
2016年4月9日の高知競馬第7レースで、地方通算3000勝を達成した赤岡修次騎手。高知競馬のリーディングジョッキーとして長年君臨していましたが、昨年からは新たな場所でもその実力と存在感を示しています。公私ともに絶好調です!!
3000勝達成した率直なお気持ちを聞かせてください。
全然意識はしていなかったのですが、自分が3000勝もできるなんてデビューの頃は思ってもいませんでした。素直に嬉しいです。
高知競馬の騎手では初の快挙ですね。
僕は、そういう記録とか数字には興味ないんですよ(笑)。
これまで特に思い出に残っている馬は?
デビューして始めの頃に出会ったイージースマイルです。大型の牝馬で、来た時からオープン並の体をしていた馬。跨らせてもらった瞬間に「どこのオープンが来たんですか?」と聞いたくらい。その時に「この馬、県外に行けますよ」と言ったのを覚えています。デビューしたての頃にこういう馬の背中を知ることができたのは、すごく馬運が良かったですね。
今、期待している馬は?
やはりサクラシャイニーです。10歳という年齢もあって回復が遅いので厳しくなっているけど、南関東の準重賞(総の国オープン)を勝った時はとても強かったですよね。今は休養中ですが、がんばってほしいです。
4月20日の羽田盃ではジャーニーマンに騎乗して3着
昨年、初めて南関東で期間限定騎乗されました。かなりの覚悟があったのではないですか?
これまで興味はありましたが、高知競馬は通年開催で離れらないですし、南関東のパイプもなかったので。でも、2014年のワールドスーパージョッキーズシリーズに出場した時、1戦目で逃げて2着に入ったレースをいろんな方が見ていてくれて、関係者の方が南関東の期間限定騎乗で来てみないかと声をかけてくれたんです。川崎の内田(勝義)調教師も快く引き受けてくれました。勝ち負けするような馬にたくさん乗せてくれたのでびっくりしましたし、感謝でしたね。同期の今野(忠成騎手)も「大丈夫か?」と心配してくれました。でも、僕がポコポコ勝つことができたので、「心配なくなった。良かった~」と。毎日、今野の家でご飯を食べていたんですよ(笑)。
実際に南関東で騎乗していかがでしたか?
多頭数のレースに毎日乗るし、賞金も高くて期待度も違うし、自分の乗り方が通用するのかなと思っていました。求められて来たわけではないので、良い馬ばかりじゃないですからね。だた、南関の良いところは、1つのレースの中でタイム差が少ない馬が多いということ。何か1つが違うと本命でも飛ぶという印象がありました。だから工夫しだいで変わる。それが自分の結果に繋がったというのもありますね。
かなり研究されたのではないですか?
毎日レース映像ばかり見ていました。自分の騎乗馬がどういうレースをしているかもそうだし、騎手の癖も頭に入れないといけないから。2カ月の短い期間、しかも始めから結果を出さないと乗せてもらえないだろうから、とにかくずっと研究していました。
赤岡騎手の活躍によって、高知競馬も注目されるわけですよね。
無様な結果だと高知競馬全体がそういう目で見られる。チャンスをもらった馬は結果を出さないと、自分だけでなく高知競馬が評価されるなっていうことは最初から頭にありました。
高知を離れるということは、地元のリーディングを明け渡すことになりますよね?
そうですね。でも今はもうそこにはこだわっていません。10年連続でリィーディングも獲れたし。違うこともやってみたいな、調教師という道もあるのかなとも考えていました。でも、南関東で騎乗して、また新しい世界が広がりましたし、モチベーションって大事だなというのも感じました。ただ、大井記念でジャルディーノに騎乗し5着だったように、良い馬に乗せてもらっても、なかなか勝てるもんじゃないと改めて勉強になりましたね。
5月18日の大井記念ではジャルディーノに騎乗して5着
6月からまた南関東での期間限定騎乗が始まります。今回の目標は?
重賞を勝ちたいですね。チャンスももらっているし、1つ勝てば色々と見えてくることもあると思いますし。
赤岡騎手が不在の分、昨年は永森騎手がきっちりリーディングを獲りました。後輩たちの存在はいかがですか?
これからの高知を背負って行く次の世代が、しっかりと成長しないといけない。登って来てくれる方が僕も面白いですし。今の環境は、若手がなかなか騎乗機会に恵まれない状況にあります。育てるシステムとういのを改めてしっかり作っていかないと競馬できなくなると思います。でも、高知は面白い騎手が揃っていますよ。永森をはじめ、佐原、三村、宮川と、中堅が伸びてきていいるので。だから、自分が切り込み隊長になって、県外で良い結果を出して、後輩たちの道を開いていかないといけない。選択肢を広げてあげるのが僕の役目かなと思っています。
さて、最後にこの話題に触れなくてはなりません。ご結婚おめでとうございます!!
ありがとうございます。昨年の12月に入籍しました。
家庭を持ったことで気持ちの面など何か変わりましたか?
特に変わりません(笑)。奥さんが騎手についてとても理解があるので、独身の頃と同じようにやらせてもらっています。騎手に集中できるようにしてくれているのは有り難いですね。
お子さんが生まれた心境は?(実はこのインタビューの二日前に第一子が誕生)
まだこれから会いに行くくらいですから、実感わかないですよ(笑)。これからですね!
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※インタビュー / 秋田奈津子
現役女性騎手最多勝利数(3月21日現在、地方通算587勝)を誇る、高知の別府真衣騎手。NARグランプリ・優秀女性騎手賞7度目の受賞、レディス&ヤングジョッキーズシリーズではMVLJ賞受賞と、常に女性騎手をリードする存在です。いよいよ大手が懸かる大記録、国内女性騎手最多勝利に向けてお話を伺いました。
2015年は71勝を挙げて優秀女性騎手賞受賞。なんと7度目の受賞だったんですね。おめでとうございます!
ありがとうございます。2014年は受賞できなくてすごく悔しかったので、また受賞することができて本当に嬉しいです。今回が7度目の受賞ということで、自分でもびっくりというか、こんなに何度も獲らせてもらっているんだなとしみじみしました。馬主さんはじめ厩舎関係者の皆さん、いつも応援してくれるファンの皆さんのお蔭です。本当に感謝しています。
一昨年の44勝からジャンプアップした要因はなんですか?
去年が上がったというよりは、ここ何年かずっと自分の競馬ができずにいたんですよね。2011年から約1年間、韓国のソウル競馬場で騎乗させてもらって、技術的にも精神的にもものすごく勉強になったんですけど、ソウルは直線の長い大きなコースなので、"いかに脚を溜められるか"が勝負なんです。そこから戻って来て、高知の"前に行って勝負する"競馬に対応することがなかなかできなくて。自分では積極的に乗っているつもりでも、遠征に行く前とは何かリズムが違うというか。そのリズムを取り戻すために、思った以上に時間が掛かってしまいました。
その辺りのリズムが、去年は戻って来たんですね。
そうですね。前半はまだ引きずっていた面があったんですけど、後半はどんどん良くなって来ました。最近は自分らしい、積極的なレースができるようになっていると思います。今年もそのいい波が続いているので、このまま一年続けたいですね。
3月に名古屋と佐賀で行われた、レディス&ヤングジョッキーズシリーズでは、女性騎手第1位のMVLJ賞を獲得しました。
今は女性騎手がとても少ないので、女性騎手のみでレースができないのが淋しいんですけど。年に一度、全国の女性騎手が集まるレースなのでとても楽しみにしていました。ただ......、名古屋ステージの時は5人(別府騎手、岩永千明騎手、下村瑠衣騎手、木之前葵騎手、鈴木麻優騎手)揃っていたのに、その後に岩永先輩が地元で大きなケガをしてしまって、さらに佐賀ステージでは(下村)瑠衣までケガをして救急車で運ばれて......。2人も大きなケガをしてしまったことは本当にショックだったし、悲しいできごとでした。なので、MVLJを受賞できたことも複雑だったんですけど、嬉しいという気持ちはもちろんありました。やっぱり、今は現役女性騎手の中で最多勝利をしているのは自分なんだっていうプライドを持ってやっていますから、負けたくないという気持ちが強いです。その中で1番になれたことは素直に嬉しかったですね。
さらに、今年の黒船賞の日には、JRA16年ぶりの女性騎手デビューで注目を集めている、藤田菜七子騎手と一緒に騎乗しました。印象はいかがでしたか?
もう、すごく可愛かったです! 高知のみんなもメロメロで、わたしには絶対に言わないような言葉を掛けてました(笑)。騎乗に関しても、とてもしっかり乗れていたと思います。最初は初めての競馬場で戸惑っている面もあったと思いますが、6レース騎乗して最後の2レースは上手に流れに乗っていました。一日の中で菜七子ちゃんが成長していて、すごいなと思いましたね。
この日の第3レースでは同じ別府真司厩舎の馬に乗って、藤田騎手1番人気、別府騎手2番人気での対決になりました。逃げる藤田騎手を差し切って別府騎手が勝利! どんなお気持ちでした?
菜七子ちゃん、ごめんね......と思いながら差し切っていました(笑)。菜七子ちゃんにも勝って欲しかったですけど、そこは勝負の世界なので。周りからかなりからかわれてしまいました......。それにしても、菜七子ちゃんの人気はすごいですね! 1レースからものすごい人が来てて、人間が物見してしまいました(笑)。またいつか高知に来て欲しいですし、他の場所でも一緒に乗れたら嬉しいです。
では、今後の目標を教えて下さい。
ずっと目標にしてきた宮下瞳さんの勝利数626勝に近づいて来たので、今年こそ超えたいと思っています。数字自体は近づいて来たんですけど、瞳さんが現役復帰に向けてがんばっていると聞いたので、それもすごく刺激になっています。菜七子ちゃんもそうだし、瞳さんもそうなんですけど、また女性騎手が増えて盛り上がってくれたら嬉しいですね。その中で負けたくないので一生懸命がんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋
左目失明という大きなケガを乗り越えて、高知で活躍し続ける宮川実騎手。2015年は105勝挙げ、高知リーディング4位という成績でした。さらに、長年一緒に歩んで来た兄の浩一さんが、騎手から調教師へ転身。新たな局面を迎えた今、その胸の内をお聞きしました。
2015年は2年ぶりに年間100勝を越え、高知リーディング4位でした。振り返ってみてどんな1年でしたか?
やっぱり年間100勝というのは毎年目標にしていることなので、そこは達成できて嬉しいですね。たくさん乗せていただいたお蔭です。ただ、勝たなければいけない場面で2着になることも多くて......。自分としては全然満足していないです。反省の方が大きい1年でした。
印象に残っているレースは?
ブルージャスティスで11月の土佐秋月賞を勝てたことです。2歳の時に金の鞍賞を勝っているように、すごく力のある馬なんですけど、気性的に難しいところがあって、なかなか勝ち切れずにいました。まだ幼くて、メンタルが弱いところがあったんですけど、上手く呼吸を合わせることができなくて。男馬のように鍛えて鍛えてというタイプではないし、とても繊細なので調教も難しかったです。でも秋になって調子も上がってきて、僕もこの馬のことをだいぶ掴めるようになって、3歳の最後の重賞を獲れて嬉しかったです。1月のレース後登録抹消になってしまったのは本当に残念ですね。これからっていう時だったので。この馬にはいろいろなことを教えてもらったので、それを今後に活かしたいと思っています。
さらに去年は、兄である宮川浩一さんが騎手を引退して調教師に転身しました。
僕がデビューした時は兄貴はもうデビューしてましたし、ずっと調整ルームも2人部屋だったので、兄貴がいるのが当たり前の感覚だったんです。いつかは調教師になるんだろうなと思ってましたけど、想像より早かったですね。騎手を引退した時はそんなに実感沸かなかったんですけど、次の開催でルームに入った時、1人だったのがかなり淋しかったです。いつも2人でバカ話しながら寝ていたので。今はさすがに慣れましたし、これからは自分がサポートしていきたいなと思います。
宮川調教師は開業してすぐに初勝利(2/17第11Rサンハンプトン)を挙げました。妹尾浩一郎騎手が騎乗していましたが、ご自身が騎乗して初勝利を飾りたかったんじゃないですか?
あの馬は兄貴が騎手時代にずっと乗っていた馬で、一癖あるんですよね。僕も乗せてもらったことがあるんですけど、僕だと調教で引っ掛かってしまって......。騎乗の声は掛けてもらったんですけど、兄貴が引退してからは妹尾くんが調教でがんばっていたので、妹尾くんが乗って勝ってくれて僕も嬉しかったです。自分が乗っていたら、多分違う乗り方をしていたと思うので勝てなかったかもしれませんし。
相変わらず謙虚ですね。
いえいえ。でも兄貴には本当に世話になってきたので、恩返ししたいと思っています。僕がケガをして復帰は絶望的だって思っていた時も、ずっとそばで支えてくれて。兄貴がいたからこそ前向きになれたし、復帰できたんだと思います。だから、初勝利はできなかったけど、兄貴の馬で重賞を勝ちたいです! そういうところで返していきたいですね。
ケガのお話が出ましたけれど、2009年に落馬事故で左目失明という大きなケガでした。でも今の騎乗ぶりを見ていると、まったくハンデを感じないです。
そう言ってもらえると嬉しいです。自分の中ではいろいろな葛藤がありますけど、それを表には出したくないんですよ。単純に考えて左目失明しているというのは大きな違いなんですけど、でもそれを言い訳にはしたくない。騎手である以上、プロである以上、そこは自分で乗り越えて、周りには見せたくないって思っています。
では、今後の目標をお願いします。
数字的に言えば2000勝ですね。まだまだ遠いですが、このまま1つ1つ積み重ねていきたいです。所属の打越勇児先生は本当にがんばっていて、たくさんいい馬が入ってくるので、僕ももっとがんばらないと。それに、高知は今、永森(大智)くんと赤岡(修次)さんがずば抜けているので、もっと面白くするためには自分がそこに絡んでいかなければと思います。これからも応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋
毎年高知リーディングトップ10に入る活躍を見せている、デビュー16年目の上田将司騎手。中堅ジョッキーとして高知を支える存在となった今、これからの抱負をお聞きしました。
上田騎手といえば人気薄の馬を持って来るイメージが強いのですが、ご自分でそういう意識はありますか?
そうですね。どんな馬に乗る時でも一発狙ってはいますよ。ただ、それが成功するかどうかは......馬に聞いて下さい(笑)。レースを見てもらったらわかりますけど、僕は逃げが少ないんですよ。現実的に、能力の抜けた馬にはあまり乗っていないので、その中で勝とうと思ったら最後の直線まで力をいかに温存できるかなんです。もちろん、その馬に合わせた騎乗を心掛けていますけど、3~4コーナー回ってまだ手応えがあったら「勝負になる!」と思いますね。
今年でデビュー16年目になりますが、新人の頃から勝ち星も多かったですし、ここまで順調に来ていますね。
たくさん乗せていただいて、関係者の方々には本当に感謝しています。高知の中でも騎乗数はトップクラスなので、そこは本当にありがたいですね。ただ、現状には満足していません。比べるわけではないですけど、僕の同期はみんなすごいんですよ。金沢の吉原寛人、去年調教師になった笠松の尾島徹、高知に移籍して来た三村展久、それに去年大ブレイクした金沢の藤田弘治もいますからね。厳しかった教養センター時代を一緒に乗り越えた仲間たちが頑張っているので、僕も負けてられないなと思っています。
確かにすごいメンバーが揃っていますね。でもデビュー2年目に重賞(2002年南国桜花賞・スマノガッサン)を勝ち、5年目に高知優駿(2005年・スマイルリターン)を勝った上田騎手もすごいと思いますよ。
ありがとうございます。スマノガッサンは当時のリーディングだった北野真弘さん(その後兵庫へ移籍し、現在は調教師へ転身)のお手馬だったんです。北野さんには教養センターの実習時代から可愛がってもらって、一緒に併せ馬をしたりいろいろ教えてもらいました。北野さんが関係者の方に、「将司に乗せてやって」って頼んでくれて、それで乗せてもらえることになったんです。すごく強い馬で、3コーナーから勝手にハミを取って走ってくれました。僕にとってレースを教えてくれたのはこの馬ですね。
高知優駿はたまたまだったんですよ。所属の國澤輝幸厩舎にトップアオバという強い馬がいて、その馬は乗せられないけど、國澤先生が「将司のために」って用意してくれたのがスマイルリターンだったんです。だから高知優駿を勝てて恩返しができたと思ったんですけど、実はトップアオバがその時2着で、高知優駿を勝ってたら三冠達成だったんですよね......。なので、ちょっと複雑な気持ちもありました。
上田騎手とのコンビで重賞4勝(2013年金の鞍賞、2014年土佐春花賞、黒潮菊花賞、土佐秋月賞)したニシノマリーナとのコンビも印象的でした。
あの馬は本当に強かったですね。ただ、勝気がありすぎるし揉まれると弱いしで、難しい部分もありました。田中譲二先生が、厩務員さんと一緒に好きなようにやっていいと言ってくれたので、2人でいろいろ相談しながら試行錯誤しました。その中で結果を出せたのはすごく自信になりました。
一時期は脱臼に悩まされて長期休養を余儀なくされましたが、もう完全復活ですね。
はい! 今はもう大丈夫です。脱臼に関しては......、本当に長年悩まされましたね。最初は4年目に脱臼したんですけど、すごく単純に考えていたんです。でも、200勝達成の時に鞍上でまた脱臼してしまって......。そこで1回目の手術を受けました。でもその後も脱臼することが続いてしまって。パドックで馬に乗ろうとしただけで脱臼してしまったこともあるんです。このままじゃ騎手を続けられないと思って、一時期は辞めることも考えました。その時、赤岡修次さんが有名な病院があるからって調べて来てくれて、2回目の手術をすることになったんです。これでダメなら騎手を辞めるしかないと腹を括っていましたが、その手術が上手くいって今続けていられるんです。本当にたくさんの方のお蔭です。
脱臼は相当痛いと聞きますが、気持ち的にも落ち込んだんじゃないですか?
本当に痛いですよ! 僕は骨折の経験もありますけど、脱臼の痛さの比じゃないです。騎手を辞めるしかないところまで追い込まれましたから、落ち込んだ時期もありました。でも、赤岡さんや倉兼育康さんが毎日誘ってくれて、いつも一緒にいてくれたんです。お蔭でなんとか踏ん張ることができました。
では、2016年の抱負をお願いします。
まずは700勝までもうすぐなので、そこを早く達成したいです。あとはケガをしないで乗り続けることですね。本当にいろいろな厩舎の方に声を掛けていただいて、たくさんレースに乗せてもらっているんです。2013年には年間騎乗数が800を超えて高知1位だったんですけど、すごく嬉しかったですね。常に一生懸命仕事して、今年もたくさんの馬たちに乗りたいです。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:浅野靖典)
福山のトップジョッキーとして君臨していた佐原秀泰騎手は、福山廃止後に南関東、高知と移籍してなかなか結果が出せずにいました。しかし、今年は91勝(10/25現在)を挙げて高知リーディング第3位につける活躍を見せています。これまでのこと、そして現在の心境をお聞きしました。
今年はここまで(10/25現在)91勝を挙げ、昨年の48勝を大きく上回っています。何かきっかけがあったんですか?
きっかけというか、嬉(勝則)騎手が別の厩舎に移籍して、乗り馬が増えたということもありますし、あと乗り方のイメージを変えたというのもありますね。去年1年は福山での乗り方を意識して、イケイケのレースをすることが多かったんです。でもそれでは思うように結果を出すことが出来なかったので、今は高知に合ったスタイルで乗ることを心掛けています。
具体的にはどんなことですか?
福山の場合は、内枠でも外枠でもとにかく先手にこだわることが重要でした。多少無理をしてでも前でいい位置を取ることがポイントだったんです。でも高知は、前半で少しでも無理をしてしまうと最後に止まってしまう。先手にこだわるよりも、いかに道中楽に運べるかなんです。僕は福山時代に上位にいさせてもらっていたので、そのやり方を貫きたいという気持ちが強くて......。福山のやり方を高知でも通用させたいと思って1年やってきたんですけど、結局結果を出すことはできませんでした。でもよく考えたら、高知に合わせた騎乗をすることは、福山時代の騎乗を捨てることにはならないんですよね。今は福山で培った経験をベースに、高知に合わせてプラスαの技術を身に付けたいという意識でやってます。
福山ではどんな技術を学びましたか?
高知に比べても超小回りでしたから、コーナーできっちりと進路を選択する技術は持っているつもりです。それは今もすごく活きていて、高知は内を大きく開けるのがセオリーですけど、僕はけっこう内を突いて差し切ることも多いです。あとは、若馬を育てる技術ですね。福山の頃からずっと所属している那俄性哲也先生は、昔から若馬にこだわる方だったので、毎年毎年いい2歳が入って来て、そこから育てて行くということを教えてもらいました。その中でも、クーヨシンとカイロスに出会えたことは本当に大きかったです。
福山の女神と呼ばれたクーヨシンは、2歳3歳時に重賞を勝ちまくり、佐原騎手と共に全国区の馬になりましたね。
あの仔が僕のすべてを変えてくれました。クーヨシンに出会うちょっと前は、那俄性厩舎も馬が少なくなってしまって、僕も乗り馬が少なくなっていて。先生も辞めるか悩んでいる時期で、先生が辞めるなら僕もやめようかななんて思っていました。でもクーヨシンに出会って、最初は強くなかったのにどんどん成長してくれて、僕を導いてくれました。レースの見方も変わったし、競馬っていうのは、馬っていうのは、という根本の部分も教えてもらいました。今振り返ると、それまではあんまり深く考えていなかったんです。人気がある馬に乗ったら勝てるかなとか、単純にしか考えてなかった。それが、1頭1頭の馬ときちんと向き合って、深く考えるようになったんです。
そしてその直後に出会ったのが、福山の怪物と呼ばれるカイロスですね。
カイロスに乗った時には、勝ちたいという気持ちよりも、負け方がわからないという感じでした。大昔に那俄性先生に「勝つのは難しいか? でも、本当に強い馬に乗ったら、勝つことは難しくないんだ。負ける方が難しいんだぞ」って言われて。その時はまったく理解できなくて、さすがローゼンホーマ(福山史上最高の名馬と呼ばれた馬)に乗ってた人だなくらいに思っていたんですけど、カイロスに出会って那俄性先生の言ってたことがわかりました。
カイロス(2013年2月2日、福山・若駒賞、写真:福山市)
カイロスとはさまざまな思い出があると思いますが、福山廃止後に共に南関東に移籍したあとは、乗り替わりという悔しい経験もありました。
そうですね。今は離れているのでそこまで思わないですけど、自分も南関東にいる頃に別の人間が乗るというのはかなり悔しかったです。勝負の世界なので仕方ないことですけど、高本先生(福山時代のカイロスの調教師)と厩務員さんと僕とで育てて来たという自負があったので、その部分を見てもらえないのは悔しいです。それが南関東の厳しさなんですけど。
福山→川崎を経て、再びデビューの地・高知に戻って来たわけですが、そもそもなぜ高知から福山に移籍したんですか?
デビューから3年は高知にいたんですけど、デビューしてすぐに廃止になるかもというくらい追い込まれていました。当時は1000勝以上の騎手が何人もいて、もし廃止になったら僕は行き場がないなと不安に思っていて。そんな時、福山の那俄性先生が騎手を探しているという話があって、別府(真司)先生から「誰か福山に行かないか?」って言われて。その時は悩まずにすぐに動きました。福山なら近いし、いいかなという感じで、かなり甘い考えでしたね。今思うと、よく行けたなと思います(笑)。今なら移籍の大変さもわかるから、絶対動けないですけど。結果的には福山が廃止ということになってしまいましたけど、福山に行かなければ今の僕はなかったし、もしかしたら騎手を辞めていたかもしれません。だから、あの時思い切って動いたことは良かったと思ってます。
ジュメーリイで黒潮皐月賞制覇(写真:高知県競馬組合)
現在は永森騎手、赤岡騎手に次ぐリーディング第3位につけていますし、ジュメーリイで黒潮皐月賞を制し、高知初重賞制覇も成し遂げました。
リーディングに関してはまだ途中なので何とも言えないですけど、この勢いが来年再来年と続いて行けるようにしたいです。黒潮皐月賞を勝てたことは、本当に嬉しかったですね。最後は倉兼騎手との叩き合いになって、かなり内に押し込めてしまったので、レース直後に怒られてしまって......。本当はガッツポーズをしたかったんですけど、火に油を注ぐことになってしまうので大人しく帰って来ました(苦笑)。次は快勝してガッツポーズをしたいです!
では、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
人よりもウロウロしましたけど、今度こそ高知に根を下ろすことが出来たので、これからは恩返しをしていきたいです。そのためには腕を磨いて面白いレースをすることだと思っているので、今まで以上にがんばります。あと今年から高知の2歳戦が復活して、世代ナンバー1になれそうなディアマルコに騎乗させてもらっているので、高知生え抜きの代表馬になれるように育てていきます! 応援よろしくお願いします。
2歳の期待馬ディアマルコ
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インタビュー / 赤見千尋