
中西達也調教師は、フリビオンで2017年の高知優駿を騎手として制し、9月からはその馬を管理する側になりました。調教師に転身しておよそ10カ月、今の様子を中心に伺いました。
高知優駿から1年が経ちましたね。
この1年は本当に早かったですね。でも、騎手を辞めてからはずいぶんと時間が経ったような気がします。それだけ調教師になってから、濃密な日々を過ごしているということなんでしょうね。騎手時代は、馬は調教のときに乗ってレースでも乗って、という感じの接しかたでしたが、今は馬のそばにいる時間が長いですからね。現在(インタビューは6月中旬)は10馬房で、8月に15馬房に増える予定ですが、厩舎にいる10頭には全部乗っています。
調教師として初めての重賞となる珊瑚冠賞にフリビオンを送り出して勝利を挙げ、続く西日本ダービーも優勝しましたが、水沢のダービーグランプリでは2着でした。
西日本ダービーを勝ったらダービーグランプリに行きたいと思っていました。フリビオンは佐賀までの輸送でもわりとケロッとしていましたから、それより長い輸送距離でも大丈夫かなという手応えもありました。ただ、水沢は寒かったですね(苦笑)。そしてスーパーステションは強かったです。
調教師としてフリビオンで西日本ダービー制覇
騎手と調教師ではどういったところが違いますか?
まず、緊張感がまったく違います。騎手時代は午前の攻め馬が終わったら自宅に帰っていましたが、今は夕方まで厩舎にいます。馬の状態は常に把握しておかないといけないですし、小さな変化にも気づけるようにしないとダメですからね。馬には乗れても、馬を育てる引き出しみたいなものをまだ持ち合わせていないので、となりの厩舎にいる炭田先生にいろいろと教えていただきながら、そのうえで自分の色を出せていければと試行錯誤しているところです。
しかし中西厩舎の雰囲気は、高知競馬場のなかでは目立ちますね。
見ばえのよさ、そこは誰にも負けないようにしようと、調教師になる前から考えていました。壁のペンキ塗りも花壇作りも自分でやりましたよ。つい先日、テラス風に座れるところを作ったんですが、これもホームセンターで材木と屋根を買ってきて自分で作りました。やっぱり見た目、とくに入口、玄関は大切だと思うんですよ。調教師は個人商店、中西達也商店ですから、馬にも人にもいい環境を用意していかないと。そのためには普段の服装からきちんとしないと、とも思っています。
調教師として初めてとなる高知優駿には2頭を送り出すことになりました。
これはもう、馬主さんに感謝するしかないですね。今はまだ管理頭数が少ないですが、その少ないなかでも濃い内容を残していきたいと考えています。ただ、スタッフのなり手がいなくて......。人材不足ですよ。僕はなんというか、たとえば牧場に馬を見に行くとか、そういったいわゆる調教師らしい仕事をしたいと思っているんですけれどもなかなか......。
そこは課題として今後もついて回ることになるかもしれませんね。
生きものが相手ですから休みも少ないですし、福利厚生も整っているとは言えません。でも、そのあたりはこれから変えていかないと。
そういうところもこれから目指すところになりますね。ほかに調教師としての目標はありますか?
具体的な数字とか、そういう目標はとくにないですね。まずは経験を積んで、調教師としての引き出しを増やしていくことを目指したいです。また、これまでとは違って人を使う立場になったので、うまくチームワーク的な感じで進められればと思います。その上で、また県外のレースに行けるようになれればいいですね。これからも調教師として恥ずかしくないように、そして『中西厩舎っていいですね』と言ってもらえるように、頑張っていきたいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
永森大智騎手は2017年の高知競馬でもっとも多くの勝利を挙げ、2015年から3年連続で高知リーディングとなっている。今年も狙うのは当然、その地位のキープです。
2017年も高知リーディングになりました。ただ、勝ち星(高知のみ)は一昨年の238から190に減ってしまいました。
賞金が上がったことで、いわゆる"いい馬"が入ってくることが多くなりました。その関係で以前より競馬が難しくなっています。数年前は、力の差がわりとハッキリしているメンバー構成のレースが今より多かったと思うのですが、最近は同じレースに勝つチャンスのある馬が何頭も出走している感じですからね。そのおかげで騎手が積極的に乗るようになっているので、レースの流れが変わったようにも思います。ただ、一昨年の238勝は、こう言ったらナンなのですが、ちょっとでき過ぎだったような気もしますね。
それでも高知での勝利数は高い水準を保っています。
でも振り返ってみると、去年は取りこぼしが多かったように思います。リーディング厩舎(雑賀正光厩舎)の所属騎手としてたくさん乗せてもらっているわけですから、勝てるレースを落とさないようにしていかないと。今年の目標はまず、去年達成できなかった年間200勝ですね。
それでもリーディングの座をキープしたことで、今年もいろいろな舞台が待っていると思います。
やはりスーパージョッキーズトライアル(SJT)には出たいですね。今年も出られるのかどうか、まだわからないわけですが(2017年は、前年4月1日から3月31日までの所属場での勝利数1位の騎手が出場騎手に選定)、ワールドオールスタージョッキーズのあの味、あの空気を知ってしまったら、また行きたくなりますよ。
リーディングジョッキーになると、盛岡競馬場で行われるジャパンジョッキーズカップなどの騎手交流戦に呼ばれることも多くなります。
盛岡のあのイベントは本当に楽しいので、何回でも行きたいですね。JRAの騎手とも話ができますし。SJTはかかっているものが大きすぎて、なんていうか、ピリピリとした感じがあるんですけれど、ああいった純粋な騎手交流戦はまったく違いますからね。普段と違う舞台で楽しく乗れて、刺激にもなります。レース後の飲み会も含めて(笑)。
2016年ジャパンジョッキーズカップ(盛岡)でも優勝
となると200勝という数字とともに、高知リーディングの継続も目標ですね。
そこはキープしていきたいと思っています。ただ、だんだんと勝つのが難しくなってきているのは間違いなくて。それをなんとかするために最近とくに心がけているのは、その日の馬場の変化に注意すること。第1レースから始まって、その日の天気やコンディションでインコースが使えるようになってくるとか、馬場の状況が時間とともに変わっていきます。その変化に誰よりも早く気づきたいんですよ。そして早く気づいたぶん、1レースだけでもいいから自分を有利にしたいんです。当然、ほかの騎手も同じようなことを思っているのでレース後のVTRをみんな見ていますが、それでもその一歩先を進めるようにしたいと考えているんです。
そして、重賞勝利も増やしていきたいのではないですか?
そうですね。去年はカッサイだけでしたからね(黒潮スプリンターズカップ、建依別賞)。でもそういうのはめぐりあわせもありますから。そういう意味では、これまで高知を代表する馬で大きなレースを勝たせてもらった、その経験には大きいものがあります。
そういえば永森騎手って、まだ31歳なんですよね。もっとベテランかと思っていました。初めて重賞を勝ったのが2011年。それから急上昇してきた感じがするのですが、ご本人としてはいかがでしょう。
もちろん、そのころはこんなふうになるなんて少しも思っていませんでした。赤岡さんをはじめ、巧い人がたくさんいる競馬場ですし。それでも初めて重賞を勝たせてもらったリワードレブロンから始まって、エプソムアーロン、グランシュヴァリエといった存在は、自分のなかでは特別なものですね。
最近は高知競馬でデビューした馬たちの活躍が目立っています。そういった馬との出会いにも期待したいですよね。
それもめぐりあわせですよ。ひとつひとつのレースを大切にして、その延長線上にそういう馬が出てくればと思います。そのうちに、ですね。自分自身、これまで「そのうちに、そのうちに」という気持ちでやってきました。自分なりに最善を尽くしていくということを、これからも続けていきたいと思います。
赤岡騎手は他の競馬場の重賞で乗ることも多いですが、そこも今年の目標のひとつでしょうか。
そこまではちょっとどうかなあとは思いますが(笑)、でももっと全国に名前が売れるように、ほかの競馬場から声がかかるような騎手になりたいという思いはあります。地元では自厩舎はもちろんですが、ほかの厩舎からも信頼してもらえるように。あとはケガをしないことですね。そこに気をつけて、今年も頑張っていきたいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
5月27日に通算3016勝を挙げ、地方競馬通算勝利数の日本記録を達成した、高知の雑賀正光調教師。1985年の調教師デビューから32年。常にトップとして走り続けて来た競馬人生を振り返っていただきました。
まずは通算勝利数の日本記録更新、おめでとうございます。
ありがとうございます。自分としてはあんまり意識していなかったんですけど、記録に近づいて来た頃から、3014勝くらいからかな、うちの乗り役たちがそわそわしだして、いつも以上に力が入っていましたね。
弟子の永森大智騎手で見事達成しましたね。
そうですね。記録よりも、弟子が一生懸命がんばってくれたことが嬉しかったです。
ズバリ、何でこんなに勝てるんですか? 地方競馬の年間の最多勝利記録(2012年・290勝)も持っているじゃないですか。
あの時は何が何だかわからなかったですけど(笑)。とにかくいい馬を預けてもらっているということです。それが一番ですよ。オーナーの皆さんには本当に感謝しています。それに、弟子たちも一生懸命がんばってくれますし、スタッフのみんなも真面目にやってくれますから。そのお陰でこうしてたくさん勝たせてもらっているんです。わたしよりすごい先生がまだまだたくさんおられますし、自分は普通のことをしているだけだと思います。
普通のこと、と言われますが、その中で大切にしていることは何ですか?
馬の調子のいい時を持続させる、くらいかな。それは結局やれることをやるだけなんです。例えば、追い切りの後、レースの後に馬の脚の確認を慎重にすることですね。走った後の確認、レースが終わったら次の競馬のための確認、1頭1頭丁寧に確認することが大事です。
管理する40頭を全部先生が確認するんですか?
疲れますけど(笑)。そこは大事にしています。もちろんスタッフも真面目にがんばってくれてますけど、最終的な判断はわたしがしています。
雑賀先生は勝ち星もすごいですが、ジョッキーも育てていますよね。現在所属は4人です。
なんでかわからないですけど、4人いますね(笑)。最初は永森大智で。中学生の時に見学に来て、何かの縁でうちに入ることになったんです。今はトップになりましたけど、あいつは這い上がって来たんですよ。本橋(孝太)や御神本(訓史)なんかもそうですけど、腕が立つ奴は気性が激しいのが多いし、腕がない奴は大人しいのが多くて、よそから来る子には細かいことも教えるんですけど。でも自分のところの騎手にはあんまり教えないんですよ。自分で考えて、ある程度のところまで育ってこないと。勝つっていう意識を強く持てとは言うんですけど、それ以外は言わないです。
3年前に、「今年は永森と心中するから」って仰ってましたね。
そうそう。それまではいい馬には他の乗り役を乗せていたんですよ。でも、ポートジェネラルという馬に乗せたら、勝ってきたんです。乗り役が少なかったんでたまたま乗せたんですけど、「お、だいぶ乗れるようになったな」と。そこから少し手を差し伸べたら、リーディングになってくれました。
2016年12月31日、高知県知事賞(リワードレブロン)。一番弟子の永森大智騎手とのコンビで高知県知事賞4勝を挙げた(写真:高知県競馬組合)
永森騎手は、「雑賀先生に褒められるとすごく嬉しい」と仰っていましたし、師匠と弟子のいい関係ですね。
まぁ今の時代は環境的に育てるというのは難しいですけどね。わたしは這い上がってきたら手を差し伸べますけど、そこまではほっときますから。這い上がってきた奴をそこから育てるんです。なかなかリーディングを育てるっていうのは、一生に一度あるかないかじゃないですか。それに、自分の厩舎でリーディングを育てるっていうのは今はないでしょう。他のリーディングの人たちを見ると、自厩舎だけじゃなくていろいろな厩舎に乗せてもらってという形じゃないですか。
永森騎手はトップに育ちました。下の3人(岡村卓弥騎手、松木大地騎手、塚本雄大騎手)はどうしましょう?
みんなで一緒にご飯を食べる時があるんですけど、「永森がもし乗れない時には、次は岡村、お前だぞ」って。「いつでも永森の替わりになれるよう努力しとけ」って言ってます。岡村が乗れない時には次は松木、塚本、と、うちは順番が決まっているんですよ。ただ、さっきも言いましたけど、自分で這い上がってこない限りは手を差し伸べるつもりはありません。
松木騎手、塚本騎手も金沢で期間限定騎乗をしましたが、先生の方針ですか?
そうです。永森も岡村も福山行ったり金沢行ったり、あっちこっち勉強に行かせたんです。他の競馬場を見てくることもすごく大事ですし、他に行くことで高知の良さも感じることができますから。2人とも、その経験を活かしてすごく成長しましたから、下の2人にもがんばって欲しいですね。
高知は今かなり売り上げが上がっていますね。
有難いことに、ファンの方に注目していただいて、こちらも張り合いがありますよ。全体的に出走頭数も増えましたし、賞金諸手当も増えました。どこの厩舎でも馬がたくさん入るようになりましたし、雰囲気はすごくいいですよ。いいスパイラルになっていると思います。でも、ここからですよ。お陰様でいい形になったので、これからもっとがんばって恩返ししていかないと。
32年間、第一線で競馬を引っ張ってきていますが、秘訣はなんですか?
秘訣なんてないですよ。わたしは親父が調教師だったので、親の引いた線路を歩いてきただけです。実をいうと、もともとは競馬が好きじゃなかったくらいですから。他の人は、競馬が好き、馬が好きってこの世界に入って来るけれども、たまたま生まれたところに馬がいて。若い頃はそれが嫌で嫌で仕方なかったんですけどね(笑)。でも気が付いたらこうなってました(笑)。血ですね。今はやりがいのある道に進ませてもらって、親にも感謝してます。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
皆さまのお陰で、高知はなんとか盛り返すことができました。インターネットを通して買ってくれるお客様一人一人に、とても感謝しています。これからも結果を出して、皆さまの馬券に貢献できるようがんばりますので、どうぞよろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋
倉兼育康騎手がコンビを組んだタッチスプリントはグランダム・ジャパン3歳シーズンに参戦し、29ポイントを獲得。しかし最終戦の関東オークスで、大井のステップオブダンスに同点とされ、その最終戦の着順による規定で優勝を逃すことに。残念な結果となったが、その戦いを振り返っていただきました。
グランダム・ジャパン3歳シーズン最終戦の関東オークスは、消化不良という感じのレースでした。
関東オークスは初めての左回りで、返し馬のときに馬が戸惑って、ビタッと止まってしまったんですよ。後ろから別の馬が来たことでやっと動いたんですが、そういう不利もありました。それでレースでは1コーナーで他の馬にぶつけられましたから、さらに厳しくなってしまいましたね。しかし4つのレースに参加してコツコツとポイントを重ねてきたのに、なんというかねえ。ルールとはいえ、チャンピオンになれなかったのは悔しいですよ。
それでも最終戦まで行けたのは、若草賞での勝利があったからだと思います。
確かに、あのレースを勝ったからというところはありますね。でもあのときは馬の調子がけっこう悪かったんですよ。毛ヅヤはいまひとつでしたし、道中でものめりながら走っていました。エンジンがかかったのは最後の400メートルだけ。でもあの差し脚にはビックリしました。
若草賞(名古屋)を制したタッチスプリント(写真:愛知県競馬組合)
その前は高知の金の鞍賞で2着、佐賀遠征の花吹雪賞でも2着に入っていました。
高知に来てからの成績が良かったのは確かですが、若草賞は初めて対戦するメンバーですから、レース前はここでどのくらいまで頑張れるのかなという感じで考えていましたね。
若草賞を制したあとは、再び名古屋で東海クイーンカップに出走することになりました。
小柄なので、佐賀(ル・プランタン賞)よりも間隔が取れるほうを選んだということだと思います。ただ、東海クイーンカップは不良馬場になってしまったのが誤算。若草賞よりは前のほうでレースを進めたんですが、他の馬に被せられたところで馬が嫌気を出してしまいました。タッチスプリントは基本的に、砂をかぶることをきらうタイプなんです。
それでも400キロ前後の体でよく頑張っていると思います。
どこに行っても落ち着いているのが長所ですね。レース当日は、本馬場に入ってゲートに近づくにつれて、自分で気合を上げていってくれます。レース経験を積むごとにゲート離れもよくなっていますね。ただ、2着だったのじぎく賞もそうですけれど、あとちょっと着順がよかったらと思うとねえ......。
それでも2位という成績は残しました。管理する別府真司調教師は「夏になると走るタイプ」と話していましたが、グランダム・ジャパンの古馬シーズンはどうでしょうか。
地元だと上のクラスになってしまいますし、そういう点からもグランダムに行くと思います。まずは兵庫サマークイーン賞ですかね。その後は結果次第だと思います。
ソウル競馬場での倉兼騎手
倉兼騎手は韓国で騎乗する時期が長かったわけですが、高知に戻ってきておよそ1年。以前と変わったと感じるところはありますか?
賞金は上がりましたが、それ以外ではそれほどすごい変化というのはないかなあ。でも騎手の人数は増えましたし、馬の質も以前に比べると上がってきたとは思います。
高知に戻ってのご自身の成績はいかがでしょう。
自分の成績はまあ、いまひとつという感じですかね。日韓合計2000勝は達成できると思いますが(6月18日時点で1983勝)、日本だけでの2000勝は、今の状況だとどうかなあ。乗り鞍も今年はちょっと少ない感じがしますし、あまり勝てていないこともあってモチベーションも下がりぎみ。でもそういう状況のなかにタッチスプリントのような馬がいると、気持ちを上げることができますよね。ありがたい存在だと思います。
韓国では2007年に初めて短期免許を取得して、2014年にはソウルのMVPジョッキーに選ばれるなど活躍しました。韓国競馬を経験してよかった点はどこでしょうか。
いちばん大きかったのは、いろいろな人と話せるようになったというところでしょうか。以前はそれほど気さくに話ができるようなタイプじゃなかったんですよ。酒を飲めば別なんですが(笑)。韓国では通訳さんがついてくれているとはいっても、自分の意思をしっかりと伝えないとどうにもならないですからね。いちばんのプラス面はそこかなと思います。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
ベテラン勢が活躍を見せている高知競馬で、デビュー8年目を迎えた岡村卓弥騎手も奮闘中。昨年の秋は門別競馬場で期間限定騎乗をするなど経験を重ねています。
最近の高知競馬でもっとも変化したところといえば、昨年12月18日から賞金額がそれまでよりおよそ倍になったこと。競馬に携わるみなさんの雰囲気はどうでしょうか?
確かに変化は感じますね。厩務員さんは特に。騎手はそれほどまではという気はしますが、でもモチベーションが上がっているのは間違いないです。
重賞の1着賞金額が27万円というレースもありましたから、それに比べるとぜんぜん違いますものね。
そうですね。重賞はみんな気合が入っていると思います。自分もそれにつられてヤル気が出てきていますから。そのほかのレースでも接戦が増えているように感じます。前でガリガリやりあうことが多くなったように思いますし、それからインコースを狙う騎手が多くなったかな。インは使える日と使えない日があるのですが。
そして高知では2歳新馬戦が復活しました。
僕自身はまだ2歳馬を一から育てたという経験はないですが、昨年9月から北海道に2か月弱、期間限定騎乗をしに行ったときに、調教が進んでいる1歳馬に乗せてもらいました。北海道のデビュー前の馬は年齢を感じさせないというか、背中がしっかりしていますね。驚きました。高知でもディアマルコが新馬復活の1年目から活躍しましたが、すごいことだと思います。ああいう馬と巡り会って、遠征してみたいです。
ということは、あまり遠征の経験はないということでしょうか?
期間限定騎乗は金沢と北海道がありますが、金沢にいたときに南関東の川崎に1回行っただけなんです。ウチの厩舎(雑賀正光厩舎)は騎手が4人いるので、自厩舎だけなら仕事的に多少の余裕がありますから、よその競馬場に行かせていただけているところがあると思います。普段はほかの厩舎の攻め馬も頼まれますから、だいたい朝は2時半から10時くらいまで、20頭くらいに乗っています。
地元での成績ですが、昨年も今年も勝ち星より2着3着のほうが多くなっているのですが。
そうなんですよ。ほんのちょっとだけ負けるというケースが多い気がするんですよね。すごく悔しいんですが、そこは技術の差なんでしょうね。本命の馬はもちろん勝つレースを心がけますが、それ以外の馬に乗っても最低でも3着は目指そうと考えています。以前と比べて変わったところといえば、いい意味であまり考えなくなったことかな。以前はレース前に展開などをいろいろと考えていましたが、思い通りにはいかないのが競馬ですし、考えすぎるといい結果は出ないように感じたんです。だから最近はゲートが開くまでは余計なことを考えないようにしています。
そのほかに、最近になって意識していることはありますか?
騎乗するときに、以前よりもくるぶしで馬の体を締めることを意識していますね。それからハミのかけかたも。以前から先生に「道中で手を動かしすぎ」と言われていましたが、それができることで、3コーナーあたりでハミをかけていくことをより意識できるようになったと思います。ただ、そのためには足の筋力が必要ですから、調教のときからアブミを短くして、楽乗りをしないようにしています。
そういったことも、今年の高知での騎乗数がトップを争っているというところにつながっているのかもしれないですね。
本当にたくさん乗せてもらえているのでありがたいです。ウチの厩舎にいたらチャンスは巡ってくると思うので、そのときにきちんとそれを掴めるようにしたいですね。それから最近は、自分が担当している馬がレースでカチ合ったとき、先生がどちらに乗るか、選ばせてくれるようになったんですよ。そこも以前とは違うところですね。そういう流れをもっと積み重ねていくことが今の目標です。結果がすべての世界ですから、実力がある馬に乗せてもらったときに結果を出せるように、そして人気になっても気負わないで乗れるようになりたいと思っています。
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※インタビュー / 浅野靖典