
4月から短期免許を取得し、高知競馬で騎乗中のオーストラリアの賀谷祥平(かやしょうへい)騎手(35歳)。ケアンズを拠点に174勝の実績も申し分ないが、それ以上に目を引くのは、インテリビジネスマンでもあるもうひとつの顔。上智大経済学部卒で、公認会計士の資格を取得し、騎手と並行しながら現在は会計事務所を経営している。そんな異色ジョッキーの素顔に迫りました。
4月5日から騎乗を始めて、28日に初勝利。おめでとうございます。
ありがとうございます。オーストラリアは芝ばかりで、ダートは初めてだったし、高知のレースの流れや、外が軽い馬場など、戸惑うことが多かったですが、まずは1つ勝ててホッとしています。
高知の騎手会長で、2500勝の西川騎手に直々にアドバイスをもらったと聞きましたが。
熱血指導をいただきました(笑)。西川さんを筆頭に、赤岡さんや高知の騎手はみんな人情に厚いんで、感謝してます。
勝負服のデザインが「胴青桃縦縞、袖緑」ですが、この由来は?
青が僕の好きなカラーで、桃と緑は高知で所属させて頂いている田中守先生の騎手時代の勝負服カラーを頂きました。田中先生にはアドバイスしてもらったりお世話になってます。
4月28日第4レース、ラビットアドゥールに騎乗して初勝利
ここで、もうひとつの顔でもあるビジネスマンの方のことをお聞きます。持っている資格を教えて下さい。
オーストラリアとアメリカの公認会計士、MBA(経営学修士)、会計学修士、宅地建物取引主任者です。
騎手をしながら、それだけの資格を取得するなんて、すごいですね。
騎手も会計士に関わる仕事や勉強も好きでしてますし、趣味みたいなものですから大変と思ったことはありません。毎日、満員電車で通勤されて、朝から晩まで働き通しの日本のビジネスマンの方がずっと大変だと思います。
オーストラリアでの1日のサイクルを教えて下さい。
平日は朝は4時半に起きて、車で競馬場に移動して5時から8時くらいまで調教に騎乗。そこからいったん家に帰った後、9時から経営している会計事務所で夕方5時まで仕事をして帰宅。夕食やお風呂に入って10時に寝ます。競馬開催の土日は早朝に調教に乗るのは同じですが、昼から夕方にかけてレースに騎乗します。こんな生活ができるのも家族と会社のスタッフの理解があるからですね。本当に感謝してます。
本題に戻って、オーストラリアで騎手になった経緯は?
高校のころから競馬が好きで、テレビでも、ライブでも見てました。でも目が悪かったので、日本で騎手にはなれないと諦めてました(裸眼で地方競馬教養センターは0.6以上、JRA競馬学校は0.8以上)。大学3年(21歳)で就職を意識しはじめた時、自分の腕で稼げる仕事がしたいと思ってたし、周囲の友達のように一流企業で働く気も全くなかった。それなら単位も既に取れていたし、矯正視力でも騎手になれるオーストラリアの競馬学校に入って騎手になろうと思いました。
言葉でオーストラリアの競馬学校に入るというのは簡単ですが、英語は話せましたか?
読み書きは受験の時に勉強したので、自信はありましたが、行ってみると、話せない聞き取れないで大変でしたね。しかも周りに日本人は僕ひとり。でも、自分で決めた以上は乗り越えるしかなかったですね。
03年に見習い騎手デビューし、オーストラリアでは1934戦174勝。07年にはクイーンズランド州北部の最優秀見習い騎手にもなっています。
競馬学校があったアーミデールでデビューした後、06年6月に現在のケアンズに移りました。日本人のいないところにいましたので、観光地で日本人が多いケアンズが魅力に映りました。見習い最優秀騎手になった年は27勝して、メトロポリタン(賞金の高い競馬場で日本の中央に相当)に移る話もありましたが、当然、厳しい競争があります。有力な厩舎や馬主とのコネもなく、騎乗数が減る不安もあったので、プロビンシャルやカントリー(賞金の低い競馬場で日本の地方に相当)で騎乗数を確保できる方を選びました。カントリーと言っても観客は多いし、すごく盛り上がります。
オーストラリアの競馬を振り返って。
思い出すのは競馬場までの移動距離の長さ。自分の本拠地以外でレースがある時、3~4時間かけて車で移動するのは当たり前。時には砂漠の道を延々8時間くらい走ることもありました。途中、飛び出してきたカンガルーをひきそうになったことも1度や2度ではありません。あと、思うのは向こうでは騎手は特殊な職業ではないことですね。日本のように門戸が狭いわけではなく、誰でもなれるし、広く受け入れて、そこからの競争が厳しい。子育てが落ち着いたからと、40歳を越えて復帰する女性騎手もいるくらい。日本では制限が多くて中央と地方では自由に乗れないけど、メトロとカントリーの行き来は自由。実力の世界で厳しいけど、これが本来あるべき姿だと思います。
日本で短期免許で乗ろうと思ったきっかけは?
僕は日本人だし、日本で乗れるものなら乗りたいと思ってましたが、視力の関係で諦めてました。でも、オーストラリアで免許を取得していれば矯正視力でも乗れると話を聞いて申請しました。
地方の中でも、賞金レベルの高くない高知を選んだ理由は?
広島県呉市の出身なので乗れるのなら、地元の福山で乗りたいと思ってました。でも廃止になったので、それなら福山の次に近い高知で乗ろうと思いました。南関東の賞金は高いですが、騎手の数も多い。乗り鞍が少ないと日本で乗っても意味がないので考えませんでした。
高知にはご家族と一緒ですか?
妻と長男(4歳)と長女(3歳)はオーストラリアに残して、高知には単身赴任で今は調整ルームで住んでいます。日本に住む両親と妹が4月26日に高知に見に来てくれて、びっくりしましたが、うれしかったですね。
日本とオーストラリアの競馬の違いはどのあたりに感じてますか?
日本の騎手はみんな上手ですし、きれいなフォームで乗ってます。オーストラリア以上に、地方も中央も競馬学校でかなり厳しく教えられてるんだと思います。それから、日本の騎手はオーストラリアよりも手綱を長く持ってますが、それで馬を抑えているのが、すごいです。学ぶことが多いです。
短期騎乗もあと1カ月になりましたが、最後に日本のファンの方にメッセージを。
オーストラリアはカントリーの競馬場でも観客が多く、すごく盛り上がりますし、それが騎手にとって励みにもなります。生の競馬場は、馬の走る音や、鞭の音、馬が間近で見れるなど足を運んでみて初めて感動することがたくさんあります。僕もただの競馬ファンだった時はあの馬が走り過ぎていく時の蹄音に感動しました。日本のファンの方にはもっと、競馬場に足を運んで応援してもらったらうれしいですね。
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 松浦渉 (写真:にゃお吉)
9年連続高知リーディングに向かって、今年も勝ち星を積み重る赤岡修次騎手。今年1月には、地方通算2500勝を達成した。高知の顔として活躍する赤岡騎手が語る、「高知競馬の魅力」とは?
2500勝、おめでとうございます。高知で2500勝を達成したのは、歴代最多勝を更新中の西川敏弘騎手と、赤岡騎手のみ。西川騎手との差が、少しずつ詰まっています(3月24日現在、20勝差)。
でも、すぐには抜けないと思います。いま、西川さんがすごく頑張ってますから。高知は調教をつけないとレースに乗せてもらえないところがあるんですけど、西川さんは以前よりも、攻め馬の数を増やした。めちゃめちゃ働いてますからね。僕があの年齢で、もう一度、あれぐらいやる気を出せるかというと、自信がない。西川さんの姿を見て「すごいなあ」と思いますし、刺激を受けます。西川さんと同世代のユタカさん(武豊騎手)の影響も、あるんでしょうね。高知には、見るべき部分がある騎手が多いと思います。こないだの真衣ちゃん(別府真衣騎手)も、中央遠征で見せ場を作りましたからね!
別府騎手は、クロスオーバーでチューリップ賞に参戦。結果は12着でしたが、積極果敢に先行して、高知競馬をアピールしましたよね。
よくやったと思います。高知のジョッキーらしいレースをしてくれた。一鞍入魂で、3番手から行って、魅せてくれました。あの騎乗を見て感動しない人は、競馬人じゃないでしょう。
大舞台の緊張感や、「有力馬を邪魔してしまうんじゃないか」という不安を感じさせませんでした。
あたりさわりのないレースをしても、見ていて面白くない。ケツから行って、なにも伝わってこない競馬をしてしもうたら、話題にもならない。「真衣ちゃんは先輩らがやってきたことを、ちゃんと見ちゅうな」と思いました。
別府騎手いわく、「JRAの騎手が気さくに話しかけてきてくれて、リラックスしてレースに臨めた」と。JRAジョッキーズと高知ジョッキーズは、朝まで飲み明かすほど仲がいいですもんね。武騎手には、「化粧、濃いんとちゃうか?」とからかわれたそうです(笑)。
ユタカさんがいたら、まちがいないんでねえ(笑)。
赤岡騎手と武騎手の親交が、有形無形、様々な財産を生んでいますね。
いやいや。そうやって縁を生かしてくれれば、一番いいんですよ。
武騎手が騎手仲間と共に高知にやってくる夏の「夜さ恋フェスティバル」のトークショーは、今年で5回目を迎える福永洋一記念(4月28日)が創設されるきっかけにもなりました。
すごくありがたいですよね。みなさんが快く協力してくれるおかげで、高知競馬の認知度が上がりました。
高知競馬に、「また行きたい」と思わせる魅力があるからだと思います。みんな明るくて朗らかだし。関係者のみなさんは、馬券の売り上げが回復したことで、よりいっそう明るくなったんですか?
いや、ぜんぜん変わらないですね。県民性じゃないですか? 高知の人って、ポジティブな人が多いと思います。僕なんかもそうですけど、「どうにでもなるろう」って考えている人が多い。高知県民は、いきあたりばったりですから。坂本龍馬が計算づくで動いていたとは、僕には思えません(笑)。
そうなんですか!?
高知県民は、人と付き合うのが好きなんです。だから自分の流れに、人を巻き込んでいくんですよね。坂本龍馬は、それがたまたま上手く流れたから、歴史に名を残しているんじゃないでしょうか。
赤岡さんも、誰とでもすぐ友達になりますもんね。Facebook等を通じて、ファンとさかんに交流しているとか。
北は北海道から、南は沖縄まで、インターネットを通じて馬券を買ってくれている人がいますからね。こんな交通の便のよくない競馬場まで足を運んでくれる人の存在も、本当にありがたい。色んな人が応援してくれているのを感じるようになって、「自分ひとりで乗ってるわけじゃない」という想いが、強くなりました。
そういう想いが、高知競馬の復活に繋がっているんでしょうね。そして、競馬をネット観戦する人にとって、レース実況はすごく大事だと思うんです。橋口浩二アナウンサーの実況は素敵ですよね。
僕らがゲート裏で待機している間も、出走馬の血統背景などを紹介してくれますからね。勉強になりますし、ファンの方も、飽きないんじゃないでしょうか。生産牧場の名前なども出てくるから、牧場関係者の皆さんも、喜んでいるそうです。橋口さんは競馬のことを本当に考えてくれていますし、アナウンサーっていう立場だけじゃなくて、高知競馬の一員という感じです。高知競馬には、みんなに「なんとか盛り上げていこう」っていう気持ちがある。一体感がありますし、変えるべきところを、すぐに変えていける気質がありますからね。
一体感やチャレンジ精神があるからこそ、高知の人馬は遠征で活躍するんでしょうね。だからファンもメディアも、高知競馬から目が離せない。
いきあたりばったりで危なっかしいところもあるから、見捨てきれないのかもしれません(笑)。
母性本能を......。
くすぐるような(笑)。「危なっかしいな、この競馬場」って。遠征で活躍すると、喜んでくれますしね。やっぱり、愛されてるんでしょうね。高知の馬や騎手が、時々すごい活躍をするところに、面白味があるのかも。波があるけど、爆発力がありますよね。
今、期待している馬を教えてください。
アイアムルミエール(牝3、田中守厩舎)という馬ですね。まだぜんぜん完成されていないので、これから成長してくれれば、楽しみはあると思います。
ところで、検索サイトで「赤岡修次」と入力すると、「結婚」という単語が自動的に表示されました。「赤岡修次 結婚」で検索している人が多いんですね
ホントに!?
あと、「赤岡修次 独身」とか、「赤岡修次 年収」とか、すごくリアルです(笑)。周りの人に、「結婚はまだ?」って言われませんか。
言われますねえ。そりゃ言われるでしょうね。まあ、結婚はタイミングじゃないですか。流されていくんですよ、高知県民は。きっと坂本龍馬も、流されたんですよ。って、坂本龍馬のせいにしゆうけど、怒られますね(笑)。
-------------------------------------------------------
※インタビュー・写真 / 井上オークス
昨年は137勝を挙げ、高知リーディング3位と躍進した西川敏弘騎手。騎手会長も務める28年目のベテランに、現在の心境を語っていただきました。
赤見:昨年の成績は、一昨年の80勝と比べて倍近い勝ち鞍でしたね。
西川:倉兼(育康)くんが海外に行っているので、そこの厩舎に乗せてもらえたっていうことが大きかったです。たくさんいい馬に乗せてもらいましたから、その分責任感も大きかったですし、きっちり仕事せなという気持ちで乗っていました。だから、結果を出せて嬉しいですね。自分では、今までも自信がなかったわけやないんですけど、なかなかいい馬に巡り会えなかったりして、低迷していた時期が続いていたので。久しぶりに昔の感覚に戻ったというか、やっぱり勝ち負けの馬に乗ってると楽しいやないですか。緊張感があって、充実した一年でしたね。
赤見:今年でデビュー28年目に突入しますが、西川さんの原動力はなんでしょうか?
西川:何ですかねぇ。あの、僕、武豊騎手がすごく大好きなんですけど、高知に乗りに来た時とかに一緒に飲んだりするやないですか。その時に競馬の話になって、「まだまだやってやる」という話をよくするんですよ。年齢も僕の方がひとつ下やし、あの人が頑張ってるうちは諦めたらあかんて思いますね。長い間ずっと競馬界を引っ張って来た人で、僕もたくさん感動をもらいましたから、その武さんが頑張ってるうちはっていう。いい刺激をもらってます。
赤見:西川騎手は長く高知の騎手会長をしていますけど、高知は他場からのジョッキーの受け入れがとても頻繁ですよね。
西川:そうですね。他の競馬場から来るのは、けっこう自由です。最近人数が増えて来て、さすがに考えなきゃあかんのやないかっていう話もチラホラ出てますけど、それもなあなあな感じで。今の競馬界は騎手の移籍や他場での騎乗に対して制限がありますけど、全国でひとつくらい自由な競馬場があってもいいのかなと思ってます。
赤見:高知のジョッキーたちは、本当に仲がいいですよね。
西川:仲いいですね。もちろん、レースはキッチリやって、そこは絶対になあなあになったらいかんということはいつも言ってますけど、普段ギスギスしても何の意味もないやないですか。やっぱりね、県外に行くとお金のいっぱい掛かってるところほどギスギスしてますよ。レース上がりとか見てても、高知とは違うんやなって思う時はあります。
赤見:高知はもともと仲が良かったんですか?
西川:昔は違う時期もありました。僕がデビューした頃は人数ももっと多かったですし、調整ルームでしょっちゅう喧嘩があったり、上の人から説教されたり。すごい嫌やったから、自分が上になったらそういうのは絶対にやめようと思ってて。結局、誰かがやめないとずっと続いて行くし、自分がやられて嫌やったことを他人にするのは嫌やないですか。
赤見:でも、なかなかやめられないのが人間のような気もします。西川さんは子供の頃からそういう考えだったんですか?
西川:いや、全然(笑)。子供の頃はつっぱっとったし、やんちゃばっかりしよって色々ありましたよ。両親も放任主義やったし、自由奔放に振る舞ってました。でも社会に入ってみて、大人の世界は腐っとるって(苦笑)。当時は言葉で威圧したり、力で抑えつけようとする人が多かったもんで、自分はそういう風にはなりたくないって思ったんです。
赤見:昔、赤岡修次騎手が低迷していて騎手をやめようかと悩んでいた時に、西川さんに救われたって言ってました。
西川:あの子は才能あったんやけど、人間関係で腐ってた時期があったんです。せっかく技術はあるのに、かわいそうやって。毎日呼んで、一緒にご飯食べに行きました。今はすごい人になりよって。僕の出来ないようなことも出来るし、人脈も色々作ってくれて、本当にすごいなと思ってます。この世界は足の引っ張り合いみたいなところもあるけど、それだけじゃダメやないですか。とにかく、人付き合いと、チャンスをもらえるかなんです。一回芽が出れば波に乗っていけるので、その波を引き出すキッカケが欲しい。今ね、田舎はまだマシですけど、南関東の子らにはチャンスが少ないやないですか。競馬界全体で若手を育てていかないといけないのに、そこをどう考えてるのかなって思いますよ。自分も含めて、いつまでも爺さんが頑張ってる時代やないですから。チャンスあげなきゃ、育つもんも育たないですから。
赤見:高知では何人もの若手騎手が、期間限定騎乗で武者修行をしていますよね。
西川:ただ、やる気で来る子と、そうでもない子がいるんで、最初にちょっと言って何も答えを出して来ない子には、押しつけがましいことは言わないです。高知なら乗せてもらえるっていうだけで来る子もいるので。でも、ここで上手くなりたい!って思ってる子には、どんどんアドバイスします。本橋(孝太)くんや山中(悠希)くんなんかは素質も高いから、乗り出したらどんどん勝つんですよ。そうすると顔つきまで変わっていって。そういうのをそばで見られるのは嬉しいですね。ただ、山中くんは戻ってから厳しいみたいで。この前の新人王で久しぶりに高知に来た時、顔つきがまた変わってました。ゲッソリした感じになってて。
そしたら、乗り方まで違うんですよ。こっちで気持ち良く乗ってた乗り方と違って、ちょっとリズムが良くなかった。改めて、環境と気持ちで、乗り方も変わるんやなって痛感しましたね。
赤見:高知から巣立って行ったジョッキーたちのことは、その後も気になりますか?
西川:それは気になります。何鞍乗ってるかなとか、レース見たりとかね。頑張って努力してる子らは、報われて欲しいですから。
赤見:では、ご自身の目標を教えて下さい。
西川:目標っていうのは、特に考えてないんですけど。無事に乗って行きたいっていうのが一番ですかね。高知はお蔭様で売り上げが伸びていて、一時期のいつ廃止になる?っていう状況ではなくなりました。ずっと低迷してた頃からみんなが真面目にやった結果やと思いますし、赤岡くんが県外に行った時に宣伝してくれたり、主催者の努力もあります。でも一番は、ファンのみなさんが高知を見てくれるようになって、馬券を買ってくれるお蔭なんでね、それに応えられるようにこれからも頑張ります!
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 赤見千尋
このコーナーには2009年1月以来の登場です。当時はデビュー4年目、若干21歳の初々しい姿でしたが、一昨年からの1年間、海外遠征に挑戦するなど、その行動力と向上心には驚かされます。騎手として様々な経験を積み、日々成長している別府真衣騎手。新たな悩みを持ちながらも前向きな姿を見せてくれました。
秋田:前回のインタビューは5年近く前でした。当時と今は何が違いますか?
別府:良い意味でも悪い意味でも焦らくなったというか、落ち着いて状況判断できるようになりました。ただがむしゃらに乗るのではなく、いろいろ考えて乗れるようになったと思います。成績でいえば、がむしゃらに乗っていた頃の方が良いのですが。当時は減量の分もありましたし。精神面の成長がまだ成績には表れていませんが、この落ち着いて乗れるようになったという部分をレースに活かせるようにしたいなと思っているところです。
秋田:この5年間では海外遠征が大きな出来事だと思います。2011年3月から2012年2月までの1年間、韓国で短期免許で騎乗しました。きっかけから教えてください。
別府:釜山で行われた招待レース(2009年8月9日、第1回KRA国際女性騎手招待競走に日本代表として出場)がきっかけです。その時、精神的にやられてしまったんです。今までレディースジョッキーズシリーズでは良い成績を残せましたが、海外に出てみたら全然ダメで...。自分はまだまだだなということに気づかされました。
秋田:それで韓国で乗りたいと申し出たのですね。
別府:そうです。でも高知の騎手は人数が少ないし、その時高知競馬には私と森井美香騎手と女性騎手が2人いて、競馬場を盛り上げていく役目もあったので、なかなか許可が出なかったんです。それでもやっぱり行きたくて。
秋田:想いが叶って韓国・ソウル競馬場での短期免許での騎乗が決まりました。しかし、すぐにケガというアクシデントが...。
別府:着いて2週間くらいで足をケガしてしまいました。言葉も分からないまま手術室に運ばれて、何が何だか分からなくてすごく怖かった...。1年間、韓国にいるつもりだったので、日本の保険なども切っていったから日本にも帰れず、このままいるしかなかったんです。でも、歳が近い騎手たちがお見舞いに来てくれて、言葉が分からないなりにコミュニケーションをとってくれたりしたので、意外に辛くはなかったです。復帰まで2カ月くらいかかりましたが、その間に言葉を覚えることもできました。
秋田:ケガから復帰して、いざ韓国でのレース。日本との違いはどのように感じましたか?
別府:高知より直線が長いですし、韓国の競馬って乗り方が荒いのでけっこう危ないんです。でも、だからこそ冷静に物事を見る力も養えたと思います。
秋田:生活はどうでしたか?
別府:食べ物がすごく美味しくて、5キロ太っちゃったんです。もうパンパンでした(笑)。周りの騎手たちが、体重が軽すぎるからって言ってとにかく食べさせるんですよ。でも太った分レースで鉛を持たなくてもよくなったから、ちょうど良い感じで。日本に帰ってからまた痩せましたが、韓国ではいろんな意味で成長してましたね(笑)。
秋田:その間にレディースジョッキーズシリーズで帰国、見事に優勝しましたね。
別府:韓国での乗り方が慣れてきたところだったので、日本に帰ってきてとまどいました。流れなども違うので。最初の1、2戦はどうなることかと思いましたが、なんとか修正しながら優勝することができました。女性騎手の中では負けたくないという気持ちもありますし。私もいつの間にか女性騎手の中ではお姉さんになっちゃいましたね(笑)。レディースジョッキーシリーズは行われなくなってしまいましたが、このレースを見て騎手になりたいと思う
女の子たちもいると思うので、復活してほしいです。
秋田:改めて、韓国での1年間はどんな1年でしたか?
別府:親元(父は高知競馬場の別府真司調教師)を離れることが初めてだったんですが、意外と楽しく過ごせました。成績としてはあまり勝てたわけではないですが、勉強になった1年間。精神的にはびっくりするほど成長できたと思います。先生も慌てなくなったところは褒めてくれます。
秋田:そんな海外での経験を経て、今年2013年の調子はいかがですか?
別府:今ちょっと自分の中でリズムが良くないんですよね。馬に乗れている感覚がしっくりきていないので、その辺をまず調整することが一番です。足をケガしたからというのもあるかもしれませんが、バランスがとりづらいというか、どうしても可動域が狭くなってしまって。それを戻せれば良い波に乗れると思うし、また勝てると思います。そんなに焦ってはないですよ。
秋田:前回のインタビューでは、NARグランプリの優秀女性騎手賞の獲得と、全国の騎手の中でトップになりたいという目標をあげていましたが、現段階の今後の目標を教えて下さい。
別府:3月17日に地方通算400勝を達成して、宮下瞳さんの記録(地方競馬通算626勝)が見えてきたかなと思っています。ですので、まずはその記録を目指してトップになりたいです!
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 秋田奈津子 (写真:斎藤修)
この春、デビュー3年目を迎えた高知の下村瑠衣騎手。ここまでの2年間は、門別から福山に移籍したり、福山競馬廃止を経験したりと、まさに激動の騎手人生でした。福山から高知に移籍して約3か月。現在の心境をお聞きしました。
赤見:高知にはもう慣れましたか?
下村:慣れました! コース自体は福山と比べて広いし、内を開けて乗るので乗りやすいです。砂がとにかく深いので、最初のうちは福山から一緒に来た馬たちはいい結果が出せなくて...。なかなか初勝利が挙げられなくて、『このまま高知では1勝もできないかもしれない...』なんて落ち込んだ時もあったんですけど。今は馬たちも慣れてきたみたいで、力を出せるようになりました。たくさん乗せてもらってるし、勝たせてもらっているし、本当に所属の那俄性哲也先生のおかげです。
赤見:那俄性先生とは、福山から一緒に来たんですよね。
下村:そうです。福山に行った時には最初は短期の期間限定騎乗で、会長の徳本慶一先生のところで所属にしてもらったんです。その後に完全移籍が決まって、福山の廃止も決定的になって...。それで、那俄性先生が『一緒に高知に行こう』って言ってくれて所属することになりました。
実は私、門別から短期で福山に来た時、この期間限定騎乗が終わったら騎手を辞めてもいいかなと思っていたんです。デビューしてからなかなか結果が出せなくて、『自分は騎手だ』と胸を張れるような仕事を全然していなかったので。今思うと、門別でももっと頑張れたのかもしれません。自分の努力が足りなかったし、考えが甘かったんです。
赤見:なぜ移籍先を福山にしたんですか?
下村:それはもうLJS(レディースジョッキーズシリーズ)のおかげです。新人だったとはいえ、盛岡ラウンドと荒尾ラウンドで全く成績が出せなくて...。このままじゃダメだと思って、ラストの福山ラウンドでは、徳本先生にお願いして朝の調教を手伝わせていただいたんです。レースでは強い馬に当たって、2レースとも勝たせてもらいました。その中の1頭が那俄性厩舎の馬だったので、そこからのご縁なんです。
期間限定騎乗で福山に行った時、徳本先生が空港まで迎えに来てくれたんですけど、その車の中で廃止決定の記事が載っている新聞を見せていただきました。もう本当に衝撃だったけど、とにかく福山で精一杯頑張ってみようと思いました。
赤見:実際の福山はどうでしたか?
下村:調教にもレースにもたくさん乗せていただいて、色々な経験をさせてもらいました。周りの方々も温かく迎えてくれて、日に日に『もっと乗りたい!もっと乗りたい!』って気持ちが大きくなって。地方競馬の中で、騎手の完全移籍というのはなかなかできないじゃないですか。でも周りの方々が親身になって相談に乗ってくれて、門別とも相談してくれて、期間限定じゃなく福山に移籍できることになったんです。
赤見:廃止が近かったですけど、不安はなかったですか?
下村:不安がなかったと言えば嘘になるけど、私本当に福山が大好きで、みんなと一緒に乗りたいっていう気持ちが強かったですね。廃止の日が近づいてくるのは本当にイヤでした。私は那俄性先生のおかげで高知に移籍できることになったけど、続けられるのに辞めざるを得ない人もいましたから。すごく複雑な気持ちでした。
廃止の日にはたくさんのファンの方が詰めかけてくれて、いっぱい声援もいただきました。応援していただいて、本当に嬉しいです。福山に来た時は、騎手を辞める覚悟をしていたけど、この何か月かの経験で人生観が変わって、少しでも長く騎手を続けたいって思うようになりました。たくさんの人たちのおかげで、こうやって騎手を続けていられるんだと思ってます。
赤見:その後高知に移籍したわけですが、高知の雰囲気はいかがですか?
下村:高知の人たちも本当に優しくて、和気あいあいの雰囲気ですね。私は中学生くらいの時から(別府)真衣ちゃんに憧れていたんですよ。レースを見ながら、カッコいいな~って。LJSで会った時から仲良くしてもらってましたけど、実際に同じ競馬場になってからはさらに優しくしてもらってます。騎手として色々教えてくれるし、一緒に乗っているだけでもすごく勉強になりますね。
赤見:休みの日は何をしてるんですか?
下村:何もしてないです(笑)。今は厩舎に住んでるんですけど、馬にご飯あげたり水を足したりする仕事があるし。ずっと馬と一緒の生活です。どこかに出かけたりもしないですね。実は、厩舎が山の上の方にあって電波が良くないので、テレビも映らないんですよ(笑)。自分の部屋では寝るだけです。でも、すごく仕事が充実しているので、毎日楽しいんですよ。食事は那俄性先生の奥さんが作ってくれて、厩舎で先生や厩務員さんとみんなで食べるんです。もう家族みたいな感じですね。
赤見:今後の目標を教えて下さい。
下村:今すごく意識しているのが、名古屋の木之前葵ちゃん。会ったことはないんですけど、同い年だし、ちょうど私が高知に来た頃にデビューして、バンバン勝っているので。いつも成績をチェックしてます。今までは先輩たちに憧れるだけだったけど、こうやって身近なライバルがいると燃えますね。自分の中で燃えるものというか、闘志というか、そういうのが強いんですよ。周りからは、あんまりそういう風に見えないって言われますけど。
幼稚園の頃からの夢が叶って騎手になれたけど、その後打ちのめされて、いっぱいもがいて...。デビューして丸2年で競馬場を転々としちゃいましたけど、やっと高知に落ち着くことができました。色んな経験をさせてもらったので、これから何があっても怖いものはないです。高知に移籍したタイミングで、勝負服のデザインも新しくしました。青と黒で、大人な感じにしたんです。20歳にもなったし、本当にここからがスタートという気持ちで頑張ります!
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)