
オッズパーク地方競馬応援プロジェクトで現在兵庫に在籍するのは2頭。マジックカーペット(牡4)は2016年園田ジュニアカップと2017年菊水賞、コーナスフロリダ(牡3)は2017年園田ジュニアカップを制覇し、世代を代表する重賞ウィナーとなっている。マジックカーペットは昨年6月に骨折・休養に入っていたが、いよいよ復帰に向け帰厩したということで、両馬を管理する田中範雄調教師に現況を聞いた。
デビューから7戦無敗ながら昨年6月、兵庫ダービー直前に左前脚の管骨亀裂骨折が判明し休養していたマジックカーペットがいよいよ帰厩したそうですね。
はい、4月14日に戻ってきました。骨折が判明した時は本当に残念でしたし、会員の皆さんには申し訳なかったです。当時500kg前後の馬体でしたが、今は成長して540kg。風格が全然違います。肩に幅が出て、完成された感じですね。実は去年の暮れに帰厩させようかとも考えたのですが、寒い時期は脚に入れているボルトに違和感を感じるのでは?と思い、暖かくなるまで待たせていただきました。私の経験上、ボルトが入った状態で寒い時期から使った馬はこれまで成功していないんです。会員のみなさんには長い間お待たせしてしまいましたが、おかげさまでとてもいい状態で帰ってきました。
帰厩したマジックカーペット
実際に見せていただいて本当に風格がありますし、背も高くなったように感じます。復帰戦など具体的なことは決まっていますか?
長い距離で復帰させたいですね。テンからスピードを要求される1400mは脚元に負担がかかります。しかし長い距離ならばスタートから前半は3割の力で行き、ある程度加速したところから後半800mで競馬をしていけば脚元にも負担がかかりにくいのではないかと考えています。兵庫ダービー前の骨折した時のあの嫌な感じが今でも忘れられません。あれは自分の不始末です。ですから、マジックカーペットには何か残してやりたくて、兵庫の無敗記録を作ってあげたいですね。復帰は条件戦からのスタートになると思いますが、オープンのA1まで上がってもいきなり重賞には使わずに、できるだけ連勝記録を伸ばして、斤量を背負わないといけないくらいポイントを稼いでから初めて重賞に出走させようかと考えています。
現3歳世代にはコーナスフロリダもいます。菊水賞は1番人気ながら4着。何かあったのでしょうか?
レースからあがってきた時の歩様がちょっとおかしかったんです。時間が経つにつれて歩様も戻り、レントゲンやエコーの結果、骨にも異常はないんですが、右脚内側の靭帯が腫れていました。何度もレースVTRを見て私なりに考えた結果、スタートして最初のコーナーで同厩舎のイチノフリオーソと接触し、そこで痛めたのではないかなと思います。実際、イチノフリオーソは右脚の外側を4針縫う怪我をして帰ってきているので。そんな状態で1周回ってきているので、伸びなかったのかなと。向正面でまくっていく感じもいつもと違いましたし、そうでないと4着なんて考えられません。7割のデキだった前走と違い、今回は最終追い切りで古馬とビシッと併せ馬をしてかなりいいデキでした。なんぼ悪くても2着には残らないといけないんですが......申し訳ございません。
園田ジュニアカップ(2017年12月31日)を制したコーナスフロリダ
写真:兵庫県競馬組合
それは不運でしたね。しかし、コーナスフロリダはまくっていく時の脚がすごいですね。
この馬のええとこは、平均ペースで長く脚を使えるところです。スタートはゆっくりですが、長距離ならば上がり4ハロンをどう走るかだけで、どの位置にいるかは関係ありません。コーナーを1つ回る度にポジションを上げればいいんですから。2戦目以降1700m中心に使って、そういう競馬を教えています。
菊水賞から4日が経ったところですが、今後の見通しはいかがですか?
今は安静にしています。どのくらいで治るか現時点では分かりませんが、問題なければ兵庫ダービーには間に合うのではないかと思います。そこから逆算して1レース使うことも治れば考えていますが、絶対に大丈夫とはまだ言えない状況です。装蹄師と相談して、痛がっている内側が少しでも楽に歩けるような蹄鉄に替えたりしています。
ここまでお話を聞いていて、田中範雄調教師の経験に裏付けされたお話がとても印象的です。通算1883勝(4月18日時点)、兵庫リーディングにも2004年、2014年に輝いています。改めて経歴を教えていただけますか?
父も兵庫で調教師をしていました。若い頃は遊んでいたんですが、20歳で父の厩舎で厩務員として働き始めました。その後、別の厩舎でも働きましたが、担当するのは脚が腫れている馬とかが多かったので、父にどうしたらいいか教えてもらいました。当時は進上金がよくて、若い頃やからね、遊ぶ金が欲しくて(笑)。「治せばなんとかなる」という発想で、どうしたらレースで結果を残せるかを考えていました。父が亡くなった後も、母から「腱の時は温めたらラクやからお父さんは温湿布しとったで」など教えてもらいました。
ここまで重賞52勝。マジックカーペットやコーナスフロリダでもさらに重賞制覇を期待しています。
長く使いたい馬は長距離で、と思っています。マジックカーペットも脚元のことがあるので長い距離で長く走らせたいですね。コーナスフロリダも治ればやれると思います。マジックカーペットも帰ってきたので今年は厩舎にエアコンを2基増設予定です。これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
2017年は2年連続で兵庫リーディングに輝くだけでなく、念願の全国リーディングのタイトルも獲得した下原理騎手。騎手激戦区の兵庫でトップを守るために心がけていること、恩師で3年前に急死した寺嶋正勝調教師から学んだこと、今後の目標を聞いた。
2年連続兵庫リーディングと初の全国リーディング、おめでとうございます。
ありがとうございます。2016年に初めて(兵庫で)リーディングジョッキーになって、2年連続になれるようにと考えてはいましたが、全国となると、開催日数など条件が違う地区との争いになるので、それほど意識はしていませんでした。周囲からは狙えと言われましたが、むしろ、その争いに加わっていることを楽しんでいるところもありました。
2年連続を達成できた要因は何ですか。
いつも通りのことをきっちりこなして、特別なことをしないように、平常心を保つことを心がけていましたが、それができたからかなと思っています。乗り手が気負うと馬に伝わって、力を出せないので、そこを大事にしてきました。
リーディングになる前と、なってからで、変わった点はありますか。
リーディングになってからは、あわてることが少なくなりました。勝つことが自信になり、落ち着きが出て、さらに次の勝利につながる好循環になっている感じです。これが勝つことへの近道だなと思います。
写真:兵庫県競馬組合
95年にデビューした下原騎手は12年目の06年に初めて年間100勝の壁を越えると、14年まで100勝台をキープ(左肩脱臼で長期離脱した12年は除く)。デビュー21年目の15年以降が年間200勝台。約10年単位でステップアップしています。
言われてみれば、そうですね(笑)。06年の100勝突破は岩田さんが中央に移籍して、15年も木村さん、田中さんが、けがで乗れなくなって、有力馬に乗せてもらったことが大きいと思います。
15年は上位騎手2人の長期離脱があったにせよ、2人が復帰してからも、復帰する前のペース以上で勝っていますよ。
自分では、まだまだと思っていますが、信用してもらえたんでしょうか(笑)。でも、田中さんも、川原さんもいますし、若い子も力をつけています。いつ抜かれてもおかしくないと思って乗っています。
今、期待している馬はいますか。
3月13日に昨年の(兵庫)最優秀2歳馬のコーナスフロリダに勝ったツルノシンは強かったですが、道営に戻るような話も聞きました。こちらにいたら菊水賞で期待できるんですが。3歳牝馬ならショコラパフェですね。1番人気だった1月の園田クイーンセレクションでは負けましたが、その後は連勝していますし、春の重賞では楽しみにしています。
今年でデビュー23年目ですが、1番の思い出の馬は?
やっぱり中央馬を破って佐賀記念を勝ったチャンストウライですね。中央馬に勝てる馬には、そう巡り会えませんからね。それに自厩舎の馬で、デビュー前から自分が乗っていましたので、思い入れも違います。帝王賞4着、アンタレスステークスでも5着、芝の阪神大賞典にも挑戦しました(10着)。あの馬との経験で自分も成長しました。それから、同じくらいの時期に地元と東海地区の短距離重賞を総なめにしたベストタイザンも忘れられません。
チャンストウライで佐賀記念を制覇(2008年2月11日)
自厩舎と言えば、師匠だった寺嶋正勝先生が急死したのが3年前(2015年)の3月10日でした。
今年も法要に行かせていただきました(取材日は3月14日)。先生の奥さんがお元気そうで、ホッとしました。
寺嶋先生から学んだこと、思い出すことも多いと思いますが。
僕がまだ教養センターにいる時は寺嶋先生は現役ジョッキーで、先生の師匠だった福地先生にお世話になっていました。福地先生の調教師引退と引き継ぐ寺嶋先生の厩舎開業と僕の騎手デビューが重なりました。寺嶋先生はレースの流れを考えずに、早めに仕掛けるようなバタバタする乗り方が嫌いで、そういう時には、もっと落ち着いて乗らないと、と注意されました。また、いいところをほめていただいて、もっと伸ばせとも言われました。あとは、汗取りにサウナをあまり使うなと言われました。若い時にはその意味が分からなかったですが、サウナで落としていると、年々落ちにくくなりますし、体力もそがれてしまいます。食べる量で調整していく方が楽で、レースにもいい体調で臨めるので、先生の仰っていた通りにしていて、良かったと思います。
勝負服の紫と白は寺嶋先生から引き継いだものですね。
はい、先生は胴袖紫の白山形で、僕は胴袖紫の白菱形で模様は違いますが。デビューする時に、先生に相談して、僕が決めました。僕の勝負服を見て、先生のことを思い出す方もいらっしゃると思いますし、先生から学んだことをしっかり受け継いでいかないといけませんね。
今後の目標を教えて下さい。
兵庫のリーディングも全国リーディングも守りたいですから、1つでも多く勝って勝ち鞍を伸ばしたいです。昨年は273勝でしたが、デビューしてから数年の勝てなかった時期を思うと正直、自分でもすごい数字だと思ってます。でも、岩田さんから先日、「300勝を狙え。オレは達成(2003年307勝、2004年324勝。中央も含む)したぞ」と言われました。300勝だと月25勝。昨年が月22~23勝ペースでしたから、そこから、さらに毎月2つを上乗せするのは、かなり大変です。でも近づけるようにはなりたいですね。
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※インタビュー / 松浦渉
2012年に厩舎を開業した新子雅司厩舎は、4年目の2015年に早くも兵庫調教師リーディングのトップに立ちました。昨年も104勝を挙げ、3年連続でのリーディングとなっています。
ここまでの道のりは開業前に思い描いたとおりだったのでしょうか。
2012年6月のスタート時は8頭分の馬房でしたから、年末までに20勝くらいできればと考えていました。それが実現できれば、馬房が16に増えたとき、年間で80勝できるという計算になります。実際は18勝でしたが、勝てる馬を年明けの開催に回した分がありましたからね。最初の半年でこれだけ勝てたのなら、次の年はリーディング上位に行けるだろうという手応えにつながりました。
厩舎開業時に苦労することとして、馬と厩舎スタッフを集めることの難しさがよく聞かれます。
調教師を目指していたときに、開業したら一緒にやりましょうと言ってくれる人もいましたし、その点に関しての不安はありませんでしたね。それで2年目はリーディング4位になりましたが、これはだいたい予測したとおりというか、そんな感じでした。
新子調教師は元ジョッキー。その後は厩務員、調教師補佐と経てきたわけですが、調教師になった今も所属馬には自らが乗るという方針を実践しています。
なんというか、僕はそれほど弁が立つタイプではありませんので、それなら実際に乗って、その感触を馬主さんに伝えていくほうが間違いないだろうということですね。そして自分が乗ることでのメリットはというと、スタッフとの結束力が強くなるということでしょうか。意見交換をするにしても、実際に乗っていないのでは、僕とスタッフとの間に温度差が出てくると思うんです。乗っているからこそわかることもありますから。
兵庫クイーンカップをタガノトリオンフで勝利(2017年11月9日、写真:兵庫県競馬組合)
新子調教師はまだ40歳ではありますが、そのためには体の維持が大切になりますね。
僕自身、馬に乗るのも好きですし、さわることも好き。そこが大きいですね。食事は1日1回にしていますが、それで問題なく過ごせています。食べ物が体に残っているときに乗りたくはないですし、内臓を無駄に動かさないという意味もあります。すべては健康で馬に乗りたいという、その思いだけです。いつまで乗れるのかとは思いますが、川原さんは元気に乗っていますし、大井には的場文男さんだっているわけですから。
新子調教師はもともと馬に携われる家庭環境だったのでしょうか?
いえ、奈良県の橿原市出身ですから、まったく関係ないですね。家庭の事情もありまして、中学を出たら働こうと考えていました。そうしたら中学3年ときに先生が「こういう職業があるぞ」と騎手を勧めてくれたんです。騎手なら早くから仕事ができますし、当時の教養センターは無料での寮生活でしたから、それで興味を持って受験したら合格できました。中学では野球をしていましたが、馬はゼロからのスタート。ですから入所後はついていくために必死でした。
そして騎手として126勝。そこからの転身となりましたが、すぐに切り替えはできたのでしょうか?
体重が増えてきた時点で、次の目標へと切り替えられました。それから厩務員、調教師補佐としておよそ10年、その経験は生きていると思います。僕が常に心がけているのは、馬の状態がいいときにレースに挑もうということです。
それが結果として、高い勝率につながっているわけですね。
常に100の状態で送り出すのではなく、レースによっては80くらいの力で、場合によっては60くらいの力でも勝てるようにしてあげたいですね。目指すところに合わせてその都度、馬のスイッチの入れ具合を考えています。
それぞれの所属馬にきめ細かく対応できるところも強みになりますね。それにしても厩舎初出走から1年弱での兵庫ダービー制覇は快挙だと思います。
ユメノアトサキが北海道から来たときの第一印象は「きゃしゃな牝馬」でした。繊細な性格も持っていましたが、乗ってみたらキャンターに移ったときの1歩目の感触が良かったんですよ。とはいえ、あれほどの活躍ができたのは、馬の気持ちにやさしく接してくれたスタッフの頑張りが大きかったのだと思います。
ユメノアトサキで兵庫ダービー制覇(2013年6月6日、写真:兵庫県競馬組合)
その翌年にはタガノジンガロでかきつばた記念を制しました。
ジンガロは育成牧場と連絡を取り合って、JRAと同じようにレース10日前に入厩して出走という形を取っていました。左に張るという課題がある馬でしたが、乗った感触としては「僕の重心のかけかた次第でなんとかなるかな」でした。
そしてその翌年、2015年には年間100勝を達成しました。
あの年は数字を意識しましたね。11月くらいに岩田さん(康誠騎手)に「年間100勝を目指せ」と言われたんです。数字を見てくださっていたんですね。でもそれを言われたときは正直、ちょっと厳しいんじゃないかと思いました。でもそれから馬とスタッフが頑張ってくれまして、そのおかげで大晦日の勝利で間に合いました。
そしてそれ以降も勝ち星は3桁を続けています。
個人的には常にキャリアハイを目指したいと考えています。2018年の目標としては、兵庫の調教師レコードの118勝を超えることですね。またダートグレードで勝負できる馬をつくっていきたいですし、兵庫ゴールドトロフィーは取らないといけないレースだとも思っています。今まで兵庫どころか地方所属馬が1回も勝っていないわけですから。昨年はエイシンヴァラーで5着でしたが、勝ち馬とは0.5秒差。今年もまた挑戦したいと思っています。
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※インタビュー / 浅野靖典
園田競馬で今年4月にデビューしてから10月19日までで13勝を挙げている長谷部駿弥騎手。13勝のうち8勝はナイターでの勝利で"その金の長谷部"の異名も。園田の将来を担う18歳の今の心境を語ってもらいました。
4月のデビューから半年で13勝(10月20日現在)。ここまでを振り返ってみて下さい。
初勝利までが時間がかかりましたが(6月23日)1つ勝ってからは、初勝利の時ほど、間隔を空けずに勝てるようになりました。と言っても、レースでは判断が遅くて反省ばかりです。勝負どころで内を突くか、外に出すかで、迷っている間に進路がなくなったり、後ろから上がってきた馬にかぶせられたり。そのせいで勝てるレースを落としたことも多いです。あとは乗っている時の姿勢や進路の取り方など、直すところがいっぱいで、まだまだだなと思ってます。
騎手になるきっかけは?
両親が競馬が好きで、大阪の出身だったので、小さな頃から、大阪から近い中央の阪神や京都、そして園田にも一緒に行ったり、テレビで見たりしていましたので、騎手になりたいと思うようになりました。名前の駿弥も優駿の駿と、弥生賞の弥から取ったものです。
そこまで競馬に熱心なご両親なら、騎手になることには賛成してくれましたか?
はい、小さい頃から、家からは少し遠い乗馬クラブでしたが、通わせてくれたり、後押ししてもらいました。今も応援に来てくれます。
中学卒業後は教養センターに入所しました。
毎日の訓練や体重のコントロールは厳しかったですが、同期と過ごす時間が多かったので、絆は深まりました。そんな同期と一緒に行った旅行とキャンプが1番の思い出です。
師匠の小牧毅先生との出会いは?
教養センターに合格後、地元ということもあり、園田で乗りたいと思っていましたから、すぐに園田の主催者に電話して、受け入れをお願いしました。その後、小牧毅先生にお世話になることに決まりました。
小牧先生はどんな先生ですか?
基本、乗り方は任せてくれますし、細かいことを言われたことはありません。時々、気付いた時に、騎乗フォームやレースの流れのことで、アドバイスをして下さいます。
目標にする騎手は?
田中学さんです。学さんのすごいところは、ただ勝つだけでなく、制裁が少なく、フェアーな乗り方で勝っているところです。あんな騎乗をしたいと思ってます。
これまでの13勝中、8勝がナイターの日に挙げたもの。一部のファンから"その金の長谷部"と呼ばれています。
なぜかナイターとは相性がいいんですよね(笑)。昼間開催よりもお客さんが多くて、大きな歓声を耳にすると、モチベーションは上がりますし、金曜のナイターが終わったら、体を絞るのも一区切りできるので、最後にもうひと頑張りみたいな感じなんでしょうか。自分でもよく分からないんですが(笑)。
普段の生活を教えて下さい。
調教が深夜1時から始まるので、12時半に起きます。それからレースのない日は9時まで調教に乗ります。レース日は7時まで騎乗します。平均したら、1日20頭くらいに乗ります。夜に寝るのは、だいたい8時くらい。休みの日はテレビを見たり、ゲームをしたりしてますが、最近は自動車の運転免許を取るために自動車教習所に通っています。
11月15日には地元園田でヤングジョッキーズシリーズが行われます。
ここまでの成績が良くないですが(佐賀12着、8着、金沢8着)、勝負どころをよく分かっている地元なので、意地は見せたいです。このシリーズでは色んな勉強をさせてもらいましたし、学ぶことが多いです。
具体的にどういうことを学びましたか?
普段、僕は減量騎手で先輩よりも軽い斤量で乗っていますが、ヤングジョッキーズシリーズでは通常の斤量(牡56kg、牝54kg)。56kgだとゲートからの出脚や勝負どころで追い始めた時の手応えが、軽い斤量で乗ってた時とは違い、明らかに鈍いです。もっと馬に負担をかけないように乗らないといけないし、自分が馬を動かしていたのではなく、軽いから馬が動いてくれていたというのを実感しました。減量の恩恵は大きいですね。
自分を厳しく見ていますね。騎手としての自分のセールスポイントを教えて下さい。
小さな頃から、乗馬をやっていたので、拳や手首は柔らかいと思ってます。それが馬と折り合いをつける時に役立っているんじゃないかと思っています。
最後にオッズパークのファンに一言お願いします。
新人で、リーディング上位の騎手と比べると、技術面ではまだまだですが、馬券を買って下さったファンの期待に応えられるようにこれから成長しますので、見守って頂ければと思います。
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※インタビュー / 松浦渉
2010年に園田競馬場でデビューした田野豊三騎手。今年(2017年)の7月から、門別競馬場でデビュー以来初の期間限定騎乗を行っています。8月8日の門別第7レースでは通算200勝を達成、同19日の札幌第10レース・富良野特別ではスピリアとのコンビでJRAへも初めて参戦しました。異なる環境でどのようなことに取り組み、どのような生活を送っているのかについて伺いました。
期間限定騎乗も佳境に入りました(10月12日まで)。ここまでレースに乗ってみての感想はいかがですか?
園田との馬場やコースの違いが分かってきたのかなとは思います。門別は直線が長いので、直線でヨーイドンのスピード勝負になりやすいのが大きな違いですね。
ホッカイドウ競馬は2歳戦が中心ですが、若馬が多いということで、レースの質や乗り方に違いは出てくるものですか?
古馬と違って、ハミの受けさせ方だとか、馬をフラつかせないように乗ることが注意点だと思いました。鐙も長くしないといけませんし。
調教の面での、園田と門別の違いは何ですか?
やはり坂路があるということが大きな違いですね。ただ、いろんな厩舎で調教を手伝わせていただいていると、厩舎によって調教メニューにも違いを実感できます。コース(の調教)でも結果を出されている厩舎もありますからね。
8月8日には通算200勝を達成されました。今シーズンここまでは、前年以上のペースで成績を挙げられています。
200勝はあくまで通過点なんですけど、園田の同期(杉浦健太騎手)のことを考えると、ちょっと遅いのかなと思います。年々勝ち鞍の数を増やしていきたい気持ちはあるんですが、門別に来たときに「勝ち鞍にこだわらず、自分の乗り方を一から勉強しなおそう」というつもりだったので、門別では特に成績にはこだわっていないです。たとえ成績が去年より悪くなっても、なにかいい出会いがあればそれでいいかなと。
今回の期間限定騎乗が決まったきっかけを教えてください。
今年の冬に、お世話になっている馬主さんと新冠へ2歳馬を見に行った夜に飲み会があったんですけど、田中淳司先生や川島洋人先生も同席されていたんです。それで、馬主さんから「門別で勉強したらどうだ?」と提案されて、先生がたも「来るなら面倒見るよ」と言ってくださったのがきっかけです。
実際に門別に来てみて、最初に驚いたことは何ですか?
門別はとにかく「広いな」というのが第一印象でしたね。厩舎地区なんかも広く使っている印象でしたし、馬のためにはいい競馬場なのかなと思いました。
受け入れ先の川島洋人調教師もかつては活躍されたジョッキーでした。レースや調教では、どんなアドバイスを受けていますか?
2歳馬にしても古馬にしても、馬がちょっと甘えたりじゃれてきたりしたときに、しっかり「ダメだよ」と教え込むことが重要だということはよく言われています。とにかく、馬にナメられないようにするというか。坂路の登り方だとか、とにかく調教が大事だということを教えていただきましたね。それまで何も知らなかったんだなとか、できていなかったんだなと感じさせられました。レースでも「ゲート裏で手の内に入れるように」と教えられています。馬の好きにさせてはいけないと。もちろん、園田でまったく考えていなかったわけではないんですけど、それは特によく注意してもらえますね。
その川島厩舎では、スピリアとのコンビで初めてJRAに参戦しました(8月19日札幌第10レース、富良野特別)。
王冠賞(8着)の前に、先生から「中央行くぞ」と言われたんですけど、最初に聞いたときは「本当に?」と驚きました。実際に行ってみると、施設の違いも感じましたし、芝コースでのレースに乗ること自体初めてだったんですけど、返し馬でもいくらでもスピードが出そうな感じでした。
結果は残念ながら14着となってしまいましたが。
「芝のレースだから」と思って、普段と違う乗り方にしたんですよね。言い訳になってしまうんですが、道営でもズル賢さを出す面がある馬だったので、そういう面を出さないように、普段のように、押し込むような形で乗っていけばよかったと思います。
一度JRAの競馬を経験したことはいかがでしたか?
一度芝のレースに乗ってみたいという気持ちは持っていたので、いい経験をさせてもらいました。声援の大きさも違いましたし、「JRAに乗る」ということはモチベーションになりますね。
北海道のジョッキーの皆さんとは、プライベートでもつながりはあるんですか?
北海道には同期がいなかったので、初めのうちは溶け込めるか不安もあったんですけど、若いジョッキーたちとご飯へ行ったり遊んだりとかもするので、歓迎されているのかなと思います(笑)。別に園田がギクシャクしているということもないんですけど、門別のほうがプライベートでの繋がりも多いですね。中野省吾さんがワールドオールスタージョッキーズへ乗りに札幌へ来たときも一緒にご飯へ行ったんですけど、一期上の先輩だったので、教養センターにいた馬の話とか、兵庫で一期上の先輩の山田(雄大)さん(兵庫)や山崎(雅由)さん(高知)の話になりました。
(左から)井上幹太騎手、水野翔騎手、田野豊三騎手、石川倭騎手、阿部龍騎手
期間限定騎乗も残り少なくなりました。残り少ない期間でどのようなことを得たいですか?
馬の扱い方をもっと細かく知りたいです。これまで園田で教えてもらったこととはまた別の角度から、いろいろなことを教えてもらえて、本当にいい経験になっています。園田に帰ってから、門別で得たことを試せるようにしたいですね。
最後に、オッズパーク会員の皆さまへメッセージをお願いいたします。
ジョッキーパンツにも広告を出していただいたりもして、いつもお世話になっています。このようなジョッキーについての読み物などで、僕たちを身近に感じていただければと思いますね。馬券を買いながら、僕の成長ぶりも見ていただきたいですし、機会があれば競馬場にも足を運んでいただきたいです。
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※インタビュー・写真 / 山下広貴