
杉浦健太騎手は、昨年の勝ち鞍が62。2013年の39勝から一気に増加して、兵庫リーディング8位に食い込みました。今年はデビュー6年目。成績が上昇してきた理由はどのあたりにあるのでしょうか?
2014年は勝ち星がかなり増えましたね。
だんだんと成績が上がってきたことで、依頼の声をかけてもらえるケースが増えたように思います。声をかけていただいた馬には、攻め馬から乗せてもらうようにしています。
成績が上がってきた要因はなんでしょう?
どうなんでしょう? 経験を積んで、落ち着いて乗れるようになってきたという点が大きいのかなあ。なるべく前の位置を狙っていくことと、思い切ったレースをすることを心がけているところは、以前と変わりないです。園田ではみんな前を狙いますが、でもそこで譲るとかして、消極的な騎手だと思われたくないですし、デビューのころ所属の先生に「引くな、強気で行け」と言われていました。レースで競って先輩に怒られることはありますが、それでビビッていたら成績なんか上がらないですからね。
もともと強気な性格だったんですか?
いや、そういうわけではなかったですね。どちらかというと、流されやすいタイプというか......。周りからは「思い切りがいいな」とよく言われますが、僕としては力が下の馬に乗ったとしても、見せ場は作りたいと思っているんですよ。観ている人にどこかで「おっ?」と思ってほしいといいますか、そういうことを心掛けとして持っています。
そして杉浦騎手は金髪も定着してきた印象があります。
昔から目立ちたがり屋なんです。中学のときは応援団長でしたし、野球部ではキャプテン。学校などでの集合写真をみると、たいてい最前列のセンターで写っているんです(笑)。髪の毛の色はなんというか、昔の反動もあるのかなあ。小学校のころからずっと坊主頭で、騎手になってからもしばらくは坊主。髪の毛が伸びてうれしいという気分がまだあるんです。これからもいろんなスタイルを試したいですね。
杉浦騎手は前向きな性格でもあるようですが、レースへはどういう心構えで臨んでいますか?
新聞は見ますけれども、それは参考にするぐらい。基本的には感性で乗るタイプになるのかなと思います。動物的な感覚を大切にしたいといいますか、乗ったときの雰囲気とか、ゲートを出たときに馬から伝わってくる手ごたえとか、そういうところをポイントにしています。
ただ、距離ロスが少なくなるように、というのは心がけていますね。もっと勝ち鞍を増やすためにはどうすればいいかと考えると、やっぱりいわゆる"ソツのない騎乗"をしていかないと。その上で、木村(健)さんのようなダイナミックな騎乗ができるようになりたいです。
となると、杉浦騎手のセールスポイントは?
うーん、そう聞かれると、まだよくわかりません、という感じになりますね。ただ、去年の成績を下回りたくないとはいつも思っていますし、自分よりキャリアが下の騎手には絶対に負けたくないです。
そのために以前と変えたところなどはありますか?
ときどきですが、トレーニングジムに通うようになりました。攻め馬には20頭ぐらい乗っていますから、筋肉はついていると思うんですが、ジムでは下半身を中心に鍛えています。
昨年はリーディング8位。今年の目標はどうでしょう。
上位の先輩方は強力ですが、そのなかに食い込める余地は出てきているのかなと思います。もっと乗り鞍を増やしたいですし、勝ち星を増やしたい。重賞も勝ちたいですね。あと、今はケガで休んでいますが、同期の田野(豊三騎手)には負けたくないですね。ライバルがいるとそれが張り合いになりますから、早く戻ってきてほしいです。
1月3日の新春賞ではニシノイーグルに騎乗して、懸命なアクションで差を詰めて2着に入線。杉浦騎手らしさが見えた一戦でした。兵庫の上位陣の壁は厚いですが、そこに食い込んでいく活躍を期待したいものです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
2014年の秋、地方競馬で話題となったのが、「宮下康一騎手が11年ぶりに現役復帰」したということ。ある意味、内田利雄騎手に匹敵する"さすらいジョッキー"といえるかもしれません。
10月に再び騎手となって2カ月ほど経ちましたが、いかがですか?
充実した日々ですね。園田競馬場はコースの形としては笠松に近いかな。インを攻める人も多いし、ペースも動くし、差しも届きますから、馬場の状況を読むことが大切。すごく乗りがいがあるコースです。
デビューから11年弱で1回目の引退をするまで、434勝を挙げました。
名古屋でデビューしたころは、騎手が50人ぐらいいた時代。だからデビュー当初は厳しくて、減量が取れるまではあまり勝てなかったですね。でも減量が取れてからは勝ち星が増えていきました。当時は年間50勝ぐらいのペースでしたが、吉田稔さんがいて、笠松には安藤勝己さん、光彰さん、川原さんがいた頃ですから、今になって考えると、よく勝てたなあと思います。
でも、デビュー10周年を目前にした2000年9月に、新潟県競馬に移籍します。
ずっと、よその競馬場だったらどれくらい通用するのかという思いがあったんですよ。あちこちの競馬場を回りたいなという考えもありました。僕は内田(利雄)さんより先に、それを実行したといえるのかな(笑)。
最初は新潟に行きましたが、そこが(2002年1月に)廃止になって、そのあと上山競馬が受け入れてくれたので移籍して、その年の秋に金沢に移りました。金沢は以前から乗りたいと思っていた競馬場で、元新潟の騎手や知り合いの馬主さんもいましたので、移籍はスムーズでした。
しかし、2003年7月に騎手を引退する決断をしました。
金沢に移ってから、いまひとつ勝ち星が伸びなかったんですよ。なんというか、スランプかなあという感じが続いていて。騎手としてこれからどうしようかという思いもあったときに、大井から調教するのが大変な馬(ネイティヴハート)がいるので、手伝ってくれないかという話が来たんです。大井は厩務員になれるのが30歳までという規定がありましたし。
それで29歳のときに騎手免許を返上したんですね。そして大井に移ったあとも、また移動がありました。
そうですね。その後は茨城の育成牧場で仕事をして、大井の立花伸調教師が妹(宮下瞳元騎手)と(地方競馬)教養センターで同期だった縁で紹介してもらって、群馬の境共同トレーニングセンターにある大井の外厩で仕事をしました。
そんななか、騎手に復帰したいと考えるようになったのはなぜですか?
本格的に考え始めたきっかけは、妹の引退式に行ったことですね(2011年8月)。当時の同僚たちといろいろ話をして自宅に帰って、それから1週間後くらいに、また騎手をやりたいという思いがこみ上げてきました。
でも、それを実現するのは大変なように思えます。
NARに問い合わせたら、引退して5年以上が経っているので新規と同じと言われました。それでもあきらめられないので、まずは受け入れてもらえる競馬場を探しました。いくつかあるなかで、知り合いがいることもあって兵庫を選んだのですが、いざ来てみたら「調教助手になれ」と。それじゃ話が違うということで困ったんですが、騎手が欲しいという厩舎が見つかったので解決できました。
騎手免許の再試験はいかがでしたか?
一発では受からなかったですね。まだ兵庫(西脇トレセン)に来たばかりでしたし、試験官も根性を試したんでしょうか(苦笑)。翌年、2回目で合格できました。乗馬と競走技術の試験がありまして、当然ですが学科もみっちり。試験の前は半年ぐらいかけて、頭のなかに詰め込みましたよ。
そして11年のブランクを経て、競馬場に戻ってきました。これまで(インタビューは12月10日)9勝を挙げていますが、1番人気馬には1回しか乗っていないんですよ。
そうなんですか。個人的にも、予想していたよりは勝てているかなという感じはありますね。取りこぼしもありますが......。復帰したときも競馬に対して違和感があまりなかったのは、体が覚えていたということなんだと思います。(再デビューしてから)年内に10勝というのが最初の目標でしたが、それより少しでも多く積み重ねていければいいですね。ただ、リーディング上位の人は本当にうまい。勉強になります。僕がほしい位置を、いつの間にか取られていることが多いんですよ。
それにしても、騎手を引退すると体型が崩れる人が多いなか、よくそのスリムさを維持できたと思います。
以前は開催が終わったら焼肉だとか、パーッとやっていましたけれど、育成の仕事に携わってからは、それがなくなったのが大きな要因でしょうね。当時は飲み屋でオープンからラストまでとか、そういうことが普通でしたし(笑)、いま考えると、あのころがなんかもったいなかったなあと思ってしまいます。
でも現在は騎手という立場に戻りましたが......。
いや、今は開催が終わっても家にいますよ。子供が小さいので、寝顔を見ながらお酒を飲む程度ですかね。ただ、育成牧場時代に厩舎作業をしていた影響なのか、上腕の筋肉が落ちないんですよ。それでも51㎏をキープできていますから、親に感謝ですね。
今後の目標を教えてください。
妹の勝利数(地方競馬で626勝)も目標ですが、リーディング上位に食い込みたいですね。そして、どんな馬にでも乗りたいというか、むしろ人が断るような馬に乗りたいと思います。名古屋にいたときも"クセ馬専門"という感じでしたが、そんな馬をどうやって誘導すればいい成績が残せるのか、そういうことを考えるのがけっこう好きなんです。
ちなみに宮下騎手の"初騎乗"は、幼稚園のときに出場した、鹿児島県で行われている「串木野の浜競馬」。その後は霧島の草競馬にも出場したとのことですから、競馬歴はかなりのもの。子供の頃からいろんな馬に乗ったその経験が、今も生きているのでしょう。
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インタビュー・写真 / 浅野靖典
タガノジンガロで4月29日のかきつばた記念を制した木村健騎手。兵庫所属馬としては佐賀記念を制したチャンストウライ以来のダートグレード競走勝利を実現。自身としても初めてのダートグレード競走の優勝となりました。(5月17日にインタビュー)
かきつばた記念のゴール前は接戦でした。
最後は余裕がなかったですね。タガノジンガロは外に張るクセがあるんですが、3コーナーでそれが出て、修正するのに必死でした。道中はダノンカモンの後ろで『いい位置が取れたな』と思っていたら、勝負どころで外に張ってしまって。ノーザンリバーの邪魔をしたかと思ってヒヤッとしました。
それにしても最後はきわどいところでした。
いやあ、本当にギリギリ。それでも勝ちは勝ちやね(笑)。チューリップ賞(2010年3月6日JRA阪神競馬場、ショウリュウムーンに騎乗)を勝ったときもうれしかったですが、今回の勝利は格別です。
かきつばた記念(写真:愛知県競馬組合)
タガノジンガロの転入初戦のレース(3月27日)は圧勝でした。
あれ、楽勝という感じに見えたでしょう。でも馬に馬場の真ん中くらいまで持っていかれているんですよ。かきつばた記念のときはハミを替えてもらって、多少はマシになったので最後まで追うことができたんですが。あの外に張るクセさえ直れば、乗りやすい馬だと思いますよ。ただ、そのクセがなければ、兵庫には来ていないんでしょうけど......。
でも、だからこそ、かきつばた記念の結果につながったということも言えますよね。タガノジンガロは、JRAでは中距離で好成績を挙げていました。
でも、牧場からは「短い距離のほうが走る」と聞いていたんですよ。かきつばた記念のときも、成績的に一発があるかもとは思っていました。それにしても園田に戻ってきたら、たくさんのファンが単勝馬券を持っていてくれたのはうれしかったですね。それにサインさせてもらいましたが、ありがたいなと思いました。
そして地元では、今年も田中学騎手、川原正一騎手と、ハイレベルなリーディング争いをしています。
いい刺激になっていますね。順位がどうなるかは、最終日までのお楽しみってことで。でも自分としては、1頭1頭しっかり乗って、ファンの期待に応えるだけだと思っていますよ。腰がいつダメになるか、わからないですし。
それでも木村騎手といえば、全身で馬を追う姿が代名詞です。
あのアクションが僕なんで。あれができなくなったら僕じゃなくなりますからね。本当に1戦1戦、がんばっていくだけです。
タガノジンガロ、さきたま杯の1周目
タガノジンガロは、かきつばた記念のあと浦和のさきたま杯に出走しましたが、7着という結果。木村騎手はレース後、「内にササって追えなかった......」とコメントしていました。
インタビューのとき、さきたま杯については、「(新冠の)タガノさんの牧場は坂路が左回りなんですが、どうもそこでは内にササるらしいんですよ。そこが心配ですね。でも馬の力を信じて臨みたいです」と話していた、その不安が的中する形となってしまいました。とはいえ、実力があることは証明済み。今後は「少し早い夏休み」(新子雅司調教師)に入るそうです。
しかしさきたま杯の1週間後、木村騎手は兵庫ダービーを制して、改めてその存在感を示してくれました。タガノジンガロとのコンビもまた、引き続き期待できることでしょう。
6月5日、トーコーガイアで兵庫ダービーを制覇
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※インタビュー / 浅野靖典
昨年は228勝を挙げ、全国リーディング3位となった、兵庫の田中学騎手。全国の中でも激戦区と言われる園田・姫路競馬場で、川原正一騎手、木村健騎手と共に、トップ争いを繰り広げています。新しい年を迎え、今年の抱負を伺いました。
赤見:まず昨年一年間は、どんな年でしたか?
田中:昨年は...それなりに勝ち星を積み重ねられたっていうのはあるんですけど、自分の中では歯がゆかったというか、悔しいレースが多かったんです。騎手をしてると、いい波の時とそうではない波の時がありますけど、昨年は波に乗り切れなかった時期が多かったですね。
赤見:具体的に、波とはどんな感じなんですか?
田中:馬との呼吸ですよね、やっぱり。自分がどうにかしようともがいて、上手く合わせられなかったというか。そういう時は、乗ってても楽しくないですし、一生懸命やってもなんかイヤな空気だったり。言葉にするのは難しいですけど、ファンや関係者に迷惑かけたなと反省する毎日でした。
赤見:田中さんくらい成績を挙げていても、そんな風に考えるんですね。
田中:考えますよ。だって、先生(父である田中道夫調教師)にちょくちょく注意されますから。『レースに対して焦ってる』とか、色々言われます。勝っても『下手くそ』って言われますから(苦笑)。周りの人たちは、『勝ったのに何で怒られてんの?』って不思議そうな顔してますけど、自分では言われて納得というか、言い返せないですね。
赤見:やはりお父さんは、大きな存在なんですね。
田中:大きいです。最近は周りの方々が『父親を超えた』と言ってくれるんですけど、自分では全然そうは思いません。僕が現役を続けている間は、抜くことはないと思います。だってね、ここ何年かで僕も何回かリーディング獲らせてもらいましたけど、それを十何年続けた人ですから。1年だけでも大変なのに、並大抵の精神力ではないと思いますよ。昔から尊敬はしてましたけど、自分がリーディング争いを出来るようになって、余計に思うようになりましたね。
赤見:田中さんの勝負服は、その偉大なお父さんの勝負服を受け継いだものですよね。
田中:重いですねぇ。今でも重いですよ。勝負服を継ぐ時には、親父から『継ぐか』って言ってもらったんで、素直に嬉しかったんですけど。実際にその勝負服を継いだら、『お前には重すぎる』『バカ息子にはもったいない』って、散々周りから言われましたから。実際に継いでみて、その重みがわかったんです。親子の間だけで簡単に継いでいいもんじゃないって思い知らされました。
赤見:でも、今では田中学騎手といえば、その緑と赤の勝負服ですよ。お似合いです。
田中:ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね。ただ、さっきも言ったように、数字とかだけではなく、父を超えることはないと思うので。僕にとっては、本当に重みのある大事な勝負服なんです。だからこそ、その勝負服に恥じない騎手でありたいという気持ちは強いですね。
赤見:それにしても...、『バカ息子』って言われていた時代があったんですね(笑)。今はイメージないですけど。
田中:昔はね、違う方向に神経が行ってましたから(笑)。僕を変えてくれたというか、育ててくれたのは、関係者の方々はもちろんですけど、サンバコールという馬に出会ったことが大きいです。よくこの馬の話はしてるんですけど、本当に色々な経験をさせてもらいました。重賞の本命馬に乗せてもらったのも初めてだったし、その時は勝ちたくて勝ちたくて仕方なかったけど、勝てなくて...。いつものようにサンバコールの調教に乗ろうと思って待っていたら、目の前で先輩が乗って行ったんですよ。調教から乗り替わりですから、もちろんレースにも乗れません。あれは悔しかったなぁ~。それまでは『父親の七光りや』って言われてましたけど、その口惜しさをバネに変わりました。その先輩にだけは絶対に負けたくないって思ったし、そこから他の人たちの乗り方を意識するようになりましたね。
赤見:騎乗に対して、大事にしていることは何ですか?
田中:レースに関しては、返し馬から丁寧にするっていうことです。返し馬で馬と呼吸を合わせられた時には、レースでも折り合いが付くし、自ずと上手く行くんです。返し馬で掛かっているようでは、レースで絶対に思い通りにはなりません。その馬その馬に合った返し馬を丁寧にしてあげること、それを大事にしてますね。
的場文男さんなんか、本当に丁寧じゃないですか。園田に来た時でも、ものすごく長く返し馬しますからね。あれはなかなか出来ることじゃないですよ。若い子らにやってみろって言っても、今はパーッとキャンターで流す子が多いですから。
赤見:昨年は川原正一騎手が全国リーディングを獲り、田中騎手は3位、木村健騎手は4位と、3人揃って全国リーディングの上位に名を連ねました。現在の兵庫は、このトップ3のぶつかり合いが見ていて楽しいです。
田中:3人ともそれぞれスタイルが違いますからね。特にタケ(木村健騎手)とは子供の頃から一緒に遊んだ仲ですから。昔っから元気よくて、色んなことして遊びましたね。(小牧)太さんや(岩田)康誠が抜けて、『園田もしょぼくなったな』って言われたらイヤじゃないですか。だから、ここ何年かはタケと一緒になんとか競馬場を盛り上げて行きたいなって話してます。
よく、『静の田中、動の木村』って言ってもらうんですけど。アイツみたいに、ガンガン追っていくような乗り方は僕には出来ないし、いいレース見せられれば『やっぱりお前すげーな』って正直に言いますね。アイツも僕のことを認めてくれてるんでね、だからこそ負けたくないっていう気持ちはあります。幼馴染みで、いいライバルですね。
赤見:それでは、2014年の抱負をお願いします!
田中:今はシーズンじゃないですけど、ナイターも定着して来て新たなお客さんが増えてるのかなと思います。ナイターの時はいつも以上にお客さんが来てくれるんで、モチベーションも上がりますね。
最近はネット投票もだいぶ普及して来て、売り上げも伸びているので、とても感謝しています。いつもネットで買ってくれる方々が、『目の前で競馬を見たい!』って思えるような、迫力のあるレースをしたいと思います!
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※インタビュー / 赤見千尋
兵庫所属の松浦政宏騎手は、2013年9月12日に通算1000勝を達成。兵庫では上位4名の騎手が強力ですが、12月18日現在で第6位となる勝ち星を挙げています。
浅野:通算1000勝達成、おめでとうございます。昨年はケガで半年ほど休んだわけですが、通算1000勝というのが復帰への意識としてあったんでしょうか。
松浦:いえ、それは特になかったですね。デビュー当初から、この仕事はケガがつきものだと思っていましたし、ケガしたからどうのこうのということは考えにはありませんでした。ただ、収入がとどこおるというのは大変でしたけど。
浅野:馬場入場時に負傷したわけですが、復帰まで意外と時間がかかりました。
松浦:最初の診断は全治1週間の打撲だったんですけれど、検査するたびにその期間が延びて、結局全治6ヶ月。左足の十字靱帯損傷のほかに、骨もはがれていて、そこをボルトで押さえてもまた取れる可能性があるらしかったんですよ。そういうわけで、中途半端な状態で戻るよりは、リハビリをしっかりしたほうがいいだろうという結論になったんです。
浅野:リハビリ中はどんな感じだったんですか?
松浦:リハビリ担当の医師から言われたことを家でずっとやっていましたね。4ヶ月後あたりから走れるようになって、半年後の12月中旬から馬に乗れるようになりました。今も手術したところが突っ張ることはありますが、実戦では意識することがないレベルですね。乗っている感覚も前と変わらないです。ただ、まだ正座はできないんですよ。
浅野:松浦騎手は騎手を引退して、4年後にまた騎手免許を取得されました。その間、よく騎手の体型を維持できたなあと思います。
松浦:ウチの一族には大きい人がいないので、そういう家系なんでしょうね。競馬から離れているときも、体重のことは気にしていませんでした。でもこの間のケガで休んでいるときに、少し体型が変わった感じはしますね(苦笑)。
浅野:それでも今年1月下旬に復帰したあとは順調に勝ち星を重ねてきています。
松浦:関係者の皆様にいい馬に乗せていただいているからですよ。そのおかげでの成績だと思います。自分としては、ファンや関係者のかたに納得していただけるレースをするということをいちばんに心がけていますね。新聞紙上の印がどんなのであろうと1戦1戦を一所懸命に乗る。それはデビュー当初から思っていることです。
浅野:そのなかで、数々の印象深い勝利を残してきました。多くのファンには、勝負どころから一気に差を詰めてくる紫の勝負服というイメージが、強烈に頭に刻まれているように思います。
松浦:やっぱりそう思われているんでしょうね。でも個人的には逃げ馬だったら逃げたいし、その馬の持ち味を出す乗り方をしようという気持ちですよ。
浅野:確かに、ポアゾンブラックとのコンビでは先行策で活躍しました。
松浦:あの馬は乗ったときから違うと思える感覚がありましたね。能力があるからこそ、難しい面もありました。1400mくらいまでなら押し切れるんですが、それ以上だと折り合いがどうしてもカギになります。兵庫ダービー(2着)のときは乗り難しかったですね。でも、それからJRAに移籍して活躍しているのはうれしいことです。
浅野:またトップを目指せる馬に巡り会いたいですね。
松浦:そうですね。ただ、レッドゾーンにしてもポアゾンブラックにしても、自厩舎の馬なんですよ。また活躍馬に乗せてもらいたいですが、ほかの厩舎から乗ってくれと依頼される騎手になってこそだと思うんです。そういう存在になれるように、技術はもちろんですが、人間として一流に近づいていきたいです。
浅野:松浦騎手がここまで来ることができた原動力は何なのでしょうか。
松浦:実家は社(やしろ・現在は兵庫県加東市)で、父親の勧めで騎手という仕事を考え始めて、那須(地方競馬教養センター)に行ってから初めて馬に乗ったぐらいなんですが、やるからにはやっぱり負けたくないなという思いはありましたね。でもすべては、いい人たちに出会えたことだと思います。
浅野:今後の目標などはありますか?
松浦:具体的な目標はないですね。任せられた馬を関係者が考えている成績より上に連れていけるように。それを積み重ねていくだけです。
受け答えに派手さはありませんが、それは松浦騎手がもつ誠実さと職人的な気持ちから来ているのだという印象を持ちました。コツコツと成績を積み重ねてきた松浦政宏騎手のさらなる前進に期待していきたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典