
激戦の名古屋で、2004年に初のリーディングジョッキーとなり、現在3年連続でトップの座に君臨しているのが、岡部誠騎手。今年もその位置を守るべく、勝ち星を量産して活躍中の32歳は、まさに充実一途で驀進中だ。
岡部騎手は地元の東海地区のみならず、金沢やJRAなどでも騎乗することが多い。
■騎乗依頼をいただいているのはうれしいことですね。ここ最近、リーディングトップが定着したことで、周りの人が認めてくださっているのかなと思います。他地区で騎乗するのは勉強になりますし、名古屋を代表して来ているという意識もありますから、責任というかそういうものも感じます。それに、自分自身の刺激にもなりますからね。1日1鞍でも大きなレースに乗ることによって、少しずつでも大きくなれると思いますし。それが、また新鮮な気持ちで名古屋で乗れることにつながりますから。
ハイペースで勝ち星を積み重ねる岡部騎手は、08年に東海ダービーを制した。
■勝ったヒシウォーシイの馬主さんには、子供のころからお世話になっていたんですよ。自宅(愛知県刈谷市)の近所で、その方はお祭りのときに使うポニーを飼っていまして、小学校の帰りに毎日のように見に行って、よく乗せてもらっていました。その方に馬に携わる仕事をしたいと相談したときに、名古屋競馬の厩舎を紹介していただいたんですよ。その方はしばらくしてから馬主資格を取られまして、その方の持ち馬でダービージョッキー。うれしかったですね。でも、まだまだステップアップしていきたいと思っていますよ。
そのためにも、日々の仕事はキッチリすることを心がけている。
■調教のとき、フォームを崩すと楽に乗れるのですが、そういうことはしないようにしています。ひとつひとつ、調教からしっかりしていないとダメだと思うんですよ。普段やれていないことが、急に実戦でできるわけがないですから。性格的にはそういう頑固なところがありますね。レースでもフェアに乗れないとイラッときますし。
そういった考えで競馬に臨んでいるのは、騎手人生のスタートが理由のひとつかもしれない。
■実は事情があって(苦笑)、教養センターには2年半いました(通常は2年間で卒業)。だから最初に弥富トレセンに入ったときは、みんなあることないこと噂しているわけなんですよ。つまりマイナスからのスタート。これはもう、やるしかないですよね。1位になったら文句はないだろうと思いましたもの。だから他の騎手が3時からなら自分は2時から馬場に出て、他の厩舎も回ったりして人の倍は働いたと思います。それが続けられたのは、その気持ちが原動力でしたね。でもきつかったですよ。先生も厳しい人でしたし、本当に休みが全然なくて。他の騎手は遊びに行っているのに......。でも、それもいま考えると、よかったなと思っています。
そうして培った向上心は、マカオへの海外遠征(07年)へとつながった。
現地ではなじむまでに時間がかかりましたね。レースは荒っぽいし、調教法も違っていて。馬の動かしかたも違うのか、自分が乗ると追い込みしかできない馬が、現地の騎手だと逃げられたり。
また、向こうの競馬は週2日が基本。だから体力が余るというか、動き足りない感じがして、競馬場の周りを走ったりしました。意思疎通も不自由でしたし、このときは日本でやれることを幸せに感じましたね。
3ヶ月のマカオ滞在で変わったのはメンタル面。説明しにくいですが、長い騎手人生のなかで貴重な時間だったと思います。
その年はマカオ遠征がありながらもリーディングジョッキーを獲得。今年もトップとなれば、06年から4年連続となる。
■ただ、いまひとつその重みが自分自身で感じられないんですよ。名古屋でリーディングを4回も獲っているのに、全国的にはあまり知られていないような気もしますし。だから、これからどんどん名前を売っていきたいですね。週末に内田博幸さんや岩田康誠さん、それに安藤勝己さんなどがテレビの向こう側にいるのを見ると、自分は何をしているんだろうと感じることもありますし(笑)。ぼくもJRAで勝たせてもらっていますが、人気薄で一発とかではなく、継続的に結果が残せるように頑張っていかないと。
そういった気持ちは向上心の源。まだまだ尽きることはない。
■今もまだ、もがかなければいけない時期だと思うんですよ。もっと悩んで苦しんだほうが、先々の喜びはさらに大きいでしょうし。個人的には、名古屋で一時代を築きたいという思いと、他地区で腕を磨きたいという思いが両方あるんですよ。ただ、"名古屋でリーディング"というだけで終わりたくないという気持ちではいます。
2000勝まであと少し。その数字を達成すれば、可能性もぐんと広がってくる。 「もっと若手がしゃかりきにならないと、名古屋は面白くならないですね。昔の自分みたいに働く若手なんていないですもん」と笑うのは、今まで自分が歩んできた道に自信があるからこそだろう。
「交流重賞(ダートグレード)を勝っていないことを気にしていないといえばウソになります。でもそういうのにはめぐり合わせもありますから、いざチャンスが来たときに、その馬にふさわしい自分であるように」という想いを胸に、自分磨きを怠ることがない。 スーパージョッキーズトライアルでは07年が3位で08年が2位。佐々木竹見カップでも3度の2位があるという岡部騎手。そこからあと一歩、突き抜けることができたときには、ものすごい勢いで歯車が回り始めていくのだろう。そしてその時は、もう間近となっているのかもしれない。
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岡部 誠(名古屋)
1977年3月3日生まれ 魚座 A型
愛知県出身 荒木市雄厩舎
初騎乗/1994年10月16日
地方通算成績/11,890戦1,770勝
重賞勝ち鞍/全日本アラブクイーンカップ、岐阜金賞、アラブダービー、園田フレンドリーカップ2回、オグリキャップ記念、名古屋記念、東海ダービー、読売レディス杯など24勝
服色/桃、胴白山形一本輪、袖白二本輪
※成績は2009年8月20日現在
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(オッズパーククラブ Vol.15 (2009年10月~12月)より転載)
多くの名手を擁する名古屋競馬でリーディング上位をキープしているのが丸野勝虎騎手。
今年5月1日に通算1000勝を達成し、さらに勝ち星を積み重ねている気鋭のジョッキーだ。
丸野騎手は岡部誠騎手に続いて、この秋からマカオ競馬に遠征することになった。
■10年くらい前に、シンガポールに騎手の交換留学生として行けるという話が出ていたのですが、
直前にそれがダメになってしまったんですよ。それ以来、ずっと海外に行きたい思いはあったの
ですが、ちょっと難しいかなという気もしていました。
でも成績が上がってきたらそのうち......という気持ちはあって、岡部誠騎手のマカオ遠征時に現地を
見学しに行ったときに、僕も乗りたいと希望したら、話がうまく進んで騎乗できることが決まったんです。
先日も見学に行きましたが、向こうの騎手は荒いというか、厳しいレースをしますね。そういう点を含めて、
今回の遠征は技術の向上よりも、精神的な部分を磨くための遠征にしたいと思っています。
その思いの根底には、丸野騎手ならではのプロ意識がある。
■ずっと同じところで同じメンバーで乗っているせいか、今の名古屋の騎手はちょっと甘い部分が
あるように思えるんですよ。競馬場はいわば戦場ですから、騎手同士の仲がいいというのにも
違和感があります。それに名古屋は乗替りもあまり多くないですし、最近は若手でもレースで騎乗
するのに苦労しません。ぼくが新人だった頃は、騎手だけで60人くらいいたんですよ。その時代を
知っているだけに、もっと競馬で結果を出すことに貪欲さを出してもいいんじゃないかと感じているんです。
そう語る丸野騎手は、鹿児島県曽於市(宮崎県との県境付近)の出身。
故郷から遠く離れた名古屋競馬の騎手になるまでを教えてもらった。
■中学のころにテレビで競馬中継を見たのが騎手という職業を知ったきっかけです。その後、
地元出身の原口次夫騎手(現調教師)を紹介してもらって、その流れで那須の教養センターに
入学しました。なので、馬に初めてさわったのは、那須に行ってからなんですよ。
原口騎手の紹介ということで、卒業後は愛知所属に。その原口騎手が競馬エースの伊藤さん
に「彼は素質が違う」と話したことがあるそうだ。
■でも、最初の頃は全然レースに出られませんでした。厩舎には兄弟子がいて、攻め馬とか手入れ
とか、競馬へ行く準備はぼくがして、実戦は兄弟子というのが普通でしたから。それでも初勝利は
4戦目で挙げられて、初年度は10勝できました。でもその後も騎乗数は全然変わらなくて......。
その状況が続いたせいで、一度グレたことがあるんですよ(苦笑)。もう何もかもがいやになって、
酒に走ってしまいました。当然、朝は起きないし調教もやらない......。
その頃、所属していた磯村林三調教師が亡くなって、それを機に騎手をやめようとまで考えていたんです。
でも、そんなぼくを本名信行調教師が拾ってくれて。そこからですね。成績が伸びてきたのは。
苦しい修業時代を経て成績を上げてきた、その要因は何なのだろうか。
■最近の名古屋競馬は、後半600メートルでペースが上がるという競馬が多くて、わりと外を回る馬が
多い傾向がありますが、ぼくは基本的に「内をまわる」ことを心がけています。スローペースで後方に
いるときはさすがに別ですが、平均ペースのときは必ずそうしているんです。
名古屋は外差しが決まるように見えますが、馬に長く脚を使わせればそれが決まるときもあるけれど、
ダメージも大きくなる。それよりはインを通って直線までガマンするほうが、ロスも少ないし確実性も
ありますから。
ひとりの「プロ」として「騎手道」を追求する丸野騎手は、JRAでも重賞を制している。
■ゴールドプルーフの東海ステークスですね。あれが中央での初勝利。1位入線馬が降着になって
の繰り上がりでしたが、あれ、ゴールドプルーフも挟まって、かなり影響を受けたんですよ。
ハッキリ言って、加害馬がまっすぐ走っていれば、ぼくの馬が普通に勝っていたレースだったんです。
それなのに「儲けものだったな」とか冷やかされて。だんだん腹が立ってきたという思い出がありますね。
あとダートグレードではタカラアジュディ(名古屋優駿GIII)。あの馬は中央に繰り返し遠征に行っていた
ことで、速いペースに慣れていたことが勝因のひとつでしょう。もちろん地力があって、対応できる力が
あったからこそですが。中央での騎乗は、ぼく自身もフレッシュな気持ちになりますから、もっと乗り数
を増やしたいと思っています。
騎手としての熱い想いがある丸野騎手だが、目標や理想などはあるのだろうか。
■いえ、特に目標の騎手もいませんし、理想の騎乗スタイルも特にありません。何がよくて何が悪い
のかなんて、きっと永久にわからないものだと思うんです。ただ、人それぞれにいいなと思うところは
ありますよ。でも、それを自分のものにできるかというと、難しい話ですよね。いま感じているのは、
みんなそうだと思いますが、やっぱり体が硬くなってきているんですよ。年とともに(笑)。
昔のビデオを見ると、ヘタなんだけど体は柔らかくて感心しますからね。そのあたりをカバーすることも
含め、いろんな刺激を受けて技術を磨いていければと考えています。
リーディング上位の常連となったことでの達成感などはまったくないと語る丸野騎手。
「だからこそ海外に」というその意欲が向上心を表している。そしてそこにはもうひとつの
意味も。「若い世代の騎手に対して、乗り役としての厳しさ、そしてプロとしての厳しさを
体で示していかなければ、伝えていかなければと思っているんです」
丸野騎手の騎手道追求の旅は、これからも続いていくことだろう。
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丸野勝虎(まるのかつと)
1974年8月13日生 獅子座 A型
鹿児島県出身 本名信行厩舎
初騎乗/1992年4月20日
通算成績/8,869戦1,032勝
重賞勝ち鞍/名古屋優駿GⅡ、東海桜花賞、
名古屋記念、名古屋杯3回、梅見月杯、ゴー
ルド争覇、くろゆり賞(笠松)など27勝
(ほかにJRAでは東海ステークス制覇)
服色/胴緑黒縦じま、そで黒・緑一本輪
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※成績は2007年8月27日現在
(オッズパーククラブ Vol.7 (2007年10月~12月)より転載)