2011年の荒尾競馬廃止を経験し、現在は佐賀で活躍する田中純騎手。再出発から4年目を迎え、今年は佐賀リーディング3位まで上がって来ました。新たな地で少しずつ階段を上っている、その心境をお聞きしました。
田中騎手は荒尾廃止と共に一度騎手を引退し、10か月後に再び復帰。佐賀での生活も4年目となりましたけれども、もうかなり馴染んでいるように見えますね。
そうですね。周りの方々にすごく良くしていただきましたし、弟(田中直人騎手)が佐賀所属だったというのも大きかったかもしれません。若い子たちからは、「もとから佐賀にいるみたいですね」って言われるくらいなので。
弟さんの存在は大きいですか?
大きいですね。しょっちゅう一緒にご飯を食べに行くんですけど、でも競馬の話は一切しないです。普通の兄弟ですよ。騎手としては、どうしても成績がモノを言う世界じゃないですか。僕が佐賀に来た頃は弟の方が成績が上だったので何も言えなかったですけど(笑)。レースに関しては各々の考えがあるし、相談し合うというよりは心の中で『負けてられない』という風に思う存在です。弟が勝たないと心配になるし、勝っても『なにくそ!』って思うのでちょっと複雑というか(笑)。家族としての気持ちと、騎手としての気持ち両方がありますね。
移籍して新しい場所で結果を出すというのは難しいことですが、佐賀に馴染むきっかけになったことはありますか?
一番は2014年のダービー(九州ダービー栄城賞)を勝たせてもらったことですね。高知のオールラウンドに乗せてもらったんですけど、特に人気もなかったしリラックスして乗れたのが良かったんですかね。ダービーはやっぱり特別なので、ここを勝ち切ることができたのは相当大きかったです。しかもその後すぐにスイングエンジンで吉野ヶ里記念を勝てたので、そこからいい流れに乗れたのかなと思います。
2014年九州ダービー栄城賞
今年はここまでリーディング3位です。だいぶ上がって来ましたね。
たくさんのいい馬に乗せていただいたことと、あとケガで休んでいた方がいたことも影響していると思います。だから、単純に順位が上がったとは考えていません。荒尾時代は自厩舎の調教に専念していたんですけど、佐賀は攻め馬をしないとレースに乗せてもらえないので、とにかくみんなたくさん攻め馬するんですよ。これまで所属していた先生もそうですし、最近所属にしてもらった濱田(一夫)先生もそうなんですけど、すごく理解していただいて自厩舎以外の厩舎の調教をする時間ももらっています。そういう恵まれた環境の中でやらせてもらっているので、もっと上に行って恩返ししたいという気持ちは強いですね。
騎乗的に変わって来たことはありますか?
どうなんですかね。自分ではちょっとわからないですけど、あんまり意識はしていないです。1着になるにはどう乗ればいいかっていうことを逆算して考えているので、常に1着になるイメージしかもってなくて。性格もそうですけど、基本的にポジティブなんですよね。あんまり自分を追い込んで行くタイプではないし、何かあって落ち込んでも引きずらないです。
検量室の辺りで見ていて、レース前後の表情がかなり楽しそうだなという風に感じました。
楽しいですよ。今すごく楽しいです。たった10か月ですけど騎手を辞めていた時間がありましたし、荒尾廃止も経験して、騎手でいられることの有難さを痛感しています。今は本当にたくさんのチャンスをもらっているし、悔しいこともあるけど毎日が楽しいです。
今の目標を教えて下さい。
大きな目標は一番上を獲ることです! そのためには目の前のひとつひとつを大事にしていかないとたどり着けないので、少しでも多く勝てるように、一歩一歩着実に進んでいきたいです。
佐賀は上位2名がかなり強力ですけれども。
強烈ですよ~(苦笑)。山口(勲)さんも鮫島(克也)さんも、まさにレジェンドですからね。勝てる部分を探すのは今は難しいです。お2人だけじゃなくて、上位にいる人たちはみんな上手いですからね。だからといって負けていられないので、他の人たちの騎乗を研究しつつ、自分を磨いていきます!
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
竹吉徹騎手は2006年のデビューから10年が経過。2015年は53勝で佐賀リーディングの第9位と、堅実な成績を残しています。
でも、成績的にはそれ以前からずっと変わらない感じなんですよね。自分より年上の騎手が引退しましたが、そのぶんの勝ち星が自分のところに回ってきていないという感じもありますね。騎乗数自体はけっこうあるんですけれど。
その状況を打破したいところですね。
自分自身、改善しなければ、というところは把握しています。まずはウエイトトレーニングをしっかりやらないとダメですね。あとはスタート。佐賀競馬場はたとえば1400mの1コーナーで先行争いになったとき、内から3頭目の場所を回らされてしまうと、よほど力がある馬でない限りは勝つチャンスがありません。だから本当にスタートがポイントで、ゲートのなかで馬をきちんと立たせることが重要ですね。でも、自分自身にちょっとでも力が入っているとうまくいかないんですよね。そんな失敗をした馬が、次にベテランの騎手に替わるとタイミングよく出たりするんですよ。見習いたいです。
所属の山田義人厩舎は所属馬が多いですね。普段の仕事量も多いのではないですか?
だいたい30頭前後いますからね。1頭目の調教を開始するのは、深夜の12時20分です。全部の馬に乗る日もありますが、そういうときは朝の9時くらいまでかかります。大変は大変ですけれど、馬に乗るのは楽しいから大丈夫ですよ。自分で調教した馬で勝つと、なおさらうれしくなります。
10年で400勝(2016年1月30日に達成)。もう一段のステップアップをしたいところですね。
そうですね。タイトルもほしいと思います。S1重賞で2着は何回かあるんですが。それと、他の競馬場の空気も吸ってみたいですね。普段の仕事が忙しくて期間限定騎乗という形は難しいので、騎手交流競走がもっとたくさんあればいいなと思います。
竹吉騎手は広島県出身。でもデビューの地は福山競馬ではなくて、佐賀だったんですね。
出身は広島県の竹原市で、福山はわりと近いんですが、親も親族も競馬にはまったく関係なくて、僕は競馬をゲームとかで知ったんです。それで騎手に興味をもって、中学校の先生に相談したらいろいろと調べてくれました。JRAの試験も受けましたが不合格で、その年の秋に地方競馬の試験を受けたら合格できました。それで那須の教養センターにいたときに山田先生が誘ってくださったので、佐賀に行くことにしたんです。
それからの10年、振り返ってみていかがですか?
もう10年も経ったのかという感じですね。まだ20代なんですけど(笑)。これから少しでも成績をよくできるようにしていきたいです。そして、佐賀競馬がもっと面白くなるようにしたいですね。自分がその代表になるつもりで頑張ります。
勝負服のデザインはどうやって決めたんですか?
先生が騎手だったころの服色を参考にして、自分で決めました。そうしたら、岩手の陶文峰騎手と同じだったんですよね。学校の先生にも何も言われなくて、デビューしてしばらくしてから気がつきました。以前、M&Kジョッキーズカップで陶騎手が佐賀に来たとき、同じレースに乗ったことがありますよ。
ところで、その髪型はなかなかカッコいいですね。
これ、天然パーマなんですよ。とくに何もしなくてもこんな感じです。だから楽ですね。色は少し染めています。以前は赤っぽい色にしたり、すごく明るくしたりしたんですが、評判があまり良くなくて。なので、今はおとなしめの色にしています。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
今年デビュー18年目を迎えた佐賀の倉富隆一郎騎手。山口勲騎手、鮫島克也騎手という二大看板に続く佐賀ナンバー3として、長年活躍を続けています。昨年はケガによる長期休養もありましたが、完全復活を果たした今、今後への意気込みをお聞きしました。
昨年は大きなケガがあり、久しぶりにトップ3から陥落してしまいました。ご自身ではどんなお気持ちでしたか?
デビューしてから初めての大ケガで、初めての挫折でしたね。足の甲の骨折で場所が悪かったので、リハビリを始めるのにも相当時間がかかってしまって......。結局、丸4か月騎乗ができませんでした。最初はすごく落ち込んだし、不安でしょうがなかったんですけど。でも今になってみれば、いい経験ができたんだなと思っています。
ケガで休養したことが、いい経験になったと?
そうですね。デビューして17年経って、3位というのがある意味定位置になっていたんです。山口さんと鮫島さんは本当に偉大な先輩で、いつの間にか「超えてやろう!」という闘志が薄れていました。でもケガをして長く休んだことで、馬に乗りたいという気持ちが改めて沸いてきて。自分はリーディングを獲りたいんだということを強く思うようになりました。
やっぱり、山口騎手と鮫島騎手というのは偉大な存在ですよね。
本当に偉大ですよ。山口さんは完璧なんです。リーディングになってからも、なる前とまったく変わらず努力を続けていて。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで攻め馬してるんですから。それに、どんなにクセのある馬でも、ゲートが悪い馬でも絶対に無理だって言わないんです。普通1位になったら攻め馬の頭数を少なくしたり、馬も選んで乗っていくようになるじゃないですか。でも山口さんは変わらない。付け入るスキがないんです。鮫島さんはもうすぐ53歳ですし、今は頭数を減らして選んで乗っているんです。それでも抜けないんですから、本当にすごい人ですよ。でも、鮫島さんが乗っているうちに抜かなきゃいけないと思っています。そうじゃないとファンの方もつまらないだろうし、鮫島さんを抜けるとしたら3位の僕ですから。
倉富騎手は中学時代に全国で第4位に入るほどの乗馬の腕前をお持ちですが、どういう経緯で騎手になったんですか?
もともと佐賀競馬場の近くに住んでいたんですけど、10歳くらいの時に近所の乗馬クラブに行き始めたんです。乗馬クラブっていうと高級なイメージがありますけど、そこは佐賀の馬主さん(ワンパクメロなどのオーナーである、野上ヤチ子さん)が子供たちのために安くやっているところで、学校が終わってから毎日通っていました。それで、僕はあんまり頭が良くないから(笑)、「馬術で大学まで行けるように」という感じで教えてもらっていたんです。それで馬術推薦で高校に入ったんですけど、結局勉強についていけなくなって、学校に行かなくなって......。家にも帰りたくなくて、ちょっとグレてしまったんです。その時に、「このままじゃダメだから」って、半分無理やり佐賀競馬に連れてこられて、川田孝好先生のところに下乗りとして入ったんです。だから、その乗馬クラブが僕の原点だし、本当に感謝しています。
川田厩舎といえば、現在JRAで活躍中の川田将雅騎手のお父さんの厩舎ですよね。
そうです。将雅も同じ乗馬クラブに来ていたので、子供の頃から知っています。今でも隆一兄ちゃんて呼んでくれて、連絡を取り合っていますよ。将雅はものすごく頑張ってますから、いつも刺激をもらっています。あの時連れていかれたのが川田厩舎じゃなかったら今の僕はいないし、ジョッキーにもなってなかったと思います。川田家の方々にも本当に感謝ですね。
というと、騎手になるのもご苦労があったんですか?
下乗りで入った時点で55キロありましたから、教養センターの試験を受けるためには12キロ痩せなきゃいけなかったんです。育ち盛りの高校生で12キロ痩せるっていうのは、自分ひとりの力ではかなり難しいですからね。川田先生の奥さんが毎日食事を用意してくれて、毎日体重を計ってチェックしてくれたんです。みんなが見守ってくれたお蔭で、騎手になることができました。
川田将雅騎手の存在もそうですが、教養センター時代の同期には、戸崎圭太騎手や森泰斗騎手もいます。この2人の存在も刺激になるんじゃないですか?
そうですね。圭太はセンター時代から人に嫌われなくて、みんなの人気者でした。腕はもちろんですけど、人間力がすごいのであそこまでの活躍も納得です。泰斗はセンター時代は尖っているところもあったし、実力はあるのになかなか結果が出せない時期もありましたよね。でも今は全国リーディング独走中ですから、アイツもすごいなと思います。将雅もそうですけど、一緒にがんばってきた仲間がどんどん結果を出して遠くに行ってしまうので、僕も置いて行かれないようにがんばります!
では、今後の目標を教えて下さい。
まずは鮫島さんを抜いてリーディング2位になることです。そうしたら、「リーディングを獲ることが目標です!」と言えるようになるので。簡単なことではないですが、目の前のレース1つ1つで結果を出して、積み上げていきたいです。もうひとつは、もう一度ダートグレードを獲ることです。ヴァンクルタテヤマ(2008年サマーチャンピオン)に乗せてもらえたのは本当にラッキーで、山口さんと鮫島さんが他の馬に乗っていたので僕だったんです。あの時はものすごく緊張しましたけど、宝物になる経験をさせてもらいました。もう一度ダートグレードを勝って、もっと佐賀競馬を盛り上げたいです!
2008年サマーチャンピオンをJRAのヴァンクルタテヤマで勝利
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※インタビュー / 赤見千尋
今回は番外編! ジョッキーインタビューではなくトレーナーインタビューです。
昨年から始まった、オッズパーク地方競馬応援プロジェクト(オッズパークとグリーンファーム愛馬会が共同で行っている、地方競馬向け競走馬ファンド)。その第一弾としてデビューした佐賀のローカルロマンは、新馬戦こそ3着に負けたものの、その後3連勝で見事JRA認定競走を制覇しました! 管理する東眞市調教師に、ローカルロマンについてたっぷりとお聞きしました。
まずは、3連勝でのJRA認定競走制覇(8月30日佐賀8レース)おめでとうございます! 1番人気に支持されての見事な勝利でした。
ありがとうございます。認定を勝つことを最初の目標にしていたので、勝ててホッとしました。ファンの方に人気にしてもらっていたので、期待に応えられて嬉しいです。初めて控える競馬をして、前の馬を差し切る競馬ができたので、勝ち方にも満足しています。今後が余計に楽しみになりました。
具体的にレースを振り返っていただきたいんですけれども、スタートはあまりダッシュが付かずに離れた3番手からとなりました。
最後にゲートに入れる順番だったので、山口騎手とも『ちょっと嫌だな』って話していたんです。というのも、デビュー戦の時に最後入れで全然ダッシュが付かなかった経験があったので。一番最後に入れるとすぐにゲートが開くので、そのタイミングだとまだボーっとしてしまうみたいなんです。2戦目3戦目は速かったけど、今回はちょっと怪しいぞと思って山口騎手も気合を入れて出していました。それでもやっぱりダッシュがイマイチでしたね。
2番人気のラヴインアクションと、同じ東眞市厩舎のガンバルスマート(3番人気)の2頭がハイペースで引っ張る展開になりました。
ガンバルスマートの方も勝ちに行く競馬で積極的に乗ってくれました。前半は少し速いペースでしたが、ローカルロマンにとってはいい展開になりましたね。エンジンが掛かってからは長くいい脚を使ってくれたし、山口騎手は『抜け出してから遊んでいた』と言っていましたから、まだまだのびしろがあると思います。
ローカルロマンはJRA認定競走(8月30日)で5馬身差圧勝。
レース後の様子はいかがですか?
さすがに食が細くなりました。牝馬特有のテンションの上がり方をしていて、なかなかご飯を食べないんです。まぁ、今回は絶対に勝ちたいということで調教でもけっこう攻めましたし、追い切りも好タイムで動いていたので、ある程度の反動は仕方ないと考えています。今後は馬の様子を見ながらゆっくりのペースで乗り始めて、次のレースを決めるつもりです。
具体的な予定というのは?
オーナーサイドと相談になりますが、直近の大目標は10月の九州ジュニアチャンピオンです。そこが1750mなので、その前に一度距離を経験させたいなという気持ちもありますね。馬の回復次第では、1開催休ませて9月の後半の開催でもう一度認定を使うかもしれません。
JRA認定競走を勝ったということで、先々にはJRAへの遠征も視野に入りますね。
意外と芝が合いそうな走りをしていますし、父スペシャルウィークで血統的にも合いそうですよね。デビュー前から認定競走を勝って芝で使ってみたいという気持ちはありました。なので、最初はフェニックス賞(8月15日小倉)を目指したいと思っていたんです。牧場さんやオーナーサイドと相談してかなり早めに入厩させていただいたんですけど、最初の新馬戦が頭数不足で成立しなかったのが痛かったです。認定競走は新馬戦を4レース消化しないと組めないので、今年は8月の終わりになってしまって...。例年通りだったら間に合っていたんですけどね。
となると、今後遠征に行くのは難しいですか?
権利はあるので、あとは時期と場所だけですね。阪神まで行くのはこの馬には厳しいと思うんです。輸送が長くなりますし、食の細い馬ですから。そうなると選択肢は2月の小倉になりますが、その頃は地元の牝馬重賞も始まってくるので。芝に挑戦してみたい気持ちと、牝馬重賞を獲りたい気持ちと...。嬉しい悩みですけど、どちらのローテーションを選ぶのかは難しい選択です。
今後の課題というのはありますか?
今回のレースで控える競馬で勝てたことはすごく大きいです。逃げても番手でもレースができるというのは大きな強みになりました。ただ、予想よりも時計が遅かったので、肉体的にも精神的にも、もう一段階パワーアップして欲しいです。とにかく一番は、ご飯を食べてくれることですね。厩務員さんが工夫して一生懸命食べさせてくれているので、少しずつ体ができてきましたが、将来的には450キロ台(前走434キロ)になって欲しいです。性格もまだ子どもで、他の馬を怖がって怯んだり、かといって誰もいなくなると遊んでしまったり...。まだ真剣に走ったことがないので、本当にこれからの馬だと思っています。
では、ファンの方にメッセージをお願いします。
オッズパークさんの地方競馬応援プロジェクトが始まって、第一弾の馬を預けていただけると聞いた時には、本当にうちでいいのかと恐縮しました。新馬からいい馬を預けてもらえるというのはとても有難いですし、本当にやりがいを感じています。ローカルロマンは入厩当初から高い能力を感じていましたから、ここまで無事に来て、結果を出すことができてホッとしています。ファンの方の期待に応えられるよう、スタッフ一同精一杯頑張りますので、これからもローカルロマンと佐賀競馬をよろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:佐賀県競馬組合)
今年4月にデビューした佐賀の山口以和騎手は、同期の93期生の中で最初に初勝利を挙げ、すでに6勝を挙げる活躍を見せています(5月15日現在)。これからの成長が楽しみな佐賀の新星に、お話を伺いました。
(写真:地方競馬教養センター)
以和(もちかず)というお名前はかなり珍しいと思うのですが、どんな由来があるんですか?
両親が付けてくれたんですけど、よく「珍しい」って言われます。聖徳太子が作った十七条の憲法の第一条に、『一に曰く、和を以て貴しと為し、忤ること無きを宗とせよ』ということが書いてあって、原文だと『以和為貴』となるんですよ。そこから来ているみたいですね。
さらにお名前に対してなんですけど、苗字が"山口"ということで、佐賀のリーディング山口勲さんと繋がりがあるんですか?
それもよく言われます(笑)。でも全く関係ないんですよ。僕は東京都出身なので。でも苗字が山口さんと同じで、兄弟子は鮫島(克也)さんなので、佐賀のツートップには可愛がってもらっています。
4月5日、デビュー5戦目での初勝利(写真:佐賀県競馬組合)
騎手を目指したきっかけは何ですか?
もともと父が競馬好きで、小さい頃からずっと見ていたんです。物心ついた時には自然と騎手になりたいと思っていました。印象に残っているのは、ヒシミラクルの菊花賞です。あの時ノーリーズンが落馬したんですよね。「競馬っていうのはこういうこともあるのか」と思いましたけど、騎手になりたいという気持ちは変わらなかったです。
地方競馬教養センターでの2年間はどうでしたか?
僕は小さい頃から騎手に憧れていた割には、馬に乗っていなかったんです。だから、センターでは初心者でした。最初のうちは馬に乗れることがすごく楽しかったんですけど、だんだん周りが見えてくると、乗馬経験のある同期との差が大きくて......。そこからは大変でした。辛いこともいっぱいあったけど、でもやっぱり終わってみれば楽しかったですね。
東京都出身ですが、佐賀競馬場を選んだ理由は?
親戚が福岡にいるので、九州という土地が身近だったことと、あと新人がいないんですよ。他の競馬場は同期か近い期でデビューしている新人がいるんですけど、佐賀はいないので、ここで頑張ってみたいなと思いまして。特にツテがあったわけではないのに、所属にしてくれた手島勝利先生には本当に感謝しています。鮫島さんが兄弟子だし、すごく恵まれた環境ですね。
(写真:佐賀県競馬組合)
4月4日にデビューして、5日にはもう初勝利を挙げました。同期の中でも一番乗りでしたね。
はい! 一番に勝てたことはすごく嬉しいです。やっぱり同期のことは意識していますし、絶対に負けたくないので。デビュー戦は、自分では緊張してないって思っていたんですけど、冷静になって振り返るとガチガチだったなと(苦笑)。初勝利は2日目で挙げられたんですけど、「勝ちたい!」という気持ちよりも「この馬のレースをしよう」と思っていたんです。上手く逃げることができて、向正面で田中純さんが来たら馬がハミを取ってくれて、その時もまだ落ち着いて乗っていられました。でも3,4コーナーの中間でチラっと後ろを見たら誰も来てなくて、そこで初めて「勝てるかも...」と思ったら急に体に力が入ってしまって...。そこからはもう必死すぎて、フォームがバラバラになってしまいました。本当に馬のお蔭で勝たせてもらったんです。
デビューからすぐに初勝利を挙げられたというのは、大きいんじゃないですか?
1勝できたことは本当に嬉しかったです。でも本当にまだまだなので......。実は、次の週のスリーバリアントという馬で初勝利するんだって思っていたんです。すごくいい馬で、厩舎としてもそういう期待を持っていて。僕としてはその前に初勝利ができて気持ちが楽になるはずですけど、「2勝目だ!」って意気込んでしまって。レース中は周りが見えなくなって、結局兄弟子の鮫島さんにハナ差で差されて2着......。次にスリーバリアントに乗った時にも気持ちが先行して、ゲートでびっくりするくらい引っ張ってしまってまた負けたんです。「勝ちたい!」「勝てる!」と思うと、どうしても気持ちが入りすぎてしまう......。自分が入れ込んではいけないと本当に思いますね。今、6勝させてもらったんですけど、スリーバリアントでは勝てていないので、この馬で勝つことが今の目標です。
デビュー1か月半で6勝というのは、かなりいいペースだと思いますけど。
ホントですよ。こんなに上手くいくというのは想定外でした。このペースではずっと行けないと思っています。今はいい馬に乗せてもらってたまたま勝たせてもらっているけど、ここで経験を積んで実力をつけて、自分自身の力で馬をサポートできる騎手にならないと。1つ1つを大事に、取りこぼさないように心がけています。
初勝利の口取り。右から2人目が手島勝利調教師(写真:佐賀県競馬組合)
憧れの騎手はどなたですか?
やっぱり兄弟子の鮫島さんです。一緒に乗っていると本当にすごいと思いますね。当たり前のことを当たり前にやるんですよ。実はそういうのって難しいじゃないですか。それに、引き出しの数が多くて、「こんなこともできるんだ」っていつも驚きます。自厩舎は本当によくしてくれて、実習の頃からほとんどの調教に乗せてくれたんですけど、エスワンプリンスだけは乗ったことがないんです。難しいところのある馬だし、佐賀の看板馬なので期待も大きいですから。今は、エスワンプリンスを任せてもらえるような騎手になりたいと思っています。
鮫島騎手は厳しいですか?
レースには厳しいですけど、普段は優しいですよ。デビューしてすぐ、けっこうな数に乗せてもらっているので、鞍が足りなくて。そうしたら鮫島さんが鞍をくれたんです。実はその前に鮫島さんの鞍を勝手に借りてしまって怒られたんですけど......。ちょうど鮫島さんがいなくて、事前に言えなかったんですよ。鮫島さんには本当にいろいろな面でお世話になっています。
では、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
ここまで順調に来ているので、なんとか新人賞を獲りたいと思っています! 佐賀は山口さんと鮫島さんというツートップの壁が厚いですけど、いつかそこを崩せるように精一杯頑張ります。ぜひ佐賀競馬に注目して下さい。
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※インタビュー / 赤見千尋