現在岩手のリーディング首位に立つ村上忍騎手。イサ・コバに次ぐ万年3位は過去の話。08年、09年とリーディングを獲得したように、近年は普通に首位を争うポジションにつけている。各地の騎手招待競走に呼ばれる機会も増えてきたし、この冬は初の期間限定騎乗も経験し、名実共にトップジョッキーとなりつつある。
横川:今年の1月から3月、南関東で期間限定騎乗をしましたね。ご自身初の経験でもあったと思いますが、今振り返ってどうですか?
村上:うん......、良い刺激になった部分もあったけど、どちらかと言えば自分の至らなさに気付かされましたね。
横川:それはどんなところ? テクニック面とか?
村上:全てにおいて、かな。レースへ挑む姿勢なんかもそうですが、4つのコースを渡り歩きながら、きっちり乗りこなすところとかですね。南関東の4場はそれぞれひとクセあるコースばかり。自分が一番クセがないと感じたのは船橋ですが、それでも距離によっては乗りづらいものがある。岩手にいるとなかなか気付きづらいことがありましたね。
横川:そんな南関東で、また来年も騎乗する予定です。
村上:正直、今年の遠征の結果は自分でもあまり満足できていないんですよね。幸いまたチャンスをもらえたので、今度はもっと納得のいくレースをしたいなと。やっぱり一度だけではコースを覚えるくらいで終わってしまいますから、何度か行ってこそ、という部分もあると思うんですよ。次に行く時は、今年よりはいろいろイメージができていると思っているし、ちょっと古いけれど"リベンジ"っていう気持ちで狙っています。
横川:さて岩手では、リーディングを普通に争うようになりましたね
村上:ようやく......ね。ここ何年かは2人(菅原勲騎手・小林俊彦騎手)の背中が見え始めてきたかな。以前は3位といっても2人に大きく引き離された"不動の3位"でしたからね。その頃からすれば、がんばって戦えば1位もなんとかなるかも......くらいにはなりました。むしろ最近は、そうこうしているうちに若手の突き上げが厳しくて......。
横川:やっぱり若手の存在は気になりますか? というか村上騎手ってまだ"若手"のイメージもあるけれど......。
村上:もう"中堅"とも言えない年ですよ(今年で34歳、18シーズン目)。いや、まだそれほど若い騎手たちが怖いとは思わないけれど、ここのところ伸びてきているのは感じるし、自分の年からしてもあと何年かすれば本当の脅威になるでしょう。気を引き締めてかからないと。
横川:村上騎手の最大のライバルは村松学騎手だと思っていたのですが、引退してしまって......。
村上:学とは競馬学校からの同期で、あいつにはずっと負けたくないと思っていましたからね。最初のうちは学の方が乗れていて活躍もして、初重賞も先だったから(注:村松学騎手の初重賞は99年の東北優駿。村上騎手は00年のダイヤモンドカップ。地方通算100勝も村松学騎手が先に達成)。そんな、自分が負けている時期はなおさら、ライバルだったし目標でもあった。
横川:早く2人でリーディングを争うようになってよ。って、煽ったりもしたんですがね......。
村上:うん、自分でも学とリーディングを争うようになりたい、そうなるべきだ、って思っていましたからね。向こうもそう思っていたんじゃないですか。だから正直本当に残念なのですが、でも仕方がない面もある。減量のつらさは見ていて分かったし、良い機会を掴めたのだから、彼にとってはこれで良かったと思っています。
横川:競馬学校という単語が出たところで、村上忍騎手はなぜ騎手を目指そうと?
村上:やっぱり環境でしょうか。小さい頃はそれほど意識しなかったけれど、父が調教師(村上実調教師)だから徐々に競馬の事を考えるようになって。中学校くらいの頃には厩舎で馬に乗っていたりもしましたし。でも、その頃は"身体が成長してしまうんじゃないか"と思っていて決断はできなかったですね。中学校に入って余り大きくならなさそうだったから、それなら、と。
横川:お父さんは調教師としても騎手としても一時代を築いた方ですよね。"俺もあんな風になってやる!"って思って騎手になったわけでしょう?
村上:それはやっぱり思っていたでしょう(笑)! でもとてもそんな、うまくはいかなかった。デビューした頃は騎手の数が多かったし、当然自分の技術も無い。レースに乗る度にヘコんでいましたよ。
横川:そんな村上騎手を一人前にしてくれたのは、やっぱりトニージェント?
村上:そうですね、初めての重賞を勝てた馬だし、デビューから引退まで跨ったのはほとんど自分だけの思い入れのある馬です。でも自分をここまでにしてくれたのは、デビュー3年目くらいに出会ったアラブの馬でしたね。当時GIIって言っていたあたりのクラス(注:重賞のグレードではなく、かつて岩手ではクラスをGI、GII、GIII、GIV、GVと表記した)の馬ですが、自分で調教して何連勝かできて、大きな自信になりました。やっぱり、良い馬に出会える運、そのチャンスを活かして成績を伸ばせるかどうか。それが騎手の"その後"に直結している。自分はそのアラブや、トニージェント、トーホウエンペラーといった良い馬に若い頃に出会えたから、だから今の自分があると思っています。
横川:これからの"ムラシノ"はどんな騎手になっていくのでしょうか?
村上:調教師になろう、とかはあまり考えていないですね。むしろできるだけ長く馬に乗っていたいなと思っています。岩手はただでさえ厳しいところに大震災があって、自分の足元がどうなるかも予測できない状況ですが、それでも今はいつまでも騎手を続けたい、レースに乗っていたいと。まあ5年、10年経った時にどういう考えになっているかは分からないけれど、その時もやはり騎手を続けているんじゃないでしょうか。
横川:ありがとうございました
以前から思っていたのだが、今回、村上忍騎手と話して改めて感じた事がある。それは彼が騎手を辞めるとか辞めたいとか、そういう後ろ向きな言葉を出さない人だ、という事だ。
かつてかなり大きな落馬事故に遭い、顎を作り直すような大怪我をした事があった。その時も彼は「治ればレースに戻る」、それが当然であって、"治らなかったら......""騎手を続けられなくなったら......"みたいな疑念はつゆほども思っていないという顔をしていたものだった。
例えば南関東では相当厳しい思いをしていたはず。地元岩手の将来も決して安泰ではない。それでも「次こそは」「この先も騎手を続けていると思う」と、しれっと言えるしたたかさ。それが、"騎手・村上忍"が少しずつでも前に進んでいく原動力なのだろう。
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※インタビュー / 横川典視