タガノジンガロで4月29日のかきつばた記念を制した木村健騎手。兵庫所属馬としては佐賀記念を制したチャンストウライ以来のダートグレード競走勝利を実現。自身としても初めてのダートグレード競走の優勝となりました。(5月17日にインタビュー)
かきつばた記念のゴール前は接戦でした。
最後は余裕がなかったですね。タガノジンガロは外に張るクセがあるんですが、3コーナーでそれが出て、修正するのに必死でした。道中はダノンカモンの後ろで『いい位置が取れたな』と思っていたら、勝負どころで外に張ってしまって。ノーザンリバーの邪魔をしたかと思ってヒヤッとしました。
それにしても最後はきわどいところでした。
いやあ、本当にギリギリ。それでも勝ちは勝ちやね(笑)。チューリップ賞(2010年3月6日JRA阪神競馬場、ショウリュウムーンに騎乗)を勝ったときもうれしかったですが、今回の勝利は格別です。
かきつばた記念(写真:愛知県競馬組合)
タガノジンガロの転入初戦のレース(3月27日)は圧勝でした。
あれ、楽勝という感じに見えたでしょう。でも馬に馬場の真ん中くらいまで持っていかれているんですよ。かきつばた記念のときはハミを替えてもらって、多少はマシになったので最後まで追うことができたんですが。あの外に張るクセさえ直れば、乗りやすい馬だと思いますよ。ただ、そのクセがなければ、兵庫には来ていないんでしょうけど......。
でも、だからこそ、かきつばた記念の結果につながったということも言えますよね。タガノジンガロは、JRAでは中距離で好成績を挙げていました。
でも、牧場からは「短い距離のほうが走る」と聞いていたんですよ。かきつばた記念のときも、成績的に一発があるかもとは思っていました。それにしても園田に戻ってきたら、たくさんのファンが単勝馬券を持っていてくれたのはうれしかったですね。それにサインさせてもらいましたが、ありがたいなと思いました。
そして地元では、今年も田中学騎手、川原正一騎手と、ハイレベルなリーディング争いをしています。
いい刺激になっていますね。順位がどうなるかは、最終日までのお楽しみってことで。でも自分としては、1頭1頭しっかり乗って、ファンの期待に応えるだけだと思っていますよ。腰がいつダメになるか、わからないですし。
それでも木村騎手といえば、全身で馬を追う姿が代名詞です。
あのアクションが僕なんで。あれができなくなったら僕じゃなくなりますからね。本当に1戦1戦、がんばっていくだけです。
タガノジンガロ、さきたま杯の1周目
タガノジンガロは、かきつばた記念のあと浦和のさきたま杯に出走しましたが、7着という結果。木村騎手はレース後、「内にササって追えなかった......」とコメントしていました。
インタビューのとき、さきたま杯については、「(新冠の)タガノさんの牧場は坂路が左回りなんですが、どうもそこでは内にササるらしいんですよ。そこが心配ですね。でも馬の力を信じて臨みたいです」と話していた、その不安が的中する形となってしまいました。とはいえ、実力があることは証明済み。今後は「少し早い夏休み」(新子雅司調教師)に入るそうです。
しかしさきたま杯の1週間後、木村騎手は兵庫ダービーを制して、改めてその存在感を示してくれました。タガノジンガロとのコンビもまた、引き続き期待できることでしょう。
6月5日、トーコーガイアで兵庫ダービーを制覇
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※インタビュー / 浅野靖典
昨年は228勝を挙げ、全国リーディング3位となった、兵庫の田中学騎手。全国の中でも激戦区と言われる園田・姫路競馬場で、川原正一騎手、木村健騎手と共に、トップ争いを繰り広げています。新しい年を迎え、今年の抱負を伺いました。
赤見:まず昨年一年間は、どんな年でしたか?
田中:昨年は...それなりに勝ち星を積み重ねられたっていうのはあるんですけど、自分の中では歯がゆかったというか、悔しいレースが多かったんです。騎手をしてると、いい波の時とそうではない波の時がありますけど、昨年は波に乗り切れなかった時期が多かったですね。
赤見:具体的に、波とはどんな感じなんですか?
田中:馬との呼吸ですよね、やっぱり。自分がどうにかしようともがいて、上手く合わせられなかったというか。そういう時は、乗ってても楽しくないですし、一生懸命やってもなんかイヤな空気だったり。言葉にするのは難しいですけど、ファンや関係者に迷惑かけたなと反省する毎日でした。
赤見:田中さんくらい成績を挙げていても、そんな風に考えるんですね。
田中:考えますよ。だって、先生(父である田中道夫調教師)にちょくちょく注意されますから。『レースに対して焦ってる』とか、色々言われます。勝っても『下手くそ』って言われますから(苦笑)。周りの人たちは、『勝ったのに何で怒られてんの?』って不思議そうな顔してますけど、自分では言われて納得というか、言い返せないですね。
赤見:やはりお父さんは、大きな存在なんですね。
田中:大きいです。最近は周りの方々が『父親を超えた』と言ってくれるんですけど、自分では全然そうは思いません。僕が現役を続けている間は、抜くことはないと思います。だってね、ここ何年かで僕も何回かリーディング獲らせてもらいましたけど、それを十何年続けた人ですから。1年だけでも大変なのに、並大抵の精神力ではないと思いますよ。昔から尊敬はしてましたけど、自分がリーディング争いを出来るようになって、余計に思うようになりましたね。
赤見:田中さんの勝負服は、その偉大なお父さんの勝負服を受け継いだものですよね。
田中:重いですねぇ。今でも重いですよ。勝負服を継ぐ時には、親父から『継ぐか』って言ってもらったんで、素直に嬉しかったんですけど。実際にその勝負服を継いだら、『お前には重すぎる』『バカ息子にはもったいない』って、散々周りから言われましたから。実際に継いでみて、その重みがわかったんです。親子の間だけで簡単に継いでいいもんじゃないって思い知らされました。
赤見:でも、今では田中学騎手といえば、その緑と赤の勝負服ですよ。お似合いです。
田中:ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね。ただ、さっきも言ったように、数字とかだけではなく、父を超えることはないと思うので。僕にとっては、本当に重みのある大事な勝負服なんです。だからこそ、その勝負服に恥じない騎手でありたいという気持ちは強いですね。
赤見:それにしても...、『バカ息子』って言われていた時代があったんですね(笑)。今はイメージないですけど。
田中:昔はね、違う方向に神経が行ってましたから(笑)。僕を変えてくれたというか、育ててくれたのは、関係者の方々はもちろんですけど、サンバコールという馬に出会ったことが大きいです。よくこの馬の話はしてるんですけど、本当に色々な経験をさせてもらいました。重賞の本命馬に乗せてもらったのも初めてだったし、その時は勝ちたくて勝ちたくて仕方なかったけど、勝てなくて...。いつものようにサンバコールの調教に乗ろうと思って待っていたら、目の前で先輩が乗って行ったんですよ。調教から乗り替わりですから、もちろんレースにも乗れません。あれは悔しかったなぁ~。それまでは『父親の七光りや』って言われてましたけど、その口惜しさをバネに変わりました。その先輩にだけは絶対に負けたくないって思ったし、そこから他の人たちの乗り方を意識するようになりましたね。
赤見:騎乗に対して、大事にしていることは何ですか?
田中:レースに関しては、返し馬から丁寧にするっていうことです。返し馬で馬と呼吸を合わせられた時には、レースでも折り合いが付くし、自ずと上手く行くんです。返し馬で掛かっているようでは、レースで絶対に思い通りにはなりません。その馬その馬に合った返し馬を丁寧にしてあげること、それを大事にしてますね。
的場文男さんなんか、本当に丁寧じゃないですか。園田に来た時でも、ものすごく長く返し馬しますからね。あれはなかなか出来ることじゃないですよ。若い子らにやってみろって言っても、今はパーッとキャンターで流す子が多いですから。
赤見:昨年は川原正一騎手が全国リーディングを獲り、田中騎手は3位、木村健騎手は4位と、3人揃って全国リーディングの上位に名を連ねました。現在の兵庫は、このトップ3のぶつかり合いが見ていて楽しいです。
田中:3人ともそれぞれスタイルが違いますからね。特にタケ(木村健騎手)とは子供の頃から一緒に遊んだ仲ですから。昔っから元気よくて、色んなことして遊びましたね。(小牧)太さんや(岩田)康誠が抜けて、『園田もしょぼくなったな』って言われたらイヤじゃないですか。だから、ここ何年かはタケと一緒になんとか競馬場を盛り上げて行きたいなって話してます。
よく、『静の田中、動の木村』って言ってもらうんですけど。アイツみたいに、ガンガン追っていくような乗り方は僕には出来ないし、いいレース見せられれば『やっぱりお前すげーな』って正直に言いますね。アイツも僕のことを認めてくれてるんでね、だからこそ負けたくないっていう気持ちはあります。幼馴染みで、いいライバルですね。
赤見:それでは、2014年の抱負をお願いします!
田中:今はシーズンじゃないですけど、ナイターも定着して来て新たなお客さんが増えてるのかなと思います。ナイターの時はいつも以上にお客さんが来てくれるんで、モチベーションも上がりますね。
最近はネット投票もだいぶ普及して来て、売り上げも伸びているので、とても感謝しています。いつもネットで買ってくれる方々が、『目の前で競馬を見たい!』って思えるような、迫力のあるレースをしたいと思います!
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※インタビュー / 赤見千尋
兵庫所属の松浦政宏騎手は、2013年9月12日に通算1000勝を達成。兵庫では上位4名の騎手が強力ですが、12月18日現在で第6位となる勝ち星を挙げています。
浅野:通算1000勝達成、おめでとうございます。昨年はケガで半年ほど休んだわけですが、通算1000勝というのが復帰への意識としてあったんでしょうか。
松浦:いえ、それは特になかったですね。デビュー当初から、この仕事はケガがつきものだと思っていましたし、ケガしたからどうのこうのということは考えにはありませんでした。ただ、収入がとどこおるというのは大変でしたけど。
浅野:馬場入場時に負傷したわけですが、復帰まで意外と時間がかかりました。
松浦:最初の診断は全治1週間の打撲だったんですけれど、検査するたびにその期間が延びて、結局全治6ヶ月。左足の十字靱帯損傷のほかに、骨もはがれていて、そこをボルトで押さえてもまた取れる可能性があるらしかったんですよ。そういうわけで、中途半端な状態で戻るよりは、リハビリをしっかりしたほうがいいだろうという結論になったんです。
浅野:リハビリ中はどんな感じだったんですか?
松浦:リハビリ担当の医師から言われたことを家でずっとやっていましたね。4ヶ月後あたりから走れるようになって、半年後の12月中旬から馬に乗れるようになりました。今も手術したところが突っ張ることはありますが、実戦では意識することがないレベルですね。乗っている感覚も前と変わらないです。ただ、まだ正座はできないんですよ。
浅野:松浦騎手は騎手を引退して、4年後にまた騎手免許を取得されました。その間、よく騎手の体型を維持できたなあと思います。
松浦:ウチの一族には大きい人がいないので、そういう家系なんでしょうね。競馬から離れているときも、体重のことは気にしていませんでした。でもこの間のケガで休んでいるときに、少し体型が変わった感じはしますね(苦笑)。
浅野:それでも今年1月下旬に復帰したあとは順調に勝ち星を重ねてきています。
松浦:関係者の皆様にいい馬に乗せていただいているからですよ。そのおかげでの成績だと思います。自分としては、ファンや関係者のかたに納得していただけるレースをするということをいちばんに心がけていますね。新聞紙上の印がどんなのであろうと1戦1戦を一所懸命に乗る。それはデビュー当初から思っていることです。
浅野:そのなかで、数々の印象深い勝利を残してきました。多くのファンには、勝負どころから一気に差を詰めてくる紫の勝負服というイメージが、強烈に頭に刻まれているように思います。
松浦:やっぱりそう思われているんでしょうね。でも個人的には逃げ馬だったら逃げたいし、その馬の持ち味を出す乗り方をしようという気持ちですよ。
浅野:確かに、ポアゾンブラックとのコンビでは先行策で活躍しました。
松浦:あの馬は乗ったときから違うと思える感覚がありましたね。能力があるからこそ、難しい面もありました。1400mくらいまでなら押し切れるんですが、それ以上だと折り合いがどうしてもカギになります。兵庫ダービー(2着)のときは乗り難しかったですね。でも、それからJRAに移籍して活躍しているのはうれしいことです。
浅野:またトップを目指せる馬に巡り会いたいですね。
松浦:そうですね。ただ、レッドゾーンにしてもポアゾンブラックにしても、自厩舎の馬なんですよ。また活躍馬に乗せてもらいたいですが、ほかの厩舎から乗ってくれと依頼される騎手になってこそだと思うんです。そういう存在になれるように、技術はもちろんですが、人間として一流に近づいていきたいです。
浅野:松浦騎手がここまで来ることができた原動力は何なのでしょうか。
松浦:実家は社(やしろ・現在は兵庫県加東市)で、父親の勧めで騎手という仕事を考え始めて、那須(地方競馬教養センター)に行ってから初めて馬に乗ったぐらいなんですが、やるからにはやっぱり負けたくないなという思いはありましたね。でもすべては、いい人たちに出会えたことだと思います。
浅野:今後の目標などはありますか?
松浦:具体的な目標はないですね。任せられた馬を関係者が考えている成績より上に連れていけるように。それを積み重ねていくだけです。
受け答えに派手さはありませんが、それは松浦騎手がもつ誠実さと職人的な気持ちから来ているのだという印象を持ちました。コツコツと成績を積み重ねてきた松浦政宏騎手のさらなる前進に期待していきたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
10月17日に園田競馬場で行われたスーパージョッキーズトライアル第2ステージ。川原正一騎手は、そこで5着2回と着順をまとめ、第1ステージでの首位を最後まで守り、11月30日、12月1日にJRA阪神競馬場で行われるワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)への出場権を手にしました。今年の川原騎手は、地方競馬全国リーディングを独走中(10月29日現在)。54歳にして、なお進化を続けています。
浅野:スーパージョッキーズトライアルの優勝、おめでとうございます。
川原:ありがとうございます。全部、それなりの成績がある馬に乗せてもらえていましたし、ポイントを取りにいくレースをしました。船橋での第1戦は吉原くん(1番人気馬に騎乗して3着)が勝ちにいって、ぼくはポイントを取りにいった、その差が着順(川原騎手は2着)に出たのかなと思います。
普段のレースでもそうなんですけれど、自分自身が勝とうと思ってしまうと、馬に余計な負担がかかってしまうんですよね。だからいつも馬のリズムが優先。レース中のポジションとかは気にしないことにしています。それがぼくの基本ですね。
浅野:でも、2位の桑村真明騎手(北海道)とは1ポイント差。ギリギリの優勝でした。
川原:得点状況は気になりましたよね。トップで折り返したし、第2ステージは地元だし。最後は運がよかったんだと思います。個人的な心がけとして、自分は運がいいんだと思い込んでいるんです。周りにもそういうことを言っています。
浅野:しかしながら、1997年以来、16年ぶりのWSJS出場ですね。97年は3、3、1、1着という成績で優勝しました。
川原:あのときはNARから指名されて出場したんですよね。確か、笠松でのリーディング2年目で、勝率がよかったから選ばれたのかな。当時はJRAでのキャリアが今ほどなかったから、うまく乗れるか心配でした。でも行ってみたら、意外にちゃんと乗れましたね。最後のレース(第4戦・ゴールデンホイップトロフィー)ではステイゴールドを負かしましたし。いやしかし、世界の騎手と渡り合って優勝ですよ。今でも信じられないですね。表彰式のときもうれしかったですけれど、終わってから日に日に「すごいことをしたんだな」と感じてきたのを覚えています。本当に、競馬の神様がぼくに降りてきていたんだろうなあ。
浅野:そして今年は全国リーディングでもあります(10月29日現在)。好調の要因はどのあたりなのでしょうか。
川原:笠松の頃はトップを守ろうなんて思っていたんですけれど、今はあまり気にしません。与えられたひとつひとつを大事にやっているだけですよ。大きいのは、柏原誠路厩舎(10月29日現在、兵庫リーディングトレーナー)の主戦騎手にしてもらっていることかな。今日(10月24日)勝った馬も柏原厩舎。先生とはよくコミュニケーションを取っていて、この馬は先生に相談して、1700mの予定から1400mに変えてもらったんです。柏原先生は勝ちにこだわる人ですし、ぜひリーディングを取ってもらいたいですね。
浅野:笠松でトップジョッキーだった30代のときと50代である現在で、変わったところがあるとすればどのあたりでしょうか。
川原:技術的な部分や考え方、それから馬に対する考え方は、あの頃より上でしょうね。今はとにかくいいレースができればという、それしか頭にないですよ。勝っても負けても反省。馬のいいところを伸ばして、弱点が表に出ないようなレースをしてあげたいなと思っています。競馬は馬が主役。馬がいちばんしんどい思いをしているわけで、騎手なんてちっとも偉くないんです。30代の頃はそんなことあまり考えていませんでした。ただ、いくら自然体で乗ろうと思っていても、予想紙で本命印が並んでいると気持ちが前に行っちゃうんですよね(笑)。だからこそ、常に馬のリズムに合わせようと念じています。
浅野:今日も後半戦の全レースに騎乗していました。キャリアで補えるところはあると思いますが、でも若い頃とは違う部分はどうしても出てきてしまうような気がするのですが。
川原:やっぱり疲れ方は30代のころとは違いますね。今日も7鞍、明日は8鞍でも肉体的にはそんなに問題ないんですが、思い描いたような競馬ができないと疲れます。精神的な疲れが肉体に響いてくる感じ(笑)。競馬にはいいときも悪いときもあるんですけれど、いい競馬ができたときは疲れなんて全然感じません。
浅野:また、40代になってから兵庫に移籍されました。その点でもいろいろとご自身に変わってきたところがあるかと思います。
川原:兵庫に来た当初はどうしようか迷いましたよ。流れが笠松と違うから。最初のうちはこっちの流れに合わせようかと考えたんですけれど、やっぱり自分のやり方で貫こうと決めました。
それから競馬に対する考え方ですね。競走馬は馬主さんから厩舎スタッフがバトンを受けて、そしてぼくが最後にバトンを受ける。だからぼくは、みんなの信頼に応えられるようにしなければならないんです。だから私生活から正すようにと考えているんですよ。神様はいつも見ていますからね。そういう思いは兵庫に来てから強くなりました。
浅野:そして今年は結果も含めて充実していて、さらにスーパージョッキーズトライアルを優勝しました。WSJSへの抱負をお願いします。
川原:競馬は馬が主役だとは思いますが、WSJSはお祭りなので、そこに参加できるのはうれしいですね。前回のときに騎手人生の運を全部使ったと思っていたのに、また出場させてもらえるわけですし。だから今回は、37年間積み上げてきた思いや考え方、技術を出して、その上で楽しく競馬ができればと思っています。それで世の中の50代のみなさんにパワーをあげられればうれしいですね。自分は50代という自覚なんて、まるでないんですけれど(笑)。
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※インタビュー / 浅野靖典
毎年コンスタントに100勝以上をマークし、今年もその数字をすでにクリア。兵庫リーディングでは4位、重賞もここまで4勝と好調の下原理騎手に話をうかがいました。
斎藤:今年も9月ですでに100勝を超えて、重賞4勝。振り返ってみていかがですか。
下原:(100勝は)思ったより早かったというのと、重賞4勝は、どれももともとぼくが乗っていた馬ではないので、正直、ラッキーだったかなというのはあります。ありがたいことに声がかかって、そのときに重賞を勝てたのがうれしかったです。
斎藤:2006年から急に勝ち星が伸びて、2010年にはこれまで最高の161勝がありました。
下原:2006年は、ちょうど岩田(康誠)さんが中央に移籍した時期だったと思います。その少し前にチャンストウライがデビューして、ベストタイザンでもいい感じで勝たせてもらって、兵庫の中でも、外でも、名前を知ってもらえました。2010年は、木村(健)さんが休んでる年だったと思います。
斎藤:その2006年からずっと年間100勝を超えていますが、去年は89勝でした。
下原:去年は怪我をして3カ月ほど乗ってないんです。そのわりには最後に追い上げることができて、いい感じで終われたかなと思います。年間100勝は毎年の目標にしているんですが、それを続けるというのは、やっぱり難しいことです。
斎藤:今年重賞4勝のうち、2勝がエリモアラルマです。
下原:後方からの馬なんで、展開に左右されやすいところはあります。六甲盃は2400メートルが初めてだったんですけど、見てる感じと乗った感じとがぜんぜん違って、園田の2400メートルの流れにばっちり合う馬だと思いました。
斎藤:兵庫大賞典のほうも直線の追い込みがすごかったですよね。
下原:あのときは内枠で、できるだけ経済コースを通れたらなと思っていて、それがドンピシャとハマったという。4コーナーではまだわからなかったですけど、ゴール半ばでは勝ったと思いました。
斎藤:園田FCスプリントを勝ったエプソムアーロンもすごい追い込みでした。前が競り合うところを落ち着いて乗っているように見えましたが、自信があったんですか。
下原:前の4頭があれだけ競り合えば、止まってくれるかなとは思いました。スタートがそれほど良くなかったんで、その後ろから運べたのはラッキーでした。最後は乗ってる自分がびっくりするぐらいの脚でした。3コーナーあたりで溜めて息を入れる余裕があって、ただこの馬場では届かんかなあと思ったんですけど、ビューンと最後の2ハロン、すごい脚を使ってくれました。ああ、勝ってしまったって(笑)
高知から遠征のエプソムアーロンで園田FCスプリントを勝利
斎藤:兵庫サマークイーン賞では、マンボビーンで人気のアスカリーブルを負かしました。
下原:あれは一発勝負みたいなレースをしてしまって、ハマったというか......。アスカリーブルも気にはしていましたけど、ペースが思った以上に落ち着いたんで、自分から動いたんです。逃げる形になるとしぶといので、2コーナーから狙ったというか、まくってひと息入れて休憩しといたんですよ。アスカリーブルが来ているのはわからなくて、音が近づいてきたときがゴールでしたね。
斎藤:今、ほかに期待している馬はいますか。
下原:オオエライジンが帰ってきて、うちの厩舎にいるんですよ。追い切りを1本行ったんですけど、動きますね。ただ鼻出血を経験してるんで、それが再発しないかどうかですね。話に聞いたところでは、以前の一番いい頃はもっとしゃんとしていて、当時に比べるとまだまだ5割くらいじゃないですかね。
斎藤:デビューから18年、今までに思い出に残っている馬は。
下原:やっぱり一番はチャンストウライですね。そしてベストタイザン。あとは自厩舎のカラテチョップとか。
斎藤:チャンストウライはどういう馬でしたか?
下原:レースに行くと、ペースが速いと押してもなかなか進まなくて、で、ちょっと遅くなると、いくぶん行きたがる感じで、馬がペースを教えてくれる感じはありました。それでも仕掛けどころでちょっと気合を入れると、一気に行ってくれるような......。普段はやんちゃですけど、乗りやすいという一言ですね。距離も問わない馬でした。芝は走らなかったですけど。帝王賞は4着で、アンタレスステークスでも5着に来たときはびっくりしました。この馬はそのうち交流重賞勝つなと思っていたら、佐賀記念を勝ってくれました。
斎藤:ひとつ大きいところを勝つのと勝たないのとでは、違いますよね。
下原:そうですね。交流重賞を勝たせてもらった、そういう馬と出会えたというのは幸せです。誰もが経験できることではないですからね。今の兵庫だと、川原(正一)さんとぼくぐらいじゃないですか(ほかに北野真弘騎手が高知時代に黒船賞を勝利)、交流重賞を勝ってるのは。
斎藤:よく言われることですけど、活躍馬に出会うと騎手として変わるものですか。
下原:変わりますね。まだアラブの競馬のころに、ユウターヒロボーイという馬でうちの先生がチャンスをくれて(デビュー5年目)、それで勝ってなかったら、たぶん今、こんなに勝ってないと思うんです。ぼくの騎手人生で初めての重賞勝ちでした。今のぼくがあるのは、ユウターヒロボーイがあって、チャンストウライがあって、ベストタイザンがあって、という感じです。
人間に自信がつくというか、馬を勝たせるということよりも、うまく走らせてあげたいっていう気持ちに変わります。若い頃は勝ちたい勝ちたいってドキドキするじゃないですか。それが、しっかり乗って、負けたら負けたで仕方ないっていう気持ちで臨めるようにはなりましたね。その余裕があると、最後の直線でパッと脚を使ってくれたりとか、ちょっとしたことで変わってくるとぼくは思います。どうしようって思った時に、いかに落ち着けるかですね。
斎藤:そのだ金曜ナイターが始まって2年目。兵庫の関係者にとっては念願のナイター開催だったと思います。実際に始まってみていかがですか。
下原:客層がすごく変わってきていて、乗っていても気持ちいいですね。特に最初のときと、お盆のときもすごかったですね。直線で1、2着を争う接戦になって、『うわー』っていう歓声が上がると、うしろからもう1頭来たなっていうのがわかります(笑)。馬の脚音より先にファンの歓声で。ただ、もうちょっと(馬券が)売れてくれたらと思います。場外発売が限られていますからね。
斎藤:今年はすでに100勝を達成していますが、近いところでの目標と、将来的な目標をお聞かせください。
下原:近い目標としては、1500勝を早めにできたらいいなと。あと50勝ちょっと......今年は無理ですかね、来年ですね。怪我をしないようにがんばります。
斎藤:さらにその先、調教師は考えてないですか。
下原:それが難しいところなんですよ。まだ乗りたいという気持ちもあるし、調教師っていう感じもぼくにはないし。(調教師の)試験を受けるとかはまだ考えたことないです。デビューしたときの目標は、1000勝くらいかなと思っていたんですけど、やっているうちに1500勝にいけそうなんで、もうちょっと乗れそうやから、無事に2000勝できたらいいかなって思います。で、また走る馬に出会えたらいいなと思います。
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※インタビュー・写真 / 斎藤修