
2005年のデビュー以来、着実に成績をのばし、歴戦の名手たちと互角の勝負を展開している
別府真衣騎手。
レディースジョッキーズシリーズでは2年連続で2位。3度目の正直をと乗り込んできた
金沢競馬場で、騎手という仕事に対する思いなどをうかがった。
■父がこの仕事をしていなかったら、騎手にはなっていなかったですね。小学校に入ってからは普通の
家で暮らしていましたし、特に競馬を感じることはありませんでしたが、小さいころから騎手になりたいと
は言っていたんです。
それを本気で父に申し出たのは中学1年のとき。でも反対されました。それから普通に中学生活を送る
うちに、美容師になろうかなあなどと考えることもありましたが、中学3年の進路指導の時期に「やっぱり騎手
になりたい」と強く思うようになって、もう一度父にお願いしたんです。でもやっぱりダメだと。それでも母が
私を応援してくれていたので、なんとか説得することができました。
自分の希望をかなえて地方競馬教養センターに旅立った娘を受け入れてくれたのもまた、父だった。
■厩舎実習で高知に戻ったことで、精神的に成長した気がします。帰ると知っている人がいっぱいいますし、
現役馬にも乗れましたし。ただ、実習のころは多少失敗しても、というところがありましたが、今はそうはい
きません。父の厩舎に所属しているからこその緊張感はありますね。
その思いのなかで一戦一戦を大事に騎乗する別府騎手は、7月19日のトレノ賞で、重賞初制覇を
果たした。
■騎乗したロマンタッチは、1300メートルの距離が合いそうだからチャンスだと思っていました。前に行った
ら甘くなるし、後ろすぎても届かないタイプ。あのときは最後にうまく差し切ってくれました。あの馬は本当に
展開次第。そのあとの珊瑚冠賞(1900メートル、石本純也騎手が騎乗)でも後方から2着に来ましたから。
ロマンタッチ号がそうであるように、高知競馬は乗り替わりが多い傾向がある。別府騎手も当然、
例外ではない。
■同じレースの相手が、ほとんど乗ったことがある馬ということもありますね。知っている相手だと、自分
としてはやりやすいように感じます。それにレースをずっと見ていると、あの馬はこうすれば持ち味がもっ
と出るんじゃないかなんて、よく考えるんですよ。そう思っていた馬が自分に回ってきたときには、それを
試すこともあります。乗っているからには勝ちたいですから。
今、差し脚がある馬に乗ったときには、追い込んで勝てるようにと挑戦しているんです。お客さんが見て
いて楽しいのは、逃げ切りより追い込みだと思いますし。特に一発逆転ファイナルレース(近走で敗戦が
続いている馬同士の競走。競馬記者が出走馬を選抜する)では、より思い切ったことができますね。
でも、他の騎手も勝てるチャンスがあるぞと燃えているんですよね(笑)。それにこのレースでは、これが
その馬にとってのラストチャンスかも、という場合があります。そういう馬は、ここでいい結果が残せれば
もう少し現役でいられるかもしれない、そんな思いもあるんです。
毎日を一所懸命に正面から立ち向かっている印象がある別府騎手。しかし今年はある種のカベに
ぶつかった。
■一時期、ぜんぜん勝てなくて......。どんどんメンタル面が悪いほうへと転がってしまっていたんです。
乗っていてもなんだか自分じゃない感覚。馬を追っていても、まるで追えていないことが自分でもわか
っていました。大本命の馬に乗っても勝てる気がしなくて......。実際、そのとおりになったこともありましたし。
いつも普通にできることができないんですよね。足になぜか力が入らなくて、アブミをまったく踏めていない
ということもありました。
そんなとき、ある先輩騎手に"今、乗れていないだろう"と見抜かれました。でも、誰にでもあることだよと
励まされて。一時は本当に悩みましたが、それもいつの間にか治っていたように思います。振り返って
みると、勝ち星が増えてきて、ファンの皆さんに期待されているのを感じていたことが、必要以上のプレ
ッシャーになっていたのかもしれません。
その苦しかった時期を脱出してからレディースジョッキーズシリーズに来ることができたので、もう大丈夫。
本当に最近のことなんですよ(笑)。
キャリアは浅くても注目されるがゆえの苦悩。それでも競馬は毎週行われている。
■自分がどのレースでも精一杯乗ることが一番なんだと思います。その上で、高知競馬場にお客さんが
もっと入ってくれるように、宣伝活動をいっぱいしていきたい。高知競馬のためになることなら、なんでも
したいですね。競馬場に来てくれるお客さんの平均年齢をもっと下げたいなとも思います。
でもいちばん大切なのは、ファンの皆さんを裏切る回数を減らすことかな(笑)。
試行錯誤を繰り返しながら、着実に成長を続けている別府騎手。これからの目標について聞いて
みた。
■(NARグランプリの)優秀女性騎手賞を獲りたいですね。そして、女性というくくりではなく、騎手界の
なかで上位の存在になっていきたいと思っています。レディースジョッキーズシリーズで昨年も2位と
いう結果だったのは、神様が"お前にはまだ早い"と与えてくれた試練かなと。あっさり優勝していたら、
そこで気が抜けちゃいそうな気もしますし。私は障害が立ちはだかっているほうが燃えるタイプなんですよ。
上には上がいますから、向上心を常に忘れないようにしたいと思っています。
宮下瞳騎手に追いついて追い越して、女性騎手ナンバーワンになりたいというデビュー以来の
目標も、もう手が届くところにまできている。「次の狙いはスーパージョッキーズシリーズ?」
と聞いてみると、「いやいや、まだまだですよ」と苦笑い。
しかしながら、競馬に対するその真摯さがあるならば、それもあながち夢物語ではないだろう。
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別府真衣(べっぷまい)
1987年12月8日生
射手座 O型
高知県出身
別府真司厩舎
初騎乗/2005年10月9日
地方通算成績/2,039戦213勝
重賞勝ち鞍/トレノ賞
服色/胴赤・青山形一本輪、そで白・赤星散
らし
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※成績は2008年11月21日現在
(オッズパーククラブ Vol.12 (2009年1月~3月)より転載)
昨年、初の高知リーディングに輝いた赤岡修次騎手は、今まさに充実期を迎えている。
今年は年間200勝に届くほどの好成績を挙げ、そしてJRA阪神競馬場で行われたワールド
スーパージョッキーズシリーズ(WSJS)に、地方競馬の全騎手を代表して参戦。
通算1000勝も達成して、ますます進化を続ける赤岡騎手に話をうかがった。
まずは優勝してWSJSへの出場権を手にしたスーパージョッキーズトライアル2007
を振り返ってもらった。
■1戦目は1番人気の馬が時計的にも抜けていたので気楽に乗りましたが、僕の馬
(ポエラヴァ=9番人気2着)も行きっぷりがよくて、「これなら」と思って追いました。
1000メートル戦でしたが、1周1100メートルの馬場に慣れているせいか、向正面も
最後の直線も長かったですね(笑)。それが逆にあわてなくても大丈夫と、しっかり
構えられたことにつながったのかもしれません。
2戦目(ヤマトロード=6番人気6着)は逃げましたが、いま考えると2番手のほうがよかったかも。
こういうレースは全馬乗り替わりですし、自分の肌で感じて乗るしかありません。
本当にフィーリングが試される舞台なんだなと思います。
名古屋での3戦目と4戦目は偶然同じ厩舎の馬。どちらも人気がなかったのですが
(3戦目・カンドーレ=6番人気3着、4戦目・ラピスレヴェリオン=12番人気2着)、厩務員さんが
すごく感じのいい人で。これはがんばらなきゃいかんな、と気合が入りました(笑)。
おかげさまで優勝することができましたので、阪神競馬場では悔いを残さないように乗ってきたい
ですね。地方競馬の代表として行くわけですから。
そう意欲を語っていた赤岡騎手は、デビュー時には日本プロスポーツ大賞の新人賞を受賞するな
ど順風満帆のスタートだった。しかし大きな挫折も味わっている。
■マカオの国際見習騎手招待にも行って、3年目にはイージースマイルで高知の二冠も獲りました。
でも4年目に落馬して、左足の靭帯断裂で4カ月も入院したんです。そしてようやく退院して競馬場に
戻れたのですが、そのときには自分が乗る馬がすっかりいなくなっていました。
さらに、ときどきヒザが脱臼するような感覚がする後遺症もあって、以前のようには乗れなくなっても
いたんです。だから5年くらい、成績が低迷しましたね。心もすさんでいたのかなあ。あまり仕事もせず、
評判も悪くなる一方で。その状況が長く続いたので、騎手をやめるつもりでいたんです。
そんな自分を助けてくれたのが西川(敏弘)騎手。熱心に止めてくれましたし、お手馬がカチ合ったとき
には騎乗馬を回してくれたりしました。落馬したのは、スタート直後に前の馬に追突したという完全な
自分の責任。当時は馬に乗るのは楽しかったけれど、気の緩みがあったのだと思います。
リーディング下位をさまよった赤岡騎手。復活するきっかけは何だったのだろうか。
■徳留(康豊)騎手が金沢に移籍してから、(同騎手が所属していた)松木啓助厩舎の攻め馬を
手伝うようになって、あまり期待されていなかった馬でよく勝ったんです。そのおかげなのか、
だんだん騎乗数が増えていきましたね。でも失敗するとすぐに乗り替わりになるんです。
やっぱり失った信用はすぐに取り戻せるものではないんだなと反省して、1戦1戦に集中して乗る
ようになりました。そこでこだわったことは、とにかく逃げること。当時は逃げが得意の騎手が少な
かったので、そこを突いて逃げまくりました。その後、田中守厩舎に声をかけていただいたことで、
成績が飛躍的に伸びてきました。今にして思えば、あのケガは僕にとってよかったですね。
今は他の競馬場のレースを研究したり、イメージトレーニングをしたりしていますが、当時のまま
だったらそんなことはなかったと思いますから。
再び昇り竜の勢いになった赤岡騎手。普段の騎乗スタイルは、どのようなものなのだろうか。
■高知はすごく馬場が重いんですよ。だから1300メートル戦と1400メートルでは最後の踏ん張りに
違いが出ます。雨が降って内側の砂が流れても、馬場管理がしっかりしているのですぐに元通りに
なりますし、やはり少し外を回るほうがいいですね。でもそんななかでも砂が軽いところがあるんです。
返し馬のときには速脚で1~2コーナーと3~4コーナーを走らせて、どこが軽いのかを必ずチェック
しています。僕が常に考えているのは、馬の力を最大限に出すためにはどうすればいいのかということ。
道中は勝負どころまではハミをかけずに見せムチを使いつつ、ギリギリまで楽に行かせて、勝負を
かけていきます。他の騎手のクセなども考慮しますよ。それに役立っているのがイメトレですね。
当日に出走メンバーを見てから何十通りもレースパターンを考えます。こうすれば勝てるという
イメージができるまで、頭の中でレースをするんです。
最後に大舞台となるWSJSへの抱負をうかがった。
■高知では1番かもしれないけれど、今後も続く保障はありません。今はとにかく技術をもっと上げ
たいですね。世界の一流ジョッキーといっしょに乗れる機会を与えられましたから、それを体感する
ことで自分のなかで何かが変わるのではないかと期待もしています。
昨年のWSJSのビデオを見ると、全馬がコースロスなく乗っていて、2番手追走のままでどこも開かず
に負けた馬もいました。そういう感覚もしっかり吸収したいと思っています。
インタビューをさせていただいたのはWSJSの2週間前。そして本番では第2戦で見事に勝利。
「まさか勝てるとは......」と笑顔で表彰台にのぼった赤岡騎手は、翌日もエキストラ騎乗で勝
利し、総合順位も第3位と存在感を示した。間違いなく、今後に要注目の騎手だといえるだろう。
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赤岡修次(あかおかしゅうじ)
1977年3月15日生 魚座 B型
高知県出身 工藤英嗣厩舎
初騎乗/1994年10月10日
地方通算成績/7,597戦1,052勝
重賞勝ち鞍/黒潮皐月賞、高知優駿2回、黒
潮菊花賞、高知市長賞2回、珊瑚冠賞2回、
建依別賞、金の鞍賞、花吹雪賞、黒潮スプリ
ンターズカップなど14勝
服色/白、右青たすき、そで青二本輪
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※成績は2007年11月20日現在
(オッズパーククラブ Vol.8 (2008年1月~3月)より転載)