父は通算3166勝、重賞50勝、14年連続兵庫リーディングジョッキーと輝かしい戦績を残し、"園田の帝王"と称された田中道夫現調教師。その息子として鳴り物入りで競馬界デビューした田中学騎手。デビューして14年の2007年には遂に、親子二代の兵庫リーディングの座を獲得します。そして今年の10月14日には、地方通算2000勝を達成。父同様ゴールデンジョッキーの仲間入りを果たすのです。
竹之上:残り8勝となって迎えたあの週は4日間開催で、1日2勝ずつ勝って決めたんやね。
田中:あの週は良い馬にたくさん乗せてもらってたので、決めないとあかんなぁと思ってました。でもプレッシャーはありませんでしたね。2000勝は今週できなくても来週でも達成できますから。
竹之上:そう言えば2000勝のインタビューのときに、いつも「先生」って読んでるのに、「父が...」って言ってたよね。
田中:えっ、そうでした?覚えてないですわ。もうずーっと先生って呼んでますからね、今でも。ただ、あのときは先生も勝って帰ってくるのを待っててくれたんです。いつもなら自分の(管理する)馬のレースが終わったらさっさと帰るのに。
田中道夫調教師もさすがに嬉しかったのでしょう。そのときは師弟ではなく、単に親子という気持ちだったのではと想像します。だから田中騎手の口から思わず「父」という言葉が無意識に出てしまったのではないでしょうか。
竹之上:騎手を目指そうと思ったのは、やっぱりお父さんの影響?
田中:厩舎に住んでましたから自然とそうなりましたね。だって、小学校2、3年のころから馬に乗ってましたもん。朝5時に起こされて、学校に行くまでの時間に朝の攻め馬前の運動をひとりでやらされてましたよ。中学校のころには、2歳馬の馴致なんかもしてましたもんね。
にわかに信じがたいことですが、恐ろしい英才教育です。そりゃ自然と騎手になるわけです。それでも、思わぬ障壁が彼を待ち受けていました。
竹之上:偉大すぎる父がいることで、競馬学校では周囲の風当たりは強かったと聞くけど。
田中:「バカ息子」とか、「親の七光り」とか言われたりしてね。とてもツラかったです。それでも、ぼく自身もチャランポランでしたしね。生まれたときから競馬界にいて、世間知らずだったんでしょうね。
そんな苦難を乗り越えて、1993年に騎手デビューを果たした田中騎手。1998年に精神面、技術面で大きく成長させられる一頭の馬と出会います。
田中:サンバコールという馬がいて、あまり脚元が強い馬ではなかったんですよ。それで、よその厩舎なんですけど常に気にかけていて、乗りたいとか勝ちたいとかを超えたような気持ちが初めて湧いてきたんです。そしてその後に『全日本アラブ優駿』に乗せてもらうことになるんです。
アラブのメッカ園田が誇る最大のレース『全日本アラブ優駿』は、全国のアラブ4歳馬(現3歳馬)の頂点を決める大一番。サンバコールと田中騎手は2番人気の支持を受け、得意のマクリで向正面からスパートするも、4着に敗れてしまいます。
田中:レースが終わって、次のサンバコールの調教のときに、そろそろ出てくるころだろうとウキウキして待ってたんですね。そしたら、目の前で平松さん(現調教師)が乗っていったんです。乗せ替えだったんですよ。
竹之上:調教師からは何の連絡もないままの乗せ替え、どんな思いだった?
田中:そら悔しかったですよ。そのときから、この人(平松騎手)だけには負けたくないという気持ちになりました。
田中騎手が初めて芽生えたライバル心。眠っていた彼の闘争心が呼び覚まされた瞬間だったのかも知れません。
田中:そこから周りの騎手たちとの比較をするようになり、数字にもこだわるようになりましたね。
こうして少しずつ形成されていく騎手としての心構えに次第に変化が見え始めます。
竹之上:でも、最近は数字にこだわらないって言うよね。
田中:そうですね。楽しく乗りたいんです。面白いレースがしたい。
竹之上:具体的にどういうこと?
田中:康誠(やすなり・現JRAの岩田康誠騎手)がいたころ、相手の動きを読みあってレースをして、それがハマったときが最高でした。「一緒に乗ってて面白い」って康誠に言われたことが嬉しかったですね。
このころから田中騎手は勝利にこだわるより、楽しくレースがしたいという思いが一層強まっていきます。ところが、そうなるとなぜかこだわっていないはずの勝ち鞍は増え続け、99勝にとどまった03年の翌年には、一気に200勝まで勝ち星を伸ばします。そして、07年には兵庫のリーディングジョッキーにまで登り詰めます。
田中:恵まれていたんです。太さん(現JRA小牧太騎手)や高太郎(現JRA赤木騎手)さんが抜け、康誠も抜けて。周りが支えてくれて良い馬に乗せてもらって、本当に恵まれてたんです。
ところが、好事魔多し。安定味を越え、円熟味すら醸し始めた田中騎手に災難が降りかかります。2008年9月2日第5レースで落馬。第1・第2腰椎脱臼骨折という重傷を負います。
田中:振り返ってみると、あのときは嫌々レースをしてたんかなぁって思いますね。それが怪我となって表れたんかなぁって。
手術、リハビリに時間を要し、レースコースに復帰するのは7ヶ月後の翌年の4月でした。それでも、この逆境も、良い転機だったと田中騎手は言います。
田中:入院で苦しんでいるときに親や家族の温かさに触れ、すごくありがたみを感じました。親と食卓を囲むことなんてあまりしなかったんですけど、このごろ進んで行くようになりましたね。呑みに行くときも、この時間と金があれば、家族に何かしてやれるなと思うようにもなりました。
それは騎乗スタイルにも表れ、勝利にこだわらないという考えもより強まり始めます。
田中:正直、そんなことを聞いて、こいつには乗せないって言って去っていた馬主さんもいます。でも、勝利にこだわらないってことは、勝負を諦めたってことではないんです。レースに乗ればがむしゃらに勝ちにも行きます。それが騎手としての務めですから。
ここで、田中騎手の真意を窺い知ることができる事例をご紹介します。11月30日園田競馬第12レース。4連勝中マイネルタイクーンと3連勝中のアスカノホウザンとが人気を二分しました。ともに前走までの連勝は田中騎手でのもの。重複した騎乗依頼で、田中騎手が騎乗を決断したのはアスカノホウザン。しかし結果はマイネルタイクーンが連勝を伸ばすことになるのです。
田中:(勝つことだけを考えれば)やっぱりマイネルタイクーンですよ。でも、厩舎との関係、これまでの流れから、アスカノホウザンに騎乗したんです。
そこには迷いなどない、揺るぎない信念を感じとることができます。
竹之上:いまリーディング争いで2位に10勝差でトップ(12月2日現在)に立っているけど、そこにもこだわらないの?
田中:実はね、腰の手術でプレートやボルトを埋め込んであって、その除去手術を11月に予定していたんです。でも、周りの人やファンの方たちに、絶対(リーディングを)獲ってくれよと言ってもらって、それに応えたいなと思ったので、手術を延期してチャレンジしようと思いました。医者からは、遅くなれば手術の痛みが大きくなるし、復帰も遅くなるよと脅されているんですけどね(笑)。
竹之上:楽しみながら獲れれば最高ってこと?
田中:そうですね、無理に勝てそうな馬を集めて獲りに行くって姿勢ではないですね。ただ、手術をすれば絶対に獲れないですから。
竹之上:最後に、田中騎手の思う一流の条件ってなに?
田中:一流の条件ってなんでしょう?
竹之上:逆質問!?
田中:なんでしょうねぇ、人が認めることですからねぇ。わからないですけど、ぼくが調教師の先生たちに言われることでひとつあるのが、お前は乗り馬が重なったときに、乗らない方の調教師に断るのが上手いよなって言われるんです。自分ではそうは思わないんですけどね。
竹之上:それはどうやって身に付けたの?
田中:いや、それは思ったことを素直に言ってるだけなんです。ただ、上位にいると融通が効くのは確かです。それでも、そこで天狗になったらすぐに鼻を折られるのがこの世界ですからね。
トップに立っても決して驕らず、素直な気持ちで相手と接することで、多くの信頼を得て、多くの勝ち鞍に結びつけていく。"勝利にこだわらない"わけは、それによって失うものの大きさを知っているから。そうして辿り着いた現在の境地。「親の七光り」だけで到底到達できないものであることは明白なのです。
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写真提供:斎藤寿一
※インタビュー / 竹之上次男