今春、デビューした木本直騎手(兵庫)。高校時代の友人の一言がきっかけで騎手を目指しましたが、4月11日のデビュー戦では本馬場入場時に落馬し競走除外。自身も骨折し、約1カ月の休養を余儀なくされました。デビュー直後からいきなり試練に見舞われましたが、6月12日に待望の初勝利を挙げたいまの心境を伺いました。
騎手になったきっかけを教えてください。
兵庫県西宮市出身で園田競馬場近くの工業高校に通っていました。一般的な高校3年間を過ごすつもりだったんですが、友達に「小柄だし、ジョッキーになればいいやん」と言われたことがきっかけです。当時はしょっちゅう美容院に行っていて、パーマもかけていたので「丸坊主か...」とも思ったんですが(苦笑)。1年生の3学期終業式当日に先生に高校を辞めることを伝えました。騎手になれるかどうか分からなかったので、友達には騎手になる直前まで何も言いませんでした。
友人の一言から思い切った決断を下しましたね。競馬は元々好きだったんですか?
いえ、ほとんど知りませんでした。ディープインパクトも知らないくらいで。友人に「ジョッキーになったら?」と言われた後、阪神競馬場にレースを見に行きました。武豊さんの名前しか知らないくらいでしたが、「うわ!これすごいな!」って思いました。
そこから騎手への道はどう手繰り寄せたんですか?
馬の専門学校を経て、いま所属している保利良平厩舎で厩務員をして地方競馬教養センターに合格しました。工業高校を中退した後は通信で勉強をしています。2年生まで単位を取って地方競馬教養センターに入所して、いままた高校3年生の勉強をしています。工業高校を中退する時に親と「高卒資格は取る」と約束したんです。
保利良平厩舎で厩務員をするきっかけは何だったんですか?
親の同級生に馬主さんがいて、その方が(保利)良平先生を紹介してくださいました。教養センターは規則が厳しくて辛かったですが、良平先生がずっと応援してくれていたので、辞めたら申し訳ないと思って頑張れました。
4月11日にデビュー戦を迎えましたが、ほろ苦いものになりました。
パドックから馬場に向かう馬道で、乗っていたダイシンクワトロが左に寄っていてチャカチャカしていて、馬具を外した時に馬がビックリしたのかひっくり返りました。落馬した瞬間のことは僕もよく覚えていないんですが、後ろにいた厩務員さんによると、馬と壁に挟まれたらしいです。デビューのお祝いに(杉浦)健太さんから「NAO KIMOTO」って名前入りでアメリカ製の鞭をもらったんですが、根っこから折れてしまいました。乗るはずだったダイシンクワトロは競走除外になりました。その後、2鞍に乗ったんですが、直後に良平先生から「もうやめとけ」と言われ、騎乗変更になりました。中学の友達やカメラ好きの友達が応援に来てくれていたので乗りたかったですが、手がすごく腫れあがって痛くなってきていました。
診断の結果、橈骨遠位端骨折で約1カ月休養することになりました。
休んでいる間に同期はどんどん勝っていって、しんどかったです。最初の頃は「早く乗りたい」って思っていましたし競馬も見ていたのですが、途中からしんどくなって見るのをやめました。モチベーションも低くなってきてしまって。プロはモチベーションを保つのが難しいって聞きますが、ホンマなんやなって感じました。でも、久しぶりに馬に乗ったら楽しくて、またモチベーションが上がっていきました。休養中はやっぱり焦っていましたね。
5月22日に待望の復帰戦を迎え、6月12日にエンジェルアイドルで初勝利を挙げました。
スタートから前に行ける分だけ行っておこうと思い、逃げ馬のハコ(直後)に入れました。前の2頭が競り合う形で展開にも助けられました。前走も乗せていただいたのですが、エンジンをかけるのが遅くて脚を余して2着だったので、この時は早めに行きました。それでちょうど良かったです。最後は永井孝典騎手が迫ってきて横を見ましたが、「あ、勝った!」と分かりました。「勝てて良かったぁ~」と嬉しかったです。
師匠の保利良平調教師からは何か言葉をかけられましたか?
一緒に口取り写真を撮りましたが、その1つ前のレースを自厩舎のグッドアビリティで勝てなかったので...。
自厩舎での初勝利も挙げたいですね。
はい、そうなんです。こないだ(7月3日)、良平先生のお父さんの(保利)良次厩舎で2勝目を挙げることができました。同じ日に自厩舎でもスダチチャンといういい馬に乗せてもらっていたんですが、3/4馬身差2着。タラレバですが、僕がもっとじっと乗っていたら、とも思います。自厩舎でも勝ちたいです。
スダチチャンとは以前から関りがあるそうですね?
騎手候補生の時からずっと調教をつけていて、思い入れがあります。スダチチャンが3歳で名古屋の梅桜賞に遠征した時、厩務員として僕も手伝いに行ってパドックで曳いていました。まさか騎手として乗れる日がくるとは思いませんでした。スダチチャンでも勝ちたいです。
これからの目標を教えてください。
ケガなく、安全と健康第一で頑張って、やっぱり勝ちたいです。僕、ゲートが苦手っていうか下手で、出る時にたてがみを離してしまうんです。いま、ネックストラップで頑張っていて、もうちょっと上手くなりたいです。川原(正一)さんはゲートが上手いですよね。ブラックルシアンに乗った時、僕はゲートを上手く出せなかったんですが、次走で川原さんが普通に出していて、すごいなって思いました。周りの人たちは「ゲートは出る週もあれば、出ない週もあるからそこまで気にしなくていい」と言ってくれるんですけど。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
勝負服は所属する保利良平先生のお父さんの保利良次先生の騎手時代のデザインを引き継いで、愛着を持っています。これからも頑張るので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 大恵陽子
兵庫一冠目・菊水賞を制覇したジンギ。間隔が詰まる兵庫チャンピオンシップは回避し、満を持して兵庫ダービーに登場します。5戦4勝、うち重賞2勝。父は今をときめくロードカナロアという3歳牡馬を管理する橋本忠明調教師に、ジンギのことやご自身のこと、さらに厩舎看板馬好調の理由を伺いました。
祖父の代から続く調教師一家で、お父様は重賞52勝を挙げた橋本忠男元調教師。ご自身も2013年、37歳で調教師になられましたが、小さい頃から競馬の世界に入りたいと思っていたんですか?
父が厩舎を開業したのは小学校5年生の時だったんですが、ランドセルを背負って調教スタンドで調教を見てから登校して、帰って来るとランドセルを背負ったまま寝藁を返したり掃除を手伝っていました。好きやったんでしょうね、めっちゃ早起きしていました。高校卒業後は北海道の牧場や、アメリカやアイルランドの厩舎で働きました。当初はJRAの調教師を目指していたのですが、父の厩舎が西脇から園田に移転する時、それまで働いていた厩務員さんたちは西脇に残るので、「どうする?帰ってくるか?」と声を掛けられて園田へ戻ることに決めました。帰ってきたのは運命かな、と思います。
2013年10月に厩舎初出走を迎え、昨年は地元リーディングは5位。今年早くも重賞5勝を挙げています。開業後、早い時期から活躍していましたが、ここまで振り返ってみていかがですか?
開業6年目になりますが、馬主様にも従業員にもすごく恵まれています。期間限定も含めて昨年は32馬房。勝利数や重賞勝ちなどに基づくメリット制で毎年馬房が増え、それに伴い従業員もだんだん増えていますが、私が「ちょっと休憩したら?」と思うくらいみんな一生懸命にやってくれています。そんな姿を見ていると、私もいい馬を集められるように努力しないと、とより思います。そういった好循環で、すごく上手く回っている気がします。
新春杯(1月3日)を制したエイシンニシパ(写真:兵庫県競馬組合)
今年は年明け最初の重賞・新春杯をエイシンニシパで制覇して幸先のいいスタートを切りました。同馬は昨年、10戦して2着がなんと6回。歯がゆい思いをし続けたと思いますが、今年はさらにはがくれ大賞典、兵庫大賞典と重賞を連勝しました。何か突き抜けるきっかけがあったのでしょうか?
今まで感性だけで仕事をしてきた部分が大きかったんですが、時代も変わって今は科学的なデータを取ることができます。ニシパに関してもそういった部分からのアプローチで、去年とは全く違うんです。また、負荷をかけることは故障リスクも伴いますが、スタッフが準備・上がり運動をしっかりやってくれたり、丁寧にケアをしてくれています。私も厩務員の時から常にそうでしたが、「大胆に攻めて繊細に見る」を基本にしています。兵庫大賞典はあれだけ調教をやれていなかったら、あんな強い勝ち方はできなかったのかなと思います。去年は調教をやっているつもりでしたが、今考えたらまだまだ足りていなかったんでしょうね。次走は6月14日の六甲盃を予定しています。
3歳馬ジンギも重賞2連勝中。デビューから5戦4勝、2着1回で兵庫ダービーへ向けて期待が高まります。父ロードカナロア、母の父ディープインパクトという良血馬ですが、第一印象はどうでしたか?
元々はJRAにいたのですが、自分から走ろうとするところが全くなかったと聞いています。それでJRAではデビューせずに、オーナーが「園田の橋本に」とおっしゃってくださいました。私でも知っているような血統。「これは絶対にモノにしないと」って馬を見る前にまず思いましたし、実際にジンギを見るとロードカナロア産駒らしい体つきをしていました。調教を始めた当初はすごく幼くて、発走検査や能力検査でも正直、動きはもうひとつかなと思ったのですが、能検で気持ちが完全に入りましたね。新馬戦では手前を替えてからの脚がすごかったです。
2戦目こそアイオブザタイガーの2着に敗れたものの、その後のレースでは強さが光りました。
2戦目は、砂を被る経験をさせたいということもありました。勿体なかったなという気持ちもありますが、次につながるレースでもあったと思います。重賞初出走になった園田ユースカップはまだ経験がなさすぎる中、内がすごく軽い馬場で2頭分外に出して勝ちきってくれました。やっぱり「モノが違うな」って感じました。それまではレース後、体を戻すのにすごく時間がかかっていたのが、ユースカップ後は戻りが早かったんです。だから調教も今までよりも攻めることができました。それが菊水賞の勝利にもつながったのだと思います。馬に体力がついてきましたね。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
6月6日の兵庫ダービーに向けて状態はいかがですか?
いいですね。パワーアップしていて、動きがすごくいいです。兵庫チャンピオンシップにも行きたかったですが、菊水賞から中2週と詰まってしまうのでやめました。その分、兵庫ダービーは絶対に決めないと!と思ってやっています。ジンギは直線に向いて左手前になったら絶対に伸びます。
同厩舎のテツも園田ユースカップで3着。その後はJRA芝1200メートルで2戦(5着、7着)しましたが、兵庫ダービーでは有力馬の1頭になりそうです。
テツはサマーセールで自分で見つけてオーナーに買っていただいた馬なんです。みんなそうだと思うのですが、「この馬で兵庫ダービーを勝つ」と思って選びました。ここ2戦は1200メートルを使わせてもらいましたが、兵庫ダービーの1870メートルに対応できるように一旦、近郊の牧場に出して立て直しました。これまで騎乗した騎手も「距離は持ちます」と言っていますし、対応できると思います。
今年は特に橋本調教師のダービーに対する並々ならぬ思いが伝わってきます。
過去3回、兵庫ダービーに出走してすべて2着だったんです。クリノエビスジン(勝ち馬トーコーガイア)、コパノジョージ(勝ち馬インディウム)、クリノヒビキ(勝ち馬コーナスフロリダ)。やっぱり勝ちたいですよね。
お父様の忠男元調教師も兵庫ダービーを勝ちたくて探してきた馬がオオエライジン(2011年兵庫ダービー馬)でしたね。さて、念願の兵庫ダービー制覇のほかに目標はありますか?
いま厩舎を引っ張ってくれているのはエイシンニシパですが、ジンギがそれを継いでくれたらと思います。ほかにもテツやエイシンミノアカ、エイシンエンジョイなど重賞に手が届きそうな馬もたくさんやらせていただいているので、まずは狙ったレースに向けて怪我をさせないように、きっちり仕上げて万全の状態でレースに出せるようにしたいです。そこからの勝負ですからね。いまはそういう気持ちです。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。東北や北海道、そして南関東も含めて全国の重賞を視野に入れて戦っていきたいと思っていので、応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
昨年、初めて全国リーディングに輝いた吉村智洋騎手。パワフルさ溢れる34歳のジョッキーは地元・兵庫でリーディングに輝くのも初めてながら、兵庫の騎手としての地方競馬年間最多勝記録も更新しました。現在も全国リーディングを走る吉村騎手に初のリーディングを獲得した気持ちとこれからについて伺いました。
2018年地方競馬全国リーディング、おめでとうございます!大晦日まで森泰斗騎手とのデットヒートが続きましたが、森騎手がJRAで挙げた7勝を加算したとしても最終的に4勝差の296勝でトップに輝きました。
ありがとうございます。途中からずっと追われる立場で、意識して数字は見ていました。ところが10月に自分のミスで騎乗停止になってしまい、ここで追い越されてしまいました。騎乗停止になったことはよくないことですが、それで気持ちが吹っ切れました。
前回、オッズパークのインタビューに出演いただいた時は地元リーディング4位。3年の間には師匠・橋本忠男調教師が引退されるなど様々な出来事がありました。
デビューからずっとがむしゃらにやってきて、それはこの3年間も同じです。師匠には競馬のイロハなどたくさん教えてもらうことがありました。競馬は生涯勉強なのでまだまだ学びきれていないこともありますが、師匠の最後の重賞レース(2017年1月3日新春賞)をエイシンニシパで勝ててよかったです。調教にも乗っていたのですが、渾身の仕上げで「負けへんな」とは思っていましたが、競馬は何があるか分からないので、今までで一番緊張しました。ゴール前で2着馬に迫られて、「勝ってくれ」と願いながら馬の首を前に押しましたが、残せたかどうか分からなかったです。検量委員が僕の番号を先に言って、「勝ったんやな」と分かりました。師匠が最後に重賞を勝てて、いい終わり方ができたかな、と思います。
2017年新春賞。馬の右が橋本忠男調教師(写真:兵庫県競馬組合)
師匠の引退後は飯田良弘厩舎に所属。覚悟を決めて所属になったそうですね。
ちょうど飯田厩舎も成績が伸びている時期だったので、僕が所属することで勝利数が減ってはいけない、と思っていました。だから、前年からの順位は落とせないっていう使命感がありました。去年は飯田厩舎も地元リーディングをとれてよかったです。
兵庫の調教師リーディング争いも年末まで接戦でしたが、見事に振り切りましたね。年末は吉村騎手にいつも以上の気迫を感じました。最終的に兵庫の騎手として年間最多勝記録を更新(地方競馬の勝利に限る)した一方で、あと4勝で大台の300勝でした。意識していましたか?
本当は300勝超えをしたかったですね。以前、年間99勝で終わった時に「あと1勝でしたね」とインタビューで言われたんです。その時に返した言葉が「あと101勝足りませんでした。200勝を目標にしていました」って。目標は「届かないやろうな」ってくらいのところに設定しておかないと、常に上がって行けないんじゃないかなと思っています。そうして自分にプレッシャーを与えています。
年明けに東京都内で行われたNARグランプリ授賞式にはご両親の姿もありました。
一生に一度しか行けない場かもしれないので、大阪に住む両親の衣装を一緒に買いに行って、東京に連れて行きました。母は全国リーディングが決まった時、嬉しくて泣いたと言っていました。これまで親孝行なんてしたことがなくて、僕にはこういうことしかできません。
NARグランプリ2018共同記者会見
2019年も4月22日時点で全国リーディングに立っています。ちなみに、2位はまたまた森泰斗騎手。今年も熱い戦いが見られそうですね。
すぐに追いつかれますし、抜かれる可能性もあると思っています。森泰斗さんとは昨年の秋、京都馬主協会会報誌の対談でお会いしました。南関東の方が開催日数は多いですが、4場ともコース形態が違いますし、馬も多いので、その中で勝つことってすごいことだと思います。
4月3日には地方通算1700勝も達成されました。通算2000勝以上の騎手が園田競馬場に集う『ゴールデンジョッキーカップ』への出場も見えてきましたね。
ホントですね。出たいですよね。ゴールデンばかりですから、「いつもはこんな馬やのに、違う感じに走っていた」とか学ぶべきものがたくさんあって、見ていて面白いです。そこに出てればもっと学べますから、来年出られたらいいですね。
今年の目標を教えてください。
ずっと心がけているのが、1年間フルで騎乗することです。怪我も騎乗停止もなく乗ることが一番の目標ですね。それで、300勝できればいいかなって思います。まだまだレースで雑な部分を自分自身で感じます。小回りで先手必勝なので、前で競馬を組み立てることを考えますが、それでも「この馬はそこまで前に行かなくてもよかったかな」と反省する時もあります。そういったたくさんある課題を少しずつ直していければと思います。
所属する飯田良弘厩舎のナナヨンハーバーで兵庫クイーンカップを勝利(2018年11月15日、写真:兵庫県競馬組合)
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつもオッズパークで馬券を買っていただきありがとうございます。みなさんのおかげで地方競馬全体の売り上げが上がって、騎手一同モチベーションが上がっています。僕も、おかげさまで全国リーディングをとることができました。競馬場に来られない時はオッズパークで馬券を買っていただいて、時間に余裕がある時はぜひ競馬場に来て応援のほどよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
テンマダイウェーヴとのコンビで重賞2勝を挙げた、兵庫の渡瀬和幸騎手。1999年のデビューから、20年目の悲願の重賞初制覇。ここまでコツコツと努力を重ねて来た苦労人に、現在の心境をお聞きしました。
兵庫若駒賞、園田ジュニアカップと重賞連勝おめでとうございます!
ありがとうございます。すごく嬉しいです。兵庫若駒賞の時は馬自身まだ勝利を挙げたことがなかったし、初の重賞挑戦でどのくらいやれるかなという気持ちでした。でも勝負どころで手ごたえバツグンで、「あれ?あれ?あれ?」という感じでしたね。
どの辺で勝ちを意識しましたか?
4コーナーで前が開いた時です。僕,最初は(下原)理さんの内を狙ったんですけど、バッと閉まってしまって。でも外が開いたので、そっちに切り替えました。そうしたらすごく良く伸びてくれて。
勝った時はガッツポーズをしていましたけれども。
ゴールに入ったら自然とやっていました。馬も初重賞勝利ですし、僕にとっても初めてで本当に嬉しかった。何より、仕上げてくれた陣営に感謝しています。
人馬ともに重賞初制覇となった兵庫若駒賞(2018年10月18日)
テンマダイウェーヴとは4戦目のJRA認定競走からコンビを組んでいますね。
最初は(杉浦)健太が乗っていて、その時のレースで健太が違う馬に乗るということで回って来たんです。初めて乗ったレースは2着だったんですけど、ちょっとまだ後ろ脚が甘かったりしてコーナーで外側に流れて行くようなところもありました。馬場が悪かったのもありますし、これからどんどん成長してくれるだろうなと。2着で賞金加算したので、次は兵庫若駒賞へという流れになって。もともと健太が乗っていた馬ですから『健太で』という声もあったんですけど、新井先生が「渡瀬で賞金加算したんだからこのままいきましょう」って言ってくれたんです。
それで結果を出せたことは大きいですね。
そうなんです。実際僕より先生の方が嬉しかったんじゃないですかね。先生はもともと(渡瀬騎手が所属する)碇(清次郎)厩舎で厩務員をしてから調教師になった方で、昔からずっと一緒にやって来たんです。だからこうして結果を出せたことは本当に嬉しいです。
次のJRA認定競走から逃げる形での競馬を覚え、園田ジュニアカップも逃げ切り勝ち。より強い競馬で重賞連勝でした。
最初は逃げようとは思っていなくて、好位の外取れたらみたいな気持ちでした。スタートも速かったですし、他の馬が意外と行かないから中途半端になるよりはと逃げました。ずっと気合を付けながらで、ずっと遊んでいる感じでした(笑)。それでも(相手が)来れば来る分だけ伸びてくれて、本当に強い競馬でしたね。
園田ジュニアカップ(2018年12月31日)
兵庫若駒賞は人気薄での勝利でしたが、園田ジュニアカップは1番人気での勝利。プレッシャーはありませんでしたか?
僕、基本的にあまり緊張しないタイプなんですけど、さすがにこの時は緊張しました。これまでで一番緊張したんじゃないかっていうくらい。先生のプレッシャーの掛け方もすごかったんです。装鞍が終わって「お願いします」って言ったら、「勝って帰ってこいよ」って。それまではあんまり緊張してなかったんですけど、パドック行ってからなんだかすごくしゃべっている自分がいて。これは緊張を誤魔化しているんかなって。とにかくめちゃめちゃ緊張しましたね。
そのプレッシャーを跳ね退けて見事な勝利でした。またひとつ大きな経験を積みましたね。
これは大きいですよね。今回は絶対に勝たなければならないって思っていて。でも競馬で絶対勝たなければならないという立場って、どんなに強い馬に乗っていてもキツイですから。だから(武)豊さんとか本当にすごいなって改めて思いました。こんなプレッシャーをGIでやっているなんて...、想像しただけで本当にすごいです。
初遠征の笠松(ゴールドジュニア・7着)は残念な結果でした。
そうですね。馬も人も初の笠松だったので、理さんや(田中)学さんにアドバイスをいただいたりもしたんですけど、枠も外だったし、結果あそこまで外を回るなら下げても良かったかなと。惨敗という形になってしまいましたが、馬も人もいい経験をさせてもらいました。馬自身は幅も出て、後ろ脚もしっかりしてきたので、これから暖かくなってさらに楽しみです。
この馬はどんな存在ですか?
やっぱり、こういう馬がいるとモチベーションは違うと思います。自分自身ではそれほど意識はしていないですけど、やっぱり違うのではないかと。それに、普段この馬の攻め馬は健太がずっと乗っているんです。「いつもありがとう」と言っていますし、本当に感謝しています。
これまで渡瀬騎手もそういう経験があったんじゃないですか?
それはそうですね。だからこそ感謝してます。僕はデビューして20年経って、ようやく掴んだ重賞だったので。重みありますよね。でもここまでジョッキーをして来て、辞めたいと思ったことないんですよ。ずっと馬に乗っていられて楽しいというのが大きくて。怪我もそんなになく休むこともなかったし、とにかく馬に乗ることが好きなので。
園田ジュニアカップの口取りにはお子さんが4人写っていましたけれども、渡瀬騎手のご家族ですか?
うちの家族と甥っ子が1人混ざってます。うちの子供は5歳、3歳、0歳なんですけど、本当に可愛いくて...。励みになりますね。保育園から帰って来て、その金ナイターとか見ているらしいんですけど、一番上の子が「パパいつも勝てへんなぁ」って言ってたらしくて(苦笑)。口取りに写ったのも初だったと思うし、僕が目の前で勝ったのも初めてだったんじゃないかな。「おめでとう!」って走って来てくれて。もう勝った瞬間よりもそっちの方が泣きそうでした(笑)。記憶に残ってくれるといいんですけど。
奥様はいかがでしたか?
めっちゃ笑顔ですごく喜んでくれましたね。やっぱり奥さんがいるから頑張れるんです。子供もいるし、家族のために一生懸命頑張らないと。それが力になってます。大晦日に競馬終わって嫁さんの実家に行ったら、垂れ幕とか飾ってあって、クラッカーでお祝いしてくれて。本当に嬉しかったですね。
今回ジョッキーインタビューは初登場です。オッズパーク会員の皆さんに自己PRをお願いします。
園田のペリエと呼ばれています。髪型的に(笑)。厩務員さんや調教師さんからもそう呼んでもらっているので、そのあだ名で覚えてもらえたら嬉しいです。騎乗に関して負けない部分は、今はゲートですね。出遅れはほぼないと思っていただいて大丈夫です。昔はそうでもなかったんですけど、ここ何年かずっと乗り方を研究していて、他の人の真似をしたりいろいろ試してみたんですけどなかなかしっくりこなくて。それで、アブミの長さを2、3穴(約5cm)伸ばしたらすごくしっくり来て。重心の問題だと思うんですけど、しっかりとゲート出るようになって、自分の形ができました。
そういう時期にテンマダイウェーヴのような馬と出会えたのも良かったですね。
本当に今で良かったですね。園田は若くて活きのいい騎手もどんどん出て来てますけど、追い比べになったらまだまだ負けないですよ。若い子らには、「もっと来い!」と思っています。今回こういう馬に出会って成長させてもらっているし、まだまだ頑張ります!これからもよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:兵庫県競馬組合)
今春、デビュー10年目を迎える杉浦健太騎手は重賞通算9勝(1月21日現在)。特にマイタイザンとのコンビでは重賞6勝を挙げ、同馬は2018年兵庫県競馬の年度代表馬に選出されました。この馬に巡り会えたことで自信がつき、周囲からの評価も変わったといいます。節目を前に、マイタイザンとのことやご自身の目標について語っていただきました。
前回こちらにご登場いただいてから約4年が経ちました。その間にマイタイザンとのコンビで2015年兵庫若駒賞を勝利し重賞初制覇。ゴール手前で喜びのガッツポーズが出ましたね。
そうでしたね(笑)。嬉しすぎて自然と出ちゃいました。その1カ月前の園田プリンセスカップに3戦無敗で1番人気のスマイルプロバイドと挑んだんですが、8着に惨敗。重賞初勝利を期待していたので、「まだまだ早いのかな」って感じていたところだったんです。兵庫若駒賞は周りから「絶対勝つやろう」オーラがすごくて、人生で一番緊張しました。マイタイザンはもともと掛かる馬で、兵庫若駒賞でも持ちきれないくらいの手応えで2番手でレースを進めました。4コーナーで後ろから他馬が来る気配が一気に近づいてきたんで一瞬ヤバいと思いましたが、途中からは「大丈夫かな」と思えました。喜びよりもホッとしたのが一番でした。初めて重賞を勝たせていただいて、自信にもなりましたし、いい勢いがつきました。当時、験担ぎであごヒゲを伸ばしていたんです。僕、結構そういうのを気にして、「このパンツ!」とか「流れが悪いから髪の毛を切ろう」ってなるんです。あごヒゲは役割を果たしてくれたので「重賞勝てました。ありがとう」ってすぐに剃りました。
その後、マイタイザンとは中距離戦線でお馴染みのコンビとなり、2018年は新春賞、兵庫大賞典、園田金盃を制覇されました。すべて逃げ切り勝ちで、自分の形に持ち込むと本当に強いですよね。
こんな馬に巡り会えたのはすごいことですよね。最近は馬自身が抜くところは抜いて、パッと走るところは走るっていう気合いのオンオフがつけられるようになってきました。若い時は行きたがってなだめるのが大変だったんですが、最近はレースに向けて仕上げやすくなりました。それもいい結果につながっているんじゃないかなと思います。2018年は年明け最初の重賞・新春賞をマイタイザンで勝って、12月の園田金盃も勝利。マイで始まってマイで終わった1年でした。
マイタイザンで制した園田金盃(2018年12月13日/写真:兵庫県競馬組合)
マイタイザン自身は2018年は6戦5勝。それだけに、東海菊花賞でカツゲキキトキト相手に持ち前の逃げの手に出て3着に敗れたのは悔しかったのではないかなと想像します。
強い馬から逃げてもダメなんでね。強い相手と戦えば、どんどん強くなっていくと思っていますし、もっともっと強いステージでやっていきたいと思っている馬です。キトキトに真っ向勝負を挑んで負けたことは、結果的には園田金盃の勝ちにつながったと思っています。今年も遠征プランもあります。まだ先着できていないので、なんとかキトキトを目標にがんばりたいですね。
マイタイザンには杉浦騎手の特別な思いもありますしね。
レースもですが、調教でもずーっと乗っています。この馬と大きいところをたくさん勝たせてもらってすごく自信にもなりましたし、この馬のおかげで周りからの評価も変わりました。めちゃくちゃ感謝しています。それと、「タイザン」はオーナーの冠名なのですが、「マイ」は僕の妻の名前なんです。妻も喜んでいますが、レースで走る度に「私が一番緊張する」って言っています(笑)。
同じオーナーのノブタイザンでも2018年は六甲盃を後方から差し切り勝ちされました。どんな1年でしたか?
ノブタイザンらしい気持ちいい勝ち方をしてくれて、すごく嬉しかったです。重賞もいっぱい勝たせてもらって、そういう面ではよかったですが、2018年は勝ち星が伸び悩みました。2016・17年はキャリアハイの82勝だったのですが、74勝に落ちちゃって不甲斐ないです。2着が飛びぬけて多い(98回)んですよ。納得の2着と「ああしとけばよかったな」っていう2着もありました。それをきっちり1着に持ってこられたら、もっと勝ち星も増えるので、「2着を1着に」って気持ちを強く持って今年は乗っています。
六甲盃をノブタイザンで勝利(2018年3月1日/写真:兵庫県競馬組合)
なにか最近、取り入れたことや変えたことはありますか?
以前より自分の中で気持ちに余裕ができて乗れているなって感じます。馬のリズムを大切に、馬の邪魔をしないことをすごく考えています。木村さん(木村健元騎手・現調教師)がすごい憧れで目標にしているんですが、桁違いに上手いので、自分でちょこちょこアレンジしながらやっていたら、馬に合わせてっていう方向になってきたんだと思います。
2019年に入って、現在の調子はいかがですか?
良くもなく悪くもなく、ですね。毎年、どこかで勝てない時期が1~2カ月単位で入るんですが、今年はトンネルをなくして平均ペースで勝ちたいです。
身近なところでは、吉村智洋騎手が2018年地方競馬全国リーディングに輝きました。毎晩、調整ルームでお鍋を囲んでいるそうですね。
ずっとレースのことを喋ったり、身近で見ている方なので刺激になります。僕ももっとがんばらなあかんなって思っています。
春にはデビュー10年目を迎えます。今後の目標を教えてください。
早いですね~、そんなに経つんですね。まだ自分では若手だと思っているので、フレッシュにもっとがんばりたいです。目標は、3年連続で言っているんですが、年間100勝です。上位の騎手から勝ち星をとっていかないと上っていけないですが、10年目の節目になんとかがんばりたいです。
最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
みなさんが馬券をいっぱい買ってくれたら、僕らもすごくやる気が出ますし、刺激にもなってもっとがんばれます。ぜひ応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子