荒尾競馬廃止と共に、一度は騎手を引退した田中純騎手。昨年再び騎手免許を取得し、弟の田中直人騎手と同じ佐賀競馬場で、第2の騎手人生を歩み始めています。引退から復帰までの葛藤、そして現在の心境をお聞きしました。
赤見:まずは荒尾時代のお話からお聞きしたいんですけど、廃止が決まった時はどんなお気持ちだったんですか?
田中:廃止と聞いた時は......正直全然実感がなかったですね。毎日の生活というか、調教してレース乗ってっていう今までと変わらないことをしていたので、廃止って言われてもピンと来なくて。 何年も前からそういう話もあったし、どこかに移籍しようかなとは少し考えたんですけど。自分の中でちょっと冷めてたというか、どこの競馬場に行ってもまた廃止の話が出るんじゃないかっていうのが頭にあって、結局移籍に関しては真剣には考えなかったです。
赤見:荒尾廃止後は、北海道の牧場で働いたんですよね?
田中:そうです。今まで騎手の仕事しかしたことがなかったので、初めての経験ばかりでした。牧場の仕事をやらせてもらって、騎手をしている時に忘れていた、騎手としての喜びを想い出したというか......。やっぱり、レースで馬と一緒にゴールに入れるのは騎手だけじゃないですか。そういう楽しかった想い出ばっかりよみがえってきて、改めて騎手になりたいって思ったんです。
赤見:そこからどう行動を起こしたんですか?
田中:今所属している頼本盛行先生や、真島元徳先生に相談しました。佐賀で厩務員をしながら騎手を目指そうと、真島厩舎でお世話になることになったんです。と言っても、厩務員さんの仕事というよりは、調教に乗ることが仕事だったので、レースに乗らないだけで、仕事内容は騎手時代とあまり変わらなかったです。
赤見:改めて、騎手免許試験を受けた時はどうでした?
田中:騎手を辞めてそんなに時間が経っていたわけではないので、試験の内容自体はそんなに苦労はなかったです。ただ、周りの方々にすごく良くしていただいて、すごくお世話になっていたので、絶対に失敗できないと思いました。こんなに環境を整えてもらったのに、落ちるわけにはいかないですから。とにかく、早く乗りたくて乗りたくて仕方なかったですね。
赤見:見事合格したわけですが、再デビューは福山競馬場でしたよね?
田中:そうなんです。地区によって騎手免許試験の日程が違っていて、佐賀より福山の方が試験日が早かったんですよ。それで、福山の方から、ジョッキーも少ないし期間限定でいいから来てみないかと言っていただいて。3か月限定で、騎乗させてもらうことになりました。
赤見:実際に再デビューした時はどんな気持ちでした?
田中:約10か月ぶりだったんですけど、やっぱり嬉しかったですね。ただ、もともと乗っていた荒尾だったらまだしも、初めて乗る競馬場だし、人間関係も大切ですから、不安もありました。新人と同じと言っても、10年も乗ってるわけだし、許されるふり幅は少ないという気持ちでした。でも本当に温かく迎えてくれて......。すごく感謝しています。
赤見:田中騎手が福山で騎乗している間に、福山の廃止が決定してしまいましたね......。
田中:僕も1年前に同じ経験をしましたから、気持ちはすごくわかりました。荒尾の時と同じように、やっぱり毎日の調教やレースがあるので、みんなあまり実感がない様子でした。廃止は経験してみないとわからないし、実際に終わってからじゃないと実感は沸かないと思います。 でも僕の存在を見て、『騎手を辞めようかなとも思うけど、お前みたいに乗りたくなるかもしれないから、移籍しようかな』と言ってくれた人たちがいて、すごく嬉しかったです。福山に行って良かったなと思いました。騎手を辞めるのは簡単だけど、戻るのは大変ですから。
赤見:現在は佐賀所属となりましたが、どんな心境ですか?
田中:まだ2か月なんで、ボチボチという感じです(笑)。いろいろ難しい部分もありますけど、荒尾からも近くてたまに乗りに来ていたし、荒尾時代の仲間もいるし、佐賀でもすごく温かく迎えてもらいました。弟(直人騎手)がすごい勝ってるんでね、兄の威厳を保つためにも負けてられないです! 一度騎手を引退して、遠回りしたんですけど......。いろんな人に迷惑かけたりお世話になったりして、いろんなものを見せてもらって。今まで見えなかったものが見えるようになりました。周りの方々には、本当に感謝しています。僕にとっては、必要な時間だったのかもしれません。騎手を辞めたことは無駄じゃなかったと思ってます。今、すごく楽しいですから。
赤見:では、今後の目標を教えて下さい。
田中:今は1日でも長く騎手を続けたいですね。もう簡単には辞めないです(笑)。一生懸命頑張って、上の方の人たちを蹴落とすくらいの存在になって、競馬の楽しさを伝えていきたいです。佐賀だけじゃなくて、いろいろな競馬場で乗りたいとも思っています。それで、1人でも多くの人にレースを楽しんでもらえたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:佐賀県競馬組合)
11月24日・25日に東京競馬場でワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)が行われました。地方競馬代表は、佐賀の3000勝ジョッキー、山口勲騎手。大接戦となったスーパージョッキーズトライアル(SJT)を制し、WSJSの切符を手にしました。本戦初出場、そして東京競馬場も初騎乗という山口勲騎手に、このシリーズを振り返っていただきました。
秋田:11月22日(木)に、WSJSのウェルカムパーティーに出席されましたが、雰囲気はいかがでしたか?
山口:やっぱり、何でもすごいって感じでしたよ。パーティーで寂しい思いをしないようにって言われてたから、レースより先にこっちの方ばかり考えちゃって。でも、知り合いもいるし、寂しい思いはしませんでしたよ(笑)。
秋田:東京競馬場での騎乗は初めてですよね。誰かにアドバイスを聞いたりしましたか?
山口:聞きませんでした。第1戦が本当に最初のレースだけど、とにかく馬場に出てみないと分からないですからね。そこは、自分の感覚でしかないと思っていました。
秋田:佐賀からは、どのように送りだされましたか?
山口:SJTの時は接戦だったから、騎手中間がかなり応援してくれたんですよね。今回ももちろん、がんばれと言ってくれました。
秋田:第1戦(芝1600m)は15着でした。初めての東京競馬場の感想は?
山口:圧倒されましたねぇ。スタートから3コーナーが見えないし(笑)。直線はもちろん長かったです。コースが広い分、左回りは思ったより大丈夫でしたね。でも1回乗って安心しました。
秋田:道中は好位の外で手ごたえも良さそうでしたが。
山口:はい、良い感じでしたね。陣営からは、キレる馬ではないと聞いていたので、あの位置になりました。でも4コーナー手前から手ごたえがあやしくなってしまいましたね。
秋田:第2戦(芝1400m)は、本当に見事な勝利でした! 馬に跨った雰囲気は?
山口:調子がいいって聞いていたので、感触は良かったです。でも、ゲートが良くなかったんですよ。中でガタガタ、蹴ったりして。あぁ、スタートが......って思っていたら、意外と上手く出てくれました。
秋田:3、4コーナー回って、直線に向いた時の感触はどうでしたか?
山口:東京競馬場は初めてだし、手ごたえのわりに、ちょっと先頭に立つのが早かったかもしれませんね。直線はとにかく一生懸命追いましたよ。ゴール板のところでやっと、勝ったと思いました。
秋田:東京競馬場での騎乗2戦目にして、初勝利!! そして、JRA初勝利がこんな大舞台というのはすごいですね!!
山口:そうですね! みんなが注目しているレースで勝てて、とにかく嬉しいです。1レース目は少し緊張しましたが、2レース目は楽に乗れたというのが良かったのかもしれません。中央のファンのみなさんは自分のことをあまり知らないと思うから、少しでも顔を覚えてもらえたかなと。ウィナーズサークルは、やっぱりいいもんでしたよ。
秋田:第3戦(ダート1600m)は、区分Aの騎乗馬でした。結果が7着というのは、悔しかったのでは?
山口:内田博幸騎手から、もまれない方がいい馬だと聞いていたんです。でも、スタートで、ちょうど頭を上げた時にゲートが切られてしまって出遅れ。その上、出てからすぐ外から寄られてしまったから、外に出すこともできずに、馬群の中になってしまいました。結局、道中は動くに動けなくて。手ごたえもあったし4コーナーで少しでも空けば伸びる手ごたえはあったんですけど、まったく前が開きませんでした。馬にもかわいそうなレースをしてしまって、満足のいくレースじゃありませんでしたね。
秋田:外国人騎手とのレースは、馬群が固まっている感じですか?
山口:そうですね、詰まっていますよね。隙がないです。レースビデオを見ると、1戦目にしても自分は間が開いているなと感じました。でも、さすがにみんな綺麗に乗りますね。
秋田:最終戦の第4戦(芝2000m)は、14着。厳しいレースになってしまいましたね。
山口:道中、ついて行くのもいっぱいでしたから。なんとか内から伸びてくれないかと思ったんですが。
秋田:4レースに騎乗しましたが、全体的なレースの流れは違うものですか?
山口:芝自体あまり分からないし、流れは掴めない部分はありました。でもどの騎手も綺麗にのりますから、安心してレースはできました。それに、みんな意外と声をあげるんですよ。勝負どころもそうですし、スタートの時も。あんな風に声を出すとは思いませんでした。僕は声をあげるところまで行けなかったですけどね(笑)。
秋田:WSJSの最終結果は6位。終わってみての気持ちは?
山口:3戦目がうまくいかなかったので悔いは残りますけど、勝つこともできたし、自分の中ではとても良い経験になりました。この世界の15人の中で1勝できたんですもんね。でも、まだまだ勉強しなきゃいけないなと思いました。また来たいです!
秋田:この2日間、山口騎手への声援も大きかったですよね。そんなファンのみなさんへメッセージをお願いします。
山口:横断幕も出ていたし、応援の声も多くてとても有り難く、嬉しかったです。これからもこういう機会があればがんばりたいと思いますので、応援よろしくおねがいします!
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※インタビュー / 秋田奈津子 (写真:斎藤修)
荒尾競馬の廃止により、今年から佐賀に移籍した岩永千明騎手。今年すでに13勝(8月27日現在)を挙げ、新天地にも馴染んだ様子です。そんな岩永騎手に、現在の心境を聞きしました。
赤見:8月15日に行われたサマーチャンピオンでは、アドマイヤダンクとのコンビでダートグレード初騎乗を果たしましたね!
岩永:乗ったことがない馬だったし、すごく緊張しました。周りは中央・地方の一流ジョッキーたちばかりで。パドックではキョロキョロしちゃったし、『ラブミーチャンはこの馬か』とつい目で追ってしまいました(笑)。
ダートグレードは特別なレースですから、すごくいい経験でしたね。乗せて下さった馬主さんや、厩舎関係者の方に感謝しています。騎乗している時には、こんなチャンスはもうないだろうって思ってたんですけど、実際に経験してみるとまた乗りたくなりました。いつかまたチャンスをもらえるように頑張りたいです。
赤見:佐賀の環境にも慣れましたか?
岩永:はい、だいぶ慣れました。入る前はすごく不安だったんですけど、実際移籍してみたらとてもいい雰囲気で迎えていただきました。ただ、勝ち負けにこだわる姿勢は荒尾よりも厳しいです。負けん気が強い方ばかりですね。
赤見:佐賀といえば山口勲騎手と鮫島克也騎手という2大スターがいますが、印象はどうですか?
岩永:やっぱり、迫力がありますね。荒尾時代にも一緒のレースに乗ってましたが、佐賀には佐賀の雰囲気があるので。当たり前ですけど、勝負になると厳しいです。でも、私が勝った時には『良かったな』と声を掛けてくれたりして、普段はお2人ともとても優しいです。
赤見:そんな環境の中、荒尾時代と変わったことは?
岩永:レース自体が全然違うので、最初は戸惑いました。先行争いがとにかく激しくて、1コーナーギリギリまで誰がハナに行くかわかりません。少しでも躊躇したら負けなので、そのあたりの乗り方は変わってきていると思います。
最初は荒尾から移籍した馬に騎乗することが多かったんですけど、最近は佐賀の馬にも乗せてもらえるようになったので、馬たちにレースの仕方を教えてもらってます。
あと、ステッキの打ち方も変わってきているかな。より勝利への気持ちが強くなったことで、自然と変わったんだと思うんです。1つ勝つことの厳しさ、大きさを痛感してますね。
赤見:昨年、残念ながら荒尾競馬が廃止されてしまいましたが、その後の移籍の経緯というのは?
岩永:廃止が決まった時、すぐに移籍は考えなかったです。荒尾が無くなったら騎手を辞めようと思っていたし、続けるかどうか迷いました。色々な方のお話を聞いているうちに、もう一度頑張ろう!って思えたんです。周りの方が後押ししてくれました。
特に、所属だった幣旗吉治先生の言葉は大きかったです。『お前なら大丈夫』って応援してくれて。今でも不安になると先生に電話するんですけど、声を聞くとすごく安心しますね。お父さんみたいな、特別な存在です。
赤見:幣旗吉治先生は引退され、弟である幣旗吉昭先生の所属として佐賀へ移籍したわけですが、さらに小山紗知伽騎手という妹弟子も出来ましたね。
岩永:吉昭先生には荒尾時代から乗せてもらっているので、スンナリ入って行けました。先生と一緒だったから、移籍も心強かったです。他の競馬場からもお誘いをいただいたんですけど、他の騎手は誰も九州に残らなかったので、自分が荒尾の名前を残したいという気持ちもありました。
私は佐賀県出身なので、地元に帰るっていうのも大きなポイントでしたね。昔乗馬クラブに通っている頃、西原玲奈さんを応援したくて佐賀競馬場と小倉競馬場に行ったんです。それがキッカケで騎手になろうと思ったわけですから、佐賀競馬場は私の原点なんです。
紗知伽ちゃんは候補生だった頃から知っているし、頑張って欲しいです。自分が通って来た道なので、今彼女がどういう状況なのかわかるんですよ。色々話したり、相談し合ったりしています。でも、負けたくはないですね。勝負の世界は甘くないですから。
JRAの元騎手・西原玲奈さんと
赤見:具体的にはどんなアドバイスをしてるんですか?
岩永:やっぱり乗らないと上手にならないので、少しでも乗り鞍を増やすように営業することは大事だって言ってます。自厩舎の吉昭先生はそういう部分を理解してくれていて、『他の厩舎もどんどん手伝いに行って来い』って言ってくれるので。たとえレースに乗れなくても、調教を手伝うことでチャンスも増えると思うんです。
あと、ゲートだけはしっかりしないと、という話もしています。特に佐賀は先行争いが激しいし、出遅れたら致命傷になりますから。
赤見:今年からレディースジョッキーズシリーズが休止になってしまい、とても残念です。
岩永:本当に、淋しいとしか言えないですね。他の女性騎手たちと会えることが励みになっていたし、みんなで競っていい刺激でした。レディース競走がなくなると、他の女性騎手の状況が一気にわからなくなって、すごく淋しいです。
シリーズじゃなくてもいいので、ぜひ復活して欲しいですね。今年は紗知伽ちゃんもデビューしたし、来年デビュー予定の候補生もいるそうですから。人数が足りないなら、韓国の騎手を招待したりして、新しいレディース競走を提案したいですね。
赤見:岩永騎手の今後の目標は?
岩永:荒尾の時から、毎年年間20勝を目標にしています。移籍した頃はなかなか勝てなくて、今年は20勝は無理かな...と思ったんですけど、最近たくさん乗せてもらえるようになって、勝ち鞍も増えました。今年も20勝出来るように頑張ります!
赤見:では、佐賀競馬のPRをお願いします。
岩永:レースは先行争いが激しくて、迫力があると思います。それに、20代前半の若手騎手がすごく多いのでフレッシュな感じです。私なんてオバサンですよ(笑)。
馬券的には他にはない7重勝があるし、いろいろな楽しみ方が出来るんじゃないかな。生でレースを見て欲しいので、ぜひ佐賀競馬場に遊びに来てください!!
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※インタビュー / 赤見千尋
昨年41勝を挙げて、『NARグランプリ・新人騎手賞』を受賞した、佐賀の清水裕一騎手。ここまで順調な騎手生活を送っている清水騎手に、デビュー3年目を迎えた今の心境をお聞きしました。
赤見:東京都出身の清水騎手が、佐賀所属になった経緯は何だったんですか?
清水:地方競馬教養センターに入って1年くらいしてから決めたんですけど、最初は関東のどこかの競馬場がいいかなと思っていたんです。でも知り合いもいなかったし、特に募集している厩舎がないということで、佐賀はどうかなと。
それに、たくさん騎乗するチャンスがあるんじゃないかと思って決めました。
赤見:実際の佐賀競馬場は、層が厚くてなかなか若手が育ちにくいという印象がありますが?
清水:そうなんですよ!僕、誤解してました(笑)。
本当にベテラン勢が頑張っていて、その牙城を崩すのは大変で...
特に尊敬しているのは山口勲騎手なんですけど、本当にすごいですよ。レースはもちろんだし、調教も人一倍やってるんですよ。人間としても尊敬している先輩です。技術的には、馬乗りは力じゃないってことを教えてもらいました。
赤見:たくさんのベテラン勢がひしめく中、昨年はNARグランプリ・新人騎手賞を受賞しましたね。
清水:いや~本当に運が良かったんですよ。同期があんまり勝ってなかったし。
デビューした頃は狙ってたんですけど、なかなか勝てなかった時期もありましたから。実際新人賞獲った時は、「やばっ!」て思いました(笑)
赤見:年間41勝を挙げて、リーディング10位という数字はすごいですよ。
清水:ありがとうございます。
僕は初勝利を挙げるまで4か月もかかってて、やっと勝つことが出来たんですけど、その勝利で一気に流れが変わった気がするんです。
デビュー戦は5着だったんですけど、特に緊張することもなく乗れました。ただ、それから本当に勝てなくて...。同期はどんどん勝っていくし、かなり焦りましたよ。
赤見:初勝利までの4か月はどんな想いでした?
清水:もうダメだと思いました(苦笑)。
人気になる馬には1,2回乗せてもらったんですけどそれもダメで、もう本当に勝てる気がしなかったです。
でもせっかく騎手になったんだし、ここで辞めるのはもったいないから、1勝するまでは頑張ろうと思って。
赤見:では、初勝利は格別だったんじゃないですか?
清水:本当にめちゃくちゃ嬉しかったですよ。
人気薄の馬だったんですけど、僕自身期待はしていました。最後グングン伸びたんで、「うわ~差してるよ」って思いながら追ってて。最後は鮫島さんと接戦になったんですけど、けっこう厳しいコース取りで来たんで、「もう~勝たせてくれよ~」って念じながら追ってましたね(笑)。
赤見:鮫島騎手との接戦を制しての初勝利。大きな自信になったんじゃないですか?
清水:本当にあそこから変わりましたね。あの時負けてたら、僕は終わってたと思いますよ。いや本当に。あの頃は厩舎の馬も少なかったし、チャンスのある馬にもまだ巡り会ってなかったんで。
あの1勝で流れが変わって、乗れば勝てるっていう時期に入りました。
赤見:乗れば勝てる?!
清水:まぁそれは言い過ぎですけど、そのくらいの気持ちで乗ってました。
今はまた暗黒期です(苦笑)。 もう一回あの波に乗れるように、試行錯誤中なんですよ。 佐賀はとにかく先行有利なんで、前行けるように意識して乗ってます。
赤見:では、プライベートなこともお聞きしたいんですけど、センターにいた頃は、グラビア大好きって言ってましたよね?
清水:いや(照)、それは多分隔離されて自由がなかったからですよ!今は全く興味ないですもん。
確かに、前はとにかくグラビアグラビアって言ってましたね(笑)。
赤見:最近興味あることはなんですか?
清水:そうですねぇ、特に趣味ってわけじゃないですけど、よくカラオケに行ってます。
ロードオブメジャーとか、盛り上がる系をノリノリで歌うのが好きで、たまにしっとりバラードも歌います。
赤見:どなたと行くんですか?
清水:佐賀の若手ジョッキーたちですね。川島拓くんや、田中直人さんとか。
赤見:みんな仲いいんですね。それでは、佐賀競馬のPRをお願いします!
清水:荒尾の廃止が決まって、動揺もあるけど、佐賀も他人事じゃないんで、僕に出来ることを精一杯頑張りたいです。
もしかしたら、荒尾の関係者も何人か佐賀に来るかもしれないし、新しい流れになると思うので、その中で自分らしさを忘れず進んでいきます。
佐賀は超先行有利で、先行争いが激しいのが見どころのひとつ。ぜひ競馬場へ遊びに来て、生でレースを見て下さい!よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
リーディング獲得経験はないが、数々の重賞を制して存在感をみせているのが真島正徳騎手。佐賀競馬に携わる一家に生まれ、騎手の道を自然に選んだ真島騎手の魅力は、類まれなる勝負強さだ。
真島騎手は2011年1月30日に小倉競馬場で行われたくすのき賞で、佐賀所属のウルトラカイザーを勝利に導いた。
ウルトラカイザーに最初にまたがったときは、すごい馬という感触はなかったですね。それが「これはスゴイ」に変わったのは3戦目の1750m戦。そこで、地元では抜けた存在であることを確信しました。
最初に中央に遠征したとき( 小倉芝1200m)は大敗しましたが、あのときはイレ込みが激しくてどうにもならない状態。2回目の遠征は適性的に合っているダート1700mでしたが、レース前は今回もどうかなあと思っていたんですよ。それがあのときのウルトラカイザーは、パドックですごく落ち着いていて、返し馬での気合の入り方もよくて、レースでもスンナリ逃げられました。それでもまだ半信半疑でしたね。中央のレースは向正面からペースが上がるものなので。でもそのときは3コーナーでも地元と同じようにタメ気味に逃げられたんです。だから4コーナーの出口では馬に叫びましたよ。『根性を見せてみろ!』って。最後の直線でも手応え十分で、残り100mで勝ったと思ったので、あとは降着にならないように気をつけながらゴールに入りました。
そのくすのき賞は、単勝の配当が1,480円、複勝の配当が1,180 円という極端な数字を記録した。
それ、すごいですね。皆さんの応援の証明かな。馬主さんは、ウルトラカイザーが初めて持った馬なんですよ。小倉のあとは反動がきてしまって九州ダービーにも間に合わない感じですが、将来的には交流重賞で他地区に遠征という夢を託すことができる馬だと思っています。
真島騎手は2008 年のトゥインクルレディー賞(大井)で、スターオブジェンヌに騎乗して勝利。大舞台での強さが光る、単勝10 番人気での勝利だった。
馬主さんに騎乗を依頼されたんですが、ナイター競馬に乗れるし本命でもないし、気楽なものでしたね。それよりも52㎏で乗るのがきつくて好走する予感とか気にできる余裕はありませんでした。そのレースは甥っ子(真島大輔騎手)の馬(チヨノドラゴン)が人気だったんですが、4コーナーで逃げていたその馬に並びかけたら、僕のほうが圧倒的にいい手応えなんですよ。最後の直線では「勝っちゃっていいのかなあ」と思いましたね。本当に気持ちがよかったです。
そのほかにも数々の重賞レースを制している真島騎手。しかし、リーディング争いには食い込めない状況だ。
鮫島(克也)さんみたいになりたいと昔から思ってはいるんですけれど、でも追い抜きたいとは思わないんですよね。欲がないというか、そういうのは子供のころからの性格です。やっぱり一番に考えたいのは所属厩舎ですし、チームプレイというか、和のほうを重要視したいというのが本当のところです。それでも大きいレースを勝たせてもらっているのは、今のはやり言葉で言うと『持っている』のかな?(笑)
「欲がない」というのは、勝負を生業にしている人にしては珍しい。それでも勝利を重ねていくために、真島騎手は心がけていることがあるという。
佐賀競馬場は基本的に先行有利。そのせいか、スタートして隊列が決まったらスローペースになる傾向があるんです。僕はそれが嫌いでして。お客さんも行った行ったのレースばかりじゃ面白くないでしょう? だから、 そんな展開のときは積極的に動くようにしています。レース後、ほかの騎手に「何しとる?」と言われることもありますが、それでも自分は思い切ったレースをしていきたいんです。
その心がけが、ときに勝利を呼び込むこともある。メガチューズデーで勝利した2010年12月の中島記念は、まさにそんなレースだった。
あのときは雪とドロで前がほとんど見えなくて、それでもマンオブパーサーだけは見失わないようにしていました。それで流れに乗って早めに動いたら、うまいことマンオブパーサーを雪が積もっているインコースに閉じ込めることができたんです。まさか勝てるとは思っていませんでしたし、結果的に会心のレースになりましたね。
一般戦でも重賞でも観客に存在感を示している真島騎手。これからもマイペースで騎乗していくつもりだ。
正直なところ、騎手間の競争は厳しいですよ。自分自身、今のままでいいとは思っていませんが、だからといって自分が勝つために若手のお手馬を取るとか、そういうことはしたくありません。自分もそんな経験をいやというほどさせられましたから......。逆に言うと、そこが自分の弱いところ。それが3 番止まりの理由なんだと思います。
それでも重ねた勝利は1700 あまり。2000 勝という数字も見えてきた。
招待レースには参加してみたいですが、他地区で騎乗するなどの考えはないですね。自分で自分の騎乗フォームを見てもカッコいいとは思えないですし、素質があるという気もしないんですよね。それでもここまでこられたのは、馬の特徴をしっかり把握してレースに臨むという普段の心がけと、レース経験の積み重ねだと思います。あとは、大きなケガをしていないことかな。けっこう落馬とかしているんですが、みんなには『不死身』とよく言われます。唯一の大ケガといえば、上の前歯。馬が急に頭を上げて僕の顔面にぶつかって、それで6本も差し歯になってしまったんです。あれはショックだったなあ。
真島騎手は肋骨を折ったことがあるそうだが、「ゴルフスイングが原因」とのこと。「体はむしろ硬いほうだと思うんですけれど、面白いですね」。そんな話からも、真島騎手 には持って生まれた強運が備わっているという感じがする。それは勝負の世界ではすごく 重要なこと。それが味方についているならば、これからも大舞台で大仕事を成し遂げるシーンを私たちに見せてくれることだろう。
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真島正徳(佐賀)
ましままさのり
1970年1月5日生まれ やぎ座 O型
佐賀県出身 真島元徳厩舎
初騎乗/ 1987年10月18日
地方通算成績/ 11,899戦1,713勝
重賞勝ち鞍/中島記念3 回、栄城賞3 回、九州大
賞典3回、九州ジュニアチャンピオン2回、吉野ヶ
里記念、たんぽぽ賞、トゥインクルレディー賞、
サラブレッド・グランプリなど35勝
服色/胴紫・黄山形一本輪、そで紫・黄縦じま
※ 2011年5月16日現在
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※成績は2011 年5月16日現在 (オッズパーククラブ Vol.22 (2011年7月~9月)より転載)