2008年【マルヨスポット】、2009年【マルヨフェニックス】と、『オッズパークグランプリ』を連覇している、笠松の尾島徹騎手。
昨年は通算500勝を達成して、自身初のリーディングにも輝きました!26歳になった今年は、JRAでも初勝利を挙げ、まさに地方競馬を代表するジョッキーです。
今年は残念ながら、【マルヨフェニックス】は回避となってしまいましたが...『オッズパークグランプリ』2連覇のお話をお聞きしました!
赤見:【マルヨフェニックス】の回避は本当に残念です...
尾島:そうですね。僕も楽しみにしていたレースだったので...。でもあれだけ走る馬だし、無理しても仕方ない。順調に調整出来れば、また強い【マルヨフェニックス】をお見せ出来ると思います。
赤見:第1回の水沢は出走していませんでしたが、第2回福山・第3回園田と連覇していますね。 尾島騎手にとって、『オッズパークグランプリ』はどんなレースですか?
尾島:とにかく相性のいいレース!!だと思ってたんですけど...それも去年までなのかな(笑)。
それは冗談として、毎年持ち回りで開催してるから色んな競馬場で乗ることが出来るし、賞金も高いので狙っているレースです!
赤見:確かに、1着賞金1000万円というのは大きいですよね。
まずは初参加となった第2回の福山のお話を聞かせて下さい。
尾島:あのレースで初めて福山競馬場に行ったんですけど...コースを見た瞬間、ビックリしました!なんだこれは?!て。
赤見:かなり特殊なコースですよね。
尾島:はい!
小回りだし砂が深いし...これは相当手強そうだなと。あの時騎乗した【マルヨスポット】は人気薄だったし、これまでの経験から言っても掲示板に載れば御の字かなと思ってたんです。
どう乗ろうとかはきっちり決めてなくて、人馬共に初めてのコースだし、出たなりで行って砂を被りたくないなと考えてました。
赤見:レースでは4番手を進んでいましたね。
尾島:前の3頭がけっこう行ってくれたんで、結果的に砂は被ってしまったけど、展開がはまりました。内にささる馬だから、小回りも全く気になりませんでしたね。
赤見:結果は差し切り勝ち!しかもレコードでした!!
尾島:まさか勝てるとは夢にも思ってなかったので、すごく嬉しかったです!初めての、しかも福山の難しいコースで勝てたことも大きいですね。
赤見:騎手には賞金から5%が入りますが...その賞金は?
尾島:全部飲んじゃいました(笑)。
赤見:さすが尾島騎手(笑)。
続いては、昨年の第3回園田のお話を聞かせて下さい。
尾島:【マルヨフェニックス】にとっては、1400メートルは少し短いんですけど、勝ってくれないかなと思ってました。大井と園田はすごく合うみたいなんですよね。
ただ...あの時はコースどうこう考えてる場合じゃなかったんですよ!返し馬で手綱が抜けてしまって...ホントに死ぬかと思いました(苦笑)。
赤見:そうでした...人馬とも怪我なくてよかったですよね 。
尾島:目指してたレースだったし、勝ち負け出来る自信もあったんで、なんとか放馬しないようにもう必死でした。無事出走出来てよかったですよ。
赤見:レースは6番手からの差し切り勝ちでした!
尾島:【キングスゾーン】と【アルドラゴン】が前にいて、目標にしていて、前が止まらないかな~と思っていたんですけど。まさかあんなにキレイに差してくれるとは...かなり気持ちよかったです。
赤見:ちなみに、その時の賞金は?
尾島:もちろん、パーっと飲んじゃいました(笑)。
赤見:やはり(笑)。
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※インタビュー/赤見千尋
デビューから5連勝で全日本2歳優駿Jp nⅠを制し、NARグランプリ2009 の年度代表馬に選ばれたラブミーチャンの主戦を 務めるのが、濱口楠彦騎手。日本中の競馬ファンの注目は馬だけではなく、その鞍上に も集まっている。
ラブミーチャンは、JRA未出走から転入してきた馬だ。
■笠松に入ってきた当初は尋常じゃない暴れ方でしたね。5日くらいしたらおとなしくなりましたが、そのパワーはすごかったですね。ただ、腰がゆるくて。JRA(栗東・須貝尚介厩舎)では全然動かなかったという話も聞いていましたし、実際に乗ってみても、手前を替えるのさえ下手だったという状況でした。
そういう馬が10月7日のデビュー戦では、 鮮やかな勝利を収めることになる。
■毎日の調教では「まあまあの馬かな」という感じで、デビュー戦のときの追い切りで「いいスピードがあるなあ」と思ったくらいでした。でも実戦ではあの走り(800 m戦を48秒1、重馬場)でしょう。もう少し追えばレコードだったと思いますが、そのときには「勝つことが第一」と思うくらいになっていました。
ラブミーチャンの素質、そして将来性を感 じ取った濱口騎手。2戦目では重賞をあっさり突破する。
■2戦目はスタートが少し悪かったんですよね。それもあって直線では目一杯追いました。3戦目のJRA挑戦のときは、正直半信半疑でしたね。でも最後の根性がすごく て、改めてこの馬の能力を認識したという感じでした。
そして、兵庫ジュニアグランプリを快勝し、暮れの2歳王者決定戦に駒を進める。
■デビューのとき、マイルくらいまでは大丈夫とは思っていました。でもだんだんテンションが上がってきたのが心配で。全日本2歳優駿のときは普通に返し馬をするつもりだったんですが、危なくて待避所に直行せざるを得ませんでした。それでもスタートは速 かったですし、最後までしっかり走ってくれました。
じつはゴールしたときは、ウイニングランなんて考えていなかったんですよ。でもゴール後も勢いがすごくて3コーナーまで行ってしまったので、じゃあ1周しようかなと思ったんです。それでスタンド前をトコトコ歩いていったら、お客さんに「手ぐらい挙げろよ」と言われましてね(笑)。あわてて手を挙げたら、スタンドが盛り上がってくれました。気持ちよかったですよ。
と、50 歳間近にして最高の栄誉を勝ち 取った濱口騎手。しかし30 年余りの騎手人生には苦労も多かった。
人も多かったですね。同期だって安藤勝己、安藤光彰の2千勝騎手ですし。安藤勝己騎手なんて誕生日も一緒だから最初はライバルだと思っていましたが、ほどなくして彼はお手本、そんな感覚になりましたものね。
それでも本当に悩みましたよ。なんで彼のように乗れないんだろうかと。普段の仲は良かったんですが、あるときついグチをこぼしたら「自信を持って乗らないといかんよ」と諭されました。でもそれがいいきっかけになって、それからは自分の欠点を気にするよ りも、思い切りがいいという長所を伸ばしていこうと決めたんです。
その日々を成長に結びつけ、笠松のトップ ジョッキーのひとりとして現役を続けてきた。
■ただ、2000 年のケガはきつかったですね。ゲート練習で馬がひっくり返って、十字靭帯を切ってしまったんです。この左足、今でもちゃんと曲がらないんですよ。医者には一生正座できないと言われました。
手術後1年間は馬に乗るなと言われていましたが、どうしても乗りたくてケガから10カ月目のときにおとなしい馬に乗せてもらったんです。でもそのとき、あまりにも体が重くって、一気に自信がなくなりました。ちょうどケガをする前あたりが技術的にいい感じになってきたと思えてきた頃だったので、余計にくやしかったですね。
騎手生活続行の大ピンチ。それでも周囲 の助けもあって、現役を継続。そんな危機を乗り越えたからこそ、濱口騎手は栄誉を つかむことができた。
■ 2006 年のワールドスーパージョッキーズシリーズは、いい思い出ですね。あのときは本当に運がぼくに向いていたと思います。スーパージョッキーズトライアルへの出場騎手選定のタイミングのときに、ぼくがリーディングだったのもそうですし(最終的にはリーディング2位)、そのトライアルでも2位の山口竜一騎手とは1ポイント差。出場した本番では、JRAで勝ちたいという夢もかないましたから。
それ以上の夢が、ラブミーチャンには詰 まっているのではないだろうか。
■そうですね......。でも楽しみではありますが、楽しいとはいえないですよ。責任感というか不安というか、とにかく無事でという気持ちのほうが大きいですね。
ラブミーチャンは筋肉も関節も柔らかいんですよ。軽く走らせると頼りないんですが、スピードに乗るといい走りになります。昔は中京競馬場での開催もありましたから、芝馬の感触もある程度わかります。そのときの経験から考えると、ラブミーチャンは飛ぶような走りをしますから、芝にも対応できると思っているんです。
濱口騎手が最初に馬に乗ったのは12 歳に なったばかりの頃。エイユーザンという名のアラブのオープン馬だった。
「父が調教師と知り合いで、何かこの子に やらせることはないかと紹介されて、馬乗りを始めました。そうしたら小学校の卒業式 の日にその調教師が校門で待っていて、中学は厩舎から通うことに。選択の余地はな かったですね(笑)。でも、この仕事と巡りあってよかった。今となっては、父に感謝していますよ」
30 年以上も騎手を続けられる人はほんの 一握り。「乗せてもらえて幸せ」と思う気持ちの積み重ねが、今につながっているのか もしれない。そんな濱口騎手と歩むラブミーチャン。伝説はどこまで広がるのか、期待 をもって見守りたいものである。
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濱口 楠彦(笠松)
1960年3月28日生まれ おひつじ座 A型
三重県出身 松原義夫厩舎
初騎乗/ 1976年10月20日
地方通算成績/ 18,167戦2,377勝
重賞勝ち鞍/全日本2 歳優駿JpnⅠ、兵庫ジュニ
アグランプリJpnⅡ、全日本サラブレッドカップ、
名古屋大賞典、東海桜花賞、東海菊花賞、全日本
アラブクイーンカップなど58勝
服色/白・紫のこぎり歯形
※成績は2010 年2 月18日現在
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(オッズパーククラブ Vol.17 (2010年4月~6月)より転載)
数々の名騎手を輩出する笠松競馬で、昨年のリーディングジョッキーとなったのが
東川公則騎手。
今年も4割の連対率でファンの期待に応えている。
東川騎手といえば、ミツアキタービンとのコンビが有名だ。2003年12月の中京競馬では、
アンドゥオールを4馬身ちぎり捨て、フェブラリーステークスGIでもアワヤという好勝負を
演じた。そのあとダートGIIを2勝した名馬は、現在復帰に向けて鋭気を養っている。
■JRAで挙げた唯一の勝利がタービンで勝った香嵐渓特別です。あの時はパドックで他の馬と比べても
見劣りがするし、実際に調教で乗っていてもスゴイという感覚がないものですから、緊張もしませんでした。
結果は完勝でしたが、勝ち時計もなんでこんなに速いんだろうと思うくらい、まだ半信半疑なところが
ありました。強いとハッキリ認識したのは、その次の東海ゴールドカップです。そのときぼくは自厩舎の
サダムクリスタルに乗っていたのですが、その馬もけっこう強いのにタービンには8馬身ちぎられました
からね。
あの後ろ姿を見て、タダモノではないなとようやく実感したんです。そして手綱が戻って挑んだ
フェブラリーステークスでは、行きっぷりがよくて2番手につけられて。そして最後はアドマイヤドンと
あまり差のない4着でしょう。
あんな競馬ができるなら、もう一度しっかり仕上げて挑戦したいですね。
もうすぐ帰ってきますし、本当に楽しみです。
東川騎手は昨年、デビュー19年目にして初のリーディングジョッキーに輝いた。
■本当は川原騎手がいるうちに(昨年6月兵庫へ移籍)獲りたかったのですけどね。
まあ、川原さんが移る時点でぼくの勝ち星が上だったから、よしとしましょうか(笑)。
でも、ここまでくるのは長かったですよ。デビューしてしばらくは「本命で飛ぶ東川」とファンの
人たちに言われていましたから。本命で負けたのに、お客さんに何も言われなくて不安になる
こともありました。
安藤勝己さんなら怒鳴られるのに......。そう、あの頃はヤジられるくらいになりたいと
思っていましたね。
笠松で顕著な成績を収めた騎手に贈られる騎手表彰は、3年連続の受賞となった。
■フェアプレーで乗らないともらえませんし(騎乗停止が5日以上あると、受賞資格を失う)、
単純にうれしいですね。
でも、デビューしてから10年目くらいまではスタートの御法でよく注意を受けていたんですよ。
だから今でもかなり気を使っています。ここは後手を踏むと厳しい競馬場ですし。
笠松競馬場は騎手のレベルが高いことでも知られる。これまでにも安藤勝己、安藤光彰、
川原正一、柴山雄一などが笠松の地で育っていった。
■偉大な人の背中を見ていましたから、その影響は大きいと思います。それにここは騎手たちが
みんな一所懸命にやっているんですよ。レース中でも他の騎手からの『勝ちたい』という強い気持ちを
感じます。もちろんぼくも、人気薄の馬だろうが勝ちに行く競馬をしています。
(昨年秋に笠松に短期所属した)内田利雄さんとか外から来る騎手に対しても、勉強になると
思って接していますよ。自分自身が刺激を受けて成長していければ存在は別に気にならないし、
乗り馬が取られるなどという悔しいことにならないように自分が頑張ろうという気になるから、
むしろ大歓迎ですね。
しかしながら、周りにいい手本があったとはいえ、理想の騎手像については「それとこれとは
別」という。
■今も毎日、理想の騎乗フォームをイメージトレーニングしているんですよ。いやあ、海外の騎手は
本当にすごいですね。海外のレースビデオを見て衝撃を受けてからヤミツキになりまして。
その映像を自宅で編集して見ているくらいなんです。ぼくの理想は、世界のトップジョッキーのように
「馬をブレさせないための動作が自然な流れの中でできる騎手」なんです。
まずはリーディングジョッキーになったということで、第一関門突破、っていう感じですね。
また、リーディングを獲れたことで招待競走などに行けるようになったのがすごい収穫で、
いい刺激になるんです。これからもそういう舞台にたくさん立ちたいですね。
JRAにももっと参戦したいし、ホントいろいろ勉強中です。
1周1100メートルの小回りコース。笠松競馬の勝負ポイントについて聞いてみた。
■とにかく外を回らないこと。特に1コーナーの回り方ですね。そこを内で我慢できるかどうかが勝負の
分かれ目だと思います。それと脚の使いどころ。距離が持つか怪しいなと思う馬でも、行ききれれば
けっこうしぶとく走ってくれるんです。だからこのコースは思い切りも大切。
それとマイル戦は内枠がやっぱり有利です。いくらダッシュ力があっても10番枠はつらいですね。
経営難が伝えられる笠松競馬。馬上からの視点でみた感想と、ファンへのメッセージを
聞いた。
■いやあ、スタンドにお客さんがいないのがよく見えるんですよ(苦笑)。表彰式でも周りに誰もいないから、
なんだか浮いちゃうし。やっぱりヤジられるくらいのほうがいいですね。
笠松競馬場の魅力は、騎手同士の駆け引きが深くて、たくさんのファンに楽しんでもらえる
ところだと思います。食べ物もいろいろありますし、もっとみなさんに参加してもらいたいですね!
東川騎手は「上手いと思う騎手はいない」とも言った。しかし続けて「いや、上手いと思う
人はいますよ。でもそのジャッジを下す前に、自分がきちんと乗れているかどうかなんです
から」なるほど。きっと東川騎手は、プロの探究心をとことん持った、とても明るい『ナイス
ガイな哲学者』なのだろう。
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東川公則(ひがしかわまさのり)
1969年9月6日生 おとめ座 AB型
愛知県出身 後藤保厩舎
初騎乗/1987年4月26日
通算成績/10,797戦1,293勝
重賞勝ち鞍/オグリキャップ記念GⅡ、ダイ
オライト記念GⅡ(船橋)、東海
ゴールドカップ2回、岐阜金賞2
回、ゴールドジュニアなど21勝
服色/胴白・赤ひし山形一本輪、そで青
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※成績は2006年2月28日現在
(オッズパーククラブ Vol.1 (2006年4月~6月)より転載)