4月12日、真島正徳騎手が地方通算2,500勝を達成しました。デビューから32年半、これまで数々のタイトルも獲得してきた真島騎手ですが、特に年末のグランプリ・中島記念は4連覇を含む9勝と強さが光ります。中でも2017年と18年は甥・真島大輔騎手(大井)とのワン・ツー決着。当時のエピソードや2,500勝を達成したいまの気持ちを伺いました。
2,500勝おめでとうございます。
ありがとうございます。もうすぐ2,500勝ということは気づいていましたけど、全然意識はしていませんでした。何勝とかは考えず、目の前のレースだけを精一杯にって感じですね。
区切りのレースは直線で鮫島克也騎手とのアツい叩き合いでした。
並ぶまでは手応えがあったんですけど、ちょっと交わした時に馬がソラを使って、「交わせないかな」と思いました。けど、地力で伸びてくれましたし、終わってみたら鮫島さんも同じように「ハミが外れていた」と話していました。
鮫島騎手との追い比べを制して地方通算2,500勝達成(写真:佐賀県競馬組合)
ソラを使うタイプの馬を乗りこなす真島騎手なりの工夫って何ですか?
何回か乗った感触で、ハミを外さない方がいい馬はなるべく掛けるようにしますし、逆にちょっと手綱を譲ってあげて楽に走らせたら伸びるような感じの馬もいます。1頭1頭違うので、その馬の癖を早く吸収するようにしています。
真島騎手は2015年から中島記念を4連覇、計9勝を挙げています。真島騎手にとって中島記念はどんなレースですか?
これも勝利数と同じで、そんなに気にしては乗っていないですけど、その年その年で調子のいい馬がタイミングよく回ってくるので、中島記念は楽しみです。乗り馬がいない年もありましたけど、乗り馬がいる時はいつもワクワクして乗っています。1年の最後で、メンバーもだいたい揃いますしね。
中でもウルトラカイザーは2011年に制覇し、門別へ転出したのち帰ってきて2018年に再び制覇。10歳での制覇とは、すごいですね。
あの時は自分でもシビれましたね。その前の年はキョウワカイザーに乗っていて、逆に自分がウルトラカイザーを交わしていたので、何とか勝ってあげたいという気持ちでした。で、この年は自分がウルトラ(カイザー)に乗って、また甥っ子を交わして(笑)。
中島記念(2018年)2度目の制覇ウルトラカイザー(写真:佐賀県競馬組合)
2017年は1着キョウワカイザー・真島正徳騎手、2着ウルトラカイザー・真島大輔騎手で、18年は1着ウルトラカイザー・真島正徳騎手、2着イッシンドウタイ・真島大輔騎手。2年ともクビ差の接戦でしたし、ある意味、甥の真島大輔騎手が宿敵でしたね。
甥っ子は「まーにぃ」と呼んで慕ってくれますが、こういう時は「甥っ子だから」という気持ちはないですからね。2018年のウルトラカイザーの時は横にいるのは分かっていて、「これを交わせば!」と、ウルトラを勝たせてやりたい一心でした。いい思い出です。
ウルトラカイザーは昨年11月24日に引退式を行いました。佐賀でデビューし、JRA小倉でも勝利。門別への移籍を経て再び佐賀と、長く活躍しましたね。
佐賀に再び帰ってきた時は、やっぱり年をとって調教でも結構大人しくなっていたので、やりたいように調整ができました。それに、若い頃みたいに攻めた調教をしなくても走ってくれたので、息の長い活躍ができたんじゃないかなと思います。引退する時は寂しい反面、年齢的にそろそろ楽にさせてあげたいって気持ちが大きかったですね。自己条件なら勝負できていたんですけど、怪我でもしたら可哀そうだからと思って、ずっと相談はしていました。
さて、佐賀競馬では4月から薄暮がスタートし、最終レースが19時過ぎになりました。生活リズムなどに変化はありましたか?
これまでも最終レースが18時過ぎで冬場は真っ暗でしたから、そんなに変わらないですね。1時間だけの違いですから、朝の調教も変わりません。ただ、今年は10月~12月にナイターをやるみたいなので、そうなったらだいぶ変わってくると思います。
最後に、オッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
みなさん、新型コロナウイルスの影響で苦しい生活をされていると思うんですけど、自分たちもそれに負けないように頑張って乗っていくので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
ウノピアットブリオとのコンビで中島記念を制した、佐賀の山口勲騎手。昨年の勝率は31.3%で、NARグランプリでは7年連続7回目の最優秀勝率騎手賞を受賞しました。
ウノピアットブリオでの中島記念制覇、おめでとうございます!8連勝で一気にグランプリ制覇とは、すごい勢いですね。
ありがとうございます。実は去年初めてB級を使った時(9月7日、仲秋特別)から「中島記念を目標に」という話をしていたんですが、まさか本当に勝ってしまうとは......。すごい馬ですね。
仲秋特別は5馬身差の圧勝でしたが、その時に相当な力を感じたということですか?
そうですね。佐賀に来た最初の頃は僕は乗っていないのでわからないんですけど、蹄が悪くて1年くらい休んでいたんです(2018年6月~2019年5月)。休養から帰って来てから乗せていただいたので以前とは比較はできないですけど、僕が乗せていただいた時点で相当な力はあると思いました。特に仲秋特別を圧勝した時には、「オープンでも勝ち負けできるな」と。
雲仙岳賞では、ハッピーハッピーとスーパージンガという佐賀が誇る牝馬二強と初対戦でしたが、ここもあっさり勝利しました。
あの時は3番人気でしたが自信がありましたね。格付けはB級だったのですが、中島記念を使う前にA級のペースを経験させておきたくて、格上挑戦になるけれどこのレースを使わせて欲しいと進言したんです。初めてのオープンのペースでも戸惑うところはなかったですし、改めて強い馬だなと感じました。
そして中島記念ではグレイトパールを破っての勝利。一気に佐賀を代表する馬になりましたね。
正直、普通に走ったらグレイトパールに勝てないのではないかと思いますが、向こうの動きがいまいちだったこともあったし、斤量も軽かったですし。それでもまさかあんなに楽に勝てるとは思わなかったですね。
中島記念を制したウノピアットブリオ(写真:佐賀県競馬組合)
どんな性格の馬なんですか?
ゲートが悪いので先に入れるのと、中では尾上げをしています。スタートがあまり上手じゃないんですけど、マイナス面はそこだけですね。どこからでも競馬ができるのは大きな強みです。
今後の予定は決まっていますか?
ウインターチャンピオンに行こうかという話もあったんですけど、さすがに中島記念の後に少し疲れが出て、今はゆっくりしています。佐賀記念を目標にするという話もあるので、どんな競馬をするか楽しみですね。
佐賀記念でもJRA勢と戦える手ごたえはありますか?
いきなりはペースも違うし荷が重いかなとは思いますけど、この馬は強い馬と戦ってもへこたれるタイプではなくて、根性があるのでもっともっと強くなるんじゃないかと。そういう意味でも先々楽しみにしています。
山口さんが今まで乗って来た中では、どのくらいの評価ですか?
けっこう強い馬に乗せてもらいましたから、まだこれからでしょう。ただ競馬に注文がつかないというのは大きいですし、距離も長いところもこなせそうですね。これからいろいろな選択肢があると思います。
蹄の状態は大丈夫なんでしょうか?
今は落ち着いています。裂蹄というのは乾燥する冬場の調整が難しいので、中島記念の時にどうかなと思いましたが、全然問題なかったです。普段は手島(勝利)調教師が攻め馬をしていて、「乗り切れなくなったら頼む」と言われていますが、今のところ順調にいっていると聞いています。
山口騎手は昨年も勝率31.3%と断トツの成績を残しました。普段から意識していることは何ですか?
一番は「邪魔をしない」ということです。去年は騎乗停止は一度もなくて、1日も休まず競馬に乗れました。とにかく1年休まず乗る、というのが目標です。勝率は普段の結果の積み重ねですから、そこはあまり意識はしていないですね。フェアプレイで勝ちたいというのが大きくて、その結果が勝率に繋がれば嬉しいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。ウノピアットブリオという楽しみな馬が出て来たので、注目していただけると嬉しいです。皆さんの馬券に貢献できるよう、今年も頑張ります。
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※インタビュー / 赤見千尋
2019年10月5日にデビューした佐賀の金山昇馬騎手。初日に初勝利を挙げ、10月20日までの開催6日間で4勝する好スタート。現在の心境を伺いました。
10月5日のデビューからすでに4勝。まだデビューから1か月も経っていませんが(2019年10月29日現在)、順調な滑り出しですね!
ありがとうございます。実際デビューしてみて、教養センターでの模擬レースとは全然違うなと痛感しています。佐賀は内を開けて乗るので、特に進路取りが難しいですね。多頭数の中でいい位置を取って行かないといけないので、そこがまず難しいです。
その中でいきなり結果を出しているというのがすごいです。デビュー初日から6レースに騎乗して、初勝利も挙げて。
本当に周りの方々のお陰で、自分の力ではないですから。たくさん騎乗させていただいて、いい馬にも乗せていただいて、とても感謝しています。初日は慣れない中で7レース騎乗だったので、かなりバタバタしてしまったし、体力的にもキツかったです。それでも最終レースで勝てて本当に嬉しかったですね。
10月5日佐賀第11レース、金山騎手はアンジーに騎乗して初勝利
4コーナーを回ったところでは、川島拓騎手も粘っていました。
そうなんですよ。並んで行った時は「絶対勝ちたい!」という強い気持ちで、とにかく夢中で追っていました。ゴールした時は泣きそうになってしまって。この日は両親が見に来ていたんですけど、親と一緒に泣いてしまいました(笑)。
ご両親の前で初勝利を見せることができたのですね!金山騎手は東京都出身ですけれども、なぜ佐賀所属になったんですか?
特に競馬関係の知り合いはいなかったですし、センターに入ってからいろいろ考えていて。佐賀は騎手が少ないし、若手にチャンスをたくさんいただける競馬場なんだと聞きました。2018年にデビューした出水(拓人)先輩が活躍していましたし、自分もそういう環境で頑張ってみたいなと思って希望したんです。
知り合いが誰もいない中でいきなり佐賀に行って、ホームシックにはならなかったですか?
それはなかったです。初めて行った時からすごくいい雰囲気だなと思いましたし、周りの方々も温かくて、すぐに馴染むことができました。デビューからたくさん乗せていただいていますし、すごくいい環境の中でやらせてもらってます。
勝負服のデザインはどうやって決めたんですか?
『It's A Green Dream さがけいば』を意識して緑を入れたいなと思っていて、デザインは所属の池田(忠好)先生のお父さんが騎手時代に着ていたものをいただきました。
池田先生も金山騎手の活躍を喜んでいるんじゃないですか?
喜んでくれているんですけど、僕の前ではあまりそういう表情は見せないんです。周りの方から、先生がけっこう喜んでたって聞いて、僕も嬉しかったですね。池田先生には本当にお世話になっているし、いろいろアドバイスもいただいています。期待してもらっていると思うので、真面目に頑張ります!
現状の課題は何ですか?
いろいろありますけど、コーナーで外を回り過ぎたり、追い込みでも途中でハミが抜けてしまったり、ステッキワークもまだまだで。自分のレースを何回も何回も見直しますけど、下手だなって思いますね(苦笑)。
憧れの騎手として名前を挙げていた鮫島克也騎手と、一緒に乗ってみていかがですか?
まだ自分のことでいっぱいいっぱいで、全然周りが見られなくて。せっかく一緒に乗っていても、鮫島さんの技術を見る余裕がないんです。これからしっかり勉強していきます。
今の目標は?
今年中に10勝したいです。その先は20勝、30勝と、積み上げていきたいですね。
まだあまりないと思いますが、お休みは何をするんですか?
ゴロゴロして、ずっとぐうたらしています(笑)。普段は攻め馬で疲れているので。今は朝1時10分に起きて1時半から調教に乗って、終わるのが9時半くらいです。毎朝18頭乗るので、他のことをする余裕がないですが、すごく楽しい毎日です。
昇馬(しょうま)というお名前を聞いて、ご両親が競馬好きなのかと思いましたが、そういうわけではないそうですね。
三代続けて午年生まれなので、名前に馬の字を入れたかったみたいです。のぼる馬と書いて昇馬なので、名前のごとく上って行けるように頑張ります。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
佐賀競馬所属の金山昇馬です。いつか佐賀を代表する騎手になれるよう頑張りますので、これからよろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
7月15日、佐賀競馬第2レースにて復帰後初勝利を挙げた岩永千明騎手。2016年3月の落馬事故から3年3カ月という休養を経てたどり着いた、現在の心境を伺いました。
まずは復帰後初勝利おめでとうございます!
ありがとうございます。勝ったことを実感したら、嬉しくて涙が滲んできました。この気持ちはやっぱり騎手じゃないと味わえないなと。復帰してから2着はあったんですけどなかなか勝てなくて、応援してくれている皆さんも期待していると思うし、自分でも早く勝ちたくて、気持ちが焦っている部分もありました。でも1つ勝ててホッとしたというか。気持ちがすごく楽になりました。乗せていただいた関係者の皆さん、頑張ってくれたノーブルクィーン、そして、いつも応援してくれる方々にとても感謝しています。
6月15日の復帰から1カ月での勝利でしたが、ご自身では長かったですか?
長かったですね。「いつになったら勝てるんだろう」っていう。気持ち的には、15年前のデビューの頃と同じでした。あの時もなかなか勝てなくて焦っていて。またこういう気持ちになる日が来るとは...。正直、「もう復帰出来ないかもしれない」と思っていた期間が長かったので、またレースに乗れて嬉しいですし、勝てて本当に嬉しいです。
復帰後初勝利(2019年7月15日佐賀第2レース)
2016年3月の落馬事故から、3年3カ月という長い休養期間がありました。怪我の詳細は発表されていませんが、相当大きな怪我だったようですね。
生きるか死ぬかという怪我だったし、家族にもすごく心配をかけてしまって。荒尾時代にも大きな怪我をしているし、普通なら辞めた方がいいところなんですけどね。でも、流れというか、お世話になっていた厩舎が人手が少なくて大変だから、寝藁作業だけ手伝いたいというのが競馬場に戻って来たきっかけで、馬の近くにいたらやっぱり乗りたくなってしまって、昨年から調教に乗っていたんです。
具体的に復帰を決意したきっかけというのは?
特に大きかったのは去年のレディスヴィクトリーラウンド(2018年10月7日)です。それまでにも女性騎手のみんなに会っていたけれど、その時は調教もしていて復帰したい気持ちが強くなって来ていたので。みんなが頑張っている姿を見て刺激を受けたし、優しい言葉もかけてもらって、すごく背中を押してもらいました。それと、長く休んでいたので、規定上、次の騎手免許更新がこのままでは難しいという状況もありました。
ここまで大変な道のりを歩んで来ましたね。
そうですね。今振り返ると、復帰するかどうするか悩んでいた時間がキツかったです。3年も休んでいたし、騎手というのはプロですから、関係者の方々やファンの方々の期待に応えなければいけない仕事。こんなわたしではダメだって思っていて。周りの方から「いつ復帰するんだ?」って聞かれても、きちんと答えられなかったですし。でも結局馬が好きで、騎手という仕事が好きなんですよね。自分でも、どうして苦労する方の道に行ってしまうんだろうって思いますけど、変わり者なんですよ(笑)。
本当に意志が強いですね。心から尊敬します。
いえいえ、全然強くないですよ。「すごいすごい」って言っていただくんですけど、全然すごくなくて。よっぽど騎手という仕事が天職だと思っていたんでしょうね。いい思いをさせてもらって、そのことが忘れられなかったんだと思います。
実際に復帰したレースはいかがでしたか?
ものすごく緊張しました。荒尾時代も大きな怪我をして長く休んだ経験があるので、復帰戦がどれだけ大変かということもわかっていましたし、不安の方が大きかったです。でもパドックでファンの方から「お帰り」と言っていただいて、本当に嬉しかったです。「ああ、帰ってこれたんだな」って。レース自体は筋力が落ちていることを実感しましたし、乗っているだけで必死の状態だったので、これからもっと努力していかなくてはと。それでも、実際に乗れたのは大きかったです。
2019年6月15日、復帰初戦のパドック
お父様も見に来ていたそうですね。
そうみたいですけど、わたしには見えないようにしているみたいで。他の方から「お父さん来てたよ」って聞きました。両親にはものすごく心配をかけてしまって、また復帰したので今も心配をかけていますが、応援してくれてとても感謝しています。初勝利をした時も母が喜んでくれて。なかなか実家に帰れていないのですが、これから親孝行したいです。
復帰から少し時間が経ちました。現在はどんな心境ですか?
レースに乗るたびに勝つことは難しいと痛感しています。でもそうやって戦っていられることが嬉しくて、1日1頭でもレースに乗れることが楽しいです。でも騎手は結果を出さないといけませんから、もっと上手くなってしっかり結果が出せる騎手になりたいです。
今後の目標というのは?
ここまでは復帰することを目標に来たので、具体的なことは今は言えないですけど、後悔の残らない騎手人生にしたいという気持ちが強いです。復帰したのも、怪我が理由で辞めたくなくて。いつになるかはわかりませんけど、騎手を辞める時は自分が納得して、自分の気持ちで辞めたいと思っています。それまでは精いっぱい頑張ります。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただきありがとうございます。これからも一生懸命頑張りますので、佐賀競馬をよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
今年4月で40歳になった倉富隆一郎騎手。デビュー22年目の今年も55勝(6月28日現在)を挙げ、佐賀で安定した成績を続けています。
今年はすでに55勝を挙げ、昨年の年間勝利数(65勝)更新が見えて来ました。好調の要因は何でしょうか?
たくさん乗せていただいて、たくさんチャンスをいただいて、周りの方々にはとても感謝しています。ただ、ここ何年か怪我が続いてしまって、1年を通して騎乗することが出来なかったので。今年好調なのは、怪我をしていないということが大きいですね。
以前インタビューした時も、脚の甲を骨折したというお話がありましたが、その後も続いたんですね。
最初が脚の甲で、5か月くらい休んで、それから骨盤骨折やって、顔面骨折やって...。ここ3、4年はまともに1年乗ったイメージがないですね。こればっかりは仕方ないですけど。さすがに落ち込んだこともあるけれど、結局は『また頑張ろう』って。休んでいる間は恐怖心があるけど、馬に乗ってしまえば大丈夫なんですよ。
騎手を辞めたいとは思わなかったですか?
それはないですね。だって僕にはこれしかないもん(笑)。馬に乗るのが好きということも大きいし、馬関係の職業の中でも騎手という仕事が好きなんです。これだけ長年やっていると、いろいろな人が別の道に行くのを見て来たんですけど。こないだたまたまそういう話になって、そういえば何人辞めただろうって。僕が入ってから、佐賀だけで40人くらいは辞めていると思うんです。同期はもちろん、上下の期でデビューした人たちがごっそり辞めてしまって。
倉富騎手と同年代は佐賀にはいませんね。
そうなんですよ。僕は1998年デビューなんですけど、上で一番近いのが1987年デビュー組の山口勲さんと真島正徳さん。下は2002年デビューの小松丈二なので、僕の周りだけ15年くらいぽっかり開いてるんですよ。
今よりもデビューする人数が多かった時代でしたし、その中で売り上げが低迷したりと辞めてしまう要素も多かったですよね。
今でもそういう人たちと話をするんですけど、JRAの職員になって、誘導馬やゲート係をしていたり、騎手辞めてから高校へ行って、専門学校へ行って、美容室を開いたり、医学療法士さんやっていたり。料理の道に行って、料理長までたどり着いて、今年博多に店出した人もいるんですよ。今日これから初めてお店に行くので、すごく楽しみで。みんなそれぞれの道で本当に頑張っているのですごいなと思いますね。ただ、職業として羨ましいと思ったことはなくて、自分にはつくづく騎手の道しかないなと。辞めていった人たちも、結果的に自分に合った職業についているから、『自分は今ここにいるから、これが天職なんだ』と思ってやってます。
長年活躍し続ける秘訣は何ですか?
なんですかね。あんまり考えてないけど(笑)。苦しい時期もあったけれど、長年騎手をやってこれたというのは、自分でも自信になっていると思います。だから、今までの積み重ねなのかな。「これが」というのはないけれど、1頭1頭を大事に乗って来たからだと思いますし、そこはこれからも大事にしていきたいですね。
佐賀は現在深刻な騎手不足と伺っていますがいかがですか?
もうそこは本当に大変ですね。今は夜中の12時50分に目覚まし掛けていて、1時20分には馬に跨っていますから。長い時は朝8時くらいまで乗り続けています。頭数?なるべく数えないようにしてるんですけど(笑)、多分20頭以上ですね。
夜中の12時50分とは...。相当ハードですね。
今年40歳になりましたし、キツい面もありますね。でも馬に乗るのは楽しいし、やっぱりレースは楽しいですよ。今は若手の方が多いから、それでも倉富と声を掛けてくれる人がいるというのは嬉しいですし、結果を出して恩返ししたいと思っています。
現在の目標は何ですか?
怪我なく1年乗りたいですね。そこが一番大きいです。でも、そんな甘っちょろいことを言っているだけではダメだし、お客さんにも失礼だから、安全第一は基本で、少しでも上手くなって、もっともっといいパフォーマンスを見せたいです。常に上を目指していかないと。そういう気持ちがないと楽しくないし、向上心は持ち続けたいです。あとは佐賀の騎手が増えて欲しいです!これはけっこう切実で。
昨年期間限定騎乗をしていた岡村健司騎手(船橋)は、佐賀にいる間に大活躍して重賞制覇。地元に戻ってからも活躍を続けていますよね。
岡村くんは頑張っていましたよ。もともとセンスもあったと思うけれど、たくさんレースに乗せてもらってぐんぐん成長しました。そういう風に若手の成長が見られるというのは、僕としても嬉しいです。
ライバルが増えるわけですが?
もちろんそうですけど、ライバルはどんどん増えて欲しいです。その中で切磋琢磨していきたいし、その方がお客さんも面白いでしょう。佐賀は長年上位があまり変わらなくて、自分としては安泰なのはいいことですけど、上の人間がずっと定位置というのは面白くないと思いますから。僕が世代交代という言葉を使うのは違うけど、そういう元気のいい若手が出て来て欲しいですね。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
長年乗せてもらってありがたいですし、応援してもらってありがたいです。まだまだ乗りたい気持ちが強いですし、騎手として行けるところまでとことん頑張ります。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)