デビューから10年の月日が流れ、現在女性騎手最年長のベテランとなった、佐賀の岩永千明騎手。今年は、日本の女性騎手として初めてイギリス(5月31日、ニューベリー競馬場)で騎乗するなど、現在進行形で進化を続けています。そんな岩永騎手に、イギリスでのこと、これからのことをお聞きしました。
まずはイギリス遠征ですけれども、レディースワールドチャンピオンシップ第8戦に招待された時は、どんなお気持ちでしたか?
本当に急だったので、びっくりしました。その前の第7戦に(別府)真衣ちゃんが招待されて、ドイツで騎乗すると聞いて、「すごいなぁ~」と思っていたんです。まさか自分に声が掛かると思わなかったので、本当にびっくりしましたね。知らせが来たのが2週間くらい前だったんですけど、実はパスポートの期限がギリギリで......。あと1か月後だったら、行けなかったんですよ! 前にパスポートを取得したのが、2009年の韓国(KRA国際女性騎手招待競走3着)遠征の時で、その時はパスポートの申請期限を10年にしようか5年にしようか迷ったんですけど、おそらく結婚して苗字が変わるんじゃないかと想像して、5年にしたんです(笑)。パスポートのせいで、危うく行けないところでした。
危ないところでしたね! 実際に行ってみてどうでしたか?
通訳さんと2人で行ったんですけど、本当に急きょだったので、競馬に詳しい方ではなくて、観光系の通訳さんだったんです。一生懸命やってくれたんですけど、競馬は専門用語も多いし、初めての環境で、もう何が何だかわからなかったですね。レースの何日か前から来て下さいと言われていて、「何でそんなに早く行くんだろう?」と思っていたら、なんか発表会?みたいなのと、表彰式?みたいなのと、パーティーがありました。もうホント、何が何だかわからなかったですけど(笑)、楽しかったです。
競馬はどうでしたか?
ニューベリー競馬場は、なんていうか、何もない山というか、草原という感じでした。直線だけのレースだったんですけど、かなり起伏が激しくて、日本のような平地ではなかったですね。レースの前に他の女性騎手たちと馬場を歩いたんですけど、1レースだったので他のレースも見れなかったし、VTRも見れなかったしで、よくわからないうちに終わってしまいました。いい結果が出せなくて悔しいですけど、実際に体験出来たことは、すごくいい経験になりましたね。
芝に乗ったのは初めてですよね?
そうなんです! それをすごく楽しみにしていました。もうすごく気持ち良かったですね! 草原を走ってるみたいで。ただ、なんか硬い芝で、昔を思い出しました。騎手になる前に乗馬をやってたんですけど、その頃はあんまり砂の入ってない馬場で乗っていたので、「あ、硬いな」という感覚が似てましたね。
他の女性騎手たちとは話しましたか?
周りの女性騎手たちは、完全に遠征慣れしてました。堂々としているし、英語もペラペラなので、特に不自由はなさそうでしたね。私は何がどこにあるかとかがわからずに、かなり戸惑いました。レースは、騎乗馬がゲートが悪いということは聞いていたんですけど、ゲート裏に行ったら発走委員から「馬から下りろ」みたいに言われて。通訳さんもいないし、言葉もよくわからないし、日本のルールではゲート裏で馬から下りるってけっこう大きいことじゃないですか! だから、そのまま乗ってたら、相当キレられました(苦笑)。結局、"馬から下りて馬だけ先にゲートに入ってから、騎手が乗る"ということだったらしいんですけどね。あと、私が乗った馬はいい馬だったみたいで、負担重量がかなり重かったんです。64キロくらいかな? だから、鞍に鉛を入れて調整したんですけど、20キロ近く入れることになって......。レースが終わって鞍を下す時、持ち切れないほどでした(笑)。
なかなか大変な遠征だったようですが、それも実になったというか、今年はかなり好調ですね。
そうですね。佐賀に来て3年目になりますけど、いいリズムになって来ています。たくさん乗せてもらってますし、いい馬にも乗せてもらって、勝たせてもらって。荒尾がなくなった時には、騎手を辞めようかなと思ったこともありましたけど、こうやって佐賀で迎えてもらって、イギリスでも騎乗できて。本当に有難いし、感謝の気持ちでいっぱいです。
では、今後のお仕事面とプライベート面の目標を教えて下さい。
今は282勝(8月28日現在)なので、節目の300勝が目標です。ケガなく、1頭1頭一生懸命に乗っていれば、超えられる数字なので。いつもファンの方には応援していただいているので、期待に応えられるよう頑張ります! プライベートは......いい人がいれば、そろそろ結婚したいです(笑)。好きなタイプはゴミのポイ捨てをしない人! 常識のある人が好きですね。外見ですか? そこはあんまり気にしないです。
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:佐賀県競馬組合)
佐賀のトップジョッキー山口勲騎手。2006年に初めて佐賀リーディングを獲得すると、その後は毎年のように全国リーディングの上位に名を連ねています。2012年には地方通算3000勝を達成。2013年は、前年惜しくも逃したNARグランプリ最優秀勝率騎手賞を受賞するなど、年々その存在感は大きくなっています。
少し前の話になりますが、NARグランプリ2013最優秀勝率騎手賞おめででとうございます! 受賞された率直な感想は?
前の年がちょっとの差で負けてしまい2位だったので、今回の受賞は余計に嬉しかったですね。特別賞や殊勲賞の時とは気持ち的にも違いますね。
2012年は、最後まで高知の赤岡騎手と勝率を競い合っていましたからね。
いやーほんと、最後まで分からなかったですもん。
聞いたお話ですと、お互いがかなり意識し合っていて、周りもどうにかして獲らせてあげようという状況だったと。実際はどうだったんですか?
自分は意外とそこまで思っていなかったんですけど、うちの調教師は意識していたみたいですよ。他の調教師はあまり知らなかったんじゃないかな。
結果は、山口騎手が勝率30.2%、赤岡騎手が30.8%と、本当にわずかな差でした。
ラスト1日まで分からなかったので悔しかったですね。最後に赤岡騎手が、他の騎手からの騎乗変更で勝つ馬が回ってきたという話を本人から直接聞いたから余計に(笑)
2010年は殊勲騎手賞を受賞されています。ただ、この年は294勝をあげ、地方全国リーディングだったのですが、最優秀勝利回数騎手賞は獲れませんでした(地方・中央合わせた勝利数のため、受賞したのは戸崎圭太騎手)。
地方では最多勝とは言われましたけど......ちょっと腑に落ちない部分はあったし悔しさはありましたよね。
最近は常に全国のトップの位置にいますが、こういった賞は意識されているんですか?
1年が始まった時にはあまり思わないのですが、去年は10月、11月くらいから意識し始めましたね。でも表彰式に行ってあんな華やかな舞台に立つと、来年もここに来たいという思いは出てきます。今年は佐賀でも特別に表彰されましたし、賞をもらうのはやっぱり良いことだなと。佐賀のPRにもなりますし、自分のモチベージョンにもなります。
2013年は200勝、地方全国7位(勝利数)、8年連続佐賀リーディング獲得という成績でしたが、満足はしていますか。
以前は荒尾競馬がありましたから、2010年のような数の勝鞍がありましたけど、今は佐賀だけですからその分は仕方ありません。200勝できたので自分では満足していますね。
2013年にはダイリングローバルで九州ダービー栄城賞を制覇
今年、ここまでの成績や調子はいかがですか?
今年は勝率も低いし、今のところあまりよくありませんね。自分の中では毎年と変わらないのですが、流れがまだ良くないので後半がんばりたいです。
2014年の目標は?
できれば通算3500勝とは思っているのですが、今のペースじゃ厳しいかなあ。でも、とにかくケガなく、騎乗停止なく乗れればいいですね。ここ1、2年騎乗停止があって1年間通して騎乗できていないので、そこは気にして乗りたいとは思っています。佐賀リーディングも続いている以上は獲りたいです。
これまで3000勝以上をあげてきたトップジョッキーの山口騎手。例えば、若手に「どうやったら勝てますか?」と聞かれたら何と答えますか?
「冷静に乗ること」だけですかね。競馬は、自分が走るわけじゃないですから。周りをしっかり見て落ち着いて乗ることです。自分も今でも失敗することはありますが、それを少なくしていかないといけません。
今の若手ジョッキー達に伝えたいことはありますか?
やっぱり努力をしないといけないってこと。まあ、昔とは努力の感覚が違ってきていますが。騎手はチャンスを生かさないといけないから、努力をしていないとそのチャンスも巡ってこないですしね。
山口騎手自身の今後についてはどう考えていますか?
あと何年騎手を続けられるかということは考えるところではありますよね。やっぱり体も硬くなってきていると自分でも感じますし。できるだけ現役を続けていきたですね。
では最後に......今年のNARグランプリでは、どの賞を受賞しますか?
うーん、あと残っているのは、ベストフェアプレイ賞くらいかな(笑)。でもあれもかなり勝たなくちゃいけないからなぁ。がんばります!
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※インタビュー / 秋田奈津子
今年デビュー10周年を迎える南谷圭哉騎手は、デュナメスとの名コンビで昨年の中島記念を制覇しました。デュナメスとのこれまでを振り返るとともに、佐賀記念への意気込みや、今年の抱負を伺いました。
上妻:まずは、去年1年間を振り返ってみて、どうだったでしょうか?
南谷:去年は成績的にみればイマイチだった年だと思うんですよね。ただ、重賞も勝てましたし、1年を通してみれば充実はしてたと思いますね。勝ち鞍は少なかった(26勝)ですけど、デュナメスで取れたのは大きかったなと思います。
上妻:そのデュナメスは、中島記念は11年が2着、12年が3着でしたが、3度目の挑戦を迎える直前の心境はいかがでしたでしょうか?
南谷:今回(13年)の方が一番自信はありましたね。これは行けるんではないかと手ごたえはありました。状態もよかったですし。一昨年は九州大賞典の反動が来ていたと思いますね。それに比べると去年は手ごたえもよかったし、自分の競馬をして負けたらしゃあないな、と。
上妻:エスワンプリンスと人気を分け合いましたが、同馬に対しては「受けて立つ」あるいは「挑戦」どちらのイメージでしたか?
南谷:挑戦、ですね、やっぱり。「攻める」という考えで乗っていましたから。
デュナメスで2013年の中島記念を制覇(右)
上妻:デュナメスの33勝のうち、30勝を南谷さんが挙げていますが、佐賀転入初戦は乗ってなかったんですよね。
南谷:初戦も乗る予定だったのですが、投票が被ってしまって自厩舎の馬の方に乗ったんです。そのときはデュナメスのことは全然意識してなかったですね。自分の馬が人気して逃げていたんですが、あそこ(直線)からあの脚で行かれるとはさすがに思ってなかったですね。あっという間に並ぶ間もなく交わされたことは覚えています。
上妻:2戦目から乗られて、「この馬は強いな」と感じたのはいつごろでしょうか?
南谷:C級の頃に、出遅れてケツから行って、全部まとめて差しきったときがありましたね。これなら、それなりには出世するだろうと思いました。それからはあの馬が走りたいだけ走るだろうし、自分から千切って勝つような馬でもありませんが、B級をポンポンと行き始めたので、これならオープンまでは行くなと、そこで確信はしましたね。
上妻:昨年は佐賀記念JpnIIIにも挑戦しましたが、力及ばず7着でした。
南谷:正直言ってあの時点ではまだ元に戻っている状態ではなく、その後から良くなっていきましたから。ベストで行けたらな、とは思ってましたが。
上妻:今年の佐賀記念は、土井調教師は「考えていない」とのことでしたが。
南谷:僕は多分行くとは思うんですよ。でも今の状態で行くんなら、そんなおかしい競馬はしないんじゃないかなと思うんですよね。勝ち負けではなくて、どんだけの内容で詰めれるかという楽しみはあります。
2012年には九州大賞典で重賞初制覇
上妻:300勝まであと20勝と迫っていますが、今年へ向けての意気込みなどはありますでしょうか?
南谷:できたらいいですね、今年。まぁ最近マイペースで乗りたいと思うんですよね。そんなに一杯乗りたいとも思ってないし。変わらず行きたいですよね。目標というのは...去年デュナメスで中島記念を勝つというのが、目標というより、夢でしたかね。「中島記念を勝つ」という小学校の時からの夢がひとつ叶っているので。夢というのはそこで一回終わってるんですよ。だからまた夢をひとつ見つけないと。
上妻:まだそれは見つかっていない、と。
南谷:そうですね。夢というよりは今度からは一個一個の目標を、その時その時の...。それを見つけて行こうかなと思います。デビューしたときは夢とか目標とか一杯出てきたんですけどね。やっぱ、自分で乗ってきたら、ある程度の目処を自分で付けてしまうから、そうなってしまいますね。
上妻:南谷さんといえば長髪がトレードマークですが、お客さんから「髪を切れ!」とか野次られたりもしていますね。
南谷:するっすね(笑)。でも最近はないです。なくなったです。でも最初は酷かったですね。
上妻:それはデュナメスで勝ち星を積んで、信頼されてきたからですかね?
南谷:かもしれませんね。でも最近は本当になくなりましたね。馬主さんとかからも「野次られても、見られているからいいんじゃない」と言われていましたけどね。そういう感じで思っています。
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※インタビュー・写真 / 上妻輝行
佐賀競馬において燻し銀の存在感を放つ長田進仁騎手が、この秋の重賞戦線では、ロータスクラウン賞をキリノトップランで制するなど大活躍しています。地方通算1600勝を目前にした今の心境をうかがいました。
上妻:まずは長田さんが騎手になったきっかけを教えてください。また、福岡県ご出身とのことですが、当時は佐賀競馬のことはご存知でしたか。
長田:小さいときに家の近所にポニーがいて、それに乗っていたんで、こういう職業もあるということで、その道を目指しました。生まれは久留米ですが、小学校高学年のころに親の転勤で福岡市に引っ越したので、佐賀で競馬をやってることは知りませんでした。佐賀に所属することになったのは教養センターからの紹介です。
上妻:ロータスクラウン賞(9月22日)をキリノトップランで優勝されましたが、スタートから振り返っていかがでしたか。
長田:そうですね、スタートはあまりよくなかったんで、とにかく道中折り合いを付けることだけ考えていました。1コーナーでいきなりペースが落ちたんで、無理せずさっと流して上がっていい位置がとれました。(直線でムラサキコマチが来ていたが)馬がまだ少し伸びていたので、ゴールしたときはなんとか残ったかなという感じでした。
キリノトップランでロータスクラウン賞制覇
上妻:九州ジュニアチャンピオン(10月25日)ではケンシスピリットで勝ち馬から半馬身差と惜しい2着でした。
長田:三小田調教師から、前付けできたらという話だったので、スタートはよかったんですが、逃げるつもりまではありませんでした。休養明けだったので、ゲート練習を1週間前に乗って追い切りを掛けたんですけど、馬がまだプラス11キロと重かったですね。デビュー戦も内にササって、内から捲って勝ったんですが、今回も4コーナーでササってしまって、あそこでなんとか外に持ち出し切っていたら勝ってましたね。
上妻:これまで騎乗された馬のなかで、思い出の馬を1頭挙げるとしたらどの馬でしょうか。
長田:マイサクセスが一番ですね。デビューから5戦5勝でダービー(2001年・栄城賞)まで勝ちましたからね。先行馬だったんで、あとは信じて乗るしかなかったんで、プレッシャーはありませんでした。ダービーではその後もなかなかいいところまでいきましたが、30年乗って、まだ2本(ほかに、2011年コスモノーズアート)しか勝ってませんから。マイサクセスは翌年に大怪我してしまって1年近く休養に出ていました。その時に馬主さんが厩舎を移動してしまったんで、その後は乗っていないんですが、怪我がなければもっと大きいところを走っていたでしょうね。
2011年の栄城賞をコスモノーズアートで制覇
上妻:長田さんのダイナミックなフォームから、実況の中島アナウンサーが「踊る長田」と形容されてファンも多いのですが、そのあたりはどうでしょうか。
長田:実況の方がそう言われているのは知っていましたが、それは特に意識してないですね。どれぐらいファンがいるのかはわかりませんが、ありがたいことですね。
上妻:先行して勝つのと、追い込んで勝つのではどちらがお好みでしょうか。
長田:あーー、それはケツから一捲りが一番気分がいいですね。
上妻:やはり押して押してで。
長田:そうですね。
上妻:パドックでの長田さんは黒のゴーグルを付けてらっしゃいますが、それが白とピンクの勝負服とのコントラストで非常にカッコいいと思ってるのですが。
長田:そうですか(笑)。黒を使っているのは特に理由はなく、雨の日は黄色とか透明とか見やすい方を付けているんですけどもね。まぁ若いときからずっとゴーグルは下見所から付けっぱなしですね。
上妻:現在1600勝を目前(11月18日現在1596勝)とされていますが、今後の目標として2000勝とかは意識されてますでしょうか。
長田:ぼちぼち乗っていければいいですね。僕らのデビューしたころは、佐賀では最初の3、4年はほとんど乗せてもらえない時代だったんですよね。それで全然勝ち鞍がないですもんね。まだもうちょっと乗れるみたいんなんで、2000勝目指して頑張ってみようかなと思ってます。
上妻:佐賀競馬では今年からS2重賞を多数創設していて、長田さんはS2を既に3勝していますが、従来からのS1重賞と比べてどうでしょうか。
長田:そうなんですか? やはり前からあった重賞(S1)のほうが「勝った」という実感はありますね。
上妻:最後に、今後の期待馬がいたら教えてください。
長田:うーん、やっぱりこないだのケンシスピリットですかね。まだ3走目であれぐらい走ったんで、今後はもっとよくなると思いますけどね。来年も期待しています。
上妻:来年の栄城賞はこの馬で、ということですね。そこではマツノスピリットら東眞市厩舎の有力馬相手との再戦となりますね。
長田:一泡ふかせたいですね。
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※インタビュー・写真 / 上妻輝行
福山競馬一筋で2200勝以上を挙げたベテラン・渡辺博文騎手が、この4月から新天地の佐賀競馬場で騎乗を始めています。福山競馬が廃止されたときの心境や、佐賀競馬の印象についてうかがいました。(取材は4月20日)
斎藤:佐賀に移籍して2週目ですが、慣れましたか?
渡辺:なんとなくやけど、まだちょっとわからん部分も多いかな。でも福山よりはぜんぜん乗りやすい。福山はコーナーがきついし、内を閉めて回るんで、内にハマッたらもう出られない。こっちはコースが広いし、乗りやすいです。
斎藤:そういう意味では、福山からは10名のジョッキーがいろいろな競馬場に移籍しましたが、どこに行っても乗りこなせるんじゃないですか。
渡辺:福山の場合はスタートで半馬身遅れたら、もう致命的なんですね。ここ(佐賀)なら半馬身くらいならすぐに取り返せる。それくらい福山のスタートはきつかったです。スタートから折り合いを考えて行けるんで、テンからビシバシ行くレースは少ないですね。
斎藤:すでに重賞でも、そこそこ人気の馬に乗っていらっしゃいますね。
渡辺:そうですね。ちょっとまだ馬のレベル的なことがわからない部分があるんですが、いい馬には乗せてもらっています。
斎藤:福山競馬のことをお聞きしたいのですが、廃止が決まってから、実際に廃止になるまでの心境は......。
渡辺:それは言葉に表すことができないですね。長く騎手をやってきたというのもあるし、思い入れがありますから。3年ほど前に亡くなったんですが、父が厩務員やってたし、兄も騎手だったんです。ぼくが騎手になったのは、その影響が大きいですね。いろんなことがこみ上げてきました
斎藤:福山で思い出に残っている馬は?
渡辺:特別にこれというのはいないんですけど、ミスターカミサマですかね。ファンも多かったしね。絶対勝たないといけないレースで、ちゃんと勝ってましたから。引退したあとも(地方競馬)教養センターにいることは、噂には聞いていました。
斎藤:印象に残ってるレースはありますか。
渡辺:福山ダービーを勝てなかったことですね。27年間乗ってきて、結局1度も勝てなかった。重賞は、それこそほとんどというくらい勝ってるんですけど、ダービーだけは......。
斎藤:佐賀への移籍は、所属している柳井宏之調教師と一緒でした。
渡辺:そうです。特に佐賀とのつながりはなかったですが、調教師さんと一緒に移籍ができる可能性があったのと、なんとなく佐賀に来てみたいというのがありました。
斎藤:ご家族はどうされていますか。
渡辺:子供は3人いるんですけど、一番下の子も福山で就職が決まって、3人とも社会人になっています。で、家内はついてきたいということで、何の心配もなく2人で佐賀に来ました。
斎藤:これまで佐賀競馬場で乗ったことは。
渡辺:西日本アラブ大賞典には、第1回(91年3月)にイケフジキング(5着)で来て、たしか3回か4回くらいは乗りに来てると思います。
斎藤:福山の騎手では、15人中10人が移籍しましたが、他のジョッキーの活躍とかは気にされていますか。
渡辺:はい、やっぱりチェックはしてますね。楢崎君が最初に勝ったレースは見ました。ぼくが佐賀で最初に勝ったときは、メールがたくさん来ました。騎手をやめて競馬を離れてるんですが、騎手会長だった黒川君からは、勝ったあとすぐ来ましたよ。やっぱり見ててくれてるんだなって、うれしかったです。
斎藤:福山から厩舎で連れてきた馬はいますか。
渡辺:今のところ6頭来ていて、全部で12頭来る予定です。転入時の格付け条件があまりよくないみたいで、通用するかどうかはわからないですけど、それでも馬場に合うか合わないかもあるんで、そこには期待しています。
斎藤:佐賀で競馬が続けられるということでは安心しましたか。
渡辺:この仕事をやるからには、現役にこだわりたいというのがあるし、あと何年乗って調教師になろうとかも思ってないし、乗れるだけ乗って、そのときになったら調教師になりたいと思うかもしれないけれど、それはまだぜんぜん考えてないです。今はただひたすら乗るだけです。福山で獲れなかったダービーを佐賀で獲りたいです。
斎藤:最後に、ネットで見てくれているファンへのメッセージをお願いします。
渡辺:現場で乗っているぼくらは、あんまり感覚がないんですけど、それでも遠くのファンの方から、たくさん手紙とか写真とか送ってくれるんで、ああ見てくれてる人はたくさんいるんだなあ、ありがたいなあと思います。
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※インタビュー・写真 / 斎藤修