騎手会長として、常に名古屋のジョッキーたちを牽引している、宇都英樹騎手。今年から、騎手ズボンを活用した企業広告も取り入れ、名古屋競馬を盛り上げるため、日々力を注いでいます。
赤見:騎手ズボンの企業広告は、どういった経緯で始めたんですか?
宇都:一年に一回、全国の騎手会長が集まって会議をするんですけど、その時に園田の三野孝徳騎手に話を聞いたんです。園田から始まったことですから、詳しくシステムを教えてもらいました。そこから名古屋の競馬組合と協議して、実現に至ったわけです。
赤見:具体的には、どんな内容ですか?
宇都:基本的には90騎乗で、ズボン代と印刷代込みで3万円です。あと新しく、半年7万円、1年14万円というのもあります。1年はさすがにズボンが持たないと思うので、新しいズボン代も入ってます。実際に履いている騎手の反応もいいんですよ。自分でズボンを買わなくていいし、広告ズボンを履くとよく勝つから縁起がいいっていう人もいるくらい。企業名を背負って騎乗するわけですから、責任もあります。なかなかスポンサーを集めるのは大変だけど、オッズパークさんも早速協賛してくれたし、馬主さん関係の会社もいくつか協賛してくれてます。
赤見:今後はどういう展開を考えていますか?
宇都:大きな震災もあって大変な時だから、出来ることはやりたいですね。これまでも募金活動などをして来ましたが、8月15日にはジョッキーサイン会やチャリティーオークションをする予定です。こういうことは、やり続けるとこが大事だと思います。それに、ファンの方と直接触れ合えるのもいいことですよね。ファンあっての競馬ですから、騎手の立場からも何とか盛り上げて行きたいです。
赤見:宇都騎手はデビュー25年目ですけど、長く続ける秘訣は何ですか?
宇都:なんですかねぇ...。あんまり考えたことないけど。でもまさか、自分が1000勝も出来るなんて思ってなかったんですよ。
赤見:そうなんですか?!今では1600勝以上勝ってるのに。
宇都:もうそんなに勝たせてもらったんですね。周りの方たちのお陰です。私は最初本当にへたっぴだったんですよ(苦笑)。だから初勝利もデビューから5ヶ月以上かかったんです。厩舎にはいい馬がたくさんいたので、なかなか乗せてもらうチャンスもなかったですし。吉田稔騎手や安部幸夫騎手と同期なんですけど、彼らは学校時代からすごく上手かったんです。彼らに追いつきたくて、ただがむしゃらにここまでやって来ました。この世界しか知らなかったというのも、今になってみれば良かったのかもしれませんね。
赤見:騎手になったきっかけは何だったんですか?
宇都:生まれは鹿児島なんですけど、親戚が名古屋の竹口勝利厩舎で厩務員をしていて、「騎手が欲しい」ということで、中学を卒業してすぐに競馬場に入りました。中学生の頃から新聞配達をしていたので、朝が早いことは苦にならなかったんですけど、馬なんて見たこともなかったから、最初は大変でした。夢見てた世界と全然違ったしね。でも、九州から出て来ちゃってるから、帰るわけにもいかないし(苦笑)。頑張るしかなかったです。
赤見:長いジョッキー人生を振り返ってみて、強く想い出に残っているレースはありますか?
宇都:たくさんありますけど、その中でも【マルブツセカイオー】の東海桜花賞(1995年)ですね。その時は戸部尚実騎手が怪我をしてしまって、代打で騎乗が回って来たんです。1番人気だし、責任重大でした。当時、東海桜花賞は中京競馬場の芝コースで行われてたんですけど、その年から名古屋のダートに変更になったんです。【マルブツセカイオー】は芝よりダートの方が得意だし、右回りの方が合うから、コース替わりはラッキーでした。幸運も重なって、そのレースで結果を出したことで、周りに信頼してもらえるようになったんです。それまでより、騎乗数も増えましたね。今思うと、大事な一戦でした。
最近では、【シルバーウインド】もいろいろな想いをさせてくれますよ(苦笑)。ゲートがちょっと悪くて、道中はかかり気味、早めに先頭に立つと遊ぶんです...。こないだの金沢(7/19読売レディス杯3着)も、最後遊んでるんですよ。勝った馬【エーシンクールディ】はさすがに強いけど、2着の馬【キーポケット】とは差がなかったですから。やれば出来る子なのに、なんで...って、歯がゆくなります。でも、長い間ずっと最前線で頑張ってくれて、この馬には本当に頭が下がる思いです。関係者も私を乗せ続けてくれるし、ありがたいですね。これからも【シルバーウインド】と共に、地元はもちろん全国でも頑張りたいです。それだけの能力のある馬だし、チャンスもあるはずですから。
赤見:今後、さらなる目標は何ですか?
宇都:まぁ、年齢も年齢だし...(8月14日で43歳)。とにかく怪我しないようにというのが1番です。そして、乗せてくれる関係者も、ファンのみなさんも納得出来るような結果が出せればなと思ってます。名古屋は個性溢れる騎手がたくさんいるんですよ。ベテランは全国でも通用する技術を持ってる人間が揃ってるし、若い子たちもすごく頑張ってて上手くなってます。ぜひたくさんの方に競馬場に足を運んでいただいて、応援して欲しいですね。
赤見:でらうまグルメもありますもんね。
宇都:そうです。地元の名物料理がたくさんありますから。それに、近くに水族館や遊園地もあるので、昼間は名古屋競馬で、夜はそちらで楽しむというコースもありますよ。家族連れやデートで、ぜひ遊びに来て下さい!
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※インタビュー / 赤見千尋
金沢ラウンド・名古屋ラウンドが終了し、残すは最終戦の荒尾ラウンドのみとなった、今年のレディースジョッキーズシリーズ(LJS)。各レース共に熱戦が繰り広げられている中で、唯一2度の総合優勝を誇る、名古屋の山本茜騎手にインタビューしました。
赤見:まずは、騎手を目指したキッカケを教えて下さい。
山本:もともと動物が好きだったこともあったんですけど、子供の頃にお父さんと、横浜の根岸森林公園に行ったんです。その時、自分と同じような子供たちが馬に乗っているのを見て、やってみたいなと思って。
運良く、愛馬少年団に入ることが出来たので、小学校5年の時からずっと乗馬をしていました。
赤見:山本騎手は高校を卒業してから騎手学校に入ったんですよね?
山本:そうです。中学を卒業して、高校に入学した頃から将来の進路を考えるようになって。遊ぶために大学に行くのは嫌だったので、自分の進みたい道をみつけたいと思ってました。
ちょうどその頃、茜は背も低いし、騎手やってみればって言われて、そういう仕事があるんだって初めて認識したんです。
川崎競馬場が近かったので、自転車で行って、返し馬やレースを間近で見たら...ものすごい迫力でした。自分が今まで乗ってた馬とは全然違ってて、なんてゆうか、野性的な感じで。これに乗れたらかっこいいなーって思ったんです。
赤見:どうして名古屋所属になったんですか?
山本:高校を卒業して、1年間美浦の牧場で働いていたんですけど、そこの社長の伝手で南関東に入れないか聞いてもらいました。
話を聞いてもらう所まではいったんですけど、「南でデビューしても乗せてもらえない。まして女の子ならなおさら」ということで、上手くいかなかったんです。
赤見:なるほど。では実際に競馬サークルに入っての印象はどうでしたか?
山本:楽しかったですね。私は全く競馬に関係ない家庭に育ったので、トレセンの中のシステムとか全然わからなくて。それを知っていくのが楽しかったです。
赤見:デビューからすぐに大活躍して来ましたが、一昨年にはニュージーランドへ武者修行に行きましたよね。
山本:前からずっと行きたいと思っていたんです。日本で騎手になれなかったら、オーストラリアの学校に行くつもりで資料も集めていたし。海外に行って勉強したいと、今でも思っています。
赤見:次はどこへ行きたいですか?
山本:とりあえずは、アジア圏に行きたいです。色々な所に行って、いっぱい勉強したいですね。
赤見:ニュージーランドでは、かなり貴重な経験をしたのでは?
山本:本当にそうです。ライセンスを取るまで1年くらいかかってしまって、とにかくレースに乗りたいという気持ちが強かったですね。
それに、馬に対する姿勢も日本とは違ってかなり自然というか、そのままなんですよ。牛がいっぱいいる所をガーッと走らせたり、道もでこぼこしているし。
赤見:実際、レースに騎乗出来た時はどうでした?
山本:本当に久しぶりだったので、なんかデビューの時より緊張してましたね(笑)。馬場も芝でよくわからないし、メンバー的に強いのか弱いのかもわからないし、言葉も微妙だし、周りのジョッキーもよくわからない人ばっかりだし...。
日本とはゲートインのシステムも違って、ゲート裏で輪乗りとかしないんですよ。パラパラ集まって来てすぐ入れちゃうんで、え?もう?って感じでした。ゲートが開いて少しの間、目の前しか見えてなかったですよ。かなり視野が狭かったです。
でも、やっぱりレースはいいですね。楽しいです。かなり馬群もタイトだし、追い込みも迫力があって、本当に勉強になりました。
赤見:これまでで、思い出深いレースはありますか?
山本:いっぱいありますね。たくさんいい馬に乗せてもらって来ましたから。その中でも、初めて重賞を勝てたのは嬉しかったです。
赤見:今年の11月5日『ゴールドウイング賞』。【ミサキティンバー】とのコンビで、最内をこじ開けての勝利でしたね!
山本:この馬にはデビュー前からずっと調教に乗せてもらってました。デビューから何戦かは馬が重なってしまって乗れなかったんですが、厩舎スタッフと一緒に一丸となって育てて来て、それで重賞を勝てたことが本当に嬉しかったです。
【ミサキティンバー】
それに...ここまで1つも勝ってなかったというのが悔しいです。これからまた海外に行きたいのに、名古屋で1つも勝ってないのは...茜にも意地がありますから。
赤見:海外遠征も経験して、重賞も勝って...常に前に進んでいる山本騎手。LJSでは、フル参戦した2回共に優勝という凄い成績を残してますね。
山本:LJSはみんなに会えるので、とても楽しみにしています。ただ今年は、ここまで自分らしさを出せていない気がするんです。逃げて無理に競られたら嫌だから、とか無難な乗り方をしてるんですよ。考え過ぎてるというか...。優勝させてもらった2回は、デビューして1年だったり、ニュージーランドから帰って来たばかりで、メンタル面が違うんですよね。
今は総合5位でポイント差も少ないですから、最終戦の荒尾ラウンドでは、茜らしく積極的に乗りたいです!!
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※インタビュー / 赤見千尋
今年も2位以下に70勝以上もの差をつけて、リーディング独走中の、名古屋・岡部誠騎手。
9月15日、名古屋競馬第5レースで、地方通算2000勝を達成!現在の心境をお聞きしました。
赤見:2000勝達成、おめでとうございます!
岡部:ありがとうございます。
赤見:この積み上げた数字、ご自身ではどんな風に感じますか?
岡部:そうですねぇ。最近では年間200とか勝たせてもらっているので、区切りの数字というか、通過点という感じですね。
赤見:今年はすでに172勝(9/18現在)ですし、昨年は怪我もありながら209勝でしたもんね。
岡部:いや~実は年間の勝ち鞍って、きちんと覚えてないんですよ(笑)。
1鞍1鞍、頑張って乗るという意識で。
たくさん乗せていただいて、たくさん勝たせていただいて、周りの方々には本当に感謝してます。
赤見:現在33歳ですが、かなりお若い時からリーディングを獲っていらっしゃいましたよね。
岡部:運もよかったんですけど(照)。馬乗りの勉強はたくさんしました。
今でもそうですけど、何度も何度もレースのビデオを見たり。上手な人のレースを見て、研究しました。
僕がデビューした頃は、名古屋だけでも50人くらい騎手がいましたから。
赤見:特に参考にした方は?
岡部:やっぱり、吉田稔騎手ですね。すごく上手だと思います。
具体的には、レース中に焦るところがないし、周りが見えているんですよ。追う時のフォームもブレないし、カッコいいんです。
騎手は見せる商売ですから、汚いフォームで勝ってもな~と僕は思うんです。綺麗にカッコよく勝ちたいですね。
赤見:その吉田稔騎手を抜いて、2004年に初のリーディングを獲得しました。その時のお気持ちは?
岡部:もちろんずっと、1位獲りたいと思って頑張って来たので、嬉しかったですよ。
ただ、数字の上で勝ち星が上回ればリーディングにはなるけど、技術的に見て、本当に自分が1番なのか...自分がリーディングでいいのかと、考えるようになりましたね。
赤見:これだけ勝っていても?
岡部:稔さんをはじめ、上手い騎手はまだまだいますし、名古屋だけじゃなくて、全国、日本だけじゃなくて、世界を見ても、たくさんの上手いジョッキーがいますから。
もっと上手くなりたい!自信を持ちたい!っていう思いが強いです。
リーディングの2位や3位にいた頃は、「とにかく1位になりたい」と思ってがむしゃらに頑張ってました。
でも、いざ1位になると...続けるのも大変なんだなと感じます。
自分は名古屋の代表というか、顔になるわけじゃないですか。だから、より技術を磨かないといけないなって。
色んな人の期待も大きくなるし、あんまり悩むタイプじゃないんですけど、色々考えるようになりましたね。
名古屋でリーディング獲ってても、いまいちネームヴァリューもないし...。
ダートグレード勝ったり、ジョッキーレースで優勝出来たら、自信に繋がると思うんです。
赤見:今年も来月に、スーパージョッキーズトライアル(SJT)がありますね。
岡部:ジョッキーレースは2位や3位が本当に多くて...(苦笑)。
そこそこ来るんだけど、パンチ力がないんですよね~。
まぁ、まだ優勝するのは早かったということです。そこからまた、勉強も出来ましたし。
ジョッキーレースは、特殊なレース展開になって普段とは違いますから、逆に普段通りに乗れればと思ってます。
SJTや佐々木竹見カップで優勝出来れば、大きなアピールになりますから。
昨年はSJT2戦目の時、怪我で出場出来なかったんですよ。
半月くらい前に、その時の怪我の治療で腕に入れていたプレートをやっと取り除きました。
心身共に身軽になった気がするので、今年も頑張ります!
赤見:それでは、これからの目標を聞かせて下さい。
岡部:今は、地方全体が低迷している時なんで、騎手の1人として競馬を盛り上げたいという気持ちが強いです。
日程とか色んな問題はあると思うけど、全国の騎手たちとファンイベントとか出来たらいいですね。
中央ではファンイベントとかやってるじゃないですか。
個人としては、海外で乗ってみたいです。
1度マカオに遠征したんですけど、今度は誰も乗ったことのないような場所で乗ってみたいですね。
それと、来年くらいは南関東の短期免許に申請してみようかな、とも思うんです。
大井や南関東で、一定期間腰を据えて乗ってみたいですね。
やっぱり、ずっと東海だけで乗っていると他の人たちと比較することも出来ないし、マンネリにもなりますから。
地元を大切にするのはもちろんですが、それだけじゃなく、積極的に刺激を求めて行かないと!!
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※インタビュー / 赤見千尋
宮下騎手のジョッキーインタビュー動画を公開しました。
激戦の名古屋で、2004年に初のリーディングジョッキーとなり、現在3年連続でトップの座に君臨しているのが、岡部誠騎手。今年もその位置を守るべく、勝ち星を量産して活躍中の32歳は、まさに充実一途で驀進中だ。
岡部騎手は地元の東海地区のみならず、金沢やJRAなどでも騎乗することが多い。
■騎乗依頼をいただいているのはうれしいことですね。ここ最近、リーディングトップが定着したことで、周りの人が認めてくださっているのかなと思います。他地区で騎乗するのは勉強になりますし、名古屋を代表して来ているという意識もありますから、責任というかそういうものも感じます。それに、自分自身の刺激にもなりますからね。1日1鞍でも大きなレースに乗ることによって、少しずつでも大きくなれると思いますし。それが、また新鮮な気持ちで名古屋で乗れることにつながりますから。
ハイペースで勝ち星を積み重ねる岡部騎手は、08年に東海ダービーを制した。
■勝ったヒシウォーシイの馬主さんには、子供のころからお世話になっていたんですよ。自宅(愛知県刈谷市)の近所で、その方はお祭りのときに使うポニーを飼っていまして、小学校の帰りに毎日のように見に行って、よく乗せてもらっていました。その方に馬に携わる仕事をしたいと相談したときに、名古屋競馬の厩舎を紹介していただいたんですよ。その方はしばらくしてから馬主資格を取られまして、その方の持ち馬でダービージョッキー。うれしかったですね。でも、まだまだステップアップしていきたいと思っていますよ。
そのためにも、日々の仕事はキッチリすることを心がけている。
■調教のとき、フォームを崩すと楽に乗れるのですが、そういうことはしないようにしています。ひとつひとつ、調教からしっかりしていないとダメだと思うんですよ。普段やれていないことが、急に実戦でできるわけがないですから。性格的にはそういう頑固なところがありますね。レースでもフェアに乗れないとイラッときますし。
そういった考えで競馬に臨んでいるのは、騎手人生のスタートが理由のひとつかもしれない。
■実は事情があって(苦笑)、教養センターには2年半いました(通常は2年間で卒業)。だから最初に弥富トレセンに入ったときは、みんなあることないこと噂しているわけなんですよ。つまりマイナスからのスタート。これはもう、やるしかないですよね。1位になったら文句はないだろうと思いましたもの。だから他の騎手が3時からなら自分は2時から馬場に出て、他の厩舎も回ったりして人の倍は働いたと思います。それが続けられたのは、その気持ちが原動力でしたね。でもきつかったですよ。先生も厳しい人でしたし、本当に休みが全然なくて。他の騎手は遊びに行っているのに......。でも、それもいま考えると、よかったなと思っています。
そうして培った向上心は、マカオへの海外遠征(07年)へとつながった。
現地ではなじむまでに時間がかかりましたね。レースは荒っぽいし、調教法も違っていて。馬の動かしかたも違うのか、自分が乗ると追い込みしかできない馬が、現地の騎手だと逃げられたり。
また、向こうの競馬は週2日が基本。だから体力が余るというか、動き足りない感じがして、競馬場の周りを走ったりしました。意思疎通も不自由でしたし、このときは日本でやれることを幸せに感じましたね。
3ヶ月のマカオ滞在で変わったのはメンタル面。説明しにくいですが、長い騎手人生のなかで貴重な時間だったと思います。
その年はマカオ遠征がありながらもリーディングジョッキーを獲得。今年もトップとなれば、06年から4年連続となる。
■ただ、いまひとつその重みが自分自身で感じられないんですよ。名古屋でリーディングを4回も獲っているのに、全国的にはあまり知られていないような気もしますし。だから、これからどんどん名前を売っていきたいですね。週末に内田博幸さんや岩田康誠さん、それに安藤勝己さんなどがテレビの向こう側にいるのを見ると、自分は何をしているんだろうと感じることもありますし(笑)。ぼくもJRAで勝たせてもらっていますが、人気薄で一発とかではなく、継続的に結果が残せるように頑張っていかないと。
そういった気持ちは向上心の源。まだまだ尽きることはない。
■今もまだ、もがかなければいけない時期だと思うんですよ。もっと悩んで苦しんだほうが、先々の喜びはさらに大きいでしょうし。個人的には、名古屋で一時代を築きたいという思いと、他地区で腕を磨きたいという思いが両方あるんですよ。ただ、"名古屋でリーディング"というだけで終わりたくないという気持ちではいます。
2000勝まであと少し。その数字を達成すれば、可能性もぐんと広がってくる。 「もっと若手がしゃかりきにならないと、名古屋は面白くならないですね。昔の自分みたいに働く若手なんていないですもん」と笑うのは、今まで自分が歩んできた道に自信があるからこそだろう。
「交流重賞(ダートグレード)を勝っていないことを気にしていないといえばウソになります。でもそういうのにはめぐり合わせもありますから、いざチャンスが来たときに、その馬にふさわしい自分であるように」という想いを胸に、自分磨きを怠ることがない。 スーパージョッキーズトライアルでは07年が3位で08年が2位。佐々木竹見カップでも3度の2位があるという岡部騎手。そこからあと一歩、突き抜けることができたときには、ものすごい勢いで歯車が回り始めていくのだろう。そしてその時は、もう間近となっているのかもしれない。
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岡部 誠(名古屋)
1977年3月3日生まれ 魚座 A型
愛知県出身 荒木市雄厩舎
初騎乗/1994年10月16日
地方通算成績/11,890戦1,770勝
重賞勝ち鞍/全日本アラブクイーンカップ、岐阜金賞、アラブダービー、園田フレンドリーカップ2回、オグリキャップ記念、名古屋記念、東海ダービー、読売レディス杯など24勝
服色/桃、胴白山形一本輪、袖白二本輪
※成績は2009年8月20日現在
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(オッズパーククラブ Vol.15 (2009年10月~12月)より転載)