各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。
各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。
兵庫所属の松浦政宏騎手は、2013年9月12日に通算1000勝を達成。兵庫では上位4名の騎手が強力ですが、12月18日現在で第6位となる勝ち星を挙げています。
浅野:通算1000勝達成、おめでとうございます。昨年はケガで半年ほど休んだわけですが、通算1000勝というのが復帰への意識としてあったんでしょうか。
松浦:いえ、それは特になかったですね。デビュー当初から、この仕事はケガがつきものだと思っていましたし、ケガしたからどうのこうのということは考えにはありませんでした。ただ、収入がとどこおるというのは大変でしたけど。
浅野:馬場入場時に負傷したわけですが、復帰まで意外と時間がかかりました。
松浦:最初の診断は全治1週間の打撲だったんですけれど、検査するたびにその期間が延びて、結局全治6ヶ月。左足の十字靱帯損傷のほかに、骨もはがれていて、そこをボルトで押さえてもまた取れる可能性があるらしかったんですよ。そういうわけで、中途半端な状態で戻るよりは、リハビリをしっかりしたほうがいいだろうという結論になったんです。
浅野:リハビリ中はどんな感じだったんですか?
松浦:リハビリ担当の医師から言われたことを家でずっとやっていましたね。4ヶ月後あたりから走れるようになって、半年後の12月中旬から馬に乗れるようになりました。今も手術したところが突っ張ることはありますが、実戦では意識することがないレベルですね。乗っている感覚も前と変わらないです。ただ、まだ正座はできないんですよ。
浅野:松浦騎手は騎手を引退して、4年後にまた騎手免許を取得されました。その間、よく騎手の体型を維持できたなあと思います。
松浦:ウチの一族には大きい人がいないので、そういう家系なんでしょうね。競馬から離れているときも、体重のことは気にしていませんでした。でもこの間のケガで休んでいるときに、少し体型が変わった感じはしますね(苦笑)。
浅野:それでも今年1月下旬に復帰したあとは順調に勝ち星を重ねてきています。
松浦:関係者の皆様にいい馬に乗せていただいているからですよ。そのおかげでの成績だと思います。自分としては、ファンや関係者のかたに納得していただけるレースをするということをいちばんに心がけていますね。新聞紙上の印がどんなのであろうと1戦1戦を一所懸命に乗る。それはデビュー当初から思っていることです。
浅野:そのなかで、数々の印象深い勝利を残してきました。多くのファンには、勝負どころから一気に差を詰めてくる紫の勝負服というイメージが、強烈に頭に刻まれているように思います。
松浦:やっぱりそう思われているんでしょうね。でも個人的には逃げ馬だったら逃げたいし、その馬の持ち味を出す乗り方をしようという気持ちですよ。
浅野:確かに、ポアゾンブラックとのコンビでは先行策で活躍しました。
松浦:あの馬は乗ったときから違うと思える感覚がありましたね。能力があるからこそ、難しい面もありました。1400mくらいまでなら押し切れるんですが、それ以上だと折り合いがどうしてもカギになります。兵庫ダービー(2着)のときは乗り難しかったですね。でも、それからJRAに移籍して活躍しているのはうれしいことです。
浅野:またトップを目指せる馬に巡り会いたいですね。
松浦:そうですね。ただ、レッドゾーンにしてもポアゾンブラックにしても、自厩舎の馬なんですよ。また活躍馬に乗せてもらいたいですが、ほかの厩舎から乗ってくれと依頼される騎手になってこそだと思うんです。そういう存在になれるように、技術はもちろんですが、人間として一流に近づいていきたいです。
浅野:松浦騎手がここまで来ることができた原動力は何なのでしょうか。
松浦:実家は社(やしろ・現在は兵庫県加東市)で、父親の勧めで騎手という仕事を考え始めて、那須(地方競馬教養センター)に行ってから初めて馬に乗ったぐらいなんですが、やるからにはやっぱり負けたくないなという思いはありましたね。でもすべては、いい人たちに出会えたことだと思います。
浅野:今後の目標などはありますか?
松浦:具体的な目標はないですね。任せられた馬を関係者が考えている成績より上に連れていけるように。それを積み重ねていくだけです。
受け答えに派手さはありませんが、それは松浦騎手がもつ誠実さと職人的な気持ちから来ているのだという印象を持ちました。コツコツと成績を積み重ねてきた松浦政宏騎手のさらなる前進に期待していきたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
10月17日に園田競馬場で行われたスーパージョッキーズトライアル第2ステージ。川原正一騎手は、そこで5着2回と着順をまとめ、第1ステージでの首位を最後まで守り、11月30日、12月1日にJRA阪神競馬場で行われるワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)への出場権を手にしました。今年の川原騎手は、地方競馬全国リーディングを独走中(10月29日現在)。54歳にして、なお進化を続けています。

浅野:スーパージョッキーズトライアルの優勝、おめでとうございます。
川原:ありがとうございます。全部、それなりの成績がある馬に乗せてもらえていましたし、ポイントを取りにいくレースをしました。船橋での第1戦は吉原くん(1番人気馬に騎乗して3着)が勝ちにいって、ぼくはポイントを取りにいった、その差が着順(川原騎手は2着)に出たのかなと思います。
普段のレースでもそうなんですけれど、自分自身が勝とうと思ってしまうと、馬に余計な負担がかかってしまうんですよね。だからいつも馬のリズムが優先。レース中のポジションとかは気にしないことにしています。それがぼくの基本ですね。
浅野:でも、2位の桑村真明騎手(北海道)とは1ポイント差。ギリギリの優勝でした。
川原:得点状況は気になりましたよね。トップで折り返したし、第2ステージは地元だし。最後は運がよかったんだと思います。個人的な心がけとして、自分は運がいいんだと思い込んでいるんです。周りにもそういうことを言っています。
浅野:しかしながら、1997年以来、16年ぶりのWSJS出場ですね。97年は3、3、1、1着という成績で優勝しました。
川原:あのときはNARから指名されて出場したんですよね。確か、笠松でのリーディング2年目で、勝率がよかったから選ばれたのかな。当時はJRAでのキャリアが今ほどなかったから、うまく乗れるか心配でした。でも行ってみたら、意外にちゃんと乗れましたね。最後のレース(第4戦・ゴールデンホイップトロフィー)ではステイゴールドを負かしましたし。いやしかし、世界の騎手と渡り合って優勝ですよ。今でも信じられないですね。表彰式のときもうれしかったですけれど、終わってから日に日に「すごいことをしたんだな」と感じてきたのを覚えています。本当に、競馬の神様がぼくに降りてきていたんだろうなあ。

浅野:そして今年は全国リーディングでもあります(10月29日現在)。好調の要因はどのあたりなのでしょうか。
川原:笠松の頃はトップを守ろうなんて思っていたんですけれど、今はあまり気にしません。与えられたひとつひとつを大事にやっているだけですよ。大きいのは、柏原誠路厩舎(10月29日現在、兵庫リーディングトレーナー)の主戦騎手にしてもらっていることかな。今日(10月24日)勝った馬も柏原厩舎。先生とはよくコミュニケーションを取っていて、この馬は先生に相談して、1700mの予定から1400mに変えてもらったんです。柏原先生は勝ちにこだわる人ですし、ぜひリーディングを取ってもらいたいですね。
浅野:笠松でトップジョッキーだった30代のときと50代である現在で、変わったところがあるとすればどのあたりでしょうか。
川原:技術的な部分や考え方、それから馬に対する考え方は、あの頃より上でしょうね。今はとにかくいいレースができればという、それしか頭にないですよ。勝っても負けても反省。馬のいいところを伸ばして、弱点が表に出ないようなレースをしてあげたいなと思っています。競馬は馬が主役。馬がいちばんしんどい思いをしているわけで、騎手なんてちっとも偉くないんです。30代の頃はそんなことあまり考えていませんでした。ただ、いくら自然体で乗ろうと思っていても、予想紙で本命印が並んでいると気持ちが前に行っちゃうんですよね(笑)。だからこそ、常に馬のリズムに合わせようと念じています。
浅野:今日も後半戦の全レースに騎乗していました。キャリアで補えるところはあると思いますが、でも若い頃とは違う部分はどうしても出てきてしまうような気がするのですが。
川原:やっぱり疲れ方は30代のころとは違いますね。今日も7鞍、明日は8鞍でも肉体的にはそんなに問題ないんですが、思い描いたような競馬ができないと疲れます。精神的な疲れが肉体に響いてくる感じ(笑)。競馬にはいいときも悪いときもあるんですけれど、いい競馬ができたときは疲れなんて全然感じません。

浅野:また、40代になってから兵庫に移籍されました。その点でもいろいろとご自身に変わってきたところがあるかと思います。
川原:兵庫に来た当初はどうしようか迷いましたよ。流れが笠松と違うから。最初のうちはこっちの流れに合わせようかと考えたんですけれど、やっぱり自分のやり方で貫こうと決めました。
それから競馬に対する考え方ですね。競走馬は馬主さんから厩舎スタッフがバトンを受けて、そしてぼくが最後にバトンを受ける。だからぼくは、みんなの信頼に応えられるようにしなければならないんです。だから私生活から正すようにと考えているんですよ。神様はいつも見ていますからね。そういう思いは兵庫に来てから強くなりました。
浅野:そして今年は結果も含めて充実していて、さらにスーパージョッキーズトライアルを優勝しました。WSJSへの抱負をお願いします。
川原:競馬は馬が主役だとは思いますが、WSJSはお祭りなので、そこに参加できるのはうれしいですね。前回のときに騎手人生の運を全部使ったと思っていたのに、また出場させてもらえるわけですし。だから今回は、37年間積み上げてきた思いや考え方、技術を出して、その上で楽しく競馬ができればと思っています。それで世の中の50代のみなさんにパワーをあげられればうれしいですね。自分は50代という自覚なんて、まるでないんですけれど(笑)。
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※インタビュー / 浅野靖典
毎年コンスタントに100勝以上をマークし、今年もその数字をすでにクリア。兵庫リーディングでは4位、重賞もここまで4勝と好調の下原理騎手に話をうかがいました。
斎藤:今年も9月ですでに100勝を超えて、重賞4勝。振り返ってみていかがですか。
下原:(100勝は)思ったより早かったというのと、重賞4勝は、どれももともとぼくが乗っていた馬ではないので、正直、ラッキーだったかなというのはあります。ありがたいことに声がかかって、そのときに重賞を勝てたのがうれしかったです。
斎藤:2006年から急に勝ち星が伸びて、2010年にはこれまで最高の161勝がありました。
下原:2006年は、ちょうど岩田(康誠)さんが中央に移籍した時期だったと思います。その少し前にチャンストウライがデビューして、ベストタイザンでもいい感じで勝たせてもらって、兵庫の中でも、外でも、名前を知ってもらえました。2010年は、木村(健)さんが休んでる年だったと思います。
斎藤:その2006年からずっと年間100勝を超えていますが、去年は89勝でした。
下原:去年は怪我をして3カ月ほど乗ってないんです。そのわりには最後に追い上げることができて、いい感じで終われたかなと思います。年間100勝は毎年の目標にしているんですが、それを続けるというのは、やっぱり難しいことです。
斎藤:今年重賞4勝のうち、2勝がエリモアラルマです。
下原:後方からの馬なんで、展開に左右されやすいところはあります。六甲盃は2400メートルが初めてだったんですけど、見てる感じと乗った感じとがぜんぜん違って、園田の2400メートルの流れにばっちり合う馬だと思いました。
斎藤:兵庫大賞典のほうも直線の追い込みがすごかったですよね。
下原:あのときは内枠で、できるだけ経済コースを通れたらなと思っていて、それがドンピシャとハマったという。4コーナーではまだわからなかったですけど、ゴール半ばでは勝ったと思いました。
斎藤:園田FCスプリントを勝ったエプソムアーロンもすごい追い込みでした。前が競り合うところを落ち着いて乗っているように見えましたが、自信があったんですか。
下原:前の4頭があれだけ競り合えば、止まってくれるかなとは思いました。スタートがそれほど良くなかったんで、その後ろから運べたのはラッキーでした。最後は乗ってる自分がびっくりするぐらいの脚でした。3コーナーあたりで溜めて息を入れる余裕があって、ただこの馬場では届かんかなあと思ったんですけど、ビューンと最後の2ハロン、すごい脚を使ってくれました。ああ、勝ってしまったって(笑)
高知から遠征のエプソムアーロンで園田FCスプリントを勝利
斎藤:兵庫サマークイーン賞では、マンボビーンで人気のアスカリーブルを負かしました。
下原:あれは一発勝負みたいなレースをしてしまって、ハマったというか......。アスカリーブルも気にはしていましたけど、ペースが思った以上に落ち着いたんで、自分から動いたんです。逃げる形になるとしぶといので、2コーナーから狙ったというか、まくってひと息入れて休憩しといたんですよ。アスカリーブルが来ているのはわからなくて、音が近づいてきたときがゴールでしたね。
斎藤:今、ほかに期待している馬はいますか。
下原:オオエライジンが帰ってきて、うちの厩舎にいるんですよ。追い切りを1本行ったんですけど、動きますね。ただ鼻出血を経験してるんで、それが再発しないかどうかですね。話に聞いたところでは、以前の一番いい頃はもっとしゃんとしていて、当時に比べるとまだまだ5割くらいじゃないですかね。
斎藤:デビューから18年、今までに思い出に残っている馬は。
下原:やっぱり一番はチャンストウライですね。そしてベストタイザン。あとは自厩舎のカラテチョップとか。
斎藤:チャンストウライはどういう馬でしたか?
下原:レースに行くと、ペースが速いと押してもなかなか進まなくて、で、ちょっと遅くなると、いくぶん行きたがる感じで、馬がペースを教えてくれる感じはありました。それでも仕掛けどころでちょっと気合を入れると、一気に行ってくれるような......。普段はやんちゃですけど、乗りやすいという一言ですね。距離も問わない馬でした。芝は走らなかったですけど。帝王賞は4着で、アンタレスステークスでも5着に来たときはびっくりしました。この馬はそのうち交流重賞勝つなと思っていたら、佐賀記念を勝ってくれました。
斎藤:ひとつ大きいところを勝つのと勝たないのとでは、違いますよね。
下原:そうですね。交流重賞を勝たせてもらった、そういう馬と出会えたというのは幸せです。誰もが経験できることではないですからね。今の兵庫だと、川原(正一)さんとぼくぐらいじゃないですか(ほかに北野真弘騎手が高知時代に黒船賞を勝利)、交流重賞を勝ってるのは。
斎藤:よく言われることですけど、活躍馬に出会うと騎手として変わるものですか。
下原:変わりますね。まだアラブの競馬のころに、ユウターヒロボーイという馬でうちの先生がチャンスをくれて(デビュー5年目)、それで勝ってなかったら、たぶん今、こんなに勝ってないと思うんです。ぼくの騎手人生で初めての重賞勝ちでした。今のぼくがあるのは、ユウターヒロボーイがあって、チャンストウライがあって、ベストタイザンがあって、という感じです。
人間に自信がつくというか、馬を勝たせるということよりも、うまく走らせてあげたいっていう気持ちに変わります。若い頃は勝ちたい勝ちたいってドキドキするじゃないですか。それが、しっかり乗って、負けたら負けたで仕方ないっていう気持ちで臨めるようにはなりましたね。その余裕があると、最後の直線でパッと脚を使ってくれたりとか、ちょっとしたことで変わってくるとぼくは思います。どうしようって思った時に、いかに落ち着けるかですね。
斎藤:そのだ金曜ナイターが始まって2年目。兵庫の関係者にとっては念願のナイター開催だったと思います。実際に始まってみていかがですか。
下原:客層がすごく変わってきていて、乗っていても気持ちいいですね。特に最初のときと、お盆のときもすごかったですね。直線で1、2着を争う接戦になって、『うわー』っていう歓声が上がると、うしろからもう1頭来たなっていうのがわかります(笑)。馬の脚音より先にファンの歓声で。ただ、もうちょっと(馬券が)売れてくれたらと思います。場外発売が限られていますからね。
斎藤:今年はすでに100勝を達成していますが、近いところでの目標と、将来的な目標をお聞かせください。
下原:近い目標としては、1500勝を早めにできたらいいなと。あと50勝ちょっと......今年は無理ですかね、来年ですね。怪我をしないようにがんばります。
斎藤:さらにその先、調教師は考えてないですか。
下原:それが難しいところなんですよ。まだ乗りたいという気持ちもあるし、調教師っていう感じもぼくにはないし。(調教師の)試験を受けるとかはまだ考えたことないです。デビューしたときの目標は、1000勝くらいかなと思っていたんですけど、やっているうちに1500勝にいけそうなんで、もうちょっと乗れそうやから、無事に2000勝できたらいいかなって思います。で、また走る馬に出会えたらいいなと思います。
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※インタビュー・写真 / 斎藤修
デビュー4年目の杉浦健太騎手。20歳の元気な若手ジョッキーは、話してみるととても丁寧に質問に応えてくれる好青年でした。今年は順調に勝ち鞍を伸ばしていて流れがいいようです。
秋田:まずは騎手になるきっかけから教えてください。
杉浦:実家が園田競馬場と近くて、小さい時から親に連れて行ってもらったんです。それで、たくさんの人に注目される騎手になりたいと思って。小学校から中学までは野球を一生懸命やっていたんですが、小学5、6年の頃から騎手になりたいとずっと思っていました。
秋田:勝負服はどのように決めたのですか? 男性騎手でピンクを使うって珍しいですよね。
杉浦:目立ちたがり屋なので、あまり人とかぶらず、パッと見て分かりやすい色にしました。縦縞は、阪神ファンなので譲れませんでした(笑)
秋田:デビューした2010年は、21勝をあげました。新人ではなかなか勝てる数ではないですよね。
杉浦:1年目は、レースに乗っていても自分に余裕がなくて馬の力に助けられたと思います。減量があったので、前に前にという気持ちで乗っていました。21勝することはできましたが、とりこぼしもありましたから...。
秋田:今年はデビュー4年目、新人の時と今と比べると自分ではどこが成長したと思いますか?
杉浦:レース中に周りが見られるようになってきたのと、少しは馬を動かせるようになってきていると思います。でも、いざという時の反応が遅れたり、人気馬に乗ると少し焦ってし まう部分があるのでまだまだです。いつもレース前にいろんなシチュエーションを考えて、力を出し切れるようにと、全力で元気よく騎乗をするようにしています。
秋田:今までで、印象に残っているレースや馬を教えてください。
杉浦:やはり、初騎乗、初勝利させてもらったデビュー戦のホッカイパルニです。先生からは、逃げたらいいところがあるからと言われていて、ちゃんと逃げることができて勝てました。緊張しましたね。レースの後はみんな声をかけてくれましたし、嬉しかったです。いい馬に乗せてもらえてありがたかったです。
秋田:尊敬している騎手は?
杉浦:園田リーディングの木村健騎手は憧れます。迫力のある追い込みや、見ていて気持ちのいいレースができるところがすごいです。見せ場を作るというか、魅せるレースをしているんですよね。自分にはまだ難しい。一緒に乗って勉強させてもらっています。
秋田:今年は、すでに去年の勝ち鞍に並んでいますよね(7月25日現在19勝)。調子やリズムはどうですか?
杉浦:前に比べて、決めたいと思っているレースできちんと決められる数が増えてきたので良くなってきていると思います。
秋田:何か、きっかけみたいなことがあったんですか?
杉浦:1月の全日本新人王争覇戦(高知)に乗って、帰ってきてからリズムが良くなった気がするんですよね。
秋田:そうなんですか!? では、新人王争覇戦について伺います。どんな意気込みで臨みましたか?
杉浦:優勝したろ!って思って行きましたよ。もちろん、みんなも勝つつもりで来ていますが。
秋田:1戦目が7着で2戦目が2着、総合3位でした。実際のレースを振り返ってください。
杉浦:1戦目は、人気もあったしいい馬が当たったなぁと思って期待していたんですが...。2番手でレースはできましたが、最後は止まってずるずると下がってしまいました。
2戦目は、先生がじっくり行ったらいいと言っていたので、後ろからのレース。前がやり合ってくれて、自分にとっては良い流れになりましたね。最後はいい脚を使ってくれました。
秋田:終わってみての感想は?
杉浦:優勝するつもりで来たから悔しかったですけど、いつもと違う競馬場で乗っていろいろ勉強になりましたし、いい経験になりましたね。
秋田:(7月25日)現在、地方通算74勝、100勝も見えてきましたね。
杉浦:今年の目標は通算100勝なんです。あと半年弱で26勝ですよね。もう少しがんばれば届くかなとは思っているんですが。
秋田:現在20歳ですが、10年後、30歳の自分はどうなっていると思いますか?
杉浦:今よりもっと高いレベルで、上位で競えていたらいいと思います。欲を言えば、リーディングになっときたいです(笑)
秋田:今後の目標を教えてください。
杉浦:もっともっと勝ち星をあげて、園田競馬の中心でいられるようがんばりたいです。それで、騎手としてトップになって、なおかつ関係者からもファンのみなさんからも信頼してもらえる騎手になりたいですね。
秋田:では、最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
杉浦:これからも、積極的にパワフルに、元気いっぱいに騎乗するので応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 秋田奈津子
4月17日にデビューした、兵庫の新人ジョッキー小山裕也騎手。同期の騎手達が次々に初勝利をあげていますが、1勝までの道のりは、なかなか厳しいようです。インタビューにはどんな受け答えをしてくれるのか少し不安がありましたが、とても明るく前向きな小山騎手がいました。デビューしてからの1カ月間と、これからの大きな夢も語って頂きました。
秋田:まずは、騎手になろうと思ったきっかけから教えてください。
小山:小学校5年生の時、競馬好きだった父親に京都競馬場に連れていってもらったんです。そこで見た騎手の姿に憧れて、騎手をめざそうと思いました。
秋田:その想いを抱いた後から、地方競馬の教養センターに入るまでは?
小山:小学校から中学校まで、ずっと野球少年だったので、馬には乗ったことがありませんでした。中学3年生の時にJRAの試験を受けましたが落ちてしまって...。高校に入ってから、阪神競馬場にある乗馬クラブみたいなところに1年通いました。そして、高校1年で地方の試験を受けて、合格しました。
秋田:教養センターはいかがでしたか?
小山:初めの頃は全然上手くならなくて、怒られてばかりだったんですが、半年くらい経ったときに1頭出会った馬がいて、その馬がきっかけでちょっとずつ上達したんです。
秋田:それはどんな馬だったんですか?
小山:ニホンカイイサリビという馬。ちょうど障害訓練をしていて、それまで障害訓練が凄く苦手で嫌いだったんですが、その馬に乗ったら、馬と一緒にどんどん進歩できました。先生からも「お前じゃないと、この馬は動かないんだ」って言ってもらえるくらい。だからすごく感謝しています。
秋田:デビュー戦は4月17日の第2レースで8着でしたね。
小山:スタートの時点でダメでした。緊張して。パドックから緊張していました。やっぱり、レースは難しいなと...。ペース判断や、展開を読むのが。騎手学校とは違いますね。
秋田:ここまで29戦しましたが、(取材は5月16日)、印象に残っているレースを教えてください。
小山:2戦目です。大暴走でしたね。
秋田:まさに、大逃げというレースでしたが、どういう状況だったんですか?(結果は10着)
小山:逃げろという指示だったんですが、出遅れてしまいました。それで逃げないと、と思って押していって先頭に立ったのに、まだ逃げないと逃げないとと思っていたら...。馬も気が入っちゃったし人間もパニックになってしまって、戻ってきた時にやっとあんな風になっていることに気づいたんです。
秋田:レース中、あれだけ離して逃げていたのが分かっていなかったんですか?!
小山:そうなんです。ぱっと後ろを見た時、確かに馬がおらんなぁと思ったんですが、あそこまで離れているとは気づかなくて。それだけパニックだったんですね...。
秋田:レース後に、調教師や先輩から何て?
小山:冷静になれって(笑)
秋田:そのレースの翌日、3戦目は1番人気の馬でしたしチャンスでした。(結果は3着)
小山:この馬も逃げました。ただこのレースは、展開の難しさを感じましたね。仕掛けどころで一気に他の馬に来られてかぶされてしまったので、馬が嫌気をだしてしまって。逃げ馬の難しさを教えられました。
秋田:デビューから1カ月が経ちましたが、まずは初勝利ですね。
小山:はい。でも最近、勝とう勝とうじゃなくて、がんばって着を拾おうくらいの気楽な気持ちでいます。そのせいか、デビューの時より少しは落ち着いて乗れていると思います。
秋田:同期のみんなは、全国で続々と初勝利をあげていますが、焦りはありせんか?
小山:騎手学校時代からあまり上手くなかったので、焦らずにやっていこうと思っています。そうすればそのうち勝てるやろって。
秋田:まずは1勝。それからの今年の目標を教えてください。
小山:減量が取れるようになりたいですね。
秋田:騎手としての目標や、夢は?
小山:園田のリーディングを獲って、中央でも乗れるような騎手になりたいです。
秋田:勝ちたい重賞はありますか?
小山:海外のレースになっちゃうんですけど...、凱旋門賞です!
騎手になりたいと思った小学生の頃、ちょうどディープインパクトが現役の時で、この馬でも負けるんだなって。まだ日本人も勝ってないから、自分が勝ってみたいです。
秋田:園田から世界へ、いいですね!!では、プライベートの夢は?
小山:フェラーリに乗りたいです。
秋田:おぉ!フェラーリを乗るには、1億円稼いでも足りませよ(笑)。でも凱旋門賞を勝てるくらいの騎手になれば、乗れるかも。
小山:そうですね(笑)、がんばります!!
秋田:では最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
小山:一戦、一戦、大事に乗って、早く勝てるようにがんばります!
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※インタビュー / 秋田奈津子