毎年高知リーディングトップ10に入る活躍を見せている、デビュー16年目の上田将司騎手。中堅ジョッキーとして高知を支える存在となった今、これからの抱負をお聞きしました。
上田騎手といえば人気薄の馬を持って来るイメージが強いのですが、ご自分でそういう意識はありますか?
そうですね。どんな馬に乗る時でも一発狙ってはいますよ。ただ、それが成功するかどうかは......馬に聞いて下さい(笑)。レースを見てもらったらわかりますけど、僕は逃げが少ないんですよ。現実的に、能力の抜けた馬にはあまり乗っていないので、その中で勝とうと思ったら最後の直線まで力をいかに温存できるかなんです。もちろん、その馬に合わせた騎乗を心掛けていますけど、3~4コーナー回ってまだ手応えがあったら「勝負になる!」と思いますね。
今年でデビュー16年目になりますが、新人の頃から勝ち星も多かったですし、ここまで順調に来ていますね。
たくさん乗せていただいて、関係者の方々には本当に感謝しています。高知の中でも騎乗数はトップクラスなので、そこは本当にありがたいですね。ただ、現状には満足していません。比べるわけではないですけど、僕の同期はみんなすごいんですよ。金沢の吉原寛人、去年調教師になった笠松の尾島徹、高知に移籍して来た三村展久、それに去年大ブレイクした金沢の藤田弘治もいますからね。厳しかった教養センター時代を一緒に乗り越えた仲間たちが頑張っているので、僕も負けてられないなと思っています。
確かにすごいメンバーが揃っていますね。でもデビュー2年目に重賞(2002年南国桜花賞・スマノガッサン)を勝ち、5年目に高知優駿(2005年・スマイルリターン)を勝った上田騎手もすごいと思いますよ。
ありがとうございます。スマノガッサンは当時のリーディングだった北野真弘さん(その後兵庫へ移籍し、現在は調教師へ転身)のお手馬だったんです。北野さんには教養センターの実習時代から可愛がってもらって、一緒に併せ馬をしたりいろいろ教えてもらいました。北野さんが関係者の方に、「将司に乗せてやって」って頼んでくれて、それで乗せてもらえることになったんです。すごく強い馬で、3コーナーから勝手にハミを取って走ってくれました。僕にとってレースを教えてくれたのはこの馬ですね。
高知優駿はたまたまだったんですよ。所属の國澤輝幸厩舎にトップアオバという強い馬がいて、その馬は乗せられないけど、國澤先生が「将司のために」って用意してくれたのがスマイルリターンだったんです。だから高知優駿を勝てて恩返しができたと思ったんですけど、実はトップアオバがその時2着で、高知優駿を勝ってたら三冠達成だったんですよね......。なので、ちょっと複雑な気持ちもありました。
上田騎手とのコンビで重賞4勝(2013年金の鞍賞、2014年土佐春花賞、黒潮菊花賞、土佐秋月賞)したニシノマリーナとのコンビも印象的でした。
あの馬は本当に強かったですね。ただ、勝気がありすぎるし揉まれると弱いしで、難しい部分もありました。田中譲二先生が、厩務員さんと一緒に好きなようにやっていいと言ってくれたので、2人でいろいろ相談しながら試行錯誤しました。その中で結果を出せたのはすごく自信になりました。
一時期は脱臼に悩まされて長期休養を余儀なくされましたが、もう完全復活ですね。
はい! 今はもう大丈夫です。脱臼に関しては......、本当に長年悩まされましたね。最初は4年目に脱臼したんですけど、すごく単純に考えていたんです。でも、200勝達成の時に鞍上でまた脱臼してしまって......。そこで1回目の手術を受けました。でもその後も脱臼することが続いてしまって。パドックで馬に乗ろうとしただけで脱臼してしまったこともあるんです。このままじゃ騎手を続けられないと思って、一時期は辞めることも考えました。その時、赤岡修次さんが有名な病院があるからって調べて来てくれて、2回目の手術をすることになったんです。これでダメなら騎手を辞めるしかないと腹を括っていましたが、その手術が上手くいって今続けていられるんです。本当にたくさんの方のお蔭です。
脱臼は相当痛いと聞きますが、気持ち的にも落ち込んだんじゃないですか?
本当に痛いですよ! 僕は骨折の経験もありますけど、脱臼の痛さの比じゃないです。騎手を辞めるしかないところまで追い込まれましたから、落ち込んだ時期もありました。でも、赤岡さんや倉兼育康さんが毎日誘ってくれて、いつも一緒にいてくれたんです。お蔭でなんとか踏ん張ることができました。
では、2016年の抱負をお願いします。
まずは700勝までもうすぐなので、そこを早く達成したいです。あとはケガをしないで乗り続けることですね。本当にいろいろな厩舎の方に声を掛けていただいて、たくさんレースに乗せてもらっているんです。2013年には年間騎乗数が800を超えて高知1位だったんですけど、すごく嬉しかったですね。常に一生懸命仕事して、今年もたくさんの馬たちに乗りたいです。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:浅野靖典)
福山のトップジョッキーとして君臨していた佐原秀泰騎手は、福山廃止後に南関東、高知と移籍してなかなか結果が出せずにいました。しかし、今年は91勝(10/25現在)を挙げて高知リーディング第3位につける活躍を見せています。これまでのこと、そして現在の心境をお聞きしました。
今年はここまで(10/25現在)91勝を挙げ、昨年の48勝を大きく上回っています。何かきっかけがあったんですか?
きっかけというか、嬉(勝則)騎手が別の厩舎に移籍して、乗り馬が増えたということもありますし、あと乗り方のイメージを変えたというのもありますね。去年1年は福山での乗り方を意識して、イケイケのレースをすることが多かったんです。でもそれでは思うように結果を出すことが出来なかったので、今は高知に合ったスタイルで乗ることを心掛けています。
具体的にはどんなことですか?
福山の場合は、内枠でも外枠でもとにかく先手にこだわることが重要でした。多少無理をしてでも前でいい位置を取ることがポイントだったんです。でも高知は、前半で少しでも無理をしてしまうと最後に止まってしまう。先手にこだわるよりも、いかに道中楽に運べるかなんです。僕は福山時代に上位にいさせてもらっていたので、そのやり方を貫きたいという気持ちが強くて......。福山のやり方を高知でも通用させたいと思って1年やってきたんですけど、結局結果を出すことはできませんでした。でもよく考えたら、高知に合わせた騎乗をすることは、福山時代の騎乗を捨てることにはならないんですよね。今は福山で培った経験をベースに、高知に合わせてプラスαの技術を身に付けたいという意識でやってます。
福山ではどんな技術を学びましたか?
高知に比べても超小回りでしたから、コーナーできっちりと進路を選択する技術は持っているつもりです。それは今もすごく活きていて、高知は内を大きく開けるのがセオリーですけど、僕はけっこう内を突いて差し切ることも多いです。あとは、若馬を育てる技術ですね。福山の頃からずっと所属している那俄性哲也先生は、昔から若馬にこだわる方だったので、毎年毎年いい2歳が入って来て、そこから育てて行くということを教えてもらいました。その中でも、クーヨシンとカイロスに出会えたことは本当に大きかったです。
福山の女神と呼ばれたクーヨシンは、2歳3歳時に重賞を勝ちまくり、佐原騎手と共に全国区の馬になりましたね。
あの仔が僕のすべてを変えてくれました。クーヨシンに出会うちょっと前は、那俄性厩舎も馬が少なくなってしまって、僕も乗り馬が少なくなっていて。先生も辞めるか悩んでいる時期で、先生が辞めるなら僕もやめようかななんて思っていました。でもクーヨシンに出会って、最初は強くなかったのにどんどん成長してくれて、僕を導いてくれました。レースの見方も変わったし、競馬っていうのは、馬っていうのは、という根本の部分も教えてもらいました。今振り返ると、それまではあんまり深く考えていなかったんです。人気がある馬に乗ったら勝てるかなとか、単純にしか考えてなかった。それが、1頭1頭の馬ときちんと向き合って、深く考えるようになったんです。
そしてその直後に出会ったのが、福山の怪物と呼ばれるカイロスですね。
カイロスに乗った時には、勝ちたいという気持ちよりも、負け方がわからないという感じでした。大昔に那俄性先生に「勝つのは難しいか? でも、本当に強い馬に乗ったら、勝つことは難しくないんだ。負ける方が難しいんだぞ」って言われて。その時はまったく理解できなくて、さすがローゼンホーマ(福山史上最高の名馬と呼ばれた馬)に乗ってた人だなくらいに思っていたんですけど、カイロスに出会って那俄性先生の言ってたことがわかりました。
カイロス(2013年2月2日、福山・若駒賞、写真:福山市)
カイロスとはさまざまな思い出があると思いますが、福山廃止後に共に南関東に移籍したあとは、乗り替わりという悔しい経験もありました。
そうですね。今は離れているのでそこまで思わないですけど、自分も南関東にいる頃に別の人間が乗るというのはかなり悔しかったです。勝負の世界なので仕方ないことですけど、高本先生(福山時代のカイロスの調教師)と厩務員さんと僕とで育てて来たという自負があったので、その部分を見てもらえないのは悔しいです。それが南関東の厳しさなんですけど。
福山→川崎を経て、再びデビューの地・高知に戻って来たわけですが、そもそもなぜ高知から福山に移籍したんですか?
デビューから3年は高知にいたんですけど、デビューしてすぐに廃止になるかもというくらい追い込まれていました。当時は1000勝以上の騎手が何人もいて、もし廃止になったら僕は行き場がないなと不安に思っていて。そんな時、福山の那俄性先生が騎手を探しているという話があって、別府(真司)先生から「誰か福山に行かないか?」って言われて。その時は悩まずにすぐに動きました。福山なら近いし、いいかなという感じで、かなり甘い考えでしたね。今思うと、よく行けたなと思います(笑)。今なら移籍の大変さもわかるから、絶対動けないですけど。結果的には福山が廃止ということになってしまいましたけど、福山に行かなければ今の僕はなかったし、もしかしたら騎手を辞めていたかもしれません。だから、あの時思い切って動いたことは良かったと思ってます。
ジュメーリイで黒潮皐月賞制覇(写真:高知県競馬組合)
現在は永森騎手、赤岡騎手に次ぐリーディング第3位につけていますし、ジュメーリイで黒潮皐月賞を制し、高知初重賞制覇も成し遂げました。
リーディングに関してはまだ途中なので何とも言えないですけど、この勢いが来年再来年と続いて行けるようにしたいです。黒潮皐月賞を勝てたことは、本当に嬉しかったですね。最後は倉兼騎手との叩き合いになって、かなり内に押し込めてしまったので、レース直後に怒られてしまって......。本当はガッツポーズをしたかったんですけど、火に油を注ぐことになってしまうので大人しく帰って来ました(苦笑)。次は快勝してガッツポーズをしたいです!
では、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
人よりもウロウロしましたけど、今度こそ高知に根を下ろすことが出来たので、これからは恩返しをしていきたいです。そのためには腕を磨いて面白いレースをすることだと思っているので、今まで以上にがんばります。あと今年から高知の2歳戦が復活して、世代ナンバー1になれそうなディアマルコに騎乗させてもらっているので、高知生え抜きの代表馬になれるように育てていきます! 応援よろしくお願いします。
2歳の期待馬ディアマルコ
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インタビュー / 赤見千尋
昨年ソウル競馬場で年間100勝を達成し、最優秀騎手に選出された高知の倉兼育康騎手。貴重な経験を積んで、ひと回りもふた回りも成長し、今年の2月から地元高知で騎乗しています。これまでのこと、そして現在の心境を語っていただきました。
2月から久しぶりに日本に腰を据えての騎乗が始まりましたが、4月に入って一気に勝ち星が伸びましたね。
戻って来た当初は、コーナーで仕掛けるのが遅れていたんです。ソウル競馬場はコースも広いし、高知とは仕掛けるタイミングが全然違うので、初めのうちは少し戸惑いました。レースをしながら、自分の乗っている馬の手応えを感じながら、少しずつタイミングが噛み合って来たのかなと。当初は2着ばっかりで、「またかよ」っていう感じでしたけど、勝てると気持ちが全然違いますね。今はいいリズムでやれています。思った以上に乗せてもらっているので、本当に感謝しています。
ソウル競馬場では何度も期間限定騎乗をされていますけれども、最初のきっかけというのは?
もともとどこかに行って乗ってみたいと思っていたんです。2007年の頃ですね。今みたいに(地方競馬で)期間限定騎乗のルールが整っていたわけではなかったので、遠征に行ける競馬場がなかなかなかった。その時、ソウル競馬場から全国の地方競馬場に向けて、「誰か乗りに来る人はいませんか?」っていう連絡があったんです。韓国競馬のことをまったく知らなかったのでいろいろな人に聞いて、やってみようと思いました。言葉の壁とか不安なことはあったけど、チャンスがあるならやりたいと思って。
実際行ってみてどうでしたか?
もうね、すごかったんですよ。最初の頃の僕の口癖は、「馬が馬の走り方を知らない」っていうことです。何年も走っている競走馬でも、日本でいう2歳の初期くらいの感じで、体の使い方を知らないんです。調教師に「こうしたらいいんじゃないですか?」って言っても、「これがスタイルだから」って言われて。最初は文句ばっかり言っていました。でも彼らもプライドがあるし、ここまでやってきた実績もある中で、日本から来た若造が何言ってんだって、そりゃそうなるよなと思います。そこから話し合うようになって、たくさん乗せてもらえるようにもなりました。それに、韓国競馬自体がかなり成長しましたね。今は競馬パート3国なんですけど、「パート2になりたい」っていうのが関係者の口癖なので。日本からだったり、オーストラリアやアメリカからも調教師や騎手を呼んだり、採決委員に入れたりして、どんどん変えて行っているんです。
倉兼騎手のあまりの活躍ぶりに、騎手会から「倉兼騎手を乗せないで欲しい」という要望が出たと聞きました。海外で乗る大変さもあったんじゃないですか?
2008年に行った時に、「倉兼には乗せないで欲しい」って言われたんです。短期免許を延長させないでくれとか、騎手会から頼んだりしていました。だからって、面と向かって何かをされるわけではないので、特に気にしなかったです。まぁ、「また面白いネタができたな」くらいの気持ちでした。よそに行って乗っているんだから当然のことです。その中でどう対応するか、そこが勝負でしょう。いろいろなことがありましたけど、馬主、調教師、厩務員、ジョッキーの人たちもみんな助けてくれました。仕事の面でも私生活の面でも助けてもらって、本当に有難いですね。
今では韓国語がかなり上達したんじゃないですか?
誰も信用してくれないけど、韓国語はしゃべれないし、字も読めないんですよ。だって勉強できないから(笑)。最初のうちはわざと覚えないっていう感覚でいました。しゃべれると面倒なこともありますからね。韓国の方は感情的にガーッと怒って来るんですけど、言葉がわからないから結局通訳さんを通すでしょう。間に挟んだ方が僕としては有難い。通訳さんは怒られてしまって申し訳ないですけど。
ソウル競馬場で騎乗を続け、昨年は年間100勝を達成。さらに最優秀騎手に選ばれましたね。
自分の力で獲ったんじゃなくて、転がり込んできたんです。勝ち星では2位で、騎乗停止など制裁面も考慮しての賞なので。最初、牛山基康さん(韓国競馬に詳しい岩手・ケイシュウの記者)に「おめでとう」って言われて、何のことかわかりませんでした(笑)。韓国競馬のサイトには出ていたらしいんですけど、それから何日かして正式に言われました。最優秀騎手に選ばれたことは、素直に嬉しいですね。
年間100勝はずっと狙っていたんですけど、難しいなと思っていました。なかなかできることではないので。でも最後の前の日に3勝して達成できたんです。この時はかなり嬉しかったですね。僕よりも周りの調教師の方が喜んでくれて。勝つたびに、あと何勝あと何勝って言って、応援してくれたんです。
海外での騎乗経験を経て、ご自身で変わった部分はありますか?
精神面でいえば変わったと思うけど、自分自身ではよくわからないです。周りからは「怒らなくなったね」って言われますね。いい意味で人に対して諦めの気持ちができたし、穏やかになったのかなと。
実は、2回目にソウルに行く時に、「調教師になりたいからその前に行かせて下さい」って言ったんですよ。自分には才能も技術もあると思っていないので、体力が落ちる年齢になっても続けるのは難しいだろうなと思っていて。いい馬に乗せてもらって勝たせてもらってるだけなので、長くは続けられないんじゃないかなと。でも、調教師になるのはもう少し先になりそうです。もう少し乗っていたいと思うようになりました。韓国からもまた来て欲しいって言われているので、そう言ってもらえるうちに行きたいなと思っています。
韓国での活躍でNARグランプリ2014・殊勲騎手賞を受賞(真ん中)
高知に戻って来て、改めて感じたことはありますか?
高知は普段は仲がいいけど、レースにいったらみんな勝ちたいっていう気持ちが強くて、本当に負けん気が強いです。ソウルから戻って来たら余計にそう思うようになりましたね。人気薄の馬に乗っている騎手も、「どうにかして勝つぞ」って狙っているし、改めてすごいなコイツらって思いました。自分も負けていられないです。みんなが一生懸命乗っているし、白熱したレースをお見せできるよう頑張りますので、これからも高知競馬をよろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
昨年は過去最高の195勝を挙げ、全国リーディング8位に食い込んだ、高知の永森大智騎手。今年に入ってからは高知リーディングを快走し、いよいよ、高知の帝王・赤岡修次騎手超えを目指します。現在の心境をお聞きしました。
去年はどんな年でしたか?
去年は今までで一番勝たせてもらいました。馬主さんや雑賀(正光)先生のバックアップのお蔭です。これまでずっと(赤岡)修次さんを追いかけてきましたけど、かなり遠い存在だったんですが、勝利数の差だけで言えば、少し近づけたのかなと思います。ただ、技術的な面で言えばまだまだですね。
具体的にはどんなところですか?
この前も修次さんに怒られたんですけど、2人で1着2着の争いになった時、内からステッキで叩いたら、馬がよれて修次さんの馬にぶつかってしまったんです。結果的には僕が勝ちましたけど、「これからみんなの手本にならなきゃいけない立場なのに、あんな騎乗してたらあかん」て。自分でも本当にそう思います。勝ちたいっていう気持ちが大きくて、意識し過ぎている面もあるので、その辺りを改善していきたいです。
永森騎手ほど勝っていても、そういう気持ちになるんですね。
なりますよ! 僕はまだ、修次さんや西川(敏弘)さんや中西(達也)さんみたいに、自分の位置を確立しているわけじゃないので。勝ち続けないと、何かの拍子に簡単に落ちてしまうと思ってます。去年は本当にたくさん勝たせていただきましたけど、それは僕が一番いい馬に乗せてもらってるから。だからこそ、絶対に負けたくないですね。
いよいよ今年は、"赤岡騎手超え"を意識するんじゃないですか?
修次さんは本当に偉大な先輩で、今でも敵わない部分はたくさんありますが、今年は超えたいと思っています。去年の10月頃、雑賀先生から、「来年はリーディングを獲れるように、いい流れを作って行け」って言ってもらって。そこまで言っていただいてすごく嬉しいですし、かなりバックアップもしてくれているので、今年はリーディングを目指します!
ただ、そのためには超えなければいけない壁は修次さん1人ではないと思っています。最近西川さんがうちの厩舎の馬に乗る時があるんですけど、それまで走っていなかった馬でも、イヤになるくらい前に持って来るんですよ(苦笑)。ゲートで癖のある馬とか、僕が乗ると出遅れる馬とかでも、なんでもないように乗って来て。中西さんはコース取りが本当に上手で、雑賀先生からも「中西のコース取りをよく見とけ」って言われます。ロスがない位置取りをするし、レースに隙がないんですよ。もちろん修次さんもすごいですからね。気の悪い馬でも、ゲートをポンと出て楽に前に付けるでしょう。ジョッキーレースでも結果を出してますし、本当にさすがだと思います。こういう上手なジョッキーたちに囲まれて、まだまだ勉強することは多いですけど、その分刺激になるし、もっともっと上手くなってやる!っていう気持ちになりますね。
永森騎手は2011年頃から爆発的に勝ち星を増やしましたが、何かキッカケはありますか?
具体的にこれっていうのはないですけど、その年にリワードレブロンで初めて重賞(黒潮菊花賞)を勝たせてもらったんです。他場で重賞を勝たせてもらったのもレブロンが初めてで、本当に感謝しています。
去年の笠松『オグリキャップ記念』ですね。
あのレースは自信になったというか、他場でもやれるっていう手応えを感じさせてもらいました。道中はロスなく進めたし、いい感じに外に出せたので。雑賀先生からいつも、「馬場を味方につけろ」と言われていて、その通りのレースが出来たと思います。
笠松・オグリキャップ記念(2014.4.22)
リワードレブロンは、年末のグランプリレース『高知県知事賞』も圧勝でした。永森騎手自身は、このレース3連覇でしたね。
強いレースをしてくれましたね。やっぱり、『高知県知事賞』と『福永洋一記念』は特別なので、その2つを連覇出来ているというのは嬉しいですね。本当に強い馬に乗せてもらっているので、大きいところで結果が出せて嬉しいです。
『福永洋一記念』は、高知の看板レースになりましたね。
あのレースを勝つのは特別嬉しいですよ。洋一さんもいらっしゃいますし、表彰式で表彰してもらえると、すごく感動して...。他のレースとはまた違った重みがあるので、今年も絶対に勝ちたいです!
そして、今年の1月27日には、『佐々木竹見カップ』初参戦でした。
5着、14着で、全く結果を出すことが出来ませんでした...。特に最初のレースはチャンスがあったのに、人間が冷静でいられなくて、何も出来ませんでした...。左回りということもありますし、あれだけのメンバーの中に入って自分のレースが出来るほど甘くないなと。もっともっと勉強しなきゃいけないと痛感しました。
では改めて、今年の目標をお願いします。
今年は絶対にリーディングを獲ります! たくさんの方々にバックアップしていただいてますし、今年リーディングを獲れなかったから一生獲れないくらいの気持ちで頑張ります。
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
山頭信義騎手のデビューの地は船橋競馬場。その後、2年目に期間限定騎乗で高知に来て、デビュー4年目の今年10月、正式に高知競馬場所属騎手となりました。期間限定騎乗を経て高知に移籍した騎手としては、調教師に転身した目迫大輔騎手に続いて2人目です。
もともと船橋競馬場に縁があったんですよね?
はい。祖父が出川龍一厩舎で厩務員をしていて、競馬場にはよく遊びに行っていました。父は騎手になりたいという夢があったんですが体重の関係であきらめたそうで、僕が父の夢をかなえたということになりますね。小学5年からは中山競馬場の乗馬苑に通って、地方競馬のの騎手試験を受けました。でも1回目は落ちたんですよ......。
それは想定外ですね。
なんで落ちたんだろうなあ。仕方がないので船橋競馬場で厩務員をして、次の試験で受かりました。
南関東は新人がいきなり活躍するのがむずかしい場所ですが、初勝利はデビューの次の開催で挙げることができました。
ただ、乗り鞍が少なかったのが......。デビューの開催は10鞍あったんですが、そのあとが続かなくて。船橋では厩舎の2階に住んでいたんですが、ヒマでヒマでしょうがないんですよ。なんとかしなきゃという思いはいつもあって、そんなときに確か、高知に行っていた(同期の)山崎良騎手から来ないかと誘われたんです。ただ、個人的には船橋で頑張りたかったので、2回断りました。でもまた連絡があって、3回目に行きますと返事しました。
それからはおよそ1年間、高知で騎乗して、3週間ほど間があいて、また期間限定騎乗。その限定期間が終わって、正式に高知へ移籍ということになりました。
その3週間なんですが、船橋に戻ったのは2泊3日だけなんですよ。高知での仕事が残っていて、さらに台風で出発が延期になって、船橋では部屋を片付けただけという感じでした。
期間限定騎乗を続けたのは、高知の環境が気に入ったからということでしょうか?
そうですね。とにかく乗れますから。船橋とは攻め馬の数も違います。僕自身の最大では、25頭前後のときがありました。今は馬の手入れ作業もしているので18頭ぐらいですが、でもそれをやり始めてから、馬との距離とか接し方とかが変わったように感じます。正直、疲れるといえば疲れますけれど、午後も仕事があるので体調管理はしやすいです。
所属の田中守厩舎にはたくさんの活躍馬がいますね。
タンゴノセックは僕が攻め馬をしていました。サクラシャイニーは僕がするつもりだったんですが、(赤岡)修次さんが自分ですることになりました(笑)。先生に言わせると、攻め馬のレベルが違うって......。でも先生はいろいろな馬に乗せてくれます。別府(真司)先生にもお世話になっていて、オールラウンドやクロスオーバーの攻め馬に乗せてくれました。そういう毎日だから、楽しいですよ。もちろん、実戦でも自分が乗れればという気持ちはありますが。
たくさん乗れることが高知に移籍した最大の理由なんですね。
そうですね。本当に楽しいです。忙しいと時間が過ぎるのも早いですし。最近は厩舎作業もしているので、街に行かなくなりました。さらにこの間、厩舎地区に食堂がオープンしたのでなおさら。
となると、彼女とかは?
あと10年ぐらい......は考えなくてもいいかなあ。それよりも技術をもっと上げたいですから。馬を追うときの推進扶助がまだまだですし、レースでの展開もまだ読めていません。もっともっと乗って、経験を重ねたいですね。今で満足していたら、移籍した意味がないですよ。
確かに騎乗数は多いですが、勝ち星という点ではもっと上を目指したいところです。
チャンスはたくさんいただいているんですが、それを活かしきれていない感じがあります。個人的な目標としては、あと2年以内に通算100勝を達成したいですね。
しかし高知の上位陣はかなり層が厚いです。
ベテランのみなさんは若いですよ。そして技術もすごいですね。たとえば西川(敏弘)さんは、ほかの騎手より姿勢が高いんですが、追い始めると馬がぐんぐん伸びていきます。馬が動くツボを知っていると思うんですよ。本当にすごいと思いますし、そういう技術を自分もつけていかないと。
そして山頭騎手自身も1年前と比べると見た目が変わりましたね。1本だけ抜けていた前歯が今はありますし、髪の毛の色も変わりました。
前歯はブリッジを入れました。歯が1本だけないと、なんだかアホっぽく見えるみたいなので(笑)。髪の毛は、今は明るい栗色みたいな感じですけれど、前はもっと金髪に近い色だったんです。美容師さん任せにしたらそうなったんですが、これはちょっと、先生に怒られるかなと思いました。動機はやっぱり、自分を変えたいというところですね。
まだデビュー4年目ですから、これからですよね。
そう思っています。高知は僕が初めて来たころよりも馬の質が上がりましたし、馬の数も増えました。それとともにチャンスも増えていますけれど、ここからはもっと自分の地位を上げていかないと。
南関東にいる若手騎手にメッセージはありますか?
南関東のほうが夢は大きいかもしれないですが、レースに乗るという楽しみが少ないケースが多いですよね。高知はいつでもウェルカムなので、乗りたいという思いを持っているなら来たほうがいいと思います。夢はこちらでもつかめると思いますし。
ちなみに収入面は?
船橋時代にくらべると、だいたい倍になりました。ただ、今は使うヒマがないから貯まる一方です(笑)。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典