
2003年デビューの坂口裕一騎手は今年が21シーズン目。それが始まってすぐの3月20日に地方競馬通算1000勝を達成した。
実はその前日の3月19日には所属する村上昌幸調教師の地方通算1500勝も自らの手で達成している。この春はリーディング上位に付ける坂口裕一騎手に話を伺った。
1000勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
記録まで残り11勝という段階でスタートした今季でしたが、やはりまずはこれが目標、"早く達成してしまおう"というような気持ちだったのでしょうか。
どちらかといえば自分の記録よりは調教師の記録(所属の村上昌幸調教師の地方通算1500勝)を先に決めてしまいたいと思っていたから、自分の記録の早い遅いはそれほどこだわってなかったです。
とはいえ自分の勝ち星の方も非常に順調に増やしていっての1000勝達成でした。この春は調子も良いのでは?
自分自身は変わってないと思うけど、3月の最初の1週間は"ツートップ"がいなかったですからね。その分、自分にとっていい流れでスタートできたんじゃないでしょうか。
"1000勝"という記録の重みのようなもの、どう受け取っていますか?
そうですねえ。自分と同年代の騎手はたいがい通過していますからね。もちろん嬉しいですけれど、20年もやっているし......と思うところもありますね。
2023年3月20日、地方通算1000勝達成
確かに今でこそ同世代の騎手がたくさん勝っているけど、ちょっと前は1000勝以前に引退する騎手の方が多かったくらい。1000勝できた、20年も続けてこれたのが凄いと思う。さて、そんな20年の騎手生活で"思い出に残る馬""思い出のレース"を挙げていただくとすると。
どれか1頭・ひとつのレースというのは挙がらないかな。自分はこれまで何度か騎手を続けるか迷ったこともあったんですけども、結婚して"自分はこのままでいいのかな?"と思っていた時にナムラタイタンが来て、もうちょっと頑張ろうと思って。で、タイタンがいなくなって気持ち的に穴が空いた感じになっていた時にリュウノシンゲンに出会ったりして。他の馬でも重賞を勝たせてもらっているんですけども、ホントに"これだけ"という馬はなかなか浮かばないんですよ。
坂口騎手にとってナムラタイタンはやっぱり大きな存在だった?
大変でしたけどもね。調教は毎日乗って、レースも乗って。引退した時には"解放された"という気持ちもありました。ですが、いなくなるとやりがいが無くなって......。ああ、もしかするとナムラタイタンの最後のレースが思い出に残るそれだったりするのかもしれませんね。
3連覇した後の4回目、引退レースになった時の赤松杯ね。
あの時は調教から今までと違う感覚がありました。状態が悪かったというのではなくて、レースで最後まで走ってくれるのかな?という、気持ち面というか。レースでもスローペースで逃げたのに最後は無理しないような走りになって3着。"ついに終わりが来たんだな"と思ったのを凄く覚えています。
自分もその時の陣営とか坂口騎手の雰囲気をなんとなく覚えている。
もちろん、転入初戦の赤松杯でぶっちぎって勝ったのも印象に残っています。あの馬に乗って勝ったレースで一番インパクトが強かったですけども、その勝ったレースが4年後に引退レースになったわけですから。
2014年4月27日、赤松杯。転入初戦のナムラタイタンは持ったままで大差勝ち
そういうのは実際に乗っていた人にしか分からない感覚ですね。それで聞くけども、乗っていて、だんだん力が落ちていくような感触はあった?
能力的に落ちていくというか、年齢を重ねての気持ちだったのかな。本当に満足のいく状態で走れたのは、来た年の最初の3戦くらいでした。その後はこの状態で良くこれだけ走れる......と感じる方が多かったですからね。最後はそうですね、"ついに来た"という気持ちでしたね。
改めて重賞の成績を振り返ると、2010年のひまわり賞をコンゴウプリンセスで勝って初制覇。2011年は空いたけども2012年以降昨年まで、毎年何かの重賞を勝っています。結局坂口騎手は"引き"が良いのではないか?
そうですか?自分では引きが悪いと思っていますけど(笑)。周りの人を"みんな引きが良いなあ"と思いながら見ていますが(笑)
ナムラタイタンもそうだし、リュウノシンゲンでも重賞7つ勝っているし。エンパイアペガサスにも乗って勝っているくらいだから。節目の大きなレースにはいつも顔を出している。
じゃあそうなのかなあ(笑)
もうひとつ。坂口騎手は2003年のデビューで、岩手競馬が一番苦しかった時期に若い頃を過ごしてきた世代になります。今は同世代もみな上の方で活躍しているけども、やっぱり最初の頃は厳しいと感じた?
デビューした頃は騎手の数が多くて厳しくて、存廃問題が起きた頃には人が減ったけど別な部分で厳しくなって。若い頃は何が何だか分からずに過ごしていましたが、今同じ事が起こったら、堪えると思いますね。若いからやってこれたのかな......とか今になって思いますけども。
2003年4月19日、デビュー戦の際の坂口裕一騎手
20年間の騎手生活を経て、自分が騎手として変わったとか騎手として進歩したとか、そんな手応え、そんな部分はありますか?
どうなんですかねえ......なんだろう。そうですね、調教をした馬にレースで乗れるようになってから何か変わったのかもしれません。若い時ってやっぱり調教は乗るけどもレースでは上の人が......ということが多かったじゃないですか。だから、なんて言ったらいいんだろうなあ......。
"仕事だから片付ける"的な?
そうですね、流れ作業じゃないですけどもなんとなくやってたような。それが厩舎の馬に全部乗せてもらえるようになって、重賞なんかも勝てるようになって。取り組み方が何か変わったというわけではないでしょうけども、自分なりに考えるようになったんだろうと思います。
やっぱり昔とは凄く変わったんじゃないかなあ。昔は、今言っていたような雰囲気もあったけど、今はずいぶん違う。
調教師さんも変わってきたんだと思いますよ。昔は調教もレースも所属優先で、自分がレースに乗らない馬でも自厩舎だから調教していたのが、今は途中でも他の厩舎の馬に乗っていいよ......とかに変わってきているのもあるんじゃないですかね。
そうか。自分も変わってきたし、周りも変わってきたと。
そうですね。だからデビューして最初からたくさん乗れる今の若い子たちはうらやましいですね。
ああ、やっぱりそう思うんだ。
まあうらやましいって言うか、時代が変わった、いい環境になったんだなって。
さて。1000勝を達成しました、ということで、この先の新たな目標として挙がるものはありますか。
やはり、怪我には気をつけたいですね。まあ自分が気をつけていても事故は向こうから来ることもありますから、そういう時はどうしようもないですけども、第一は怪我に気をつけて。あとは......。
坂口騎手は岩手の大きな重賞をだいたい勝っているから、そういう目標が意外に出てこないのかもね。あとはグレードレースくらいだから。
そうなんですってね。グレードは、まあ運もありますし......。うん、そうですね、やっぱり怪我をしない事。
話が戻るけど、やっぱり家族は支えになっている?凄く家族を大事にするよね。
それは支えになっていますね。自分が迷ったり悩んだりしている時に結婚して。良い馬にも出会えたけど、家族ができて騎手を続けようと思えましたから。最近は子供もレースのことが分かるようになってきましたし、励みになるというか、"がんばらなきゃな"という気持ちになります。
坂口騎手にとって"結婚"という事が大きいきっかけになったんだろうね。
自分でもそう思いますね。
では最後に、オッズパークで岩手競馬の馬券を買ってくださっている皆さんへ。
いつも応援していただいてありがとうございます。コロナ禍も収まってきましたし、現地の競馬場にもぜひ来てください。
坂口裕一騎手といえばナムラタイタンとのコンビが記憶に残っているが、気がつけば同馬の引退からでも6年経った。ナムラタイタンとの足掛け4年は坂口騎手にとっても大きく飛躍した4年だったはずだけに、その最後のレースを「いつか将来、騎手を辞めて何年も経った後でふと思い出すレースが、あの最後の赤松杯なのかもしれませんね」と言うのも、それだけ強く結ばれたコンビだったからゆえなのだろう。
近い世代の騎手が調教師に転身し始める時期にもなってきたが、坂口騎手にはまだまだこれからも大レースを制する騎手として活躍し続けてほしいと思う。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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関本玲花騎手は2019年10月5日にデビュー。それから約3年2カ月後の昨年11月22日、レディスジョッキーズシリーズ第2戦を勝って地方競馬通算100勝を達成した。水沢開催に移った12月4日に101勝目を挙げて"新人騎手"も卒業している。冬期間は笠松競馬で期間限定騎乗をしている同騎手にこの先の目標をうかがった。
まず最初に、ちょっと時間が経ってしまいましたが100勝達成の喜びと感想をお願いします。
達成できて嬉しかったですが、もう少し早く達成したかったなとも思いました。
"もう少し早く"というのは、残りわずかになってからもっとポンポンと勝ちたかった?あるいは年数・日数的なもの?
もうちょっと短い月日で達成したかったです。
そうは言ってもまずまず早い方の100勝達成だと思いましたが。
女性騎手にしては早い方なんでしょうけども、3年かかってしまったから。もう少し早く、2年半くらいで達成したかったかな。
減量が取れる、女性騎手分はあるけれど、その"重み"のようなものは感じますか。
減量分は大きいと思うので、見習い卒業という面では感じます。いつまでも減量が残っているのは......と思うし、これで"新人"ではなくなった、見習いではなくなったと感じます。
見ていて、100勝が迫ってもあまり意識せず淡々と......という感じに見えていたんですけど、実際どんな気持ちだったのでしょうか。やっぱり意識をした?
あと10勝くらいから意識してましたね(笑)。盛岡の発走室にホワイトボードがあるんですけども、そこに"あと○勝"とカウントダウンを書いてました!
"あと10勝"というと......、9月11日か。この頃から自分でカウントダウンをしていたと。
100勝が近づいた最後の3勝くらいはわりと連続して勝てたんですけども、はじめはしばらく勝てなくて長く感じましたね。でも後になって見れば普段のペースとそんなに変わっていないから、やっぱり気持ち的に長く感じたんでしょうね。
ラストスパートはしっかり勝てて、そしてレディースジョッキーで決めたのがやっぱり良かったよね。
LJSで決めたい......と言うよりは良い馬に乗る事ができてチャンスでしたからね。そこで勝ちたい、勝とうという感じでした。結果的に良いレースで、良いタイミングで勝つ事ができました。
11月22日盛岡、レディスジョッキーズシリーズ第2戦で地方通算100勝を達成
さて、100勝達成のセレモニーで"岩手の女性騎手の勝利数で歴代1位を目指したい"と言われていましたが、デビューした頃からそういう目標を抱いていたのでしょうか?
デビュー当時は慣れる事に精一杯で目標は特になかったですが、100勝するあたりですか、ここまできたら超えたいなと考えるようになりました。
高橋優子騎手が203勝の記録(注:岩手競馬の記録による)を持っているのですが、3年で100勝したと思えばこの記録の更新も確かに見えてきた。
遠すぎる目標ではないと思うので、超えて記録を残したいです。100勝まで3年ちょっとで来ているから同じくらいで、あと3年半くらいまでには届けば良いかなと思っています。
ところで、気がつけばそんな女性騎手の中でも先輩になってきました。後輩の女性騎手が増えてきて、自分に何か気持ちの変化とかでてきましたか?
"先輩になってきた感覚"は特にないですね。だってまだ4年目ですし、それに佐々木世麗騎手や神尾香澄騎手はセンターで一緒の時期があったからそんなに後輩っていう感覚がないですからね。まだまだ"先輩"じゃないです。
初めて新馬戦を制したイイヒニナルでは、JBCデーのジュニアグランプリにも出走(8着)
ちょっと大きな事を聞くけれど、"女性騎手がもっと活躍するようになる、あるいはもっと増える"ためにどんな環境作りが必要だと思いますか?
そうですね、競馬場の設備の部分は自分だけでできる話ではないので分かりませんが、今はJRA・地方を含めて女性騎手のことが盛んに採り上げられているから、これから騎手を目指そうという女性は増えていくんじゃないでしょうか。
イイヒニナルと関本騎手
最後に、岩手競馬の新シーズンに向けての抱負をお願いします。
次の目標に向けて、今までよりも1鞍1鞍を丁寧に自分の競馬をできるように頑張っていきます。また、沢山の方が競馬場に足を運んで、レースを楽しんでくれたら嬉しいなと思います!
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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2022年12月6日、高橋悠里騎手が地方競馬通算1000勝を達成した。デビューから18シーズン目、ここ2シーズンは年間100勝を超える勝ち星を挙げて円熟味を増す同騎手に、1000勝達成やそれまでの道のりをうかがった。
早速ですが1000勝達成おめでとうございました。今シーズンはやはり"1000勝を決める"という目標を持って挑まれたのでしょうか?
春先から目標にしていました。21年くらいの成績(124勝)を挙げることができれば達成できそうでしたから。正直、達成する前はそれほど気にしていなかったんですけども、1000勝に近づいてきてリーチがかかると周りからいろいろ言われて、それで逆に気になるようになりましたね。残り1勝からは本命馬にも結構乗っていたけどもなかなか勝てなくて。なるべく焦らないようにしよう...と思ったりしていました。達成した時はホッとしました。
そういうのは、やはり何かプレッシャーのようなものがある?高橋騎手はそういうのがあまりないタイプかなと思っていたけど...。
なんかちょっとこう、いつもとは違う感じがするというか...。気にしないようにはしていましたね。あと1勝という意識はしていましたけども。ただ、リーチがかかった直後に落馬して"あー、1000勝は来年かな..."とか思いながら馬から落ちてました。
自分もそれを見ていて"1000勝は持ち越しか?"と思いました。立ち上がって歩いているのを見てホッとした。
無事達成できてホッとしていますし、いろいろな方が喜んでくれたり祝福の言葉をかけてくれたりして、先輩騎手も一緒に口取り写真に入ってくれて凄く嬉しかったです。騎手をやっていて良かったなって。
デビューから500勝までがざっと言って11年で、500勝から1000勝が6年。凄くスピードアップしているように見えます。
そうですね、最初の頃はよく怪我をしていましたし、騎乗数もそんなに多くなかったと思いますし。500勝はソウルから帰ってきて達成したんですが、韓国に9カ月いたりもしましたしね(2015年)。そういう部分もあったとは思います。
2022年12月6日、地方競馬通算1000勝達成
1000勝を達成した直後は"1500勝とか2000勝とかはまだ考えられない"と言っていましたが、今の調子なら1500勝は4年くらいで届くんじゃないか?と思ったりするけど。
今のリズムが続けばそれくらいで...でしょうけど、そう簡単にはいかないと思っています。これは何回も言っていることですが"シーズンを怪我せず乗り続ける事"が一番大事ですね。やっぱり怪我をして乗れない期間が長いと復帰してから取り戻すのが大変。その点では最近は怪我とかしないでリズム良く行けているかなと感じていますね。
自分は、これだけ活躍できるようになったのはやっぱり韓国に行ったのが良い影響になったと思う。あの経験で凄く逞しくなったんじゃないかなって。
僕の中でも大きいと思っています。最初のソウルの9カ月ですね。倉兼さん(倉兼育康騎手・高知)にアドバイスをいただいたりはしていたんですけども何も知らずに行って、あの頃はソウルに日本人は自分一人でしたし。そんな中で"自分はもっとやれる"と思っていたのに全然思い通りにいかなくて、最初は全然勝てなくて...。泣きましたからね自分。
泣いた?悔し泣き?
悔し泣きですね。1カ月か1カ月半くらい経った頃でしたね。凄く天気が良い日で、調教をしている馬の上で空を見ていたら涙がポロポロって。家族を置いてきて、調教師が止めるのも振り切ってまでここに来て、1日1つ2つ乗るくらいで勝てない。何しに来たんだろう...って。
でもその後くらいか、勝ち始めたら、今度は急に騎乗数も勝ち星も増え始めたよね。
そこから軌道に乗り始めましたね。今度は毎日乗り鞍が増える感じになって、そうすると逆に人気すぎるくらいになっちゃって。何でも人気になりましたからね。通訳の方と"なんでこんなに人気になっているの?"って驚いてましたから。
韓国・ソウル競馬場での高橋悠里騎手。韓国では通算31勝
自分もソウルに行って見ていたけど、声援が多かったものね。"タカハシ!タカハシ!"って。パドックに出てきたらそうやって声がかかるし。凄いなと思って。
韓国はやっぱり良い経験になりましたね。異国で一人暮らししながらレースに乗ったことでメンタルが鍛えられたと思うし、レースの頭数が多いからそれを捌くことも経験できましたしね。我ながら頑張ったと思いますよ(笑)。倉兼さんの助言もですし、通訳さんも支えてくれましたしね。
話を変えるけど、高橋悠里騎手くらいの世代、2005年デビューだけど、前後数年の同じくらいの世代の騎手が頑張っているのが今の岩手競馬にとっては心強いと感じます。
やっぱり岩手競馬が廃止になるかならないかの苦しい時期を一緒に耐えてきた人たちですからね。自分くらいの世代は最初の頃はあまりいい思いをしていなくて、自分も入って2年くらいで廃止するかどうかとかになってしまいましたから。そういう世代だから逞しいのかもしれませんね。
とはいうものの、そういう世代ももう30代半ばとかになっています。高橋騎手は、自分の今後のこととか考えたことはない?
一度考えてみたことはありますよ。でも、まだまだやれるなって。あと10年くらいは騎手をやっていきたいですね。今はレースに乗っていて楽しいですし、あと自分は身体のどこが痛いとか悪いとかが今のところ無いんですよね。頑丈な身体に生んでくれた母親に感謝ですね(笑)。
最近はコンスタントに100勝以上できているし、1000勝という区切りも達成して、この先さらに伸ばしていくのに何か"やりたいこと・やるべきこと"はありますか?
そうですね、もっと思い切ったレースができるのかな...と思ったりはしますね。最近は昔ほど思い切ったレースができていないような気がしたりします。ただ、今はリズムが良いですから、無理に変えなくてもいいのかな、とも。昔は馬のことを機械的に考えていたかもしれないですね。自分のやりたいような競馬を馬にさせていた、というか。今は馬の脚質とか性格とかを考えて乗っているから、その辺は昔と変わっていると思います。
こんな話をしていると楽しくて終わらないので、あと二つ聞かせてください。"思い出の馬"というと、やっぱり初重賞勝ち(岩鷲賞)をプレゼントしてくれたトーホウライデン?
ですね。初めての重賞というだけでなく、その頃の僕は成績が凄く落ち込んでいて、トーホウライデンで勝った2008年は確か18勝くらいしかしていないんですよね(実際には20勝)。岩手競馬も落ち込んでいた頃でしたし、もう騎手を辞めようかなとも思っていた時期だったんです。だからあの馬に"騎手を続けなさい"と言われたような気がするんですよね。ロマンチックな話かもしれませんけども、でもトーホウライデンがいなかったら今騎手をやっていたかどうか分からないですよ。あの馬のおかげです。
2008年岩鷲賞、トーホウライデンで重賞初制覇
もうひとつは、1000勝を達成して目標とか、改めて言いたいこととか何か挙がりますか?
自分が1000勝を達成できたのは馬主さんやいろいろな関係者の皆さんのおかげですけども、1000勝を達成させてくれた馬達にも感謝しています。1000勝分走ってくれて勝ってくれた馬達にですね。そして先輩・後輩の騎手、中でも一番は同期の山本聡哉騎手。山本聡哉騎手がいてくれて、引っ張ってくれたからここまで勝てたのかなと思います。デビューした頃は1000勝なんて全く考えていなかった数字ですからね。
同期の山本聡哉騎手(左)も自分のことのように喜んでいた
見ている方とすればもっともっと存在感を高めていって欲しいと思いますね。山本兄弟に割って入るくらいになってくれれば。
割り込んでいきたいですねえ。あの兄弟は強いですけども(笑)。自分とすれば一番はやはり怪我をせずシーズンを通して騎乗して、ひとつずつ積み重ねていくだけですね。記録とかはその後のことかなと思っています。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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山本政聡騎手は言わずとしれた"山本三兄弟"騎手の長兄。2003年のデビューから19年目の今年10月3日、地方競馬通算1,500勝を達成した。いまやリーディング上位の常連として、また盛岡所属の騎手を牽引する存在ともなった山本政聡騎手にお話をうかがった。
弟の聡哉騎手(右)と
1,500勝達成おめでとうございます。区切りの勝利達成、感想はいかがでしょうか。
そうですね、周りにもっと勝っている騎手がたくさんいますから、それほど凄い数字という感覚はないのが正直な気持ちですね。自分としてはここから2,000勝を目指してまだまだ頑張らないと......と思います。
デビューから19年目年、もう大ベテランになった山本政聡騎手ですが、ここ何年かはさらに勝ち星を伸ばしている印象です。
年間100勝はしたいと思って目標にしています。良い馬にも乗せていただいていますから、そこは頑張らないといけないですからね。あとは怪我をしないようにも気をつけています。
10月3日盛岡第5レースで地方競馬通算1,500勝達成
最近気をつけている事とか、心がけている事とかはありますか?
やはり怪我をしない事ですね。自分が気をつける事で防げるものなら気をつけて、怪我に繋がらないようにしよう、とか。あとは、馬の気持ちを尊重してあげようという事。自分が感じ取れるところは感じ取ってあげよう。それは昔から変わっていないところかな。
馬の気持ちを考えてあげながら力を引き出す、という事は、山本政聡騎手は昔から言っているよね。
乗せてもらっている馬をひとつでもふたつでも多く勝たせられるように考えて乗っているつもりです。自分の考えにこだわりすぎて、それが馬に余計な負担になって、馬がレースに対して、走る事に対して嫌気がさしてしまうというのは良くないと思っているんです。
ただ、一方で例えば "この馬はこの距離では勝てないだろう" "良いレースが出来ないだろう" と決めつけるのも良くないと思う。実戦で乗りながら馬の能力を把握してあげて、その馬の力にふさわしい走りを引き出してあげる......ですかね。
でも山本政聡騎手って、レースで馬に甘いわけではない。むしろギリギリまで力を絞り出させようとする騎乗をすると思うし、それで成績が上がってきたのかなと思ったりもする。
そうですね、若い頃に比べると考え方が変わってきたかもしれませんね。一つ勝つのはやっぱり大変なんですよ。自分で調教もしながら "どうやってレースに対応させよう" "どうやって勝たせよう" といつも考えているんですが、簡単じゃない。やっぱり固定観念を持たない事が大事かな。
それは、たくさん勝つようになったからそう考えるようになった?あるいは自身が先の事も考えるようになったから、余計にそう感じるようになった?
30歳を過ぎてからかな、考え方が変わってきたのは。結局、勝てないで終わる馬もいるわけじゃないですか。勝てないというか勝たせてあげられなくて。じゃあ騎手の自分は馬のために何ができるかな?と。
馬が勝った時は"おめでとう"って祝福される。勝てなかった馬が勝った時にはより多めに愛撫してあげようとか自分は気を付けているんですけど、やっぱり"競走馬として生まれて、皆から褒めてもらう"というのが馬の、短い人生の中で幸せな時になるのかなと思ったりするんですよね。
どんな小さなレースでも、下のクラスのレースでも、勝つ事は大事だし偉い事だものね。
以前、船橋の矢野(義幸)調教師がこういうふうな話をしていたのを覚えているんです。"うちで預かった馬は必ず一つは勝たせてやりたいと思ってやってきました"と。それだ!と。
レースに勝つ事、あるいは勝てない事が、その馬の人生に大きな影響を与えるかもしれない。もちろん勝てない馬はかわいがってあげないというわけじゃないですよ。でもできれば勝って褒めてあげたい。それが騎手の仕事なんだなって。凄く共感できました。
今年から新コンビを組んだエンパイアペガサスではすでに重賞2勝
話を聞いていると、なんとなくだけど、そろそろこの先の道筋も考えるようになった感じ?
馬を育てることもしてみたい、調教してレースに送り出すという事もしてみたい......と考えるようにはなりましたね。ここで1,500勝を過ぎて、まずは2,000勝まで頑張ろう。そこまで行った時になって"まだ乗れる"って言うかもしれないですけどね。そこまでコンスタントに乗り続ける事ができればいいですよね。まだまだいろいろ考えたい。
さて少し話を変えて。兄・山本政聡騎手から、弟の山本聡哉騎手はどんな騎手に見えていますか?自分はね、二人の乗り方とか考え方とか、実はけっこう似ているんじゃないかと思って見ています。
やっぱり凄いと思いますよ。凄いと思うし負けられない相手だとも思っています。どんな乗り方をするか、どんな位置にいるか、そしてどういう進路の取り方をするか?とか意識して見ています。それを同じ騎手として見ていて、ミスが少ない。無駄がない。無駄がない分、戦っているこちらが焦らされる。だからレースぶりが安定しているんだと思いますね。
そういう山本聡哉騎手はよく"お兄ちゃんは凄い"って言うんだけどね。お世辞ではないと思うけど......。
いやいや、お世辞だと思いますよ(笑)
では今後の目標を聞かせてください。
やっぱり"怪我をしないように"ですね。それが一番大事かな。良い馬に乗せて貰うためには、日頃のレースを一個一個しっかり乗っていくのが大事でしょうから。重賞とか大きいレースの成績はその結果付いてくるもの......ですね。
最後にオッズパーク会員の皆さんへ一言。
いつも岩手競馬を、ネットで応援していただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
兄弟で重賞の優勝を争うシーンも珍しくはなくなってきた
最後の方の話を少し補足すると、以前、山本聡哉騎手がこんな風に言っていたのを覚えている。「兄の方が断然"天才"型。自分には兄のような思い切ったレースはできない」と。
数年前の話だから今はちょっと変わっているかもしれないが、山本兄弟が互いの事をどう見ているかがうかがえるエピソードかなと思い敢えてここで持ち出してみた。
勝ち星を伸ばし始めたのは山本聡哉騎手の方が先になったが、山本政聡騎手も近年はリーディング上位の常連となって、兄弟でリーディングを争う日が来る事も想像だけの話ではなくなってきた。お互いの存在が互いを高め合う。そんな戦いが続く事を楽しみにしたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
8月16日の盛岡第6レースで村上実調教師が地方通算1,500勝を達成した。村上実調教師は騎手として812勝を挙げ、岩手のトップジョッキーとして活躍。そして調教師としてもトップクラスのトレーナーとして見事な勝利数を積み重ねてきた。今回は師に思い出の馬などを振り返っていただいた。
まずは1,500勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
1984年に調教師として開業されて37年になりますが、この1,500勝を振り返ってみて、ここまでの道程の感想とか苦労された事とかは何かありますか?
特別な苦労というのはあまり感じなかったですね。わりと順調に来た方ではないでしょうか。良い馬にも巡り合ったし、特別に"苦労した"という感じはないかな。
村上先生は騎手から調教師になられたので改めておうかがいしたいのですが、騎手としてもトップジョッキーとして活躍されて、みちのく大賞典や桐花賞も勝たれていますけれども、それほどの騎手が若くして引退されたのはどうしてだったのでしょうか。
いやもう減量がきつくてね。なんせ毎年10キロから減量しなくちゃいけなかったから。騎手を引退したのが32歳の時ですか。もうちょっと乗りたかったんですけども、体が追いつかなくなった。減量には勝てなかったですね。
調教師に転身された当初の苦労は何かありましたか。
開業した当時は資金も足りなかったし、いろいろ苦労はありましたね。でも開業2年目にトウケイフリートという走る馬に恵まれて、それからはほとんど苦労はしなかったです。
自分が岩手競馬を見始めたのはもう少し後の頃からなので実際のトウケイフリートを知らないんですけれども、どんな馬だったんでしょうか。
ごろっとした幅のある馬でしたね。馬体重は500キロぐらいあったと思ったね。上にはそんなに大きくはなかったけど幅があった。脚がちょっと内向で、それがあったから中央とかに行けなかったんじゃないかな。でも故障しないでよく走ってくれた馬でした。
デビューが今で言う3歳の4月で、かなり遅いですよね。
やっぱりその内向のせいで強い調教がなかなかできなかったんですね。徐々に調教のペースを上げていかないと脚元が保たなかった。じっくり仕上げていったのでデビューが遅かったのだと思います。でもデビュー2戦目にはもう特別を勝ったのだからやはり力がある馬でした。
こういうとなんですが、開業してまだ2年目くらいの新人調教師のところに重賞を勝ちまくるような馬が巡ってきたわけですから、凄い順調というか幸運というか......。
トウケイフリートが来たのは騎手時代に同じ馬主さんの馬(トウケイホープなど)に乗っていた繋がりのおかげでもありました。トウケイフリートの時は、馬主さんが若駒を買ったから見て来いということで、あの馬はえりも農場の生産でしたけども、えりもまで見に行ったこともあります。結果、その馬が当時あった重賞のほとんどを勝つくらいになって厩舎の流れも良くなった。上手くいきすぎといえばいきすぎでしたね。
さて、思い出に残る馬としてはまずトウケイフリートが挙がるとして、もう1頭挙げていただくとするとやはり......。
トニージェントだね。
トニージェント(2005年みちのく大賞典の返し馬)
トニージェントが先生のところに来た経緯は覚えておられますか。
トニージェントは確か補助馬だったんじゃないかな。牧場まで見に行って決めたんです。若馬の頃は細かったね。細くて脚長で。小さい頃の見栄えはイマイチだったと思う。徐々に身体の幅が出てきて良くなってきた。
デビュー戦の時は453キロでしたね。
初戦はもちろん勝ったんだけど、身体はまだ弱かった。レースを使って動きが悪くなって、確かしばらく休養したと思う。今思えばその休養が良かったんじゃないのかな。それで身体ができてきた。
そうですね、半年休養してからの復帰戦が490キロになっていますね。
ああ、そうでしょう?その辺からだんだん体ができて、走るようにもなっていった。
トニージェントは、グレードレースを勝ちたかったですね。勝てそうなレースはいくつかあったんじゃないかと今でも思っています。
船橋(2003年かしわ記念)は惜しかったね。あの時は、4着だったか。1コーナーで少し進路が狭くなる不利があって、あれがなければもっときわどい勝負になっていたんじゃないかなと思っていました。勝った馬から1馬身ぐらいしかなかったからね。
2003年かしわ記念(当時GII)。トニージェント(左)は4着に食い込んだ
上山のさくらんぼ記念や佐賀記念、名古屋大賞典なんかも惜しかったですね。当時下川さん(トニージェントの担当厩務員)と"もうちょっとで勝てたよね"と悔しがった記憶があります。
これも今思えば直前の輸送にはちょっと弱かったかもしれないですね。東北ダービーの新潟もそうだし、上山でも負けてるから。それで佐賀記念の時は早めに移動して長期滞在で挑んだ。相手が強くて勝てなかったけれども馬には滞在競馬の方が良かったと思う。それから夏場はあまり良くなかった。
というと?
夏は暑さにちょっと弱くてね。夏はあまり勝っていないでしょう?でも冬のレースは勝っている。冬場は体調が良くてすごく調子がいい時期だったね。
ああ、確かにみちのく大賞典を勝ったのはレースが8月から6月に移動してからですね。8月の時は2回走って2回とも負けています。
そうでしょう?夏場はちょっと良くなかったからね。だから7歳、8歳の頃は夏は休養にあてて、マーキュリーカップを走った後は北上川大賞典まで間を開けていましたね。やはり寒い頃は走ったね。
ところでそのトニージェントなんですが、デビューから引退までほぼずっと村上忍騎手が乗っていました。先生としてはやはり息子の忍騎手を育てようという狙いというか意思があったんでしょうか?
もちろんそうですよ。やっぱり強い馬に乗せないと上手くならないからね。馬に教えられるわけだから、重賞を勝てるような馬に乗っていないと騎手も上手くならないですから。
村上実調教師は騎手だった80年代からずっと岩手競馬を見ておられるわけですけども、昔と今の岩手競馬で変わった点とかありますか。
自分が騎手だった頃は交流競走がほとんど無かったですよね。今はどこでも乗れるからね。最近はコロナで難しかったりするけども、その辺が一番違うんじゃないかな。レースに出すにしても中央に行って使うなんて自分が若い頃には無かったですから。
最近は売り上げも上がってきてるんですけども、苦しい時期を乗り越えたといえる今はどう思われますか。
だいぶ良くなったけれど、でもまだまだと言いたいですね。これからどんどん伸びてくれればいいんですが。
村上実厩舎の期待の馬を挙げていただくとすると。
リリーモントルーかな。夏場は夏負けで調子が良くなかったですが涼しくなって立ち直ってきた。中央の頃は芝で走っていたし、トビが軽い馬ですから芝がいいかなと思って連れてきたけど、でもダートでもどっちでもいいのかもしれない。重賞を何か勝てればいいなと思っています。
厩舎の期待馬リリーモントルー
ひと区切りの1,500勝を達成したということで、この先の目標を教えてください。
この先といっても大きな目標は持ってないですが、何か重賞を獲りたいですね。それが今は一番の目標かな。
リリーモントルーや、ハーベストカップを勝ったリンシャンカイホウ(写真)は村上忍騎手の息子・村上朝陽厩務員が担当。"親子三代"での重賞制覇を目指す
それでは最後にオッズパークの会員さんにひとことを
いつもインターネットで岩手競馬の馬券を買っていただいてありがとうございます。これからも岩手競馬を応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視