
8月16日の盛岡第6レースで村上実調教師が地方通算1,500勝を達成した。村上実調教師は騎手として812勝を挙げ、岩手のトップジョッキーとして活躍。そして調教師としてもトップクラスのトレーナーとして見事な勝利数を積み重ねてきた。今回は師に思い出の馬などを振り返っていただいた。
まずは1,500勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
1984年に調教師として開業されて37年になりますが、この1,500勝を振り返ってみて、ここまでの道程の感想とか苦労された事とかは何かありますか?
特別な苦労というのはあまり感じなかったですね。わりと順調に来た方ではないでしょうか。良い馬にも巡り合ったし、特別に"苦労した"という感じはないかな。
村上先生は騎手から調教師になられたので改めておうかがいしたいのですが、騎手としてもトップジョッキーとして活躍されて、みちのく大賞典や桐花賞も勝たれていますけれども、それほどの騎手が若くして引退されたのはどうしてだったのでしょうか。
いやもう減量がきつくてね。なんせ毎年10キロから減量しなくちゃいけなかったから。騎手を引退したのが32歳の時ですか。もうちょっと乗りたかったんですけども、体が追いつかなくなった。減量には勝てなかったですね。
調教師に転身された当初の苦労は何かありましたか。
開業した当時は資金も足りなかったし、いろいろ苦労はありましたね。でも開業2年目にトウケイフリートという走る馬に恵まれて、それからはほとんど苦労はしなかったです。
自分が岩手競馬を見始めたのはもう少し後の頃からなので実際のトウケイフリートを知らないんですけれども、どんな馬だったんでしょうか。
ごろっとした幅のある馬でしたね。馬体重は500キロぐらいあったと思ったね。上にはそんなに大きくはなかったけど幅があった。脚がちょっと内向で、それがあったから中央とかに行けなかったんじゃないかな。でも故障しないでよく走ってくれた馬でした。
デビューが今で言う3歳の4月で、かなり遅いですよね。
やっぱりその内向のせいで強い調教がなかなかできなかったんですね。徐々に調教のペースを上げていかないと脚元が保たなかった。じっくり仕上げていったのでデビューが遅かったのだと思います。でもデビュー2戦目にはもう特別を勝ったのだからやはり力がある馬でした。
こういうとなんですが、開業してまだ2年目くらいの新人調教師のところに重賞を勝ちまくるような馬が巡ってきたわけですから、凄い順調というか幸運というか......。
トウケイフリートが来たのは騎手時代に同じ馬主さんの馬(トウケイホープなど)に乗っていた繋がりのおかげでもありました。トウケイフリートの時は、馬主さんが若駒を買ったから見て来いということで、あの馬はえりも農場の生産でしたけども、えりもまで見に行ったこともあります。結果、その馬が当時あった重賞のほとんどを勝つくらいになって厩舎の流れも良くなった。上手くいきすぎといえばいきすぎでしたね。
さて、思い出に残る馬としてはまずトウケイフリートが挙がるとして、もう1頭挙げていただくとするとやはり......。
トニージェントだね。
トニージェント(2005年みちのく大賞典の返し馬)
トニージェントが先生のところに来た経緯は覚えておられますか。
トニージェントは確か補助馬だったんじゃないかな。牧場まで見に行って決めたんです。若馬の頃は細かったね。細くて脚長で。小さい頃の見栄えはイマイチだったと思う。徐々に身体の幅が出てきて良くなってきた。
デビュー戦の時は453キロでしたね。
初戦はもちろん勝ったんだけど、身体はまだ弱かった。レースを使って動きが悪くなって、確かしばらく休養したと思う。今思えばその休養が良かったんじゃないのかな。それで身体ができてきた。
そうですね、半年休養してからの復帰戦が490キロになっていますね。
ああ、そうでしょう?その辺からだんだん体ができて、走るようにもなっていった。
トニージェントは、グレードレースを勝ちたかったですね。勝てそうなレースはいくつかあったんじゃないかと今でも思っています。
船橋(2003年かしわ記念)は惜しかったね。あの時は、4着だったか。1コーナーで少し進路が狭くなる不利があって、あれがなければもっときわどい勝負になっていたんじゃないかなと思っていました。勝った馬から1馬身ぐらいしかなかったからね。
2003年かしわ記念(当時GII)。トニージェント(左)は4着に食い込んだ
上山のさくらんぼ記念や佐賀記念、名古屋大賞典なんかも惜しかったですね。当時下川さん(トニージェントの担当厩務員)と"もうちょっとで勝てたよね"と悔しがった記憶があります。
これも今思えば直前の輸送にはちょっと弱かったかもしれないですね。東北ダービーの新潟もそうだし、上山でも負けてるから。それで佐賀記念の時は早めに移動して長期滞在で挑んだ。相手が強くて勝てなかったけれども馬には滞在競馬の方が良かったと思う。それから夏場はあまり良くなかった。
というと?
夏は暑さにちょっと弱くてね。夏はあまり勝っていないでしょう?でも冬のレースは勝っている。冬場は体調が良くてすごく調子がいい時期だったね。
ああ、確かにみちのく大賞典を勝ったのはレースが8月から6月に移動してからですね。8月の時は2回走って2回とも負けています。
そうでしょう?夏場はちょっと良くなかったからね。だから7歳、8歳の頃は夏は休養にあてて、マーキュリーカップを走った後は北上川大賞典まで間を開けていましたね。やはり寒い頃は走ったね。
ところでそのトニージェントなんですが、デビューから引退までほぼずっと村上忍騎手が乗っていました。先生としてはやはり息子の忍騎手を育てようという狙いというか意思があったんでしょうか?
もちろんそうですよ。やっぱり強い馬に乗せないと上手くならないからね。馬に教えられるわけだから、重賞を勝てるような馬に乗っていないと騎手も上手くならないですから。
村上実調教師は騎手だった80年代からずっと岩手競馬を見ておられるわけですけども、昔と今の岩手競馬で変わった点とかありますか。
自分が騎手だった頃は交流競走がほとんど無かったですよね。今はどこでも乗れるからね。最近はコロナで難しかったりするけども、その辺が一番違うんじゃないかな。レースに出すにしても中央に行って使うなんて自分が若い頃には無かったですから。
最近は売り上げも上がってきてるんですけども、苦しい時期を乗り越えたといえる今はどう思われますか。
だいぶ良くなったけれど、でもまだまだと言いたいですね。これからどんどん伸びてくれればいいんですが。
村上実厩舎の期待の馬を挙げていただくとすると。
リリーモントルーかな。夏場は夏負けで調子が良くなかったですが涼しくなって立ち直ってきた。中央の頃は芝で走っていたし、トビが軽い馬ですから芝がいいかなと思って連れてきたけど、でもダートでもどっちでもいいのかもしれない。重賞を何か勝てればいいなと思っています。
厩舎の期待馬リリーモントルー
ひと区切りの1,500勝を達成したということで、この先の目標を教えてください。
この先といっても大きな目標は持ってないですが、何か重賞を獲りたいですね。それが今は一番の目標かな。
リリーモントルーや、ハーベストカップを勝ったリンシャンカイホウ(写真)は村上忍騎手の息子・村上朝陽厩務員が担当。"親子三代"での重賞制覇を目指す
それでは最後にオッズパークの会員さんにひとことを
いつもインターネットで岩手競馬の馬券を買っていただいてありがとうございます。これからも岩手競馬を応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
南郷家全騎手は1995年10月のデビュー。古い競馬ファンの方ならピンとくるかもしれないが、南郷騎手のデビュー戦や初勝利は旧盛岡競馬場だった。今となっては旧盛岡を知っている現役騎手は3人だけ。そんな大ベテランになった南郷騎手が8月30日、地方競馬通算1,000勝を達成した。
まずは1,000勝達成おめでとうございました。改めてになりますがその感想をお願いします。
ありがとうございました。もちろん素直に嬉しいですが、デビューから26年ですから長かった。"よくこれだけ長く騎手をやってきたな......"という感じでもありますね。
そうですね、デビューから26年、500勝達成から1,000勝までは9年でした。
ほら、やっぱり長い!(笑)。
8月30日盛岡第10レースで地方通算1,000勝達成
1,000勝達成が見えてきた5月、6月ごろかな、しばらく勝ち星から遠ざかっていた時期があったようにも見えたんですけども、やはりプレッシャー的なものがあって?
こういう事は焦ったところで勝てる、達成できるものじゃないですしね。そういう時は"順番が回ってくれば勝てる"と信じるしかない。
1,000勝した週の前後、この1カ月ぐらいはすごい勢いで勝っていますよね。
その"順番"が回ってきたということ。これはもう、焦らず騒がずタイミングが来るのを待つしかないですからね。
さて、岩手の騎手の中でも大ベテランになりましたね。旧盛岡競馬場を知っている数少ない現役騎手にもなりました。そんな南郷騎手からみて、この26年間の"岩手競馬の移り変わり"はどんなふうに見えました?
いろいろな事がありましたからね。終わりそうになった事(※2007年の廃止問題)があったし、地震(※2011年の東日本大震災)もあった。最近はまた売り上げが良くなってきていて。一言で言ってしまえば、浮き沈みが激しい、という感じですかね。
乗ってる騎手としてもそういう、賞金とか悪くなってまた良くなって......の感覚というか実感がありますか?
もちろん賞金とかにかかわってきますからね。最初の頃は凄く良かったけど一気に下がって。また最近ちょっとずつ上がってきているから、ホント浮き沈みですよね。ただ、若手の頃は騎乗数があまり多くなかったし、騎乗手当も今より少なかったから、賞金は高かったかもしれないけど稼ぎにはならなかったな......という記憶ですね。
2000年4月1日、水沢・スプリングカップを制したピスカリアンジュ
今の若手騎手はどう感じますか?昔と違うところがあったりする?
出てくる若手は基本的に上手いですよね。昔はレースに乗っても1クラとか2クラとかであまり乗れなかった。今はデビューしてすぐたくさん乗せられるから競馬を覚えるのも早い。やはり皆上手だと思う。
ところで南郷騎手はなぜ騎手になろうと考えたのですか?
小さい頃は身体も小さくて、父親の友人の紹介で"騎手にならないか"って誘われた時にちょっとやってみようかな、と。そこで城地藤男厩舎(※引退。1974~2010年)の見習い騎手として入りました。最初は厩務員として働きながら騎手の試験を受けた。だから、騎手に凄く憧れて目指したわけではなくて、全然知らないところからこの世界に入りました。
じゃあ、逆にそれで26年やってきたのは凄いのでは?
いや、他にやる事がないからね。中学校くらいから働いてたから、だからもう、競馬にしがみついてやるしかないよね。だいたい教養センターというところがもう凄い所だから。凄く苦しかったもの、センター時代。それを乗り越えてやっと手に入れた騎手免許、そうそう簡単に手放せない。辞めたくなった事は何度もあったけど、この免許を無駄にするわけにはいかない、って。
そうして粘り強く続けてきた騎手という仕事を今振り返って、どう思いますか。
やってきたおかげで1,000勝という結果を残せた。それは良かったですね。
さて、ここまで南郷騎手の思い出に残っている馬を挙げていただくとすると?1,000勝後のインタビューではラブバレットと言われていましたがその他にあれば。
マツリダパレス(※2005年の桐花賞を5番人気で優勝、その年の岩手競馬年度代表馬にも選出)かな。周りのメンバーが強かったし、自分の馬は強気に外を回っていける馬でもない。だからもう内ラチ沿いから動かないと決めていました。内が開くのを待つしかないと。そうしたら、前がパカッと開いた。
自分もよく覚えてます。あのレースは勝ってガッツポーズしたくなる気持ちが分かる。そして、ラブバレットもやっぱり記憶に残る馬になる?
あれだけ走った馬ですし、自分が騎乗したさきたま杯でも4着、あの時にこの馬は本当に走る馬だと思いました。
2015年さきたまJpnII。南郷騎手のラブバレットはダートグレード初挑戦ながら4着に健闘
結果は4着だったけれど凄く良い内容でしたよね。
3~4コーナーでJRAの馬と同じ脚で回って行けて、4コーナーを回る時に"これは勝てるんじゃ?"って。勝負所で外からノーザンリバーが捲り気味に動いてきて、そこで捲られずに付いて行けたのが十分に凄かったんですが、それでちょっと脚を使っちゃった。あれがなければ少なくとも2着争いはもっと差のない競馬ができていたと思います。
そうだ、マツリダワルツも聞いておきたいです。
デビュー前は気性が悪くて"競馬ウマになれるのか?"と心配されていたんです。当時は競馬場で若馬の馴致をやっていたのですが、ぜんぜん言うことを聞かない。何回やってもゲートに入らなかった。女の子だけど"きかん坊"。これじゃあゲート試験も通らない、無理だなって。それがある時観念したのか普通にゲートに入るようになって、そうしたらいきなり良くなった。
へええ。その後の活躍は自分も知っていますが、もしそこでワルツが観念してなければ(産駒の)ロードクエスト(JRA重賞3勝、8月1日盛岡・せきれい賞制覇)もいなかったかもしれない。
そうそうそう。競馬ウマになってなかっただろうから。
2007年サファイア賞。3歳時のマツリダワルツは芝・ダート問わぬ活躍。芝での走りがロードクエストら子供達に受け継がれている
さて、1,000勝という区切りを達成しました。この先の新しい目標を挙げていただくとすると......?
目標ですか......。とりあえず1,500勝を目指すか......。もしくは、調教師を考えながら......。でも、自分が櫻田浩樹厩舎に移ってからまだちょっとしか乗っていないですからね。たまたま1,000勝を自厩舎の馬で決めることができたけど、もっと櫻田浩樹厩舎で乗りたいかな、と思う。
そうか。騎手として現役を続けながら、恩返しじゃないけども......。
そう、恩返しかなやっぱり。俊光さん(※城地俊光調教師。昨年7月に逝去。南郷家全騎手の前の所属厩舎)が亡くなった後の自分を拾ってくれた。自分はけっこう厩舎を動いていたんだけど、そんな自分をね。今の厩舎で乗っている期間が、まだ短い。もっとここで一緒に......と。あとは身体に気をつけて、大きな怪我をしないようにしていこうと思っています。
最後にオッズパークの会員の皆さんに向けて一言。
これからも良いレースを見ていただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。
南郷家全騎手の"ベストレース"とすると自分は文中にも出たマツリダパレス、2005年の桐花賞を思い出す。馬群の内側3番手、行きすぎず引きすぎず絶妙な位置を守り続け、他の馬の意識が外に偏った瞬間を見逃さず内から飛び出して突き抜けたレース。あれは本当に南郷騎手らしい騎乗だったと思う。
1,000勝を決めたレースも馬場傾向や相手関係を見抜いて、思い切ってハナを奪っての逃げ切り。あれもまた南郷騎手らしかった。そのレースぶりを見ても勝負勘は健在。ここしばらくは大レースの勝ち星から遠ざかっている同騎手だが、また重賞で、"らしい"騎乗でファンをあっと言わせてほしい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2021年5月9日の水沢第1レースで村上忍騎手が地方通算3500勝を達成した。岩手競馬史上では菅原勲元騎手、小林俊彦元騎手に続く3人目の達成であり、現役騎手の中ではもちろん最多となる勝利数だ。28シーズン目を戦う村上忍騎手に記録達成やこれからについてうかがった。
3500勝達成、おめでとうございました。岩手競馬では史上3人目、現役では最多勝となる記録達成です。
ありがとうございます。そうですね、騎手になって何年になるのか自分でも分からなくなったくらい長く乗っていますし(笑)、そんな自分よりたくさん勝っている騎手もいますからね。とはいっても、自分自身でもここまで勝つとは思っていなかったですから、素直に皆様に感謝したいですね。
94年デビューですから、28シーズン目になりますね。改めて振り返ってみたら、ずいぶん長くなりましたね。
自分と同じ世代の騎手はもう何人も残ってないですからね。自分自身こんなに長く騎手を続ける事ができるとは、40歳過ぎてまで騎手をやっているとは思ってもいなかったですね。
2021年5月9日水沢第1レース、ミンナノヒーローに騎乗して地方通算3500勝達成
昔の村上忍騎手が描いていた"将来像"は、そうするともっと早く引退するような感じだった?お父さんの村上実調教師は31歳で騎手を引退されましたよね。
そこまで早くとは思っていなかったですが、40歳前後で引退して調教師になって......みたいな。父はかなり早く引退しましたけども、その頃の騎手たちは全体的に引退が早かったですからね。自分もそれくらいかなと。若い頃から体重の調整に苦心するところもありましたし。
今は自分より先輩でも現役で活躍されている方がたくさんいますからね。自分も今44歳になって、今でも良い馬に乗せていただけているし、昔思っていたような辞めるタイミングは失った......みたいなところはあるよね(笑)。
もちろんそれは、ありがたい事ですよね。おかげでレースに乗る事自体が嫌になったりという事はないですから。やっぱり長く乗れたからこそのこの記録でもありますから。
そういう話が出たのでうかがってみますけども、以前、岩手競馬が色々と改善活動を続けていた時、村上忍騎手自身も怪我をしたり騎乗停止になったりして、なんというか歯車がかみ合わない時期があったじゃないですか。あの頃に比べれば、去年や今年の忍さんは凄く調子がよく見えるんですよね。まだまだいける、まだまだやれる、って思うんですけど。
確かにその頃は、他の人に迷惑をかけてしまったし、騎手としてのモチベーションであったり技術であったり、年齢とともにそういう部分が落ちてきているのを自分で感じるようであれば......と思ったりもしました。今なんかも、体力的に全く衰えてないとは言わないけれど、長年の経験である程度やれるのかなって。調子が良いかどうか......は分からないけど、乗ってて楽しいなって思う時があるから、そういう瞬間があればあるほどなかなか辞めづらくなるというのはありますよね。
やっぱり体力的な衰えとか感覚のズレみたいなものを感じるようになってくる?
年齢を重ねるとどうしてもね。自分では変わらないと思っていてもそうなってくるのではないでしょうか。体型も変わってきますし。
でも、今年なんか凄く良い感じで乗れているなと、お世辞抜きで思いますね。
馬との巡り合わせもある事ですから、自分のモチベーションだけでどうこうできるものではないだろうけど、でも噛み合う噛み合わないはあるでしょうからね。今は、最低限それが噛み合っていて、それなりの結果につながっているのかな......っていうのは、少しだけ思ったりします。
あとここ最近は、例年より体重のコントロールがうまくできているから気持ちが凄く楽。長年減量をしてきているわけだから自分の中のルーチンがあって、いっぱいいっぱいだともちろん余裕が無くなるけれど、全く何もしないとそれはそれで調子が悪い。今年はそれがちょうど良い感じ。ちょっとだけコントロールして、体力的には割と余裕もってレースに挑めているって感じ。そういうのはやっぱり気持ち的に変わってきますからね。
年齢を重ねて変わってきた点のようなものはありますか?
そうですね、気持ち的には、若い頃はイケイケって言うか力任せな感じだったけれど、ここ10年くらいは、馬とのコンタクトが一番大事だなと思ってそこを気を付けて乗るようにしています。
走るのは馬で、乗り手はコントロールするわけで、乗り手が強すぎて馬の邪魔をしたらしょうがない。多分、若い頃の自分はそうだったと思いますよ。
3000勝から3年4カ月で3500勝に到達
村上忍騎手はもう大ベテランの域に入っていますけども、見ている方としてはまだまだ老け込まれては困る。ということで3500勝を超えてのもうちょっと先の目標を聞かせてください。
一番はやっぱり怪我をしないように、馬も人も無事に。そしてこの先は、数字的な目標は特に掲げていないですが、でも、いつも言っていますが乗っている以上は一つでも多く勝ちたい。自分のためにも馬のためにも、関わってくれている皆さんのためにもね。そこは欲張っていきたいなと思っています。今年は期待できる馬も乗せて貰っていますし、そこでしっかり結果を出していきたいなと常に思っています。
今年に関しては3500勝が迫っているのが分かっていたから自分の中で目標になっていた。そこをクリアできて自分として達成感はあります。これから4000とはね、なかなか言えないですけどね、レースに出るからには一つでも多く勝ちたいという部分は自分の中でまだなくしてはいません。
では最後にオッズパーク会員の皆さんに一言を。
コロナ禍の影響で移動であったり現地観戦であったりの制限が続いています。現地で見ていただきたい気持ちはもちろんありますけども、今はネットでも便利にレースを見る事ができますから、ぜひオッズパークで岩手競馬を応援していただきたいなと思いますね。
5月23日のあすなろ賞ではチャイヤプーンで今季の重賞2勝目。重賞戦線でも存在感ある戦いを演じている
インタビューの中でも触れたが、今季の村上忍騎手は非常に好調なのだろうと感じる。逃げてスローペースに持ち込むかと思えば好位からレースを動かして差し切ったり。それでいて本人の言葉のように自己主張しすぎることはない。成績の数字以上の安定感があると思いながら見ているのだが、ファンの皆さんはいかがだろうか。
これも本人が言われているように"あと500"はなかなか大変なのだろうけども、あと3年、今のペースで騎乗し続けてくれれば見えてくる目標だ。その時を迎えることができるよう、村上忍騎手を応援し続けたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2021年春シーズンが開幕した岩手競馬。昨シーズンまで5年連続で岩手リーディングを獲り続けている山本聡哉騎手にお話を伺いました。
まず昨シーズンのことからお聞きしたいのですが、5年連続リーディング獲得おめでとうございます。
ありがとうございます。昨年もリーディングが獲れたというのはすごく嬉しかったですね。昨年は3月31日まで南関東で期間限定騎乗をしていて、その時も新型コロナウィルスが流行していましたから、岩手に戻ってから2週間騎乗を自粛しました。4月の半ばくらいまで乗れなかったので、追いかける立場でスタートしたんです。乗れない時期があったのは残念でしたが、新鮮な気持ちで挑めましたし、結果的にはとてもいい1年を過ごすことが出来ました。
重賞もたくさん勝ちましたね。
周りの方々のお陰です。流れも出来過ぎかなと感じるくらい、特別な1年になりました。いい馬たちに乗せていただいて、たくさん重賞も勝たせていただいて。どのレースも想い入れが強いですけど、特にアクアリーブルで桜花賞を勝たせていただいたのは大きかったです。
ユングフラウ賞では7番人気2着といい脚を見せてくれて、続く桜花賞は3番人気で勝利しました。
アクアリーブルのオーナーである新生ファームさんとは、ピアノマンに乗せて勝たせていただいて、そこで繋がりが出来ました。さらに管理していたのが(佐藤)賢二先生だったので乗せていただくことになりました。ユングフラウ賞の前から調教にも乗せていただいて、すごくいい脚で2着に来て、重賞でもやれるという手ごたえを感じました。そこからですね。「次は桜花賞を勝つ!」と勝手に自分でプレッシャーを感じながら調教に乗っていました。その緊張感というのはとても心地いいというか、すごく楽しい時間でした。
アクアリーブルで浦和・桜花賞(2020年3月25日)を制し、佐藤賢二調教師と握手
桜花賞は好位から強いレースでしたね。
枠も良かったですし、馬の調子もグンと良くなって、とてもいいレースが出来ました。プレッシャーを感じつつ調教にも乗せていただいて、そこで勝てたというのは自分の騎手人生の中でもすごく大きな出来事になりました。(佐藤)賢二先生が急逝されたことはとても驚きましたし、残念で仕方ありません。弟(山本聡紀騎手)もお世話になっていましたし、僕が期間限定騎乗で南関東へ乗りに行くと、いつも1勝目は賢二先生の厩舎の馬で勝たせてもらっていたんです。いつか僕も、賢二先生のようなカッコいいホースマンになりたいと思っています。
地元岩手でも重賞をたくさん勝ちました。3歳牝馬ゴールデンヒーラーは今後の活躍が楽しみですね。
スピードもあって、レースセンスも高い馬です。2歳の時期は北海道の馬がとにかく強い中で、知床賞とプリンセスカップを連勝できたというのは大きいですね。地元馬同士ではある程度力関係や展開が読めますけど、他地区勢を迎え撃っての勝利でしたから。春になって久しぶりに乗ったら、馬体に幅が出て成長を感じました。調教では少しうるさくて神経質なところもありますが、競馬にいっての集中力がある馬で、気持ちの面もレースではいい方に出ていますね。今後距離がどれくらいもつのか、という問題になりますが、折り合いに苦労するタイプではないのでこなしてくれるんじゃないかと期待しています。
プリンセスカップ(2020年11月30日)を制したゴールデンヒーラー(写真:岩手県競馬組合)
年末や年明けの開催は雪の影響で中止が続きました。
僕にとっても初めてと感じるくらいの大雪で、水沢に昔から住んでいる厩務員さんたちも「こんなに降るのは初めてだ」と言っていました。近所のカーポートがいくつも潰れたりしていて、災害級の大雪でした。もう毎日毎日とにかく雪かきでしたね。僕らも本当はやりたい気持ちもありましたけど、さすがに環境的に難しくて。中止が続いてしまって、不完全燃焼な感じで終わってしまいました。
今年は3月12日からの開幕と、例年より早いスタートとなりました。今シーズンの意気込みを含め、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも岩手競馬を応援していただきありがとうございます!昨シーズンは大雪の影響で中止が続き、なんだか拍子抜けという感じになってしまいましたが、今年もリーディング目指して頑張りますので、応援していただけたら嬉しいです。岩手競馬にはゴールデンヒーラーはじめ今年活躍しそうな若馬がたくさんいるので、ぜひ注目してください。10歳になったラブバレットも頑張っています。今後コロナが落ち着いて、また皆さんと一緒に競馬を楽しめる日が待ち遠しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
小西重征調教師は今年77歳。調教師として開業されたのが1979年と既に40年以上経っているのだが、それ以前は20年近くトップジョッキーとして活躍されており、今では岩手競馬を最も古くから知る"生き字引"的存在でもある。その小西重征調教師が先の7月、岩手競馬の平地通算勝利記録を更新された。多くの名馬を育て、また勝利数でも記録を打ち立てられた小西調教師にうかがった。
まずは7月13日に達成された地方競馬通算1,844勝、『岩手競馬平地通算勝利記録』更新のお話からうかがいます。小西調教師は記録にあまりこだわっていない......とは思いますが、改めて振り返ってみていかがでしょうか
そうですね、今になって数えてみればああ届いていたのか......と。そうだな、届いたとか超えるとかでもなくて、そんなに勝っていたのか、という感じですね。
7月13日、岩手競馬平地通算勝利記録1,844勝達成の口取り
とはいえ40年間も調教師を続けて来たというだけだけでなく毎年ある程度以上は勝ち続けないとこんな数字にならないのですから、やっぱり凄いのではないでしょうか
凄いかどうかは分からないけどね。まあ、凄いというよりは長いこと調教師をやってきたその積み重ねなのでしょう。
その40年の調教師生活で小西調教師が一番記憶に残っている馬は......やはりトウケイニセイでしょうか?
そうですね、やっぱりトウケイニセイだろうね。自分もまだ若くて張り切っていた頃だから、最初の頃は勝って良かった嬉しかったと喜んでいたけれど、最後の頃になるとプレッシャーの方が大きかった。良い事も多かったが一番苦労もした馬だからね、トウケイニセイは。
最近のファンの方はトウケイニセイを知らない世代が多いと思うので改めてうかがいますが、トウケイニセイはどんな馬だったのでしょうか?
まず賢い馬だった。そして我慢強い。ちょっと故障がちな所があったがレースでは我慢して走ってくる。しかし調教中なんか、何かちょっとまずいところがあったら極端に歩様を乱してみたりするのさ。そうやって痛いとかどこかおかしいとかいうのを我々に対して教えるんだね。それで治療をするんだが、その間はピクリとも動かないで辛抱している。つまり"ここが痛いぞ"というのを見せつけて治してもらおうとするわけ。そんな馬だった。
2009年1月、水沢競馬場に里帰りしたトウケイニセイと小西調教師(右から3人め)
トウケイニセイのキャリア終盤の頃は、調教もレースも非常に慎重に、気を遣いながら戦っていました
ちょっと脚元にまずいところがあったからね。でもレースに出たら我慢して走ってくるから。その頃はもう、勝つとか負けるとかより無事に帰ってきてくれたらいいとだけ思っていた。
引退レースとなった1995年の桐花賞の時も、決して万全ではない脚元の状態で出走して、それでも強い走りで勝って。非常に印象深かったです
あの時は馬自身が"これが最後のレースかも"と感じて、そんな気持ちで走っていたんじゃないのかなと思いますね。トウケイニセイはカメラを向けるとカメラなのかカメラマンなのかを意識してポーズを取るような馬だったのに、その桐花賞で最後の口取り写真を撮った時は人に頬ずりするように甘えたりして、これまでとは違う雰囲気だったのを覚えている。馬自身も何か感じていたんだろうね。
引退して1年位経った頃に北海道に会いに行ったが、その時もまだ跛行していたからね、最後の頃はよっぽど我慢して走っていたんだと思う。
2011年、盛岡競馬場でのトウケイニセイ
考えてみれば、トウケイニセイは小西調教師が開業して10年ちょっとの頃に出会った馬ですよね。自分は"大ベテランの調教師が育てた馬"という感じに思っていました
トウケイニセイには色々な事を教えてもらった。騎乗していた菅原勲君(現調教師)もまだ若かったから、同じだったんじゃないかな。自分はあれを超える馬には会った事がないですね。
まあ、あの頃の走る馬はどこかしら悪い所がある、故障している馬が多くて、グレートホープもそうだったが、当時はそういう馬を治し治しやっていくのが競馬だと思っていた。手のかかる子供を育てていくというかね。何かしら悪い所があったりする馬を手をかけて面倒をみて、活躍するようになっていくのを見ているのが競馬の楽しい所だと今でも思っています。
では、調教師としてだけでなく騎手時代も含めれば岩手競馬を最も昔から見てきた小西調教師は、今の岩手競馬についてどう思われたり感じられたりしていますか?
やっぱり、そうですね、スターが出てこないと盛り上がらないんじゃないかなと思いますね。馬だけでなく人もね。スターホースとスタージョッキー。
例えば武豊騎手が来るか来ないかであれだけ盛り上がりが違う。皆が接戦で頑張っているのも良いが、抜けて強い馬、抜けて強い騎手もやっぱり必要なのではないかと思う。
そしてライバル。トウケイニセイの頃はライバルもたくさんいた。強い馬がいてライバルがいて、次はどっちが勝つか?と切磋琢磨していくとライバルも一緒に強くなっていく。馬も人もね。
齋藤雄一騎手(現調教師)が数年間使用した「胴桃・袖緑」の勝負服は小西調教師が騎手時代に使用していた服色を引き継いだもの
小西調教師はあと150勝で2,000勝に届きます。小西調教師がぜひまたそういう馬や人を育てていただけたら......。
それはちょっと無理じゃないかな(笑)。もうちょっと岩手競馬に置いてもらおうかなとは思っているが、それは若い先生方に任せる。馬とジョッキーを育ててもらって、岩手競馬をまた盛り上げてくれたら良いと思います。自分ももうちょっと頑張るかな。そうだね、もう少し頑張りたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 横川典視