2018年4月に船橋から高知へ移籍した林謙佑騎手。初めて高知で通年騎乗している今年は、リーディング上位に迫る活躍を見せています。現在の心境をうかがいました。
今年は66勝(2019年10月24日現在)を挙げて好調を維持していますね。
今年は初めて1年間を通して高知で騎乗しているので、好調というか、たくさん乗せていただいていることが大きいです。いい馬にもたくさん乗せてもらっているので、本当はもっと勝たないといけないなと。
現在高知リーディング5位ですよ。
5位というのはありがたいですね。もう本当に馬たちのお陰です。順位というのは特に意識していなくて、高知には上手いジョッキーがたくさんいますし、その中で5位というのはとても光栄です。
4位の西川敏弘騎手とは1勝差につけています。
西川さんは本当に上手で、僕の前にいるのが当たり前の方なので、そこは気にしていないです。ただ、目の前のレースに勝ちたいという気持ちは強いですね。もっと上手くなって、たくさん勝てるようになりたいです。
林騎手は2015年に船橋でデビュー、2017年3月から1年間、高知で期間限定騎乗をしました。
レースに乗りたいという想いが強くて、たくさん乗せてもらえるように頑張って行きたいなと思って期間限定騎乗に行きました。高知は仕事がキツイって言われますけど、船橋の時もたくさん調教していましたし、それほど大変とは思わなかったですね。確かに時間的には仕事しっぱなしですけど、僕はゆっくりする時間があると寝てしまうので(笑)。
約1年の期間限定騎乗を終えて、2018年4月に完全移籍しました。大きな決断でしたね。
そうですね。当時はまだちょっと迷いがあって。南関東所属でデビューできたことはすごくありがたかったんですけど、やっぱりレースに乗れなかったら意味ないのかなと。周りの方に相談して、自分でも悩んで。どっちの方が自分が役に立てるか、活躍できるかということを考えて決めました。
昨年(2018年)の3月、完全移籍の直前には御厨人窟賞をセトノプロミスで勝利。初重賞制覇を果たしました。
重賞を勝つというのは大きいですね。あの時は3番人気だったんですけど、重賞の割には緊張しなかったんです。逆に最近の方が、1番人気に乗る時とか緊張します(笑)。馬が強くて、勝たせてもらった感じでしたが、ゴールした時は本当に嬉しかったですね。
重賞初制覇となった御厨人窟賞(2018年3月11日)
さらに昨年はトレノ賞も勝ちました。5着までがコンマ2秒差の大接戦でしたね。
あの時は初めてレースでサクラインザスカイに乗せていただいて、本当にギリギリでしたけど、外から差し切ったのは気持ちよかったです。今年はまだ重賞で勝てていなくて、スプリングガールでチャンスをいただいたのに、勝ち切れなくて悔しいです。
今年のトレノ賞で2着、そして金沢へ遠征した読売レディス杯でも2着でした。
特に金沢のレースが悔しいです。あの時、内に行ければもしかしたら勝っていたかもしれないのに、外を回ってロスしてしまったんです......。先生とも、「今日は雨馬場だし、内が使えないこともないな」という話をしていて、高知でも内を突いた経験があったのに。なんであの時、外に行ってしまったのかって。今でも悔しいです。
スプリングガールはどんな馬ですか?
攻め馬の時はちょっとハミを噛んで来るんですけど、レースは砂を被っても大丈夫だし、スタートも速いし、どこからでも競馬ができますね。癖がないし、自在に乗れるところが武器だと思います。
読売レディス杯のように、一緒に遠征に行けるというのは大きな経験でしたね。
そうなんですよ。遠征は(赤岡)修次さんが乗ることが多いですし、せっかくいただいたチャンスだったのに......。僕は修次さんと同じような馬に乗ることが多いんですけど、自分が乗っている時よりスタートもいいし、道中のスイッチの入り方も違うと思います。これは事実なので、しっかり分析して勉強していきたいです。
今後の目標は?
年間100勝してみたいですね。なかなか遠いですけど、頑張ります!
高知はすごく売り上げが上がって、注目度も上がっています。実感されていますか?
僕はいいタイミングで入らせていただいたので、ここまで築き上げてくれた方々に感謝しています。どん底から上がって来た方々に申し訳ないですし、迷惑を掛けるようなことはしたくないです。真面目にやって行きたいですね。
休みの日はどんな風に過ごしているんですか?
僕、意外と多趣味なんですよ。スポーツでいったら、休日だとゴルフに行ったり、平日で時間がある時は野球とかサッカー、テニスをします。休みの日で家にじっとしているというのはなかなかないかな。一時期ゲームにハマった時は家にいましたけど(笑)、今はほとんどないですね。
"高知の林謙佑騎手"もすっかり浸透して来ました。得意なレースを自己分析すると?
そうですね、レースは特に先行が好きです。逃げ馬の後ろくらいから行く感じで。あとは自分で言うのも何ですが、1番人気だとちょっとまだ緊張してしまうので、3、4番人気くらいだとリラックスして乗れます。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
まだ移籍してそれほど経っていないのですが、もっと上手くなってたくさん勝てるよう頑張ります。よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)
今年3月28日に地方競馬通算3000勝を達成した、高知の西川敏弘騎手。長年高知で活躍を続ける大ベテランにお話を伺いました。
まずは地方競馬通算3000勝達成、おめでとうございます!
ありがとうございます。目標にしていた数字なので、無事に達成できてホッとしています。先日祝賀パーティーを開いていただいたんですけど、まさかこんなにたくさんの方々に祝ってもらえると思っていなかったので感動しました。周りの方々、高知の騎手のみんなに感謝しています。
3000勝というのは本当に大きな数字ですね。
デビューした頃はまさか自分が3000勝もできるなんて思っていなかったですね。あの頃はジョッキーの人数も多かったし、30歳を過ぎたら調教師を目指して行くというのが普通のパターンだったから。勝ち星もそうですけど、まさか50歳になっても騎手でいられるとは思っていなかったですよ。
3月28日高知第6レース、プラズマディライトで地方通算3000勝達成
長年第一線で活躍を続ける秘訣は何でしょうか?
一番は体が資本の仕事ですから、体調管理は一生懸命しています。ただ最近ね、年のせいかガタガタで...(苦笑)。周りを見るとすごい人がいっぱいいますよね。的場(文男)さんから見たら、僕なんて子供みたいなもんでしょ(笑)。なんやあのパワーはって思いますよ。
西川騎手は1987年デビューで今年33年目。その間、激動の高知競馬を見て来たんですね。
本当にそうですよね。今は売上げが上がって、賞金も上がって、ものすごくいい流れで。感謝の気持ちでいっぱいです。一時期は「一番廃止に近い競馬場」って言われてね。賞金も低かったし、正直キツかったですよ。でもその頃の我慢があったからこそ、今は報われたなという気持ちです。
今から10年前、廃止の危機だったことが信じられないくらい、今は本当に盛り上がってますね。
ありがたいですね。あの頃は毎月赤字でしたもん、本当につぶれるんかなって思っていました。つぶれたら何やろうかなって。
他所の競馬場へ移籍したり、騎手を引退する方もいらっしゃった中、ご自身で辞めようという気持ちはなかったですか?
それはなかったですね。まず僕は馬に乗ることが好き、レースに乗ることが好きなんです。それに、高知が好きなので離れたくないという気持ちもあって。釣りが好きで、高知は海ばっかりでしょ(笑)。だから、他に移籍したいなという気持ちもなかったです。
高知競馬がどん底だった頃、どうやって盛り上げていこうという気持ちだったんですか?
やっぱり一番はレースが面白いかどうかなんですよ。そこが基本。これからどんどんネット社会になっていくという時期で、そうなったら誰でも何度でもレースを見ることができますから。一番考えたのは、とにかく真面目にキレイなレースをしようということです。そこは僕一人ではなくて、後輩にも徹底しましたね。邪魔したりするレースが横行していては、結局つまらないですし。僕はパチンコとかするんですけど、いい商品じゃないとお客さんは続かないでしょ。だからそこはすごく考えたし、今も大事にしています。
今や高知競馬名物となった、一発逆転ファイナルレースも登場しました。
僕から見ても面白いというか、どんな展開になるのか、どの馬が勝つか、僕らでも分けわかんないですよ(笑)。乗っていてワクワクしています。
3000勝達成表彰式(4月14日)
西川騎手は長らく騎手会長として高知競馬を引っ張って来ました。特に、怪我をして低迷していた赤岡修次騎手を引き上げたことは有名なお話です。赤岡騎手は、「西川さんがいなかったら、今の自分はない」と仰っていました。
いやいやいや、それは昔の話ですけどね。今でも赤岡くんがそうやってみんなに言ってくれることはありがたいですね。あの頃赤岡くんは怪我をして、ずっと落ち込んでいたんです。もう半分辞めようかなって思っていたみたいで。高知もあんまりいい時期じゃなかったんですけど、赤岡くんは才能があるから、辞めたら絶対ダメだって言って、毎日一緒にいました。自分が乗っていた馬にも赤岡くんに乗ってもらったりしてね、乗ると感覚を共有できるじゃないですか。それで「こんな感じよね」っていう話をしながらご飯を食べてましたね。
西川さんは騎手としてもすごいですが、人を育てるというところもすごいと思います。
昔は騎手の間で上と下の年齢層がだいぶ差があって、僕らがちょうど中間だったんですよ。それで、後輩との付き合いができるのは自分だと思っていたので、家に呼んで飲んだりしていました。育てるというほどのことではないですけど、みんなで飲んだりするのも楽しいですから。
でも騎手の世界ですから、どうしてもライバル関係じゃないですか。なかなかできることじゃないと思います。
僕はそういうのあんまり気にしないというか、人を蹴落としたりするのは好きじゃないんです。相手が上手くなったら僕ももっと上手くなりたいって思うし、正々堂々と戦いたいですね。
そういう空気感が、他の競馬場からの期間限定騎乗、例えば南関東で騎乗チャンスの少ない若手が、高知に来て修行するという新たなサイクルを生んだんでしょうね。
南関東とは環境的に全然違うと思いますよ。僕らだけじゃなくて、高知競馬は全体的に育てようという気持ちがあるので。高知で乗っていた子が戻って活躍してくれるのも嬉しいですし、そのまま高知に移籍してくれる子もいますしね。高知のジョッキーたちはすごく仲がいいし、和気あいあいとしていて、若手を威圧するような人はいないです。ただレースは厳しいですよ。
5月の福永洋一記念も節目の10回で盛り上がりましたし、いい波が続いていますね。
(福永)祐一くんにはとても感謝しています。恩返しというか、サプライズでお祝いができて良かったですね。あの表彰式は僕も泣きそうになりました。本当にたくさんの方々のお陰で高知競馬が盛り上がっているので、とてもありがたいです。正直、ここまで急激に良くなるとは思っていなかったので、そういう意味では怖い面もあります。3000勝のパーティーの時に、みんなの前で挨拶させてもらったんですけど、みんなに気を引き締めてもらわないとという話をしました。いい流れで注目されているからこそ、一人でも何かマイナスのことをしたらこの流れが全部止まるよって。今のいい流れは当たり前じゃないってことをしっかり伝えていかないと。
3000勝という大目標を達成しました。今後の目標は?
今は具体的な数字はないですけど、とにかく健康を大事にしたいです。体さえ健康ならば乗っていられますからね。未だに面白いですし、まだまだ続けていきたいです。同期の中西(達也)調教師とはライバルとしてずっと一緒にやって来て、彼が調教師になってからもいい馬に乗せてもらっています。大きなモチベーションになっているので、しっかり結果を出したいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
高知競馬一丸となって面白いレースを提供していきます。その信用は裏切りません。自分もそうですけど、後輩にも徹底していますので、たくさんの方に楽しんでいただけたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)
黒船賞(JpnIII)で5着に健闘したサクラレグナム。同馬を管理するのは2010年全国リーディングに輝いた田中守調教師です。これまでコスモワッチミーやサクラシャイニーなどでは他地区に遠征するなど、その活躍は高知にとどまりません。田中調教師ご自身のこと、厩舎のこと、そしてサクラレグナムについて伺いました。
騎手から34歳で厩舎を開業されて17年。どういった経緯で調教師に転身されたのでしょうか?
今はJRAにいる小牧太騎手や園田の尾林幸二調教師、門別の沼澤英知調教師と同期で、和歌山の紀三井寺競馬で騎手デビューしました。廃止後は益田競馬で半年ほど乗って、地元・宮崎に少し帰った後、紀三井寺時代の師匠からの紹介で高知競馬にやってきました。でも、減量続きで体も悪くなっていたので調教師試験を受験できる年齢になって割とすぐに受けました。当時は今よりも年齢制限が確か高かったんですよ。調教師になる時は、高知競馬が低迷していた時だったので、「調教師にならない方がいいんじゃないか」って声もありましたが、幸いにも僕はツラい思いをすることはそんなにありませんでした。開業当初は預託馬が集まったものの人手が足りなくて、調教も馬房掃除もいろいろ動いていましたね。
翌年にはナムラコクオーで建依別賞を勝って重賞初制覇。ここまで重賞44勝を挙げていますが、その間には他地区やJRAへも積極的に遠征しました。
県外に遠征に行きはじめたのはビッグフリートからでした。中西(達也騎手・当時)と東京盃やJRA京都競馬場でのプロキオンステークスにも行きましたね。プロキオンステークスに出走させたのは、一度中央を見てみたかったですし、ビッグフリートが中央でどれくらいのパフォーマンスを見せられるかというのも知りたかったんです。僕が調教していた馬で、レースは16頭立て11着でしたが、2番手からのレースで走破時計も着差も悪くないな、と。「これなら佐賀のサマーチャンピオンでいい勝負ができる」と思いました。結果は4着でしたけどね。
ナムラコクオーで重賞初制覇となった建依別賞(2003年9月15日)
写真:『Furlong』2003年10月号より
JRAから移籍のビッグフリートは脚元に不安のある馬だったそうですが、田中厩舎の調教は基本的にどんなメニューですか?
だいたいは運動が長めです。馬も1頭ずつ性格が違うので同じようにはできませんが、馬場に入ったらまずは軽速歩をゆっくりしてからキャンターで4コーナーから1800メートルほど走らせます。長い距離を乗らないので、ピッチは速めです。行かない馬は行かせてあげて、ハミ掛かりのいい馬は抑えたままでスーッと、という感じですね。これがいいのか悪いのかって言われたら「どうなのかな?」と思いますが、どの馬も故障もなく現役生活を長く続けられているので、これでいいんだろうと思って変えずに今まできています。
2010年には全国リーディングに輝きました。
あの頃はそういうことに全く頓着していなかったので、全然知らなかったんです。大晦日くらいになって「1位よ」って言われて、「え?え?全国??何それ」って(笑)。そういうところは(赤岡)修次はよく知っているんでね。NARグランプリ授賞式には最優秀勝率騎手賞を受賞した修次と優秀女性騎手賞の(別府)真衣ちゃんと3人で行きました。
さて、先月は黒船賞にサクラレグナムが出走して5着。年末の兵庫ゴールドトロフィーでも4着の実績があり、地元代表として期待が寄せられました。当日の馬の状態などはいかがでしたか?
ずっと状態の良さを持続していたのですが、当日は少しボーっとしていて、「こんな感じの子じゃないのに」って思っていました。前走からちょっと間隔が開き過ぎたかもしれません。黒潮スプリンターズカップの後、どこかで使おうかなとも考えたのですが、変に使わない方がいいと思い、黒船賞に直行しました。遠征に行けばシャキッとするんですが、地元で使うには間隔が長すぎたのかもしれません。
黒潮スプリンターズカップ(2019年2月3日)を制したサクラレグナム
写真:高知県競馬組合
レース当日はずっと「緊張する」とおっしゃっていましたね。地元での一戦だっただけに思いも強かったのではないですか?
サクラレグナムは輸送があまり得意な馬じゃないんです。修次も「地元だと馬の雰囲気が違って、蹴りもいい」と言っています。それでも遠征であれだけ走れるのは筋肉が柔らかいからなんでしょう。「輸送がなければもうちょっと走れる」っていうのもありましたし、メンバーを見て「今年は...!」と期待を持っていました。
その後、ほぼ連闘で重賞・御厨人窟賞に向かい、完勝。黒船賞は少し残念でしたが、地元馬同士だと負けないぞ!っていう強さを見せてくれて安心しました。
レースに申込みだけはしていたんです。黒船賞後にすぐに乗り始めて、調教に跨っている山頭(信義騎手)が「めちゃくちゃ元気です」と言うので、じゃあ行こうか、と。いい状態をずっと調教で維持するより、レースに使った方がいいと思いますし、黒船賞で負けた後だったので、勝ったらまた馬に自信を取り戻させられるかな、と考えました。勝ち時計はあの日の馬場にしたら速いですし、4コーナーは馬場の真ん中を走ってのものですから、よかったと思います。
サクラレグナムの今後の予定を教えてください。
5月1日かきつばた記念に向かう予定です。その後は地元では1400メートルの重賞が8月25日建依別賞までないので、去年と同じようなローテーションで南関東などへ遠征かな、と考えています。
サクラレグナム(2018年11月22日、笠松グランプリ出走時)
田中調教師ご自身は今後どのような目標を立ててらっしゃいますか?
やっぱりもう1回、NARグランプリ授賞式に行きたいなって思います。初めて行った時にカルチャーショックみたいな感じで、「うわ!すごい所だなぁ」と驚きました。だからもう1回、行けるようになったらいいなぁと思っています。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。またこれからも変わりなく応援していただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
2018年、第51回日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した赤岡修次騎手。NARグランプリ2018では6年ぶり3回目となるベストフェアプレイ賞も受賞しました。"高知競馬の顔"は全国の重賞レースへのスポット参戦などにより今や全国区の活躍となり、コンビを組むサクラレグナムとはダートグレードレース初制覇の期待も寄せられます。「プロの旬は短い」と話す赤岡騎手が考える今後とはどのようなものなのでしょうか。
第51回日本プロスポーツ大賞功労賞の受賞、おめでとうございます!
ありがとうございます。新人賞ぶりですね。NARグランプリとはまた違って、なかなかとれないものですからね。地方競馬で受賞の可能性があるのは基本的には新人賞と功労賞ですが、デビューして2回もらった人って、そんなに何人もいないんじゃないですかね。嬉しいことです。
NARグランプリ2018では3回目となるフェアプレイ賞を受賞されました。こちらもおめでとうございます。
ありがとうございます。南関東に行きはじめて特に「綺麗に乗る」ということを意識しました。みんな綺麗に乗りますし、多頭数のレースで馬の力が拮抗しているので、そうしたことまで考えないと勝てないなと思いました。そういったことがフェアプレイ賞にも繋がったのかもしれませんね。
NAR2018祝賀会にて、筆者と
さらに2018年9月28日には地方通算3500勝も達成されました。高知競馬所属騎手の歴代最多勝記録を更新し続けていますが、それに対するプレッシャーなどはありますか?
今はもうないです。「高知競馬が良くなるために」と思っていた時はプレッシャーというか、「自分がミスをすれば高知競馬全体のイメージが下がる」と分かっていたので、自分のためでもある一方、高知競馬や今後の若い子たちのためにも失敗はできないと思っていました。でも今はもう道を作ることができたので、これからの高知競馬を背負っていく20代、30代の子たちが自分自身でどういう風に騎手人生を作っていくかを決めることかなって思っています。
2015年からは南関東で期間限定騎乗を毎年行っていますし、重賞のたびに各地で騎乗するなど全国区で活躍されていますね。
こうして声を掛けていただけるうちが僕の騎手人生の華かなって思っています。今は地元のリーディングにこだわっているわけではなくて、あとは騎手としていい晩年を迎えられればいいかなって思います。吉原(寛人)もですが、僕もこれだけ全国で重賞を勝たせていただける流れを作ってくださったのは、内田利雄さんであったり菅原勲さんであったり、ですよね。以前は他場のジョッキーを重賞に呼ぶなんてまず考えられませんでした。それを内田さんや菅原さんが前例を作ってくれました。菅原さんはメイセイオペラや南関東に期間限定騎乗で行った時、南関東の重賞で本命馬や川島(正行)先生のところの馬を頼まれて勝つのを見て「すごいな」と思いましたよ。なかなか結果を残せるものじゃないです。あの方たちがいたから、こういう流れがあるんじゃないかなって思います。
赤岡騎手は初めて南関東に期間限定騎乗に行かれる時、馬のことだけでなく騎手の癖なども研究したとうかがいました。そういった点も遠征先での結果に繋がっているのでしょうね。
「この騎手ならあそこまで行ってくれるから、自分はここくらいで競馬しよう」って考えたりしますね。特に上手いジョッキーに関しては「こういうレースをするんじゃないのかな」っていうのがある程度は想像できます。
昨年11月の笠松グランプリでは吉原騎手が行くのを見て、赤岡騎手はその後ろに控えました。まさしく今おっしゃったようなことなのでしょうか。そのレースでは騎乗したサクラレグナムは残念ながら2着でしたが、スピードのある馬ですね。
昨年の春に高知へ移籍してきましたがJRA所属馬相手でもスピード負けしないですし、南関東で重賞を勝てるくらいのポジションにいた馬です。昨年は習志野きらっとスプリントでも勝ったアピアとそんなに差もなかったですしね。
赤岡騎手が感じるサクラレグナムの一番の持ち味はどんなところでしょうか?
前向きさだと思います。すごく前向きさがあるので長い距離は良くないでしょうが、小回りだとどういうレースでもできるんじゃないかなって思います。兵庫ゴールドトロフィーの時に安藤(勝己)さんが「赤岡の馬、印薄すぎるけど、俺は本命だと思うんだ」って言ってくださったんです。僕も「52kgで走れるので」と話していました。南関東などでダートグレードレースを走っても勝ち馬からは0コンマ何秒差です。兵庫ゴールドトロフィーは4着で馬券圏内には絡めませんでしたが、「やれるな」って感じました。ただ、あの時はかなりイレ込んでいたんです。南関東に行くと「こんなんで大丈夫かな?」というくらい落ち着いているんですけどね。
その後、大高坂賞、黒潮スプリンターズカップと連勝しました。
輸送が入るとどうしても疲れが残るタイプなので、その分地元は楽なんじゃないですかね。遠征と地元じゃ全然馬の雰囲気が違いますから。黒潮スプリンターズカップではスタートして他の馬が行きそうだったので、控えてレースを進めました。前が速くなって、展開的にもいい流れでした。
サクラレグナムで大高坂賞を勝利(2019年1月14日、写真:高知県競馬組合)
いよいよ3月21日には地元で黒船賞(JpnIII)が実施されます。地元でのダートグレードレース制覇を期待するファンのみなさんも多いかと思います。
楽しみですね。去年は兵庫のエイシンヴァラーが勝ちましたし、頑張りたいです。高知の馬場は県外の馬がいきなり来て重賞を勝つのは難しい馬場だと思います。出走を予定しているサクラレグナム自身も輸送のない地元戦はプラスに働きますから、なんとかいい結果を残したいですね。
今後の目標を教えてください。
全国から声を掛けていただいて乗りに行くことをいつまで持続できるか、が目標ですかね。全国で乗っているのが当たり前になったので、それがなくなったらダメなんじゃないかなと思います。重賞の時期になると高知にはレースの時だけ帰ってきて、また他地区へ乗りに行くという感じでほとんど高知にはいませんが、プロの旬は短いのでやれる間に行っておきたいです。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
今は全国どこに行っても「赤岡」って言ってくれて応援していただけるのがすごくありがたいです。レースで勝つか負けるかは分からないですが、精一杯がんばりますのでこれからも温かい声援をよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
現役では3人目となる地方競馬通算3000勝を達成(2018年11月17日高知第8レース)した松木啓助調教師。高知競馬が現在の場所に移転してからほぼ同じ年月を調教師として過ごしてこられました。時代の変化や今でも忘れられない馬、そして今後について語っていただきました。
地方競馬通算3000勝、おめでとうございます。1986年4月の初出走から約32年での達成です。改めて、どんなお気持ちですか?
ありがとうございます。ある時からみんなに「もうちょっとや」って言われていたんですが、私自身はそんなに意識をしていませんでした。32年間の積み重ねで、いま考えてみたら長いですね。
厩舎を開業されたのは、高知競馬場が『桟橋競馬場』と呼ばれていた地から現在の場所に移転して1年後のことでした。当時はどんな状況でしたか?
移転して1年は騎手としてレースに乗っていて、それから調教師になりました。当時はスタンドも馬場も新しかったですね。移転して少ししてから売上げもバーッと上がって、あの頃は良かったですよ。
調教方法など、いまとの違いはありますか?
こっちではみんな内厩ですが、桟橋の頃は外厩が3分の2くらいは占めていましたかね。遠いと車で馬を連れてきていました。あと、昔は浜で乗っていました。浜の近くにも厩舎が結構あって、今の場所に競馬場が移ってからもしばらくは外厩という形で利用していました。砂浜での調教は屈腱炎とか故障馬にいいんですよ。あんまり砂が深い所で走らせると馬も疲れてしまうので、うまく調整しながらですね。
調教師になったばかりの頃は、他の調教師が嫌がる屈腱炎の馬とかを紹介してもらい預かっていました。屈腱炎の馬って、能力やスピードがあるんですよね。脚元を注意しながらですが、走れれば力は全然違います。朝、競馬場で調教を終えてから浜に行っていたので忙しかったですが、だからこそ成績も上がったと思います。開業当初は15馬房くらいしかなくて、まずは成績を上げないと馬房数も増えなかったですからね。
そうした苦労や工夫のおかげで、1年目は馬房数の約2倍にあたる29勝を挙げられたんですね。重賞はこれまで記録に残っている上では55勝です。特に印象に残っているのはどの馬ですか?
タイホウミラクルですね。開業3年目で高知県知事賞を勝ちました(1989年1月15日)。当時も県知事賞はビッグレースで、ええ馬に当たりましたね。気性のいい馬でした。
2004年には福山で全日本アラブグランプリをマルチジャガーで制覇。同馬は13連勝ののち4着を挟んで7連勝で同レース優勝だったんですね。カッコイイです。
2歳のデビューから高知でやった馬で、強かったね。スピードが違っていました。
最近ではセトノプロミスで2018年御厨人窟賞を勝たれました。
プロミスは高知にきてパパーッと勝ちましたね。距離は1400mか1600mがいいでしょう。1600mは掛かる時もあるけど、その時によって分かりません。折り合いがついたらいいですけどね。なかなか重賞っていうのはうまいこといかないと勝てないですから。この馬は脚元が良くなったり悪くなったりで、最近は年齢もあるかもしれません。でも、能力は高いですよ。
セトノプロミス(2018年3月11日・御厨人窟賞/写真:高知県競馬組合)
ご自身は重賞での活躍だけでなく、2000年からは4年連続で高知リーディングに輝くなど、毎年リーディング上位の勝利数を挙げています。今後についてはどのようにお考えですか?
高知の調教師には定年がありません。だから、自分で自分の引き際を決めないといけないです。でも、元気でやれるうちはやろうと思います。またマルチジャガーみたいな馬、やりたいですね。なかなか難しいことですが、ずっとやっていればどこかで当たるかもしれないですしね。
それと、いま厩舎に預けてくださっている馬主を大事にしたいです。景気が悪い時は高知競馬にも馬が300頭前後しかいなくて、経費も最小限に抑えていたから、1回走って2万5000円ほどの出走手当。私も預託料を下げましたが、それでも限界があって、結局馬主のところに負担がいってしまいました。もう辞めようかと思った時もありましたが、ナイターをやり始めてから売り上げも上がって、あの頃より良くなっています。だから、あの頃にお世話になった馬主は大切にしないといけません。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
高知の競馬は魅力があると思います。内の砂が深いことを買う方も考えないといけないでしょうし、ジョッキーも内枠に入ったら悩むと思います。
これからも高知競馬はまだまだやっていくと思います。売り上げも上昇してきました。どんどん買ってもらって、宣伝をどんどんしてもらって、高知競馬を発展させてもらいたいです。
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※インタビュー / 大恵陽子