このコーナーには2009年1月以来の登場です。当時はデビュー4年目、若干21歳の初々しい姿でしたが、一昨年からの1年間、海外遠征に挑戦するなど、その行動力と向上心には驚かされます。騎手として様々な経験を積み、日々成長している別府真衣騎手。新たな悩みを持ちながらも前向きな姿を見せてくれました。
秋田:前回のインタビューは5年近く前でした。当時と今は何が違いますか?
別府:良い意味でも悪い意味でも焦らくなったというか、落ち着いて状況判断できるようになりました。ただがむしゃらに乗るのではなく、いろいろ考えて乗れるようになったと思います。成績でいえば、がむしゃらに乗っていた頃の方が良いのですが。当時は減量の分もありましたし。精神面の成長がまだ成績には表れていませんが、この落ち着いて乗れるようになったという部分をレースに活かせるようにしたいなと思っているところです。
秋田:この5年間では海外遠征が大きな出来事だと思います。2011年3月から2012年2月までの1年間、韓国で短期免許で騎乗しました。きっかけから教えてください。
別府:釜山で行われた招待レース(2009年8月9日、第1回KRA国際女性騎手招待競走に日本代表として出場)がきっかけです。その時、精神的にやられてしまったんです。今までレディースジョッキーズシリーズでは良い成績を残せましたが、海外に出てみたら全然ダメで...。自分はまだまだだなということに気づかされました。
秋田:それで韓国で乗りたいと申し出たのですね。
別府:そうです。でも高知の騎手は人数が少ないし、その時高知競馬には私と森井美香騎手と女性騎手が2人いて、競馬場を盛り上げていく役目もあったので、なかなか許可が出なかったんです。それでもやっぱり行きたくて。
秋田:想いが叶って韓国・ソウル競馬場での短期免許での騎乗が決まりました。しかし、すぐにケガというアクシデントが...。
別府:着いて2週間くらいで足をケガしてしまいました。言葉も分からないまま手術室に運ばれて、何が何だか分からなくてすごく怖かった...。1年間、韓国にいるつもりだったので、日本の保険なども切っていったから日本にも帰れず、このままいるしかなかったんです。でも、歳が近い騎手たちがお見舞いに来てくれて、言葉が分からないなりにコミュニケーションをとってくれたりしたので、意外に辛くはなかったです。復帰まで2カ月くらいかかりましたが、その間に言葉を覚えることもできました。
秋田:ケガから復帰して、いざ韓国でのレース。日本との違いはどのように感じましたか?
別府:高知より直線が長いですし、韓国の競馬って乗り方が荒いのでけっこう危ないんです。でも、だからこそ冷静に物事を見る力も養えたと思います。
秋田:生活はどうでしたか?
別府:食べ物がすごく美味しくて、5キロ太っちゃったんです。もうパンパンでした(笑)。周りの騎手たちが、体重が軽すぎるからって言ってとにかく食べさせるんですよ。でも太った分レースで鉛を持たなくてもよくなったから、ちょうど良い感じで。日本に帰ってからまた痩せましたが、韓国ではいろんな意味で成長してましたね(笑)。
秋田:その間にレディースジョッキーズシリーズで帰国、見事に優勝しましたね。
別府:韓国での乗り方が慣れてきたところだったので、日本に帰ってきてとまどいました。流れなども違うので。最初の1、2戦はどうなることかと思いましたが、なんとか修正しながら優勝することができました。女性騎手の中では負けたくないという気持ちもありますし。私もいつの間にか女性騎手の中ではお姉さんになっちゃいましたね(笑)。レディースジョッキーシリーズは行われなくなってしまいましたが、このレースを見て騎手になりたいと思う
女の子たちもいると思うので、復活してほしいです。
秋田:改めて、韓国での1年間はどんな1年でしたか?
別府:親元(父は高知競馬場の別府真司調教師)を離れることが初めてだったんですが、意外と楽しく過ごせました。成績としてはあまり勝てたわけではないですが、勉強になった1年間。精神的にはびっくりするほど成長できたと思います。先生も慌てなくなったところは褒めてくれます。
秋田:そんな海外での経験を経て、今年2013年の調子はいかがですか?
別府:今ちょっと自分の中でリズムが良くないんですよね。馬に乗れている感覚がしっくりきていないので、その辺をまず調整することが一番です。足をケガしたからというのもあるかもしれませんが、バランスがとりづらいというか、どうしても可動域が狭くなってしまって。それを戻せれば良い波に乗れると思うし、また勝てると思います。そんなに焦ってはないですよ。
秋田:前回のインタビューでは、NARグランプリの優秀女性騎手賞の獲得と、全国の騎手の中でトップになりたいという目標をあげていましたが、現段階の今後の目標を教えて下さい。
別府:3月17日に地方通算400勝を達成して、宮下瞳さんの記録(地方競馬通算626勝)が見えてきたかなと思っています。ですので、まずはその記録を目指してトップになりたいです!
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※インタビュー / 秋田奈津子 (写真:斎藤修)
この春、デビュー3年目を迎えた高知の下村瑠衣騎手。ここまでの2年間は、門別から福山に移籍したり、福山競馬廃止を経験したりと、まさに激動の騎手人生でした。福山から高知に移籍して約3か月。現在の心境をお聞きしました。
赤見:高知にはもう慣れましたか?
下村:慣れました! コース自体は福山と比べて広いし、内を開けて乗るので乗りやすいです。砂がとにかく深いので、最初のうちは福山から一緒に来た馬たちはいい結果が出せなくて...。なかなか初勝利が挙げられなくて、『このまま高知では1勝もできないかもしれない...』なんて落ち込んだ時もあったんですけど。今は馬たちも慣れてきたみたいで、力を出せるようになりました。たくさん乗せてもらってるし、勝たせてもらっているし、本当に所属の那俄性哲也先生のおかげです。
赤見:那俄性先生とは、福山から一緒に来たんですよね。
下村:そうです。福山に行った時には最初は短期の期間限定騎乗で、会長の徳本慶一先生のところで所属にしてもらったんです。その後に完全移籍が決まって、福山の廃止も決定的になって...。それで、那俄性先生が『一緒に高知に行こう』って言ってくれて所属することになりました。
実は私、門別から短期で福山に来た時、この期間限定騎乗が終わったら騎手を辞めてもいいかなと思っていたんです。デビューしてからなかなか結果が出せなくて、『自分は騎手だ』と胸を張れるような仕事を全然していなかったので。今思うと、門別でももっと頑張れたのかもしれません。自分の努力が足りなかったし、考えが甘かったんです。
赤見:なぜ移籍先を福山にしたんですか?
下村:それはもうLJS(レディースジョッキーズシリーズ)のおかげです。新人だったとはいえ、盛岡ラウンドと荒尾ラウンドで全く成績が出せなくて...。このままじゃダメだと思って、ラストの福山ラウンドでは、徳本先生にお願いして朝の調教を手伝わせていただいたんです。レースでは強い馬に当たって、2レースとも勝たせてもらいました。その中の1頭が那俄性厩舎の馬だったので、そこからのご縁なんです。
期間限定騎乗で福山に行った時、徳本先生が空港まで迎えに来てくれたんですけど、その車の中で廃止決定の記事が載っている新聞を見せていただきました。もう本当に衝撃だったけど、とにかく福山で精一杯頑張ってみようと思いました。
赤見:実際の福山はどうでしたか?
下村:調教にもレースにもたくさん乗せていただいて、色々な経験をさせてもらいました。周りの方々も温かく迎えてくれて、日に日に『もっと乗りたい!もっと乗りたい!』って気持ちが大きくなって。地方競馬の中で、騎手の完全移籍というのはなかなかできないじゃないですか。でも周りの方々が親身になって相談に乗ってくれて、門別とも相談してくれて、期間限定じゃなく福山に移籍できることになったんです。
赤見:廃止が近かったですけど、不安はなかったですか?
下村:不安がなかったと言えば嘘になるけど、私本当に福山が大好きで、みんなと一緒に乗りたいっていう気持ちが強かったですね。廃止の日が近づいてくるのは本当にイヤでした。私は那俄性先生のおかげで高知に移籍できることになったけど、続けられるのに辞めざるを得ない人もいましたから。すごく複雑な気持ちでした。
廃止の日にはたくさんのファンの方が詰めかけてくれて、いっぱい声援もいただきました。応援していただいて、本当に嬉しいです。福山に来た時は、騎手を辞める覚悟をしていたけど、この何か月かの経験で人生観が変わって、少しでも長く騎手を続けたいって思うようになりました。たくさんの人たちのおかげで、こうやって騎手を続けていられるんだと思ってます。
赤見:その後高知に移籍したわけですが、高知の雰囲気はいかがですか?
下村:高知の人たちも本当に優しくて、和気あいあいの雰囲気ですね。私は中学生くらいの時から(別府)真衣ちゃんに憧れていたんですよ。レースを見ながら、カッコいいな~って。LJSで会った時から仲良くしてもらってましたけど、実際に同じ競馬場になってからはさらに優しくしてもらってます。騎手として色々教えてくれるし、一緒に乗っているだけでもすごく勉強になりますね。
赤見:休みの日は何をしてるんですか?
下村:何もしてないです(笑)。今は厩舎に住んでるんですけど、馬にご飯あげたり水を足したりする仕事があるし。ずっと馬と一緒の生活です。どこかに出かけたりもしないですね。実は、厩舎が山の上の方にあって電波が良くないので、テレビも映らないんですよ(笑)。自分の部屋では寝るだけです。でも、すごく仕事が充実しているので、毎日楽しいんですよ。食事は那俄性先生の奥さんが作ってくれて、厩舎で先生や厩務員さんとみんなで食べるんです。もう家族みたいな感じですね。
赤見:今後の目標を教えて下さい。
下村:今すごく意識しているのが、名古屋の木之前葵ちゃん。会ったことはないんですけど、同い年だし、ちょうど私が高知に来た頃にデビューして、バンバン勝っているので。いつも成績をチェックしてます。今までは先輩たちに憧れるだけだったけど、こうやって身近なライバルがいると燃えますね。自分の中で燃えるものというか、闘志というか、そういうのが強いんですよ。周りからは、あんまりそういう風に見えないって言われますけど。
幼稚園の頃からの夢が叶って騎手になれたけど、その後打ちのめされて、いっぱいもがいて...。デビューして丸2年で競馬場を転々としちゃいましたけど、やっと高知に落ち着くことができました。色んな経験をさせてもらったので、これから何があっても怖いものはないです。高知に移籍したタイミングで、勝負服のデザインも新しくしました。青と黒で、大人な感じにしたんです。20歳にもなったし、本当にここからがスタートという気持ちで頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
NARグランプリ2012で、最優秀勝率騎手賞を4年連続、さらにベストフェアプレイ賞を2年連続受賞するという快挙を成し遂げた、高知の赤岡修次騎手。地元高知だけでなく、地方競馬を代表するトップジョッキーとなった今、競馬に対する熱い想いを語っていただきました。
赤見:まずは、勝率とフェアプレイ賞のダブル受賞、おめでとうございます! なんかもう、毎年表彰されるのが当然みたいな雰囲気ですよね。
赤岡:そんなことないですよ! 毎年続けて獲らせてもらってますけど、よく獲れたと思いますもん。実際は綱渡りなんですよ。正直、去年の年末頃は、勝率は佐賀の山口勲さんやと思いました。周りの人の中には、『勝率危ないんやったら、勝てそうな馬選んで騎乗制限したら』って言ってくれた人もおったんですけど、自分としてはそういうことして獲るもんやないというポリシーがあって。 最終日の大晦日まで山口さんと競ってたんですけど、最終日は騎乗が4鞍しかなかったんです。でも本当にたまたまが重なって......。倉兼(育康騎手)が騎乗停止になって、さらに西川(敏弘騎手)さんがめったにないことやけど怪我してしまって、普段は乗ることがあんまりない倉兼の騎乗馬が回って来たんですよ。それで勝たせてもらって、最終的に去年も勝率1位を獲ることができたんです。
赤見:フェアプレイ賞も2年連続ですけど、あれだけ騎乗して制裁がないって凄いですよね。
赤岡:こっちはね、意識してできるもんなんで、かなり意識してますよ。僕のポリシーは、とにかく真っ直ぐ走らせることなんです。まだ候補生だった頃、人よりも何か努力しないと一番にはなれないって考えて、とにかく真っ直ぐ走らせようって決めたんです。朝一の馬場って、ハロー車でならした跡が綺麗に残ってるじゃないですか。その線に沿って馬を走らせると、1周真っ直ぐ走れるんですよ。 昔からかなり意識してたし、デビューして10年間は騎乗停止も一度もなかったんで、なんでフェアプレイ賞もらえんのやろって思ってました。『どうやったら獲れるんや!』って思ってたけど、今は明確な基準もあるし、今年ももらえるようにしたいですね。
赤見:今は高知だけでなく、全国で騎乗機会が増えてますけど、得意な競馬場はありますか?
赤岡:右回りは自信ありますよ。どこ行っても平気です。でも左回りは......最近は慣れたけど、前は相当意識してました。扶助使う時、とっさに右回りの扶助を使ってしまうんですよ。重心とか脚の位置とか、本当にちょっとしたバランスなんですけど、右回りと左回りでは真逆なんで。今はたくさん遠征させてもらったり、重賞の時のスポット参戦も声かけてもらったりして、経験を積ませてもらったんでね、スムーズに乗れるようになりました。
赤見:スポット参戦だけじゃなく、期間限定で南関東で乗る計画はないんですか?
赤岡:それねぇ......。乗りたい気持ちもあるけど、高知はオフシーズンがないから難しいですね。特に今はいい馬いっぱい任せてもらってて、攻め馬も自分でしてるでしょ。その馬たちを2か月ほっぽって行くことはできませんから。リーディングから落ちたら行きたいなとは思ってます。ただ、絶対落ちたくないですけど(笑)。
赤見:赤岡騎手といえば、ジョッキーとしてだけでなく広告塔として積極的に高知を宣伝してますよね。
赤岡:一時期は『廃止に一番近い競馬場』なんて言われましたけど、今は潰れそうにないですね(笑)。自分で動くの好きやし、色んな人と仲良くさせてもらってるお陰です。 特に(武)豊さんには本当に良くしてもらってますね。昔から何かと声かけてもらってたんですけど、ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場した時とか、全国に遠征に行った時とかに、色々話したり一緒にご飯食べたりするようになって。豊さんは凄すぎる人やから、みんな遠慮するんやけど、僕は腹割って話させてもらったり。高知の気質というか、ジョッキーもみんな明るいんで、そういう雰囲気も合ったのかもしれません。
赤見:豊さんから繋がって、福永祐一騎手発案の『福永洋一記念』も始まったんですもんね。
赤岡:そうそう。豊さんが『何でも協力する』って言ってくれたんでね、まずは夏の夜さ恋フェスティバルが実現して、その時に祐一くんを連れて来てくれたんです。それで、『親父の故郷で、冠レースがしたい』って言ってくれたんで、主催者にも『やりましょう!』ってガンガン言いました。協力するって言ってくれてるんやから、あとは自分らが積極的に動いて主催者を動かさんとね。
赤見:営業・企画・広報......すべてやってるんですね。
赤岡:人付き合いが好きなんですよ。中央もそうやし、今野(忠成騎手)が同期なんでね、南関東のジョッキーたちにも良くしてもらってます。南関東の騎手を招く交流戦もやってますけど、最初は戸崎(圭太騎手)が『高知に行きたいから交流戦作って下さい』って言うから動いたのに、アイツはスポットで重賞乗りに来ただけやから(笑)。そうやって『行きたい』って言ってもらえる競馬場と思うと、すごく嬉しいですけど。
赤見:戸崎騎手はJRAに移籍しましたけど、赤岡さんは考えたことありますか?
赤岡:行きたいとも思うけど、勉強して行くのは難しいでしょ。それよりね、違う方法を考えますね、僕は。今のままじゃ、やっぱりダメじゃないですか。中央と地方の壁を無くしていかないと。それには地方がまず全部開くことやと思うんです。高知はもともと色んなとこのジョッキーを受け入れてるんで、そういう考え方なんやけど、地方全体で考えるとまだまだ難しい部分もありますね。 でも、小さいとこが開いていったら大きいとこも開かざるを得なくなるんです。そういう話をね、中央のジョッキーや南関東のジョッキーとも話すんですよ。色んな意見がありますけど、ジョッキー同士やからこそ話せることもありますから。高知のことはもちろんですけど、競馬全体のことも考えていきたいです。少しずつでも変えていけたら、というのが目標です。
赤見:素晴らしい目標ですね!! ちなみに、赤岡さんの私生活って謎ですよね。
赤岡:謎ですか?! たいした生活してないですよ(笑)。毎朝仕事やし。ただ、色んな人と付き合うのは好きなんで、競馬以外の仕事の人たちともよくご飯食べたりしますね。それに、全国にたくさんファンやって言ってくれる方がいて、すごく励みになってます。 え?結婚ですか? そっちも頑張らんといけないですね。ただ、他のジョッキーたちから『赤岡さんが結婚したら夢が無くなる』って言われてるんで。この自由な感じがいいんですかね(笑)。もうしばらくは独身貴族で頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
昨年117勝を挙げ、高知リーディング4位だった宮川実騎手。さらにアドマイヤインディとのコンビで、ダートグレード戦線でもその存在感を示しています。落馬事故により左目失明という大きな怪我を負って、復帰が危ぶまれた時期もありました。辛い試練を乗り越えて、さらなる進化を遂げた宮川騎手に、現在の心境をお聞きしました。
赤見:『TCK女王盃』では、アドマイヤインディとのコンビで沸かせてくれましたね。
宮川:本当に頑張ってくれました。4着だったけど、僕の乗り方次第で2着3着はあったと思うんです。向正面から上がって行った時、別にGOサインを出したわけじゃないんですけど、ハミをくわえて、持ったまま上がって行く感じで。あのままの位置にいて、コーナーでゴチャつくよりはいいかなと思ったんですけど、もう1呼吸2呼吸我慢出来たら、違った結果になったんじゃないかな。もっと経験積んで、上手くなりたいって改めて思いました。
赤見:アドマイヤインディは、その前の『クイーン賞』でも3着と頑張りましたね。
宮川:あの時は斤量も軽かったし、内々をロスなく回って来れたので、あの3着が本当の力なのかちょっとわからない部分がありました。今回は斤量も増えたし、自分から動く強い内容で最後まで粘ってくれたので、ダートグレードでも十分戦えると自信になりました。
今は脚元の状態と相談しながら調教をつけているんですけど、それでこれだけ走れるので、状態さえ良くなったら本当に大きいところを狙えると思います。こういう馬に出会えて、調教からレースまで乗せてもらえて、今、本当に楽しいですね。
アドマイヤインディと(TCK女王盃パドック)
赤見:アドマイヤインディは打越勇児厩舎の馬ですが、宮川騎手はお父さんの打越初男元調教師の厩舎からデビューしたんですよね。
宮川:そうです。初男先生、勇児先生には親子2代に渡ってお世話になってます。勇児先生が厩務員だった頃からずっと一緒にやってますから、調教師になってからも話し合いながら一緒に馬を育てられるのが嬉しいです。
僕が怪我から復帰した時も、初戦は勇児先生が担当の馬でした。あの時は周りの方が応援の気持ちを込めてレースに協賛してくれて、復帰戦は『打越厩舎一同応援・復帰おめでとう!特別』というレースだったんです。僕自身がしたいことしてるだけなのに......。もしかしたら周りに迷惑をかけてしまうかもしれないのに...。本当に温かく迎えてくれて、すごく有難かったですね。
赤見:今のお話にもあったように、2009年の落馬事故は、顔面複雑骨折・左目失明という重傷でしたが、復帰までの道のりは相当大変だったんじゃないですか?
宮川:本当にそうですね。怪我をした週に、名古屋と園田に遠征が決まっていて、これから高知だけじゃないく県外に行って色々勉強出来ると思っていた矢先だったので、怪我をしてすぐはとにかく乗りたくて乗りたくて仕方なかったです。考える時間はいっぱいありましたから。乗りたい気持ちと、何も考えたくない気持ちと......。キツイなと思っても、どうしても考えてしまうんです。
でも、『引退』ということは全く考えなかったですね。レースに乗って、それで怖いと思ったら仕方ないけど、とにかくもう1度乗るまでは...って思ってました。
赤見:何度も何度も手術を重ねて、さらにハードなリハビリにも耐えて......。約1年後に復帰した時はどんな気持ちでした?
宮川:調教は3か月くらいで始めたんですけど、その後も手術で休んだりしたし、復帰の時は緊張しました。レースの前に模擬レースみたいなことをさせてもらって、それで復帰したんですけど、実際乗るまでは本当に乗れるのか不安でしたね。でもいざ騎乗したら、それまで10年間培ったものがあったのか体が反応してくれました。復帰2日目で勝ち星も挙げさせてもらったし、こんなに早く勝っていいのかなと思ったけど、1つ勝って自信になりました。
怪我をしたことは本当に辛かったですけど、周りのみんなに支えてもらってることを実感しました。特に兄(浩一騎手)はかなり心配してくれて......。今も調整ルームが同じ部屋で、長い時間一緒にいるので色んなことを話します。兄の存在は大きいですね。騎手としてはライバルでもあるけど、兄弟仲はいいですよ。
赤見:高知リーディングの赤岡修次騎手が、『もともと技術は高かったけど、怪我する前よりさらに上手くなった。積極的になった』って言ってましたよ。
宮川:修次さんにそう言ってもらえて嬉しいです。自分自身ではよくわかんないですけど。特に何が変わったというのはないです。ただ、乗れるのが本当に楽しくて。もっと上手くなりたい、上手くなりたいって思ってるだけです。
赤見:2010年に復帰して、2011年はダート競馬の祭典・JBC(大井)に騎乗、さらに2012年はダートグレードで好勝負と、どんどんステップアップしてますね!
宮川:本当に有難いです。JBCに乗れると聞いた時は、正直ビビりました(笑)。大井開催だったんですけど、当日はパドックで声援を送ってくれた方もいたし、馬場に入った瞬間ものすごく感動したんです。騎手やってて良かった、辞めなくて良かった...って。あの経験は、本当に大きかったですね。
最近ではアドマイヤインディと一緒にいい勝負をさせてもらって、また違った経験になりました。『TCK女王盃』であれだけの競馬が出来たので、『クイーン賞』がフロックじゃないって証明出来たと思います。今までは挑戦者の立場だったけど、これからはマークされることもあると思うし、印も重くなって人気も高くなると思うので責任重大ですね。楽しさと一緒に、緊張感もあります。ダートグレードで勝負になる馬に乗れるなんて、なかなかないですからね。いい馬に巡り合えて、本当に幸せです。
赤見:では、2013年の抱負とファンの方々にメッセージをお願いします!
宮川:復帰した頃は、いつか1000勝出来たらいいなと思ってたんですけど、今972勝(1月28日現在)まで来たので、だいぶ現実的な目標になりました。大きな節目の数字なので、早く達成したいです。ファンの方々には、いつも応援していただきありがとうございますと伝えたいですね。競馬場に来られなくても、今はインターネットで手軽にレースが見られるので、ぜひ高知競馬を楽しんでいただけたら嬉しいです。そのためにも、一生懸命頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
昨年は初の重賞制覇を達成し、リーディング3位と大きな躍進を遂げた、高知の永森大智騎手。デビュー9年目を迎えた今年、ついに覚醒を果たした赤い彗星は、さらなる高みを目指します!
赤見:昨年は初重賞制覇に年間100勝達成と、素晴らしい活躍でしたね。
永森「ありがとうございます。雑賀先生はじめ、本当に周りの人たちのおかげです。ちょっと勝ち過ぎたかな~と、今年プレッシャーもありますけど」
赤見:初の重賞制覇だった『黒潮菊花賞』、振り返るといかがですか?
永森「実はそのちょっと前に、重賞で1番人気に乗って負けてるんですよ。『珊瑚冠賞』で【ギンガセブン】に乗せてもらったんですけど、10着と惨敗して...。
その時、重賞は当分勝てないのかな、まだまだ遠いのかなと思ったんです。
『黒潮菊花賞』は8番人気の【リワードレブロン】に乗せてもらって、逃げてる宮川実騎手の馬が強かったのでついて行こうと思ってました。
勝負所に来ても手ごたえええぞと思って、馬の気分に任せて行きたい時に行かせました。
勝った時はホッとしたというか、やっと勝ったな~って感じでした。
【ギンガセブン】のこともあったので、嬉しさ倍増でしたね」
赤見:周りの方も喜んでくれたんじゃないですか?
永森「本当にそうですね。雑賀先生は、普段は勝ってもあんまり喜んだ感じでは迎えてくれないんですけど(苦笑)、この時はすごく喜んでくれました。
それが僕にとってすごく嬉しかったんです」
赤見:雑賀先生といえば、昨年は年間265勝を挙げて、地方競馬最多勝記録を塗り替えましたね。
永森「すごいですよね。先生は厳しいですけど、尊敬してます。デビューから色々お世話になってるし」
赤見:雑賀厩舎所属になったきっかけは何だったんですか?
永森「僕は特に騎手に憧れてたってわけじゃないんですけど(笑)。
中学の時に職場体験学習があったんですよ。
たまに競馬は見に行ってたし、動物も好きだったし、ちょうどいいなと思って。
広報の方から紹介されて、雑賀厩舎に3日間お世話になりました。
初めて馬に乗せてもらって、周りの人からも良くしてもらって。雑賀先生が、「騎手にならないか」って言ってくれたんです。もともと人がしないような仕事をしたいと思ってたし、迷いなく決めました」
赤見:まさに運命の出会いでしたね。
永森「そうですね。今考えても、雑賀厩舎に入れて良かったです」
赤見:そして昨年の覚醒ですけど、一番大きな要因はなんだと思いますか?
永森「精神的なものですね。これが一番大きいです。今までもチャンスはもらってたけど、どうしても1度きりなんですよ。勝負の世界だから当たり前のことなんですけど、そこを気にし過ぎていたんです。
結果出せなかったら乗り替わりやとか思って変に緊張したり、先生が見て納得するようなレースをしようとしてて。
リーディング上位の人だったら納得する乗り方でも、僕がしたら全然ダメだったり、そういう空回りが多かったんです」
赤見:そこからどうやって抜け出したんですか?
永森「それは色んな要素がありますけど、まずは金沢での短期騎乗ですね。2007年に雑賀先生が「行ってみるか?」って言ってくれて、その頃乗り馬もあんまりいなかったんで、思い切って行くことにしました。
先生の知り合いの赤間亨厩舎に行ったんですけど、それまで遠征とかしたことなかったんで、かなり不安でしたね。
周りはいい人ばかりだったけど、最初の頃は全然上手くしゃべれなくて...。そんな時、吉原寛人騎手が調教の時とかによく声をかけてくれて、遊びに連れてってくれたりしたんです。それで周りの人とも話せるようになりました。吉原騎手の存在は大きかったですね。
レースもけっこう乗せてもらって、いくつか勝たせてもらいました。赤間先生はいつも、「好きに乗ってええよ」って言ってくれて、自分で考えてレースして結果が出せたことが自信になりました。
高知に帰ってきた時、(赤岡)修次さんや倉兼さんが金沢のレースを見ててくれたみたいで、「あんなにいいレースが出来たんだから、高知でも出来るんじゃないか」って言ってくれました。その言葉も自信に繋がりましたね」
赤見:2009年には、福山でも短期騎乗してますよね?
永森「その時は檜山龍次郎厩舎にお世話になったんですけど、先生の息子さんが怪我してしまって、調教する人が足りなくてお手伝いのような感じで行くことになったんです。
まだ高知と本格的に交流が始まる前で、この時も最初はしゃべれなかったけど(苦笑)。嬉さんが、高知の西川さんや中西さんと同期で、すごく良くしてくれました。それで周りとも打ち解けたし、色んな厩舎に乗せてもらって、すごく勉強になりました」
赤見:2つの短期騎乗がいいきっかけになったんですね。
永森「そうですね。時期も良かったんだと思います。地元で勉強して、悩んでからの遠征だったので、いい収穫があったんだと思ってます」
赤見:今はかなりいいスパイラルなんじゃないですか?
永森「前は意見を言っても誰も聞いてくれなかったけど、今はけっこう聞いてもらえるようになりました。認められるってほどではないですけど、自分がこう乗りたいとイメージ出来るようになったし、そういう乗り方をしても納得してもらえるっていうのは大きいですね」
赤見:今年に入ってもいいリズムで勝ち星を挙げてますね。
永森「そうですね。昨年は3位だったので、恐れ多いですけど今年は2位の倉兼さんに勝ちたいと思って乗ってます!」
赤見:1位の赤岡さんは?
永森「もちろん、いつか抜きたいです! 何年後かわからないけど抜きたいですね。
修次さんはやっぱり、何かが違うんですよ。一緒に乗ってて本当に上手いなって思うけど、上手いっていうだけじゃない何かがある。その何かが今の僕にはわからないんですよ。
それがわかった時が、修次さんを抜ける時なんじゃないかと思ってます!」
赤見:何年後かのリーディングジョッキー宣言☆楽しみです。
それでは、高知競馬のPRをお願いします!
永森「今の時期は全国的に見てもナイター開催はないので、1年通してのナイターは大きいと思ってます。
本場に来てもらうのが一番だけど、インターネットなどでも今は見ることが出来るので、高知のレースを見てもらえたら嬉しいです」
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※インタビュー / 赤見千尋