
兵庫の若手筆頭、大山真吾騎手。実は動物が苦手、でも馬は好き、なんだそうです(笑)。これまでの競馬人生を振り返ってもらいました。
秋田:デビューしてから10年目に突入です。これまでの騎手生活はいかがでしたか?
大山:もう10年ですか?!あっという間ですね。僕はすごく恵まれていると思います。最初からいろんな馬に乗せてもらえましたし、 いろんな経験もさせてもらえましたから。デビューした時に厩舎の先生が、いろいろなところに頼んでくれたことが大きかったですね。
秋田:周りからの期待や評価は気にしましたか?
大山:あんまり気にしていませんでした。毎日の調教やレースで必死でしたね。
秋田:2003年にデビューした時、当時のリーディングを見ると豪華な面々ですよね。
大山:小牧さんや、赤木さんとは短かったのですが、この騎手達と一緒に乗れたのは財産になったと思います。今になって生きているというのはありますね。
秋田:そんな中、2004年には新人でもう50勝!
大山:うーん。この年は騎乗停止など処分も多かったので、反省することの方が多かったんです。若さゆえというか......。
秋田:この年は、菊水賞で初重賞勝利もあげました。
大山:重賞に騎乗したのが2回目だったと思うんですが、ヤッターとうより勝っちゃったという感じでした。正直、僕自身が重賞の重みを分かっていなかったので。そういう意味では、今年勝った六甲盃の方が嬉しかったです。
秋田:2007年から2009年まで、3年連続で100勝以上、騎乗回数も1000鞍を超えています。この頃は、自信もついてきたのではないですか?
大山:そうでもないです。
秋田:でも、このメンバーの中で騎乗数を確保することも相当大変だと思うのですが。
大山:誰かが乗れなかった馬に乗せてもらったりだとか、良い感じに馬がまわってくれていたので、確保という意識はありませんでした。
秋田:この時は、リーディング5位まできました。その上の壁ってあるんですか?
大山:はい。リーディング3位以上の、その壁はものすごく高いです。技術的なことなど、上位の騎手との差を感じることはありますけど......。でも、そこを目指していかないと。
秋田:その壁を超えるにはどうすればいいと思いますか?
大山:うーん、何をすればいいのか......。それを常に考えている状態です。
秋田:2010年、大井競馬に所属して、南関東で期間限定騎乗しましたね。
大山:25歳以下の若手騎手という条件がもうこの年しか当てはまらなかったので、行ける時に行かないと、もうこんな機会ないと思いまして。南関東は頭数も多いし、馬群をさばくのも大変でした。それに、左回りに乗ったことがなかったので、川崎、船橋、浦和で乗れたのは良かったです。上手い人もたくさんいますから、良い経験になりました。
秋田:期間限定騎乗では、81戦1勝、2着5回、3着4回という成績でした。
大山:2着が1日3回という日があったんですよ。写真判定で負けたりして、悔しかったですね。たくさん乗せてもらえましたが、もっと勝ちたかったです。
秋田:去年は大きなケガがあり、長期離脱をせざるをえませんでしたね。
大山:5カ月くらいかかりました。落馬した時にその後立てなかったのでダメだなと思いました。病院でレントゲンを見たら、膝のお皿がクシャってなっていて。最初は2カ月って言われたんですが、リハビリしていくうちに2カ月じゃ無理だろ、って感じていて、そうしたらやっぱり無理でしたね。
秋田:不安や焦りは?
大山:焦っても仕方ないと思っていました。ちゃんと直さないと迷惑かけちゃうし。レースを見ると乗りたくなりますけど、でも見ていました。外から競馬を見るのも良かったというのは感じましたね。
秋田:園田競馬は、今年の9月からナイター競馬が始まりました。
大山:レースは明るかったですし、乗りやすかったですよ。特に初日はお客さんがたくさんいたので嬉しかったです。金曜のナイターってちょうどいいですよね。仕事終わって、お酒飲みながらなんていいじゃないですか。お客さんあっての競馬場ですから、もっと知ってくれるといいですね。
秋田:これまでに、思い出に残っている馬やレースを教えてください。
大山:デビュー2年目で、帝王賞に乗せてもらえたことがすごく思い出になっています(05年、ニューシーストリーで10着)。JpnⅠなんて、ここまで大きいレースに騎乗したことがなかったですし、ましてやお客さんもめっちゃ多かったから。感動というか、こんなところで乗せてもらって幸せ者だなと思いました。やっぱり、お客さんがたくさんいるとテンション上がりますね。僕はそういう状況だと、気持ちも乗っていくタイプなんで(笑)。
秋田:ライバルだと思っている騎手はいますか?
大山:同期の山崎誠士(川崎)には負けたくないなと思っています! 向こうは分かりませんけど(笑)。誠士は南関東でもけっこう勝ってますもんね。デビューの時はお互い新人賞をもらっていたりしましたし。
秋田:仲も良さそうですね(笑)。じゃあ、いつかはSJTなどで対戦できるといいですよね。
大山:はい。いつかそうなるといいですね!
秋田:騎手生活も10年目に入りました。これからの目標を教えてださい。
大山:正直、ちょっと伸び悩んでいるので、ガツンともう一皮むけたいですね。
秋田:では最後に、大山騎手の夢は?
大山:リーディングジョッキーです!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
兵庫の騎手会長を務めていたこともある人望の厚いベテラン、永島太郎騎手。10月12日現在、兵庫リーディング4位。今年は順調に勝ち鞍を伸ばし、自身久々となるリーディングトップ5入りも可能性十分な位置につけています。
秋田:どうして騎手になろうと思ったのですか?
永島:父親が競馬好きで、京都競馬場に連れていってもらったんです。その時に、目の前で走っていく馬と騎手を見てかっこいいなと思ったことがきっかけです。中学校を卒業する前に背が小さかったので、騎手になろうと思いました。
秋田:まずはJRAの受験をしたのですか?
永島:はい。中学3年の時に受けて、2次試験で体重がオーバーしてしまったんです。43キロが規定ですが、実際に体重計に乗ったら43.7キロで......。その時点で試験官には、帰れと言われました。体重を計ることが分かっていたのに、前日バカ食いをしてしまって。騎手として、その日に体重を調整するには一番大切なことなので、それは仕方ないですね。
秋田:でも騎手は諦めずに、地方競馬の受験に気持ちを切り替えたんですね。
永島:JRAの受験では体重で失敗してしまったのが現実。その時は成長期なので、1年間我慢してJRAの試験をまた受けるまでに、自分が成長しないという自信はなかったですし。地方競馬の受験の時は、体重もしっかりクリアしました。
秋田:デビューは1991年4月29日、エルテンリュウに騎乗し、初騎乗初勝利。その時のレースは覚えていますか?
永島:鮮明に覚えています。同期の2人はこの日何鞍か乗っていたのですが、僕はこのレースだけでした。この馬自身も未勝利で人気もなかったので、気楽というか、ただ後ろをずーっとついていったら、いつの間にか先頭に立っていたんですよ。勝っちゃった、という感じでしたね。でも、しっかりガッツポーズはしていました(笑)。
秋田:それから22年。地方通算1630勝、重賞は16勝をあげています(10月12日現在)。これまでに思い出に残っている馬やレースを教えて下さい。
永島:レースに関しては、特にこれというのはありません。馬はノースタイガーというアラブの時代の馬です。今もたくさんいい馬に乗せてもらっていますが、あの馬の背中の感触を超える馬はまだいません。
秋田:1998年の兵庫大賞典を勝っていますね。どんな馬だったのですか?
永島:説明は難しいのですが、本当にいい背中でした。車でいうと高級車ですよね。アクセル吹かせばグッと進むような。4歳の時に10連勝しましたが、気性が激しくてね。一度、重賞でゲートを潜ってしまって競走除外なったことあるんです。ゲートが開いたら一目散に走っていくという、そんな逃げ馬でした。除外になった時は、誰よりも早くゲートを出たんですけどね(笑)。もちろん、兵庫大賞典も逃げ切りでした。
秋田:ノースタイガーを超える馬に出会えるといいですよね。
永島:そうですね! だから、今もいろんな馬に乗せてもらえるのが楽しみなんです。
秋田:これまでに、大きなケガはされましたか?
永島:23歳の時です。お正月開催の最初のレースで、準備運動中に他の馬がバカついて、その馬と自分の馬に挟まれてしまったんです。それで、足の指が5本とも折れてしまいました。年始早々のレースだったし、その馬も勝てるチャンスがあったので乗りたかったんですけど、足が痺れていたので馬から降りたら最後、もう立てなくて......。長靴を脱いだら、骨が折れているものだから、指がぽろぽろーんという感じで...
秋田:そ、それは、想像を絶します......。復帰までどれくらいかかりましたか?
永島:4カ月くらいです。
秋田:たったの4カ月間で!? でも、騎手の4カ月間は大きいですね。
永島:ちょうど、小牧さんと岩田君の次で、リーディング3位。良い感じに成績も上がっていた時でしたから。でも、その2年前に結婚して、ちょうど妻が妊娠して臨月の状態で......。妻には迷惑をかけてしまいましたが、生まれてくる子供のためにもがんばらなくちゃという気持ちでした。
秋田:さて、今年はリーディング4位という位置です。今のところご自身の評価はいかがですか?
永島:僕のように、ある程度の成績をおさめたり、ガタガタ下がっていったり、こんな騎手は珍しいタイプだと思います。また今年はたくさん勝たせて頂いているので、この良い流れに自分の技術がちゃんと繋がっていくように、まだまだがんばりたいです。
秋田:ところで、兵庫の騎手って、なんでこんなに層が厚いと思いますか?
永島:先輩の厳しさだったり、後輩の研究熱心さだったり、そういうことが受け継がれているのだと思います。調整ルームで一緒にレースのビデオを見ている時に先輩からアドバイスを受ける、それに真剣に耳を傾けて、次の日にでも実践しようとする後輩の姿がある。そんな日常が伝統になっているんですね。
秋田:兵庫競馬といえば、9月7日から「そのだ金曜ナイター」が始まりました。初日の感想を聞かせて下さい。
永島:ナイターの実施は、以前から関係者の一つの願いだったので、やっと辿りついたという気持ちでした。やはりお客さんの層も違いましたし、入場してくれた人も多かったですよね。久しぶりにあんなに盛り上がった中でレースができたので、僕たちもモチベージョンがあがりました。
秋田:実際にレースに騎乗してみていかがでしたか?
永島:僕自身は、ナイター競馬に乗ったことがありましたし、基本的に騎手は、ある程度の明るさがあれば乗れます。朝の調教だと、もう少し暗い状態で乗っていますし。
秋田:馬もいつもと違うリズムになるわけですが、影響は?
永島:それは馬によりけりですけど、厩務員さんもプロなので。ご飯を食べて、どれくらいでレースだっていうことは馬も分かっていますし。調教も、レースに合わせて行っていますから。ただ、ナイターの時だと明るい暗いがはっきりしているので、急にテンションが上がってしまって、本来の力が出せないという馬も、時にはいると思います。
秋田:ナイター開催の手ごたえは?
永島:もちろん手ごたえはあります。若い方や、家族連れが多くて、昼間の開催とはちょっと違うスタンドでした。ファンに楽しんで頂けると思ってみんながんばっていますので、もっと認知度が上がればお客さんは来てくれると思います。
秋田:では最後に、今後の目標を教えてください。
永島:騎手という仕事が好きなので、もっともっと上手くなってがんばりたい。人前に出る仕事ですから、有名になりたいですね!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
大柿騎手(22歳)といえば、『園田プリンセスカップ』(昨年9月22日)で初重賞制覇を成し遂げた表彰台で、恋人にプロポーズをしたことで一躍有名になった騎手です。
竹之上:まずはプロポーズに至った経緯を教えてくれる?
大柿:もうそろそろ彼女と結婚しようかなぁと思ってたころで、そんなことを調教中に北野(真弘騎手)さんに話してたら、「お前今度重賞で勝てそうな馬がおるやろ。その表彰式のときにしたらどうや」って言われたんです。
なんと、あの衝撃プロポーズは、北野騎手の発案だったのです!
レースの前の週、騎乗するアスカリーブルの話を訊きに行ったとき、神妙な顔で大柿騎手がにじり寄り「実はそのことで相談が...」と言ってきたのです。「もし勝ったら、当日来る彼女に表彰台からプロポーズをしたいんですけど、そんなことをしてもいいですかね」と。
竹:ええがな、前代未聞やけど、やってみたらええがな。って言ったけど、あかんって言ってらどうしてた?
大:どんな形でもプロポーズはしようと思ってました。結果的に表彰台で伝えることができて良かったです。でも、あのときはめっちゃ緊張しましたよ。
竹:そうやな、若手騎手が初重賞制覇するわけやし、嬉しくてたまらないか、涙を見せるかっていうのが相場やけど、ガチガチになって青ざめてた感じやったもんな。
大:あの日は乗り鞍自体があのレースだけだったので、朝からレースのことばっかり考えてました。内枠だったので、初めて砂をかぶる競馬になったらどうしようと不安になっていました。だから勝ったあとはホッとするところなんですけど、まだこのあとやることがあるんやと思ったら、めっちゃ緊張してきて...。
「こんなぼくですが、結婚してください!」と直球のプロポーズ。もちろん成功して、3月3日に入籍。3月30日に挙式の運び。多くの人が見届け人になったわけやから、絶対に幸せになるように!
竹:甘い新婚生活が待っているところやけど、6月から南関東の船橋で期間限定騎乗することが決まってるんやね。
大:そうなんです。でも、彼女には早い段階から遠征に行くってことは言ってましたから、納得してくれてます。それより、自厩舎(山口浩厩舎)の方が気がかりで...。だから先生になかなか言えなかったんです。
竹:厩舎に迷惑がかかることを心配したの?
大:調教している馬の数は、西脇トレセンの中でもかなり多くやっている方だと思います。だから、ぼくが船橋に行っている間、誰かに負担がかかるわけじゃないですか、それがあるので先生からお許しが出ないんじゃないかと思ったんです。
竹:でも先生は許してくれたんやね。
大:意外にあっさりね(笑)。「何かつかんで帰ってくるんやったらええよ」って。
竹:いいこと言ってくれるねぇ。
大:「調教がしんどくなるなぁ」って冗談で言われましたけどね(笑)。ただ、調教がしんどくなるのは事実なので、だから3ヶ月まで遠征できるんですが、2ケ月の申請にしたんです。うちの厩舎のことを考えると、それが限界かなと。
船橋での所属厩舎は天下の川島正行調教師の息子さんである川島正一厩舎となりました。
大:うちの厩務員さんが大井の関係者と親しいから聞いてみると言ってくれてたんですが、話がまとまらず、最後の切り札として取っておいた、川島正太郎(船橋騎手)に直接電話をして頼んでみたんです。ぼく彼と同期なんですよ。
竹:ええカードを残してたなぁ。そういえば、アスカリーブルは川島正行厩舎に移ったんやね。ひょっとして騎乗依頼があったりして。
大:それはないでしょう。あったら嬉しいですけどね(笑)。でも、川島正一厩舎にも、うちの厩舎にいたプレミールサダコがいるんですよ。何かの縁かなぁって思いますね。
竹:アスカリーブルが『ユングフラウ賞』で強い勝ち方したよね。どう見てた?ずっとこっちにいて乗り続けたかったとは思わない?
大:別に思いませんね。移籍はしょうがないことですから。それより、デビューから乗せてもらって無傷の4連勝で重賞制覇させてもらったんですから、すごく感謝しています。結婚にも繋がりましたしね(笑)。とにかくアスカの活躍は素直に嬉しいです。
デビューから5年目を迎える大柿騎手。初年度に16勝。2年目には50勝(リーディング12位)を挙げる大活躍。しかも騎乗回数は群雄割拠の兵庫において、新人としては破格の842回という騎乗数。これはその年の39名中、5位の記録だったのです。
しかし、その後は23勝、29勝と落ち込み、今年は2月23日現在、まだ2勝。乗り数も大きく減少傾向にあり、完全に伸び悩みといえる状況です。
大:はい、完全に伸び悩んでいます。デビューした頃はうまくいくことが多かったのですが、最近は...。周りの人からは下半身が不安定やと言われるんです。とくに理(おさむ・下原騎手)さんには厳しく指摘されますね。
竹:いくら先輩でも、本当は賞金を取り合うライバルなわけやし、アドバイスしてくれるってありがたいね。
大:本当に理さんには技術面でいつもいいアドバイスをもらっています。それから、精神面では北野さんにケアしてもらってますね(笑)どちらも面倒見のいい優しい先輩です。
竹:いい先輩に恵まれてるね。それで、新人のときにできたことが、いまできないのはどういうところだと思うの?
大:デビューしたての頃の方が、騎座がしっかりしてたんだと思います。教養センターでやってた鍛錬が効いていたんじゃないでしょうか。あのときの教官で杉山先生って方がいたんです。その先生に毎日課せられていた下半身強化のトレーニングがキツかったんですけど、すごい効果があったんです。
いまでも行き詰ると、杉山先生に連絡してアドバイスをもらっているという大柿騎手。その声に触れ、初心に帰ることに、はたと気付かされます。
竹:またそのトレーニングを始めたんやね。
大:毎日ってわけじゃないですけど、徐々に始めています。初心を思い出して、もう一度立て直そうと。そんな時期に南関東への遠征話も入り、結婚して家庭を築いていくわけですから、もっとしっかりせなあかんと思ってきたのです。一からやり直すぐらいの気持ちで頑張ります!
竹:最後に、今後の目標を聞かせてくれる?
大:技術としては理さんのようなレースができるようになりたいですね。ロスなく立ち回って、馬をスムースに動かすんですよね。それと、自厩舎の馬には全部乗りたいです。先生に「全部お前に任せる」って言われるぐらい信頼される騎手になりたいです。
竹:もうない?
大:本音を言えば、兵庫は川原さんや木村さん、学(田中騎手)さんなど、本当にすごい人たちばかりですよね。すごく勉強になるんです。だからこそ、ここでトップに立ちたいって、やっぱり思いますよね。
竹:うん、その言葉が欲しかった!南関東でも頑張ってな!
大:はい!何か見つけて帰ってきます!
これから彼の騎乗ぶりの変化に期待しましょう。南関東での活躍にも期待しましょう。そして次に目標を訊いたときに、すぐさま「トップを獲りたい!」と言える逞しさが備わっていれば、兵庫県競馬の未来は明るいものとなるのです。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
いまをときめく兵庫のスターホース、オオエライジンがいる橋本忠男厩舎に所属する吉村智洋騎手。
同馬に騎乗した経験のある、数少ないジョッキーです。
吉村:最初はひ弱で頼りない感じのする馬だったんです。それがレース毎に成長していって、前走のレース前にも乗りましたけど、やっぱり凄いですよ!
竹之上:レースでも乗りたい?
吉:そら乗りたいですよ!でも、やっぱり木村さんしかないですわ(笑)。
そう先輩騎手を立てる吉村騎手も、気がつけば今年で10年目の(12月26日で)27歳。デビューしたころのあどけなさもすっかり抜けて、いまや兵庫を支える立派なジョッキーへと成長を遂げています。
通算495勝(12月8日現在)。500勝のメモリアルがもうすぐそこに迫っています。今年の勝ち鞍は61勝で、リーディング第9位。ここ5年は常に10位以内を確保しているように、安定した成績を残しています。
プライベートでは、ふたりの男の子の父親。その息子さんも、年が明ければ6歳と4歳になるんだそうです。
吉:ジョッキーの結婚は早いか遅いか極端ですよね。ぼくは20歳のときに、3つ上の嫁さんと結婚したんです。
竹:息子さんにはジョッキーになって欲しいと思う?
吉:家で仕事の話はほとんどしないんですけど、上の子は「なりたい」って言うことがありますね。でも「危ないから」ってちょっとビビってますけどね(笑)。
家族の話になると、少し照れながらもにこやかに話す吉村騎手。ところがレースに行けば、大胆な騎乗ぶりが持ち味。彼を良く知る園田ファンならお分かりでしょうが、一気に突き抜けるマクリが印象的なジョッキーです。
竹:大胆なレースも魅力あるけど、最近はレースの流れもよく見えて良いレースができてるなぁと思ってんねん。
吉:そうですか、ありがとうございます。実は自分で変えていこうと思って、意識してるんです。ぼくはレースでいつも一気に行ってしまうんですけど、それを徐々にスピードアップできるようにと思ってるんです。
竹:じゃあ、大胆なマクリ戦法は封印するかも知れんってこと?
吉:マクリの合う馬もいるんですけど、あの戦法は馬の力があればこそですからね。それと、じっくり乗った方がいい場合もあるのに、どんな馬でも行ってしまってたところがあるので...。実は、ぼくこう見えて神経質なんですよ。じっくり乗った方がいいと分かっていても、つい不安がよぎって一気にマクってしまうんです。
分かるような気がする。自分の不安を悟られまいと、相手を威嚇するような態度を取ってしまうことって、誰しも経験のあることかも知れません。
竹:前から気になってたんやけど、レース中に後ろを何度も振り返るようにキョロキョロしてるときがあるよね。それもメンタルな部分の問題?
吉:そうなんです。自分が先頭に立って、もう大丈夫と分かってても、また不安がよぎるんです。うしろから誰かが来るんじゃないかって。
レースぶりや言動から受ける印象とは裏腹に、これほどまでにナーバスであったとは、人の本質は訊いてみないとわからないものです。だからこそ面白い♪
吉:周りの人からもよく、お前は力はあるんやから、もっと冷静になれって言われることがあるんです。よーいドンで追い出せば、誰にも負けないぐらい追えるのに、そこに至るまでに馬にムダ脚を使わせてるから負けてしまうんやと...。
竹:良いこと言ってくれる人がいるんやなぁ。他にも変えていこうと思ってるところはあるの?
吉:喋りすぎるところですかね(笑)。お前しゃべんな!とか、喋らんかったらもっと伸びるぞ!とか言われますもん(汗)。口は災いのもとって言うでしょ。アレですね(笑)。これからはそのあたりも気をつけて行きたいと思います。
確かに吉村騎手はよく喋ります。いらんこともよく言います。しかし、それは彼の照れ隠しであり、不安を悟られまいとする防御本能がそうさせているのかも知れません。話をしていくうち、そんな気がしてきました。
竹:レースの話に戻るけど、なぜ自分のスタイルを変えていこうと思ったの?
吉:もっと上を目指したいと思うようになったんです。騎手になった以上、トップを獲りたいと思わなかったらウソですし、一番眺めの良い景色を見てみたいんです。
そのきっかけともなったレースが、重賞レースの『園田チャレンジカップ』(8月31日)でした。9番人気と低評価だった自厩舎のコスモピクシーに騎乗して、鮮やかな差し切りで快勝するのです。
吉:実を言うと、あのときのコスモピクシーは調子が良くはなかったんです。夏負けの尾を引く状態で、はっきり言って自信なんてありませんでした。でも、結果的にはそれが良かったんです。調子があまりよくないからこそ、無理に馬を動かそうとせず、レースの流れに乗って行くことができたんだと思います。
竹:おぼろげにある自分の理想のレース運びと、うまい具合に合致したんやね。
吉:そうなんです、だからこれからはそれを意識してできるようになりたいんです。それでも、また不安になって、外からビュンって行ってしまうかも知れませんけどね(笑)。
吉村騎手の馬を動かす技術は、兵庫のトップジャッキーですら認めるところ。なのに、いまの地位から抜け出せないでいるのは、自身が神経質と言うように、精神面の弱さなのかも知れません。しかし、いまそのコンプレックスを克服しようとしているのです。
吉:トップを獲るには、トップを獲りたいという気持ちがないと絶対に獲れないと思うんです。もう無理やと思った瞬間に、そこから離れていくんやと思うんです。
10年という節目を迎えて、湧き起こってきた勝利への飽くなき欲望。あえて自分の弱い面をさらけ出し、熱く語ってくれた彼に、希望の光を見出すことができます。必ずや兵庫を引っ張っていく存在となることを確信させてくれました。なぜなら、コンプレックスは他人に披露した瞬間、もうコンプレックスではなくなるのですから。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
兵庫のジョッキーは良い意味での調子乗り。中でもその代表格的存在が坂本騎手。
先日、門別競馬で行われた『道営記念』に騎乗依頼を受けて参戦。そのときはホッカイドウ競馬の最終日。ファンと騎手とのふれあいセレモニーでマイクアピールをしたんだそうです。
坂本:呼ばれてなかったんですけど、出て行ったんですよ。主催者のマイクを奪って兵庫の坂本でーす!って。せっかく行ったんですから、何かしないと。
竹之上:あはは、やっぱり調子乗りやな!
坂:でも、兵庫には変な奴がおるなと思われても、それがアピールに繋がるんですよ。あそこで何もしなかったらぼくの名がすたるんです。
竹:そこまで言うとは、さすが代表格や!
来年、デビュー20年を迎える坂本騎手は、昨年初めて100勝(104勝)の大台を突破。前年の37勝から超ド級の躍進です。昨年末の怪我で今年は2ヶ月のブランクがありながらも、11月24日現在78勝。その実力を証明しています。
竹:勝ち鞍が一気に増えたけど、何が変わったの?
坂:何か分からないですけど、周りの人たちのお陰であるのは間違いないです。乗せてもらってなんぼの商売ですから、ただただ乗せてくれる人たちに感謝です。
乗せてもらえるようになるには、その信頼を勝ち得なければなりません。"逃げの坂本"や"マクリの坂本"と言われるように、個性的なレースぶりで結果を残し、次第に信頼度も高まっていくのです。
坂:先輩騎手の意見を聞いて、それを自分に活かそうとしましたね。逃げに関しては松平さん(逃げ先行の名手)に良く聞きました。でも、それを聞いてそのままやってたんじゃいつまでたっても松平さんを超えることはできません。そこに自分なりのアレンジを加えていかないとダメだと思うんです。
竹:逃げている馬がペースを握っているんじゃなく、2番手の馬がペースを握っているんだといつも言うよね。
坂:2番手の馬の動き方次第でペースは変わりますからね。そのかけ引きでレースが変わります。それがうまくいくかいかないかで、結果は大きく違ってきますからね。
逃げやマクリなど、一見派手に映る坂本騎手のレースぶりですが、その中には緻密な計算があることに気付かされます。それが証拠に、将棋は有段者級の腕前だとか。何手も先を読んでの騎乗が、好結果をもたらしているとも言えます。
坂:竹之上さんやったら歩三つで勝てますわ(笑)
竹:なんやて!腕に覚えはないけど、歩三つやったら勝負したるわ!
坂:あっ、その時点で負けですよ。歩三つだけやったら勝負しようって思った時点でもうぼくの勝ちですわ(笑)平手で勝とうというぐらいの気じゃいないと。
なぬっ!もう勝負は始まっていたのか!しかも既に負けていたとは...。心理戦にも長けているというのも、好成績に繋がるひとつの要因でもあるようです。それにしてもナメられ過ぎてる...。
実は坂本騎手は二世ジョッキーで、父も兵庫で活躍するジョッキーでした。30年以上も前、泥んこ馬場の姫路競馬場で落馬、還らぬ人となったのです。
坂:ぼくが4歳になったばっかりのころでした。父が乗っているところを観に来た記憶がありますけどその程度です。
竹:じゃあ、ジョッキーになろうと思ったのは?
坂:叔父さんにあたる戸田山先生(所属厩舎)が誘ってくれたんです。思いっきり食べても太らなかったし、これならいけるかなって。
竹:でもご主人を亡くしているお母さんにとったら、反対したいところだったんじゃないの?
坂:母親は、危ないからって勧めませんでしたけど、その裏では騎手になって欲しいっていう思いもあったと思うんです。口には出しませんでしたけどね。父親が息子にはJRAの騎手になってもらいたいって言うてたらしいですから。
父の密かに抱いていた夢を、その遺伝子を受け継ぐ息子が目指すというのですから、止めることなどできなかったのでしょう。
11月12日、ひとつの夢が叶います。初めてJRAで騎乗するチャンスを得たのです。
坂:JRAの騎手になったわけじゃないですけど、JRAのレースに乗れたことで、父親に良い報告ができたと思います。でも今回は初めてだったので、次はしっかりと結果を残して帰りたいと思います。新しい目標ができました。
常に前向きな考えの坂本騎手。くよくよしたり、嫌な思いを引きずったりはしないそうです。
坂:それでも、失敗すれば反省しますよ。それが次に活かすための糧になるかも知れませんしね。それに、緊張でガチガチになるってこともないですね。緊張して馬が走ってくれるんならなんぼでも緊張しますけど、そんなことはないですもんね。
竹:ところで、最近重賞レースの勝利からずいぶん遠ざかってると思うんやけど?
坂:それはあまりこだわっていません。ひとつひとつのレースで、馬の力を十分に出させるのが騎手の仕事ですから、レースの格で変わるものじゃないです。しっかり乗って勝てて、結果的にそれが重賞であれば嬉しいですけどね。
竹:そう言えば、99年の『アラブクイーンカップ』は涙の初重賞制覇やったよね。
坂:ちゃいますよ!あれはみんな泣いてたって言いますけど、ぼくは泣いてないですよ。レース前は勝ったら号泣するんやろなぁって思ってたんですけど、実際は全然でしたよ。本気では泣いてないんですよ!
泣いてるやん!
とにかく明るく元気な坂本騎手。取材中も喋り出したら止まりません。まだまだ書きたいことはいっぱいあるのですが、ひとまずこれで終えておきます。最後に彼が明言を吐きます。
坂:ぼくはいつも明るいからアホやと思われてるんです。でもそのアホも計算なんです。笑われるんじゃなく、笑わせないと。
芸人か!と突っ込ませるほどのこだわりを見せる坂本騎手。関西人らしくてとてもいい!しかもレースで結果を残しているんですから、文句のつけようもありません。レースでファンを魅了するパフォーマンス、馬を下りてからの振る舞いも全て計算し尽くされたものなのです。
ですが、ただひとつだけ誤算がありました。彼は知らない。ぼくが小学校6年生のころ、将棋クラブの部長だったということを。むはは!いつでも勝負してやるぞ!
やっぱり、歩二つでお願い...。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一