
数々の名実況を生んできた園田・姫路競馬の吉田勝彦アナウンサー。独特の語り口調は "吉田節"と親しまれ、2014年には『レーストラックアナウンサーとしてのキャリアーの長さ世界最長』としてギネス世界記録®にも認定されました。しかし、2020年1月9日をもってレース実況から引退されます。この道64年。「レースを喋るのではなく、語りたい」という吉田アナウンサーの思いとは。
実況歴64年の吉田アナウンサーですが、キャリアのスタートはどういったきっかけだったのですか?
僕はラジオドラマの声優になりたかったんです。局アナになろうと思ったら大学を出ていなかったらダメ。僕は大学に行っていないし、家が貧乏やったから高校3年間でさえ必死になって親に行かせてもらった。卒業して夜間の放送研究所に行って、当時はまだテレビの時代じゃなかったから、ラジオドラマやったらこんな声やけど役によっては使ってもらえるかもしれへんという気持ちがありました。昼間は空いているから、競馬の実況のアナウンサー募集があったから行きました。最初は長居競馬。園田と姫路があるように、大阪には長居競馬と春木競馬があったの。長居で10カ月いて、僕の喋りを聞いてくれた人が「あの男を兵庫県に呼べ。あの男は兵庫県の人間やから」と指名をしてくれてここへ来ました。
当時は競馬用語の解説書のようなものもなく、毎日早朝から競馬場に行って調教師や騎手の会話から競馬用語を覚えられたと伺いました。そうして厩舎関係者との絆も深めていかれたんですね。田中学騎手は「サンクリントの楠賞兵庫アラブ優駿の実況が一番印象に残っている」とおっしゃっていました。
あのレースの前にね、「学くん、今日は楽勝やなぁ」と言うたんや。そしたら「楽勝とまではいかんけども、勝てるやろうと思う。もし今日このレースで負けたら、それは神様のイタズラですよ」と僕に言うわけ。そのことを、向正面で2番手につけて、そろそろ前の馬を捕まえようかなというような状況の中で言いました。「もしこのレースで負けるようなことがあれば、それは神様のイタズラでしょう。そう言い残してこの馬に騎乗している田中学騎手、3コーナーで先頭に並んでいよいよ」っていう感じの喋りをしたんです。彼自身は何編も(何回も)家で聞き直したと言っていたね。そうやって喜んでくれたら嬉しいよね。
他にも多くの名実況がありますが、吉田さんご自身で印象に残っているレースはどれですか?
ビクトリートウザイ(※注)という馬がいました。あのビクトリートウザイが7回も重賞レースを勝って、そして最後のレースは64キロを背負って、他の馬たちと8キロ、9キロ差がありました。それまでだいたい3~4番手くらい、好位につけて差すっていうのがビクトリートウザイの戦法でした。あれを乗っていたのはいま調教師になっている保利良次騎手。64キロを背負った時、思い切った逃げに出たんよ。「ビクトリートウザイ、今日は先行策を」と言うたら、お客さんが「わ~!」と沸きました。向正面を過ぎて3コーナーに向かうところで後続馬がずーっと寄せてきて、「ビクトリートウザイ、果たしてこのまま押し切ることができるのか」と言うた時に悲鳴が上がったけど、3コーナーのカーブを曲がった所ではまだ余裕十分やったんや。4コーナーのカーブ手前のところで「ビクトリートウザイには十分余裕がありそうです。『来るなら来い!』そんな余裕を持ってビクトリートウザイ、直線に入ってきました」って言いました。そうしたら歓声が「わぁ~」って上がるんやね。悲鳴を上げさせて、歓声に変えて。その一言ひとことをお客さんは聞いてくれている。自分がレースを喋っていて、お客さんのそういう反応っていうのが大きいわね。
(※注)ビクトリートウザイ
1982年3月14日生まれ 静内産 アングロアラブ
父キタノトウザイ 母トーニチクイン
2~4歳時、通算24戦17勝(うち重賞7勝)
64キロを背負ったのは86年6月10日、ニュータウン特別(OP、園田1800m)
ファンと吉田さんの掛け合いだったんですね。
観客はその時、だいたい2万人くらい入っていました。今はもうその10分の1くらいになってしまっているから、僕ら実況を喋っていて物足りないです。やっぱりお客さんの歓声とか悲鳴を耳にしながら、目で見ながらやって喋りがいがあるけど、いまお客さんが少ないとカラオケで歌っているみたいな感じがして、なんかこう力が入らないって言うのかなぁ。それも逃げ口上かもしれないけど。
これだけ長い間、ずっと実況を続けてこられた秘訣はなんですか?
競馬のレースの実況というのは、いかに難しいか......難しいからここまで続けられたんやと思うねん、僕はね。「先頭がどれで、2番手どれで...」くらいのことやったら、喋りに心得のある者ならば、三月か半年でできる仕事です。64年間もやってきて「まだやり足りない」という気持ちがあるということは、いかに結論が出せないほど競馬の実況は難しいかということ。同じレースは2つとしてないんやからね。
何年か前に僕と同い年の北島三郎さんと話をした時に「北島さん、レースの実況、本当にもう辞めようと思う」というようなことを言いました。北島さんはそれまではニコニコ笑いながら世間話なんかをいっぱいしていたわけ。けどね、その時だけはクッと睨んで「吉田ちゃん、何言ってるの!俺だって足りねぇんだよ。だから歌ってんだよ」と、足りないっていう言葉を言われたねぇ。ホントにどんな世界であっても、「完璧にできました」という人なんかいないんだということを色んな人の話を聞いて思いましたね。僕らは住む世界が違うし、もちろんレベルも違う。けど、いま辞めるこの段階において、結局なんにもできないまんま終わってしまう無念、こういうのは本当に死にたいような気持ちやね。
いよいよ1月9日の引退の日が近づいてきました。
「あと何日経ったら、実況はできないんやなぁ」と思うのはやっぱり寂しいなという気持ちもあるけど、もう十分という感じやね。気持ちとしては、語りたいんやね、僕は。喋るんじゃなくて語りたい。子供の頃に親父と芝居を見に行って、親父は大変な吃音やったけど、義理人情を描いた芝居で掛け声をかけるのが上手かった。僕は競馬のレースの実況は芝居でいえば掛け声であったりすると思います。だけど、もうそういうことを言うチャンスもなくなるね。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
地方通算3944勝(9月17日時点)を挙げ、年内には4000勝のメモリアル勝利も見えてきた田中学騎手。デビューした頃には2000勝すら想像のつかない数字だったと言いますが、「1つでも上の着順を」と試行錯誤してきたことやこだわりの返し馬など、26年間積み重ねてきたものがありました。
7月17日に地方通算3900勝を達成して、いよいよ4000勝へのカウントダウンとなりました。
ありがとうございます。
今年は菊水賞など重賞2勝を挙げるジンギやMRO金賞を制覇したテツなど楽しみな3歳馬が多いですね。
3歳馬もですし、古馬でも遠征であちこちに行かせてもらって、ありがたいですよね。遠征が続くと「大変でしょう?」って言われるんですが、僕けっこう遠征に行くのも好きなんですよ。遠征先で美味しいものを食べるとか観光を特にするわけじゃないんですが、ひとりでただボーっと過ごす時間も楽しいなぁって。
移動時は体に負担がかかりそうです。2015年下半期は原因不明の腰痛が続いて半年ほど休養されたこともありましたが、いま体のコンディションはいかがですか?
あの時は病院をいろいろ回ったけど、なかなか原因が分からなかったんですよね。今もたまに痛みが出る時もありますが、なんとか持ち堪えています。最近は調教にはあまり乗っていないですが、それでもレースで乗せてくださる関係者には感謝しています。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
先日は高知競馬場へ西日本ダービーでテツと遠征されました。残念ながら4着でしたが、馬の状態などはいかがでしたか?
返し馬で砂がちょっと深いかな!?と感じました。4コーナーで前の2頭を交わす時に一緒に合わせて走ろうとするなど、まだ幼い面がありました。でも、逃げてしか勝ったことがなかったのが、今回は1つポジションを下げても向正面で手応えが良かったです。長い距離でもいけそうですし、思ったより力をつけています。
テツやジンギ、エイシンニシパなど橋本忠明厩舎とは名コンビですね。
橋本調教師も僕と同じく2世(父・橋本忠男さんは元調教師)。調教師になった当初から「全部マナブくんに乗ってもらうくらいのつもり」って声をかけてくれて、本当に嬉しかったです。エイシンニシパは去年の園田金盃で乗り馬が重なってしまって手放したんですが、責任だけはちゃんと果たしたいなと思って、今も調教には乗っています。すごく乗りやすい馬で、僕はただ跨っているだけです。
田中騎手の父・道夫調教師は騎手出身ですが、「人とは違うことをしないと何千勝もできない」とおっしゃっていました。
たしかに、同じ馬を同じように乗っていたって結果が出ることはないです。僕らでも新人の頃は1~2頭、同じ馬ばかりに乗っていました。その中で、別の馬が回ってきたら1つでも上の結果を残したいので、「(上手い人と)何が違うのかな?」って考えていました。
MRO金賞(7月30日・金沢)を制したテツ(写真:石川県競馬事業局)
そういうことの積み重ねが勝利につながっていくんですね。田中騎手は返し馬をじっくり丁寧にされる印象がありますが、そこに込められたポリシーは?
テン乗りだと返し馬を大事に、長めにしています。後ろから行く馬の場合は、ちょっと気を入れるようにしっかりとやりますね。そうしたらゲート離れ(スタート)からちょっと違うような気もして。馬体重が増えている時は「返し馬を強めにやりたいな」と思うこともあります。
的場(文男)騎手も返し馬を長めに乗りますよね!?的場さんなりの考えがあるんでしょう。いいものは取り入れたいと思います。
8月23日にはオッズパークプレミアムパーティーに出席されました。どんな雰囲気でしたか?
すごく豪華なホテルで、会員さんが80~90人くらい来ていたのかな。グッズ抽選会では当たった瞬間、「よっしゃぁー!」って声が会場に響き渡ったりしていました。そんなに喜んでくれたら嬉しいですよね。僕は勝負服とステッキ(鞭)とポロシャツをプレゼントしました。パーティーに呼んでいただくこと自体もですが、会員の方から「腰、大丈夫?」など声もかけてもらってありがたかったですね。
他競技の選手も出席されていましたが、どんなお話をされましたか?
競輪のトップレベルの選手やオート、ガールズケイリンの選手も来ていて、いろんな話を聞けました。オートは全然分からないので、仕組みを聞いたり、競馬で言う調整ルームが競輪ではどうなっているのかを聞きました。僕らは個室なんですが、競輪は4人部屋とかのようで、「いいねー」って言われました。
さて、いよいよ通算4000勝が見えてきました。
デビューした頃は2000勝って夢のまた夢っていうか、そんなこと自体、考えたことがなかったです。そんな中での4000という数字。上には上がいますが、4000勝は自分自身が良くやってくれたかなって思います。周りの人たちから助けていただいてばかりなんですけど、自分自身も褒めてあげたいなって。そういう気持ちが出てきてもいい数字かなって感じています。
4000勝を超えて5000勝となると、それはまた1つ上のランクかなと思います。川原(正一)さんもそうですが、すごいですよね。5000勝はいかに長く続けているかと、いかに早くから成績を残してきているかってことだと思います。騎乗できる期間(年数)は絶対的に限られていますから。的場さんなんて「すごい」って言う以前の問題で、「ものすごい」って言葉じゃ片付けられないですよね。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
たくさん馬券を買ってください! それが僕らへの応援になります。迫力のあるいいレースを届けたいっていうのは当たり前のこと。公営ギャンブルが潰れるか潰れないかは売り上げにかかっています。売り上げが上がれば賞金や手当て、待遇が変わって、そうするとモチベーションも上がって魅力のある騎手も増えます。いま、地方競馬の騎手がまた少なくなってきて、園田も30人を切っています。好循環になって、たくさんの人が競馬を楽しんで、馬券を買ってくれる人口が増えればと思います。
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※インタビュー / 大恵陽子
今春、デビューした木本直騎手(兵庫)。高校時代の友人の一言がきっかけで騎手を目指しましたが、4月11日のデビュー戦では本馬場入場時に落馬し競走除外。自身も骨折し、約1カ月の休養を余儀なくされました。デビュー直後からいきなり試練に見舞われましたが、6月12日に待望の初勝利を挙げたいまの心境を伺いました。
騎手になったきっかけを教えてください。
兵庫県西宮市出身で園田競馬場近くの工業高校に通っていました。一般的な高校3年間を過ごすつもりだったんですが、友達に「小柄だし、ジョッキーになればいいやん」と言われたことがきっかけです。当時はしょっちゅう美容院に行っていて、パーマもかけていたので「丸坊主か...」とも思ったんですが(苦笑)。1年生の3学期終業式当日に先生に高校を辞めることを伝えました。騎手になれるかどうか分からなかったので、友達には騎手になる直前まで何も言いませんでした。
友人の一言から思い切った決断を下しましたね。競馬は元々好きだったんですか?
いえ、ほとんど知りませんでした。ディープインパクトも知らないくらいで。友人に「ジョッキーになったら?」と言われた後、阪神競馬場にレースを見に行きました。武豊さんの名前しか知らないくらいでしたが、「うわ!これすごいな!」って思いました。
そこから騎手への道はどう手繰り寄せたんですか?
馬の専門学校を経て、いま所属している保利良平厩舎で厩務員をして地方競馬教養センターに合格しました。工業高校を中退した後は通信で勉強をしています。2年生まで単位を取って地方競馬教養センターに入所して、いままた高校3年生の勉強をしています。工業高校を中退する時に親と「高卒資格は取る」と約束したんです。
保利良平厩舎で厩務員をするきっかけは何だったんですか?
親の同級生に馬主さんがいて、その方が(保利)良平先生を紹介してくださいました。教養センターは規則が厳しくて辛かったですが、良平先生がずっと応援してくれていたので、辞めたら申し訳ないと思って頑張れました。
4月11日にデビュー戦を迎えましたが、ほろ苦いものになりました。
パドックから馬場に向かう馬道で、乗っていたダイシンクワトロが左に寄っていてチャカチャカしていて、馬具を外した時に馬がビックリしたのかひっくり返りました。落馬した瞬間のことは僕もよく覚えていないんですが、後ろにいた厩務員さんによると、馬と壁に挟まれたらしいです。デビューのお祝いに(杉浦)健太さんから「NAO KIMOTO」って名前入りでアメリカ製の鞭をもらったんですが、根っこから折れてしまいました。乗るはずだったダイシンクワトロは競走除外になりました。その後、2鞍に乗ったんですが、直後に良平先生から「もうやめとけ」と言われ、騎乗変更になりました。中学の友達やカメラ好きの友達が応援に来てくれていたので乗りたかったですが、手がすごく腫れあがって痛くなってきていました。
診断の結果、橈骨遠位端骨折で約1カ月休養することになりました。
休んでいる間に同期はどんどん勝っていって、しんどかったです。最初の頃は「早く乗りたい」って思っていましたし競馬も見ていたのですが、途中からしんどくなって見るのをやめました。モチベーションも低くなってきてしまって。プロはモチベーションを保つのが難しいって聞きますが、ホンマなんやなって感じました。でも、久しぶりに馬に乗ったら楽しくて、またモチベーションが上がっていきました。休養中はやっぱり焦っていましたね。
5月22日に待望の復帰戦を迎え、6月12日にエンジェルアイドルで初勝利を挙げました。
スタートから前に行ける分だけ行っておこうと思い、逃げ馬のハコ(直後)に入れました。前の2頭が競り合う形で展開にも助けられました。前走も乗せていただいたのですが、エンジンをかけるのが遅くて脚を余して2着だったので、この時は早めに行きました。それでちょうど良かったです。最後は永井孝典騎手が迫ってきて横を見ましたが、「あ、勝った!」と分かりました。「勝てて良かったぁ~」と嬉しかったです。
師匠の保利良平調教師からは何か言葉をかけられましたか?
一緒に口取り写真を撮りましたが、その1つ前のレースを自厩舎のグッドアビリティで勝てなかったので...。
自厩舎での初勝利も挙げたいですね。
はい、そうなんです。こないだ(7月3日)、良平先生のお父さんの(保利)良次厩舎で2勝目を挙げることができました。同じ日に自厩舎でもスダチチャンといういい馬に乗せてもらっていたんですが、3/4馬身差2着。タラレバですが、僕がもっとじっと乗っていたら、とも思います。自厩舎でも勝ちたいです。
スダチチャンとは以前から関りがあるそうですね?
騎手候補生の時からずっと調教をつけていて、思い入れがあります。スダチチャンが3歳で名古屋の梅桜賞に遠征した時、厩務員として僕も手伝いに行ってパドックで曳いていました。まさか騎手として乗れる日がくるとは思いませんでした。スダチチャンでも勝ちたいです。
これからの目標を教えてください。
ケガなく、安全と健康第一で頑張って、やっぱり勝ちたいです。僕、ゲートが苦手っていうか下手で、出る時にたてがみを離してしまうんです。いま、ネックストラップで頑張っていて、もうちょっと上手くなりたいです。川原(正一)さんはゲートが上手いですよね。ブラックルシアンに乗った時、僕はゲートを上手く出せなかったんですが、次走で川原さんが普通に出していて、すごいなって思いました。周りの人たちは「ゲートは出る週もあれば、出ない週もあるからそこまで気にしなくていい」と言ってくれるんですけど。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
勝負服は所属する保利良平先生のお父さんの保利良次先生の騎手時代のデザインを引き継いで、愛着を持っています。これからも頑張るので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 大恵陽子
兵庫一冠目・菊水賞を制覇したジンギ。間隔が詰まる兵庫チャンピオンシップは回避し、満を持して兵庫ダービーに登場します。5戦4勝、うち重賞2勝。父は今をときめくロードカナロアという3歳牡馬を管理する橋本忠明調教師に、ジンギのことやご自身のこと、さらに厩舎看板馬好調の理由を伺いました。
祖父の代から続く調教師一家で、お父様は重賞52勝を挙げた橋本忠男元調教師。ご自身も2013年、37歳で調教師になられましたが、小さい頃から競馬の世界に入りたいと思っていたんですか?
父が厩舎を開業したのは小学校5年生の時だったんですが、ランドセルを背負って調教スタンドで調教を見てから登校して、帰って来るとランドセルを背負ったまま寝藁を返したり掃除を手伝っていました。好きやったんでしょうね、めっちゃ早起きしていました。高校卒業後は北海道の牧場や、アメリカやアイルランドの厩舎で働きました。当初はJRAの調教師を目指していたのですが、父の厩舎が西脇から園田に移転する時、それまで働いていた厩務員さんたちは西脇に残るので、「どうする?帰ってくるか?」と声を掛けられて園田へ戻ることに決めました。帰ってきたのは運命かな、と思います。
2013年10月に厩舎初出走を迎え、昨年は地元リーディングは5位。今年早くも重賞5勝を挙げています。開業後、早い時期から活躍していましたが、ここまで振り返ってみていかがですか?
開業6年目になりますが、馬主様にも従業員にもすごく恵まれています。期間限定も含めて昨年は32馬房。勝利数や重賞勝ちなどに基づくメリット制で毎年馬房が増え、それに伴い従業員もだんだん増えていますが、私が「ちょっと休憩したら?」と思うくらいみんな一生懸命にやってくれています。そんな姿を見ていると、私もいい馬を集められるように努力しないと、とより思います。そういった好循環で、すごく上手く回っている気がします。
新春杯(1月3日)を制したエイシンニシパ(写真:兵庫県競馬組合)
今年は年明け最初の重賞・新春杯をエイシンニシパで制覇して幸先のいいスタートを切りました。同馬は昨年、10戦して2着がなんと6回。歯がゆい思いをし続けたと思いますが、今年はさらにはがくれ大賞典、兵庫大賞典と重賞を連勝しました。何か突き抜けるきっかけがあったのでしょうか?
今まで感性だけで仕事をしてきた部分が大きかったんですが、時代も変わって今は科学的なデータを取ることができます。ニシパに関してもそういった部分からのアプローチで、去年とは全く違うんです。また、負荷をかけることは故障リスクも伴いますが、スタッフが準備・上がり運動をしっかりやってくれたり、丁寧にケアをしてくれています。私も厩務員の時から常にそうでしたが、「大胆に攻めて繊細に見る」を基本にしています。兵庫大賞典はあれだけ調教をやれていなかったら、あんな強い勝ち方はできなかったのかなと思います。去年は調教をやっているつもりでしたが、今考えたらまだまだ足りていなかったんでしょうね。次走は6月14日の六甲盃を予定しています。
3歳馬ジンギも重賞2連勝中。デビューから5戦4勝、2着1回で兵庫ダービーへ向けて期待が高まります。父ロードカナロア、母の父ディープインパクトという良血馬ですが、第一印象はどうでしたか?
元々はJRAにいたのですが、自分から走ろうとするところが全くなかったと聞いています。それでJRAではデビューせずに、オーナーが「園田の橋本に」とおっしゃってくださいました。私でも知っているような血統。「これは絶対にモノにしないと」って馬を見る前にまず思いましたし、実際にジンギを見るとロードカナロア産駒らしい体つきをしていました。調教を始めた当初はすごく幼くて、発走検査や能力検査でも正直、動きはもうひとつかなと思ったのですが、能検で気持ちが完全に入りましたね。新馬戦では手前を替えてからの脚がすごかったです。
2戦目こそアイオブザタイガーの2着に敗れたものの、その後のレースでは強さが光りました。
2戦目は、砂を被る経験をさせたいということもありました。勿体なかったなという気持ちもありますが、次につながるレースでもあったと思います。重賞初出走になった園田ユースカップはまだ経験がなさすぎる中、内がすごく軽い馬場で2頭分外に出して勝ちきってくれました。やっぱり「モノが違うな」って感じました。それまではレース後、体を戻すのにすごく時間がかかっていたのが、ユースカップ後は戻りが早かったんです。だから調教も今までよりも攻めることができました。それが菊水賞の勝利にもつながったのだと思います。馬に体力がついてきましたね。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
6月6日の兵庫ダービーに向けて状態はいかがですか?
いいですね。パワーアップしていて、動きがすごくいいです。兵庫チャンピオンシップにも行きたかったですが、菊水賞から中2週と詰まってしまうのでやめました。その分、兵庫ダービーは絶対に決めないと!と思ってやっています。ジンギは直線に向いて左手前になったら絶対に伸びます。
同厩舎のテツも園田ユースカップで3着。その後はJRA芝1200メートルで2戦(5着、7着)しましたが、兵庫ダービーでは有力馬の1頭になりそうです。
テツはサマーセールで自分で見つけてオーナーに買っていただいた馬なんです。みんなそうだと思うのですが、「この馬で兵庫ダービーを勝つ」と思って選びました。ここ2戦は1200メートルを使わせてもらいましたが、兵庫ダービーの1870メートルに対応できるように一旦、近郊の牧場に出して立て直しました。これまで騎乗した騎手も「距離は持ちます」と言っていますし、対応できると思います。
今年は特に橋本調教師のダービーに対する並々ならぬ思いが伝わってきます。
過去3回、兵庫ダービーに出走してすべて2着だったんです。クリノエビスジン(勝ち馬トーコーガイア)、コパノジョージ(勝ち馬インディウム)、クリノヒビキ(勝ち馬コーナスフロリダ)。やっぱり勝ちたいですよね。
お父様の忠男元調教師も兵庫ダービーを勝ちたくて探してきた馬がオオエライジン(2011年兵庫ダービー馬)でしたね。さて、念願の兵庫ダービー制覇のほかに目標はありますか?
いま厩舎を引っ張ってくれているのはエイシンニシパですが、ジンギがそれを継いでくれたらと思います。ほかにもテツやエイシンミノアカ、エイシンエンジョイなど重賞に手が届きそうな馬もたくさんやらせていただいているので、まずは狙ったレースに向けて怪我をさせないように、きっちり仕上げて万全の状態でレースに出せるようにしたいです。そこからの勝負ですからね。いまはそういう気持ちです。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。東北や北海道、そして南関東も含めて全国の重賞を視野に入れて戦っていきたいと思っていので、応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
昨年、初めて全国リーディングに輝いた吉村智洋騎手。パワフルさ溢れる34歳のジョッキーは地元・兵庫でリーディングに輝くのも初めてながら、兵庫の騎手としての地方競馬年間最多勝記録も更新しました。現在も全国リーディングを走る吉村騎手に初のリーディングを獲得した気持ちとこれからについて伺いました。
2018年地方競馬全国リーディング、おめでとうございます!大晦日まで森泰斗騎手とのデットヒートが続きましたが、森騎手がJRAで挙げた7勝を加算したとしても最終的に4勝差の296勝でトップに輝きました。
ありがとうございます。途中からずっと追われる立場で、意識して数字は見ていました。ところが10月に自分のミスで騎乗停止になってしまい、ここで追い越されてしまいました。騎乗停止になったことはよくないことですが、それで気持ちが吹っ切れました。
前回、オッズパークのインタビューに出演いただいた時は地元リーディング4位。3年の間には師匠・橋本忠男調教師が引退されるなど様々な出来事がありました。
デビューからずっとがむしゃらにやってきて、それはこの3年間も同じです。師匠には競馬のイロハなどたくさん教えてもらうことがありました。競馬は生涯勉強なのでまだまだ学びきれていないこともありますが、師匠の最後の重賞レース(2017年1月3日新春賞)をエイシンニシパで勝ててよかったです。調教にも乗っていたのですが、渾身の仕上げで「負けへんな」とは思っていましたが、競馬は何があるか分からないので、今までで一番緊張しました。ゴール前で2着馬に迫られて、「勝ってくれ」と願いながら馬の首を前に押しましたが、残せたかどうか分からなかったです。検量委員が僕の番号を先に言って、「勝ったんやな」と分かりました。師匠が最後に重賞を勝てて、いい終わり方ができたかな、と思います。
2017年新春賞。馬の右が橋本忠男調教師(写真:兵庫県競馬組合)
師匠の引退後は飯田良弘厩舎に所属。覚悟を決めて所属になったそうですね。
ちょうど飯田厩舎も成績が伸びている時期だったので、僕が所属することで勝利数が減ってはいけない、と思っていました。だから、前年からの順位は落とせないっていう使命感がありました。去年は飯田厩舎も地元リーディングをとれてよかったです。
兵庫の調教師リーディング争いも年末まで接戦でしたが、見事に振り切りましたね。年末は吉村騎手にいつも以上の気迫を感じました。最終的に兵庫の騎手として年間最多勝記録を更新(地方競馬の勝利に限る)した一方で、あと4勝で大台の300勝でした。意識していましたか?
本当は300勝超えをしたかったですね。以前、年間99勝で終わった時に「あと1勝でしたね」とインタビューで言われたんです。その時に返した言葉が「あと101勝足りませんでした。200勝を目標にしていました」って。目標は「届かないやろうな」ってくらいのところに設定しておかないと、常に上がって行けないんじゃないかなと思っています。そうして自分にプレッシャーを与えています。
年明けに東京都内で行われたNARグランプリ授賞式にはご両親の姿もありました。
一生に一度しか行けない場かもしれないので、大阪に住む両親の衣装を一緒に買いに行って、東京に連れて行きました。母は全国リーディングが決まった時、嬉しくて泣いたと言っていました。これまで親孝行なんてしたことがなくて、僕にはこういうことしかできません。
NARグランプリ2018共同記者会見
2019年も4月22日時点で全国リーディングに立っています。ちなみに、2位はまたまた森泰斗騎手。今年も熱い戦いが見られそうですね。
すぐに追いつかれますし、抜かれる可能性もあると思っています。森泰斗さんとは昨年の秋、京都馬主協会会報誌の対談でお会いしました。南関東の方が開催日数は多いですが、4場ともコース形態が違いますし、馬も多いので、その中で勝つことってすごいことだと思います。
4月3日には地方通算1700勝も達成されました。通算2000勝以上の騎手が園田競馬場に集う『ゴールデンジョッキーカップ』への出場も見えてきましたね。
ホントですね。出たいですよね。ゴールデンばかりですから、「いつもはこんな馬やのに、違う感じに走っていた」とか学ぶべきものがたくさんあって、見ていて面白いです。そこに出てればもっと学べますから、来年出られたらいいですね。
今年の目標を教えてください。
ずっと心がけているのが、1年間フルで騎乗することです。怪我も騎乗停止もなく乗ることが一番の目標ですね。それで、300勝できればいいかなって思います。まだまだレースで雑な部分を自分自身で感じます。小回りで先手必勝なので、前で競馬を組み立てることを考えますが、それでも「この馬はそこまで前に行かなくてもよかったかな」と反省する時もあります。そういったたくさんある課題を少しずつ直していければと思います。
所属する飯田良弘厩舎のナナヨンハーバーで兵庫クイーンカップを勝利(2018年11月15日、写真:兵庫県競馬組合)
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつもオッズパークで馬券を買っていただきありがとうございます。みなさんのおかげで地方競馬全体の売り上げが上がって、騎手一同モチベーションが上がっています。僕も、おかげさまで全国リーディングをとることができました。競馬場に来られない時はオッズパークで馬券を買っていただいて、時間に余裕がある時はぜひ競馬場に来て応援のほどよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子