デビュー15年目を迎える兵庫の吉村智洋騎手。早い時期からトップ10圏内に入る活躍を見せていましたが、2015年は兵庫第4位と自身最高の順位を記録しました。さらなる飛躍が期待される今年、その胸の内をお聞きしました。
2015年はこれまでで最高の勝利数(146勝・12月27日現在)を挙げていますが、何か飛躍のキッカケがあったんですか?
自分としては、この数字は物足りないというか、欲を言えばもっと勝てたと思っています。数字自体が伸びたのは、去年は(田中)学さんも木村(健)さんも休んでいた時期がありましたから、そのぶん(勝ち星が)転がって来たのかなという感じですね。ただ、僕は本当に人に恵まれていると思います。所属の橋本忠男調教師をはじめ、周りの方々に助けていただいたお蔭で勝ち星を重ねることが出来ているので。
橋本忠男調教師はどんな師匠ですか?
調教師としてはもちろんですけど、人間としても尊敬できる先生です。勝負に関して言えば、めちゃくちゃシビアですよ。レースに行ったら結果がすべてなので、負けたら次はないんです。だから、1戦1戦気を引き締めて乗るようになりました。でも、毎日頑張っているところも見ていてくれるので、それでチャンスをくれるんです。2013年に中央未勝利から移籍して来たエーシンプレジャーという馬がいるんですけど、その馬に関しては、毎日の調教だけではなくて、追い切りも装蹄する時期とかも含めてすべて僕と厩務員さんに任せてくれました。脚元の弱い馬で、調整が難しい面はあったんですけど、その馬に10連勝させてもらいました。
10連勝というのは大きいですね。
そうですね。なかなかそこまで連勝できる馬はいないですよね。本当に強い馬で、レースはいつも掴まっているだけで楽勝なんです。でも脚元が弱いから調整が本当に難しくて、毎日1週間先までの天気予報をチェックして、馬場のいい時に追い切りができるように調整していました。途中で長期休養もあったんですけど、去年の春に10連勝できた時はすごく嬉しかったです。この馬に巡り会うことができて、しかも先生に任せてもらえて、本当にいい経験になりました。
吉村騎手といえばマクリのイメージが強かったんですけど、以前よりも先行するイメージに変わりました。
前はマクリが好きだったというか、きっちりマクれると気持ちいいし、カッコいいと思うんです。でも地方の小回りの中で、その戦法だけではトップは獲れないということに気づきました。マクって行っても勝ち切れなかったり、ゴール板過ぎてからスピードに乗っていたり......。脚を余して負けることがあって、マクリ一辺倒ではダメなんだと。結局、前々で進められた方が得だし、コーナーも1頭分でも内を回った方がロスがないですから。今は意識して前で競馬をするようにしています。
お手本にしているジョッキーはいますか?
園田には、木村(健)さん、(田中)学さん、川原(正一)さんというすごい人たちがいますからね。3人のそれぞれのいいところを盗もうと研究しています。3人とも持ち味が違うのですごく勉強になりますね。例えば木村さんだったらゴリゴリ剛腕で押し切れるじゃないですか。学さんはすごくキレイに乗ってくるし、川原さんは馬のリズムに合わせた騎乗をする。そういうところを盗んでいけたらと思っています。実際は言うほど簡単ではないですけどね。
今年デビュー15年目を迎えました。ここまで順調にステップアップしていますね。
本当に周りの方のお蔭なんですけど、僕自身、朝の調教を一番大切にやって来ました。頭数が一番多い時には、日付が変わったらすぐ、夜中の12時から乗り始めるんです。多い時で1日26頭乗るので、そのくらいの時間から始めないとお昼前に終わらないんですよ。
26頭?!20頭を越えると相当大変だと思いますけれども。
そうですね。でも、馬にたくさん乗らないと上手くならないですから。数をたくさん乗せてもらうためには、毎日の調教で頑張らないと。それに、園田の若い子たちはけっこうみんな乗ってますからね。頑張れるうちは、誰よりも多く乗っていたいと思っています。
でも、寒い冬の朝なんて...心が折れそうになる時はないですか?
もちろんありますよ。寒い日も嫌だし、雨の日も嫌だし。でも、そうやって毎日頑張っていると、見ている人は見ていてくれますから。そう思うと頑張れます。
本当に真面目ですね。
バカ真面目なんですよ(笑)。朝の調教というのは、レースと同じくらい大切だと思うんです。馬を仕上げることもそうですけど、例えば僕が寝坊して時間に遅れたら、26頭分のスタッフに迷惑を掛けるし、そのスタッフが担当している他の馬たちにも迷惑が掛かってしまう。そうすると一日大変だし、信用もしてもらえませんから。寝坊しないっていうことも大事にやっています。こうやってコツコツやって来たことが成績に繋がっているので、これからも体力が続く限り頑張ります。
では、今後の目標を教えて下さい。
今年は1000勝を達成するのが目標です(12月27日現在、935勝)。あと、最近重賞を勝てていないので勝ちたいですね。重賞はみんなが目指してくるレースなのでなかなか難しいですが、そういうところでも結果を出して、いつか園田のトップを獲りたいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
現在全国リーディング2位を走る、兵庫の川原正一騎手。デビューから39年、笠松と兵庫でダブル2000勝を達成するなど、数々の記録を打ち立てて来ました。56歳になった今でもパワフルな騎乗は健在。長きに渡って活躍し続ける要因をお聞きしました。
現在全国リーディング第2位(227勝/11月28日現在)と、今年も活躍していますね。
いい馬に乗せてもらっているのでそのお蔭です。56歳になった今でも十分体が動くし、兵庫では木村(健騎手)や田中(学騎手)が体調を悪くして休んだりしている中で、僕は減量もなくて体には恵まれていると思っています。1つ1つのレースを大事に乗っていることが結果に繋がっているんじゃないですかね。自分ではたいそうなことをしているとは思いません。
デビューから39年です。長く続ける秘訣というのはありますか?
やっぱりもともとの体重が軽くて減量がないっていうのは大きいと思いますよ。もちろん、日々の生活の中で体重が増えないように気を付けてはいます。あとは大きなケガをしないことですね。ケガは後遺症があったり、治っても後々ガタが来たりしますから。
騎乗に対してのポリシーというのは?
自分のスタイルを貫くということです。自分と馬のリズムを大事にということですね。まぁ、基本中の基本ですけど。そこを大事にした上で、この馬にはこういう乗り方の方がいいんじゃないかとか、こういうアプローチがいいんじゃないかとか、スタッフと一緒に考えることも大切です。あとは、これまで培った自分の感覚もプラスαとして付け加える感じですね。
北海道のランランランで園田プリンセスカップ制覇(写真:兵庫県競馬組合)
川原騎手はテン乗りでも結果を出すという印象が強いです。今年で言えば、園田プリンセスカップのランランランがそうでしたね。
あの時は騎乗前から自信がありました。ただ、向正面に入ったところで掛かってしまって...。あれがなければもっと楽に勝てていたと思います。あのレースは馬に勝たせてもらいました。テン乗りの馬に関しては、まずは調教師や厩務員さんの話を聞きます。どういう性格をしているのか、どういうことが苦手なのか、聞かないとわからないことが多いですから。それで、返し馬で感触を確かめます。これまでのことを教えてもらうのは大事なことだし、それでも日々成長していますから、今日はどんな雰囲気なんだろうと感じることも大事です。固定観念で決めつけず、背中から感じた感触を大事にレースに挑みますね。
いつ頃からそういう考え方になったんですか?
そうですね、ある程度経験を積んで来てからです。最初はただただがむしゃらにやって来ましたけど、たくさんの馬たちに乗せてもらって、背中で教えてもらって。その分、たくさんの関係者にもアドバイスをもらっているわけですから、いろいろ考えるようになりました。30年前にJRAに遠征に行き出した頃ですかね。自分自身の感覚というのを感じられるようになったのは。ただ、それがいい方に出る時もあるし、悪い方に出る時もあります。それが競馬の難しいところで、面白いところでもありますけど。
長年騎乗していますが、「楽しい!」と感じる時はありますか?
もちろん、ありますよ。馬に乗るのが大好きですから。特に、自分しか乗れない乗り方ができた時は楽しいですね。周りから、『川原スタイル』『川原マジック』なんて言ってもらえると気分がいいです。先日の園田チャレンジカップ(ヒシサブリナ)で、久しぶりにそういうレースができました。どんなに経験を積んでも、会心のレースというのはなかなかできるものではないです。僕だって年に数えるほどですから。そういうレースができた時は、本当に嬉しいです。
笠松時代に2000勝、そして兵庫移籍後に再び2000勝を達成しました。そのメモリアルの勝利が園田チャレンジカップでしたね。
ずっとお世話になっている盛本信春厩舎の馬で、会心のレースで達成できたことは最高に嬉しかったです。振り返ってみると、本当にたくさんの馬や関係者のみなさんに助けていただきました。笠松時代も兵庫に移ってからも2000勝できるなんて、なかなかないことですからね。感謝の気持ちでいっぱいです。
会心の騎乗だったヒシサブリナの園田チャレンジカップ(写真:兵庫県競馬組合)
勝ち続ける秘訣というのは?
一番は強い馬に乗せてもらうことです。そのためには日々真面目に頑張ること、与えられた中できちんと結果を出すこと、関係者に「自分の馬を託したい」と思ってもらえる存在でいることが大事です。騎乗の中では、どこでギアチャンジをするのか。そこを間違えると強い馬でも負けてしまうこともあるし、そこが一番難しいです。
今後の目標は何ですか?
ケガがないよう1つ1つのレースを大切に乗るだけです。競走馬というのは、馬主が調教師に預けて、調教師が厩務員に託して、最後のバトンを受け取るのが騎手なんです。みんなの想いが詰まっているので、1つでもミスは許されないと思っています。僕は今56歳ですが、「年食ったな」とは絶対に言われたくないですね。今は体も昔と同じように動くし、いつまでも若々しくパワフルな乗り方を続けていきたいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
デビューから25年目を迎えた、兵庫の永島太郎騎手。小牧太騎手・岩田康成騎手に継ぐナンバー3の時期があったり、兵庫リーディングトップ10に入れない時期があったりと、まさに山あり谷ありの騎手人生を送っています。そんな永島騎手に、現在の想いを語っていただきました。
今年ここまで31勝(6月16日現在)、リーディング8位につけています。激戦区の兵庫で、2010年からは常にトップ10に入っていますね。
もっと勝ちたいと思っているけど、なかなか結果が出せていないです。数年間はもっと良かった時代があったので、現状に納得はできていないですね。兵庫だけじゃなくいろいろなところで乗せてもらって、上手な人はたくさんいるし、上には上がいっぱいいます。競馬は結果がすべての世界なので、誰かを意識するよりも自分自身との戦いですね。
今年25年目になりますが、ここまでのジョッキー生活を振り返るといかがですか?
気持ちも体もデビューした頃と変わらないつもりですし、40歳過ぎたけど年老いた感じはないです(笑)。いろいろなめぐり合わせの中で生きてきましたけど、振り返るとあっという間でした。僕のような波の激しい、激動のジョッキー人生っていうのはなかなかないんじゃないですかね。普通は平坦だったり、上ってそのままだったり、落ちてそのままだったりしますけど、僕は上がって下がってまた上がってのジェットコースター人生ですから(笑)
その激しい波というのは、どんなことが影響していると思いますか?
自分自身は特に変わっていないと思うんですけど、人から見て評価されたりされなかったりという感じなんですかね。どんなに自分が頑張っていると思っても、人に評価されなければ上には行けない世界ですから。あとは、「よし!今から」という時に、2度大ケガをしたこともありました。腕じゃなく脚だったので時間が掛かって、半年休んだ時と4か月休んだ時がありましたね。こういうめぐり合わせもあるんだと思います。ただ、いろいろな出会いがあって、人付き合いは恵まれました。普通では出会えない人と会えたし、本当に有難い出会いが多いです。
永島騎手は地方の騎手には珍しく、かなり転厩が多かったですよね。
そうですね。最初は自厩舎の調教師が勇退して解散になったんですけど、当時はいい順位にいたので、勝負を賭けようとリーディングトレーナーの厩舎へ移りました。でも結果を出すことができなかったし、周りからもあまり良く思われなかったですね。
リーディング厩舎へ移籍というのはかなり目立つ行動ですし、そういう積極的な動きを良く捉えない人もいますよね?
あの頃は精神的に辛かったですね。なんだか八方塞がりみたいな感じでした。これまでと同じ世界の中で勝負しているけれど、環境が変わると人の見る目も変わりますから。でもその時、家族をはじめ身近な人たちが助けてくれて。特に、妻の父から言われた言葉が今でも忘れられません。昔の人の言葉なんですけど、「過去と人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」っていう。人が人がと考えていても仕方ないし、なるようにしかならないんだなと気持ちを切り替えられました。
激動のジョッキー人生を25年間続けて来られたモチベーションというのは?
やっぱり、結婚して家族ができたことが大きいですね。家族に対する責任もありますし。それに、僕は騎手という仕事が大好きなんですよ。まだまだ乗っていたいし、もっと上手くなりたいです。1レース1レース、まだまだ反省点がいっぱいありますから。
騎手・永島太郎の売りは何ですか?
技術的には負けてないと思っています。プロの世界なので、そこは負けたくないですね。
具体的なことを言うと、捌きです。馬群にいる時、(アクセルを)踏んでから詰まると控える力が大きくなってダメじゃないですか。同じ詰まるでも、踏んでから詰まるのと踏む前に詰まるのでは全然違うので。踏んで控えて踏んで控えてみたいなシーソーのようなレースはダメなので、そこは大事にしています。流れの中で今踏めば大丈夫というのはわかって来ました。そういう部分の技術では負けないです。ただ、結果がついてこないと負け犬の遠吠えになるので、もっと経験を積んでもっと上手くなりたいです。
昨年の六甲盃では、ハルイチバンに騎乗して逃げ切り勝ち。人気馬を抑えての勝利は気持ち良かったんじゃないですか?
そうですね。あの時は代打で騎乗のチャンスをもらって、積極的なレースをしました。逃げたので砂も飛んでこなかったし、本当に乗ってて気持ち良かったです。ああいうチャンスを物にして、自分のお手馬に繋げて行けるかがカギですから。
2014年3月6日、ハルイチバンで六甲盃を勝利(写真:兵庫県競馬組合)
では、今後の目標を教えて下さい。
2000勝という数字が見えて来たので(6月16日現在1820勝)そこに向かって頑張りたいです。今の流れだと、劇的に勝ち星が変わることはないけれど、1つ1つコツコツと積み上げて行きたいですね。園田では毎年2000勝以上のジョッキーが集まるゴールデンジョッキーカップがあって、2000勝というのはやはり意識しています。あのレースは誰もバタバタしないんですよね。個々に色んなアクションはしているけど、無駄な動きをしないんです。進路も甘くないし密集して走っている中で、ギアチェンジもしっかりしているし、完全に手の内に入っているから少しの隙間、一瞬の隙間を付いてパッと伸びて来られる。間近で見ていてとても勉強になります。
兵庫は常に激戦区と呼ばれますけれども、ここ最近も、若手からベテランまで揃っていますね。
みんな生き生きと乗っているんで、そういう中で僕も乗れて楽しいです。特に最近は若手が頑張っていますよね。その中でも僕が注目しているのは鴨宮祥行です。体が大きくてまだ無駄な動きが多いけど、すごく頑張っていますよ。乗り馬で成績が左右されるので、今後は技術を磨くことと、人間関係が大事。周りから信頼されて、可愛がってもらえるジョッキーになって欲しいです。
今年も『その金ナイター』が始まりました。4シーズン目ということで、かなり定着しましたね。
でも地元でもまだ知らない人がいるんです。競馬は衣食住には関係ない、なくても生きて行けるものなので、継続的に魅力を伝えていかないと。ナイターはまた違う視点で見てもらえるし、平日の昼間では見られない人にも見てもらえるので、たくさんの方に楽しんで欲しいです。どこの競馬場ももちろんですけど、その中でも兵庫のレースは激しいと思っています。ギリギリのところで戦っている、激しいバトルを見て下さい!
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※インタビュー / 赤見千尋
杉浦健太騎手は、昨年の勝ち鞍が62。2013年の39勝から一気に増加して、兵庫リーディング8位に食い込みました。今年はデビュー6年目。成績が上昇してきた理由はどのあたりにあるのでしょうか?
2014年は勝ち星がかなり増えましたね。
だんだんと成績が上がってきたことで、依頼の声をかけてもらえるケースが増えたように思います。声をかけていただいた馬には、攻め馬から乗せてもらうようにしています。
成績が上がってきた要因はなんでしょう?
どうなんでしょう? 経験を積んで、落ち着いて乗れるようになってきたという点が大きいのかなあ。なるべく前の位置を狙っていくことと、思い切ったレースをすることを心がけているところは、以前と変わりないです。園田ではみんな前を狙いますが、でもそこで譲るとかして、消極的な騎手だと思われたくないですし、デビューのころ所属の先生に「引くな、強気で行け」と言われていました。レースで競って先輩に怒られることはありますが、それでビビッていたら成績なんか上がらないですからね。
もともと強気な性格だったんですか?
いや、そういうわけではなかったですね。どちらかというと、流されやすいタイプというか......。周りからは「思い切りがいいな」とよく言われますが、僕としては力が下の馬に乗ったとしても、見せ場は作りたいと思っているんですよ。観ている人にどこかで「おっ?」と思ってほしいといいますか、そういうことを心掛けとして持っています。
そして杉浦騎手は金髪も定着してきた印象があります。
昔から目立ちたがり屋なんです。中学のときは応援団長でしたし、野球部ではキャプテン。学校などでの集合写真をみると、たいてい最前列のセンターで写っているんです(笑)。髪の毛の色はなんというか、昔の反動もあるのかなあ。小学校のころからずっと坊主頭で、騎手になってからもしばらくは坊主。髪の毛が伸びてうれしいという気分がまだあるんです。これからもいろんなスタイルを試したいですね。
杉浦騎手は前向きな性格でもあるようですが、レースへはどういう心構えで臨んでいますか?
新聞は見ますけれども、それは参考にするぐらい。基本的には感性で乗るタイプになるのかなと思います。動物的な感覚を大切にしたいといいますか、乗ったときの雰囲気とか、ゲートを出たときに馬から伝わってくる手ごたえとか、そういうところをポイントにしています。
ただ、距離ロスが少なくなるように、というのは心がけていますね。もっと勝ち鞍を増やすためにはどうすればいいかと考えると、やっぱりいわゆる"ソツのない騎乗"をしていかないと。その上で、木村(健)さんのようなダイナミックな騎乗ができるようになりたいです。
となると、杉浦騎手のセールスポイントは?
うーん、そう聞かれると、まだよくわかりません、という感じになりますね。ただ、去年の成績を下回りたくないとはいつも思っていますし、自分よりキャリアが下の騎手には絶対に負けたくないです。
そのために以前と変えたところなどはありますか?
ときどきですが、トレーニングジムに通うようになりました。攻め馬には20頭ぐらい乗っていますから、筋肉はついていると思うんですが、ジムでは下半身を中心に鍛えています。
昨年はリーディング8位。今年の目標はどうでしょう。
上位の先輩方は強力ですが、そのなかに食い込める余地は出てきているのかなと思います。もっと乗り鞍を増やしたいですし、勝ち星を増やしたい。重賞も勝ちたいですね。あと、今はケガで休んでいますが、同期の田野(豊三騎手)には負けたくないですね。ライバルがいるとそれが張り合いになりますから、早く戻ってきてほしいです。
1月3日の新春賞ではニシノイーグルに騎乗して、懸命なアクションで差を詰めて2着に入線。杉浦騎手らしさが見えた一戦でした。兵庫の上位陣の壁は厚いですが、そこに食い込んでいく活躍を期待したいものです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
2014年の秋、地方競馬で話題となったのが、「宮下康一騎手が11年ぶりに現役復帰」したということ。ある意味、内田利雄騎手に匹敵する"さすらいジョッキー"といえるかもしれません。
10月に再び騎手となって2カ月ほど経ちましたが、いかがですか?
充実した日々ですね。園田競馬場はコースの形としては笠松に近いかな。インを攻める人も多いし、ペースも動くし、差しも届きますから、馬場の状況を読むことが大切。すごく乗りがいがあるコースです。
デビューから11年弱で1回目の引退をするまで、434勝を挙げました。
名古屋でデビューしたころは、騎手が50人ぐらいいた時代。だからデビュー当初は厳しくて、減量が取れるまではあまり勝てなかったですね。でも減量が取れてからは勝ち星が増えていきました。当時は年間50勝ぐらいのペースでしたが、吉田稔さんがいて、笠松には安藤勝己さん、光彰さん、川原さんがいた頃ですから、今になって考えると、よく勝てたなあと思います。
でも、デビュー10周年を目前にした2000年9月に、新潟県競馬に移籍します。
ずっと、よその競馬場だったらどれくらい通用するのかという思いがあったんですよ。あちこちの競馬場を回りたいなという考えもありました。僕は内田(利雄)さんより先に、それを実行したといえるのかな(笑)。
最初は新潟に行きましたが、そこが(2002年1月に)廃止になって、そのあと上山競馬が受け入れてくれたので移籍して、その年の秋に金沢に移りました。金沢は以前から乗りたいと思っていた競馬場で、元新潟の騎手や知り合いの馬主さんもいましたので、移籍はスムーズでした。
しかし、2003年7月に騎手を引退する決断をしました。
金沢に移ってから、いまひとつ勝ち星が伸びなかったんですよ。なんというか、スランプかなあという感じが続いていて。騎手としてこれからどうしようかという思いもあったときに、大井から調教するのが大変な馬(ネイティヴハート)がいるので、手伝ってくれないかという話が来たんです。大井は厩務員になれるのが30歳までという規定がありましたし。
それで29歳のときに騎手免許を返上したんですね。そして大井に移ったあとも、また移動がありました。
そうですね。その後は茨城の育成牧場で仕事をして、大井の立花伸調教師が妹(宮下瞳元騎手)と(地方競馬)教養センターで同期だった縁で紹介してもらって、群馬の境共同トレーニングセンターにある大井の外厩で仕事をしました。
そんななか、騎手に復帰したいと考えるようになったのはなぜですか?
本格的に考え始めたきっかけは、妹の引退式に行ったことですね(2011年8月)。当時の同僚たちといろいろ話をして自宅に帰って、それから1週間後くらいに、また騎手をやりたいという思いがこみ上げてきました。
でも、それを実現するのは大変なように思えます。
NARに問い合わせたら、引退して5年以上が経っているので新規と同じと言われました。それでもあきらめられないので、まずは受け入れてもらえる競馬場を探しました。いくつかあるなかで、知り合いがいることもあって兵庫を選んだのですが、いざ来てみたら「調教助手になれ」と。それじゃ話が違うということで困ったんですが、騎手が欲しいという厩舎が見つかったので解決できました。
騎手免許の再試験はいかがでしたか?
一発では受からなかったですね。まだ兵庫(西脇トレセン)に来たばかりでしたし、試験官も根性を試したんでしょうか(苦笑)。翌年、2回目で合格できました。乗馬と競走技術の試験がありまして、当然ですが学科もみっちり。試験の前は半年ぐらいかけて、頭のなかに詰め込みましたよ。
そして11年のブランクを経て、競馬場に戻ってきました。これまで(インタビューは12月10日)9勝を挙げていますが、1番人気馬には1回しか乗っていないんですよ。
そうなんですか。個人的にも、予想していたよりは勝てているかなという感じはありますね。取りこぼしもありますが......。復帰したときも競馬に対して違和感があまりなかったのは、体が覚えていたということなんだと思います。(再デビューしてから)年内に10勝というのが最初の目標でしたが、それより少しでも多く積み重ねていければいいですね。ただ、リーディング上位の人は本当にうまい。勉強になります。僕がほしい位置を、いつの間にか取られていることが多いんですよ。
それにしても、騎手を引退すると体型が崩れる人が多いなか、よくそのスリムさを維持できたと思います。
以前は開催が終わったら焼肉だとか、パーッとやっていましたけれど、育成の仕事に携わってからは、それがなくなったのが大きな要因でしょうね。当時は飲み屋でオープンからラストまでとか、そういうことが普通でしたし(笑)、いま考えると、あのころがなんかもったいなかったなあと思ってしまいます。
でも現在は騎手という立場に戻りましたが......。
いや、今は開催が終わっても家にいますよ。子供が小さいので、寝顔を見ながらお酒を飲む程度ですかね。ただ、育成牧場時代に厩舎作業をしていた影響なのか、上腕の筋肉が落ちないんですよ。それでも51㎏をキープできていますから、親に感謝ですね。
今後の目標を教えてください。
妹の勝利数(地方競馬で626勝)も目標ですが、リーディング上位に食い込みたいですね。そして、どんな馬にでも乗りたいというか、むしろ人が断るような馬に乗りたいと思います。名古屋にいたときも"クセ馬専門"という感じでしたが、そんな馬をどうやって誘導すればいい成績が残せるのか、そういうことを考えるのがけっこう好きなんです。
ちなみに宮下騎手の"初騎乗"は、幼稚園のときに出場した、鹿児島県で行われている「串木野の浜競馬」。その後は霧島の草競馬にも出場したとのことですから、競馬歴はかなりのもの。子供の頃からいろんな馬に乗ったその経験が、今も生きているのでしょう。
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インタビュー・写真 / 浅野靖典