4月17日にデビューした、兵庫の新人ジョッキー小山裕也騎手。同期の騎手達が次々に初勝利をあげていますが、1勝までの道のりは、なかなか厳しいようです。インタビューにはどんな受け答えをしてくれるのか少し不安がありましたが、とても明るく前向きな小山騎手がいました。デビューしてからの1カ月間と、これからの大きな夢も語って頂きました。
秋田:まずは、騎手になろうと思ったきっかけから教えてください。
小山:小学校5年生の時、競馬好きだった父親に京都競馬場に連れていってもらったんです。そこで見た騎手の姿に憧れて、騎手をめざそうと思いました。
秋田:その想いを抱いた後から、地方競馬の教養センターに入るまでは?
小山:小学校から中学校まで、ずっと野球少年だったので、馬には乗ったことがありませんでした。中学3年生の時にJRAの試験を受けましたが落ちてしまって...。高校に入ってから、阪神競馬場にある乗馬クラブみたいなところに1年通いました。そして、高校1年で地方の試験を受けて、合格しました。
秋田:教養センターはいかがでしたか?
小山:初めの頃は全然上手くならなくて、怒られてばかりだったんですが、半年くらい経ったときに1頭出会った馬がいて、その馬がきっかけでちょっとずつ上達したんです。
秋田:それはどんな馬だったんですか?
小山:ニホンカイイサリビという馬。ちょうど障害訓練をしていて、それまで障害訓練が凄く苦手で嫌いだったんですが、その馬に乗ったら、馬と一緒にどんどん進歩できました。先生からも「お前じゃないと、この馬は動かないんだ」って言ってもらえるくらい。だからすごく感謝しています。
秋田:デビュー戦は4月17日の第2レースで8着でしたね。
小山:スタートの時点でダメでした。緊張して。パドックから緊張していました。やっぱり、レースは難しいなと...。ペース判断や、展開を読むのが。騎手学校とは違いますね。
秋田:ここまで29戦しましたが、(取材は5月16日)、印象に残っているレースを教えてください。
小山:2戦目です。大暴走でしたね。
秋田:まさに、大逃げというレースでしたが、どういう状況だったんですか?(結果は10着)
小山:逃げろという指示だったんですが、出遅れてしまいました。それで逃げないと、と思って押していって先頭に立ったのに、まだ逃げないと逃げないとと思っていたら...。馬も気が入っちゃったし人間もパニックになってしまって、戻ってきた時にやっとあんな風になっていることに気づいたんです。
秋田:レース中、あれだけ離して逃げていたのが分かっていなかったんですか?!
小山:そうなんです。ぱっと後ろを見た時、確かに馬がおらんなぁと思ったんですが、あそこまで離れているとは気づかなくて。それだけパニックだったんですね...。
秋田:レース後に、調教師や先輩から何て?
小山:冷静になれって(笑)
秋田:そのレースの翌日、3戦目は1番人気の馬でしたしチャンスでした。(結果は3着)
小山:この馬も逃げました。ただこのレースは、展開の難しさを感じましたね。仕掛けどころで一気に他の馬に来られてかぶされてしまったので、馬が嫌気をだしてしまって。逃げ馬の難しさを教えられました。
秋田:デビューから1カ月が経ちましたが、まずは初勝利ですね。
小山:はい。でも最近、勝とう勝とうじゃなくて、がんばって着を拾おうくらいの気楽な気持ちでいます。そのせいか、デビューの時より少しは落ち着いて乗れていると思います。
秋田:同期のみんなは、全国で続々と初勝利をあげていますが、焦りはありせんか?
小山:騎手学校時代からあまり上手くなかったので、焦らずにやっていこうと思っています。そうすればそのうち勝てるやろって。
秋田:まずは1勝。それからの今年の目標を教えてください。
小山:減量が取れるようになりたいですね。
秋田:騎手としての目標や、夢は?
小山:園田のリーディングを獲って、中央でも乗れるような騎手になりたいです。
秋田:勝ちたい重賞はありますか?
小山:海外のレースになっちゃうんですけど...、凱旋門賞です!
騎手になりたいと思った小学生の頃、ちょうどディープインパクトが現役の時で、この馬でも負けるんだなって。まだ日本人も勝ってないから、自分が勝ってみたいです。
秋田:園田から世界へ、いいですね!!では、プライベートの夢は?
小山:フェラーリに乗りたいです。
秋田:おぉ!フェラーリを乗るには、1億円稼いでも足りませよ(笑)。でも凱旋門賞を勝てるくらいの騎手になれば、乗れるかも。
小山:そうですね(笑)、がんばります!!
秋田:では最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
小山:一戦、一戦、大事に乗って、早く勝てるようにがんばります!
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※インタビュー / 秋田奈津子
園田競馬ファンの期待を一身に背負って、JBCスプリントに参戦したオオエライジン。願いは届かず、結果は6着。それでも地方馬最先着は果たしたのだから、メンツは保てたんだろうけど、やっぱり残念...。騎乗した木村健騎手に、話を伺って振り返ることにします。
竹之上:調子は凄く良いって陣営から聞いていたけど、調教から乗っていてどんな感じだった?
木村:調子は絶好調でした。馬が沸いてましたもん。
「沸く」という表現を、他の地区ではどうかは分かりませんが。兵庫県競馬関係者は、よく口にします。絶好調のときに、力が漲っているように思える状態のとことです。細胞のひとつひとつが小躍りでもしているのでしょうか。
木村:これまで園田では元気でも、輸送をするとシュンとしてしまうところがあったんです。それが今回は川崎についてからも元気で、やっぱり輸送に慣れてきたんやなぁと思いましたね。
竹之上:うん、それは陣営もすごく気にしていたことやったけど、その元気さを見て、ひとつ課題はクリアできたと思ったわ。それで、本場馬入場のときに、サーッと馬場を流すのではなく、ゆっくり誘導場についていったよね。
木村:あれはね、ライジンに馬場をしっかり見せたかったんです。前走の大井では、ゲート地点で物見して、そこから動いてくれなかったから、結局走るところを下見させることができなかったんですね。だから今回はそのあたり不安を取るためにしたんですけど、しっかりできましたね。
竹之上:不安と言えば、左回りの不安ってのもあったよね。
木村:調教では園田の内馬場を使って練習していたんですが、1回目は外に張って行きましてね、やっぱり無理なんかなと思ってたんです。でも2回目からはすんなり行って、やっぱり賢い馬やなと思いました。レースのときも返し馬で回ってみたんですが、何の問題もなく回れたので、おっ!これやったら行けるっ!と思いましたよ。
しかし、トップスピードでコーナーに入る実戦では、稽古とは大きな違いがあったようです。スタートは少し躓くようになりましたが、それでもスッと前に取り付き、4番手で1コーナーを迎えます。
木村:元気すぎで、以前によく出していた悪い癖の出遅れがないか心配してたんですが、それほど悪くなかったですし、前のグループについて行けましたね。ええ感じや!と思ってコーナーに入ったら、そこで外に張って行ったんです。やっぱりレースでは違いました...。
1、2コーナーで早くもムチを使って外に張るのを防ぐ木村騎手。
木村:外に張って行くので、肩ムチを入れてなんとか矯正しました。飛んで行ってしまいそうで、他の馬にも迷惑をかけるわけにいかないし...。
竹之上:向正面では内を突いて上がっていったよね。あのときの手応えは良く見えたんやけどね。期待は高まったよ。
木村:ぼくも向正面では、一瞬思いましたけど、最初にムチを入れてたんで、馬が行く気になっていましたからね。それで3コーナーに入ったらまた外に張って...。そこでまたムチを入れるわけですから、結局息が入らないんですよね。悔いが残ります。
さすがに息が入れられず向いた直線では、JRA勢の瞬発力に敵うはずもなく6着に沈んでしまいます。ただ、"悔いが残る"という木村騎手の言葉に、決して失望していない明るいものを感じとることができます。
木村:確実に成長を感じるんです。だからもっとスムーズにレースをさせられたら、いいレースができたんじゃないかってね。帝王賞(10着)のときは初めて内で包まれる競馬をして、頭を上げて馬がヤル気をなくしてしまってたんです。でも、東京盃(7着)のときは包まれても嫌気を出さずにレースができたんです。今回も輸送が一番良くて、レースでも怯むところはなかったですしね。
竹之上:落鉄もあったって聞いたけど。
木村:どこでやったかわわからないんですが落鉄していました。爪がめくれ上がって、人間でいえば深爪みたいになって、かわいそうでした。何度もコーナーでぎこちない走りをさせてしまったからですかね...。
竹之上:でも、悔しい思いがあるってことは、巻き返す自信もあるってことやね。
木村:左回りでも何度もやれば慣れては来るでしょうけど、使えるところがあまりないですし、やぱっり難しいでしょうね。でも、右回りやったら、慣れた園田の馬場やったら、巻き返せるという思いはあります。
竹之上:年末(12月26日)の『兵庫ゴールドトロフィー』やね!
木村:その前に『園田金盃』(1870m)を使います。今年からファン投票のレースになったので、選ばれればファンの期待に応えたいですし。でも、短いところを使って思ったのですが、やっぱり適性は短距離だと思います。だから、1400mの『兵庫ゴールドトロフィー』で迎え撃つつもりです。地元では負けられないって気持ちです。
最後は力強く締めくくってくれた木村騎手。昨年3着に敗れてしまった舞台。1年を経て心身ともに成長を遂げたオオエライジンなら、きっと好結果をもたらすものと信じています。ファンの熱気に包まれながら行われる年末の大一番。歓喜に"沸いている"園田競馬場の光景が目に浮かぶ。
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※インタビュー / 竹之上次男
兵庫の若手筆頭、大山真吾騎手。実は動物が苦手、でも馬は好き、なんだそうです(笑)。これまでの競馬人生を振り返ってもらいました。
秋田:デビューしてから10年目に突入です。これまでの騎手生活はいかがでしたか?
大山:もう10年ですか?!あっという間ですね。僕はすごく恵まれていると思います。最初からいろんな馬に乗せてもらえましたし、 いろんな経験もさせてもらえましたから。デビューした時に厩舎の先生が、いろいろなところに頼んでくれたことが大きかったですね。
秋田:周りからの期待や評価は気にしましたか?
大山:あんまり気にしていませんでした。毎日の調教やレースで必死でしたね。
秋田:2003年にデビューした時、当時のリーディングを見ると豪華な面々ですよね。
大山:小牧さんや、赤木さんとは短かったのですが、この騎手達と一緒に乗れたのは財産になったと思います。今になって生きているというのはありますね。
秋田:そんな中、2004年には新人でもう50勝!
大山:うーん。この年は騎乗停止など処分も多かったので、反省することの方が多かったんです。若さゆえというか......。
秋田:この年は、菊水賞で初重賞勝利もあげました。
大山:重賞に騎乗したのが2回目だったと思うんですが、ヤッターとうより勝っちゃったという感じでした。正直、僕自身が重賞の重みを分かっていなかったので。そういう意味では、今年勝った六甲盃の方が嬉しかったです。
秋田:2007年から2009年まで、3年連続で100勝以上、騎乗回数も1000鞍を超えています。この頃は、自信もついてきたのではないですか?
大山:そうでもないです。
秋田:でも、このメンバーの中で騎乗数を確保することも相当大変だと思うのですが。
大山:誰かが乗れなかった馬に乗せてもらったりだとか、良い感じに馬がまわってくれていたので、確保という意識はありませんでした。
秋田:この時は、リーディング5位まできました。その上の壁ってあるんですか?
大山:はい。リーディング3位以上の、その壁はものすごく高いです。技術的なことなど、上位の騎手との差を感じることはありますけど......。でも、そこを目指していかないと。
秋田:その壁を超えるにはどうすればいいと思いますか?
大山:うーん、何をすればいいのか......。それを常に考えている状態です。
秋田:2010年、大井競馬に所属して、南関東で期間限定騎乗しましたね。
大山:25歳以下の若手騎手という条件がもうこの年しか当てはまらなかったので、行ける時に行かないと、もうこんな機会ないと思いまして。南関東は頭数も多いし、馬群をさばくのも大変でした。それに、左回りに乗ったことがなかったので、川崎、船橋、浦和で乗れたのは良かったです。上手い人もたくさんいますから、良い経験になりました。
秋田:期間限定騎乗では、81戦1勝、2着5回、3着4回という成績でした。
大山:2着が1日3回という日があったんですよ。写真判定で負けたりして、悔しかったですね。たくさん乗せてもらえましたが、もっと勝ちたかったです。
秋田:去年は大きなケガがあり、長期離脱をせざるをえませんでしたね。
大山:5カ月くらいかかりました。落馬した時にその後立てなかったのでダメだなと思いました。病院でレントゲンを見たら、膝のお皿がクシャってなっていて。最初は2カ月って言われたんですが、リハビリしていくうちに2カ月じゃ無理だろ、って感じていて、そうしたらやっぱり無理でしたね。
秋田:不安や焦りは?
大山:焦っても仕方ないと思っていました。ちゃんと直さないと迷惑かけちゃうし。レースを見ると乗りたくなりますけど、でも見ていました。外から競馬を見るのも良かったというのは感じましたね。
秋田:園田競馬は、今年の9月からナイター競馬が始まりました。
大山:レースは明るかったですし、乗りやすかったですよ。特に初日はお客さんがたくさんいたので嬉しかったです。金曜のナイターってちょうどいいですよね。仕事終わって、お酒飲みながらなんていいじゃないですか。お客さんあっての競馬場ですから、もっと知ってくれるといいですね。
秋田:これまでに、思い出に残っている馬やレースを教えてください。
大山:デビュー2年目で、帝王賞に乗せてもらえたことがすごく思い出になっています(05年、ニューシーストリーで10着)。JpnⅠなんて、ここまで大きいレースに騎乗したことがなかったですし、ましてやお客さんもめっちゃ多かったから。感動というか、こんなところで乗せてもらって幸せ者だなと思いました。やっぱり、お客さんがたくさんいるとテンション上がりますね。僕はそういう状況だと、気持ちも乗っていくタイプなんで(笑)。
秋田:ライバルだと思っている騎手はいますか?
大山:同期の山崎誠士(川崎)には負けたくないなと思っています! 向こうは分かりませんけど(笑)。誠士は南関東でもけっこう勝ってますもんね。デビューの時はお互い新人賞をもらっていたりしましたし。
秋田:仲も良さそうですね(笑)。じゃあ、いつかはSJTなどで対戦できるといいですよね。
大山:はい。いつかそうなるといいですね!
秋田:騎手生活も10年目に入りました。これからの目標を教えてださい。
大山:正直、ちょっと伸び悩んでいるので、ガツンともう一皮むけたいですね。
秋田:では最後に、大山騎手の夢は?
大山:リーディングジョッキーです!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
兵庫の騎手会長を務めていたこともある人望の厚いベテラン、永島太郎騎手。10月12日現在、兵庫リーディング4位。今年は順調に勝ち鞍を伸ばし、自身久々となるリーディングトップ5入りも可能性十分な位置につけています。
秋田:どうして騎手になろうと思ったのですか?
永島:父親が競馬好きで、京都競馬場に連れていってもらったんです。その時に、目の前で走っていく馬と騎手を見てかっこいいなと思ったことがきっかけです。中学校を卒業する前に背が小さかったので、騎手になろうと思いました。
秋田:まずはJRAの受験をしたのですか?
永島:はい。中学3年の時に受けて、2次試験で体重がオーバーしてしまったんです。43キロが規定ですが、実際に体重計に乗ったら43.7キロで......。その時点で試験官には、帰れと言われました。体重を計ることが分かっていたのに、前日バカ食いをしてしまって。騎手として、その日に体重を調整するには一番大切なことなので、それは仕方ないですね。
秋田:でも騎手は諦めずに、地方競馬の受験に気持ちを切り替えたんですね。
永島:JRAの受験では体重で失敗してしまったのが現実。その時は成長期なので、1年間我慢してJRAの試験をまた受けるまでに、自分が成長しないという自信はなかったですし。地方競馬の受験の時は、体重もしっかりクリアしました。
秋田:デビューは1991年4月29日、エルテンリュウに騎乗し、初騎乗初勝利。その時のレースは覚えていますか?
永島:鮮明に覚えています。同期の2人はこの日何鞍か乗っていたのですが、僕はこのレースだけでした。この馬自身も未勝利で人気もなかったので、気楽というか、ただ後ろをずーっとついていったら、いつの間にか先頭に立っていたんですよ。勝っちゃった、という感じでしたね。でも、しっかりガッツポーズはしていました(笑)。
秋田:それから22年。地方通算1630勝、重賞は16勝をあげています(10月12日現在)。これまでに思い出に残っている馬やレースを教えて下さい。
永島:レースに関しては、特にこれというのはありません。馬はノースタイガーというアラブの時代の馬です。今もたくさんいい馬に乗せてもらっていますが、あの馬の背中の感触を超える馬はまだいません。
秋田:1998年の兵庫大賞典を勝っていますね。どんな馬だったのですか?
永島:説明は難しいのですが、本当にいい背中でした。車でいうと高級車ですよね。アクセル吹かせばグッと進むような。4歳の時に10連勝しましたが、気性が激しくてね。一度、重賞でゲートを潜ってしまって競走除外なったことあるんです。ゲートが開いたら一目散に走っていくという、そんな逃げ馬でした。除外になった時は、誰よりも早くゲートを出たんですけどね(笑)。もちろん、兵庫大賞典も逃げ切りでした。
秋田:ノースタイガーを超える馬に出会えるといいですよね。
永島:そうですね! だから、今もいろんな馬に乗せてもらえるのが楽しみなんです。
秋田:これまでに、大きなケガはされましたか?
永島:23歳の時です。お正月開催の最初のレースで、準備運動中に他の馬がバカついて、その馬と自分の馬に挟まれてしまったんです。それで、足の指が5本とも折れてしまいました。年始早々のレースだったし、その馬も勝てるチャンスがあったので乗りたかったんですけど、足が痺れていたので馬から降りたら最後、もう立てなくて......。長靴を脱いだら、骨が折れているものだから、指がぽろぽろーんという感じで...
秋田:そ、それは、想像を絶します......。復帰までどれくらいかかりましたか?
永島:4カ月くらいです。
秋田:たったの4カ月間で!? でも、騎手の4カ月間は大きいですね。
永島:ちょうど、小牧さんと岩田君の次で、リーディング3位。良い感じに成績も上がっていた時でしたから。でも、その2年前に結婚して、ちょうど妻が妊娠して臨月の状態で......。妻には迷惑をかけてしまいましたが、生まれてくる子供のためにもがんばらなくちゃという気持ちでした。
秋田:さて、今年はリーディング4位という位置です。今のところご自身の評価はいかがですか?
永島:僕のように、ある程度の成績をおさめたり、ガタガタ下がっていったり、こんな騎手は珍しいタイプだと思います。また今年はたくさん勝たせて頂いているので、この良い流れに自分の技術がちゃんと繋がっていくように、まだまだがんばりたいです。
秋田:ところで、兵庫の騎手って、なんでこんなに層が厚いと思いますか?
永島:先輩の厳しさだったり、後輩の研究熱心さだったり、そういうことが受け継がれているのだと思います。調整ルームで一緒にレースのビデオを見ている時に先輩からアドバイスを受ける、それに真剣に耳を傾けて、次の日にでも実践しようとする後輩の姿がある。そんな日常が伝統になっているんですね。
秋田:兵庫競馬といえば、9月7日から「そのだ金曜ナイター」が始まりました。初日の感想を聞かせて下さい。
永島:ナイターの実施は、以前から関係者の一つの願いだったので、やっと辿りついたという気持ちでした。やはりお客さんの層も違いましたし、入場してくれた人も多かったですよね。久しぶりにあんなに盛り上がった中でレースができたので、僕たちもモチベージョンがあがりました。
秋田:実際にレースに騎乗してみていかがでしたか?
永島:僕自身は、ナイター競馬に乗ったことがありましたし、基本的に騎手は、ある程度の明るさがあれば乗れます。朝の調教だと、もう少し暗い状態で乗っていますし。
秋田:馬もいつもと違うリズムになるわけですが、影響は?
永島:それは馬によりけりですけど、厩務員さんもプロなので。ご飯を食べて、どれくらいでレースだっていうことは馬も分かっていますし。調教も、レースに合わせて行っていますから。ただ、ナイターの時だと明るい暗いがはっきりしているので、急にテンションが上がってしまって、本来の力が出せないという馬も、時にはいると思います。
秋田:ナイター開催の手ごたえは?
永島:もちろん手ごたえはあります。若い方や、家族連れが多くて、昼間の開催とはちょっと違うスタンドでした。ファンに楽しんで頂けると思ってみんながんばっていますので、もっと認知度が上がればお客さんは来てくれると思います。
秋田:では最後に、今後の目標を教えてください。
永島:騎手という仕事が好きなので、もっともっと上手くなってがんばりたい。人前に出る仕事ですから、有名になりたいですね!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
大柿騎手(22歳)といえば、『園田プリンセスカップ』(昨年9月22日)で初重賞制覇を成し遂げた表彰台で、恋人にプロポーズをしたことで一躍有名になった騎手です。
竹之上:まずはプロポーズに至った経緯を教えてくれる?
大柿:もうそろそろ彼女と結婚しようかなぁと思ってたころで、そんなことを調教中に北野(真弘騎手)さんに話してたら、「お前今度重賞で勝てそうな馬がおるやろ。その表彰式のときにしたらどうや」って言われたんです。
なんと、あの衝撃プロポーズは、北野騎手の発案だったのです!
レースの前の週、騎乗するアスカリーブルの話を訊きに行ったとき、神妙な顔で大柿騎手がにじり寄り「実はそのことで相談が...」と言ってきたのです。「もし勝ったら、当日来る彼女に表彰台からプロポーズをしたいんですけど、そんなことをしてもいいですかね」と。
竹:ええがな、前代未聞やけど、やってみたらええがな。って言ったけど、あかんって言ってらどうしてた?
大:どんな形でもプロポーズはしようと思ってました。結果的に表彰台で伝えることができて良かったです。でも、あのときはめっちゃ緊張しましたよ。
竹:そうやな、若手騎手が初重賞制覇するわけやし、嬉しくてたまらないか、涙を見せるかっていうのが相場やけど、ガチガチになって青ざめてた感じやったもんな。
大:あの日は乗り鞍自体があのレースだけだったので、朝からレースのことばっかり考えてました。内枠だったので、初めて砂をかぶる競馬になったらどうしようと不安になっていました。だから勝ったあとはホッとするところなんですけど、まだこのあとやることがあるんやと思ったら、めっちゃ緊張してきて...。
「こんなぼくですが、結婚してください!」と直球のプロポーズ。もちろん成功して、3月3日に入籍。3月30日に挙式の運び。多くの人が見届け人になったわけやから、絶対に幸せになるように!
竹:甘い新婚生活が待っているところやけど、6月から南関東の船橋で期間限定騎乗することが決まってるんやね。
大:そうなんです。でも、彼女には早い段階から遠征に行くってことは言ってましたから、納得してくれてます。それより、自厩舎(山口浩厩舎)の方が気がかりで...。だから先生になかなか言えなかったんです。
竹:厩舎に迷惑がかかることを心配したの?
大:調教している馬の数は、西脇トレセンの中でもかなり多くやっている方だと思います。だから、ぼくが船橋に行っている間、誰かに負担がかかるわけじゃないですか、それがあるので先生からお許しが出ないんじゃないかと思ったんです。
竹:でも先生は許してくれたんやね。
大:意外にあっさりね(笑)。「何かつかんで帰ってくるんやったらええよ」って。
竹:いいこと言ってくれるねぇ。
大:「調教がしんどくなるなぁ」って冗談で言われましたけどね(笑)。ただ、調教がしんどくなるのは事実なので、だから3ヶ月まで遠征できるんですが、2ケ月の申請にしたんです。うちの厩舎のことを考えると、それが限界かなと。
船橋での所属厩舎は天下の川島正行調教師の息子さんである川島正一厩舎となりました。
大:うちの厩務員さんが大井の関係者と親しいから聞いてみると言ってくれてたんですが、話がまとまらず、最後の切り札として取っておいた、川島正太郎(船橋騎手)に直接電話をして頼んでみたんです。ぼく彼と同期なんですよ。
竹:ええカードを残してたなぁ。そういえば、アスカリーブルは川島正行厩舎に移ったんやね。ひょっとして騎乗依頼があったりして。
大:それはないでしょう。あったら嬉しいですけどね(笑)。でも、川島正一厩舎にも、うちの厩舎にいたプレミールサダコがいるんですよ。何かの縁かなぁって思いますね。
竹:アスカリーブルが『ユングフラウ賞』で強い勝ち方したよね。どう見てた?ずっとこっちにいて乗り続けたかったとは思わない?
大:別に思いませんね。移籍はしょうがないことですから。それより、デビューから乗せてもらって無傷の4連勝で重賞制覇させてもらったんですから、すごく感謝しています。結婚にも繋がりましたしね(笑)。とにかくアスカの活躍は素直に嬉しいです。
デビューから5年目を迎える大柿騎手。初年度に16勝。2年目には50勝(リーディング12位)を挙げる大活躍。しかも騎乗回数は群雄割拠の兵庫において、新人としては破格の842回という騎乗数。これはその年の39名中、5位の記録だったのです。
しかし、その後は23勝、29勝と落ち込み、今年は2月23日現在、まだ2勝。乗り数も大きく減少傾向にあり、完全に伸び悩みといえる状況です。
大:はい、完全に伸び悩んでいます。デビューした頃はうまくいくことが多かったのですが、最近は...。周りの人からは下半身が不安定やと言われるんです。とくに理(おさむ・下原騎手)さんには厳しく指摘されますね。
竹:いくら先輩でも、本当は賞金を取り合うライバルなわけやし、アドバイスしてくれるってありがたいね。
大:本当に理さんには技術面でいつもいいアドバイスをもらっています。それから、精神面では北野さんにケアしてもらってますね(笑)どちらも面倒見のいい優しい先輩です。
竹:いい先輩に恵まれてるね。それで、新人のときにできたことが、いまできないのはどういうところだと思うの?
大:デビューしたての頃の方が、騎座がしっかりしてたんだと思います。教養センターでやってた鍛錬が効いていたんじゃないでしょうか。あのときの教官で杉山先生って方がいたんです。その先生に毎日課せられていた下半身強化のトレーニングがキツかったんですけど、すごい効果があったんです。
いまでも行き詰ると、杉山先生に連絡してアドバイスをもらっているという大柿騎手。その声に触れ、初心に帰ることに、はたと気付かされます。
竹:またそのトレーニングを始めたんやね。
大:毎日ってわけじゃないですけど、徐々に始めています。初心を思い出して、もう一度立て直そうと。そんな時期に南関東への遠征話も入り、結婚して家庭を築いていくわけですから、もっとしっかりせなあかんと思ってきたのです。一からやり直すぐらいの気持ちで頑張ります!
竹:最後に、今後の目標を聞かせてくれる?
大:技術としては理さんのようなレースができるようになりたいですね。ロスなく立ち回って、馬をスムースに動かすんですよね。それと、自厩舎の馬には全部乗りたいです。先生に「全部お前に任せる」って言われるぐらい信頼される騎手になりたいです。
竹:もうない?
大:本音を言えば、兵庫は川原さんや木村さん、学(田中騎手)さんなど、本当にすごい人たちばかりですよね。すごく勉強になるんです。だからこそ、ここでトップに立ちたいって、やっぱり思いますよね。
竹:うん、その言葉が欲しかった!南関東でも頑張ってな!
大:はい!何か見つけて帰ってきます!
これから彼の騎乗ぶりの変化に期待しましょう。南関東での活躍にも期待しましょう。そして次に目標を訊いたときに、すぐさま「トップを獲りたい!」と言える逞しさが備わっていれば、兵庫県競馬の未来は明るいものとなるのです。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一