折していますし、これまで本当にケガが多かったですから。でも僕みたいに30歳ぐらいから成績が上がってきたという騎手は、珍しいかもしれないですね。
それはどういうことが要因なのでしょうか?
やっぱりたくさん乗っている分の経験値というところかな。普段からレースの流れとか、そういうことを考えていることも、それにつながっているように思います。自分はタイプとしては努力型。性格というか、子供のころもそんな感じでした。
確かに東海ダービーを勝ったのは2011年(アムロ)。デビュー29年目でした。
若いころにはマルブツセカイオーなどの活躍馬に乗せてもらいましたけれど、騎手人生としては後半のほうがいいですよね。5年前の年末年始に3日連続(2009年12月31日~2010年1月2日)で重賞を勝って、その次の年にダービー。やっぱりダービーは特別でした。
2011年東海ダービーをアムロで勝利(写真:愛知県競馬組合)
1963(昭和38)年8月27日生まれですから、現在51歳。健康などで気を付けているところはありますか?
食事には気を遣っています。もともと量を食べるほうではないんですが、食べるものもヘルシー傾向かなと思います。ここ何年かは釣りに凝っていて、知多半島のほうに船で行って魚を釣って帰ると、それをどうにかしないとならないじゃないですか。釣りにハマるまでは料理なんて全くしなかったんですが、今では刺身とかいろいろ自分で作るようになりました。お酒は30歳ぐらいまで飲めなかったんですが、今ではけっこう飲んでいますね。ただ、お店とかではなくて、自宅でのんびりと。レースがないときは調教が終わってお風呂に入って、それから飲み始めることもあります(笑)。
昨年はリーダーズボードが東海ダービーを前に戦線離脱しましたが、かなりの活躍を見せました。2011年の東海ダービー馬、アムロも、戸部騎手が所属している川西毅厩舎の管理馬です。
僕は以前、河村功厩舎所属だったのですが、川西調教師はそこで厩務員をしていたんです。河村厩舎もいい馬を集める厩舎でしたが、川西厩舎も同じような感じですね。リーダーズボードはダートグレード競走でも戦えるだけの走りをしていましたし、状態が万全だったらという思いはあります。デビュー戦から楽勝ばかりで、ゴールドウィング賞のときに初めてレース中に気合をつけたら、その感触がとてもすごかったんですよ。もう少し強い相手と厳しいレースをしていたら、兵庫ジュニアグランプリ(3着)で、もっとやれていたかもしれません。
昨年はクリスタルボーイも活躍しましたね。
どこに行っても動じない馬で、寝ているんじゃないかというぐらいの神経をしているんです。僕自身も、東海以外で重賞を勝った(園田チャレンジカップ)のは久しぶりでした。
クリスタルボーイで園田チャレンジカップを勝利(写真:兵庫県競馬組合)
それにしても、名古屋には戸部騎手以外にもベテラン勢が揃っています。毎年毎年、暑い夏と寒い冬を越しているから、みんなタフな体になっているんでしょうかね?
僕は青森県の田子町の出身で、小学校5年生のときから新聞配達をしていました。最初は学校に行く途中にある10軒ぐらいだけだったんですが、だんだんと配達する家の数が増えてきて、高校2年のときは100軒ぐらいになりました。周囲は山だし、雪が降っても自転車ですから、けっこう時間がかかりました。
そこから騎手になるというのは珍しいことですよね?
当時は田子にも競走馬の牧場がありまして、そこにも新聞を配達していたんですよ。それで、その牧場を訪れた名古屋の調教師が騎手を探していて、牧場の人が「小柄な子がいる」と紹介してくれたんです。最終的には高校3年のときに名古屋に来たんですが、朝早いのが全然苦にならなかったのは新聞配達のおかげですね。そのときに鍛えた蓄積が、まだ残っているようにも感じます(笑)。
この先の目標みたいなものはありますか?
そうですね、3000勝......はちょっと厳しいかなあ。でもスポーツの世界は全体的に若い世代が活躍していますけれど、競馬はそうじゃないんだというところを見せたいですね。そしてまた、大きな舞台を狙える馬に出会いたいです。
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※インタビュー / 浅野靖典
東海地区のリーディング常連である丸野勝虎騎手。今年は名古屋競馬トップの座に立ち、スーパージョッキーズシリーズ初出場を果たしました。そんな丸野騎手に今年1年を振り返っていただきました(インタビューは12月23日)。
2014年は現在141勝(12月23日時点)で、名古屋リーディングですね。
今年は、年初めに重賞をポンポンと勝って(新春盃、名古屋記念)幸先の良いスタートでした。前半は調子が良くてけっこう勝てたのですが、後半が全然ダメ。その辺がまだ詰めが甘いですよね。まだまだ勝てたんじゃないかと思います。
これまでで年間勝利数は最高ですよね。何か変わったところは?
特に変わった、変えたという事はないですよ。でも、昨年以上の勝てたというのは良かったです。
前半の調子が良かったということで、スーパージョッキーズトライアル(SJT)に初出場しましたね。どんな気持ちで臨んだのですか?
初めてだったのでウキウキしました。トップジョッキーばかりですし、どんなレースができるのかなって。周りの応援もすごくて、厩務員や調教師から「やるしかないだろ!」などと言われましたね。
第1ステージは1位となり、最終的には6位という成績でした。レースはいかがでしたか?
初戦はしんがりで、2戦目は最低人気で1着、それでまた3戦目はしんがり......、両極端でした(笑)。でもとにかく第2ステージの地元名古屋にはいきたいと思っていたので、第1ステージで予選落ちしなくて良かったです。結果は残念でしたが、楽しかったです。
また出場したいと思いましたか?
出たいです! こんな体験なかなかできないですし、また来年この舞台に来たいという気持ちが強くなりました。優勝して東京競馬場でも乗りたいですし。そのためには、まず名古屋でトップとらないとなりませんね。
今年、SJT以外で何か印象に残っているレースや、出来事はありますか?
それがあまりないんですよ......。去年は強い馬、サイモンロードがいたんですが、今年は不調でしたからね。
では、そのサイモンロードについてお聞きします。不振の原因は?
去年はすごく勝っていた馬ですが、今年は最初の2勝のみ。レースを嫌がる癖がでてきてしまったんですよ。気性難が出てきてからは、最後は止まるそぶりを見せるようになって。だから力負けではないし衰えでもないんです。秋に去勢手術をしたので、それが良い方向に向いてくれると良いのですが。来年のお正月の重賞に出走する予定ですので復活してほしいですね。
今年は40歳という節目の年でもありました。
もうベテランになっちゃいましたね。
10年前、30歳の時と比べると何がちがいますか?
体力は衰えたなと思います。昔はどれだけ追っても大丈夫だったのに、今は勝負どころを間違えると息切れしたりしますもん(笑)。その代り技術は上がりましたけどね。
後輩もたくさんいますが、今の若手を見ていて思うことは?
なかなか伸びてくる若手がいないんですよね。自分が若い時はとにかくがむしゃらで、乗りたくて乗りたくて仕方なかったんですけど、今はハングリー精神を持ってる子が少ないように思います。
丸野騎手自身は何歳くらいまで騎手でいたいですか?
大井の的場さん(的場文男騎手)を見ているとすごいなと思うけど......、若手が育ってもう辞めろよと言われたら辞めますよ。自分を追い越してくれるような存在ができて、「ああ、もう引退かな」って時まで乗っていたいと思います。でも、去年、3人目の子供が生まれたばかりなんですよ。だからまだまだがんばらないとね。
では来年2015年の目標を教えてください。
毎年そうなんですが、「去年以上」ということですね。あと、またSJTに出場したいです。それと、なかなか行くのも難しいですが中央の重賞も勝ちたいです。
11月にはキーアシストで東海菊花賞を制覇
(写真:愛知県競馬組合)
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※インタビュー / 秋田奈津子
今年名古屋でデビューした新人3人の中で、一番最後に初勝利を挙げた八木直也騎手。しかし、そこから大きな成長を見せて、すでに14勝(10月26日現在)を挙げています。初勝利までの苦しい道のり、そして、これからの目標をうかがいました。
どうして騎手になろうと思ったんですか?
中学3年生の頃にテレビで初めて見て、その時に初めて競馬というものを知ったんです。GIとかではなかったですけど、たまたま見てカッコいいなと思って。ネットで調べてみたら、僕は身長も小っちゃくて体重も軽かったので、やってみようと思いました。中学の卒業間際というか、みんながどこの高校を受けようかなっていう頃ですね。
ご両親は驚いたんじゃないですか?
かなりびっくりしてました(笑)。母はすぐに賛成してくれたんです。やりたいことはやらせてあげたいっていう考えで。でも父は、収入が不安定な世界はダメだって言って、なかなか認めてくれなくて。僕も両親も、普通に高校へ行くと思ってましたから。そこから1か月くらい、毎日家族会議ですよ。僕が寝ている間も、母が「やりたいことやらせてあげて」って説得してくれて、なんとかOKをもらいました。今になると、父の気持ちもわかりますけど。2人とも競馬を知らなかったし、見たこともなかったですから。
そこから、どういう過程で騎手になったんですか?
その時はもうJRAの応募が終わっていて、地方競馬はまだ募集していたんです。母も、「とりあえずどういう世界か1回試して来なさい」っていう感じだったので、一度受けてから改めて考え直せばいいよっていうことになって。そしたら合格出来ました。すんごく嬉しかったですね。
まさか一度も馬に乗ったことがないまま、センターに入所したんですか?!
そのまさかです(笑)。馬に初めて乗ったのは、入所してからですね。最初は高くて怖かったです。それに、周りは乗馬クラブに行っていたり、専門学校でみっちり乗馬を習って来た人たちばかりで...。ついていくのが本当に大変でした。先生からも、「下手くそ」「やめろ」ってしょっちゅう言われてて。全く乗ったことがない自分と、かなり乗れる同期の差があるので、最初の頃は、乗れる人のグループと、乗れない人のグループに分かれて訓練するんです。その時が一番辛かったですね。「いつか絶対乗れるグループに行くぞ!」と思ってましたけど、なかなか行けなくて。だんだんと、乗れないグループから一人ずつ卒業して行くんですよ。残っている時は本当に辛かったです。
名古屋の安部弘一厩舎所属になった経緯は?
地元がこっちなので、まず名古屋を勧められました。それで、安部先生が所属にしてくれたんです。先生にちゃんとお会いしたのは、競馬場実習の時だったんですけど、最初の印象はちょっと怖かったです。でも、実際は優しくて、時に厳しくっていう感じで。いろいろ教えていただいて、本当に感謝しています。
実際に騎手としてデビューする時は、どんな心境でした?
これからやっていけるかなって思ったりして、めちゃくちゃ不安でした。騎手免許を持って競馬場に帰って来る時は、「よし!やってやろう」って感じだったんですけど、実際に競馬場に来たら色んな人に圧倒されて、不安になりました。しかも、デビュー初日に同期の村上(弘樹騎手)が勝ったんですよ! 「ああ、もう勝っちゃったのか...」って、めちゃくちゃプレッシャーでした。自分が初勝利する頃には、村上は4勝くらいしてましたから、どうしようどうしようって、焦りしかなかったです。他地区の同期もどんどん勝って行って。「やべ...、俺こんなに乗せてもらってるのに、一番乗せてもらってるくらいなのに、勝てないな」って、すごく不安でした。
初勝利は72戦目だったとはいえ、期間はデビューから2か月ですもんね。
そうですね。本当にたくさん乗せていただきました。しかも2着はあったし...。その時はすごく悲しかったです。デビューしてみて、先輩たちとの力の差を思い知らされました。デビューした頃は、外に行ったり内に行ったり、みんなの邪魔になることばっかりしてしまって。馬も思うように動いてくれなかったんですけど、周りのジョッキーは経済コースを通ってるし、馬もスイスイ動くし。すごいなって思ってました。
苦しかった2か月を乗り越えて、6月9日に初勝利! この時のお気持ちは?
茫然としてました(笑)。本当に勝ったのかなって。1400メートル戦だったんですけど、「もう1周あるんじゃないか? ゴール板を間違ったんじゃないか?」って後ろ見ちゃいました(笑)。この1勝は本当に大きかったですね。そこからだいぶリラックスして乗れるようになって、けっこう勝たせてもらって。今はデビューした頃に比べると、少しは冷静に乗れるようになったのかなって思います。
憧れのジョッキーはいますか?
兄弟子の安部幸夫騎手です。毎日いろいろなことを教えてもらってます。自分なりのイメージですけど、幸夫さんは逃げてそのままペース作って、直線でもう一度伸びるんです。最初ハナに行こうとして馬の体力を使っているように見えても、その息の入れ方とか、どんな馬に乗ってもピュッと動くので、真似したいです。離して逃げた方がいい馬、引き付けて逃げた方がいい馬、馬体を併せたらもう一度伸びる馬、馬体を併せたら終わっちゃう馬、追い出してピュッと伸びる馬、同じ脚しか使えない馬......逃げにもいろいろあるんだぞって言われてます。逃げるのは好きですね。好きって言うか、逃げたいです!
勝負服も安部厩舎カラーの白と緑ですもんね。デザインは日本初のクローバーですか?
色はもちろん厩舎カラーで考えてたんですけど、周りと違うデザインにしたくて、最初はクローバーで申請したんです。そうしたら、「ハート散らしなら認める」ってことになったので、形はハートになりました。ハートは木之前先輩が日本初ですが、「ハート散らし」は僕が初です(笑)。
同期が3人ということで、ライバル視してますか?
今はライバルという感じでは見てないです。全く気にならないと言ったら嘘になりますけど、同期に勝とう勝とうっていうよりも、上の人たちみたいになりたいっていう気持ちの方が大きいですね。いつか幸夫さんのように、名古屋だけじゃなく、色んなところで乗れるジョッキーになりたいです。いつかはJRAでも乗ってみたいですね。
では、ファンの方へメッセージをお願いします。
これから1つ1つ大切に乗って、1つでも上の着順に来られるように、1つでも多くの勝ち星を挙げられるように頑張ります。いつかみなさんから、「逃げの八木」って言われるように努力していきますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
1993(平成5)年6月1日生まれの深見勇也騎手(井上哲厩舎所属)は、21歳を目前にした今年4月に初騎乗。そして20歳のうちに初勝利を挙げることができた。名古屋競馬場には同時にデビューした騎手が2人いる。そのライバルを視野に入れながら、自分自身に磨きをかけているところだ。
深見騎手は、ほかの同期より年齢が上ですね(村上弘樹騎手が1995年生まれ、八木直也騎手が1997年生まれ)。
ぼくは家庭の関係で、小学校2年生のときから児童養護施設で生活していまして、そこにいた人が井上哲厩舎に厩務員として採用された、そのつてで16歳のときに騎手見習いでトレセンに入れていただきました。自分自身、中学生のときから騎手になりたいと思っていたんですが、視力が一気に悪くなってしまいました。それで矯正手術をしようと考えたのですが、基本的に未成年は手術してもらえないものなんですよね。それもあって、(地方競馬)教養センターの試験を受けるのが遅くなりました。でも最初の試験は落ちてしまったんですが。
受験できるまでが長かった上に、失敗もあったのですか。
騎手見習いのとき、体重が50キロぐらいありまして......。それで試験のときに46キロに減量していったらフラフラで、まともに動けなかったんです(笑)。 2回目のときは合格できましたが、体験入所中に体重が47.9キロになってしまいました。入所の説明書には「48キロになったら強制退所の可能性がある」と書いてありましたから、本当にギリギリで踏みとどまれてよかったです。今は49キロを維持できていますよ。
デビューは今年(2014年)の4月14日。初めてのレースは4着でした。
他の厩舎のチャンスがある馬に乗せていただいたのですが、コーナーで外にふくれてしまって......。学校にいるときから、隣の馬との間隔には気を付けるようにしていたのですが、やっぱり緊張していたのかなあ。その日に同期の村上が勝ちましたし、最初のころは焦りみたいなものがあったようにも感じます。自分も1つ勝てば、そういう気持ちから解放されると思っていましたが、実際はそうでもなかったですね。
待望の初勝利は、デビューから1カ月弱で挙げることができました(5月2日)。
自厩舎の馬で勝つことができてよかったです。3番手から直線で抜け出しましたが、勝つときってこういう感じなのかなという感覚がありました。それと、馬が教えてくれるっていうのは、こういうことなのかなとも。
ただ現時点(9月25日)では、ほかの2人のほうが、勝ち星が多くなっています。
デビューのころは、同期には負けたくないという気持ちがあったんですが、だんだんと変わってきましたね。今は、何年かあとに彼らより上に行けていればいいかなと。デビュー当初に焦って結果が出なかった人なので......。それに「お前は考えすぎだ」と、よく言われますから。それでも以前よりは周りがよく見えるようになったと思いますし、コーナーリングも多少は上達したかなと感じます。将来は丸野(勝虎)騎手のように、ロスのない競馬ができるようになりたいですね。
勝負服(胴赤・黒菱山形一本輪、袖白・赤一本輪)のデザインは、自分で決めたものですか?
最初は、自厩舎に以前いた騎手がピンクを使っていたので、それを基本にと考えていましたが、(井上)先生に自分で決めていいと言われたので赤にしました。自分は施設育ちなので親と一緒に暮していないんですが、父の好きな色が赤なんですよ。
そういう気持ちがこめられているのですね。
施設にいたときは、施設自体にあまりいい印象を持っていませんでしたが、そこを出てからはそう思わなくなりました。実は、高校に1年だけ行ったんですよ。施設のかたに「高校には行っておけ」と言われたからなんですが、それも今になって考えれば、自分のことを親身に思っていてくれていたからなのかなあと。
その人たちのためにも成功したいですね。
デビュー前はなんとなく順調にいくのかな、なんて勝手に思っていましたが、全然そんなことなかったですね。1勝の重みってすごいなと、今さらながら実感しています。同期や年が近い人は目標や励みになる部分がありますが、自分は自分というところを忘れずにやっていきたいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
今年名古屋でデビューした新人3人のうち、最初に初勝利を挙げた村上弘樹騎手。その後も順調に勝ち星を重ね、名古屋期待の星として日々成長しています。初々しい笑顔が印象的な村上騎手に、現在の心境を語っていただきました。
4月にデビューしてから約4か月。ここまでで10勝(8月12日現在)というのは順調ですね。
本当に周りの方に恵まれています。最近では他厩舎でもいい馬に乗せていただくチャンスもあり、ここに来ていいリズムになって来ました。ただやっぱり、実際のレースは難しいです。当たり前ですけど地方競馬教養センターの時にやっていた模擬レースとは全然違ってて...。模擬レースの時は、ほぼ自分と自分の馬のことだけ考えてれば良かったですけど、レースは自分のことだけじゃなく、周りの動きとか手応えとかを見ながら流れを読むわけじゃないですか。面白いですけど、難しくもありますね。
初勝利はデビューから2戦目(4月14日)という早さ。名古屋の同期3人の中でも1番早かったですね。
自厩舎の馬で、チャンスあるって言われていたので、勝てて本当に良かったです。5枠からの発走でスタートも良かったんですけど、どのタイミングで内に入ればいいかわからず、ずっと外を走っていました(笑)。最後は2頭の叩き合いになったんですけど、最後の最後に「あ!差した!!」と思いましたね。この1勝というのは気持ち的にすごく大きかったです。同期からも「おめでとう」って言ってもらいましたけど、内心は悔しかったんじゃないかと思いますね。かなり意識していますし、いいライバル関係なので。
地元の同期だけではなく、他地区の同期も意識しますか?
しますね。ちょっと前まで、高知の妹尾浩一朗騎手と勝ち星が並んでいたので、負けたくないと思っていました。もともとセンターでも上手だったし、気になる存在です。あと、門別の水野翔騎手も気になります。一番のライバルは......金沢の中島龍也騎手と言いたいですけど、すでに32勝(8月12日現在)もしているので、ちょっと遠い存在になっちゃいました(苦笑)。でも、同期の頑張りはずごく励みになります。負けたくないですし、自分ももっと頑張ろうと思えますね。
そもそも、どうして騎手になろうと思ったんですか?
小学生の時に、父がたまたまマキバオーのビデオを借りて来たんです。一緒に見ているうちに、すごく面白いなと思って。それまで見たことのない世界というか、勝負の世界、真剣な戦いみたいなのが、心にグサッと刺さったんです。そこから競馬を見るようになって、その頃から背が小さかったので、騎手になりたいと思うようになりました。
ご家族の反対はなかったですか?
特に反対はされなかったですけど、心配はしていたと思います。中学3年生の時に、JRAの騎手学校を受けたんですけど、落ちてしまって...。受ける前は、よくわからないんですけど、何故か自信があったんですよ。それが、面接も全然話せなかったし、体力面も全然ダメで。現実を知って、落ち込みました。その頃は何をしたらいいのかわからなくなってしまったんですけど、たまたまテレビを見ていた時に、明石家さんまさんの番組で、騎手学校に入った小沢桃子さんのことを放送していて、国際馬事学校というところがあると知ったんです。すぐ親に話して、中学卒業と同時に入学しました。
全寮制の学校ということですけれども、初めての寮生活はどうでしたか?
寮生活はそんなに苦じゃなかったですね。辛かったのは......、高1の時にもう一度JRAを受けて、また落ちてしまったことです。本当はこの年に地方も受ければ良かったんですけど、当時はどうしてもJRAに行きたい気持ちが強くて。でも2度も落ちてしまったので、もう騎手は諦めようかなと思いました。その時に両親が、「ここまで頑張ったんだから、騎手になって欲しい」って言ってくれて。それで、次の年にもう一度JRAを受けて、落ちて、教養センターを受けて、合格したという経緯がありました。
必ず騎手になれるという保証がない中で、頑張り続けるのは難しい面もありますよね。
そうですね。当時の僕は、親の気持ちとか全然考えてなかったんです。自分のことばっかりで。でも、両親に背中を押してもらって、センターに入って名古屋所属になって。今は本当に良かったと思いますね。実は、金沢の中島龍也騎手は、国際馬事学校の1学年後輩だったんです。センターでは同期で、ずっと一緒に頑張って来たので、負けたくないっていう気持ちが強いですね。
では、今後の目標を教えて下さい。
今はまだ未熟ですけど、もっともっと腕を磨いて、岡部誠騎手や安部幸夫騎手や丸野勝虎騎手のようになりたいです! 名古屋で上位に食い込めるようになって、他場からも騎乗依頼をいただけるような騎手になるのが目標ですね。そしていつか、JRAで乗るのが夢です。そのためにも、1つ1つのレースを大切に積み重ねて行きたいです。一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋