昨年は【アムロ】で悲願の『東海ダービー制覇』、そして2000勝達成と、大きな節目の年となった、名古屋の戸部尚実騎手。
今年29年目を迎えるベテランジョッキーに、これまでを振り返っていただきました。
赤見:まずは、12月6日の2000勝達成、おめでとうございます!
戸部「ありがとうございます。僕は本当に怪我が多くて、それがなかったらもっと早く達成出来たと思うんですけどね。いつかは来る数字だとは思ったけど、やっと出来ました。勝った時は嬉しかったです」
赤見:1番人気での達成でしたが、レース前に意識してましたか?
戸部「してましたよ。本命馬で、普通にレースすれば勝てる力のある馬だったんです。ここで負けちゃうと、周りから『2000勝のプレッシャーで負けた』って絶対に言われるから(苦笑)。だからなるべく平常心と思って騎乗しました。
リーチかかってからポンと勝てたんで、気持ち的にも楽でしたね。
なかなか達成できる数字じゃないんで、周りの人たちに本当に感謝しています。2000勝できて、肩の荷が下りた気持ちもあるかな」
赤見:そして昨年は、『東海ダービー』制覇もありましたね!こちらもおめでとうございます。
戸部「ありがとうございます。ダービーは誰もが勝ちたいと思うけど、なかなか勝てるレースじゃないからとても嬉しいです」
赤見:山本茜騎手騎乗の【ミサキティンバー】との叩き合いをハナ差制しての勝利。勝った瞬間はわかりましたか?
戸部「正直、わからなかったです。写真判定になったんで、引き上げて来て後検量しながらも、『勝っててくれ~』って願ってました。写真判定が出た瞬間は、『やったーーー!』という気持ちでしたね。
騎手生活何十年、ずっと目指してたことが叶ったわけですから」
赤見:ハナ差粘ってダービー馬となった【アムロ】ですけれども、どんな印象だったんですか?
戸部「最初は目立たない普通の馬だったんですよ。道営から移籍して来て、最初は柿原騎手が乗ってて。僕が乗り出した時も、平凡というか、ダービーを目指そう!っていう感じではなかったんです。
それが、使うごとにパワーアップしていって、体重もどんどん増えていってね。最初に乗った時と今とでは、まるで別の馬ですよ。
ダービーを勝ったのはフロックかな、なんて思ったりもしたけど、その後もちゃんと力を見せてくれているし、すごい馬だよね」
赤見:ちなみに、ダービーの時には勝てる自信を持っていたんでしょうか?
戸部「絶対勝てるとまでは思ってないけど、勝ち負けしてもおかしくないなと思ってました。その前の『駿蹄賞』で惨敗してしまったんだけど、その時はスタートで出遅れて、全く気分が乗らないままのレースだったから。
だから、スタートだけ気を付けて乗りました。ダービーの時は、スタートも決まって、位置取りも良くて、ペースも良くて、仕掛けもすべて思い通りにいったんです。もうね、嘘みたいに上手くいったんですよ(笑)。
長く騎手をしているけど、大きなレースでここまですべてが上手く運ぶことはなかなかないからね、1つでも欠けていたらチョイ負けしていたかもしれませんね。ダービーを勝つって、能力が高いことはもちろんだけど、すべてが上手く運ぶってことも大切なんだと思いました」
赤見:ダービージョッキーになった気分はいかがですか?
戸部「やっぱりね、自分にとっても自信になるけど、周りもそういう目で見るから。色んな面で、ダービーの1勝がプラスになっていますね。プラスαが増えましたよ」
赤見:戸部騎手にとって2010年は大きな節目の年となりましたが、東北大震災というとても残念な出来事もありました。戸部騎手は青森出身ですけれども、実家の方は影響はあったんでしょうか?
戸部「本当に残念な出来事でした。被災された方には、心からお見舞い申し上げます。うちの実家は幸いにも山側なので、津波などの大きな被害はなかったんですが、かなり揺れたようです。
名古屋競馬でも、自分たちに出来ることをしようと、喪章を着けてレースに乗ったり、募金活動などをしました。いつもとは違う形でファンの方々と触れ合ったんですが、本当にみなさん温かくて、優しい反応を示して下さったことがありがたかったですね」
赤見:10月には、盛岡競馬場で行われた『東北ジョッキーズカップ』に出場されましたね。
戸部「いいレースだったと思います。僕は普段、東北の粘りを持ち味にして名古屋で戦ってるんですけど、『東北ジョッキーズカップ』出場騎手はみんな東北魂を持っていますからね!
レースではいい結果が出せなくて残念でした。怪我からの病み上がりで、体が思うように動かなかったところもあったんですが、人気馬に乗せてもらったのに結果が出せなくて申し訳なかったです。
ジョッキーたちの雰囲気は和気藹々で、とてもいい雰囲気でした。自分たちに出来ることは競馬なので、競馬で盛り上げていけたらなと思ってます」
赤見:本当にその通りですね。少しでも盛り上げていきたいです。 先ほどのお話にもありましたが、戸部騎手はこれまで怪我に泣かされることが多かったようですね。
戸部「そうなんですよ。かなり多いです。直近の7年間でも、6年は入院してますからね。ほぼ毎年骨折してます(苦笑)。 鎖骨は左右、首、腰...骨折してないところを探した方が早いですね」
赤見:大きな怪我をしながらも、長く現役生活を続けている秘訣は何でしょうか?
戸部「う~ん、なんですかね。続けようとする気持ちじゃないですかね。凹むこともあるけど、騎手生活も怪我も慣れてるから(苦笑)、気持ちをコントロール出来るようになりました。馬に乗れないことが一番辛いけど、気持ちを下げないようにしています」
赤見:今年でジョッキー生活29年目を迎えますが、ジョッキーを目指したきっかけは何だったんですか?
戸部「中学2年生の時に新聞配達していたんだけど、近くに牧場があって、そこの関係者の人が『背が小さいし、騎手に向いてるんじゃないか』って声をかけてくれたんです。でも、競馬のことは全く知らないし、馬に触ったこともないので、その時は保留にさせてもらって高校に進学しました。その後、高校2年生の時にもう一度話をいただいて、それで決めたんです。当時は中央と地方の区別があることすら知らなかったけど(笑)。
名古屋競馬に住み込みで、高校も転校しました。 青森から愛知に行って一番驚いたのは、平らな土地が限りなく続いていること(笑)。うちの田舎にはそういうのがなかったから、本当にびっくりしましたね。
厩舎の方はすぐに慣れました。1年間高校に行きながら働いて、地方競馬教養センターの短期騎手課程(半年間)を受けて騎手になったんです」
赤見:実際にデビューした時はどんな感じでしたか?
戸部「本当に僕は恵まれていたんですよ。調教師の方針で、厩舎の馬たちをすべて僕に乗せてくれたんです。だから最初からいい環境で騎手生活をスタートすることが出来ました。周りの人たちには、とても感謝しています」
赤見:想い出のレースを上げるとしたら、どのレースですか?
戸部「いっぱいありますね。その中でも、【マルブツセカイオー】で勝たせてもらった『オグリキャップ記念』かな。あの年は中央との交流元年だったから。中央勢相手に勝てたというのは大きかったですね」
赤見:1995年ですね。中央勢が圧倒的な強さを見せる中、【マルブツセカイオー】の勝利は爽快でした!
戸部「あの馬は東海地区以外の遠征で結果が出せなくてね。他場に行くとカイバ食いが細くなってしまうんですよ。昔は3日~1週間くらい前に輸送するというのがセオリーだったから、今みたいに前日とか当日輸送だったらもっと力が出せたんじゃないかなと思うんですよね。それだけの力のある馬だから、今だったらどうなのかなって。
この馬の存在は本当に大きくて、他場に遠征に行く経験なんてなかなかなかったですから。こういう名馬に出会わないことには、出来ない経験をさせてもらいましたよ」
赤見:新しい年を迎えて、今後の目標を教えて下さい。
戸部「年齢的に、もうそんなに長くは出来ないと思ってます。だからこそ、1つ1つのレースを大切にしたいです。重賞や大きなレースも勝ちたいですね。
他場のレースを見てて思うんですけど、名古屋のジョッキーたちはすごくレベルが高いんです。贔屓目もあるかもしれないけど、自分じゃなくて周りのみんながね。
そういうレベルの高いジョッキーが集まっている競馬場なんで、白熱したレースをお見せできると思います。ぜひ、競馬場に足を運んで応援して下さい!」
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※インタビュー / 赤見千尋