笠松で再デビューを果たしてから5年、一昨年には重賞勝ちも果たした吉井騎手に、2012年の暮れ、12月30日にお話しを伺いました。
坂本:2012年、どんな年でしたか?
吉井:大きなところは勝ててないんですけど、まあまあ勝ち鞍も伸びたし、今日明日でできるかどうかわからないですけど、あと2つ勝てれば一応年間100勝なんで、できれば大台に乗れればいいかなとは思ってるんですけどね、なんとか(苦笑)。
坂本:笠松で再デビューしてから、自分で『変わったな』と思うところはどこですか?
吉井:そうですね、岩手でやってるときはもう乗せてもらったら『やったー!』ていうくらいの気持ちだったんですけど、数を全然乗ってなかったので。再デビューしてからはハングリー精神が出てきましたね。やっぱ、乗れなかった時期があったからだと思うんですけど、競馬は勝ってなんぼなんで、『乗ってやったー』じゃなくて『勝ってやったー』に変わったっていうか。その分、厳しいことも増えましたけど。
坂本:『乗ること』から『勝つこと』に意識が変わった?
吉井:そうですね。
坂本:ではなぜ、岩手をデビューの地に選んだのですか?
吉井:ただただミーハーな感じなんですけど、芝のレースに乗りたかった、それだけです。盛岡だったら芝のレースもあるし。ほんとそれだけですね。
坂本:その後、騎手を一旦やめ、そして笠松から再デビューしました。笠松に来るきっかけはなんだったんですか?
吉井:尾島(徹騎手)が同期で、「とりあえず厩務員からやってみないか?」と連絡がきたのがそもそものきっかけですね。ま、騎手としてではなく厩務員としてですけど、また馬に乗れるんなら乗ってみたいしなと思って来たんですよね。
坂本:そこからまた騎手としてやってみようと思ったのは?
吉井:考えたのは森山厩舎に入ってからですね。笠松に来て最初にお世話になった先生がやめて、その時に森山先生に拾ってもらって、そこからですね。
坂本:厩務員として馬を世話するのと、騎手として馬に乗るのとでは、やはり違う?
吉井:厩務員やってたときも攻め馬とかで馬に乗ってましたけど、レースを見るとやっぱり乗りたいなって思いましたよ。騎手やめてすぐのときなんかは、もうわざと避けるように見なかったりしてましたね。乗りたくなりそうな気がしてくるのもわかってたし。
坂本:乗ってて『うれしい』と感じる瞬間は、どんな時?
吉井:1歳とか2歳とかで入って来て、自分である程度調教した馬を初めて走らせたときですね。勝ってくれるとなおうれしいです。そういう馬のほうが思い入れがあるのかもしれないです。
坂本:今までで一番印象に残ってる馬は?
吉井:印象に残っていいイメージなのはヤマニンピトレスクですね。自分が乗って4連勝する馬なんて初めてだったんで。この馬にはだいぶ成長させてもらったかなと思います。逆に、悪いイメージとして残ってるのは、岐阜金賞のコロニアルペガサス(笑)。もう、あれは完全に勝ってたんでね、僕のミスだけで負けてるんで。ずっとそれが残ってます。ま、その次の日にモエレトゥループで初めて重賞勝てたから、ちょっと吹っ切れてる部分もあるけど、そこで勝ってなかったらもっと悔しいですよね。
坂本:重賞はその1つだけ?
吉井:そうですね。SP1もまだ勝ってないですね。勝ったジュニアクラウンはSP2ですから。岐阜金賞がSP1で......。もうちょっとゆっくり動いてたらなぁ......。
坂本:やっぱり、重賞だと焦る?
吉井:今だったら大丈夫だと思うんですけど......もう1回、今の精神状態で乗りたい。あのときに戻りたいっていうのはすごくありますね。まあ、でもしょうがないんですけどね。そういうのを経験して、逆に覚えることもあるでしょうし、あれがなかったらまた違うとこでミスしてるでしょうし。何とも言えないですけど、今の状態でコロニアルに乗れたら自信持って乗ったでしょうし。
坂本:今なら落ち着いて乗れる?
吉井:でも、重賞とか認定とか新馬っていうのは気合が入りますよ。いい意味で緊張する分には、たぶんいいと思うんですけど、あの時は緊張しすぎた。特に、あの3コーナーあたりから意識が完全に『勝ち』になってしまったんで、その前にもっと勝ち方を覚えてるジョッキーだったらあんなミスはしないでしょうね。
坂本:今度、幼馴染みで後藤保厩舎の厩務員をやっていた山下(雅之)君が騎手として新たなスタートを切ります。ライバルが増えるという感じはありますか?
吉井:僕としては、中学校の頃に同じ乗馬クラブに通ってたんで、一緒に乗れるのはうれしいですね。ライバルだけどうれしいですね。でも、手は抜かない。ただ、はっきり言うと厳しいと思う、最初は。学校で模擬レース乗ってたわけでもないし。
山下雅之騎手(右)と
坂本:騎手の先輩として、教えることはありそう?
吉井:教えるといっても経験なんでね。僕らの仕事なんて。ま、僕が教えるっていうのにも限界があるし、僕だって何から何までわかってるわけでもないし、一流じゃないし。本人が、他人からどれだけ吸収するかじゃないですかね。見て盗むっていうのもあるし、まねしてみるのもいい。そういうことも必要じゃないですかね。
坂本:じゃあ、今後が楽しみですね。
吉井:そうですね、楽しみっちゃあ楽しみですけど、1年目から越されたらどうしようかなと思いますよ(苦笑)。
坂本:よき友達、よきライバルですね。
吉井:そうですね、早く一緒に乗ってみたいですね。
坂本:最後に2013年の抱負を。
吉井:もし、年間100勝できてなかったら今度こそっていうのもあるし、まあ数だけこだわってもしょうがないんで、やっぱり大きいところも勝ちたいですね、久しぶりに。今、リーディング3、4位くらいのところにいるんですけど、上の2人、尾島と東川さんは大きいところもバンバン勝ってくし、平場もバンバン勝ってく、そのへんで差があると思うんです。平場でしか勝てないっていうのも恥ずかしいんで、大きいところでも勝ちたいですね。ってここで言ってて、今日のマユノプーリンで勝ったらどうしようかね(笑)。ま、でも、こういう雰囲気をどんどん味わっていきたいですね。あと、自分とこの厩舎(森山厩舎)の勝ち鞍がなかなか増えないんで、そこも頑張って増やしていきたいです。
吉井騎手の2012年は、インタビュー当日の1勝が最後となり大台には星ひとつ届きませんでしたが、リーディングを狙える位置まで登ってきました。新たなライバルを迎え、今後さらなる飛躍が期待されます。
-------------------------------------------------------
※インタビュー・写真 / 坂本千鶴子
今年度のオッズパークグランプリは2月28日に笠松競馬場で行われる予定。過去5回の同レースでは、笠松所属馬が3勝、2着1回と抜群の成績を残している。そしてそのうちの2勝は尾島徹騎手が挙げたものだ。
まずはその2勝(08年マルヨスポット=福山、09年マルヨフェニックス=園田)を振り返ってもらおう。
最初のときは、福山競馬場そのものが初めて。それで多少の不安はありましたが、競馬場に着いて馬場を見たら笠松以上に小回りで、さらに不安に。でもレースではキングスゾーンとか強い馬が引っ張ってくれたので、うまく流れに乗れました。しかもマルヨスポットは内にササるタイプだったので、コーナーもスムーズに回れたんです。ほかの馬は外に膨らんでいましたから、その点は有利に働きましたね。マルヨフェニックスのときは、勝てるかなという手ごたえがありました。出走メンバーのなかの強い馬を目標にして、最後に差し切れればという思いで乗ったら、そのとおりになりました。
尾島騎手とマルヨフェニックスのコンビは、南関東でも重賞を2勝。まさに全国区での活躍が続いている。その出会いとともに、尾島騎手の成績も急上昇。2009年以降は年間100勝以上を達成している。
デビューしたころは安藤光彰さん(JRAに移籍、引退)が師匠みたいで、いろいろと面倒をみてくださいました。でも自厩舎には兄弟子が2人いたので、レースでは乗る馬が全然いなくって。それでも少しずつ乗り鞍が増えましたが、勝ったら次は乗り替わり。よく腹を立てていましたね。
それでもデビューの年は17勝で、2年目が40勝。素質を実績に変えつつあった2006年に、ひとつの転機をみつけた。
僕の父の関係からつながって、JRAの岩戸孝樹調教師(美浦)を紹介していただいて、研修という形で行けることになったんです。笠松での仕事はもちろん気になりましたが、刺激がほしいという欲求と、興味と好奇心で押し切りました。いやあ、行ってよかったです。重賞勝ち馬にも乗せてもらえましたし、藤沢和雄厩舎でも調教を手伝わせていただきました。もう、馬を見るだけでほれぼれするというか、笠松とは馬のカタチや造りが違って見えましたね。そもそも、歩くスピードから違いました。
その経験は、その後の尾島騎手にどんな影響を与えたのだろうか。
いちばん変わったのは考え方ですかね。その期間、レースに乗ったわけではないですが、JRAでの経験は落ち着いて乗ろうと考えることにつながったように思います。「勝てる馬は構えて乗っても勝てるんだ」と。その意識ができたことで、笠松でも控えて乗れることが多くなりました。それによって、勝てる馬での取りこぼしが少なくなったようにも思います。美浦に行く前は、前へ前へという気持ちでしたし、周りもそういう騎手が多かったですし。
そういった積み重ねが、2009年の笠松リーディングにつながったともいえそうだ。
そのおかげで、JRAに遠征するときに、笠松以外の馬にも乗せてもらえるようになりました。(マルヨフェニックスで)黒潮盃(大井)を勝ったのも大きかったですね。僕みたいな騎手は、何か目立つことをやらないとなかなか覚えてもらえないですから。
しかしなぜか、スーパージョッキーズトライアルでは2回とも苦戦となっている。
普段のレースとあまり変わらないと思うんですけれど......。でも気持ちとしては、ワールドスーパージョッキーズシリーズは本当に出たい舞台。その経験はもちろん、そのあとがきっと大きくなるはずですから。
そのためには今後もリーディングを守る必要がある。尾島騎手が考える笠松競馬場の勝負ポイントはどのあたりなのだろうか。
笠松では地元同士のレースだと、力のある馬なら多少強引に行ってもなんとかなりますが、交流競走になるとペースが速くなるので後ろからでも届きます。でもそれも違いがあって、地元馬が逃げたらペースはゆっくりめ、遠征馬が逃げたら早くなるという特徴があります。まくりを打つなら3コーナー手前にある坂の頂上が勝負ポイント。でも外を回ると不利なので、通る目安は内から3頭目までかな。ですから、先行馬が固まっているとき、それがどうなっていくのかを読むというのも重要です。
小回りコースだけに、コースロスを少なくするのは大きな課題。それが騎手の技量を上げることにもつながるのだろう。
あるとき、インを突いて勝ったら、2着の大先輩にものすごく怒られたんですよ。でも、それで気後れしたり遠慮したりすると、結果は残せませんよね。常に攻めていかないとレースしてもつまらないですし、自分自身も成長できません。今はどこでもレース映像が見られますから、どんなときでも自分が勝ちたいという気持ちが伝わるような競馬をしていきたいと思っています。
デビュー12年目の2012年は、過去最高の勝ち星を挙げている。さて尾島騎手は、なにを今後の目標に据えていくのだろうか。
確固たる目標というよりは、とにかくここで実績を作ることが第一。それが今後につながっていくことになると思います。笠松は先輩たちが勉強熱心というか、そういう気持ちをもっているんですよ。その意味で、笠松には見習えるいい先輩が揃っています。そして安藤勝己さん、光彰さんをはじめとする偉大な先輩と同じ時期に騎乗できたことも、自分自身の財産になっています。笠松はベテランの皆さんが強い競馬場ですけれど、僕自身、ここまで上がったからには成績を落としたくはないですね。2012年のデビュー馬では、カツゲキドラマとのコンビで5連勝を挙げ、川崎のローレル賞でも4着に好走した。「あの馬は野生状態で笠松に来て、馴致から僕が担当したんです。そういう馬で活躍したのは、僕自身はカツゲキドラマが初めてです。馴致育成はその道のプロに任せたほうがいいと思うんですけれど(苦笑)」。さまざまな経験を重ねながらも高いところに理想を置いて、その上で日々を一所懸命に過ごす。今後もさまざまな舞台で、尾島騎手の活躍が見られることだろう。
-----------------------------------------------------------------------
取材・文●浅野靖典
尾島 徹(笠松)
おじま とおる
1984年3月23日生まれ おひつじ座 O型
愛知県出身 柴田高志厩舎
初騎乗/2001年4月1日
地方通算成績/5,701戦870勝
重賞勝ち鞍/オッズパークグランプリ(福
山・園田)、OddsParkFanSelection、黒潮盃
(大井)、スパーキングサマーカップ(川崎)、
岐阜金賞(4回)、東海菊花賞(2回)など33勝
服色/黄、青のこぎり歯型、そで青一本輪
-----------------------------------------------------------------------
※2012年11月19日現在
(オッズパーククラブ Vol.28 (2013年1月~3月)より転載)
今年デビュー10年目を迎えた、笠松の筒井勇介騎手。昨年は名牝エレーヌとのコンビで地方競馬を席巻し、全国にその名を広めました。これまでの騎手生活や、エレーヌの想いでについてお聞きしました。
赤見:筒井騎手はどんなきっかけで騎手を目指したんですか?
筒井:単純ではあるんですけど、きっかけはダビスタです(笑)。小学5,6年生の頃にハマって、面白そうだなと思ってて。
でも僕は電気屋の長男なんで、工業高校行っていつか実家を手伝えればなと漠然と思ってたんですよ。それが中学2年の時に、背も小さいし本格的に騎手を目指してみようと決心したわけです。
赤見:ご家族は反対しませんでした?
筒井:最初父が、「お前なんかがなれるわけないだろ!厳しい世界なんだぞ」って感じで反対しましたけど、すぐに好きなようにやれって言ってくれました。
中学を卒業してそのまま牧場に就職したんですけど、実は1か月で辞めて実家に帰ってしまったんです...。
赤見:1か月で?!何が原因だったんですか?
筒井:まぁ色々ですけど、結局は人間関係ですね。なんかゴチャゴチャしちゃって。
それで半年間何にもしなかったんです。騎手になる夢も諦めようかなと思って、実家の仕事を手伝ったりしてました。
そんな生活の中で、趣味程度と思って乗馬を始めたんです。そしたらまた火がついちゃって(笑)。
赤見:そこからまた騎手を目指したんですね。
筒井:そうですね。結局2年くらいは宙ぶらりんな時期がありました。今になって思うと、その期間て僕にとってはすごく大事で、必要な時間だったと思います。
あの2年があったからこそ、地方競馬教養センターでもホームシックにならなかったし、辞めようとも思わなかったですから。
赤見:最初の挫折を乗り越えて、無事に騎手デビューしたわけですけど、初勝利はデビューしてすぐでしたよね。
筒井:デビュー5日目です。そんなに早く勝てると思ってなかったんで、本当に嬉しかったですね。800m戦で、逃げて勝ったんですけど、今思うとハナに行かせてもらった感はありましたね。あの頃は無我夢中でそういうのもわかんなかったですけど。
赤見:そして2年目は32勝とブレイクしました。
筒井:減量特典もあったし、本当にいい馬をたくさん乗せてもらってて、毎日がとにかく楽しかったです。
でも、次の年に厩舎を移籍して、一気に乗れなくなりました。所属にしてくれた田口輝彦調教師は新規で開業したばかりで、どうしても技術のある上位の騎手を優先して乗せることが多くて。でも調教する馬はたくさんいるので他の厩舎を手伝うことも出来なかったんです。あの頃はほとんどレースに乗ってなくて、もう辞めようかな...と思いました。
赤見:そこからどうやって立ち直ったんですか?
筒井:とにかく真面目にやってようと思いました。じっと耐えてて、あと1年このままだったら本当に辞めようって腹を括ったんです。
ちょうど1年後くらいに、三谷厩務員(エレーヌ担当)が声をかけてくれて、山中輝久厩舎を手伝うようになったんです。そこで【オグリホット】という馬に乗せてもらって、たくさん勝てたことが大きかったですね。
その頃、高崎が廃止になって法理勝弘調教師が笠松に移籍してきて、乗せてもらえるようになって...いいサイクルに変わりました。
赤見:最初のきっかけが、【エレーヌ】担当の三谷厩務員だったんですね。
筒井:そうなんですよ。【エレーヌ】に乗せてもらったのはたまたまだったんですけど、最初は冬毛ボーボーでもさもさしてて、「この馬走るのかな?」って感じだったんですけど、レースしたら5,6頭の外をマクって勝ったんです。こりゃ走るなって実感しました。
その次のレースは、吉田稔騎手騎乗でJRAに遠征したんですけど、その時にもたれちゃって追えなかったということで、園田の『クイーンセレクション』ではリングバミに変えたんです。レースは余裕の強さで、直線で内からステッキを振りかぶった時にいきなり内に飛び込んで...落馬してしまいました。見てたみなさんもびっくりしたと思いますけど、後ろにいた田中学騎手が一番びっくりしたんじゃないですかね。僕を踏んだ手ごたえはあったと思うし、僕も「もうダメだ...」って思いましたもん。幸い当たり所がよかったので、大きな怪我はしなかったですけど。
赤見:あのレースは本当にびっくりでした。【エレーヌ】はちょっと気性の激しいところがあったんですか?
筒井:そうですね。ちょっとありました。でもあの落馬はちょうどステッキを振りかぶる時で、片手手綱になってたので、タイミング的に制御出来なかったんです。【エレーヌ】は悪くないんです、本当に。あのレースで同じ馬主さんの【コロニアルペガサス】が勝ってくれたんで、なんとか僕のクビも繋がった感じですね。
〈SAKAMOTO CHIZUKO〉
赤見:そして『東海ダービー』を快勝しました!
筒井:ここでダービー勝てなかったら一生勝てないと思って、馬を信じて乗りました。【エレーヌ】は行きだした時のバネがとにかく凄い。本当に色んなことを教えてもらいました。
最後は可哀想なことになってしまって...ものすごくショックでした。
赤見:体調不良で亡くなった時は、私もとてもショックでした。たくさんのファンのみなさんも同じ気持ちだったと思います。
筒井:いつもいつも一生懸命に頑張ってくれた馬でした。あの馬のお陰で色んな競馬場に行って勝たせてもらって、ファンの方にも声かけてもらって...。とても充実した時間を過ごさせてもらいました。
赤見:【エレーヌ】の存在は、とても大きいですよね。
筒井:あんな馬にはなかなか出会えないですよ。他の馬たちももちろん頑張ってくれてるけど、【エレーヌ】は別格ですから。
最近の僕は、スランプというか、試行錯誤中なんです。勝てないことが続いてて、そのせいで焦りすぎてしまって...。ドンと構えていたいんですけど、つい焦ってしまうんです。この流れから早く抜け出せるとうに、今は色々考えながらやってます。
赤見:それでは、今後の目標を教えて下さい。
筒井:今年も元気のいい2歳馬たちが入って来てるし、楽しみな出会いが期待出来そうです。ダービージョッキーの名に恥じないよう、もっともっと腕を磨いて頑張ります!
--------------------------------------------------------
※インタビュー / 赤見千尋
昨年7月のデビューから、ひたむきに頑張る姿が印象的な、笠松の新人・森島貴之騎手。異色の経歴を持つ22歳の、素顔に迫りました。
赤見:まずは騎手を目指すきっかけから教えて下さい。
森島:中学を卒業してから、すぐ鉄工所に勤めたんです。4年間働いたんですが、そこの先輩で競馬が好きな人がいて。僕は三重県生まれで、競馬に関係する施設も近くになかったから、初めは全然興味ありませんでした。
でも先輩が熱心に勧めてくれて、しかも地方競馬教養センターの願書まで取り寄せてくれたんですよ。あまりにしつこかったんで(笑)、「まぁ受けるだけ受けてみるかな...」という気持ちで受験したんです。
その頃には少しずつ競馬に興味も沸いてましたけど、まさか受かると思いませんでした(笑)。本当、たまたま合格出来たんだと思います。
赤見:センターに入るまで、馬に接したことなかったんですか?
森島:なかったんですよ。同期はみんな乗馬とかバリバリやってたんで、最初はすごく辛かったです。馬は大きくて怖いし、みんなみたいに上手に乗れないし...。
辞めたいって気持ちもあったけど、地元から出て来ちゃってるわけじゃないですか。今さら戻れないなと思いました。ここまで来て辞められないって気持ちで、毎日頑張りました。
赤見:無事に卒業して騎手になるわけですが、今度はデビュー前に怪我をしてしまったんですよね?
森島:そうなんです。3月に卒業して、4月の開催からすぐデビュー出来るはずだったんですけど、調教で落馬して膝を骨折してしまいました。入院自体は短かったけど、ギプスは取れないし自宅療養は長いしで、かなり焦りましたね。
赤見:その時はどんな想いで過ごしてたんですか?
森島:とにかく早く乗りたいって思ってました。毎日時間があるじゃないですか。だからよく同期のレースをネットで見ていたんですけど、いっぱい乗ってるやつもいるし、勝ってるやつもいて...。ものすごく焦りました。 やっとギプスが外れても、筋肉が落ちててリハビリしなきゃいけないし。毎日がすごく長く感じました。
赤見:無事7月にデビューを果たした時はどうでした?
森島:すごく嬉しかったですね。やっとスタートラインに立てたと思いました。 でも実際のレースは緊張してしまって...。一周あっという間だし、センターでやってた実習とは全然違いました。デビュー出来て嬉しいけど、難しいなとも思いましたね。
赤見:初勝利は3ヶ月半後でしたが、どんな気持ちでしたか?
森島:時間がかかってしまったけど、勝った時はものすごく嬉しかったです。
【エーシンファステム】という馬なんですけど、実はまだ候補生だった頃、競馬場実習に戻ってきた時に世話していた馬なんですよ。調教はもちろんですけど、身体を洗ったり、馬房を掃除したり。とても愛着のある馬だったんで、余計嬉しかったですね。しかもその後も2つも勝ってくれて...。僕は今全部で5勝(8月14日現在)なんですけど、そのちの3勝も挙げさせてくれてるんです。もう本当に可愛い馬です。
赤見:今の一番の思い出のレースは、【エーシンファステム】ですか?
森島:そうですね。初勝利もそうだし、1番勝たせてもらっているし。あの馬には、とても感謝してます。
あと、【ミスイサリビ】という馬がいるんですけど、今年の1月1日の1レースで勝ったんですよ。その時両親が見に来てて、目の前で初めて勝つことが出来ました。すごく喜んでくれて、母は泣いてたみたいです(照)。親孝行が出来たかなと思いました。
赤見:ご両親はもちろん喜んだでしょうね。騎手になることをしつこく(笑)勧めてくれた先輩はどうですか?
森島:先輩も喜んでくれてます。もう何度も三重から笠松まで応援に来てくれました。「まさか本当になるとは...」って驚いてました。
今はジョッキーになれて本当によかったって思います。難しいことや悔しいこともいっぱいあるけど、鉄工所にいた頃は、ただなんとなく仕事してましたから。今はやりがいがあって、毎日楽しいです。勧めてくれた先輩には、とても感謝してます。
赤見:騎手になって、変わったことってありますか?
森島:自分ではよくわかんないんですけど。先輩に、顔つきが変わったって言われました。前はナヨナヨしてて...。今もナヨナヨしてますけど、前はもっとしてたんですよ。少し、逞しくなれたのかなと思います。
赤見:この先、どんな騎手になりたいですか?
森島:今はとにかく1つ1つ大切に乗って、勝ち星を重ねることです。まだまだですけど、いつか岡部誠騎手のようになりたいです。
よくうちの厩舎の馬に乗ってもらうんですけど、すごく引っかかる馬でもかからないし、ササって追えないような馬でも真っ直ぐ走るんです。岡部さんが乗ると、簡単に乗ってるように見えるんですけど、それがすごい技術なんですよ。 レースのビデオも、意識して見ています。
兄弟子の花本正三騎手からは、たくさんアドバイスをもらってます。具体的には、自分の進路をしっかり取って、真っ直ぐ走らせろとか、もっと周りをちゃんと見ろって言われます。
落ち込むこともあるけど、花本騎手をはじめ周りの人たちが本当によくしてくれて、ご飯を食べに連れてってくれたり、休みの日には遊びに連れてってくれたりするので、すぐ前向きになれるんです。本当にありがたい環境で、みんなに感謝してます。
赤見:センターを卒業する時、外に出たら阪神戦を見に行きたい!と言ってましたが、実現しましたか?
森島:はい!やっと先月行くことが出来ました。吉井友彦騎手と横井将人騎手と一緒に甲子園まで行ったんですけど、もう本当に最高でした。いい気分転換になりましたね。
赤見:それでは、自己PR&笠松PRをお願いします。
森島:僕は、何をやるにしても一々長かったな、と思うんです。みんなより時間がかかるというか。でも、騎手として歩き始めたので、ここから先はしっかりと技術を学んで信頼してもらえるようになりたいです。 今の売りは、がむしゃらなこと。どんなに後ろにいても、最後まで諦めずに追って来ます。
笠松は、日本で唯一パドックがコースの中にあったり、ちょっと変わってる競馬場です。馬との距離が近いし、人馬の息遣いや騎手のステッキの音なんかも聞えて、すごく迫力あると思います。
ぜひ、生でレースを見に来て下さい!!
--------------------------------------------------------
※インタビュー / 赤見千尋
新潟競馬廃止に伴い笠松での再出発を決めてから8年、初めて年間100勝を挙げ、笠松リーディング3位で2010年を終えた向山牧騎手。笠松所属の現役騎手の中で唯一"競馬場廃止"を経験してるからこそ言える本音などを聞きました。
坂本:騎手になろうと思ったきっかけを教えてください。
向山:うちの親父が厩務員をやってたんですよ。で、子供のころから手伝ったりなんかしてたんですよ。
で、競馬とか見てるじゃないですか。それで『騎手ってかっこいいなぁ』って思って、まぁなれたらなろうかなって思って、試験受けたら受かったんで、騎手になったみたいなもんです(笑)。
坂本:騎手に憧れてた時と、実際に騎手になってからのギャップは?
向山:うぅん、それは別になかったけどね。勝ったときはホントうれしいし、なってよかったなと思う。
坂本:今までで一番印象に残ってるレースは?
向山:印象に残ってるレースですか? 結構あるんですけどね......デビューしたときに、まったく勝てなかったんですよ、十何戦くらい。で、そんなときにたまたま乗ったのがすごいいい馬だったんですよ。
本当は僕が乗る馬じゃなかったんだけど、主戦騎手が別の馬に乗ることになってて、ちょうどその厩舎をずっと手伝ってたこともあって『乗せたげるよ』って。ほんとに何にもせずに勝ったんですよね。
それから、その馬にずっと乗せてもらえて......まぁ、その馬に勉強させてもらったっていうか、ちょっとはうまくなったかなって思いますね。だから、この初勝利のときのレースが一番印象に残ってますね。
坂本:向山騎手といえば、新潟から移籍してきたわけですが......
向山:移籍っていうか、まぁ潰れたからね(苦笑)。
坂本:その新潟が廃止になるって聞いたときはどう思いましたか?
向山:長い間やってましたからね。もうちょっと何とかならないのかって思ったんですけど。(馬券が)売れないんじゃ仕方ないですからね。悲しかったですよ。
坂本:笠松に行こうって決めたのは?
向山:それはね、安藤勝己さんがいろいろやってくれてて、僕は本当は南関東に行きたかったんですけど、年齢制限でダメだってことで、ここしか僕の行くとこないんじゃないかなぁっていうのもあったんですよね。
坂本:笠松に来てみて印象は?
向山:結構みんないい人たちだったんで、それなりにすぐ溶け込めましたね。
坂本:乗った感じは?
向山:全然関係なかったですよ。僕、三条とかでも乗ってたんで、小っちゃいとこは全然気にならなかったですよ。
むしろ、乗りやすかった。三条のほうがもっとコーナーがきついですからね、ほんと急カーブみたいな感じでしたから。笠松のほうが乗りやすいですね。
坂本:笠松所属騎手で通算で2500勝を超えている騎手は向山騎手のみ。そしてその勝ち鞍をどんどん伸ばしていけるのには、周りのサポートの力も大きいですか?
向山:それはもう。ま、最初のころはあまり乗ってなかったですけど、だんだんと乗せてくれる厩舎も増えてきたんでね。
坂本:今後についての目標とかはありますか?
向山:今後ですか......その前に競馬場がどうなるかでしょうね。ま、ここで普通にやっていければ、3000勝くらいは狙っていきたいですけどね。
坂本:やっぱり、競馬場が存続していかない限りは......
向山:だからね、ほんとにそこが大事なんですよ。競馬場がこんな変なミスばっかり(レース中に走路整備車両が侵入した件)してるから、なおさらじゃないですか。
僕たちも賞金下げられても一所懸命やってるんですから。協力もしてるし、だから土台となる競馬場にはもっとしっかりしてほしいですよ。あんないい加減なことやってたら、潰れるのも目に見えてますよ。ミスしたらそこの会社の責任、で片づけるんじゃなく、競馬場側にも監督責任はあるんだから、競馬場側もそのあたりを重く受け止めてほしいし、一層の努力をしてほしい。
一度経験してるからこそ、人一倍『潰したくない』という思いが強い向山騎手。今がまさに正念場の笠松競馬を盛り上げるべく、今年もまたその剛腕ぶりでファンを魅了します。
※インタビュー / 坂本千鶴子