今年デビュー10年目を迎えた、笠松の筒井勇介騎手。昨年は名牝エレーヌとのコンビで地方競馬を席巻し、全国にその名を広めました。これまでの騎手生活や、エレーヌの想いでについてお聞きしました。
赤見:筒井騎手はどんなきっかけで騎手を目指したんですか?
筒井:単純ではあるんですけど、きっかけはダビスタです(笑)。小学5,6年生の頃にハマって、面白そうだなと思ってて。
でも僕は電気屋の長男なんで、工業高校行っていつか実家を手伝えればなと漠然と思ってたんですよ。それが中学2年の時に、背も小さいし本格的に騎手を目指してみようと決心したわけです。
赤見:ご家族は反対しませんでした?
筒井:最初父が、「お前なんかがなれるわけないだろ!厳しい世界なんだぞ」って感じで反対しましたけど、すぐに好きなようにやれって言ってくれました。
中学を卒業してそのまま牧場に就職したんですけど、実は1か月で辞めて実家に帰ってしまったんです...。
赤見:1か月で?!何が原因だったんですか?
筒井:まぁ色々ですけど、結局は人間関係ですね。なんかゴチャゴチャしちゃって。
それで半年間何にもしなかったんです。騎手になる夢も諦めようかなと思って、実家の仕事を手伝ったりしてました。
そんな生活の中で、趣味程度と思って乗馬を始めたんです。そしたらまた火がついちゃって(笑)。
赤見:そこからまた騎手を目指したんですね。
筒井:そうですね。結局2年くらいは宙ぶらりんな時期がありました。今になって思うと、その期間て僕にとってはすごく大事で、必要な時間だったと思います。
あの2年があったからこそ、地方競馬教養センターでもホームシックにならなかったし、辞めようとも思わなかったですから。
赤見:最初の挫折を乗り越えて、無事に騎手デビューしたわけですけど、初勝利はデビューしてすぐでしたよね。
筒井:デビュー5日目です。そんなに早く勝てると思ってなかったんで、本当に嬉しかったですね。800m戦で、逃げて勝ったんですけど、今思うとハナに行かせてもらった感はありましたね。あの頃は無我夢中でそういうのもわかんなかったですけど。
赤見:そして2年目は32勝とブレイクしました。
筒井:減量特典もあったし、本当にいい馬をたくさん乗せてもらってて、毎日がとにかく楽しかったです。
でも、次の年に厩舎を移籍して、一気に乗れなくなりました。所属にしてくれた田口輝彦調教師は新規で開業したばかりで、どうしても技術のある上位の騎手を優先して乗せることが多くて。でも調教する馬はたくさんいるので他の厩舎を手伝うことも出来なかったんです。あの頃はほとんどレースに乗ってなくて、もう辞めようかな...と思いました。
赤見:そこからどうやって立ち直ったんですか?
筒井:とにかく真面目にやってようと思いました。じっと耐えてて、あと1年このままだったら本当に辞めようって腹を括ったんです。
ちょうど1年後くらいに、三谷厩務員(エレーヌ担当)が声をかけてくれて、山中輝久厩舎を手伝うようになったんです。そこで【オグリホット】という馬に乗せてもらって、たくさん勝てたことが大きかったですね。
その頃、高崎が廃止になって法理勝弘調教師が笠松に移籍してきて、乗せてもらえるようになって...いいサイクルに変わりました。
赤見:最初のきっかけが、【エレーヌ】担当の三谷厩務員だったんですね。
筒井:そうなんですよ。【エレーヌ】に乗せてもらったのはたまたまだったんですけど、最初は冬毛ボーボーでもさもさしてて、「この馬走るのかな?」って感じだったんですけど、レースしたら5,6頭の外をマクって勝ったんです。こりゃ走るなって実感しました。
その次のレースは、吉田稔騎手騎乗でJRAに遠征したんですけど、その時にもたれちゃって追えなかったということで、園田の『クイーンセレクション』ではリングバミに変えたんです。レースは余裕の強さで、直線で内からステッキを振りかぶった時にいきなり内に飛び込んで...落馬してしまいました。見てたみなさんもびっくりしたと思いますけど、後ろにいた田中学騎手が一番びっくりしたんじゃないですかね。僕を踏んだ手ごたえはあったと思うし、僕も「もうダメだ...」って思いましたもん。幸い当たり所がよかったので、大きな怪我はしなかったですけど。
赤見:あのレースは本当にびっくりでした。【エレーヌ】はちょっと気性の激しいところがあったんですか?
筒井:そうですね。ちょっとありました。でもあの落馬はちょうどステッキを振りかぶる時で、片手手綱になってたので、タイミング的に制御出来なかったんです。【エレーヌ】は悪くないんです、本当に。あのレースで同じ馬主さんの【コロニアルペガサス】が勝ってくれたんで、なんとか僕のクビも繋がった感じですね。
〈SAKAMOTO CHIZUKO〉
赤見:そして『東海ダービー』を快勝しました!
筒井:ここでダービー勝てなかったら一生勝てないと思って、馬を信じて乗りました。【エレーヌ】は行きだした時のバネがとにかく凄い。本当に色んなことを教えてもらいました。
最後は可哀想なことになってしまって...ものすごくショックでした。
赤見:体調不良で亡くなった時は、私もとてもショックでした。たくさんのファンのみなさんも同じ気持ちだったと思います。
筒井:いつもいつも一生懸命に頑張ってくれた馬でした。あの馬のお陰で色んな競馬場に行って勝たせてもらって、ファンの方にも声かけてもらって...。とても充実した時間を過ごさせてもらいました。
赤見:【エレーヌ】の存在は、とても大きいですよね。
筒井:あんな馬にはなかなか出会えないですよ。他の馬たちももちろん頑張ってくれてるけど、【エレーヌ】は別格ですから。
最近の僕は、スランプというか、試行錯誤中なんです。勝てないことが続いてて、そのせいで焦りすぎてしまって...。ドンと構えていたいんですけど、つい焦ってしまうんです。この流れから早く抜け出せるとうに、今は色々考えながらやってます。
赤見:それでは、今後の目標を教えて下さい。
筒井:今年も元気のいい2歳馬たちが入って来てるし、楽しみな出会いが期待出来そうです。ダービージョッキーの名に恥じないよう、もっともっと腕を磨いて頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
昨年7月のデビューから、ひたむきに頑張る姿が印象的な、笠松の新人・森島貴之騎手。異色の経歴を持つ22歳の、素顔に迫りました。
赤見:まずは騎手を目指すきっかけから教えて下さい。
森島:中学を卒業してから、すぐ鉄工所に勤めたんです。4年間働いたんですが、そこの先輩で競馬が好きな人がいて。僕は三重県生まれで、競馬に関係する施設も近くになかったから、初めは全然興味ありませんでした。
でも先輩が熱心に勧めてくれて、しかも地方競馬教養センターの願書まで取り寄せてくれたんですよ。あまりにしつこかったんで(笑)、「まぁ受けるだけ受けてみるかな...」という気持ちで受験したんです。
その頃には少しずつ競馬に興味も沸いてましたけど、まさか受かると思いませんでした(笑)。本当、たまたま合格出来たんだと思います。
赤見:センターに入るまで、馬に接したことなかったんですか?
森島:なかったんですよ。同期はみんな乗馬とかバリバリやってたんで、最初はすごく辛かったです。馬は大きくて怖いし、みんなみたいに上手に乗れないし...。
辞めたいって気持ちもあったけど、地元から出て来ちゃってるわけじゃないですか。今さら戻れないなと思いました。ここまで来て辞められないって気持ちで、毎日頑張りました。
赤見:無事に卒業して騎手になるわけですが、今度はデビュー前に怪我をしてしまったんですよね?
森島:そうなんです。3月に卒業して、4月の開催からすぐデビュー出来るはずだったんですけど、調教で落馬して膝を骨折してしまいました。入院自体は短かったけど、ギプスは取れないし自宅療養は長いしで、かなり焦りましたね。
赤見:その時はどんな想いで過ごしてたんですか?
森島:とにかく早く乗りたいって思ってました。毎日時間があるじゃないですか。だからよく同期のレースをネットで見ていたんですけど、いっぱい乗ってるやつもいるし、勝ってるやつもいて...。ものすごく焦りました。 やっとギプスが外れても、筋肉が落ちててリハビリしなきゃいけないし。毎日がすごく長く感じました。
赤見:無事7月にデビューを果たした時はどうでした?
森島:すごく嬉しかったですね。やっとスタートラインに立てたと思いました。 でも実際のレースは緊張してしまって...。一周あっという間だし、センターでやってた実習とは全然違いました。デビュー出来て嬉しいけど、難しいなとも思いましたね。
赤見:初勝利は3ヶ月半後でしたが、どんな気持ちでしたか?
森島:時間がかかってしまったけど、勝った時はものすごく嬉しかったです。
【エーシンファステム】という馬なんですけど、実はまだ候補生だった頃、競馬場実習に戻ってきた時に世話していた馬なんですよ。調教はもちろんですけど、身体を洗ったり、馬房を掃除したり。とても愛着のある馬だったんで、余計嬉しかったですね。しかもその後も2つも勝ってくれて...。僕は今全部で5勝(8月14日現在)なんですけど、そのちの3勝も挙げさせてくれてるんです。もう本当に可愛い馬です。
赤見:今の一番の思い出のレースは、【エーシンファステム】ですか?
森島:そうですね。初勝利もそうだし、1番勝たせてもらっているし。あの馬には、とても感謝してます。
あと、【ミスイサリビ】という馬がいるんですけど、今年の1月1日の1レースで勝ったんですよ。その時両親が見に来てて、目の前で初めて勝つことが出来ました。すごく喜んでくれて、母は泣いてたみたいです(照)。親孝行が出来たかなと思いました。
赤見:ご両親はもちろん喜んだでしょうね。騎手になることをしつこく(笑)勧めてくれた先輩はどうですか?
森島:先輩も喜んでくれてます。もう何度も三重から笠松まで応援に来てくれました。「まさか本当になるとは...」って驚いてました。
今はジョッキーになれて本当によかったって思います。難しいことや悔しいこともいっぱいあるけど、鉄工所にいた頃は、ただなんとなく仕事してましたから。今はやりがいがあって、毎日楽しいです。勧めてくれた先輩には、とても感謝してます。
赤見:騎手になって、変わったことってありますか?
森島:自分ではよくわかんないんですけど。先輩に、顔つきが変わったって言われました。前はナヨナヨしてて...。今もナヨナヨしてますけど、前はもっとしてたんですよ。少し、逞しくなれたのかなと思います。
赤見:この先、どんな騎手になりたいですか?
森島:今はとにかく1つ1つ大切に乗って、勝ち星を重ねることです。まだまだですけど、いつか岡部誠騎手のようになりたいです。
よくうちの厩舎の馬に乗ってもらうんですけど、すごく引っかかる馬でもかからないし、ササって追えないような馬でも真っ直ぐ走るんです。岡部さんが乗ると、簡単に乗ってるように見えるんですけど、それがすごい技術なんですよ。 レースのビデオも、意識して見ています。
兄弟子の花本正三騎手からは、たくさんアドバイスをもらってます。具体的には、自分の進路をしっかり取って、真っ直ぐ走らせろとか、もっと周りをちゃんと見ろって言われます。
落ち込むこともあるけど、花本騎手をはじめ周りの人たちが本当によくしてくれて、ご飯を食べに連れてってくれたり、休みの日には遊びに連れてってくれたりするので、すぐ前向きになれるんです。本当にありがたい環境で、みんなに感謝してます。
赤見:センターを卒業する時、外に出たら阪神戦を見に行きたい!と言ってましたが、実現しましたか?
森島:はい!やっと先月行くことが出来ました。吉井友彦騎手と横井将人騎手と一緒に甲子園まで行ったんですけど、もう本当に最高でした。いい気分転換になりましたね。
赤見:それでは、自己PR&笠松PRをお願いします。
森島:僕は、何をやるにしても一々長かったな、と思うんです。みんなより時間がかかるというか。でも、騎手として歩き始めたので、ここから先はしっかりと技術を学んで信頼してもらえるようになりたいです。 今の売りは、がむしゃらなこと。どんなに後ろにいても、最後まで諦めずに追って来ます。
笠松は、日本で唯一パドックがコースの中にあったり、ちょっと変わってる競馬場です。馬との距離が近いし、人馬の息遣いや騎手のステッキの音なんかも聞えて、すごく迫力あると思います。
ぜひ、生でレースを見に来て下さい!!
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※インタビュー / 赤見千尋
新潟競馬廃止に伴い笠松での再出発を決めてから8年、初めて年間100勝を挙げ、笠松リーディング3位で2010年を終えた向山牧騎手。笠松所属の現役騎手の中で唯一"競馬場廃止"を経験してるからこそ言える本音などを聞きました。
坂本:騎手になろうと思ったきっかけを教えてください。
向山:うちの親父が厩務員をやってたんですよ。で、子供のころから手伝ったりなんかしてたんですよ。
で、競馬とか見てるじゃないですか。それで『騎手ってかっこいいなぁ』って思って、まぁなれたらなろうかなって思って、試験受けたら受かったんで、騎手になったみたいなもんです(笑)。
坂本:騎手に憧れてた時と、実際に騎手になってからのギャップは?
向山:うぅん、それは別になかったけどね。勝ったときはホントうれしいし、なってよかったなと思う。
坂本:今までで一番印象に残ってるレースは?
向山:印象に残ってるレースですか? 結構あるんですけどね......デビューしたときに、まったく勝てなかったんですよ、十何戦くらい。で、そんなときにたまたま乗ったのがすごいいい馬だったんですよ。
本当は僕が乗る馬じゃなかったんだけど、主戦騎手が別の馬に乗ることになってて、ちょうどその厩舎をずっと手伝ってたこともあって『乗せたげるよ』って。ほんとに何にもせずに勝ったんですよね。
それから、その馬にずっと乗せてもらえて......まぁ、その馬に勉強させてもらったっていうか、ちょっとはうまくなったかなって思いますね。だから、この初勝利のときのレースが一番印象に残ってますね。
坂本:向山騎手といえば、新潟から移籍してきたわけですが......
向山:移籍っていうか、まぁ潰れたからね(苦笑)。
坂本:その新潟が廃止になるって聞いたときはどう思いましたか?
向山:長い間やってましたからね。もうちょっと何とかならないのかって思ったんですけど。(馬券が)売れないんじゃ仕方ないですからね。悲しかったですよ。
坂本:笠松に行こうって決めたのは?
向山:それはね、安藤勝己さんがいろいろやってくれてて、僕は本当は南関東に行きたかったんですけど、年齢制限でダメだってことで、ここしか僕の行くとこないんじゃないかなぁっていうのもあったんですよね。
坂本:笠松に来てみて印象は?
向山:結構みんないい人たちだったんで、それなりにすぐ溶け込めましたね。
坂本:乗った感じは?
向山:全然関係なかったですよ。僕、三条とかでも乗ってたんで、小っちゃいとこは全然気にならなかったですよ。
むしろ、乗りやすかった。三条のほうがもっとコーナーがきついですからね、ほんと急カーブみたいな感じでしたから。笠松のほうが乗りやすいですね。
坂本:笠松所属騎手で通算で2500勝を超えている騎手は向山騎手のみ。そしてその勝ち鞍をどんどん伸ばしていけるのには、周りのサポートの力も大きいですか?
向山:それはもう。ま、最初のころはあまり乗ってなかったですけど、だんだんと乗せてくれる厩舎も増えてきたんでね。
坂本:今後についての目標とかはありますか?
向山:今後ですか......その前に競馬場がどうなるかでしょうね。ま、ここで普通にやっていければ、3000勝くらいは狙っていきたいですけどね。
坂本:やっぱり、競馬場が存続していかない限りは......
向山:だからね、ほんとにそこが大事なんですよ。競馬場がこんな変なミスばっかり(レース中に走路整備車両が侵入した件)してるから、なおさらじゃないですか。
僕たちも賞金下げられても一所懸命やってるんですから。協力もしてるし、だから土台となる競馬場にはもっとしっかりしてほしいですよ。あんないい加減なことやってたら、潰れるのも目に見えてますよ。ミスしたらそこの会社の責任、で片づけるんじゃなく、競馬場側にも監督責任はあるんだから、競馬場側もそのあたりを重く受け止めてほしいし、一層の努力をしてほしい。
一度経験してるからこそ、人一倍『潰したくない』という思いが強い向山騎手。今がまさに正念場の笠松競馬を盛り上げるべく、今年もまたその剛腕ぶりでファンを魅了します。
※インタビュー / 坂本千鶴子
2008年【マルヨスポット】、2009年【マルヨフェニックス】と、『オッズパークグランプリ』を連覇している、笠松の尾島徹騎手。
昨年は通算500勝を達成して、自身初のリーディングにも輝きました!26歳になった今年は、JRAでも初勝利を挙げ、まさに地方競馬を代表するジョッキーです。
今年は残念ながら、【マルヨフェニックス】は回避となってしまいましたが...『オッズパークグランプリ』2連覇のお話をお聞きしました!
赤見:【マルヨフェニックス】の回避は本当に残念です...
尾島:そうですね。僕も楽しみにしていたレースだったので...。でもあれだけ走る馬だし、無理しても仕方ない。順調に調整出来れば、また強い【マルヨフェニックス】をお見せ出来ると思います。
赤見:第1回の水沢は出走していませんでしたが、第2回福山・第3回園田と連覇していますね。 尾島騎手にとって、『オッズパークグランプリ』はどんなレースですか?
尾島:とにかく相性のいいレース!!だと思ってたんですけど...それも去年までなのかな(笑)。
それは冗談として、毎年持ち回りで開催してるから色んな競馬場で乗ることが出来るし、賞金も高いので狙っているレースです!
赤見:確かに、1着賞金1000万円というのは大きいですよね。
まずは初参加となった第2回の福山のお話を聞かせて下さい。
尾島:あのレースで初めて福山競馬場に行ったんですけど...コースを見た瞬間、ビックリしました!なんだこれは?!て。
赤見:かなり特殊なコースですよね。
尾島:はい!
小回りだし砂が深いし...これは相当手強そうだなと。あの時騎乗した【マルヨスポット】は人気薄だったし、これまでの経験から言っても掲示板に載れば御の字かなと思ってたんです。
どう乗ろうとかはきっちり決めてなくて、人馬共に初めてのコースだし、出たなりで行って砂を被りたくないなと考えてました。
赤見:レースでは4番手を進んでいましたね。
尾島:前の3頭がけっこう行ってくれたんで、結果的に砂は被ってしまったけど、展開がはまりました。内にささる馬だから、小回りも全く気になりませんでしたね。
赤見:結果は差し切り勝ち!しかもレコードでした!!
尾島:まさか勝てるとは夢にも思ってなかったので、すごく嬉しかったです!初めての、しかも福山の難しいコースで勝てたことも大きいですね。
赤見:騎手には賞金から5%が入りますが...その賞金は?
尾島:全部飲んじゃいました(笑)。
赤見:さすが尾島騎手(笑)。
続いては、昨年の第3回園田のお話を聞かせて下さい。
尾島:【マルヨフェニックス】にとっては、1400メートルは少し短いんですけど、勝ってくれないかなと思ってました。大井と園田はすごく合うみたいなんですよね。
ただ...あの時はコースどうこう考えてる場合じゃなかったんですよ!返し馬で手綱が抜けてしまって...ホントに死ぬかと思いました(苦笑)。
赤見:そうでした...人馬とも怪我なくてよかったですよね 。
尾島:目指してたレースだったし、勝ち負け出来る自信もあったんで、なんとか放馬しないようにもう必死でした。無事出走出来てよかったですよ。
赤見:レースは6番手からの差し切り勝ちでした!
尾島:【キングスゾーン】と【アルドラゴン】が前にいて、目標にしていて、前が止まらないかな~と思っていたんですけど。まさかあんなにキレイに差してくれるとは...かなり気持ちよかったです。
赤見:ちなみに、その時の賞金は?
尾島:もちろん、パーっと飲んじゃいました(笑)。
赤見:やはり(笑)。
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※インタビュー/赤見千尋
デビューから5連勝で全日本2歳優駿Jp nⅠを制し、NARグランプリ2009 の年度代表馬に選ばれたラブミーチャンの主戦を 務めるのが、濱口楠彦騎手。日本中の競馬ファンの注目は馬だけではなく、その鞍上に も集まっている。
ラブミーチャンは、JRA未出走から転入してきた馬だ。
■笠松に入ってきた当初は尋常じゃない暴れ方でしたね。5日くらいしたらおとなしくなりましたが、そのパワーはすごかったですね。ただ、腰がゆるくて。JRA(栗東・須貝尚介厩舎)では全然動かなかったという話も聞いていましたし、実際に乗ってみても、手前を替えるのさえ下手だったという状況でした。
そういう馬が10月7日のデビュー戦では、 鮮やかな勝利を収めることになる。
■毎日の調教では「まあまあの馬かな」という感じで、デビュー戦のときの追い切りで「いいスピードがあるなあ」と思ったくらいでした。でも実戦ではあの走り(800 m戦を48秒1、重馬場)でしょう。もう少し追えばレコードだったと思いますが、そのときには「勝つことが第一」と思うくらいになっていました。
ラブミーチャンの素質、そして将来性を感 じ取った濱口騎手。2戦目では重賞をあっさり突破する。
■2戦目はスタートが少し悪かったんですよね。それもあって直線では目一杯追いました。3戦目のJRA挑戦のときは、正直半信半疑でしたね。でも最後の根性がすごく て、改めてこの馬の能力を認識したという感じでした。
そして、兵庫ジュニアグランプリを快勝し、暮れの2歳王者決定戦に駒を進める。
■デビューのとき、マイルくらいまでは大丈夫とは思っていました。でもだんだんテンションが上がってきたのが心配で。全日本2歳優駿のときは普通に返し馬をするつもりだったんですが、危なくて待避所に直行せざるを得ませんでした。それでもスタートは速 かったですし、最後までしっかり走ってくれました。
じつはゴールしたときは、ウイニングランなんて考えていなかったんですよ。でもゴール後も勢いがすごくて3コーナーまで行ってしまったので、じゃあ1周しようかなと思ったんです。それでスタンド前をトコトコ歩いていったら、お客さんに「手ぐらい挙げろよ」と言われましてね(笑)。あわてて手を挙げたら、スタンドが盛り上がってくれました。気持ちよかったですよ。
と、50 歳間近にして最高の栄誉を勝ち 取った濱口騎手。しかし30 年余りの騎手人生には苦労も多かった。
人も多かったですね。同期だって安藤勝己、安藤光彰の2千勝騎手ですし。安藤勝己騎手なんて誕生日も一緒だから最初はライバルだと思っていましたが、ほどなくして彼はお手本、そんな感覚になりましたものね。
それでも本当に悩みましたよ。なんで彼のように乗れないんだろうかと。普段の仲は良かったんですが、あるときついグチをこぼしたら「自信を持って乗らないといかんよ」と諭されました。でもそれがいいきっかけになって、それからは自分の欠点を気にするよ りも、思い切りがいいという長所を伸ばしていこうと決めたんです。
その日々を成長に結びつけ、笠松のトップ ジョッキーのひとりとして現役を続けてきた。
■ただ、2000 年のケガはきつかったですね。ゲート練習で馬がひっくり返って、十字靭帯を切ってしまったんです。この左足、今でもちゃんと曲がらないんですよ。医者には一生正座できないと言われました。
手術後1年間は馬に乗るなと言われていましたが、どうしても乗りたくてケガから10カ月目のときにおとなしい馬に乗せてもらったんです。でもそのとき、あまりにも体が重くって、一気に自信がなくなりました。ちょうどケガをする前あたりが技術的にいい感じになってきたと思えてきた頃だったので、余計にくやしかったですね。
騎手生活続行の大ピンチ。それでも周囲 の助けもあって、現役を継続。そんな危機を乗り越えたからこそ、濱口騎手は栄誉を つかむことができた。
■ 2006 年のワールドスーパージョッキーズシリーズは、いい思い出ですね。あのときは本当に運がぼくに向いていたと思います。スーパージョッキーズトライアルへの出場騎手選定のタイミングのときに、ぼくがリーディングだったのもそうですし(最終的にはリーディング2位)、そのトライアルでも2位の山口竜一騎手とは1ポイント差。出場した本番では、JRAで勝ちたいという夢もかないましたから。
それ以上の夢が、ラブミーチャンには詰 まっているのではないだろうか。
■そうですね......。でも楽しみではありますが、楽しいとはいえないですよ。責任感というか不安というか、とにかく無事でという気持ちのほうが大きいですね。
ラブミーチャンは筋肉も関節も柔らかいんですよ。軽く走らせると頼りないんですが、スピードに乗るといい走りになります。昔は中京競馬場での開催もありましたから、芝馬の感触もある程度わかります。そのときの経験から考えると、ラブミーチャンは飛ぶような走りをしますから、芝にも対応できると思っているんです。
濱口騎手が最初に馬に乗ったのは12 歳に なったばかりの頃。エイユーザンという名のアラブのオープン馬だった。
「父が調教師と知り合いで、何かこの子に やらせることはないかと紹介されて、馬乗りを始めました。そうしたら小学校の卒業式 の日にその調教師が校門で待っていて、中学は厩舎から通うことに。選択の余地はな かったですね(笑)。でも、この仕事と巡りあってよかった。今となっては、父に感謝していますよ」
30 年以上も騎手を続けられる人はほんの 一握り。「乗せてもらえて幸せ」と思う気持ちの積み重ねが、今につながっているのか もしれない。そんな濱口騎手と歩むラブミーチャン。伝説はどこまで広がるのか、期待 をもって見守りたいものである。
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濱口 楠彦(笠松)
1960年3月28日生まれ おひつじ座 A型
三重県出身 松原義夫厩舎
初騎乗/ 1976年10月20日
地方通算成績/ 18,167戦2,377勝
重賞勝ち鞍/全日本2 歳優駿JpnⅠ、兵庫ジュニ
アグランプリJpnⅡ、全日本サラブレッドカップ、
名古屋大賞典、東海桜花賞、東海菊花賞、全日本
アラブクイーンカップなど58勝
服色/白・紫のこぎり歯形
※成績は2010 年2 月18日現在
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(オッズパーククラブ Vol.17 (2010年4月~6月)より転載)