大柿騎手(22歳)といえば、『園田プリンセスカップ』(昨年9月22日)で初重賞制覇を成し遂げた表彰台で、恋人にプロポーズをしたことで一躍有名になった騎手です。
竹之上:まずはプロポーズに至った経緯を教えてくれる?
大柿:もうそろそろ彼女と結婚しようかなぁと思ってたころで、そんなことを調教中に北野(真弘騎手)さんに話してたら、「お前今度重賞で勝てそうな馬がおるやろ。その表彰式のときにしたらどうや」って言われたんです。
なんと、あの衝撃プロポーズは、北野騎手の発案だったのです!
レースの前の週、騎乗するアスカリーブルの話を訊きに行ったとき、神妙な顔で大柿騎手がにじり寄り「実はそのことで相談が...」と言ってきたのです。「もし勝ったら、当日来る彼女に表彰台からプロポーズをしたいんですけど、そんなことをしてもいいですかね」と。
竹:ええがな、前代未聞やけど、やってみたらええがな。って言ったけど、あかんって言ってらどうしてた?
大:どんな形でもプロポーズはしようと思ってました。結果的に表彰台で伝えることができて良かったです。でも、あのときはめっちゃ緊張しましたよ。
竹:そうやな、若手騎手が初重賞制覇するわけやし、嬉しくてたまらないか、涙を見せるかっていうのが相場やけど、ガチガチになって青ざめてた感じやったもんな。
大:あの日は乗り鞍自体があのレースだけだったので、朝からレースのことばっかり考えてました。内枠だったので、初めて砂をかぶる競馬になったらどうしようと不安になっていました。だから勝ったあとはホッとするところなんですけど、まだこのあとやることがあるんやと思ったら、めっちゃ緊張してきて...。
「こんなぼくですが、結婚してください!」と直球のプロポーズ。もちろん成功して、3月3日に入籍。3月30日に挙式の運び。多くの人が見届け人になったわけやから、絶対に幸せになるように!
竹:甘い新婚生活が待っているところやけど、6月から南関東の船橋で期間限定騎乗することが決まってるんやね。
大:そうなんです。でも、彼女には早い段階から遠征に行くってことは言ってましたから、納得してくれてます。それより、自厩舎(山口浩厩舎)の方が気がかりで...。だから先生になかなか言えなかったんです。
竹:厩舎に迷惑がかかることを心配したの?
大:調教している馬の数は、西脇トレセンの中でもかなり多くやっている方だと思います。だから、ぼくが船橋に行っている間、誰かに負担がかかるわけじゃないですか、それがあるので先生からお許しが出ないんじゃないかと思ったんです。
竹:でも先生は許してくれたんやね。
大:意外にあっさりね(笑)。「何かつかんで帰ってくるんやったらええよ」って。
竹:いいこと言ってくれるねぇ。
大:「調教がしんどくなるなぁ」って冗談で言われましたけどね(笑)。ただ、調教がしんどくなるのは事実なので、だから3ヶ月まで遠征できるんですが、2ケ月の申請にしたんです。うちの厩舎のことを考えると、それが限界かなと。
船橋での所属厩舎は天下の川島正行調教師の息子さんである川島正一厩舎となりました。
大:うちの厩務員さんが大井の関係者と親しいから聞いてみると言ってくれてたんですが、話がまとまらず、最後の切り札として取っておいた、川島正太郎(船橋騎手)に直接電話をして頼んでみたんです。ぼく彼と同期なんですよ。
竹:ええカードを残してたなぁ。そういえば、アスカリーブルは川島正行厩舎に移ったんやね。ひょっとして騎乗依頼があったりして。
大:それはないでしょう。あったら嬉しいですけどね(笑)。でも、川島正一厩舎にも、うちの厩舎にいたプレミールサダコがいるんですよ。何かの縁かなぁって思いますね。
竹:アスカリーブルが『ユングフラウ賞』で強い勝ち方したよね。どう見てた?ずっとこっちにいて乗り続けたかったとは思わない?
大:別に思いませんね。移籍はしょうがないことですから。それより、デビューから乗せてもらって無傷の4連勝で重賞制覇させてもらったんですから、すごく感謝しています。結婚にも繋がりましたしね(笑)。とにかくアスカの活躍は素直に嬉しいです。
デビューから5年目を迎える大柿騎手。初年度に16勝。2年目には50勝(リーディング12位)を挙げる大活躍。しかも騎乗回数は群雄割拠の兵庫において、新人としては破格の842回という騎乗数。これはその年の39名中、5位の記録だったのです。
しかし、その後は23勝、29勝と落ち込み、今年は2月23日現在、まだ2勝。乗り数も大きく減少傾向にあり、完全に伸び悩みといえる状況です。
大:はい、完全に伸び悩んでいます。デビューした頃はうまくいくことが多かったのですが、最近は...。周りの人からは下半身が不安定やと言われるんです。とくに理(おさむ・下原騎手)さんには厳しく指摘されますね。
竹:いくら先輩でも、本当は賞金を取り合うライバルなわけやし、アドバイスしてくれるってありがたいね。
大:本当に理さんには技術面でいつもいいアドバイスをもらっています。それから、精神面では北野さんにケアしてもらってますね(笑)どちらも面倒見のいい優しい先輩です。
竹:いい先輩に恵まれてるね。それで、新人のときにできたことが、いまできないのはどういうところだと思うの?
大:デビューしたての頃の方が、騎座がしっかりしてたんだと思います。教養センターでやってた鍛錬が効いていたんじゃないでしょうか。あのときの教官で杉山先生って方がいたんです。その先生に毎日課せられていた下半身強化のトレーニングがキツかったんですけど、すごい効果があったんです。
いまでも行き詰ると、杉山先生に連絡してアドバイスをもらっているという大柿騎手。その声に触れ、初心に帰ることに、はたと気付かされます。
竹:またそのトレーニングを始めたんやね。
大:毎日ってわけじゃないですけど、徐々に始めています。初心を思い出して、もう一度立て直そうと。そんな時期に南関東への遠征話も入り、結婚して家庭を築いていくわけですから、もっとしっかりせなあかんと思ってきたのです。一からやり直すぐらいの気持ちで頑張ります!
竹:最後に、今後の目標を聞かせてくれる?
大:技術としては理さんのようなレースができるようになりたいですね。ロスなく立ち回って、馬をスムースに動かすんですよね。それと、自厩舎の馬には全部乗りたいです。先生に「全部お前に任せる」って言われるぐらい信頼される騎手になりたいです。
竹:もうない?
大:本音を言えば、兵庫は川原さんや木村さん、学(田中騎手)さんなど、本当にすごい人たちばかりですよね。すごく勉強になるんです。だからこそ、ここでトップに立ちたいって、やっぱり思いますよね。
竹:うん、その言葉が欲しかった!南関東でも頑張ってな!
大:はい!何か見つけて帰ってきます!
これから彼の騎乗ぶりの変化に期待しましょう。南関東での活躍にも期待しましょう。そして次に目標を訊いたときに、すぐさま「トップを獲りたい!」と言える逞しさが備わっていれば、兵庫県競馬の未来は明るいものとなるのです。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
いまをときめく兵庫のスターホース、オオエライジンがいる橋本忠男厩舎に所属する吉村智洋騎手。
同馬に騎乗した経験のある、数少ないジョッキーです。
吉村:最初はひ弱で頼りない感じのする馬だったんです。それがレース毎に成長していって、前走のレース前にも乗りましたけど、やっぱり凄いですよ!
竹之上:レースでも乗りたい?
吉:そら乗りたいですよ!でも、やっぱり木村さんしかないですわ(笑)。
そう先輩騎手を立てる吉村騎手も、気がつけば今年で10年目の(12月26日で)27歳。デビューしたころのあどけなさもすっかり抜けて、いまや兵庫を支える立派なジョッキーへと成長を遂げています。
通算495勝(12月8日現在)。500勝のメモリアルがもうすぐそこに迫っています。今年の勝ち鞍は61勝で、リーディング第9位。ここ5年は常に10位以内を確保しているように、安定した成績を残しています。
プライベートでは、ふたりの男の子の父親。その息子さんも、年が明ければ6歳と4歳になるんだそうです。
吉:ジョッキーの結婚は早いか遅いか極端ですよね。ぼくは20歳のときに、3つ上の嫁さんと結婚したんです。
竹:息子さんにはジョッキーになって欲しいと思う?
吉:家で仕事の話はほとんどしないんですけど、上の子は「なりたい」って言うことがありますね。でも「危ないから」ってちょっとビビってますけどね(笑)。
家族の話になると、少し照れながらもにこやかに話す吉村騎手。ところがレースに行けば、大胆な騎乗ぶりが持ち味。彼を良く知る園田ファンならお分かりでしょうが、一気に突き抜けるマクリが印象的なジョッキーです。
竹:大胆なレースも魅力あるけど、最近はレースの流れもよく見えて良いレースができてるなぁと思ってんねん。
吉:そうですか、ありがとうございます。実は自分で変えていこうと思って、意識してるんです。ぼくはレースでいつも一気に行ってしまうんですけど、それを徐々にスピードアップできるようにと思ってるんです。
竹:じゃあ、大胆なマクリ戦法は封印するかも知れんってこと?
吉:マクリの合う馬もいるんですけど、あの戦法は馬の力があればこそですからね。それと、じっくり乗った方がいい場合もあるのに、どんな馬でも行ってしまってたところがあるので...。実は、ぼくこう見えて神経質なんですよ。じっくり乗った方がいいと分かっていても、つい不安がよぎって一気にマクってしまうんです。
分かるような気がする。自分の不安を悟られまいと、相手を威嚇するような態度を取ってしまうことって、誰しも経験のあることかも知れません。
竹:前から気になってたんやけど、レース中に後ろを何度も振り返るようにキョロキョロしてるときがあるよね。それもメンタルな部分の問題?
吉:そうなんです。自分が先頭に立って、もう大丈夫と分かってても、また不安がよぎるんです。うしろから誰かが来るんじゃないかって。
レースぶりや言動から受ける印象とは裏腹に、これほどまでにナーバスであったとは、人の本質は訊いてみないとわからないものです。だからこそ面白い♪
吉:周りの人からもよく、お前は力はあるんやから、もっと冷静になれって言われることがあるんです。よーいドンで追い出せば、誰にも負けないぐらい追えるのに、そこに至るまでに馬にムダ脚を使わせてるから負けてしまうんやと...。
竹:良いこと言ってくれる人がいるんやなぁ。他にも変えていこうと思ってるところはあるの?
吉:喋りすぎるところですかね(笑)。お前しゃべんな!とか、喋らんかったらもっと伸びるぞ!とか言われますもん(汗)。口は災いのもとって言うでしょ。アレですね(笑)。これからはそのあたりも気をつけて行きたいと思います。
確かに吉村騎手はよく喋ります。いらんこともよく言います。しかし、それは彼の照れ隠しであり、不安を悟られまいとする防御本能がそうさせているのかも知れません。話をしていくうち、そんな気がしてきました。
竹:レースの話に戻るけど、なぜ自分のスタイルを変えていこうと思ったの?
吉:もっと上を目指したいと思うようになったんです。騎手になった以上、トップを獲りたいと思わなかったらウソですし、一番眺めの良い景色を見てみたいんです。
そのきっかけともなったレースが、重賞レースの『園田チャレンジカップ』(8月31日)でした。9番人気と低評価だった自厩舎のコスモピクシーに騎乗して、鮮やかな差し切りで快勝するのです。
吉:実を言うと、あのときのコスモピクシーは調子が良くはなかったんです。夏負けの尾を引く状態で、はっきり言って自信なんてありませんでした。でも、結果的にはそれが良かったんです。調子があまりよくないからこそ、無理に馬を動かそうとせず、レースの流れに乗って行くことができたんだと思います。
竹:おぼろげにある自分の理想のレース運びと、うまい具合に合致したんやね。
吉:そうなんです、だからこれからはそれを意識してできるようになりたいんです。それでも、また不安になって、外からビュンって行ってしまうかも知れませんけどね(笑)。
吉村騎手の馬を動かす技術は、兵庫のトップジャッキーですら認めるところ。なのに、いまの地位から抜け出せないでいるのは、自身が神経質と言うように、精神面の弱さなのかも知れません。しかし、いまそのコンプレックスを克服しようとしているのです。
吉:トップを獲るには、トップを獲りたいという気持ちがないと絶対に獲れないと思うんです。もう無理やと思った瞬間に、そこから離れていくんやと思うんです。
10年という節目を迎えて、湧き起こってきた勝利への飽くなき欲望。あえて自分の弱い面をさらけ出し、熱く語ってくれた彼に、希望の光を見出すことができます。必ずや兵庫を引っ張っていく存在となることを確信させてくれました。なぜなら、コンプレックスは他人に披露した瞬間、もうコンプレックスではなくなるのですから。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
兵庫のジョッキーは良い意味での調子乗り。中でもその代表格的存在が坂本騎手。
先日、門別競馬で行われた『道営記念』に騎乗依頼を受けて参戦。そのときはホッカイドウ競馬の最終日。ファンと騎手とのふれあいセレモニーでマイクアピールをしたんだそうです。
坂本:呼ばれてなかったんですけど、出て行ったんですよ。主催者のマイクを奪って兵庫の坂本でーす!って。せっかく行ったんですから、何かしないと。
竹之上:あはは、やっぱり調子乗りやな!
坂:でも、兵庫には変な奴がおるなと思われても、それがアピールに繋がるんですよ。あそこで何もしなかったらぼくの名がすたるんです。
竹:そこまで言うとは、さすが代表格や!
来年、デビュー20年を迎える坂本騎手は、昨年初めて100勝(104勝)の大台を突破。前年の37勝から超ド級の躍進です。昨年末の怪我で今年は2ヶ月のブランクがありながらも、11月24日現在78勝。その実力を証明しています。
竹:勝ち鞍が一気に増えたけど、何が変わったの?
坂:何か分からないですけど、周りの人たちのお陰であるのは間違いないです。乗せてもらってなんぼの商売ですから、ただただ乗せてくれる人たちに感謝です。
乗せてもらえるようになるには、その信頼を勝ち得なければなりません。"逃げの坂本"や"マクリの坂本"と言われるように、個性的なレースぶりで結果を残し、次第に信頼度も高まっていくのです。
坂:先輩騎手の意見を聞いて、それを自分に活かそうとしましたね。逃げに関しては松平さん(逃げ先行の名手)に良く聞きました。でも、それを聞いてそのままやってたんじゃいつまでたっても松平さんを超えることはできません。そこに自分なりのアレンジを加えていかないとダメだと思うんです。
竹:逃げている馬がペースを握っているんじゃなく、2番手の馬がペースを握っているんだといつも言うよね。
坂:2番手の馬の動き方次第でペースは変わりますからね。そのかけ引きでレースが変わります。それがうまくいくかいかないかで、結果は大きく違ってきますからね。
逃げやマクリなど、一見派手に映る坂本騎手のレースぶりですが、その中には緻密な計算があることに気付かされます。それが証拠に、将棋は有段者級の腕前だとか。何手も先を読んでの騎乗が、好結果をもたらしているとも言えます。
坂:竹之上さんやったら歩三つで勝てますわ(笑)
竹:なんやて!腕に覚えはないけど、歩三つやったら勝負したるわ!
坂:あっ、その時点で負けですよ。歩三つだけやったら勝負しようって思った時点でもうぼくの勝ちですわ(笑)平手で勝とうというぐらいの気じゃいないと。
なぬっ!もう勝負は始まっていたのか!しかも既に負けていたとは...。心理戦にも長けているというのも、好成績に繋がるひとつの要因でもあるようです。それにしてもナメられ過ぎてる...。
実は坂本騎手は二世ジョッキーで、父も兵庫で活躍するジョッキーでした。30年以上も前、泥んこ馬場の姫路競馬場で落馬、還らぬ人となったのです。
坂:ぼくが4歳になったばっかりのころでした。父が乗っているところを観に来た記憶がありますけどその程度です。
竹:じゃあ、ジョッキーになろうと思ったのは?
坂:叔父さんにあたる戸田山先生(所属厩舎)が誘ってくれたんです。思いっきり食べても太らなかったし、これならいけるかなって。
竹:でもご主人を亡くしているお母さんにとったら、反対したいところだったんじゃないの?
坂:母親は、危ないからって勧めませんでしたけど、その裏では騎手になって欲しいっていう思いもあったと思うんです。口には出しませんでしたけどね。父親が息子にはJRAの騎手になってもらいたいって言うてたらしいですから。
父の密かに抱いていた夢を、その遺伝子を受け継ぐ息子が目指すというのですから、止めることなどできなかったのでしょう。
11月12日、ひとつの夢が叶います。初めてJRAで騎乗するチャンスを得たのです。
坂:JRAの騎手になったわけじゃないですけど、JRAのレースに乗れたことで、父親に良い報告ができたと思います。でも今回は初めてだったので、次はしっかりと結果を残して帰りたいと思います。新しい目標ができました。
常に前向きな考えの坂本騎手。くよくよしたり、嫌な思いを引きずったりはしないそうです。
坂:それでも、失敗すれば反省しますよ。それが次に活かすための糧になるかも知れませんしね。それに、緊張でガチガチになるってこともないですね。緊張して馬が走ってくれるんならなんぼでも緊張しますけど、そんなことはないですもんね。
竹:ところで、最近重賞レースの勝利からずいぶん遠ざかってると思うんやけど?
坂:それはあまりこだわっていません。ひとつひとつのレースで、馬の力を十分に出させるのが騎手の仕事ですから、レースの格で変わるものじゃないです。しっかり乗って勝てて、結果的にそれが重賞であれば嬉しいですけどね。
竹:そう言えば、99年の『アラブクイーンカップ』は涙の初重賞制覇やったよね。
坂:ちゃいますよ!あれはみんな泣いてたって言いますけど、ぼくは泣いてないですよ。レース前は勝ったら号泣するんやろなぁって思ってたんですけど、実際は全然でしたよ。本気では泣いてないんですよ!
泣いてるやん!
とにかく明るく元気な坂本騎手。取材中も喋り出したら止まりません。まだまだ書きたいことはいっぱいあるのですが、ひとまずこれで終えておきます。最後に彼が明言を吐きます。
坂:ぼくはいつも明るいからアホやと思われてるんです。でもそのアホも計算なんです。笑われるんじゃなく、笑わせないと。
芸人か!と突っ込ませるほどのこだわりを見せる坂本騎手。関西人らしくてとてもいい!しかもレースで結果を残しているんですから、文句のつけようもありません。レースでファンを魅了するパフォーマンス、馬を下りてからの振る舞いも全て計算し尽くされたものなのです。
ですが、ただひとつだけ誤算がありました。彼は知らない。ぼくが小学校6年生のころ、将棋クラブの部長だったということを。むはは!いつでも勝負してやるぞ!
やっぱり、歩二つでお願い...。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
父は通算3166勝、重賞50勝、14年連続兵庫リーディングジョッキーと輝かしい戦績を残し、"園田の帝王"と称された田中道夫現調教師。その息子として鳴り物入りで競馬界デビューした田中学騎手。デビューして14年の2007年には遂に、親子二代の兵庫リーディングの座を獲得します。そして今年の10月14日には、地方通算2000勝を達成。父同様ゴールデンジョッキーの仲間入りを果たすのです。
竹之上:残り8勝となって迎えたあの週は4日間開催で、1日2勝ずつ勝って決めたんやね。
田中:あの週は良い馬にたくさん乗せてもらってたので、決めないとあかんなぁと思ってました。でもプレッシャーはありませんでしたね。2000勝は今週できなくても来週でも達成できますから。
竹之上:そう言えば2000勝のインタビューのときに、いつも「先生」って読んでるのに、「父が...」って言ってたよね。
田中:えっ、そうでした?覚えてないですわ。もうずーっと先生って呼んでますからね、今でも。ただ、あのときは先生も勝って帰ってくるのを待っててくれたんです。いつもなら自分の(管理する)馬のレースが終わったらさっさと帰るのに。
田中道夫調教師もさすがに嬉しかったのでしょう。そのときは師弟ではなく、単に親子という気持ちだったのではと想像します。だから田中騎手の口から思わず「父」という言葉が無意識に出てしまったのではないでしょうか。
竹之上:騎手を目指そうと思ったのは、やっぱりお父さんの影響?
田中:厩舎に住んでましたから自然とそうなりましたね。だって、小学校2、3年のころから馬に乗ってましたもん。朝5時に起こされて、学校に行くまでの時間に朝の攻め馬前の運動をひとりでやらされてましたよ。中学校のころには、2歳馬の馴致なんかもしてましたもんね。
にわかに信じがたいことですが、恐ろしい英才教育です。そりゃ自然と騎手になるわけです。それでも、思わぬ障壁が彼を待ち受けていました。
竹之上:偉大すぎる父がいることで、競馬学校では周囲の風当たりは強かったと聞くけど。
田中:「バカ息子」とか、「親の七光り」とか言われたりしてね。とてもツラかったです。それでも、ぼく自身もチャランポランでしたしね。生まれたときから競馬界にいて、世間知らずだったんでしょうね。
そんな苦難を乗り越えて、1993年に騎手デビューを果たした田中騎手。1998年に精神面、技術面で大きく成長させられる一頭の馬と出会います。
田中:サンバコールという馬がいて、あまり脚元が強い馬ではなかったんですよ。それで、よその厩舎なんですけど常に気にかけていて、乗りたいとか勝ちたいとかを超えたような気持ちが初めて湧いてきたんです。そしてその後に『全日本アラブ優駿』に乗せてもらうことになるんです。
アラブのメッカ園田が誇る最大のレース『全日本アラブ優駿』は、全国のアラブ4歳馬(現3歳馬)の頂点を決める大一番。サンバコールと田中騎手は2番人気の支持を受け、得意のマクリで向正面からスパートするも、4着に敗れてしまいます。
田中:レースが終わって、次のサンバコールの調教のときに、そろそろ出てくるころだろうとウキウキして待ってたんですね。そしたら、目の前で平松さん(現調教師)が乗っていったんです。乗せ替えだったんですよ。
竹之上:調教師からは何の連絡もないままの乗せ替え、どんな思いだった?
田中:そら悔しかったですよ。そのときから、この人(平松騎手)だけには負けたくないという気持ちになりました。
田中騎手が初めて芽生えたライバル心。眠っていた彼の闘争心が呼び覚まされた瞬間だったのかも知れません。
田中:そこから周りの騎手たちとの比較をするようになり、数字にもこだわるようになりましたね。
こうして少しずつ形成されていく騎手としての心構えに次第に変化が見え始めます。
竹之上:でも、最近は数字にこだわらないって言うよね。
田中:そうですね。楽しく乗りたいんです。面白いレースがしたい。
竹之上:具体的にどういうこと?
田中:康誠(やすなり・現JRAの岩田康誠騎手)がいたころ、相手の動きを読みあってレースをして、それがハマったときが最高でした。「一緒に乗ってて面白い」って康誠に言われたことが嬉しかったですね。
このころから田中騎手は勝利にこだわるより、楽しくレースがしたいという思いが一層強まっていきます。ところが、そうなるとなぜかこだわっていないはずの勝ち鞍は増え続け、99勝にとどまった03年の翌年には、一気に200勝まで勝ち星を伸ばします。そして、07年には兵庫のリーディングジョッキーにまで登り詰めます。
田中:恵まれていたんです。太さん(現JRA小牧太騎手)や高太郎(現JRA赤木騎手)さんが抜け、康誠も抜けて。周りが支えてくれて良い馬に乗せてもらって、本当に恵まれてたんです。
ところが、好事魔多し。安定味を越え、円熟味すら醸し始めた田中騎手に災難が降りかかります。2008年9月2日第5レースで落馬。第1・第2腰椎脱臼骨折という重傷を負います。
田中:振り返ってみると、あのときは嫌々レースをしてたんかなぁって思いますね。それが怪我となって表れたんかなぁって。
手術、リハビリに時間を要し、レースコースに復帰するのは7ヶ月後の翌年の4月でした。それでも、この逆境も、良い転機だったと田中騎手は言います。
田中:入院で苦しんでいるときに親や家族の温かさに触れ、すごくありがたみを感じました。親と食卓を囲むことなんてあまりしなかったんですけど、このごろ進んで行くようになりましたね。呑みに行くときも、この時間と金があれば、家族に何かしてやれるなと思うようにもなりました。
それは騎乗スタイルにも表れ、勝利にこだわらないという考えもより強まり始めます。
田中:正直、そんなことを聞いて、こいつには乗せないって言って去っていた馬主さんもいます。でも、勝利にこだわらないってことは、勝負を諦めたってことではないんです。レースに乗ればがむしゃらに勝ちにも行きます。それが騎手としての務めですから。
ここで、田中騎手の真意を窺い知ることができる事例をご紹介します。11月30日園田競馬第12レース。4連勝中マイネルタイクーンと3連勝中のアスカノホウザンとが人気を二分しました。ともに前走までの連勝は田中騎手でのもの。重複した騎乗依頼で、田中騎手が騎乗を決断したのはアスカノホウザン。しかし結果はマイネルタイクーンが連勝を伸ばすことになるのです。
田中:(勝つことだけを考えれば)やっぱりマイネルタイクーンですよ。でも、厩舎との関係、これまでの流れから、アスカノホウザンに騎乗したんです。
そこには迷いなどない、揺るぎない信念を感じとることができます。
竹之上:いまリーディング争いで2位に10勝差でトップ(12月2日現在)に立っているけど、そこにもこだわらないの?
田中:実はね、腰の手術でプレートやボルトを埋め込んであって、その除去手術を11月に予定していたんです。でも、周りの人やファンの方たちに、絶対(リーディングを)獲ってくれよと言ってもらって、それに応えたいなと思ったので、手術を延期してチャレンジしようと思いました。医者からは、遅くなれば手術の痛みが大きくなるし、復帰も遅くなるよと脅されているんですけどね(笑)。
竹之上:楽しみながら獲れれば最高ってこと?
田中:そうですね、無理に勝てそうな馬を集めて獲りに行くって姿勢ではないですね。ただ、手術をすれば絶対に獲れないですから。
竹之上:最後に、田中騎手の思う一流の条件ってなに?
田中:一流の条件ってなんでしょう?
竹之上:逆質問!?
田中:なんでしょうねぇ、人が認めることですからねぇ。わからないですけど、ぼくが調教師の先生たちに言われることでひとつあるのが、お前は乗り馬が重なったときに、乗らない方の調教師に断るのが上手いよなって言われるんです。自分ではそうは思わないんですけどね。
竹之上:それはどうやって身に付けたの?
田中:いや、それは思ったことを素直に言ってるだけなんです。ただ、上位にいると融通が効くのは確かです。それでも、そこで天狗になったらすぐに鼻を折られるのがこの世界ですからね。
トップに立っても決して驕らず、素直な気持ちで相手と接することで、多くの信頼を得て、多くの勝ち鞍に結びつけていく。"勝利にこだわらない"わけは、それによって失うものの大きさを知っているから。そうして辿り着いた現在の境地。「親の七光り」だけで到底到達できないものであることは明白なのです。
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写真提供:斎藤寿一
※インタビュー / 竹之上次男
9月8日園田競馬場第4レースで、木村健騎手(きむらたけし・35歳)が通算2000勝を達成。
デビューから14741戦目のことでした。
竹之上:達成したあとのインタビューでは、開口一番「ホッとした」って言ってたけど、本当のところはどうだったの?
木村:それが正直な気持ちですよ。自分が思うよりも周りから2000勝のことを言われていましたので、今年中にしますわ!っていつも言ってたんです。
竹:嬉しさはどう?
木:もちろん、嬉しいですけど、2000勝だけが目標じゃなかったですからね。でも、あとから考えてみると、2000勝ってすごいなぁって思えてきて、ホンマに2000勝なん?もう一回確かめてよ!って感じになりましたね(笑)。
デビューから17年目、いまや押しも押されもせぬ兵庫のトップジョッキーとなった木村騎手。今春には結婚をし、順風満帆に記録達成へのカウントダウンが始まった矢先、椎間板ヘルニアを患い戦線離脱を余儀なくされます。
木:あのときは全く動けなくなって、このまま馬に乗れなくなってしまうと本気で思いました。
いくつかの病院で治療を受けるも、一向に良化の兆しが見えない中、お世話になっている馬主さんの勧めで、レーザー治療による手術を受けることになります。
木:手術が終わったら、嘘みたいに動けるようになって、これで馬に乗れる!って嬉しくてしょうがなかったです。
闘病中、新婚である木村騎手は、奥様の献身的な支えで苦難を乗り越えていったと言います。
木:本当にありがたかったです。何をするにもずっと一緒にいてくれて、結婚して良かったなぁとつくづく感じました。
竹:でも、それからが大変やったそうやね。
木:そうなんです。実は、休んでいる間にかなり太ってしまって...。食べるものが美味しくてしょうがないんです。ぼくは普段お米は食べないんですが、お米の味をいまさらながら覚えてしまいました。美味しいですね。
竹:ノロ気ますなぁ(笑)。で、どれぐらい太ったの?
木:60キロぐらいまで...。人生初の大台に乗ってしまって...。
いや、大台はそんな低いところじゃないよ。桁が変わるところがあるのよ。とは、そこに限りなく近づいたことがある筆者は言えず、自分を棚に上げた発言をしてしまいます。
竹:それはヤバいでしょ!
木:横っ腹に肉が乗ってるんですよ、あんなの初めてですわ。だから必死で運動をして、落ちた筋肉も回復させたんです。でもそうなると、筋肉量が増えて、今度はなかなか体重が落ちなくて...。
竹:それで復帰後は斤量を55キロ以上に制限したんやね。
木:いまはようやく54キロまで乗れるようになりましたけど、あと1キロがなかなか大変なんです。でも頑張って落として見せます。
竹:2000勝したということは、来年2月(予定)の『ゴールデンジョッキーカップ』(全国の2000勝以上のジョッキーが集う園田の名物レース)に参戦することになるね。
木:すごく楽しみです。これまでは観る側にいたんですが、みんな隙がなくて厳しいレースをしているんです。だから、そこに加えてもらえるのはとても光栄です。
竹:名手が揃うと言えば、園田には以前、国際レースの『インターナショナルジョッキーカップ』があったけど、参戦したときはどんな感じだった?
木:あのときも凄かったです。内に閉じ込められたら、もうジッとしていないとしょうがないんです。抜け出す隙間を作ってくれないんですよ。
竹:じゃあ、そんな経験がいまに活きてる?
木:そう思います。そのお陰で成長できたと思っています。
ではここで、川原騎手にも聞いた質問を、木村騎手にも投げかけてみましょう。
竹:木村騎手にとって、一流ジョッキーの条件は?
木:(やや間があって)...挨拶です。
竹:へっ?礼儀ってこと?
木:そうです。どこの一流ジョッキーを見てもそうでしょ。人間的にすごい人ばかりです。人柄が良くなかったら、馬を集めることってできないと思うんです。騎手は乗ってなんぼ。そのために基本の挨拶ができなかったら、絶対だめです。
竹:深いなぁ。では、技術面ではどう?
木:ムダなく、ロスなく乗ることができることですね。でも、ぼくの場合、見てもらいたいのはダイナミックな追い方ですけどね。
そう、木村騎手の一番の魅力は、誰にも負けないあのパワフルでダイナミックなフォーム。ただ、そこに至るまでは、ムダやロスのない繊細さが必要なんですね。
竹:パワフルな姿勢は、誰にも負けたくない?
木:もちろんです!誰にも負けたくないです。とくに、馬に負けたくないんです!
うわぁ、馬と勝負してたんですかぁ。だからあの迫力、そら誰も敵いませんわ。
ド派手なオレンジの勝負服に、ダイナミックなフォーム。ファンの皆さんが馬券を握りしめていたら、これほど頼りになる男はいませんよ。
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※インタビュー / 竹之上次男