デビュー24年目、今や岩手の騎手の中でも年長の方になった村上忍騎手。長く騎手リーディングでトップを争っているだけでなく騎手会長としても岩手の騎手のリーダーとして活躍している。
騎手会長として2017年度開幕の宣誓を行う
4月1日に岩手競馬の2017年シーズンがスタートしました。新シーズンを迎えての意気込みをお聞かせください。
地元での勝ち星を獲得していくだけでなく、今年は重賞を狙えそうな馬を何頭か乗せてもらっているのでそれでしっかり結果を出すということと、機会があれば遠征に行って良い結果を残すということも目標ですね。
この後ベンテンコゾウで北斗盃に挑戦という話もありますしね(※インタビューは4月9日、その後4月18日に北斗盃を勝利)。
良い形のレースができればベンテンコゾウにとっても先々の選択肢も拡がるでしょうし、そういう内容を大事にしたいです。
ベンテンコゾウ(奥州弥生賞)。その後北斗盃も制した
少し戻って2月ですね、エンパイアペガサスに騎乗して報知グランプリカップを勝ちました。村上忍騎手は南関東の重賞を勝つのはこれが初めてでしたね。
というか、岩手以外で、遠征で重賞を勝った記憶がないので、これが初めての勝利だったんじゃないかな(※記録を調べたところ、村上忍騎手の他地区重賞勝ちは初めて)。
新シーズンはそんな風に、遠征する、遠征して活躍するという機会も多くなりそうですね。
最近、馬を遠征させて戦うという機会が減ってきているんでね。今年は遠征するチャンスもありそうだから、自分にとって、もちろん馬にとっても糧になるので楽しみにしています。
話が出たので、まずベンテンコゾウについて。今の時点でこの馬の評価をしていただくとどんなコメントになりますか?
とにかく動きの良い馬ですね。走りが軽くて背中の感じが良くて。もちろん課題がないわけではないんですが、走る力に関しては僕はかなり期待をしています。その力の部分が遠征することではっきり見えてくるのではないかとも思っています。
もう1頭、エンパイアペガサスですが、こちらは既に重賞も勝っているので、そのぶん期待が高まったところから始まるわけですけども、どれくらい楽しみにしていればいいですか?
当面は地元で走るということで、その中ではマーキュリーカップも使うプランもあるそうですので、そこでどれくらいやれるか。地元馬との戦いも当然ですが、交流重賞でどんな戦いができるか?ですよね。この馬は一戦一戦力をつけてきているし、報知グランプリカップも、必ずしも高い評価ではなかった中で勝ち抜いたということが自信になった。今後はもっと強い馬と戦う機会も出てくるでしょうから、この馬自身ももうワンランク上の力をつけてくれるようなら面白いですね。
2月8日、船橋・報知グランプリカップをエンパイアペガサスで制覇
エンパイアペガサスは、ベンテンコゾウもそうなのですが、まだ力をつけそうだというのも楽しみですよね。
そうですね。どちらもまだ伸びしろはあると思いますよ。
古馬と3歳馬に良い馬がいる。これで2歳馬にも良いお手馬ができたら、今年もまた全世代で活躍できますね。
2歳馬はね、まだまだこれからで、秋になってデビューしてくる馬もいるでしょうから、本当に巡り合わせなんでね。良い馬に出会えれば良いですね。
村上忍騎手にもうひとつ聞いておきたいのが、ベテランとして、騎手会長としての立場から見た岩手競馬や各地の競馬です。新シーズンは各地で変化が多い幕開けになりました。
今年は岩手競馬でも賞金が見直されて、自分たちのモチベーションにもつながると思っているのですが、それが良い馬が集まることに、そして良いレースにつながってお客様達により楽しんでいただければ、自分たちもさらにやりがいが出てくる。そういうふうに良いサイクルになっていけば、と思っています。
村上騎手は騎手会長を務めて6年目ですか。騎手として自分のレースのことを考えるだけでなく、いろいろなことにも目を配らないといけないのは大変だなと思って見ています。変な話、自分自身の希望と騎手会としてやるべきことと、矛盾したりもするわけじゃないですか。
そんなにたいしたこともしてないんだけど(笑)、まず騎手としては事故が起こらないようにとか、騎手会としては若い騎手たちの生活を守るという方向になりますよね。競馬組合などにいろいろお願い事をしたりもあるし。それに、やはり自分たちの生活を守るための意見も言わなくちゃならないし。競馬を良くするためと思ってある程度共存していくようじゃないとうまくいかないんじゃないか......と考えているけど、自分だけ良ければっていうことを言ってしまっているかもね(笑)。
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
オッズパークの会員の方々はね、よく盛岡に集まってくださったりとか協賛レースを行っていただいたりしてもらっています。自分たちも一緒に写真を撮ったりとかね。ネットで馬券を買っていただくのも有り難いのですが、機会があればぜひ盛岡や水沢で生のレースも見て下さい。自分たちも皆さんに楽しんでいただけるレースができるようがんばりますので。
ダンストンレガーメで留守杯日高賞を制し、この春はやくも重賞4勝目
かつて村上忍騎手にインタビューした際には菅原勲騎手や小林俊彦騎手を追いかける立場としてお話を聞くことが多かった。そんな両騎手が引退し、キャリア的にも実績的にも、また騎手会長としても岩手の騎手のトップに立って引っ張る立場になり、村上騎手の話すスタンスもかつてとは変わったように感じる。
自分のレースを戦いながら、同時に若い騎手達の相談を受けたりあるいは競馬組合や調教師会と交渉したり会議に出たり......という日常は実際非常に多忙なはず。だが村上騎手は"まだ枯れるつもりはないよ"とひと言。インタビューの中にあったような遠征での活躍もバネにして、まだまだ存在感を見せ続けてくれるに違いない。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
ファンの皆さんは岩手競馬の山本政聡騎手と山本聡哉騎手は、前者が兄、後者が弟の兄弟ジョッキーで、さらに船橋所属の末弟・山本聡紀騎手を含めて"三兄弟ジョッキー"だという事は既にご存じだろう。
山本聡哉騎手は岩手の騎手リーディング・トップの座を確かなものにしつつある。一方の兄・山本政聡騎手も近年はコンスタントにシーズン100勝以上を挙げ、リーディングでも3位を確保している(12月6日現在)。
10月の山本聡哉騎手に続いて、今回は山本政聡騎手にお話をうかがった。
まずは山本政聡騎手自身のことから聞きましょう。リーディング3位に付けていますが、その成績について。
そうですね、もう少し最初の段階で離されずに食いついていけていれば良かったですね。来年はもっと頑張りますよ。
弟の山本聡哉騎手もそうですが、ここ何年か成績が、グッと上がってきているように見えます。そのあたり、何かきっかけのようなものはありましたか?
んー、なんて言うんでしょう。最後まで脚を残しておくようにしているというか...。
乗り方を変えたということ?
乗り方は変わってないと思います。考え方じゃないでしょうか。展開をよく見て、馬と喧嘩をしないようにしてとか。必要な所でひとつひとつ気を付けてあげれば、それで結果も変わってくる。レースの流れの中のポイントポイントで、ですね。
弟・山本聡哉騎手(左)とのワン・ツーも目立ってきた
これ、最後に聞こうと思っていたんですが、山本聡哉騎手とレースぶりが似てきていない? レースぶりというか、流れの乗り方っていうか。最近2人のワン・ツーが多いでしょう? 流れのつかみ方が似てきているんじゃないかと思って。
弟も展開を読んで乗るから、例えば"展開の中で目標にする騎手・馬"の狙いが同じだったりして、一緒のポジションを狙っていることは多いですね。自分が取りたい位置に行こうとすると弟もそこに来ようとしていて、一瞬先に入られて、自分が弾かれてそこを取れなくて"あっ!こいつ!"って思うことも(笑)。自分が行こうとして動くよりも一瞬早く動き出しているんですよ弟は。弟のそういうレース中の判断、"読み"は素早いなと思って見ています。
山本聡哉騎手にも同じことを聞いたけど、兄弟として相手を、どんなふうに意識していますか? 聡哉騎手は"特に意識はしていない。でも騎手としての駆け引きで負けたくない"と言っていました。
自分も、そうですね、特別に意識はしていないかな。ただ、弟の方が力がある馬に乗っていることが多いから、それを負かした時は嬉しいって言うか"やった!"と思いますね(笑)。
絆カップで騎乗したナリタポセイドン(左)でナムラタイタンを破る
少し話を変えて。最近の山本政聡騎手とのコンビで気になる馬のことを聞きたいです。ナリタポセイドンで絆カップを勝ちましたが、あの馬にはどんな印象を持ちましたか。
距離は長い方がいいんじゃないでしょうか。瞬発力タイプというよりはしぶとく長く脚を使うタイプだと感じました。
もう1頭。コミュニティですね。5月のあすなろ賞を勝ってからは勝ち星から遠ざかっていますが(インタビュー後、11月21日に勝利)、その後も山本政聡騎手が手綱を取ってきてどんなふうに感じていますか?
一線級の中で2年間くらいずっと戦ってきて、年齢も6歳の秋ですから、若い頃のように1回走ったから急に変化するということでもないのかなと思っています。戦いながら徐々に良くなってきていると感じていますよ。
コミュニティとのコンビでは重賞7勝を挙げている
さて、岩手競馬の今シーズンもあと少しで、ちょっと気が早いけど来シーズンの目標みたいなものを聞いてみたいと思います。今シーズンはここまで怪我とか騎乗停止とか無くて順調に来ていたから、来シーズンも同じように順調に成績を上げていって欲しいなと思うけれども、どうでしょうか。
怪我しないとかっていうことはそれだけレースでも安定して乗れているっていうことで、だからこそ成績も安定するのだから、やっぱり怪我をしないように心がけたいですね。
今シーズン中の通算900勝、来シーズンの1000勝達成も見えてきました。
900勝まであと17勝(インタビュー時点)なんですよね。このまま来シーズンの1000勝達成まで行ってしまいたいです。それから、櫻田浩樹調教師には凄くバックアップしてもらっていて、他の厩舎から騎乗を頼まれてもどんどん乗れって許してくれるんです。それに自分も応えたいから、自厩舎の馬で良い結果をもっと出していきたいとも思っています。自分の1000勝と櫻田浩樹厩舎の300勝を同時に達成できたらいいですね。
青白のメンコが所属する櫻田浩樹厩舎のトレードマーク
弟の山本聡哉騎手がすでに通算1100勝を超えているのに兄の山本政聡騎手はまだ900勝手前なのか、と見られるかもしれないが、盛岡と水沢の在厩頭数の差を思えば(水沢の方が多く、自厩舎以外の騎乗依頼も受けやすい)、水沢に所属している山本聡哉騎手と盛岡に所属する山本政聡騎手の勝ち星の差を一概に比較できないし、むしろ山本政聡騎手はよく健闘していると言っていい。
実際、昨シーズンは山本聡哉騎手・村上忍騎手と互角に渡りあって一瞬ではあったもののリーディング1位に立った瞬間があったし、今シーズン序盤もしばらくの間は2位を狙う位置につけていた。
昨シーズンは山本聡哉騎手が騎手リーディングを獲得。弟がひと足先に頂点に立ったわけだが、その最大の刺客になるのは兄・山本政聡騎手なのかもしれない。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2016年6月26日に地方通算1000勝を達成した山本聡哉騎手。デビュー10年を過ぎてリーディング上位を争うまでになったこれまでのこと、またリーディング上位で互いに鎬を削る兄とのことなどをうかがった。
地方競馬通算1000勝達成(2016年6月26日)
まず聞きたいのが1000勝達成。6月26日に地方競馬通算1000勝を達成しましたが、今改めてその感想を聞かせてください。
デビューした頃は自分が1000勝できるなんて思ってもいなかったんです。自分がデビューしてから3年目くらいに阿部さん(阿部英俊騎手)が1000勝したのを見ていて"凄いなあ"と思って、自分もいつかはできるのかな?とか考えたりもしましたけど、当時の自分にとっては1000勝なんていう数字は目標にするには遠すぎましたからね。
だから達成してみても、ああ、1000勝したのかあ・・・・・・。そんな感じでしたね。昔の1000勝と今の1000勝では、騎乗数とか条件が異なるから重みも違うのかもしれないし。でも、同じ世代の騎手の中で一番最初に達成できたという事は自信になります。
今の姿からは想像できないファンもいるかもしれないけど、デビューした頃は騎乗数も勝ち星も少なくて、この先どこまでやっていけるんだろう?と思って見ていました。もちろん、当時の若手騎手はみなそういう厳しい環境の中にいたのは確かだけれど(※デビュー年度の山本聡哉騎手の成績は227戦9勝)。
佐藤浩一調教師も祝賀会の時に"正直これほど勝てる騎手になるとは思っていなかった"と言われていました。自分がデビューした頃は高松亮騎手が"乗れる""乗れている"って評価で、同期の高橋悠里騎手もすぐ重賞を勝ちましたしね。"出世コース"に乗っているのはあっちの方、自分は1000勝なんて想像もできなかったですね。
とすると、キャリアのどのあたりで道筋が変わったと思う?
そうですね、4、5年目頃でしょうか。板垣さんをはじめ新しく調教師になった先生達が自分ら若い騎手に乗せてくれるようになって、佐藤雅彦調教師や、(故)櫻田浩三調教師も良い馬に乗る機会を作ってくれて・・・・・・。
当時の若い騎手は、自分がそうですし兄(山本政聡騎手)や齋藤雄一騎手とかもそうだったと思うのですが、櫻田浩三厩舎の良い馬・強い馬に乗るチャンスを貰って、それで結果を出して名前を売る・・・・・・みたいなところがありましたね。
そこから良い馬に乗る機会が増えて、そして菅原勲騎手や小林俊彦騎手の引退もあって。その頃の自分が大きな怪我をしなかったのも良かったんじゃないでしょうか。高松騎手や高橋騎手は怪我をして乗れない時期がありました。自分は決して技術が卓越していた訳じゃないと思うから、怪我をせず過ごせた事で流れに乗れたのも大きかったと思います。
今はもうね、"トシヤに任せておけばいい"みたいな評価にもなっているんですが、今ここまで乗れる騎手になったのは、"もともと才能があったのが花開いた"のか、それとも"時間をかけて掴んでいった"ものなのか、どちらなんでしょう?
自分のタイプは、最初からポンとできるものではないですね。自分なりに研究して、うまく乗れるように確率を上げていって・・・・・・だから、最初から素質があったのでは無いと思います。
外に出たのも良かったと思いますよ。交流競走や騎手招待競走とかいろいろなレースを経験して場慣れして、そこで必要な乗り方を学べたのも。
他場でスポット騎乗の機会も増えている(2016年門別・栄冠賞)
研究という言葉が出たので突っ込んでみるけども、毎年ちょっとずつレースの仕方というか乗り方というか、つまりレースの作り方を変えているように思うんですが、どうなんだろう?
乗り方は変えています。毎回少しずつ変えているから全体的に見ると大きく変わったように感じるかもしれません。
そういう所が、ありきたりな言い方だけど"凄いなあ"と思ってみています。
やっぱり馬によって、その時周りにいる馬によってレースの流れが変わってくるし、今年は新人騎手が入りましたが、これまでと違う乗り方をする騎手が1人でも入るとまた流れが変わってくる。同じ人や馬でもその時その時の体調とか気持ちのリズムとかも違いますしね。例えば調子のいい騎手はマークしないといけないかもしれないし。そういう所が少しずつ変わっている、変える必要がある部分でしょうね。
では話題を変えて。ラブバレットの話を聞きたいです。レースでの活躍ぶりはファンにとって楽しい話題になるのですが、騎手にとってもいろいろな物をもたらしてくれているんじゃないですか?
強い馬、凄い馬に乗せてもらえるのはやっぱり大きな経験になりますよね。遠征で他地区の大きなレースに乗る事ができるのもそうですし、強い馬に乗る事で"強い馬ってどんなものか"という感覚が分かって、そこから他の強い馬の事も分かってくる、分析できる、みたいな。そういう経験を積む事ができる得難い存在です。
ラブバレットとのコンビでは重賞4勝を挙げている
クラスターカップでは2年連続3着。今年は見せ場を作って沸かせてもくれました。昨年は笠松で遠征勝利も成し遂げましたね。
今の岩手は短距離路線が充実しているし、地方競馬全体でも短距離のレースが多いですよね。ラブバレットのようなスピードがある馬が活躍できる舞台は多いと思うので、自分も楽しみにしています。
もうひとつ聞きたいのが、兄・山本政聡騎手の事です。兄の事をレースの中ではどう見ているか?
んー。兄貴は兄貴、かな・・・・・・。
兄貴は兄貴か。昔は、けっこう対抗心を見せて隠さなかった時期もあったじゃないですか。最近はそうでもないように見えるけども。
やっぱり昔は兄の方が、成績も上でしたからね。負けたくない、追い越したいっていう気持ちはありましたからね。
山本政聡騎手はリーディング3位。追いかけてくる位置にもいます。
今でももちろん対抗心はあります。負けたくないっていう気持ちもある。それは成績の話じゃなくて、単に勝ち負けじゃなくて、レースの中での騎手としての駆け引きの部分で勝った負けたのポイントで、でしょうか。
では最後に。『山本聡哉』という騎手はこれからどういう存在になっていくんでしょう?
そうですね、前は誰かのマネをすれば良かった。今は自分なりの考えで進んでいかなければいけない。成績的にはもちろん、まだまだ追いかけていかなければならないです。でも騎手としての考え方、スタイルを作って、それを周りにも見せなければならないと思っています。そしてそれは楽ではないだろうな、とも。
今はどうしても、あちこちで活躍している騎手の姿が目に入りますよね。そんな騎手を間近で見る機会もあります。良い所・凄い所を学んで、吸収して、凄い騎手たちと同じ舞台で一緒に戦えるようになりたい。そういう技術とか、ハートとかを掴みたい。
そうすると、いつの日か岩手の枠に留まっていられなくなるかもしれないよ?
そうかもしれないですね。そういう考えになったら、どこかに飛び出していってしまうかもしれない。でも今の自分がそう考えていないっていう事は、自分がまだそういうレベルに達していないのだと思いますよ。
プロ野球始球式のピッチャーも務めた
簡単にお願いします......と始めたインタビューだったが、いざ話し始めると話題はいろいろ多岐にわたり、結局ここでは書ききれなかった話がいくつもあった。それはまたいつか触れる機会を得る事ができればと思う。
話していて感じたのは「山本聡哉という騎手はまだまだ変わり続ける」という事。岩手のトップジョッキーとしての評価、1000勝という勲章をすらも踏み台にしてさらに上を目指そうという姿勢からはただただ勢いしか感じられない。もしかしたら何年か後には今とは全く違う『山本聡哉』になっているのかもしれない。それがどんな姿なのか?楽しみだ。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
この春デビューした2名の新人騎手、その一人が鈴木祐騎手だ。鈴木騎手は初騎乗・初勝利という華々しいデビューを飾っただけでなく、デビューから8月までで19勝と順調に勝ち星を増やしている。そんな注目を集める新人は、どのようにして騎手を目指すに至ったかをたずねてみた。
さて、新人騎手へのインタビューという事なので、"なぜ騎手を目指そうと思ったか"ということから聞きたいのですが、木村直輝騎手がそうだったけれど、鈴木騎手も競馬とは関係がない家庭から騎手を目指したんですよね。
そうなんです。全く関係が無くて、競馬ファンもいなかったですね。それが急に親が言いだしたんです。"騎手になったらどう?"って。自分は身長が低い。動物が好き。それが当てはまる職業は騎手だ、騎手になってみないか、と。
理屈は分からないでもないけど、ずいぶん唐突だよね。
自分もそうでしたよ。馬に関わりがなかったし、生まれが茨城の山の方だったから競馬も知らなかったですし。乗馬クラブに通い始めたのですが、"乗馬をするクラブなんていうものが存在するんだ"とその時初めて知ったくらいでした。それが、乗馬クラブで初めて馬に跨った時に"うわ!"って自分の中で。なんて言うんですかね、"これは楽しい!"って感じるものがあったんです。それで自分も騎手になろう、と考えるようになりました。
それまでは何かスポーツとかやっていたの?
小学校の6年間はスイミングスクールに通っていました。
中学校では?
陸上部でしたね。
小さい頃から体を使う事が好きだったんだね。
いや、なんで陸上部に入ったかというとですね、小学校6年生の時に乗馬クラブに通い始めたんですけど、中学校では騎手になるための基礎体力を付けようと。そう思って陸上部を選んだんです。
へえ~!真面目だね。凄く真面目。
そうでしょう? 真面目だったんですよ。平日は部活、土日は乗馬クラブでみっちりでしたから。遊ぶ時間を削ってみっちり。何を考えていたんでしょうかね当時の自分(笑)。
初騎乗・初勝利(4月16日、水沢1R)
鈴木騎手は高校にも行っているんですよね。
高校は、馬術部がある高校(水戸農業高校)を選びました。騎手になる夢と並行して"馬術でもインターハイ優勝を狙う!"とか希望を抱いて。だから、馬のため、馬術のためにその高校を選んだと言っていいくらいですね(鈴木騎手のいた水戸農業高校は2012年のインターハイで準優勝)。
しかし、それくらい乗馬の経験を積んで、スポーツもやっているから体力もあって......で、教養センターに入ったら、ある程度自信があったというか、最初からいろいろ上手くこなせたんじゃない?
そういう風に自分も思っていたんですよ。最初の頃は"自分は乗れる方なんだろうな"と慢心した気持ちでいたんです。でも実際に入って1カ月、2カ月経った頃は完全に変わりました。このままじゃダメだと。もう、乗馬なんかやらないで未経験で入った方が良かったんじゃないかと思ったりしました。
それは乗馬のクセがついていたから、とか?
そういう部分もありましたね。毎日同じ所を注意されるんですよ。手綱の持ち方とかもう嫌になるくらい。楽に乗るクセがついていたのかもしれません。それと、半端に体力とか腕力があったから馬を力で操作してしまって、馬の気分は無視......とか。
そんな教養センターでは、どんな生徒でしたか。
一言で言えば"悪い生徒"でしたね。入った頃はさっき話したような事で、その後も続くような気がしなくて、何かやって見つかったら辞めればいいや、くらいに思っていて。センターの生活が辛かったんでしょうね。
でも木村直輝騎手に聞いた話では、センターでは鈴木祐騎手は優等生だったって。
その頃はもう改心していたんですよ。最初の頃は相当やんちゃしました。
櫻田康二厩舎を選んだ理由はなんでしたか?
教養センターの教官に教えてもらって勧められたからです。実は岩手に行ったことは一度もなかったですし、岩手で競馬をやっている事もあまりよく分かってないくらいで。最初に来た時は何も分からないから不安だらけでした。
デビューしてここまで、自分ではどう感じていますか? 初騎乗・初勝利とか派手なデビュー戦も飾ったけれど。
想像以上です。こんなに騎乗できると思ってなかったし、勝てるとも思っていなかったです。他ではこんなに乗せてもらえないでしょうから。岩手に来て良かった、岩手競馬で良かったなと思っています。
デビュー前の鈴木祐騎手が自ら「僕は"ビッグマウス"ですよ」と言っているのを聞いて妙に面白く感じた記憶がある。それだけ自信家なのだろうなとは思っていたが、今回こうして話を聞いて、小学生の頃から将来は騎手になると目標を決め、そのための努力をしてきたのだから、それも当然だろう、と改めて感じさせられた。
この話を聞くにあたって、櫻田康二調教師にもデビューから約4カ月経った鈴木祐騎手の事をうかがってみた。師いわく「こちらが思っていた以上にやれている部分はありますが、まだまだ足りない部分も当然ある。ここまではうまくいきすぎ......って面がありますよねやっぱり。ここから先が彼にとっての勝負の時期になっていくんじゃないか」
鈴木祐騎手のデビュー初年の目標は「50勝」だそうだが、残り4カ月ちょっと、確かにここからが"勝負の時期"になるのだろう。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2016年の春、岩手競馬としては久しぶりに同時に2人の騎手がデビューした。一人は鈴木祐騎手。そしてもう一人が木村直輝騎手。デビューが同じ頃となれば、何かにつけて比較されることになるため、"永遠のライバル"ともいわれる同期生。今回は木村直輝騎手の方にお話をうかがった。
木村騎手は競馬とか馬とかに関わりがない家庭から騎手になったそうですが、そこから騎手になろうと思ったきっかけを教えてください。
地元が千葉なので、母に船橋競馬場に連れて行ってもらって、そこから競馬に興味を持つようになりました。あとは時々大井競馬場にも行ったり。
地方競馬ばかりなんだ。JRAの競馬場には行かなかったの?
中山競馬場には1回くらい行ったかも。ほとんど地方競馬でしたね。親が地方競馬の方が好きだったのかもしれません。
それまでは競馬とか馬とかに興味を持っていた?
あまりなかったですね。馬も身近じゃなかったから特別好きという事もなかったですし。競馬場に行っているうちに興味が出てきて、身体も小さかったから騎手を目指すのもいいかなと。
じゃあそこから騎手になるという目標が出来てきた、と。
そうですね。騎手を目指そうという事で乗馬クラブに入って馬に触れるようになったら、それがすごく面白かったんです。実際に馬に乗ってみてハマっていったっていうか。それが中学生の頃でした。そして中学を卒業してアニマル・ベジテイション・カレッジに入ったんです。
小林凌騎手とか高橋昭平騎手とかも出ている所ですね。
はい。ですが、本来は2年間なんですが、JRAの競馬学校の試験を受けて不合格だったので学校を辞めてしまったんです。
え?途中で?
JRAの競馬学校に落ちて投げやりになってしまったのかもしれません。でも、やっぱり騎手を諦めきれなくて、地方競馬の試験を受けることにしたんです。そうしたら今度は合格しました。
その時のご家族の反応は?
"ああ、そうか"という感じでした。でも母がちょっと熱血で、"入ったら絶対辞めるんじゃない"みたいな熱の入りよう。母にはいつもそうやってけしかけられるっていうか後押しされますね。
教養センターではどんな生徒だった?
一言で言えば、まあ、目を付けられていましたね。いろいろ失敗をしてしまう"出来ないヤツ"で、毎日怒られていました。鈴木(祐)とか加藤(聡一・名古屋)、岡村(健司・船橋)が出来る方、優等生同士でつるんでいて、自分は出来ない方のグループ。
競馬場に実習に来るじゃないですか。木村騎手は競馬関係の出身じゃないから現役の競走馬とか実際にレースをしている厩舎とか経験が無かったでしょう? どんなふうに感じた?
やっぱり最初はビビリましたね。現役の競走馬は学校の馬とは全然違う。パワーが全然違いますから調教でもうまく御せなくて。慣れるまでは毎日のように"これからやっていけるのかな"と思っていました。
デビュー戦(2016年4月16日)は6着
いざデビューを迎える頃になると、ああ緊張しているな~と思って見ていました。それまではけっこう世間話とかしたけど、デビュー直前は口数も減った感じでね。
やっぱりデビューの1週間くらい前から緊張していたんだと思います。デビュー戦も危ないレースをしてしまって。全然考えていたようなレースになりませんでした。同期の鈴木祐騎手が派手なデビュー(初騎乗・初勝利)を飾ったり、その同期に自分の初勝利を阻止されたり......なんて事もありました。
同期の活躍はプレッシャーでしたね。"何でそこで勝っちゃうんだ!?"と。フミタツダイヤで、鈴木騎手に差されて2着になった時も堪えましたね(※4月23日の水沢5R、フミタツダイヤに騎乗して逃げた木村直輝騎手だったが、初勝利を目前に同期の鈴木祐騎手に差され2着)。そんな事をいろいろ考えたり悩んだりしたけど、他の同期とも話をしているうちに、あんまり焦ってもいけない、今の自分にできる事をやるしかないと。今はそう思っています。
14戦目での初勝利(2016年5月1日、盛岡7R)
デビューしてからまだ短い期間ですが、得意な戦法・好きな戦法はできてきた?
やっぱり逃げか先行ですね。得意なのは逃げかもしれない。差しは、馬の手応えが残っていても進路ができないと結果に繋がらないですから、そういう部分で自分にはまだ難しい気がします。盛岡と水沢なら盛岡ですね。コースが広いしコーナーも緩いから乗りやすく感じます。
所属する関本浩司調教師はどんな方ですか。
厳しいですけども自分の事を分かってくれているというか、自分はあまり怒られると逆に落ち込む方なんで、そういう所を理解してくれていると感じています。
そもそも関本浩司厩舎を選んだ理由はなんですか?
学校の教官に"お前みたいな奴を一人前の騎手にしてくれるのは関本浩司調教師しかいない"と勧められたんです。そこで鍛え直してもらえ、と。
騎手になった今の木村騎手に、ご家族はどんな事を言っていましたか。
騎手になるまでにお金を出してもらったり面倒をかけたので、今は少しずつ返しています。だからもっと活躍して勝たないといけないなと。
それは偉い! じゃあなおさら頑張らないとね。ご両親はレースを見に来たりしましたか?
デビュー戦の時は見に来ていました。でも、レースをインターネットでチェックしているんですよ。チェックして"どうしてあそこでもっと追わなかったの!"とか"だから(鈴木)祐君に負けるのよ!"とかメールで言ってくるんです。10件くらい一気に送ってくる事もあって真面目にブロックしたいくらい(笑)。そんな熱血過ぎる親だから、あまり見に来ないでいてくれる方が自分は楽です(笑)。
それだけ熱心に見てくれている・・・とはいえ、熱血だね(笑)。今日はありがとうございました。
招待レースで来ていた南関東のトップジョッキーと初勝利の記念写真
同期の派手な初騎乗・初勝利の陰に隠れてしまったが、木村直輝騎手のデビュー後14戦目での初勝利達成も決して遅いものではない。これからも自分の形をみつけつつ伸ばしていって欲しい。ちなみに木村直輝騎手の勝負服は『胴赤・袖赤/青山形一文字』だが、山形一文字の柄は岩手競馬では史上初ではないか?とのこと。そんな岩手ではレアな勝負服がより目立つよう期待したい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視