
デビュー24年目、今や岩手の騎手の中でも年長の方になった村上忍騎手。長く騎手リーディングでトップを争っているだけでなく騎手会長としても岩手の騎手のリーダーとして活躍している。
騎手会長として2017年度開幕の宣誓を行う
4月1日に岩手競馬の2017年シーズンがスタートしました。新シーズンを迎えての意気込みをお聞かせください。
地元での勝ち星を獲得していくだけでなく、今年は重賞を狙えそうな馬を何頭か乗せてもらっているのでそれでしっかり結果を出すということと、機会があれば遠征に行って良い結果を残すということも目標ですね。
この後ベンテンコゾウで北斗盃に挑戦という話もありますしね(※インタビューは4月9日、その後4月18日に北斗盃を勝利)。
良い形のレースができればベンテンコゾウにとっても先々の選択肢も拡がるでしょうし、そういう内容を大事にしたいです。
ベンテンコゾウ(奥州弥生賞)。その後北斗盃も制した
少し戻って2月ですね、エンパイアペガサスに騎乗して報知グランプリカップを勝ちました。村上忍騎手は南関東の重賞を勝つのはこれが初めてでしたね。
というか、岩手以外で、遠征で重賞を勝った記憶がないので、これが初めての勝利だったんじゃないかな(※記録を調べたところ、村上忍騎手の他地区重賞勝ちは初めて)。
新シーズンはそんな風に、遠征する、遠征して活躍するという機会も多くなりそうですね。
最近、馬を遠征させて戦うという機会が減ってきているんでね。今年は遠征するチャンスもありそうだから、自分にとって、もちろん馬にとっても糧になるので楽しみにしています。
話が出たので、まずベンテンコゾウについて。今の時点でこの馬の評価をしていただくとどんなコメントになりますか?
とにかく動きの良い馬ですね。走りが軽くて背中の感じが良くて。もちろん課題がないわけではないんですが、走る力に関しては僕はかなり期待をしています。その力の部分が遠征することではっきり見えてくるのではないかとも思っています。
もう1頭、エンパイアペガサスですが、こちらは既に重賞も勝っているので、そのぶん期待が高まったところから始まるわけですけども、どれくらい楽しみにしていればいいですか?
当面は地元で走るということで、その中ではマーキュリーカップも使うプランもあるそうですので、そこでどれくらいやれるか。地元馬との戦いも当然ですが、交流重賞でどんな戦いができるか?ですよね。この馬は一戦一戦力をつけてきているし、報知グランプリカップも、必ずしも高い評価ではなかった中で勝ち抜いたということが自信になった。今後はもっと強い馬と戦う機会も出てくるでしょうから、この馬自身ももうワンランク上の力をつけてくれるようなら面白いですね。
2月8日、船橋・報知グランプリカップをエンパイアペガサスで制覇
エンパイアペガサスは、ベンテンコゾウもそうなのですが、まだ力をつけそうだというのも楽しみですよね。
そうですね。どちらもまだ伸びしろはあると思いますよ。
古馬と3歳馬に良い馬がいる。これで2歳馬にも良いお手馬ができたら、今年もまた全世代で活躍できますね。
2歳馬はね、まだまだこれからで、秋になってデビューしてくる馬もいるでしょうから、本当に巡り合わせなんでね。良い馬に出会えれば良いですね。
村上忍騎手にもうひとつ聞いておきたいのが、ベテランとして、騎手会長としての立場から見た岩手競馬や各地の競馬です。新シーズンは各地で変化が多い幕開けになりました。
今年は岩手競馬でも賞金が見直されて、自分たちのモチベーションにもつながると思っているのですが、それが良い馬が集まることに、そして良いレースにつながってお客様達により楽しんでいただければ、自分たちもさらにやりがいが出てくる。そういうふうに良いサイクルになっていけば、と思っています。
村上騎手は騎手会長を務めて6年目ですか。騎手として自分のレースのことを考えるだけでなく、いろいろなことにも目を配らないといけないのは大変だなと思って見ています。変な話、自分自身の希望と騎手会としてやるべきことと、矛盾したりもするわけじゃないですか。
そんなにたいしたこともしてないんだけど(笑)、まず騎手としては事故が起こらないようにとか、騎手会としては若い騎手たちの生活を守るという方向になりますよね。競馬組合などにいろいろお願い事をしたりもあるし。それに、やはり自分たちの生活を守るための意見も言わなくちゃならないし。競馬を良くするためと思ってある程度共存していくようじゃないとうまくいかないんじゃないか......と考えているけど、自分だけ良ければっていうことを言ってしまっているかもね(笑)。
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
オッズパークの会員の方々はね、よく盛岡に集まってくださったりとか協賛レースを行っていただいたりしてもらっています。自分たちも一緒に写真を撮ったりとかね。ネットで馬券を買っていただくのも有り難いのですが、機会があればぜひ盛岡や水沢で生のレースも見て下さい。自分たちも皆さんに楽しんでいただけるレースができるようがんばりますので。
ダンストンレガーメで留守杯日高賞を制し、この春はやくも重賞4勝目
かつて村上忍騎手にインタビューした際には菅原勲騎手や小林俊彦騎手を追いかける立場としてお話を聞くことが多かった。そんな両騎手が引退し、キャリア的にも実績的にも、また騎手会長としても岩手の騎手のトップに立って引っ張る立場になり、村上騎手の話すスタンスもかつてとは変わったように感じる。
自分のレースを戦いながら、同時に若い騎手達の相談を受けたりあるいは競馬組合や調教師会と交渉したり会議に出たり......という日常は実際非常に多忙なはず。だが村上騎手は"まだ枯れるつもりはないよ"とひと言。インタビューの中にあったような遠征での活躍もバネにして、まだまだ存在感を見せ続けてくれるに違いない。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
今年、スーパージョッキーズトライアル(SJT)の第1ステージが行われるのは盛岡競馬場(10月6日)。地元代表として出場するのは、岩手リーディングの村上忍騎手です。そして今年、盛岡競馬場は12年ぶりにJBCの舞台にもなります。SJTへの意気込みや、岩手の騎手会長として臨むJBCへの期待などをうかがいました。
シーズン開幕日、騎手宣誓を行う村上忍騎手
SJT出場決定、おめでとうございます。今年は盛岡ステージからのスタート、地元の期待がかかりますね。
地元ファンの目の前で次のステージに行けなかった......というのだけは避けたいね(笑)
それはなんとか避けて下さい(笑)。名古屋に行く切符、もう買ってしまったんで。とはいえやはり"地元の利"のようなものは、あるんじゃないですか?
コースに乗った経験とかはね、岩手でも何度も乗った事があるような騎手ばかりですからあまりアドバンテージはないでしょうね。でも馬のクセだとかこの馬はこんな走りをする......みたいな点では知っている馬ばかりですから、そういう部分で地元の自分の有利さがあるとは思っています。
地元のファンの後押しがあるのも、心強いですよね。
そうですね。自分としては応援して貰えるような騎乗を見せないといけないでしょうね。
ズバリ聞きます。SJTに出場する他の騎手でライバルは?
それは、誰がライバルとかはないですよ。皆さん全国でトップを張っている騎手だし、当然ここにもね、てっぺんを獲ってやろうと思ってやってくるわけだから。自分は負けないように、ひとつでも上の着順が獲れるように頑張るだけです。
昨年はワイルドカードに回って本戦出場ならず。今年は力が入る
応援する方としては、そうはいっても盛岡ステージでTOP3に入るくらいには......と思っています。
そうなればいいですね。ひとつくらい勝って上位の成績で通過できればいいけれど、そうでなくても次のステージに希望が繋がるくらいのところには付けていきたい。
やっぱり一度は出てみたいですよね、ワールドスーパージョッキーズシリーズは。
そうだね。最近は若い騎手が伸びてきて、自分達の世代もずいぶん下から突っつかれているからね。今のうちに出ておきたいよね(笑)。そういう意味で地元スタートの今年はチャンス。弾みをつける材料にしたいですね。
ではJBCの話題へ。12年ぶりの盛岡JBC。そこで戦う騎手としてどんな気持ちで迎えますか?
そうですね。やはり岩手県でJBCをやっていただく事で全国に岩手競馬を知って貰いたい。岩手競馬の良さを全国の皆さんに感じていただいて、盛岡を、岩手を盛り上げる。そんな風に繋がっていけば。JBCを通して岩手競馬の良さが伝わっていくならばそれ以上嬉しい事はないですね。
そのためには地元の馬が出て、地元の騎手も活躍して......。
地元の馬が強いレースをお見せするのが一番なんだろうけど、まず地元の騎手が頑張ってJBCに参加して関われるようにならないと盛り上がり方も違ってくるでしょうしね。何人か出る事ができるようにね。
そんな馬に村上騎手が乗って、見せ場を作ってくれる......と。
それは自分だけじゃなくてね。何人かで参加して、一緒にレースを盛り上げる事ができればいいですよね。
村上騎手は12年前のJBCにも騎乗しました(JBCクラシック・トニージェントで6着)。あの時のことは覚えていますか? どんなふうに戦ってやろう、とか思っていましたか?
ええ。JRAの馬が強かったから勝ち負けまでは正直......でしたが、JRAの馬を1頭でも負かしたい、そして入着したいって思って乗りましたね。
今年はどんな馬が岩手からJBCに出る事ができるか分かりませんが、もし村上騎手がまた乗るとしたら、同じ気持ちで挑む?
そうですね。ひとつでも上の着順を狙って戦いたいですね。
JBCの3レース、その全てで村上騎手の騎乗する姿を見る事ができればいいですね。
やっぱりJBCは"お祭り"ですからね。見ているだけじゃなくてレースに乗って、それで一緒に盛り上げたいです。
では最後に、騎手会長として全国のファンを迎える立場としてひと言。
盛岡競馬場はコースもスタンドも全国的に見て設備が整った良い競馬場だと思っています。そんな競馬場で行われるJBC。ネットで応援していただくのもいいのですが、できれば競馬場に来て、生のレースを見て、楽しんで、一緒に声援を送っていただければ嬉しいですね。
ありがとうございました。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
現在岩手のリーディング首位に立つ村上忍騎手。イサ・コバに次ぐ万年3位は過去の話。08年、09年とリーディングを獲得したように、近年は普通に首位を争うポジションにつけている。各地の騎手招待競走に呼ばれる機会も増えてきたし、この冬は初の期間限定騎乗も経験し、名実共にトップジョッキーとなりつつある。
横川:今年の1月から3月、南関東で期間限定騎乗をしましたね。ご自身初の経験でもあったと思いますが、今振り返ってどうですか?
村上:うん......、良い刺激になった部分もあったけど、どちらかと言えば自分の至らなさに気付かされましたね。
横川:それはどんなところ? テクニック面とか?
村上:全てにおいて、かな。レースへ挑む姿勢なんかもそうですが、4つのコースを渡り歩きながら、きっちり乗りこなすところとかですね。南関東の4場はそれぞれひとクセあるコースばかり。自分が一番クセがないと感じたのは船橋ですが、それでも距離によっては乗りづらいものがある。岩手にいるとなかなか気付きづらいことがありましたね。
横川:そんな南関東で、また来年も騎乗する予定です。
村上:正直、今年の遠征の結果は自分でもあまり満足できていないんですよね。幸いまたチャンスをもらえたので、今度はもっと納得のいくレースをしたいなと。やっぱり一度だけではコースを覚えるくらいで終わってしまいますから、何度か行ってこそ、という部分もあると思うんですよ。次に行く時は、今年よりはいろいろイメージができていると思っているし、ちょっと古いけれど"リベンジ"っていう気持ちで狙っています。
横川:さて岩手では、リーディングを普通に争うようになりましたね
村上:ようやく......ね。ここ何年かは2人(菅原勲騎手・小林俊彦騎手)の背中が見え始めてきたかな。以前は3位といっても2人に大きく引き離された"不動の3位"でしたからね。その頃からすれば、がんばって戦えば1位もなんとかなるかも......くらいにはなりました。むしろ最近は、そうこうしているうちに若手の突き上げが厳しくて......。
横川:やっぱり若手の存在は気になりますか? というか村上騎手ってまだ"若手"のイメージもあるけれど......。
村上:もう"中堅"とも言えない年ですよ(今年で34歳、18シーズン目)。いや、まだそれほど若い騎手たちが怖いとは思わないけれど、ここのところ伸びてきているのは感じるし、自分の年からしてもあと何年かすれば本当の脅威になるでしょう。気を引き締めてかからないと。
横川:村上騎手の最大のライバルは村松学騎手だと思っていたのですが、引退してしまって......。
村上:学とは競馬学校からの同期で、あいつにはずっと負けたくないと思っていましたからね。最初のうちは学の方が乗れていて活躍もして、初重賞も先だったから(注:村松学騎手の初重賞は99年の東北優駿。村上騎手は00年のダイヤモンドカップ。地方通算100勝も村松学騎手が先に達成)。そんな、自分が負けている時期はなおさら、ライバルだったし目標でもあった。
横川:早く2人でリーディングを争うようになってよ。って、煽ったりもしたんですがね......。
村上:うん、自分でも学とリーディングを争うようになりたい、そうなるべきだ、って思っていましたからね。向こうもそう思っていたんじゃないですか。だから正直本当に残念なのですが、でも仕方がない面もある。減量のつらさは見ていて分かったし、良い機会を掴めたのだから、彼にとってはこれで良かったと思っています。
横川:競馬学校という単語が出たところで、村上忍騎手はなぜ騎手を目指そうと?
村上:やっぱり環境でしょうか。小さい頃はそれほど意識しなかったけれど、父が調教師(村上実調教師)だから徐々に競馬の事を考えるようになって。中学校くらいの頃には厩舎で馬に乗っていたりもしましたし。でも、その頃は"身体が成長してしまうんじゃないか"と思っていて決断はできなかったですね。中学校に入って余り大きくならなさそうだったから、それなら、と。
横川:お父さんは調教師としても騎手としても一時代を築いた方ですよね。"俺もあんな風になってやる!"って思って騎手になったわけでしょう?
村上:それはやっぱり思っていたでしょう(笑)! でもとてもそんな、うまくはいかなかった。デビューした頃は騎手の数が多かったし、当然自分の技術も無い。レースに乗る度にヘコんでいましたよ。
横川:そんな村上騎手を一人前にしてくれたのは、やっぱりトニージェント?
村上:そうですね、初めての重賞を勝てた馬だし、デビューから引退まで跨ったのはほとんど自分だけの思い入れのある馬です。でも自分をここまでにしてくれたのは、デビュー3年目くらいに出会ったアラブの馬でしたね。当時GIIって言っていたあたりのクラス(注:重賞のグレードではなく、かつて岩手ではクラスをGI、GII、GIII、GIV、GVと表記した)の馬ですが、自分で調教して何連勝かできて、大きな自信になりました。やっぱり、良い馬に出会える運、そのチャンスを活かして成績を伸ばせるかどうか。それが騎手の"その後"に直結している。自分はそのアラブや、トニージェント、トーホウエンペラーといった良い馬に若い頃に出会えたから、だから今の自分があると思っています。
横川:これからの"ムラシノ"はどんな騎手になっていくのでしょうか?
村上:調教師になろう、とかはあまり考えていないですね。むしろできるだけ長く馬に乗っていたいなと思っています。岩手はただでさえ厳しいところに大震災があって、自分の足元がどうなるかも予測できない状況ですが、それでも今はいつまでも騎手を続けたい、レースに乗っていたいと。まあ5年、10年経った時にどういう考えになっているかは分からないけれど、その時もやはり騎手を続けているんじゃないでしょうか。
横川:ありがとうございました
以前から思っていたのだが、今回、村上忍騎手と話して改めて感じた事がある。それは彼が騎手を辞めるとか辞めたいとか、そういう後ろ向きな言葉を出さない人だ、という事だ。
かつてかなり大きな落馬事故に遭い、顎を作り直すような大怪我をした事があった。その時も彼は「治ればレースに戻る」、それが当然であって、"治らなかったら......""騎手を続けられなくなったら......"みたいな疑念はつゆほども思っていないという顔をしていたものだった。
例えば南関東では相当厳しい思いをしていたはず。地元岩手の将来も決して安泰ではない。それでも「次こそは」「この先も騎手を続けていると思う」と、しれっと言えるしたたかさ。それが、"騎手・村上忍"が少しずつでも前に進んでいく原動力なのだろう。
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※インタビュー / 横川典視