8月26日に通算400勝を達成した藤原幹生騎手。ここにきて成績が一気に上昇し、11月26日現在、笠松リーディング第4位につけています。
浅野:2012年に通算300勝を達成して、その翌年に400勝。勝ち鞍が伸びてきた理由はどのあたりなのでしょう?
藤原:これがその理由っていえるものは特に思い当たらないんですよね。もちろん、いい馬に乗せてもらえていることがその要因ですけれど、なんでいい馬に乗れるようになったのかというと、一言では表せないですね。いろんな部分が少しずつ底上げされてきたから、という感じですかね。
浅野:だんだんといい循環になってきたということでしょうか。
藤原:そうですね。午前1時半頃から始まる調教に遅れないのはもちろんですし。あとはトレーニングをやり始めたことが以前とは違うところですね。
浅野:上半身にかなりの筋肉がついているのは、その効果ですか。
藤原:はい、スポーツクラブで筋トレをしています。胸筋をつけて、上腕三頭筋を鍛えて、あとは大腿、腰あたりの筋肉を意識してつけていますが、もうちょっと欲しいかな。体重はまだまだ余裕があるので大丈夫ですよ。
浅野:それを始めたきっかけはあるのですか?
藤原:30歳になる頃(藤原騎手は1981年4月20日生まれ)に、このままでは終われないかなと思うようになって、何か変えてみようということで筋トレを始めたんです。それが意外と嫌いじゃなかったので続いていますね。あとはもっと肩周りを太くして、背筋をもう少し強めにして、持久力とパワーをつけていきたいです。
浅野:となると、筋トレを始めたのが成績上昇の一因ということになりますね。
藤原:そうですね。やってみてよかったと思います。以前に読んだスポーツ系のマンガにいいことが書いてあったんですよ。『好きなことのためにすることは、努力じゃなくて至福の時間だ』って。
浅野:まさにそのとおりですね。静岡県出身の藤原騎手が、その『好きなこと』に巡り会ったのは、どういういきさつなんでしょうか。
藤原:実家は御前崎の近くですから、競馬はテレビで見ていたくらいです。競馬中継を見るきっかけは、テレビゲーム。ハマっていたのはダビスタとかではない、マイナーなものでしたが(笑)。騎手ってよさそうだな、と思ったのは中学の頃ですね。普通の仕事をしても面白くないなあという考えもありましたし。それで高校1年のときに電話帳をめくって牧場を調べたら、金谷(現在は島田市)にあったので行ってみたんです。そこは希望するタイプの牧場ではなかったんですが、浜松にある育成牧場を紹介してもらいました。それで夏休みに実際に働いてみて、馬の世界でやれそうだなと思ったので高校は中退しました。
浅野:ずいぶんと決断が早かったんですね。
藤原:体も小さかったですし。ただ、JRAの試験には2年連続で落ちてしまいました。でもその育成牧場は、笠松競馬の山下清春調教師の弟さんが経営しているんですよ。そのつてで山下厩舎に入れてもらって修業して、地方競馬の試験に受かることができました。
浅野:回り道をしつつも夢を実現させられたわけですが、2010年まで笠松での順位は10位以下。騎手としての成績はなかなか上がってきませんでした。
藤原:うーん、あんまり成績には興味がないんですよね。結果とかではなくて、自分が納得できるレースができればいいかなという思いのほうが強いかな。でも重賞タイトルが欲しくないと言えばウソになりますし、欲は多少出てきましたね。
浅野:となると、近い将来の目標としては重賞勝利となりますか。
藤原:そこまでの思いはないんですけれど、そのうち......ですかね。騎手としての目標は、自分なりに行けるところまで行きたい、自分のなかで納得できるところまでうまくなれればという感じで、数字とかは特にないです。
浅野:それでも自身の変化が成績に表れてきているように感じます。そういえば、藤原騎手は先日(11月17日)、金沢競馬で騎乗していましたね。それも成績が上昇した効果のひとつではないですか?
藤原:メインの金沢プリンセスカップは、馬主さんから依頼をいただきました。でもそれ以外に乗せていただいた4鞍、ぜんぶ鈴木長次厩舎なんですけれど、調教師さんには会ったこともなかったんですよ。(ビーファイター号引退記念で騎乗した)ビーファイターも含めて、なんで依頼してくださったのか、よくわかりません(笑)。
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※インタビュー / 浅野靖典
今年3月限りで廃止となった福山競馬から、笠松競馬へと活躍の場を移した池田敏樹騎手にお話しを聞きました。
坂本:笠松に来てしばらく経ちましたが、慣れましたか?
池田:だいぶ慣れました。
坂本:笠松の雰囲気とかはどうですか?
池田:そうですね、関係者の方々に優しくしていただいて、とてもいい感じです。
坂本:聞くところによると、笠松は移籍候補地の第一希望ではなかったそうですが?
池田:まぁ、そうですね。ただ、家族といろいろ話をした結果、笠松に来ることに決めました。
坂本:家族の皆さんは、こちらにはまだいらっしゃっていない?
池田:そうです、まだ来てないです。夏前くらいにはこっちに来る予定です。
坂本:それまでは単身赴任ということですね。
池田:そうですね。
坂本:さみしくないですか?
池田:いや...まぁ...子供の顔があんまり見れないのはさみしいですね。でも、電話ではちょくちょく声を聞いてるので。
坂本:名古屋でも騎乗していましたが、池田騎手はどちらが乗りやすいですか?
池田:福山と違って、どちらも馬場が広いんで、乗りにくいという感じはないです。
坂本:ファンとの距離感という点ではどうですか?
池田:そうですね、みなさん声をかけてくださって、優しいですよね。
坂本:新天地に移って、今後の目標を聞かせてください。
池田:ひとつでも多く勝ち鞍を重ねて、ファンのみなさんや関係者のみなさんのご期待に沿えるようがんばりたいです。
慣れない土地で新たなスタートをきった池田騎手。今後、どんな活躍を見せてくれるか、楽しみです。
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インタビュー・写真 / 坂本千鶴子
3月1日時点で笠松リーディング5位、2月にはゴールドジュニアで久々の地元重賞Vを果たした佐藤友則騎手。そんな好調期まっただ中、レース直前の慌ただしいところ時間をいただいてインタビューしてきました。
地元のゴールドジュニアをゴールドブラザーで制覇(13年2月15日)
坂本:今年に入って調子がいいようですが?
佐藤:そうですね、リズムはいいですね。
坂本:先月(2月15日)にはゴールドジュニアも勝ちました。重賞は久しぶりのように記憶してますが?
佐藤:そうですね。地元重賞は久しぶりですね。オグリシルクの東海ゴールドカップ(08年12月31日)以来ですね。他地区も含めると、去年の盛岡での絆カップ(11月10日、トウホクビジン)以来です。
坂本:ご自身で『調子がいいな』という感じはありますか?
佐藤:トウホクビジンへの騎乗を頼まれるようになってから、ほんとにリズムがいいというか、他場でも勝つようになって、今まで東海以外では(JRA)阪神でしか勝ててなかったんですけど、盛岡、園田、大井でも勝たせてもらってるんで、リズムはいいですね。名古屋も今年はもう勝ってますし。
坂本:去年までと今年とで、乗っていて違いというのはありますか?
佐藤:う~ん、そういう違いというのはないんですけど、なんか流れがいいというか、リズムがいいなという感じはありますね。
トウホクビジン
坂本:最近、トウホクビジンで他地区へ遠征するようになりました。そういった他地区へ遠征したときの気持ちはどんな感じですか?
佐藤:関東へ行ったときは、雰囲気もいいですし、普通のオープンとか地方重賞とかだと勝ち負けしてくるから、気持ちは違いますよね。そこそこいいところまでくるんじゃないかという期待感と、馬もがんばってくれるので。
坂本:トウホクビジンの絆カップのときはありえないような位置から追いこんできました。
佐藤:馬主さんからも『着には来てほしい』というのはあって、折り合いだけをつける乗り方をしようと思ったら結果的に位置取りが後ろになっただけなんですけど、ペースも速かったので思った以上に後ろになっちゃったんですけど、まぁ、焦らず乗れたから馬も頑張ってくれたっていうのもあると思います。勝とう勝とうという気持ちよりもちょっとでも前にっていう気持ちがあったので、馬に余計な力をかけさせない乗り方ができたんじゃないかと思いますし、それが結果につながったと思います。
坂本:どのあたりで『勝ち』を確信しましたか?
佐藤:直線ですね。直線入るまでは3着はあるなと思ってたんですが、直線向いたら前が見えたので。直線に入る瞬間に馬もグンとハミ取って、一気に前との差がなくなったので、『これはとらえられるな』と思いましたね。
坂本:今年、まだ始まったばかりですけど『ここで乗ってみたい』という競馬場はありますか?
佐藤:3月(17日)に金沢での騎手招待レースに呼ばれてるんですけど、そういった招待レースというのには呼ばれたいですよね。正直なところ、WSJSの予選にも出てみたいですね。今のところ、リーディング争いも横並び状態ですし、今の調子が続けばチャンスは十分あるんじゃないかと思ってます。藤原(幹生)もがんばって勝ち鞍伸ばしてますし、お互いにいい刺激になってます。
坂本:では、今後の抱負を。
佐藤:まあ、焦らずのんびりと(笑)上位争いできればと思ってます。
他地区への遠征というチャンスからしばらくの間遠ざかっていましたが、『現役最多遠征馬?』トウホクビジンとのコンビで、はたまた招待騎手として活躍の場を広げるであろう佐藤騎手の今後の活躍に期待です。
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※インタビュー・写真 / 坂本千鶴子
笠松で再デビューを果たしてから5年、一昨年には重賞勝ちも果たした吉井騎手に、2012年の暮れ、12月30日にお話しを伺いました。
坂本:2012年、どんな年でしたか?
吉井:大きなところは勝ててないんですけど、まあまあ勝ち鞍も伸びたし、今日明日でできるかどうかわからないですけど、あと2つ勝てれば一応年間100勝なんで、できれば大台に乗れればいいかなとは思ってるんですけどね、なんとか(苦笑)。
坂本:笠松で再デビューしてから、自分で『変わったな』と思うところはどこですか?
吉井:そうですね、岩手でやってるときはもう乗せてもらったら『やったー!』ていうくらいの気持ちだったんですけど、数を全然乗ってなかったので。再デビューしてからはハングリー精神が出てきましたね。やっぱ、乗れなかった時期があったからだと思うんですけど、競馬は勝ってなんぼなんで、『乗ってやったー』じゃなくて『勝ってやったー』に変わったっていうか。その分、厳しいことも増えましたけど。
坂本:『乗ること』から『勝つこと』に意識が変わった?
吉井:そうですね。
坂本:ではなぜ、岩手をデビューの地に選んだのですか?
吉井:ただただミーハーな感じなんですけど、芝のレースに乗りたかった、それだけです。盛岡だったら芝のレースもあるし。ほんとそれだけですね。
坂本:その後、騎手を一旦やめ、そして笠松から再デビューしました。笠松に来るきっかけはなんだったんですか?
吉井:尾島(徹騎手)が同期で、「とりあえず厩務員からやってみないか?」と連絡がきたのがそもそものきっかけですね。ま、騎手としてではなく厩務員としてですけど、また馬に乗れるんなら乗ってみたいしなと思って来たんですよね。
坂本:そこからまた騎手としてやってみようと思ったのは?
吉井:考えたのは森山厩舎に入ってからですね。笠松に来て最初にお世話になった先生がやめて、その時に森山先生に拾ってもらって、そこからですね。
坂本:厩務員として馬を世話するのと、騎手として馬に乗るのとでは、やはり違う?
吉井:厩務員やってたときも攻め馬とかで馬に乗ってましたけど、レースを見るとやっぱり乗りたいなって思いましたよ。騎手やめてすぐのときなんかは、もうわざと避けるように見なかったりしてましたね。乗りたくなりそうな気がしてくるのもわかってたし。
坂本:乗ってて『うれしい』と感じる瞬間は、どんな時?
吉井:1歳とか2歳とかで入って来て、自分である程度調教した馬を初めて走らせたときですね。勝ってくれるとなおうれしいです。そういう馬のほうが思い入れがあるのかもしれないです。
坂本:今までで一番印象に残ってる馬は?
吉井:印象に残っていいイメージなのはヤマニンピトレスクですね。自分が乗って4連勝する馬なんて初めてだったんで。この馬にはだいぶ成長させてもらったかなと思います。逆に、悪いイメージとして残ってるのは、岐阜金賞のコロニアルペガサス(笑)。もう、あれは完全に勝ってたんでね、僕のミスだけで負けてるんで。ずっとそれが残ってます。ま、その次の日にモエレトゥループで初めて重賞勝てたから、ちょっと吹っ切れてる部分もあるけど、そこで勝ってなかったらもっと悔しいですよね。
坂本:重賞はその1つだけ?
吉井:そうですね。SP1もまだ勝ってないですね。勝ったジュニアクラウンはSP2ですから。岐阜金賞がSP1で......。もうちょっとゆっくり動いてたらなぁ......。
坂本:やっぱり、重賞だと焦る?
吉井:今だったら大丈夫だと思うんですけど......もう1回、今の精神状態で乗りたい。あのときに戻りたいっていうのはすごくありますね。まあ、でもしょうがないんですけどね。そういうのを経験して、逆に覚えることもあるでしょうし、あれがなかったらまた違うとこでミスしてるでしょうし。何とも言えないですけど、今の状態でコロニアルに乗れたら自信持って乗ったでしょうし。
坂本:今なら落ち着いて乗れる?
吉井:でも、重賞とか認定とか新馬っていうのは気合が入りますよ。いい意味で緊張する分には、たぶんいいと思うんですけど、あの時は緊張しすぎた。特に、あの3コーナーあたりから意識が完全に『勝ち』になってしまったんで、その前にもっと勝ち方を覚えてるジョッキーだったらあんなミスはしないでしょうね。
坂本:今度、幼馴染みで後藤保厩舎の厩務員をやっていた山下(雅之)君が騎手として新たなスタートを切ります。ライバルが増えるという感じはありますか?
吉井:僕としては、中学校の頃に同じ乗馬クラブに通ってたんで、一緒に乗れるのはうれしいですね。ライバルだけどうれしいですね。でも、手は抜かない。ただ、はっきり言うと厳しいと思う、最初は。学校で模擬レース乗ってたわけでもないし。
山下雅之騎手(右)と
坂本:騎手の先輩として、教えることはありそう?
吉井:教えるといっても経験なんでね。僕らの仕事なんて。ま、僕が教えるっていうのにも限界があるし、僕だって何から何までわかってるわけでもないし、一流じゃないし。本人が、他人からどれだけ吸収するかじゃないですかね。見て盗むっていうのもあるし、まねしてみるのもいい。そういうことも必要じゃないですかね。
坂本:じゃあ、今後が楽しみですね。
吉井:そうですね、楽しみっちゃあ楽しみですけど、1年目から越されたらどうしようかなと思いますよ(苦笑)。
坂本:よき友達、よきライバルですね。
吉井:そうですね、早く一緒に乗ってみたいですね。
坂本:最後に2013年の抱負を。
吉井:もし、年間100勝できてなかったら今度こそっていうのもあるし、まあ数だけこだわってもしょうがないんで、やっぱり大きいところも勝ちたいですね、久しぶりに。今、リーディング3、4位くらいのところにいるんですけど、上の2人、尾島と東川さんは大きいところもバンバン勝ってくし、平場もバンバン勝ってく、そのへんで差があると思うんです。平場でしか勝てないっていうのも恥ずかしいんで、大きいところでも勝ちたいですね。ってここで言ってて、今日のマユノプーリンで勝ったらどうしようかね(笑)。ま、でも、こういう雰囲気をどんどん味わっていきたいですね。あと、自分とこの厩舎(森山厩舎)の勝ち鞍がなかなか増えないんで、そこも頑張って増やしていきたいです。
吉井騎手の2012年は、インタビュー当日の1勝が最後となり大台には星ひとつ届きませんでしたが、リーディングを狙える位置まで登ってきました。新たなライバルを迎え、今後さらなる飛躍が期待されます。
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※インタビュー・写真 / 坂本千鶴子
今年度のオッズパークグランプリは2月28日に笠松競馬場で行われる予定。過去5回の同レースでは、笠松所属馬が3勝、2着1回と抜群の成績を残している。そしてそのうちの2勝は尾島徹騎手が挙げたものだ。
まずはその2勝(08年マルヨスポット=福山、09年マルヨフェニックス=園田)を振り返ってもらおう。
最初のときは、福山競馬場そのものが初めて。それで多少の不安はありましたが、競馬場に着いて馬場を見たら笠松以上に小回りで、さらに不安に。でもレースではキングスゾーンとか強い馬が引っ張ってくれたので、うまく流れに乗れました。しかもマルヨスポットは内にササるタイプだったので、コーナーもスムーズに回れたんです。ほかの馬は外に膨らんでいましたから、その点は有利に働きましたね。マルヨフェニックスのときは、勝てるかなという手ごたえがありました。出走メンバーのなかの強い馬を目標にして、最後に差し切れればという思いで乗ったら、そのとおりになりました。
尾島騎手とマルヨフェニックスのコンビは、南関東でも重賞を2勝。まさに全国区での活躍が続いている。その出会いとともに、尾島騎手の成績も急上昇。2009年以降は年間100勝以上を達成している。
デビューしたころは安藤光彰さん(JRAに移籍、引退)が師匠みたいで、いろいろと面倒をみてくださいました。でも自厩舎には兄弟子が2人いたので、レースでは乗る馬が全然いなくって。それでも少しずつ乗り鞍が増えましたが、勝ったら次は乗り替わり。よく腹を立てていましたね。
それでもデビューの年は17勝で、2年目が40勝。素質を実績に変えつつあった2006年に、ひとつの転機をみつけた。
僕の父の関係からつながって、JRAの岩戸孝樹調教師(美浦)を紹介していただいて、研修という形で行けることになったんです。笠松での仕事はもちろん気になりましたが、刺激がほしいという欲求と、興味と好奇心で押し切りました。いやあ、行ってよかったです。重賞勝ち馬にも乗せてもらえましたし、藤沢和雄厩舎でも調教を手伝わせていただきました。もう、馬を見るだけでほれぼれするというか、笠松とは馬のカタチや造りが違って見えましたね。そもそも、歩くスピードから違いました。
その経験は、その後の尾島騎手にどんな影響を与えたのだろうか。
いちばん変わったのは考え方ですかね。その期間、レースに乗ったわけではないですが、JRAでの経験は落ち着いて乗ろうと考えることにつながったように思います。「勝てる馬は構えて乗っても勝てるんだ」と。その意識ができたことで、笠松でも控えて乗れることが多くなりました。それによって、勝てる馬での取りこぼしが少なくなったようにも思います。美浦に行く前は、前へ前へという気持ちでしたし、周りもそういう騎手が多かったですし。
そういった積み重ねが、2009年の笠松リーディングにつながったともいえそうだ。
そのおかげで、JRAに遠征するときに、笠松以外の馬にも乗せてもらえるようになりました。(マルヨフェニックスで)黒潮盃(大井)を勝ったのも大きかったですね。僕みたいな騎手は、何か目立つことをやらないとなかなか覚えてもらえないですから。
しかしなぜか、スーパージョッキーズトライアルでは2回とも苦戦となっている。
普段のレースとあまり変わらないと思うんですけれど......。でも気持ちとしては、ワールドスーパージョッキーズシリーズは本当に出たい舞台。その経験はもちろん、そのあとがきっと大きくなるはずですから。
そのためには今後もリーディングを守る必要がある。尾島騎手が考える笠松競馬場の勝負ポイントはどのあたりなのだろうか。
笠松では地元同士のレースだと、力のある馬なら多少強引に行ってもなんとかなりますが、交流競走になるとペースが速くなるので後ろからでも届きます。でもそれも違いがあって、地元馬が逃げたらペースはゆっくりめ、遠征馬が逃げたら早くなるという特徴があります。まくりを打つなら3コーナー手前にある坂の頂上が勝負ポイント。でも外を回ると不利なので、通る目安は内から3頭目までかな。ですから、先行馬が固まっているとき、それがどうなっていくのかを読むというのも重要です。
小回りコースだけに、コースロスを少なくするのは大きな課題。それが騎手の技量を上げることにもつながるのだろう。
あるとき、インを突いて勝ったら、2着の大先輩にものすごく怒られたんですよ。でも、それで気後れしたり遠慮したりすると、結果は残せませんよね。常に攻めていかないとレースしてもつまらないですし、自分自身も成長できません。今はどこでもレース映像が見られますから、どんなときでも自分が勝ちたいという気持ちが伝わるような競馬をしていきたいと思っています。
デビュー12年目の2012年は、過去最高の勝ち星を挙げている。さて尾島騎手は、なにを今後の目標に据えていくのだろうか。
確固たる目標というよりは、とにかくここで実績を作ることが第一。それが今後につながっていくことになると思います。笠松は先輩たちが勉強熱心というか、そういう気持ちをもっているんですよ。その意味で、笠松には見習えるいい先輩が揃っています。そして安藤勝己さん、光彰さんをはじめとする偉大な先輩と同じ時期に騎乗できたことも、自分自身の財産になっています。笠松はベテランの皆さんが強い競馬場ですけれど、僕自身、ここまで上がったからには成績を落としたくはないですね。2012年のデビュー馬では、カツゲキドラマとのコンビで5連勝を挙げ、川崎のローレル賞でも4着に好走した。「あの馬は野生状態で笠松に来て、馴致から僕が担当したんです。そういう馬で活躍したのは、僕自身はカツゲキドラマが初めてです。馴致育成はその道のプロに任せたほうがいいと思うんですけれど(苦笑)」。さまざまな経験を重ねながらも高いところに理想を置いて、その上で日々を一所懸命に過ごす。今後もさまざまな舞台で、尾島騎手の活躍が見られることだろう。
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取材・文●浅野靖典
尾島 徹(笠松)
おじま とおる
1984年3月23日生まれ おひつじ座 O型
愛知県出身 柴田高志厩舎
初騎乗/2001年4月1日
地方通算成績/5,701戦870勝
重賞勝ち鞍/オッズパークグランプリ(福
山・園田)、OddsParkFanSelection、黒潮盃
(大井)、スパーキングサマーカップ(川崎)、
岐阜金賞(4回)、東海菊花賞(2回)など33勝
服色/黄、青のこぎり歯型、そで青一本輪
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※2012年11月19日現在
(オッズパーククラブ Vol.28 (2013年1月~3月)より転載)