3月31日に地方通算500勝を達成した岡村卓弥騎手(高知)。所属は高知を代表する雑賀正光厩舎で、兄弟子にはリーディング上位の永森大智騎手がいる中、奮闘しています。「いまがチャンス」と気合いの入るその理由とは。
地方通算500勝、おめでとうございます。意識はされていましたか?
あまり気にしていなかったんですけど、モーニング展望で橋口アナウンサーから「あと十何勝」と聞いてから、「あ、そのくらいか」と思いはじめました。橋口さんは「3月中に達成できたらいいね」って言っていたんですけど、できるとは思っていなくて、なんとか年度内に決められてよかったです。
500勝目となったのはJRAから移籍初戦のユピテルルークスでした。
調教からずっと乗せてもらっていました。レースは約10カ月ぶりで、能検からでした。ダートはこれまで走ったことがなくて、トビも芝馬だったので、「ダートが合うのかな?」と思っていたんですけど、結構走りますね。直線も手応えはまだまだ余力がありました。
2021年3月31日、高知第4レースで地方通算500勝達成(写真:高知県競馬組合)
大台の1000勝へ向けて、折り返し地点となる500勝というのはいかがですか?
11年かかりましたからね(苦笑)。まだまだです。通算勝利数はあまり意識していなくて、いい馬に乗せていただいた時にしっかり結果を出せたら、と思っています。
雑賀厩舎を所属騎手の一人として支えているわけですが、所属の経緯というのは?
兄弟子の永森さんも僕も所属の経緯は同じで、中学生の時の職場体験がきっかけです。実家が高知競馬場のすぐ近くで、同級生のお父さんが馬主をしていて、小学生の頃に浜(海岸)で馬に乗せてもらったことがありました。その時に「小さいから騎手になったらどうや?」と言われて、中学校の職場体験で競馬場に行った先がたまたまうちの厩舎だったという流れです。
偶然にも兄弟子と同じ経緯での所属だったんですね。その永森騎手は調教中に落馬して骨盤骨折のため療養中とあって、調教が忙しくなったり騎乗馬が回ってきたりしているのではないですか?
仕事はたしかに今はむちゃくちゃ忙しいですね。今がチャンスだと思っているんですけど、なかなか。こないだの競馬なんかでも「はぁ......」とため息が出るレースばかりで。やっぱり永森さんはすごいなと感じました。永森さんが乗っていた馬に、今は僕が乗せてもらうことも結構あって、余計にそう感じます。
所属の雑賀調教師は「ある程度までは自分で這い上がってほしい」というタイプの方ですね。
うちの厩舎で続けていたら、たぶん勝手にそこまでいくと思います。いい馬もいっぱいいますし、調教も自分で考えてやるようになります。調教メニューがキャンターを2周乗るんだったら、1周目と2周目のペースを考えろって先生からも言われます。
高知はいま、売り上げが急増していて、全国のファンから注目を集めます。
また4月から賞金が上がったんですよね。だから、なかなか重賞を勝てないですけどね。
賞金が上がると、レベルの高い馬の入厩も増えるでしょうし、競争もより熾烈になりますね。昨年12月には金の鞍賞をブラックマンバで差し切り勝ちを決めました。
重賞を勝つのが久々でしたし、あれは嬉しかったです。道中、楽に行けた時はいい脚を使う馬なんですけど、人間が早く動いちゃったりして、馬を信じきれていないところがあるというか。そういう面では倉兼(育康)さんはすごいですよね。後ろからじーっと行って、最後にシュッときますから。僕、倉兼さんの追い込みを見て、「うわー、カッコいいな」と思って、騎手になろうと思ったんですよ。
ブラックマンバで金の鞍賞制覇(2020年12月26日、写真:高知県競馬組合)
追い込みで勝つ方が好きなんですね。後ろから行く馬といえば、真っ白な馬体のチャオとのコンビも印象的でした。
引退しちゃいましたけど、ファンの多かった馬ですね。2~3着が多くて、実は勝ったのは(自身の騎乗で)2回しかないんですけど、いまは誘導馬を目指しているらしいですよ。高知に移籍してきた頃は調教でも暴走しちゃっていたので、気性的になかなか難しいかもしれませんが、牧場に行ってから最近は落ち着いたみたいです。牧場で訓練をしているのかな?高知競馬場で誘導馬になれたらいいですね。一緒になって走っていっちゃうかもしれないですけど(笑)。
これからの目標はなんですか?
やっぱり兄弟子の永森さんに早く追いつきたいです。永森さんは調教からもキッチリしていて手を抜かないので、僕もちゃんとやれているんだと思います。すごい方なのでなかなか難しいでしょうけど、追いついて追い越せたらいいですね。
最後に、オッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
高知はすごく売り上げもよくて、いい馬が入ってきているので、今まで以上にもっともっと迫力のあるレースになっていくと思います。その中で、僕は1つでも多く勝てるよう頑張るだけです。僕は競艇が大好きで結構するんですけど、ファンの気持ちはよく分かります(笑)。だから、馬券を買ってくれているファンのみなさんに納得いってもらえるよう、一生懸命がんばっている姿勢を見せたいです。
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※インタビュー / 大恵陽子
10月25日に14年連続200勝を達成し、佐々木竹見元騎手の持つ記録を塗り替えた赤岡修次騎手(高知)。さらに11月23日には地方競馬通算4,000勝も達成。現在の心境を伺いました。
まずは地方競馬通算4,000勝達成おめでとうございます!すごい数字ですね。
ありがとうございます。ここまで勝たせていただいて、頑張ってくれた馬たち、関係者の方々、応援してくれたファンの皆さんに感謝しています。ただ自分ではあまり実感がないですし、数字的に言えば上には上がいますからね。4,000という区切りに関してはそれほど意識していなかったです。今年は14年連続200勝の記録更新がありましたから、そっちの意識の方が大きかったですね。4,000勝は積み上げていけばいつか達成出来るけれど、14年連続200勝の記録は今年途切れたら終わりですから。
偉大な記録ですが、200勝の連続記録があるということによく気が付きましたね。
倉兼(育康)さんがね、「こんなに長いこと200勝している人いないんじゃないか?」って言って、そういう記録ってあるんですかねって。「僕は知らないけど、あるのかね」なんて話していたんです。それで、こういう記録は佐々木竹見さんだろうということで川崎競馬に聞いてみたら、やっぱり竹見さんが記録を持っていた、という流れです。それが去年だったんですけど、正直去年で記録更新かと思ったんですよ。そうしたらタイ記録で、記録更新にはもう1年あると...。そこからの1年は長く感じましたね。大きい怪我をしないということも重要ですから、達成するまではこれまでとは違うプレッシャーがありました。
無事に達成した時の表情が、とても嬉しそうというか、ホッとしているように見えました。
早く達成したくて仕方なかったですからね。すごくホッとしました。いい馬たちに乗せていただいていますが、結局競馬って勝つか負けるかわからないじゃないですか。特に記録が懸かっていて、数字を意識していると余計にそう感じます。
10月25日高知第6レースで14年連続200勝達成
今年はいろいろな意味で特別な一年になりました。もともと今年は南関東の期間限定騎乗は入れていなかったそうですね。
そうなんです。昔怪我をした左膝の状態があまり良くなくて、3週間くらい休んだりもしました。南関東は平日毎日競馬で忙しいですし、体的に今年はキツいなと思って、いつもお世話になっている内田勝義先生に「まず体調を戻します」とお伝えしていました。もちろんスポットでは騎乗するつもりでいましたが、それもコロナで行けなくなってしまいましたね。
3月半ばから遠征に行けない時期が続きましたが、その頃のお気持ちはいかがでしたか?
乗りたい気持ちはもちろんありますが、今はコロナが落ち着いてくれるのが最優先ですから。南関東は今も遠征には行けないですが、少しずつ遠征出来る競馬場もあって、他場の方からも騎乗依頼をいただけるのは本当にありがたいです。
11月1週目は門別でJBC2歳優駿に騎乗して、次の日は園田の楠賞をサロルンで勝ち、翌日は笠松でラブミーチャン記念に騎乗と、怒涛のスケジュールでした。しかも園田終わりで高知に帰って朝調教を付けてから笠松に入ったそうですね。
そうですね、帰りました。帰れる時は帰りたいんですよ。ホテルとかであまり眠れないタイプなので。
とはいえ、早朝に調教してからまた移動するというのは、体力的にかなりキツくないですか?
よくそう言われるんですけど、あんまり調教を人任せにするのが好きじゃないんですよね。もちろん日程的にお願いする時もありますけど、なるべく自分で乗りたくて。いい馬たちも任せていただいていますし、自分のリズムで調整したいという気持ちが強いです。以前2日連続で川崎の重賞に乗せていただいた時に、レースに乗って高知に帰って、次の日の朝調教して、また川崎に行ったら、「本当に高知に帰ってまた来たぞ」って驚かれましたけど(笑)。
そのモチベーションはどこから来るんですか?
どうなんでしょうね。自分でもよくわからないですけど、責任感ですかね。モチベーションというより、いい馬たちを任せていただいているという責任感の方が強い気がします。
11月23日高知第10レース、モルトベーネに騎乗して地方通算4,000勝を達成
今年も数々の名レースを見せていただきましたが、特に印象深かったのが、盛岡競馬場で行われた地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップでした。全国のリーディングジョッキーが集まった中で2戦ともに違う逃げ方で見せ場を作り、特に第2戦目は4番人気馬で勝利しました。逃げることは意識していましたか?
意識していました。前の週に南部杯に乗せていただいて、高速馬場だったんですよね。1週間でそこまで極端に大きく変わるわけではないだろうなと思いましたし、当日の地元のジョッキーたちのレースを見て、多少の違いはあるけど前に行った方が有利だろうと思いました。
第1戦は内枠からスローペースの逃げ、第2戦は外枠から流して行く逃げと、どちらも違う逃げ方でした。逃げの引き出しはいくつあるんですか?
逃げは得意ですからね。引き出しはいくつも持っているつもりです。僕は逃げでリーディングジョッキーになったんですよ。以前の高知はハイペースで逃げるジョッキーはいなくて、特にアラブもいた頃は溜め逃げ、いかにスローに落とすか、という競馬が多かったんです。でも僕は抑えるより気分よく走らせた方がいいと考えていて、サラブレッドが主流になってからは余計そう感じるようになりました。左膝の大怪我をして低迷していた時期があったんですけど、そこから奮起して乗り出した時、よく乗せていただいた厩舎が逃げるのが好きで。「全部行ってくれ」というくらいだったんです。それでハイペースで逃げる競馬をして人気薄でも勝って。だから昔を知っているジョッキーからは、「お前が高知の競馬を変えた」って言われます。今はスピード競馬じゃないと勝てないですからね。
高知競馬は売り上げも上がってとてもいい波に乗っていますね。
馬券を買って応援してくれるファンの皆さんのお陰です。本当に感謝しています。高知はみんながどん底から頑張って、今すごくいい流れになりました。賞金だけではなく騎乗手当も上がりましたし、若い子たちもやる気出るでしょうね。今は馬の質も上がっているし、馬場が深いのでスピード競馬だけどパワーもないとダメという競馬で、僕らもどの馬が逃げるかわからなかったりしますから、すごく面白いなと感じます。
今後の目標は何でしょうか?
もう数字的な目標はないですね。14年連続200勝が大変でしたし、もう目標は作らないようにしています。目の前の1頭1頭を大切に乗って行く、結局行きつくところはそこでしょう。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただきありがとうございます。今はなかなか競馬場に来るのは難しいと思いますが、中央も地方もいろいろな記録が生まれていて、競馬自体は凄く盛り上がっていますよね。高知競馬もみんな頑張っていますので、これからも宜しくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)
2020年10月11日、高知7Rをマイネルトゥランで勝ち、永森大智騎手(高知)が地方通算2,000勝を達成しました。現在、高知リーディング2位の勝ち星を挙げる永森騎手ですが、メモリアルまであと10勝に迫ったのは7月19日。区切りの勝利を挙げるまでの約2カ月間、どんな気持ちで過ごしていたのでしょう。また、かつてコンビを組んだグランシュヴァリエの産駒リワードアヴァロンでの高知優駿制覇についてもうかがいました。
地方通算2,000勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。残り10勝くらいになってから、調教中に足の親指を骨折して騎乗を1週間休んだりして達成まで長かったので、やっと出来たっていう安心感と、ホッとした気持ちがありました。達成した日はちょうど母の誕生日で、その日に決められて嬉しかったです。
2,000勝は意識していましたか?
周りの方が「もう少しだな」って言ってくれていて、気にしてもらえているのは嬉しかったんですけど、勝ち急ぎすぎる性格なので、自分ではあまり考えないようにはしていました。でも、どこかで意識していたのがあったんじゃないですかね。
10月11日高知7Rで地方通算2,000勝達成(写真:高知県競馬組合)
この夏から秋にかけては永森騎手自身も「あまり調子が良くない...」と話していました。
毎年そういう悪い波はくるんですけど、今年はちょっと長すぎました。乗せてくれた方には迷惑をかけてしまったので、少しずつでもまた信頼してもらえるようにしっかり乗りたいです。
足の親指のケガの影響もあったのでしょうか。
1週間だけレースを休んでまた乗り出したんですけど、多少かばって乗っている部分があったので、別の部分に違和感がありました。今は全然大丈夫ですけど、そういうことで余計にリズムが崩れたっていうのはありました。
今年はリワードアヴァロンで高知優駿を制覇。父は永森騎手とのコンビで高知県知事賞連覇など重賞3勝を挙げたグランシュヴァリエで、ゆかりのある馬ですね。
そういう巡り合わせも今年はあったので、悪いことばかりじゃなかったなと思います。グランシュヴァリエは気性の難しい馬で、馬とケンカすると走る気を損ねてしまいました。そういう操縦性の難しさや気性を産駒も受け継いでいて、気分良く行った時は強いんですけど、ちょっとでも機嫌を損ねると一切走らなくて、レース後に全然息が上がっていないこともあります。
リワードアヴァロンで高知優駿制覇
そうなると、高知優駿では戦前から逃げる形を考えていたのでしょうか。
枠順が出た時点で、ああいう展開がベストかなと思いました。対戦相手との枠の並びも良かったので、リワードアヴァロンに向いてくれると思い、レース前から全てがうまく噛み合っていた感じです。スタートしてリワードアヴァロンは仕掛ければ行ける手応えだったので、内の馬が無理にでも行くのならば僕も仕掛けるっていう感じで内を見ながら行きました。折り合いに若干難しいところがありますが、最初のコーナーで折り合いもついてペースも良かったので、あとはどれくらい頑張ってくれるかだと思いました。揉まれない位置がこの馬にとっては一番よくて、あの形になって負けたら仕方がないなっていう感じだったので勝ててよかったです。
話を永森騎手自身に戻しますが、これで"ゴールデンジョッキー"の仲間入りをしました。
毎年、園田で行われる『ゴールデンジョッキーカップ』の出場権を得ただけですが、2,000勝はみんながみんな達成できる数字じゃないので、デビューからずっとお世話になっている雑賀正光先生に感謝したいです。
高知優駿口取り。左が雑賀正光調教師
さっそく2,001勝目は遠征先の園田でのエキストラ騎乗で決めました。波が戻ってきた感じはありますか?
毎年、波がありますけど、徐々には戻ってくるんじゃないかなと思います。それは(雑賀)先生も分かっているので、園田に行く朝に「園田は内が軽いんやぞ!」ってアドバイスされました(笑)。「先生、僕初めて行くんじゃないんですけど」って。
このあとの目標を教えてください。
このあと3,000勝を目指していないわけではないですけど、今まで大きな怪我もなくこられたから2,000勝を達成できたと思っているので、第一に怪我をしないように乗りたいと思います。それを前提において、あとは少しずつでもまた技術を上げていければなと思います。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
約10か月の休養を経て5月に復帰した高知の別府真衣騎手。騎手を辞めようとまで考えた苦悩の時期を乗り越え、たどり着いた現在の心境とは?
5月9日に復帰して1か月と少し経ちました。5月16日には復帰後初勝利! 高知名物一発逆転ファイナルレースで、10番人気ジェイドパンニャーに騎乗し、見事な逃げ切り勝ちでしたね。
ありがとうございます。どの馬が勝ってもおかしくないレースで、細川(忠義)先生からも「強気で行って」とい言われていて。作戦通りの騎乗が出来ました。勝つことが出来て嬉しかったですし、休養が長かったこともあって、1つ勝ててホッとしました。今はレースに乗ることがすごく楽しいですし、休む前と気持ちが全然違いますね。復帰直後と比べるとだいぶ体も慣れて来たかなとは思うんですけど、まだレース勘は完全には戻っていないので、早くその辺りの感覚も取り戻したいです。
昨年の6月30日の騎乗を最後に休養に入ったわけですが、当時はどんなお気持ちでしたか?
休養すると決めるまでは、本当にすごく悩みました。騎手は怪我をしてもなるべく早く復帰するという考えが多いですし、わたしも(2005年に)デビューしてからずっとそういう気持ちでやって来ましたから、最初は怪我をしたわけでもないのにお休みするという考えがなくて。正直、騎手を辞めようという気持ちに傾いていました。
ツイッターでは、心身を整えるための休養と発表されていましたが、外側からは順調そうに見えたので、とても驚きました。
体調があまり良くなかったこともあるんですけど、休む前は以前のように乗れない自分がイヤで、そんな自分を認められなかったというか...。「なんとかしなきゃ」と思ってもがけばもがくほど空回りしてしまって、どんどんダメになっていって。そんな自分がイヤで...、という負のスパイラルでした。体も心もボロボロで、「騎手を辞めよう」と思って周りの方々に相談したんです。その中で特に夫(宮川実騎手)が、「そんなにすぐ辞めると決断する必要はないんじゃない?一度ゆっくり休んでみたら」と言ってくれて。周りの方々のご理解もあって、休養することにしたんです。
悩んだ末に、お休みすると決めた時はいかがでしたか?
休んでいいんだと思いましたし、休むと決めた時には肩の荷が下りたというか、すごくホッとしました。とにかく乗りたいという気持ちがなくなっていたので、とりあえず休もうって。
休養に入ってからは、どんなふうに過ごしていたんですか?
体調も良くなかったので、しばらくはぐったりして寝てばかりいました。気持ち的にも競馬を見たくなかったので、競馬場にも寄り付かないで、3、4か月くらいはダラダラ過ごしていました。
途中、宮川騎手がヘルニアで騎乗をお休みする時期も重なりましたね。
そうなんです。あの時は痛みも強くてとても心配でしたし、「この先どうなるんだろう」という不安もありました。ただ、「今はゆっくりする時期なんだ」とポジティブに考えることが出来ました。夫が復帰する時には、これまで自分が乗っていた時と気持ちが全然違って、すごくドキドキして。外からレースを見るとこんなに心配なんだなって。そういう気持ちが初めてだったので、自分でも驚きましたね。
休養中にはレディスヴィクトリーラウンド(以下LVR)も開催されましたが(高知ラウンドは2月4日)、どんな想いでご覧になっていたんですか?
ちょうど体調も良くなって来て、気持ちも前向きになってきていた時期だったので、すごく刺激を受けました。(宮下)瞳さんは会うたびに心配してくれて「待ってるね」と何度も声をかけてくれましたし、岩永(千明)先輩の優勝にも感動しました...。レディースっていつもドラマがありますよね。ミシェル騎手や後輩たちも頑張っていましたし、すごく勇気づけられました。
今回優勝した岩永騎手も、怪我で休養中に開催されたLVRを見て復帰を決断したと話していました。
当時岩永先輩が悩んでいる姿も見ていたので、今回の優勝は本当に感動しました。高知に来た時にゆっくりお話したんですけど、怪我で休んでいる時のこととか、「待ってるよ」と言ってくれて。あの頃、ちょっと体を動かしたいなと思うようになっていて、動かしているうちに競馬も見たくなっていたんですけど、まだ乗りたいとは思っていなかったんです。でも岩永先輩が優勝したところを見て、わたしも「乗りたいな」って。すごく背中を押していただきました。
復帰の前に、ツイッターでバキバキの腹筋を披露していましたね。前からすごい筋肉でしたが、さらにすごくなったんじゃないですか?
ありがとうございます(笑)。ある程度自分自身で「行ける!」と思ってから復帰したかったので、しっかりトレーニングしました。ただ、馬に乗る筋肉は独特なので、調教で久しぶりに乗った時にはハァハァしちゃって、これはやばいなと(苦笑)。調教を始めてからは、「レース乗って行くか?」と言ってくれた先生もいたんですけど、自分が行けると思ったタイミングまで待ってもらって、そこから復帰出来たのも良かったです。
復帰した時、宮川騎手はどんな反応でしたか?
復帰する時にはものすごく心配してましたけど、勝った時は「良かったな」って言ってくれました。わたし自身も見る側になると心配しますけど、一緒のレースに乗っている時は全然気にならないですね。レースに集中しているので、それどころじゃないですから(笑)。
今の目標は何でしょうか?
これは前から思っていることですけど、瞳さんの後に続きたいという気持ちが強いです。いつか追いついて、追い越したいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
長期休養させていただいたことで、ゆっくりと心と体を整えることが出来ました。これからは以前にも増して勝てるように頑張ります! 復帰後は無観客開催が続いていて、ファンの皆さまの目の前でレースが出来ない淋しさはありますが、ネットで応援していただいていることは感じていますので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)
地方競馬での歴代最多勝利記録(記録の残る1973年以降)を更新し続けている雑賀正光調教師(高知)。1月29日には地方通算3500勝を弟子の永森大智騎手で達成しました。「目標は4000勝」と前人未到の数字を掲げ続ける雑賀調教師。あと500勝に迫ったいまのお気持ちや、かつて管理したグランシュヴァリエ産駒での重賞初制覇などについて伺いました。
地方通算3500勝達成おめでとうございます。以前から4000勝が目標とおっしゃっていましたが、あと500勝となってのお気持ちはいかがですか?
ありがとうございます。うーん、実は3500勝というのはあんまりピリッとは感じていないんです。3500勝を目標にこしらえていたら、4000勝までが遠いので。4000勝を目指していたら、この数字は誰でも通る道だと思っています。
地方通算3500勝をセキセキで達成。鞍上は永森大智騎手
(写真:高知県競馬組合)あくまで通過点で、意識はされていなかったんですね。
そうです。騎手でも2000勝を目指していたら、達成した後は油断して乗れなくなるので。2000勝を目指す人は目標として3000勝を置きますし、3000勝の人は4000勝を目標に進んでいます。だから長続きもするし、乗れます。それは下原(理騎手、兵庫)に言ったこともありますし、うちの永森にも「2000勝を目指すんやったら、3000勝を目標にせんかい」って言っています。
下原騎手はたびたび重賞のスポット騎乗で雑賀厩舎の馬に乗っていますが、そういうお話もされるのですね。他地区のジョッキーで言えば、昨年は高知優駿で御神本訓史騎手(大井)がナンヨーオボロヅキに騎乗し、見事勝利。大井のトップジョッキーを高知に招聘するなんて、雑賀調教師の偉大さが伝わってきました。
何の気なく、「御神本、乗れるか?」って言ったら、ちょっと考えよったけど、「乗ります」って。そしたらみんなから「高知に乗りにくるなんてビックリした」と言われて、私もあんなに騒がれるとは思わなくてビックリしました(笑)。
御神本訓史騎手で2019年の高知優駿を制したナンヨーオボロヅキ
(写真:高知県競馬組合)御神本騎手は2010年、騎乗停止・自粛明けに高知で3カ月の期間限定騎乗を行い、その時の所属が雑賀厩舎でしたね。
預かってほしいと言われた時、「(元騎手の)私より腕もセンスもある一流ジョッキーで、教えることは何もありません」と一度は断ったんです。騎乗に対しては全然言うことはありませんでした。御神本と本橋(孝太)は今でも母の日には私の妻に胡蝶蘭を贈ってくれます。
管理馬の話題では、重賞4勝を挙げ、マイルチャンピオンシップ南部杯JpnI・3着のグランシュヴァリエの産駒が昨年デビューしました。雑賀厩舎にも昨秋以降、門別から移籍してきましたね。
やっぱり姿、形、気性面がよう似ています。3頭がうちに来て、それぞれ違いますが、それでもやっぱりよう似ています。
中でも門別で2勝を挙げて移籍したリワードアヴァロンは先日、土佐春花賞で重賞初制覇を果たしました。
ええ勝負根性のある馬です。前の馬を抜くと止めるような悪い面もお父さんから引き継いでいますけど(苦笑)。土佐春花賞ではソラを使いかけましたが、永森が上手いこと乗りました。スピードはあるし、ジョッキーも父仔二代で乗っています。高知で父仔二代で乗る騎手って永森くらいじゃないですか!?
リワードアヴァロンで土佐春花賞を制覇
(写真:高知県競馬組合)調教師で父仔二代を管理というのもなかなかないケースのように思います。
そやからね、やっぱり他の馬と違って、「もうちょっと...!」って気持ちが出てきますね。リワードアヴァロンはお母さんもうちの厩舎やったので、孫みたいなもんで嬉しさも倍です。スピードがあるので脚元に気をつけながら、王道の3歳路線でいこうと思っています。永森は「距離延長が課題」と話していますが、私は大丈夫だと思っています。全弟も4月に入ってくる予定です。
兄弟ともども楽しみです!ところで、ここ数年は地元や全国リーディングから少し離れていますが、奪還への思いは?
リーディングを取ろうと思ったら、脚元の丈夫な馬を預かった方がいいと思うんですが、脚元に不安を抱えた馬をやりたいんですよね。ここ3年、それこそリーディングからちょっと離れたくらいの時から故障馬を触るのがさらに好きになりましてね。年を取った人が盆栽を触る感じで、脚元を治しながら走らせるのは本当に楽しいんです。
手をかければかけただけ応えてくれる醍醐味があるのでしょうか。2018年の黒船賞を制覇したエイシンヴァラー(当時は兵庫所属)も脚元に不安を抱え、今年はじめに雑賀厩舎に移籍してきました。
少しレースから離れたので、脚元も良くなってきています。高知に来て1回使ってから良くなって、こないだ勝ってくれました。この馬とは縁があるんです。黒船賞を勝った時、厩務員さんはゲートで、新子(雅司調教師)は取材の人に囲まれちゃって、馬を迎えに行く人がいなかったので、私が飛んで行って、採尿検査まで連れて行ったんです。それも少し頭の中にあって、オークションに出てきた時に馬主さんに勧めました。
改めて4000勝への思いを聞かせてください。
言った以上、4000勝を達成するまでは現役を辞めず、精一杯やります。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
高知競馬は一番先に潰れるところやったのに、ホンマによぉ残ったと思います。馬主も調教師もみんなよぉ我慢したけど、それ以上に主催者が偉いです。恥も見栄もすべてなくして、商売に徹しました。そして、こうして高知競馬のファンがついてくれてありがたいです。これからも応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子