
南郷家全騎手は1995年10月のデビュー。古い競馬ファンの方ならピンとくるかもしれないが、南郷騎手のデビュー戦や初勝利は旧盛岡競馬場だった。今となっては旧盛岡を知っている現役騎手は3人だけ。そんな大ベテランになった南郷騎手が8月30日、地方競馬通算1,000勝を達成した。
まずは1,000勝達成おめでとうございました。改めてになりますがその感想をお願いします。
ありがとうございました。もちろん素直に嬉しいですが、デビューから26年ですから長かった。"よくこれだけ長く騎手をやってきたな......"という感じでもありますね。
そうですね、デビューから26年、500勝達成から1,000勝までは9年でした。
ほら、やっぱり長い!(笑)。
8月30日盛岡第10レースで地方通算1,000勝達成
1,000勝達成が見えてきた5月、6月ごろかな、しばらく勝ち星から遠ざかっていた時期があったようにも見えたんですけども、やはりプレッシャー的なものがあって?
こういう事は焦ったところで勝てる、達成できるものじゃないですしね。そういう時は"順番が回ってくれば勝てる"と信じるしかない。
1,000勝した週の前後、この1カ月ぐらいはすごい勢いで勝っていますよね。
その"順番"が回ってきたということ。これはもう、焦らず騒がずタイミングが来るのを待つしかないですからね。
さて、岩手の騎手の中でも大ベテランになりましたね。旧盛岡競馬場を知っている数少ない現役騎手にもなりました。そんな南郷騎手からみて、この26年間の"岩手競馬の移り変わり"はどんなふうに見えました?
いろいろな事がありましたからね。終わりそうになった事(※2007年の廃止問題)があったし、地震(※2011年の東日本大震災)もあった。最近はまた売り上げが良くなってきていて。一言で言ってしまえば、浮き沈みが激しい、という感じですかね。
乗ってる騎手としてもそういう、賞金とか悪くなってまた良くなって......の感覚というか実感がありますか?
もちろん賞金とかにかかわってきますからね。最初の頃は凄く良かったけど一気に下がって。また最近ちょっとずつ上がってきているから、ホント浮き沈みですよね。ただ、若手の頃は騎乗数があまり多くなかったし、騎乗手当も今より少なかったから、賞金は高かったかもしれないけど稼ぎにはならなかったな......という記憶ですね。
2000年4月1日、水沢・スプリングカップを制したピスカリアンジュ
今の若手騎手はどう感じますか?昔と違うところがあったりする?
出てくる若手は基本的に上手いですよね。昔はレースに乗っても1クラとか2クラとかであまり乗れなかった。今はデビューしてすぐたくさん乗せられるから競馬を覚えるのも早い。やはり皆上手だと思う。
ところで南郷騎手はなぜ騎手になろうと考えたのですか?
小さい頃は身体も小さくて、父親の友人の紹介で"騎手にならないか"って誘われた時にちょっとやってみようかな、と。そこで城地藤男厩舎(※引退。1974~2010年)の見習い騎手として入りました。最初は厩務員として働きながら騎手の試験を受けた。だから、騎手に凄く憧れて目指したわけではなくて、全然知らないところからこの世界に入りました。
じゃあ、逆にそれで26年やってきたのは凄いのでは?
いや、他にやる事がないからね。中学校くらいから働いてたから、だからもう、競馬にしがみついてやるしかないよね。だいたい教養センターというところがもう凄い所だから。凄く苦しかったもの、センター時代。それを乗り越えてやっと手に入れた騎手免許、そうそう簡単に手放せない。辞めたくなった事は何度もあったけど、この免許を無駄にするわけにはいかない、って。
そうして粘り強く続けてきた騎手という仕事を今振り返って、どう思いますか。
やってきたおかげで1,000勝という結果を残せた。それは良かったですね。
さて、ここまで南郷騎手の思い出に残っている馬を挙げていただくとすると?1,000勝後のインタビューではラブバレットと言われていましたがその他にあれば。
マツリダパレス(※2005年の桐花賞を5番人気で優勝、その年の岩手競馬年度代表馬にも選出)かな。周りのメンバーが強かったし、自分の馬は強気に外を回っていける馬でもない。だからもう内ラチ沿いから動かないと決めていました。内が開くのを待つしかないと。そうしたら、前がパカッと開いた。
自分もよく覚えてます。あのレースは勝ってガッツポーズしたくなる気持ちが分かる。そして、ラブバレットもやっぱり記憶に残る馬になる?
あれだけ走った馬ですし、自分が騎乗したさきたま杯でも4着、あの時にこの馬は本当に走る馬だと思いました。
2015年さきたまJpnII。南郷騎手のラブバレットはダートグレード初挑戦ながら4着に健闘
結果は4着だったけれど凄く良い内容でしたよね。
3~4コーナーでJRAの馬と同じ脚で回って行けて、4コーナーを回る時に"これは勝てるんじゃ?"って。勝負所で外からノーザンリバーが捲り気味に動いてきて、そこで捲られずに付いて行けたのが十分に凄かったんですが、それでちょっと脚を使っちゃった。あれがなければ少なくとも2着争いはもっと差のない競馬ができていたと思います。
そうだ、マツリダワルツも聞いておきたいです。
デビュー前は気性が悪くて"競馬ウマになれるのか?"と心配されていたんです。当時は競馬場で若馬の馴致をやっていたのですが、ぜんぜん言うことを聞かない。何回やってもゲートに入らなかった。女の子だけど"きかん坊"。これじゃあゲート試験も通らない、無理だなって。それがある時観念したのか普通にゲートに入るようになって、そうしたらいきなり良くなった。
へええ。その後の活躍は自分も知っていますが、もしそこでワルツが観念してなければ(産駒の)ロードクエスト(JRA重賞3勝、8月1日盛岡・せきれい賞制覇)もいなかったかもしれない。
そうそうそう。競馬ウマになってなかっただろうから。
2007年サファイア賞。3歳時のマツリダワルツは芝・ダート問わぬ活躍。芝での走りがロードクエストら子供達に受け継がれている
さて、1,000勝という区切りを達成しました。この先の新しい目標を挙げていただくとすると......?
目標ですか......。とりあえず1,500勝を目指すか......。もしくは、調教師を考えながら......。でも、自分が櫻田浩樹厩舎に移ってからまだちょっとしか乗っていないですからね。たまたま1,000勝を自厩舎の馬で決めることができたけど、もっと櫻田浩樹厩舎で乗りたいかな、と思う。
そうか。騎手として現役を続けながら、恩返しじゃないけども......。
そう、恩返しかなやっぱり。俊光さん(※城地俊光調教師。昨年7月に逝去。南郷家全騎手の前の所属厩舎)が亡くなった後の自分を拾ってくれた。自分はけっこう厩舎を動いていたんだけど、そんな自分をね。今の厩舎で乗っている期間が、まだ短い。もっとここで一緒に......と。あとは身体に気をつけて、大きな怪我をしないようにしていこうと思っています。
最後にオッズパークの会員の皆さんに向けて一言。
これからも良いレースを見ていただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。
南郷家全騎手の"ベストレース"とすると自分は文中にも出たマツリダパレス、2005年の桐花賞を思い出す。馬群の内側3番手、行きすぎず引きすぎず絶妙な位置を守り続け、他の馬の意識が外に偏った瞬間を見逃さず内から飛び出して突き抜けたレース。あれは本当に南郷騎手らしい騎乗だったと思う。
1,000勝を決めたレースも馬場傾向や相手関係を見抜いて、思い切ってハナを奪っての逃げ切り。あれもまた南郷騎手らしかった。そのレースぶりを見ても勝負勘は健在。ここしばらくは大レースの勝ち星から遠ざかっている同騎手だが、また重賞で、"らしい"騎乗でファンをあっと言わせてほしい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2021年5月9日の水沢第1レースで村上忍騎手が地方通算3500勝を達成した。岩手競馬史上では菅原勲元騎手、小林俊彦元騎手に続く3人目の達成であり、現役騎手の中ではもちろん最多となる勝利数だ。28シーズン目を戦う村上忍騎手に記録達成やこれからについてうかがった。
3500勝達成、おめでとうございました。岩手競馬では史上3人目、現役では最多勝となる記録達成です。
ありがとうございます。そうですね、騎手になって何年になるのか自分でも分からなくなったくらい長く乗っていますし(笑)、そんな自分よりたくさん勝っている騎手もいますからね。とはいっても、自分自身でもここまで勝つとは思っていなかったですから、素直に皆様に感謝したいですね。
94年デビューですから、28シーズン目になりますね。改めて振り返ってみたら、ずいぶん長くなりましたね。
自分と同じ世代の騎手はもう何人も残ってないですからね。自分自身こんなに長く騎手を続ける事ができるとは、40歳過ぎてまで騎手をやっているとは思ってもいなかったですね。
2021年5月9日水沢第1レース、ミンナノヒーローに騎乗して地方通算3500勝達成
昔の村上忍騎手が描いていた"将来像"は、そうするともっと早く引退するような感じだった?お父さんの村上実調教師は31歳で騎手を引退されましたよね。
そこまで早くとは思っていなかったですが、40歳前後で引退して調教師になって......みたいな。父はかなり早く引退しましたけども、その頃の騎手たちは全体的に引退が早かったですからね。自分もそれくらいかなと。若い頃から体重の調整に苦心するところもありましたし。
今は自分より先輩でも現役で活躍されている方がたくさんいますからね。自分も今44歳になって、今でも良い馬に乗せていただけているし、昔思っていたような辞めるタイミングは失った......みたいなところはあるよね(笑)。
もちろんそれは、ありがたい事ですよね。おかげでレースに乗る事自体が嫌になったりという事はないですから。やっぱり長く乗れたからこそのこの記録でもありますから。
そういう話が出たのでうかがってみますけども、以前、岩手競馬が色々と改善活動を続けていた時、村上忍騎手自身も怪我をしたり騎乗停止になったりして、なんというか歯車がかみ合わない時期があったじゃないですか。あの頃に比べれば、去年や今年の忍さんは凄く調子がよく見えるんですよね。まだまだいける、まだまだやれる、って思うんですけど。
確かにその頃は、他の人に迷惑をかけてしまったし、騎手としてのモチベーションであったり技術であったり、年齢とともにそういう部分が落ちてきているのを自分で感じるようであれば......と思ったりもしました。今なんかも、体力的に全く衰えてないとは言わないけれど、長年の経験である程度やれるのかなって。調子が良いかどうか......は分からないけど、乗ってて楽しいなって思う時があるから、そういう瞬間があればあるほどなかなか辞めづらくなるというのはありますよね。
やっぱり体力的な衰えとか感覚のズレみたいなものを感じるようになってくる?
年齢を重ねるとどうしてもね。自分では変わらないと思っていてもそうなってくるのではないでしょうか。体型も変わってきますし。
でも、今年なんか凄く良い感じで乗れているなと、お世辞抜きで思いますね。
馬との巡り合わせもある事ですから、自分のモチベーションだけでどうこうできるものではないだろうけど、でも噛み合う噛み合わないはあるでしょうからね。今は、最低限それが噛み合っていて、それなりの結果につながっているのかな......っていうのは、少しだけ思ったりします。
あとここ最近は、例年より体重のコントロールがうまくできているから気持ちが凄く楽。長年減量をしてきているわけだから自分の中のルーチンがあって、いっぱいいっぱいだともちろん余裕が無くなるけれど、全く何もしないとそれはそれで調子が悪い。今年はそれがちょうど良い感じ。ちょっとだけコントロールして、体力的には割と余裕もってレースに挑めているって感じ。そういうのはやっぱり気持ち的に変わってきますからね。
年齢を重ねて変わってきた点のようなものはありますか?
そうですね、気持ち的には、若い頃はイケイケって言うか力任せな感じだったけれど、ここ10年くらいは、馬とのコンタクトが一番大事だなと思ってそこを気を付けて乗るようにしています。
走るのは馬で、乗り手はコントロールするわけで、乗り手が強すぎて馬の邪魔をしたらしょうがない。多分、若い頃の自分はそうだったと思いますよ。
3000勝から3年4カ月で3500勝に到達
村上忍騎手はもう大ベテランの域に入っていますけども、見ている方としてはまだまだ老け込まれては困る。ということで3500勝を超えてのもうちょっと先の目標を聞かせてください。
一番はやっぱり怪我をしないように、馬も人も無事に。そしてこの先は、数字的な目標は特に掲げていないですが、でも、いつも言っていますが乗っている以上は一つでも多く勝ちたい。自分のためにも馬のためにも、関わってくれている皆さんのためにもね。そこは欲張っていきたいなと思っています。今年は期待できる馬も乗せて貰っていますし、そこでしっかり結果を出していきたいなと常に思っています。
今年に関しては3500勝が迫っているのが分かっていたから自分の中で目標になっていた。そこをクリアできて自分として達成感はあります。これから4000とはね、なかなか言えないですけどね、レースに出るからには一つでも多く勝ちたいという部分は自分の中でまだなくしてはいません。
では最後にオッズパーク会員の皆さんに一言を。
コロナ禍の影響で移動であったり現地観戦であったりの制限が続いています。現地で見ていただきたい気持ちはもちろんありますけども、今はネットでも便利にレースを見る事ができますから、ぜひオッズパークで岩手競馬を応援していただきたいなと思いますね。
5月23日のあすなろ賞ではチャイヤプーンで今季の重賞2勝目。重賞戦線でも存在感ある戦いを演じている
インタビューの中でも触れたが、今季の村上忍騎手は非常に好調なのだろうと感じる。逃げてスローペースに持ち込むかと思えば好位からレースを動かして差し切ったり。それでいて本人の言葉のように自己主張しすぎることはない。成績の数字以上の安定感があると思いながら見ているのだが、ファンの皆さんはいかがだろうか。
これも本人が言われているように"あと500"はなかなか大変なのだろうけども、あと3年、今のペースで騎乗し続けてくれれば見えてくる目標だ。その時を迎えることができるよう、村上忍騎手を応援し続けたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2021年春シーズンが開幕した岩手競馬。昨シーズンまで5年連続で岩手リーディングを獲り続けている山本聡哉騎手にお話を伺いました。
まず昨シーズンのことからお聞きしたいのですが、5年連続リーディング獲得おめでとうございます。
ありがとうございます。昨年もリーディングが獲れたというのはすごく嬉しかったですね。昨年は3月31日まで南関東で期間限定騎乗をしていて、その時も新型コロナウィルスが流行していましたから、岩手に戻ってから2週間騎乗を自粛しました。4月の半ばくらいまで乗れなかったので、追いかける立場でスタートしたんです。乗れない時期があったのは残念でしたが、新鮮な気持ちで挑めましたし、結果的にはとてもいい1年を過ごすことが出来ました。
重賞もたくさん勝ちましたね。
周りの方々のお陰です。流れも出来過ぎかなと感じるくらい、特別な1年になりました。いい馬たちに乗せていただいて、たくさん重賞も勝たせていただいて。どのレースも想い入れが強いですけど、特にアクアリーブルで桜花賞を勝たせていただいたのは大きかったです。
ユングフラウ賞では7番人気2着といい脚を見せてくれて、続く桜花賞は3番人気で勝利しました。
アクアリーブルのオーナーである新生ファームさんとは、ピアノマンに乗せて勝たせていただいて、そこで繋がりが出来ました。さらに管理していたのが(佐藤)賢二先生だったので乗せていただくことになりました。ユングフラウ賞の前から調教にも乗せていただいて、すごくいい脚で2着に来て、重賞でもやれるという手ごたえを感じました。そこからですね。「次は桜花賞を勝つ!」と勝手に自分でプレッシャーを感じながら調教に乗っていました。その緊張感というのはとても心地いいというか、すごく楽しい時間でした。
アクアリーブルで浦和・桜花賞(2020年3月25日)を制し、佐藤賢二調教師と握手
桜花賞は好位から強いレースでしたね。
枠も良かったですし、馬の調子もグンと良くなって、とてもいいレースが出来ました。プレッシャーを感じつつ調教にも乗せていただいて、そこで勝てたというのは自分の騎手人生の中でもすごく大きな出来事になりました。(佐藤)賢二先生が急逝されたことはとても驚きましたし、残念で仕方ありません。弟(山本聡紀騎手)もお世話になっていましたし、僕が期間限定騎乗で南関東へ乗りに行くと、いつも1勝目は賢二先生の厩舎の馬で勝たせてもらっていたんです。いつか僕も、賢二先生のようなカッコいいホースマンになりたいと思っています。
地元岩手でも重賞をたくさん勝ちました。3歳牝馬ゴールデンヒーラーは今後の活躍が楽しみですね。
スピードもあって、レースセンスも高い馬です。2歳の時期は北海道の馬がとにかく強い中で、知床賞とプリンセスカップを連勝できたというのは大きいですね。地元馬同士ではある程度力関係や展開が読めますけど、他地区勢を迎え撃っての勝利でしたから。春になって久しぶりに乗ったら、馬体に幅が出て成長を感じました。調教では少しうるさくて神経質なところもありますが、競馬にいっての集中力がある馬で、気持ちの面もレースではいい方に出ていますね。今後距離がどれくらいもつのか、という問題になりますが、折り合いに苦労するタイプではないのでこなしてくれるんじゃないかと期待しています。
プリンセスカップ(2020年11月30日)を制したゴールデンヒーラー(写真:岩手県競馬組合)
年末や年明けの開催は雪の影響で中止が続きました。
僕にとっても初めてと感じるくらいの大雪で、水沢に昔から住んでいる厩務員さんたちも「こんなに降るのは初めてだ」と言っていました。近所のカーポートがいくつも潰れたりしていて、災害級の大雪でした。もう毎日毎日とにかく雪かきでしたね。僕らも本当はやりたい気持ちもありましたけど、さすがに環境的に難しくて。中止が続いてしまって、不完全燃焼な感じで終わってしまいました。
今年は3月12日からの開幕と、例年より早いスタートとなりました。今シーズンの意気込みを含め、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも岩手競馬を応援していただきありがとうございます!昨シーズンは大雪の影響で中止が続き、なんだか拍子抜けという感じになってしまいましたが、今年もリーディング目指して頑張りますので、応援していただけたら嬉しいです。岩手競馬にはゴールデンヒーラーはじめ今年活躍しそうな若馬がたくさんいるので、ぜひ注目してください。10歳になったラブバレットも頑張っています。今後コロナが落ち着いて、また皆さんと一緒に競馬を楽しめる日が待ち遠しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
小西重征調教師は今年77歳。調教師として開業されたのが1979年と既に40年以上経っているのだが、それ以前は20年近くトップジョッキーとして活躍されており、今では岩手競馬を最も古くから知る"生き字引"的存在でもある。その小西重征調教師が先の7月、岩手競馬の平地通算勝利記録を更新された。多くの名馬を育て、また勝利数でも記録を打ち立てられた小西調教師にうかがった。
まずは7月13日に達成された地方競馬通算1,844勝、『岩手競馬平地通算勝利記録』更新のお話からうかがいます。小西調教師は記録にあまりこだわっていない......とは思いますが、改めて振り返ってみていかがでしょうか
そうですね、今になって数えてみればああ届いていたのか......と。そうだな、届いたとか超えるとかでもなくて、そんなに勝っていたのか、という感じですね。
7月13日、岩手競馬平地通算勝利記録1,844勝達成の口取り
とはいえ40年間も調教師を続けて来たというだけだけでなく毎年ある程度以上は勝ち続けないとこんな数字にならないのですから、やっぱり凄いのではないでしょうか
凄いかどうかは分からないけどね。まあ、凄いというよりは長いこと調教師をやってきたその積み重ねなのでしょう。
その40年の調教師生活で小西調教師が一番記憶に残っている馬は......やはりトウケイニセイでしょうか?
そうですね、やっぱりトウケイニセイだろうね。自分もまだ若くて張り切っていた頃だから、最初の頃は勝って良かった嬉しかったと喜んでいたけれど、最後の頃になるとプレッシャーの方が大きかった。良い事も多かったが一番苦労もした馬だからね、トウケイニセイは。
最近のファンの方はトウケイニセイを知らない世代が多いと思うので改めてうかがいますが、トウケイニセイはどんな馬だったのでしょうか?
まず賢い馬だった。そして我慢強い。ちょっと故障がちな所があったがレースでは我慢して走ってくる。しかし調教中なんか、何かちょっとまずいところがあったら極端に歩様を乱してみたりするのさ。そうやって痛いとかどこかおかしいとかいうのを我々に対して教えるんだね。それで治療をするんだが、その間はピクリとも動かないで辛抱している。つまり"ここが痛いぞ"というのを見せつけて治してもらおうとするわけ。そんな馬だった。
2009年1月、水沢競馬場に里帰りしたトウケイニセイと小西調教師(右から3人め)
トウケイニセイのキャリア終盤の頃は、調教もレースも非常に慎重に、気を遣いながら戦っていました
ちょっと脚元にまずいところがあったからね。でもレースに出たら我慢して走ってくるから。その頃はもう、勝つとか負けるとかより無事に帰ってきてくれたらいいとだけ思っていた。
引退レースとなった1995年の桐花賞の時も、決して万全ではない脚元の状態で出走して、それでも強い走りで勝って。非常に印象深かったです
あの時は馬自身が"これが最後のレースかも"と感じて、そんな気持ちで走っていたんじゃないのかなと思いますね。トウケイニセイはカメラを向けるとカメラなのかカメラマンなのかを意識してポーズを取るような馬だったのに、その桐花賞で最後の口取り写真を撮った時は人に頬ずりするように甘えたりして、これまでとは違う雰囲気だったのを覚えている。馬自身も何か感じていたんだろうね。
引退して1年位経った頃に北海道に会いに行ったが、その時もまだ跛行していたからね、最後の頃はよっぽど我慢して走っていたんだと思う。
2011年、盛岡競馬場でのトウケイニセイ
考えてみれば、トウケイニセイは小西調教師が開業して10年ちょっとの頃に出会った馬ですよね。自分は"大ベテランの調教師が育てた馬"という感じに思っていました
トウケイニセイには色々な事を教えてもらった。騎乗していた菅原勲君(現調教師)もまだ若かったから、同じだったんじゃないかな。自分はあれを超える馬には会った事がないですね。
まあ、あの頃の走る馬はどこかしら悪い所がある、故障している馬が多くて、グレートホープもそうだったが、当時はそういう馬を治し治しやっていくのが競馬だと思っていた。手のかかる子供を育てていくというかね。何かしら悪い所があったりする馬を手をかけて面倒をみて、活躍するようになっていくのを見ているのが競馬の楽しい所だと今でも思っています。
では、調教師としてだけでなく騎手時代も含めれば岩手競馬を最も昔から見てきた小西調教師は、今の岩手競馬についてどう思われたり感じられたりしていますか?
やっぱり、そうですね、スターが出てこないと盛り上がらないんじゃないかなと思いますね。馬だけでなく人もね。スターホースとスタージョッキー。
例えば武豊騎手が来るか来ないかであれだけ盛り上がりが違う。皆が接戦で頑張っているのも良いが、抜けて強い馬、抜けて強い騎手もやっぱり必要なのではないかと思う。
そしてライバル。トウケイニセイの頃はライバルもたくさんいた。強い馬がいてライバルがいて、次はどっちが勝つか?と切磋琢磨していくとライバルも一緒に強くなっていく。馬も人もね。
齋藤雄一騎手(現調教師)が数年間使用した「胴桃・袖緑」の勝負服は小西調教師が騎手時代に使用していた服色を引き継いだもの
小西調教師はあと150勝で2,000勝に届きます。小西調教師がぜひまたそういう馬や人を育てていただけたら......。
それはちょっと無理じゃないかな(笑)。もうちょっと岩手競馬に置いてもらおうかなとは思っているが、それは若い先生方に任せる。馬とジョッキーを育ててもらって、岩手競馬をまた盛り上げてくれたら良いと思います。自分ももうちょっと頑張るかな。そうだね、もう少し頑張りたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
高松亮騎手は岩手競馬の7月終了時点で80勝を挙げ騎手リーディング1位(3月20日以降の岩手競馬のみの成績)。昨シーズンは103勝で4位、一昨年は96勝で3位だったが、シーズンの折り返し点を前にしての80勝は自身の過去最高勝利(2015年の135勝)をも大きく上回るペースだ。そんな活躍ぶりを見せる高松亮騎手の"変化"を探ってみた。
現時点でリーディングトップ。"騎手リーディングを獲る"という強い意志を感じます
今シーズンは"騎手リーディングを獲る"ことを目標に掲げて、全てにおいてそのために行動する。そういうスタンスでやってきました。
例えばこの冬に短期で行っていた高知からも、こっちの調教開始に間に合うように早く帰ってきて調教もしっかり積んだ。それもあって最初から良い馬にも乗せていただけた。もちろん自厩舎のバックアップ、お世話になっている馬主さんのバックアップもあります。シーズン開始前から準備をしてきた甲斐があって開幕からいい流れを作れたと思っています。
東北優駿をフレッチャビアンカで制し、自身二度目の"ダービーウイナー"に
ではシーズンもだいたい半分が過ぎようとしている今ですが、自分で目指してきた通りの結果になっている?
全然納得してないですね。もっと勝たないといけないと思っています。あと2開催くらいで今シーズンも半分ですか。折り返し地点に近づいてますけど、もっとしっかりしなきゃいけないなって。こうやって応援してくださっている人たち、自厩舎の調教師さんや厩務員さん、他の厩舎もそうですし、馬主さんにもですね、勝って結果を出すことが一番だと思っていますから。
それはレースの、というか勝ち方の質?量も?
どっちもですよね。こういうと語弊があるかもしれませんが何が何でも勝てばいいレースもあるし、どんなに質が良くても勝てないレースもありますし。自分の中でよく思ってるのは"勝てばいいって訳ではないんだけども勝たなければいけない"矛盾なんですけどね。
今季のここまでの結果は"気持ちで頑張る"みたいな単純な話じゃなくて準備の仕方からしっかり作って挑んできている結果、ということですか。
去年までの自分がやってきたことって、とにかく"自分を高めること"を目標にやってきたんですよね。JRAの堀厩舎に純粋に勉強したくて行ってみる、とか、南関東に2年連続で短期で行ったりとかも、自分を高めるためにそういう厳しい状況に身をおきたいから......ってやってきた。
そうしてきたことを今年は、"競馬で勝つためにはどうしたらいいか?"っていう考え方だったり準備の仕方に変えた......という感じですね。どうしたら勝ち星を増やせるか、増やすことができるかを以前よりもより一層考えるようになった。考え方としてはそうですね。
ファイト溢れる高松亮騎手の騎乗ぶりはファンも多い
そろそろ迎えるシーズン後半戦に向けての抱負を挙げてもらうとすると?
こればかりは相手もいますからね。自分は良い馬の騎乗依頼も頂いていますから、それにしっかり応えていく。一つ一つ、目の前のことに自分の全てを注ぐって感じですね。
前半後半に区切りはないんですけどね、今までやってきたことは変わらないですから、まず目の前のことに全力で頑張りたい。相手がどうこうでなくあくまでも自分との戦いだと思うので、しっかり目標を見据えて、自分を見失わないように......って感じですね。
じゃあ、相手との勝ち星の差とかではなく自分のやるべきことをしっかりやっていきたいと。そのやって行った先に結果はある、という考え方?
そこはやはりリーディングを獲るための数字っていうのはあるでしょうから、それに向かって。だとしても変に力むものでもないでしょうからね。自分が設定している目標の数字、それは一日一日だったり、一週間の三日間であったり、目の前のひとクラだったり。まずはそれをしっかりやっていこうと。
あとは、バックアップしてくれている厩舎だったり厩務員さんだったり馬主さんだったり、そういう皆さんに恩返ししたいっていう気持ちが強いので。やっぱり勝つのが一番恩返しだと思うんですよね。そういう気持ちで乗って行きたい。自分のやるべきことをしっかりやったその先にリーディングというものがあるんじゃないでしょうか。
高松騎手を見ていると、ここ何年かの、他地区の重賞でのスポット騎乗や期間限定騎乗であちこちに遠征したことが影響して、何か変わってきていると感じます。
自分で期間限定騎乗で行く時はそうですしスポットで呼んで頂く時もそうですけど、やっぱり"岩手の高松"という目で見られるでしょうから、岩手競馬の名に恥じない責任感......と言うと大げさかもしれないけど、少しでも岩手のアピールができればいいなと思っています。
他地区に行ってそこの、各地のトップジョッキーと戦うっていうのは良い影響があるよね。
そうですね、いろいろなジョッキーの話、その場所のトップジョッキーの話を、考え方であったり騎乗の感覚であったりを聞けたり肌で感じたりすることができるので、そこは自分としては大事にしていますね。今年の冬だったら高知競馬で赤岡さんや西川さん、倉兼さんたちを始めいろんな人にいろんな話を聞いて。今年は久しぶりに西の方に行ったから余計にね、良い経験ができたと感じました。
今年1月から2月には高知競馬で期間限定騎乗
今年はコロナの影響で無観客の競馬が続きました。騎手としてはどんな感じでしたか?
これは皆さんも言われているのですが、こういう状況でも競馬ができているという点に感謝しています。自分達もしっかりやらなきゃなって改めて思いながら競馬に臨んでいました。無観客の競馬は寂しい気持ちもありましたけど、それよりはまず競馬ができるっていうことに感謝しないといけないですからね。
岩手競馬もお客さんに来ていただけるようになって、やっぱり久しぶりにお客さんの前でレースに乗れたのは嬉しかったですね。"これが競馬だよな"って。
まだ手放しでは喜べない状況ですけども、お客さんもこのコロナ禍の中、競馬場に来て少しでも暗い気持ちを解消してくれたら、楽しい気持ちになってくれれば、僕たちもやっている甲斐があります。
改めてなんですが、騎手の仕事、厩舎の仕事の中での感染防止策はどんな事に気をつけてますか?
もちろん毎日・毎朝検温していますし、手洗い等もこまめにして。ほとんど屋外でやる仕事ではありますがソーシャルディスタンスはなるべく気をつけて。調整ルームの中でも密にならないように気をつけています。やっぱり神経は使いますね。
スポット騎乗なども声をかけていただけるようになってきたのですが、今はお断りしていたりするので......。ちょうどお盆の時期にいくつか重賞の騎乗の声をかけて頂いたんですけど、どうしても混む時期なので、調教師さんともいろいろ相談した結果、お断わりして。本当に残念です。でもやはり感染を未然に防ぐのが一番でしょうからね。
では最後にオッズパーク会員の皆さんに一言。
おかげさまで今年は本当にネットでの売り上げが好調ですからね。ネットの中でお客さんにレースを見てもらってる、だから自分達も良いレースを見せたいと思って一鞍一鞍乗っていきたいと思っているのでね、厳しくも優しい目で見ていただきたいですね。
高松亮騎手本人は"頑張る"っていう気持ちだけでリーディングが穫れるとか、そんな簡単な話じゃないですよ。という。そう言える所が今年の変化を表しているのではないだろうか。デビューから17シーズン目、変革期に入ったのか? それともベテランとしての円熟期を迎えつつあるのか。今年このあとの高松亮騎手の戦いぶりから目がが離せない。
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※インタビュー・写真 / 横川典視