
2024年の大晦日、岩手競馬のグランプリである桐花賞を勝ち、重賞初制覇を果たした小林凌騎手(岩手)。オフシーズンの現在は、佐賀で期間限定騎乗しています。初重賞制覇の喜び、そして4年連続となる佐賀での騎乗についてお話を伺いました。
まずは桐花賞制覇、おめでとうございます!テン乗りだったライアンとのコンビで劇的な勝利でしたね。
ありがとうございます。重賞を勝てたことが嬉しかったですし、しかもそれが桐花賞だったので、自分なんかが勝っていいのかなとびっくりしました。レースの直後はあまり実感が湧かなかったです。
年末の開催は落馬負傷や騎乗停止の騎手が複数いて、騎乗変更が多かったですが、ライアンの騎乗はどのように決まったのですか?
(山本)聡哉さんが騎乗停止ということで、「乗れるか?」と打診があって。僕は人気がないジョッキーなので(苦笑)、全然空いていますと。桐花賞に乗れるチャンスはなかなかないですし、声をかけていただき嬉しかったです。
初騎乗のライアンはどんな印象でしたか?
重賞を勝っている実力馬で、聡哉さんからは乗りやすい馬だと聞いていました。不良馬場がいいということだったのですが、大晦日の水沢は毎年だいたい雪になるんですよね。それが昨年は気温が高くて雨だったので、ビシャビシャの軽い馬場になりました。天候も含めて運が良かったと思います。
2024年12月31日、桐花賞。ライアンに騎乗し重賞初勝利
レースを振り返っていただきたいのですが、序盤はいい手応えで追走していましたね。
内枠だったので、スタートしていい位置に行ければと考えていて、思い通りの位置取りでした。1周目はペースが落ち着いて手応えも良かったのですが、2周目の向正面では正直あまり手応えがなかったんです。でも追っていたら上がって行ってくれて、直線は前がきれいに開いて。前にいたミニアチュールが4コーナーで最内に行ったので、その外に切り返すことができました。必死に追っていたらゴール前でステッキを落としてしまったのですが、ゴールした時には「もしかしたら勝ったかも」と思いました。周りの方々から「おめでとう」と言っていただきましたし、レース後は今までにないくらいラインが来て嬉しかったです。
2015年にデビューし、10年で掴んだ初タイトルでしたね。
頑張ってくれたライアンや、乗せてくれた関係者の方々、これまで関わってくれた方々にとても感謝しています。実は騎手を辞めようかなと本気で考えていた時期があったんですけど、辞めなくて良かったなと思いました。
辞めようと思った時期があったのですね。
2020年に落馬して腕をケガしてしまって、半年くらい休んで復帰したんですけど、腕が痛くてなかなか前みたいに乗れなくて。そんな自分が嫌だったし、いろいろ悩んでもう辞めようかなと思いました。
辞めようと思いながらも、頑張り続けられた要因はなんですか?
やっぱり騎手を諦めきれなかったということでしょうか。自分にはこれしかないという気持ちが強いですから。どうせ辞めるなら一度環境を変えて一からやってみようと思って、厩舎を移籍したんです。もともとは水沢の所属だったのですが、盛岡の飯田弘道厩舎でお世話になることになりました。飯田先生や周りの方々に温かく迎えていただいて、腕の方もプレートが取れて痛みがなくなりましたし、少しずつ自分の理想とする乗り方に近づいてきているかなと。飯田先生から、冬場どこかに行ってみたらと言っていただいて、それから佐賀への期間限定騎乗にも挑戦するようになりました。
佐賀の期間限定騎乗は4年目になりますが、岩手とは違いますか?
そうですね。雰囲気も違いますし、競馬も内をかなり開けるスタイルなので。最初は緊張しましたし、なかなかうまくいかなくて(初めての2022年は)結局2勝しかできなかったんです。でも毎年行くようになって、関係者の方々も覚えて下さって、ありがたい環境でやらせていただいています。一番いいのは、冬でも暖かいことですね(笑)。岩手とはそこが全然違います。
騎手になったきっかけを教えてください。
父親が競馬好きで、その影響で僕も競馬が好きになりました。栃木テレビで放送していた中央競馬ワイド中継を見ていたので、赤見さんのレポーター姿も見ていました(笑)。小学校6年くらいからです。
それは嬉しいです。ありがとうございます。栃木出身で岩手所属になった経緯というのは?
もともとの生まれは福岡で、母の実家が佐賀競馬場から30分くらいのところにあって、子供の頃に祖母に連れられて見に行ったりもしていたので、最初は佐賀希望だったんです。でも教官から、岩手の方が僕の性格的にも合うのではないか、というアドバイスをいただき、当時は若手も少なかったので岩手に行くことを決めました。
では佐賀ともご縁が深いのですね。
そうですね。飯田先生にオフシーズンの期間限定騎乗を勧めていただいた時、行くなら佐賀がいいなと思いました。祖母が競馬場に見に来てくれて、喜んでくれたので嬉しかったです。
いよいよ3月9日、冬期休載が明け岩手競馬の開催が始まります。目標を教えてください。
数字的な目標は特にないですが、ケガなく1鞍でも多く乗って、自分なりに頑張りたいです。
では、オッズパークユーザーの方々にメッセージをお願いします。
いつも岩手競馬や佐賀競馬を応援していただき、ありがとうございます。これからも頑張りますので、よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:岩手県競馬組合・佐賀県競馬組合)
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地方競馬通算4128勝。2024年11月19日、村上忍騎手が到達したのはこれまで菅原勲騎手(現調教師)が保持していた4127勝という『岩手競馬所属騎手の地方競馬通算最多勝』を超える記録だ。2011シーズン一杯で引退した菅原勲騎手のその数字は当時は前人未踏というだけでなく空前絶後とも感じたが、13年ほどを経てついに塗り替えられることになった。
また村上忍騎手は12月2日に行われた『オッズパーク杯ゴールデンジョッキーズシリーズ』で2度目の総合優勝も果たした。今回はそれらを合わせて話をうかがった。
最初はオッズパーク杯ゴールデンジョッキーズSの総合優勝の話からです。2回目の総合優勝でした。おめでとうございました。こういう機会に優勝するのは騎手としても良い事、誇らしい事になるのでしょうか。
そうですね。騎乗馬が抽選で、どんな馬が当たるかも分からないから、良い結果を残せるのは良い事ですね。1年に1回の楽しみというか、毎回狙ってはいるんですけども、運もありますし。
今年は凄く勢いがある時期にシリーズがあって、良い感じの勢いのままに総合優勝したという印象がありました。
まあ今年は運が良かったですよ。いろいろな部分でね。欲を言えばどちらかひとつ勝ちたかったですけどもね。
シリーズが終わった時にも言われていましたものね。ただこういうのは騎手対抗戦の"あるある"みたいなところもあって。
僕自身は"1着なしに総合優勝"というのは今まで経験した事がなかったけど、やはりいかにポイントを稼げるか?ですからね。
その辺もやっぱり、持ち上げますけども(笑)、ベテランの技ですよね、ちゃんと2着、2着っていうのは。2戦目の接戦が3着だったら総合優勝では無かったわけですし。
運が良かったんですよ(笑)。
さて、お題を変えてですね、4128勝の新記録達成ですが、これも凄い記録ですね。
これはあとで教えて貰ったんですが、ここまで20年以上、毎年100勝以上しているそうで(2000年以降25シーズン連続で100勝以上)、そういう毎年の積み重ねがこういう数字になったのかな、とは思っています。
そう、だから村上忍騎手は"長くやっていればいずれ"みたいな事を言われていましたけども、デビューして7年目からもうずっとシーズン100勝以上していますし、デビューからの年数で単純に割っても毎年130勝以上している計算ですし。
その辺は、やっぱり毎年それぐらい勝たせてもらえてる、勝てる馬に巡り合えてるってことですよね。
それもあるでしょうし、あとこういう話をすると必ず"今は開催日数も多いし、乗れる数も多いし"って話にもなりますけど、忍さんって菅原勲騎手や小林俊彦騎手の全盛期に立ち向かってそれで毎年100勝以上じゃないですか。そう思えば、それはやっぱり凄いなと。
僕がデビューした頃は騎手も多かったし。騎乗するチャンスすらなかなか無いような、特に新人の頃はね。そういう状況だった中で、大先輩たちがいて、その中でこういう数字を挙げてくることができたっていうのは、うん、自分なりの自信にはなりますよね。
村上忍騎手的にここまで長い間やってこれた"モチベーション"の元にはどんなものがあるんですか?。
うーん。なんなんでしょうね?
なんかさっきから自分は"凄い"しか言ってないですけども、忍さんの、なんて言うか、いい意味で"空気を読まなさ"って言うんでしょうか、最近調子悪いな~とか言われながらも立ち直ってくるじゃないですか。結局終わってみれば厩舎の人たちも一緒になって"ムラシノやっぱり凄いよね"みたいな話になってる。そうやって立ち直ってこれるモチベーションって、凄いなと。また凄いって言っちゃいましたけど。
なんなんだろうね。自分でもあまり分からないな、そこは。まあ自分も若くないから、1年間やってれば浮き沈みは当然出てくるかなとは思う。
今年の前半戦なんかも、なんかちょっと今年は調子悪いのかな?みたいな感じで見てたんですけども。
そうですね、なかなか思うように結果出せなかったですね。
それが後半戦になったらむしろなんかもう"これくらい普通ですよ?"みたいな感じで勝ち星を積み始めるし。本当、なんなんですかね(笑)。
若い頃は、もう必死に攻め馬して、もうとにかく働いて乗り馬を確保してきたんですけど、最近はあんまりそういう元気がなくなってきて(笑)。悪いなら悪いなりに......みたいな、ある意味開き直りじゃないけど、その辺の気持ちの変化はやっぱり若い頃とはちょっと違う部分かな。
良い感じで力が抜けてきた、みたいな。
うん、そうかもしれない、もしかしたら。でもやっぱり馬との出会いですよね、1番のモチベーションは、きっと。
そうか。以前にも言われてましたものね。"そろそろ"とも思ったけど、いい馬に出会えたから、もうちょっとやろうか......みたいな。
そう。良い馬との巡り合いが自分を頑張らせてくれる部分って、やっぱり多い。
最近だと、フジユージーンとか。
若い馬が頑張ってくれるとね、自分ももうちょっと頑張って続けたいなって思わせてくれますからね。中でもやはり岩手でデビューした馬が頑張ってくれるのが一番感じるものがありますね。エンパイアペガサスで船橋の重賞(2017年報知グランプリカップ)を勝った時も、その時は移籍扱い(浦和所属)だったけども岩手の馬で他地区で重賞を勝てるのはなかなかチャンスが多くないから印象に残ってます。
他地区に遠征して重賞勝ちたい、勝ったというのはそれほど記憶に残るものなのですか?。
残りますね。ベンテンコゾウもそうですしね。地元ではなく敢えて北海道に行って二冠。三冠目はちょっと獲れなかったけど、そういうチャンスはなかなか無いから。
あと、ダービーグランプリはどうですか。2007年のハルサンヒコ。村上忍騎手が珍しく大きなガッツポーズをした時。土砂降りの雨の中でガッツポーズしてて。どうしたんですか?って聞いたら"家族がいたから"とかなんとか。
あの年は確か子供が生まれた年で......。何月でしたっけ?
ハルサンヒコで制したダービーグランプリではガッツポーズ
9月ですね。9月17日。
じゃあその日。その日に生まれたから。レースの時には生まれていたんだと思う。
へえ~!"生まれてきた子供に贈るガッツポーズ"!
ロッソコルサで勝った年(2012年)は娘が生まれたし、子供が生まれる年にダービーグランプリを勝っているっていう印象が自分にはありますね。
昔の話をしていると尽きないので話を変えて......、この記録を達成して、更新して想う事とかありますか?。
菅原勲先生の記録だったのですが、想う事は、昔と今では騎手の人数も違うし騎乗チャンスも違うし、一概に比較ってできないとは思う。やっぱり菅原勲先生の記録は僕の中では偉大で、数字的には追いついたかもしれないけど、まだまだだなっていう自分なりに思う部分があるので。なんと言うか、自分の中で追いつけたかなって思えるように頑張りたい。
その辺は、どういうところまで行ければ"追いつけた"になるんでしょうね。
どうなんだろう。そこはちょっと分からない。そうは言ってもね、その数字までやってこれたっていうのは自分の中で誇りでもあるし、少し胸を張っていいのかなとは思っています。
村上忍騎手自身は前人未踏の数字に入っていきますが、後続もやってきている。
もちろんね。どこまでできるかはわからないけど、できる限りは頑張りたい。やれる限りはひとつでも記録を伸ばしていきたいし、それが応援してくれる皆さんに応える形なんだと思います。
最後にフジユージーンの話を少し。改めてですがどういう所を評価されていますか。
デビュー当時から完成度が高かったですが、それでも一戦一戦の成長は感じとれる。成長であったり、課題であったりもですね。明けて4歳、まだまだこれから成長が期待できるんじゃないかなと感じます。
フジユージーンで楠賞(園田)を勝利
さしあたりの目標はシアンモア記念だということです。
多分これからは走るレースを、ここの次はここ、と照らし合わせながら使って目標を定めていく形になるんだろうと思いますが、やっぱり南部杯で走ってみたい。マイルくらいの距離で強い相手と走って力を試してみたい。そもそもまだ古馬と戦ってないですしね。順調に、力をつけていってくれれば。
では本当に最後に、オッズパークの会員さん向けに一言を。
この話をしているのがもう年末だから岩手競馬も冬休みに入るのですが、またすぐ3月から競馬が始まります。春からもしっかり競馬を盛り上げて行ければと思うので、ぜひ馬券も買って、岩手競馬を応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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10月21日盛岡競馬第6レースにおいて地方競馬通算2000勝を達成した阿部英俊騎手。1992年のデビューは岩手の現役騎手としては2番目の"古株"であり、また岩手競馬の騎手としては現時点で唯一のGIIウイナー(1999年東京盃をサカモトデュラブで勝利)でもある。そんな阿部英俊騎手のこれまでとこれからをうかがった。
2000勝おめでとうございました。勝った時の気持ちを改めておうかがいすると、どうでしたか?
そうですね、リーチがかかってからがね、良い馬に乗せてもらっていたんですけどもなかなか勝てなかったんで。焦ってたわけじゃないですけど、早く達成したいなっていう気持ちはありました。
そういう所を見ていて思ったんですけども阿部さんくらいのベテランになっても、"あと少し"になるといつもと違う感じになるんですか?
いや、そんなことはないですよ。いつかは勝てるんだろうなとは思っていました。ですがなかなかね、勝つっていう事は難しい事なんだな、と。
そしてしっかり決まってみれば嬉しい勝利ですよね。
そうですね。嬉しいっていうか達成感というか、まず区切りができたかなと。
10月21日盛岡第6レースで地方通算2000勝達成
阿部騎手にとってこの2000勝は、やはり騎手として達成したい目標だったんでしょうか?
気持ちの中にはありましたけどね、こればかりはできるかどうか分からない事なのでね。かなり近くなってきてからは意識もしましたけども、それまではそんなに......でしたね。1000勝した時はまだ2000勝とかの数字は見えてこなくて、1500勝、1700勝、もうちょっとで2000、となってきて、騎手として乗れるんだったら2000勝まで行こうかな、とね。昔の騎手は結構若いうちに引退していたし、開催も少なかったですしね。そんな中でたまたま長くやっていた分乗せてもらえて。それで2000勝まで勝てたかなとは思いますね。
たまたま長く、って言いますけども、阿部騎手は途中で大きな怪我があったじゃないですか(2013年11月30日の水沢1Rで落馬負傷し、2015年3月21日に復帰するまで1年以上を要した)。それでもここまで来たのはやはり凄いと思います。
自分はしょっちゅう怪我をしていたんですけども、あのときの怪我が一番大きくて、これはダメかなと思ったほどでしたね。
その後ちょっとずつ厩舎の仕事に戻ったりして、でも馬に乗ってレースまではしんどいかもな、みたいな話もされていたじゃないですか。
怪我した直後は、意外と大丈夫かなとは思ったんですけどもね。首を痛めたりして、後遺症みたいなのもあったし。今でもあるんですけどね。うん、やっぱりその時はもうダメかな、とね。
阿部騎手はその辺の事は、あまり大げさに言われたくないんでしょうけども、見ている方からすると凄いなとしか思えないです。
そこは前にも話しましたけども(2000勝達成時のコメント)、自分には騎手しか、馬しかなかったんで。できれば馬の世界に戻りたかったし、それに年齢ですよね。その時はもう40歳だったから、そこから違う道に行くのも大変だったと思うし。なんとか治ってくれて良かったです。
ここで言えないような事もたくさんあるんでしょうけども、それぐらい頑張っても騎手に戻りたかった、ということですよね。
そうですね、廃止問題とか色々あって、岩手競馬が危ない時も何回もあって。それでもなんとか岩手競馬もやってこれたんで、俺もなんとかやっていければいいなと思いながらね。これしか道が無いってわけでもないんでしょうけども、せっかく騎手になったんだからやれるところまでやってみようと。でも本当に周りの人に助けられて、苦しい時も本当にいっぱいお世話になって、だからやってこれたようなもので。自分一人だけだったら多分無理だったんじゃないかな。
怪我から復帰してから500勝ほど積み上げての2000勝なわけで、騎手としての腕はまだまだ全然落ちてないんだろうなと思って見ているんですけど。
いや、でもね、もう50も過ぎて体力的にも落ちたましたしね。だから、そろそろかなとは考えてましたけども。ただ、調教師になるのもなかなか大変なんでね。
その体力の話ですけど、年をとるとレースでの感覚が変わってきたりするものなんですか?
うーん、まあでも基本走るのは馬なんでね。自分から言わせると競馬なんか良い馬の獲り合い。良い馬に乗れなければやっぱり勝てないというところもあるし。若い騎手が伸びてきたら乗り数が減る、良い馬が回ってくるチャンスが減る。そういう所も含めてやっぱり年寄りは辞めていくべきだね(笑)。
阿部騎手が若手の頃と、今の若手騎手と、どんなところが変わったり違ったりするところだと思われますか?
今は数を乗れますよね。自分が新人の頃は競馬に乗れない日もありましたからね。今は多少下手でも一生懸命調教して、一生懸命頑張ればレースに乗れる。やっぱり競馬に乗らなければ分からないですからね。いろんな馬に乗って失敗して。そうやっていける人が上に行くと思うんでね。今は騎手が少ないですけども、たくさん乗れるのは気持ちの面でもやる気になるんじゃないかと思うし、若い子たちにとっては今は良い時代なんじゃないですか。
しかし、阿部騎手が調教師になったらそういう若い子たちを使う事になるんですけども、そんな世代の差はどうなるでしょうね。
まあ、まだわからないけども、やっぱり元気のある子に乗ってもらった方が良いですよね。頑張ってるな、っていう子は乗せたい。自分がいろんな面で苦労してきて、悔しい思いもたくさんしてきているんでね。そういう思いはしてもらいたくない。頑張ってる子には、上手い下手関係なく乗せたいなと思っているけども。でも調教師としては経営第一、馬主さん第一だから変わるかもしれないけど(笑)。
なし崩しにそんな話になったんですけども、将来的な目標としては調教師を目指していきたい......ということですね。
ですね。だから、2000というのはいい区切りだったし。年齢的にも、乗ってもあと1年とか2年ぐらいなのかな。
いろいろな話を聞きたいんですけども、この2000勝の間の"思い出のレース"を改めて伺いたいのですが、やはり初勝利でしょうか?。
そうですね。初勝利のレースですね。(1992年)10月のデビューだったんですけども全然乗れなくって勝てなくって。センス無いのかなと思いながら、もうちょっとやってダメだったら騎手を辞めようと本気で思っていたところで勝てた(初勝利は翌93年4月12日)。本当に助けられたし、乗せてもらった調教師さんにも感謝してますし。それがあったから今の2000勝があるんで、無かったら多分騎手を辞めていたんじゃないかなと思いますね。
もうひとつ、うかがいたいのが東京盃です(99年サカモトデュラブで勝利)。
東京盃は、たまたま伊藤和先生に"行くか"って言われて、何も知らないまま"行きます"って言って乗って、たまたまゲート出て、逃げて勝ったっていう(笑)。サカモトデュラブは東京盃にも何回か出ていて成績も悪くなかったですけども、自分は本当に訳も分からないまま。大井も初めてだったし、"ゴールまで長いなあ"とひたすら追っていたらクビ差くらいで勝っていた。本当に全てが上手くいった。自分は勝たせてもらっただけです。
1999年9月23日、東京盃(大井)をサカモトデュラブで逃げ切った
じゃあそういうことにしておきますけども、でもあれは凄い。自分もテレビで見てて興奮しました。
まあ、競馬ってそういうこともあるんだなと。最後まで何があるか分からない。最後まで諦めないでいるとね。競馬って奥が深い。
ある意味阿部騎手自身がそうですよね。怪我で諦めていれば2000勝がなかった。
諦めてたらそこで終わっていたんでね。まあ自分には騎手しかないと思っていたから。
2011年12月31日、桐花賞をカミノヌヴォーで勝利
ではこの先の目標は、大体聞いてしまったような気がするんですけども。
もう少し乗れるのならね、調教師よりは騎手の方が気が楽ではあるんですけどもね。試験もすぐ合格できるか分からないからまだまだ乗っているかもしれないですけども、30年乗ったし、調教師になるなら少しでも早い方が良いと思っています。
では最後に、オッズパークで馬券を買ってる会員さん向けに一言を。
そうですね。岩手競馬も楽しいので、ぜひ馬券を買ってください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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今年4月に岩手からデビューした坂井瑛音(えいと)騎手。騎手になるきっかけや、初勝利を挙げてから現在までの心境をうかがった。
初勝利からちょっと時間が経ってしまったので、まずは騎手を目指した理由から聞かせてください。
元々プロスポーツ選手になりたくて野球をやっていたんですけど、小柄な体格だったので、それを活かせる職業だったら騎手はどうだ?と父に教えてもらったのがきっかけでした。それで親と一緒に競馬を見ているうちにだんだん興味を持つようになりました。
何か競馬とか馬に関わりがあったりする家庭だったの?
いえ、全く関係ないです。父が競馬が好きだったもので。
競馬場はどのあたりに見に行きましたか?
大井、中山、東京でした。関東の競馬場はわりと行きました。
それが中学校くらいの頃。それから騎手になるための情報を集め始めた、と。
乗馬にも1年半ぐらいかな、東京乗馬倶楽部に通わせてもらいました。
教養センターでは同期の人数がわりと多かった年ですけど、どんなふうに過ごしていましたか?
自分がちょっとふざけたようなキャラだったので、仲良くやってたんじゃないかなと思います。
言ってみれば東京のど真ん中育ちの"都会っ子"でしょう?それで那須の教養センターで暮らすのってたいへんじゃなかった?
はじめの1カ月はもう本当しんどくて、家に帰りたかったですね。だけど家族が頑張れって言ってくれるから頑張らなきゃなと思いましたし、同期の中でも2年間頑張ろうって励まし合っていました。
学校時代は何が一番大変でした?
お菓子が食べられないことでした(笑)。減量は苦労しなかったですし、食べる量もそれほど多くない方なので空腹が......とかではないのですが、そういうものまで制限されるんだ、って。
では学校時代で一番思い出に残っているのは?
東京ダービー(2023年ミックファイア)を間近に見れたことですね。
2023年東京ダービーのあと、御神本訓史騎手と
あのレースは良かったよねえ。
あの雰囲気ってなかなか経験できないですし。レースで勝った騎手にその場でお話を聞けることもないですし。わざわざ自分たちのために来ていただいて、喋っていただいて。本当に良かったな、いい経験したなって思いました。
さあ、そして卒業が近づいて、岩手を選んだ理由は?
教官からは"お前の雰囲気というか人柄が岩手に合う"みたいな感じで紹介してもらって。自分も上手くなるためにはとにかく騎乗機会が多いところじゃないとダメだと思ったので岩手に決めました。希望を出した時に手を挙げてくださったのが菅原勲調教師で、リーディングの厩舎から声をかけて頂けるなんてそうある事じゃないですし、敢えて厳しい中で頑張ってみようと。
菅原勲調教師と
初勝利は4月22日でしたが、思い出せる?
もうその日は鮮明に覚えています。あのレースは、馬が最後ギリギリよく頑張ってくれました。
その時のコメントを見ると「ゴールして周りからおめでとうって言われたのが凄く嬉しかった」とあります。
ゴール過ぎて走っている時に周りの皆さんに「おめでとう」って声をかけてもらって。確か一番最初に言ってくれたのが(高橋)悠里さんでした。
4月22日水沢競馬第12レース、サンエイブレーヴに騎乗して初勝利
ご両親はなんて言ってました?
まずはじめに「馬券獲ったよ」って(笑)。わざわざ大井競馬場まで紙の馬券を買いに行ったんだそうです。
26戦目だったけど、それまでも結構勝てそうなレースがあったじゃないですか。デビューして2週間ぐらい、もうちょっと......みたいな時の気持ちとか考えは、どんな感じだったんだろう?
そうですね、自分が思ってる以上にレースの中で余裕が持てなくなってた、と思いますね。自分だとなかなか分からないんですけど、(菅原)辰徳さんが「勝ち負けの前にまずしっかりまっすぐ走らせるんだよ」と教えてくれて。それが一番大事なんだよな......と改めて思い直したりして。
実習中とかに、デビューしたらこういうふうに乗りたい、ああいうふうに乗りたいみたいな話をしてたじゃないですか。でも、そう簡単にはできないよね。
はい。現実って難しい。同期の成績も気にしちゃってましたね。同期が先に勝って、焦っているような感じは無いと思っていたんですけど、自分で気付いてなかっただけで、気にしていたんでしょうね。
でも、それがだんだんできるようにはなってきた?
それはまだまだですけど、自分の中では、ひとつひとつ丁寧に課題をクリアしていくだけなのかな、と思っています。
デビューしてから今まで乗ってきて、自分の中で変化があったことはありますか?
変化があったとしたら、レースの中での余裕はデビューした時と今では少しは違うかなと思います。だけど、教えてもらっても改善できてない事ばかりなので、自分でも変えていかないといけないですね。
ところで、水沢でデビューして盛岡でも騎乗したわけですが、乗ってみた感想はどうでしたか。
盛岡は乗っていても(コースが)大きい、直線長いなと感じます。もう少し自分が上手くなれば減量を活かせるコースなのかなと思います。水沢はやっぱりコーナーがきつい。コーナーコーナーでロスなく回るかが重要なコースだと思うので、そこは、ずっと課題になるだろうなと思っています。
5月27日、盛岡競馬場での初勝利(第6レース、メイショウホガラカ)
この先の目標は何になりますか。
まずは頂いた乗り鞍を、チャンスを無駄にしないように大切に乗る事と、自分の今ある課題を1つでも多く克服していくことが今の目標です。
では最後に、オッズパーク会員の皆さんに坂井瑛音騎手からメッセージを。
もっと勝鞍を伸ばせるように頑張りますので、ぜひ馬券で応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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フジユージーン。2歳時は5戦5勝、3歳となった初戦のスプリングカップも圧勝して6戦6勝。地元ファンのみならず全国からも注目される存在になったこの馬の近況と今後を、管理する瀬戸幸一調教師にうかがった。
まず前走のスプリングカップのお話からいきたいと思います。こちらが勝手にいろいろ期待を膨らませて見ていたんですけど(笑)、まずは良い結果だったと思いました。
そうですね、思った通りの、それ以上の走りをしてくれたので良かったなと思っています。
いったん時間を戻してですね、昨年の南部駒賞からスプリングカップまでの中間の状況や調整などを改めてお聞かせください。
去年の南部駒賞の後、ちょっと爪の方が心配で、少し早く切り上げる形にはなったんですけど、次のレースのためにと思って富士ファームさんの方に戻りました。最初は京浜盃に間に合えば......とも思っていたんですけどもね。1月の中旬から一カ月ほど那須の教養センターにもいたのですが、なかなか思うようにいかなくて。時期も時期でしたし、競馬場に戻して、馬をよく知っている厩務員さんや装蹄師さんで見ていこうと。
遠征馬との初対決になった南部駒賞も難なく通過した(2023年11月12日)
それが2月の中旬ですね。
そこからは順調に調整が進んでくれました。普段はおっとりしているんだけど馬場に入ると気持ちも入る馬ですので、そこからの調整は苦労しなかったですね。スプリングカップまでも順調に進める事ができました。
ここでもうちょっと話を戻すんですが、フジユージーンはオータムセールで補助馬として購買された馬で、瀬戸幸一調教師も馬を選んで決められたんですよね。セリの時はどんなところが決め手になったんでしょうか?
決め手はですね、脚先のさばきが凄く軽かったんですよ。セリの当時から大型馬で、体高なんか今とそんなに変わらなかったんじゃないかな。大きい馬は脚先が重い感じがある。のそのそっとしたね。この馬はそうじゃなかったんです。
こういうとなんですけど、父(ゴールデンバローズ)はその時点では活躍馬がいなかったですし母は岩手で未勝利馬。それでもこの馬が......というのはなぜだったのか?は思ったりします。
確かに血統的にはそうですけど若馬はどこでどう変わるか、どう走るか分からないですし、オーナーが乗馬クラブをやられているから、これだけ馬格がある馬なら丈夫であればどんな道にもいけるから、と。それくらいの気持ちでいたのがたまたま当たったのかな。
母デザイナーも岩手デビュー馬だった(2015年8月16日、盛岡新馬戦のパドック)
しかし、デビューする頃には「この馬走るよ」という話になったじゃないですか。
調教の動きを見ていて、やっぱり違っていましたね。競馬場に来る前にも富士ファームさんで動きを見たんですけど、しっかり動かせば軽い動きが出ていたから、「もしかしたらもしかするのかな」と思っていました。
そうするとデビュー後の走りは、その感触通り?
そうですね。でも私は新馬戦は正直あまり期待していなかったんですよ。
「850m向きではないかも」と言われていたのを覚えています。
距離が距離ですし、ビュッと行く馬にはかなわないのかな......とか思っていたらうちの馬が速かった。そんな感じでした。
水沢ダート850mの新馬戦を大差で圧勝(2023年6月4日)
その後は順調に勝ってきましたが、今にして思えばいろいろ苦労もあってと想像するのですが、3歳になってそんなところも解消されてきたと思っていいのでしょうか。
そうですね、レースであればスタート。他の馬と五分に出る事ができるようになったかなとか、身体がひとまわり大きくなって、付くべき所に筋肉が付いてきたとかですね。この馬の場合まだ余裕があるのでもうちょっと筋肉が付いてくるのかなって感じはします。2歳の時と今とはフットワークも違いますしね。一段と大きくなって。期待通りに仕上がってきているなと見ています。
2歳の時もレースで速いなと思っていましたが、スプリングカップの瞬発力はもう一段変わったなと感じましたものね。
普段の調教から迫力が増しました。2歳の時もフットワークがきれいだ、柔らかみがあって良いなと思っていましたけど、今の方が数段上だなという感じがします。
3歳初戦のスプリングカップは3度目の大差勝ちで順調な発進(2024年4月7日)
さて、ここまで割と"べた褒め"なので、この先に向けて課題というかもっと良くなってほしい点を無理矢理にでも挙げていただければ......。
今思っているのはもうちょっと腰の方に筋肉が付いてくれれば。それが一つ。そして大型馬ですから脚元の負担はね、小さくないと思っています。まだ成長段階ですし、そこは常に気を遣っています。
ダイヤモンドカップ直前というタイミングですのでそこに向けたお話も。
距離やコースは全く心配していないです。そこまで順調に行ってくれれば。
さらに先の話は、まだダメでしょうか?。
そこはまだですね(笑)。まずはダイヤモンドカップ次第。そこを順調に乗り越えてから考えます。
6戦6勝というだけでなく大差勝ちが3回。そんな走りを見せつけられては期待しない方がおかしいというもの。全国の舞台で力を試してほしいと思うのだが、それはあくまでも外野の期待であって、今はフジユージーンの着実な成長を見守りつつ楽しみにしているべきだろう。まずはダイヤモンドカップ。自身初の1800mでどんな走りを見せてくれるか?でこの後の路線も定まってくるはずだ。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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