山本政聡騎手は言わずとしれた"山本三兄弟"騎手の長兄。2003年のデビューから19年目の今年10月3日、地方競馬通算1,500勝を達成した。いまやリーディング上位の常連として、また盛岡所属の騎手を牽引する存在ともなった山本政聡騎手にお話をうかがった。
弟の聡哉騎手(右)と
1,500勝達成おめでとうございます。区切りの勝利達成、感想はいかがでしょうか。
そうですね、周りにもっと勝っている騎手がたくさんいますから、それほど凄い数字という感覚はないのが正直な気持ちですね。自分としてはここから2,000勝を目指してまだまだ頑張らないと......と思います。
デビューから19年目年、もう大ベテランになった山本政聡騎手ですが、ここ何年かはさらに勝ち星を伸ばしている印象です。
年間100勝はしたいと思って目標にしています。良い馬にも乗せていただいていますから、そこは頑張らないといけないですからね。あとは怪我をしないようにも気をつけています。
10月3日盛岡第5レースで地方競馬通算1,500勝達成
最近気をつけている事とか、心がけている事とかはありますか?
やはり怪我をしない事ですね。自分が気をつける事で防げるものなら気をつけて、怪我に繋がらないようにしよう、とか。あとは、馬の気持ちを尊重してあげようという事。自分が感じ取れるところは感じ取ってあげよう。それは昔から変わっていないところかな。
馬の気持ちを考えてあげながら力を引き出す、という事は、山本政聡騎手は昔から言っているよね。
乗せてもらっている馬をひとつでもふたつでも多く勝たせられるように考えて乗っているつもりです。自分の考えにこだわりすぎて、それが馬に余計な負担になって、馬がレースに対して、走る事に対して嫌気がさしてしまうというのは良くないと思っているんです。
ただ、一方で例えば "この馬はこの距離では勝てないだろう" "良いレースが出来ないだろう" と決めつけるのも良くないと思う。実戦で乗りながら馬の能力を把握してあげて、その馬の力にふさわしい走りを引き出してあげる......ですかね。
でも山本政聡騎手って、レースで馬に甘いわけではない。むしろギリギリまで力を絞り出させようとする騎乗をすると思うし、それで成績が上がってきたのかなと思ったりもする。
そうですね、若い頃に比べると考え方が変わってきたかもしれませんね。一つ勝つのはやっぱり大変なんですよ。自分で調教もしながら "どうやってレースに対応させよう" "どうやって勝たせよう" といつも考えているんですが、簡単じゃない。やっぱり固定観念を持たない事が大事かな。
それは、たくさん勝つようになったからそう考えるようになった?あるいは自身が先の事も考えるようになったから、余計にそう感じるようになった?
30歳を過ぎてからかな、考え方が変わってきたのは。結局、勝てないで終わる馬もいるわけじゃないですか。勝てないというか勝たせてあげられなくて。じゃあ騎手の自分は馬のために何ができるかな?と。
馬が勝った時は"おめでとう"って祝福される。勝てなかった馬が勝った時にはより多めに愛撫してあげようとか自分は気を付けているんですけど、やっぱり"競走馬として生まれて、皆から褒めてもらう"というのが馬の、短い人生の中で幸せな時になるのかなと思ったりするんですよね。
どんな小さなレースでも、下のクラスのレースでも、勝つ事は大事だし偉い事だものね。
以前、船橋の矢野(義幸)調教師がこういうふうな話をしていたのを覚えているんです。"うちで預かった馬は必ず一つは勝たせてやりたいと思ってやってきました"と。それだ!と。
レースに勝つ事、あるいは勝てない事が、その馬の人生に大きな影響を与えるかもしれない。もちろん勝てない馬はかわいがってあげないというわけじゃないですよ。でもできれば勝って褒めてあげたい。それが騎手の仕事なんだなって。凄く共感できました。
今年から新コンビを組んだエンパイアペガサスではすでに重賞2勝
話を聞いていると、なんとなくだけど、そろそろこの先の道筋も考えるようになった感じ?
馬を育てることもしてみたい、調教してレースに送り出すという事もしてみたい......と考えるようにはなりましたね。ここで1,500勝を過ぎて、まずは2,000勝まで頑張ろう。そこまで行った時になって"まだ乗れる"って言うかもしれないですけどね。そこまでコンスタントに乗り続ける事ができればいいですよね。まだまだいろいろ考えたい。
さて少し話を変えて。兄・山本政聡騎手から、弟の山本聡哉騎手はどんな騎手に見えていますか?自分はね、二人の乗り方とか考え方とか、実はけっこう似ているんじゃないかと思って見ています。
やっぱり凄いと思いますよ。凄いと思うし負けられない相手だとも思っています。どんな乗り方をするか、どんな位置にいるか、そしてどういう進路の取り方をするか?とか意識して見ています。それを同じ騎手として見ていて、ミスが少ない。無駄がない。無駄がない分、戦っているこちらが焦らされる。だからレースぶりが安定しているんだと思いますね。
そういう山本聡哉騎手はよく"お兄ちゃんは凄い"って言うんだけどね。お世辞ではないと思うけど......。
いやいや、お世辞だと思いますよ(笑)
では今後の目標を聞かせてください。
やっぱり"怪我をしないように"ですね。それが一番大事かな。良い馬に乗せて貰うためには、日頃のレースを一個一個しっかり乗っていくのが大事でしょうから。重賞とか大きいレースの成績はその結果付いてくるもの......ですね。
最後にオッズパーク会員の皆さんへ一言。
いつも岩手競馬を、ネットで応援していただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
兄弟で重賞の優勝を争うシーンも珍しくはなくなってきた
最後の方の話を少し補足すると、以前、山本聡哉騎手がこんな風に言っていたのを覚えている。「兄の方が断然"天才"型。自分には兄のような思い切ったレースはできない」と。
数年前の話だから今はちょっと変わっているかもしれないが、山本兄弟が互いの事をどう見ているかがうかがえるエピソードかなと思い敢えてここで持ち出してみた。
勝ち星を伸ばし始めたのは山本聡哉騎手の方が先になったが、山本政聡騎手も近年はリーディング上位の常連となって、兄弟でリーディングを争う日が来る事も想像だけの話ではなくなってきた。お互いの存在が互いを高め合う。そんな戦いが続く事を楽しみにしたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
8月16日の盛岡第6レースで村上実調教師が地方通算1,500勝を達成した。村上実調教師は騎手として812勝を挙げ、岩手のトップジョッキーとして活躍。そして調教師としてもトップクラスのトレーナーとして見事な勝利数を積み重ねてきた。今回は師に思い出の馬などを振り返っていただいた。
まずは1,500勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
1984年に調教師として開業されて37年になりますが、この1,500勝を振り返ってみて、ここまでの道程の感想とか苦労された事とかは何かありますか?
特別な苦労というのはあまり感じなかったですね。わりと順調に来た方ではないでしょうか。良い馬にも巡り合ったし、特別に"苦労した"という感じはないかな。
村上先生は騎手から調教師になられたので改めておうかがいしたいのですが、騎手としてもトップジョッキーとして活躍されて、みちのく大賞典や桐花賞も勝たれていますけれども、それほどの騎手が若くして引退されたのはどうしてだったのでしょうか。
いやもう減量がきつくてね。なんせ毎年10キロから減量しなくちゃいけなかったから。騎手を引退したのが32歳の時ですか。もうちょっと乗りたかったんですけども、体が追いつかなくなった。減量には勝てなかったですね。
調教師に転身された当初の苦労は何かありましたか。
開業した当時は資金も足りなかったし、いろいろ苦労はありましたね。でも開業2年目にトウケイフリートという走る馬に恵まれて、それからはほとんど苦労はしなかったです。
自分が岩手競馬を見始めたのはもう少し後の頃からなので実際のトウケイフリートを知らないんですけれども、どんな馬だったんでしょうか。
ごろっとした幅のある馬でしたね。馬体重は500キロぐらいあったと思ったね。上にはそんなに大きくはなかったけど幅があった。脚がちょっと内向で、それがあったから中央とかに行けなかったんじゃないかな。でも故障しないでよく走ってくれた馬でした。
デビューが今で言う3歳の4月で、かなり遅いですよね。
やっぱりその内向のせいで強い調教がなかなかできなかったんですね。徐々に調教のペースを上げていかないと脚元が保たなかった。じっくり仕上げていったのでデビューが遅かったのだと思います。でもデビュー2戦目にはもう特別を勝ったのだからやはり力がある馬でした。
こういうとなんですが、開業してまだ2年目くらいの新人調教師のところに重賞を勝ちまくるような馬が巡ってきたわけですから、凄い順調というか幸運というか......。
トウケイフリートが来たのは騎手時代に同じ馬主さんの馬(トウケイホープなど)に乗っていた繋がりのおかげでもありました。トウケイフリートの時は、馬主さんが若駒を買ったから見て来いということで、あの馬はえりも農場の生産でしたけども、えりもまで見に行ったこともあります。結果、その馬が当時あった重賞のほとんどを勝つくらいになって厩舎の流れも良くなった。上手くいきすぎといえばいきすぎでしたね。
さて、思い出に残る馬としてはまずトウケイフリートが挙がるとして、もう1頭挙げていただくとするとやはり......。
トニージェントだね。
トニージェント(2005年みちのく大賞典の返し馬)
トニージェントが先生のところに来た経緯は覚えておられますか。
トニージェントは確か補助馬だったんじゃないかな。牧場まで見に行って決めたんです。若馬の頃は細かったね。細くて脚長で。小さい頃の見栄えはイマイチだったと思う。徐々に身体の幅が出てきて良くなってきた。
デビュー戦の時は453キロでしたね。
初戦はもちろん勝ったんだけど、身体はまだ弱かった。レースを使って動きが悪くなって、確かしばらく休養したと思う。今思えばその休養が良かったんじゃないのかな。それで身体ができてきた。
そうですね、半年休養してからの復帰戦が490キロになっていますね。
ああ、そうでしょう?その辺からだんだん体ができて、走るようにもなっていった。
トニージェントは、グレードレースを勝ちたかったですね。勝てそうなレースはいくつかあったんじゃないかと今でも思っています。
船橋(2003年かしわ記念)は惜しかったね。あの時は、4着だったか。1コーナーで少し進路が狭くなる不利があって、あれがなければもっときわどい勝負になっていたんじゃないかなと思っていました。勝った馬から1馬身ぐらいしかなかったからね。
2003年かしわ記念(当時GII)。トニージェント(左)は4着に食い込んだ
上山のさくらんぼ記念や佐賀記念、名古屋大賞典なんかも惜しかったですね。当時下川さん(トニージェントの担当厩務員)と"もうちょっとで勝てたよね"と悔しがった記憶があります。
これも今思えば直前の輸送にはちょっと弱かったかもしれないですね。東北ダービーの新潟もそうだし、上山でも負けてるから。それで佐賀記念の時は早めに移動して長期滞在で挑んだ。相手が強くて勝てなかったけれども馬には滞在競馬の方が良かったと思う。それから夏場はあまり良くなかった。
というと?
夏は暑さにちょっと弱くてね。夏はあまり勝っていないでしょう?でも冬のレースは勝っている。冬場は体調が良くてすごく調子がいい時期だったね。
ああ、確かにみちのく大賞典を勝ったのはレースが8月から6月に移動してからですね。8月の時は2回走って2回とも負けています。
そうでしょう?夏場はちょっと良くなかったからね。だから7歳、8歳の頃は夏は休養にあてて、マーキュリーカップを走った後は北上川大賞典まで間を開けていましたね。やはり寒い頃は走ったね。
ところでそのトニージェントなんですが、デビューから引退までほぼずっと村上忍騎手が乗っていました。先生としてはやはり息子の忍騎手を育てようという狙いというか意思があったんでしょうか?
もちろんそうですよ。やっぱり強い馬に乗せないと上手くならないからね。馬に教えられるわけだから、重賞を勝てるような馬に乗っていないと騎手も上手くならないですから。
村上実調教師は騎手だった80年代からずっと岩手競馬を見ておられるわけですけども、昔と今の岩手競馬で変わった点とかありますか。
自分が騎手だった頃は交流競走がほとんど無かったですよね。今はどこでも乗れるからね。最近はコロナで難しかったりするけども、その辺が一番違うんじゃないかな。レースに出すにしても中央に行って使うなんて自分が若い頃には無かったですから。
最近は売り上げも上がってきてるんですけども、苦しい時期を乗り越えたといえる今はどう思われますか。
だいぶ良くなったけれど、でもまだまだと言いたいですね。これからどんどん伸びてくれればいいんですが。
村上実厩舎の期待の馬を挙げていただくとすると。
リリーモントルーかな。夏場は夏負けで調子が良くなかったですが涼しくなって立ち直ってきた。中央の頃は芝で走っていたし、トビが軽い馬ですから芝がいいかなと思って連れてきたけど、でもダートでもどっちでもいいのかもしれない。重賞を何か勝てればいいなと思っています。
厩舎の期待馬リリーモントルー
ひと区切りの1,500勝を達成したということで、この先の目標を教えてください。
この先といっても大きな目標は持ってないですが、何か重賞を獲りたいですね。それが今は一番の目標かな。
リリーモントルーや、ハーベストカップを勝ったリンシャンカイホウ(写真)は村上忍騎手の息子・村上朝陽厩務員が担当。"親子三代"での重賞制覇を目指す
それでは最後にオッズパークの会員さんにひとことを
いつもインターネットで岩手競馬の馬券を買っていただいてありがとうございます。これからも岩手競馬を応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
南郷家全騎手は1995年10月のデビュー。古い競馬ファンの方ならピンとくるかもしれないが、南郷騎手のデビュー戦や初勝利は旧盛岡競馬場だった。今となっては旧盛岡を知っている現役騎手は3人だけ。そんな大ベテランになった南郷騎手が8月30日、地方競馬通算1,000勝を達成した。
まずは1,000勝達成おめでとうございました。改めてになりますがその感想をお願いします。
ありがとうございました。もちろん素直に嬉しいですが、デビューから26年ですから長かった。"よくこれだけ長く騎手をやってきたな......"という感じでもありますね。
そうですね、デビューから26年、500勝達成から1,000勝までは9年でした。
ほら、やっぱり長い!(笑)。
8月30日盛岡第10レースで地方通算1,000勝達成
1,000勝達成が見えてきた5月、6月ごろかな、しばらく勝ち星から遠ざかっていた時期があったようにも見えたんですけども、やはりプレッシャー的なものがあって?
こういう事は焦ったところで勝てる、達成できるものじゃないですしね。そういう時は"順番が回ってくれば勝てる"と信じるしかない。
1,000勝した週の前後、この1カ月ぐらいはすごい勢いで勝っていますよね。
その"順番"が回ってきたということ。これはもう、焦らず騒がずタイミングが来るのを待つしかないですからね。
さて、岩手の騎手の中でも大ベテランになりましたね。旧盛岡競馬場を知っている数少ない現役騎手にもなりました。そんな南郷騎手からみて、この26年間の"岩手競馬の移り変わり"はどんなふうに見えました?
いろいろな事がありましたからね。終わりそうになった事(※2007年の廃止問題)があったし、地震(※2011年の東日本大震災)もあった。最近はまた売り上げが良くなってきていて。一言で言ってしまえば、浮き沈みが激しい、という感じですかね。
乗ってる騎手としてもそういう、賞金とか悪くなってまた良くなって......の感覚というか実感がありますか?
もちろん賞金とかにかかわってきますからね。最初の頃は凄く良かったけど一気に下がって。また最近ちょっとずつ上がってきているから、ホント浮き沈みですよね。ただ、若手の頃は騎乗数があまり多くなかったし、騎乗手当も今より少なかったから、賞金は高かったかもしれないけど稼ぎにはならなかったな......という記憶ですね。
2000年4月1日、水沢・スプリングカップを制したピスカリアンジュ
今の若手騎手はどう感じますか?昔と違うところがあったりする?
出てくる若手は基本的に上手いですよね。昔はレースに乗っても1クラとか2クラとかであまり乗れなかった。今はデビューしてすぐたくさん乗せられるから競馬を覚えるのも早い。やはり皆上手だと思う。
ところで南郷騎手はなぜ騎手になろうと考えたのですか?
小さい頃は身体も小さくて、父親の友人の紹介で"騎手にならないか"って誘われた時にちょっとやってみようかな、と。そこで城地藤男厩舎(※引退。1974~2010年)の見習い騎手として入りました。最初は厩務員として働きながら騎手の試験を受けた。だから、騎手に凄く憧れて目指したわけではなくて、全然知らないところからこの世界に入りました。
じゃあ、逆にそれで26年やってきたのは凄いのでは?
いや、他にやる事がないからね。中学校くらいから働いてたから、だからもう、競馬にしがみついてやるしかないよね。だいたい教養センターというところがもう凄い所だから。凄く苦しかったもの、センター時代。それを乗り越えてやっと手に入れた騎手免許、そうそう簡単に手放せない。辞めたくなった事は何度もあったけど、この免許を無駄にするわけにはいかない、って。
そうして粘り強く続けてきた騎手という仕事を今振り返って、どう思いますか。
やってきたおかげで1,000勝という結果を残せた。それは良かったですね。
さて、ここまで南郷騎手の思い出に残っている馬を挙げていただくとすると?1,000勝後のインタビューではラブバレットと言われていましたがその他にあれば。
マツリダパレス(※2005年の桐花賞を5番人気で優勝、その年の岩手競馬年度代表馬にも選出)かな。周りのメンバーが強かったし、自分の馬は強気に外を回っていける馬でもない。だからもう内ラチ沿いから動かないと決めていました。内が開くのを待つしかないと。そうしたら、前がパカッと開いた。
自分もよく覚えてます。あのレースは勝ってガッツポーズしたくなる気持ちが分かる。そして、ラブバレットもやっぱり記憶に残る馬になる?
あれだけ走った馬ですし、自分が騎乗したさきたま杯でも4着、あの時にこの馬は本当に走る馬だと思いました。
2015年さきたまJpnII。南郷騎手のラブバレットはダートグレード初挑戦ながら4着に健闘
結果は4着だったけれど凄く良い内容でしたよね。
3~4コーナーでJRAの馬と同じ脚で回って行けて、4コーナーを回る時に"これは勝てるんじゃ?"って。勝負所で外からノーザンリバーが捲り気味に動いてきて、そこで捲られずに付いて行けたのが十分に凄かったんですが、それでちょっと脚を使っちゃった。あれがなければ少なくとも2着争いはもっと差のない競馬ができていたと思います。
そうだ、マツリダワルツも聞いておきたいです。
デビュー前は気性が悪くて"競馬ウマになれるのか?"と心配されていたんです。当時は競馬場で若馬の馴致をやっていたのですが、ぜんぜん言うことを聞かない。何回やってもゲートに入らなかった。女の子だけど"きかん坊"。これじゃあゲート試験も通らない、無理だなって。それがある時観念したのか普通にゲートに入るようになって、そうしたらいきなり良くなった。
へええ。その後の活躍は自分も知っていますが、もしそこでワルツが観念してなければ(産駒の)ロードクエスト(JRA重賞3勝、8月1日盛岡・せきれい賞制覇)もいなかったかもしれない。
そうそうそう。競馬ウマになってなかっただろうから。
2007年サファイア賞。3歳時のマツリダワルツは芝・ダート問わぬ活躍。芝での走りがロードクエストら子供達に受け継がれている
さて、1,000勝という区切りを達成しました。この先の新しい目標を挙げていただくとすると......?
目標ですか......。とりあえず1,500勝を目指すか......。もしくは、調教師を考えながら......。でも、自分が櫻田浩樹厩舎に移ってからまだちょっとしか乗っていないですからね。たまたま1,000勝を自厩舎の馬で決めることができたけど、もっと櫻田浩樹厩舎で乗りたいかな、と思う。
そうか。騎手として現役を続けながら、恩返しじゃないけども......。
そう、恩返しかなやっぱり。俊光さん(※城地俊光調教師。昨年7月に逝去。南郷家全騎手の前の所属厩舎)が亡くなった後の自分を拾ってくれた。自分はけっこう厩舎を動いていたんだけど、そんな自分をね。今の厩舎で乗っている期間が、まだ短い。もっとここで一緒に......と。あとは身体に気をつけて、大きな怪我をしないようにしていこうと思っています。
最後にオッズパークの会員の皆さんに向けて一言。
これからも良いレースを見ていただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。
南郷家全騎手の"ベストレース"とすると自分は文中にも出たマツリダパレス、2005年の桐花賞を思い出す。馬群の内側3番手、行きすぎず引きすぎず絶妙な位置を守り続け、他の馬の意識が外に偏った瞬間を見逃さず内から飛び出して突き抜けたレース。あれは本当に南郷騎手らしい騎乗だったと思う。
1,000勝を決めたレースも馬場傾向や相手関係を見抜いて、思い切ってハナを奪っての逃げ切り。あれもまた南郷騎手らしかった。そのレースぶりを見ても勝負勘は健在。ここしばらくは大レースの勝ち星から遠ざかっている同騎手だが、また重賞で、"らしい"騎乗でファンをあっと言わせてほしい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2021年5月9日の水沢第1レースで村上忍騎手が地方通算3500勝を達成した。岩手競馬史上では菅原勲元騎手、小林俊彦元騎手に続く3人目の達成であり、現役騎手の中ではもちろん最多となる勝利数だ。28シーズン目を戦う村上忍騎手に記録達成やこれからについてうかがった。
3500勝達成、おめでとうございました。岩手競馬では史上3人目、現役では最多勝となる記録達成です。
ありがとうございます。そうですね、騎手になって何年になるのか自分でも分からなくなったくらい長く乗っていますし(笑)、そんな自分よりたくさん勝っている騎手もいますからね。とはいっても、自分自身でもここまで勝つとは思っていなかったですから、素直に皆様に感謝したいですね。
94年デビューですから、28シーズン目になりますね。改めて振り返ってみたら、ずいぶん長くなりましたね。
自分と同じ世代の騎手はもう何人も残ってないですからね。自分自身こんなに長く騎手を続ける事ができるとは、40歳過ぎてまで騎手をやっているとは思ってもいなかったですね。
2021年5月9日水沢第1レース、ミンナノヒーローに騎乗して地方通算3500勝達成
昔の村上忍騎手が描いていた"将来像"は、そうするともっと早く引退するような感じだった?お父さんの村上実調教師は31歳で騎手を引退されましたよね。
そこまで早くとは思っていなかったですが、40歳前後で引退して調教師になって......みたいな。父はかなり早く引退しましたけども、その頃の騎手たちは全体的に引退が早かったですからね。自分もそれくらいかなと。若い頃から体重の調整に苦心するところもありましたし。
今は自分より先輩でも現役で活躍されている方がたくさんいますからね。自分も今44歳になって、今でも良い馬に乗せていただけているし、昔思っていたような辞めるタイミングは失った......みたいなところはあるよね(笑)。
もちろんそれは、ありがたい事ですよね。おかげでレースに乗る事自体が嫌になったりという事はないですから。やっぱり長く乗れたからこそのこの記録でもありますから。
そういう話が出たのでうかがってみますけども、以前、岩手競馬が色々と改善活動を続けていた時、村上忍騎手自身も怪我をしたり騎乗停止になったりして、なんというか歯車がかみ合わない時期があったじゃないですか。あの頃に比べれば、去年や今年の忍さんは凄く調子がよく見えるんですよね。まだまだいける、まだまだやれる、って思うんですけど。
確かにその頃は、他の人に迷惑をかけてしまったし、騎手としてのモチベーションであったり技術であったり、年齢とともにそういう部分が落ちてきているのを自分で感じるようであれば......と思ったりもしました。今なんかも、体力的に全く衰えてないとは言わないけれど、長年の経験である程度やれるのかなって。調子が良いかどうか......は分からないけど、乗ってて楽しいなって思う時があるから、そういう瞬間があればあるほどなかなか辞めづらくなるというのはありますよね。
やっぱり体力的な衰えとか感覚のズレみたいなものを感じるようになってくる?
年齢を重ねるとどうしてもね。自分では変わらないと思っていてもそうなってくるのではないでしょうか。体型も変わってきますし。
でも、今年なんか凄く良い感じで乗れているなと、お世辞抜きで思いますね。
馬との巡り合わせもある事ですから、自分のモチベーションだけでどうこうできるものではないだろうけど、でも噛み合う噛み合わないはあるでしょうからね。今は、最低限それが噛み合っていて、それなりの結果につながっているのかな......っていうのは、少しだけ思ったりします。
あとここ最近は、例年より体重のコントロールがうまくできているから気持ちが凄く楽。長年減量をしてきているわけだから自分の中のルーチンがあって、いっぱいいっぱいだともちろん余裕が無くなるけれど、全く何もしないとそれはそれで調子が悪い。今年はそれがちょうど良い感じ。ちょっとだけコントロールして、体力的には割と余裕もってレースに挑めているって感じ。そういうのはやっぱり気持ち的に変わってきますからね。
年齢を重ねて変わってきた点のようなものはありますか?
そうですね、気持ち的には、若い頃はイケイケって言うか力任せな感じだったけれど、ここ10年くらいは、馬とのコンタクトが一番大事だなと思ってそこを気を付けて乗るようにしています。
走るのは馬で、乗り手はコントロールするわけで、乗り手が強すぎて馬の邪魔をしたらしょうがない。多分、若い頃の自分はそうだったと思いますよ。
3000勝から3年4カ月で3500勝に到達
村上忍騎手はもう大ベテランの域に入っていますけども、見ている方としてはまだまだ老け込まれては困る。ということで3500勝を超えてのもうちょっと先の目標を聞かせてください。
一番はやっぱり怪我をしないように、馬も人も無事に。そしてこの先は、数字的な目標は特に掲げていないですが、でも、いつも言っていますが乗っている以上は一つでも多く勝ちたい。自分のためにも馬のためにも、関わってくれている皆さんのためにもね。そこは欲張っていきたいなと思っています。今年は期待できる馬も乗せて貰っていますし、そこでしっかり結果を出していきたいなと常に思っています。
今年に関しては3500勝が迫っているのが分かっていたから自分の中で目標になっていた。そこをクリアできて自分として達成感はあります。これから4000とはね、なかなか言えないですけどね、レースに出るからには一つでも多く勝ちたいという部分は自分の中でまだなくしてはいません。
では最後にオッズパーク会員の皆さんに一言を。
コロナ禍の影響で移動であったり現地観戦であったりの制限が続いています。現地で見ていただきたい気持ちはもちろんありますけども、今はネットでも便利にレースを見る事ができますから、ぜひオッズパークで岩手競馬を応援していただきたいなと思いますね。
5月23日のあすなろ賞ではチャイヤプーンで今季の重賞2勝目。重賞戦線でも存在感ある戦いを演じている
インタビューの中でも触れたが、今季の村上忍騎手は非常に好調なのだろうと感じる。逃げてスローペースに持ち込むかと思えば好位からレースを動かして差し切ったり。それでいて本人の言葉のように自己主張しすぎることはない。成績の数字以上の安定感があると思いながら見ているのだが、ファンの皆さんはいかがだろうか。
これも本人が言われているように"あと500"はなかなか大変なのだろうけども、あと3年、今のペースで騎乗し続けてくれれば見えてくる目標だ。その時を迎えることができるよう、村上忍騎手を応援し続けたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2021年春シーズンが開幕した岩手競馬。昨シーズンまで5年連続で岩手リーディングを獲り続けている山本聡哉騎手にお話を伺いました。
まず昨シーズンのことからお聞きしたいのですが、5年連続リーディング獲得おめでとうございます。
ありがとうございます。昨年もリーディングが獲れたというのはすごく嬉しかったですね。昨年は3月31日まで南関東で期間限定騎乗をしていて、その時も新型コロナウィルスが流行していましたから、岩手に戻ってから2週間騎乗を自粛しました。4月の半ばくらいまで乗れなかったので、追いかける立場でスタートしたんです。乗れない時期があったのは残念でしたが、新鮮な気持ちで挑めましたし、結果的にはとてもいい1年を過ごすことが出来ました。
重賞もたくさん勝ちましたね。
周りの方々のお陰です。流れも出来過ぎかなと感じるくらい、特別な1年になりました。いい馬たちに乗せていただいて、たくさん重賞も勝たせていただいて。どのレースも想い入れが強いですけど、特にアクアリーブルで桜花賞を勝たせていただいたのは大きかったです。
ユングフラウ賞では7番人気2着といい脚を見せてくれて、続く桜花賞は3番人気で勝利しました。
アクアリーブルのオーナーである新生ファームさんとは、ピアノマンに乗せて勝たせていただいて、そこで繋がりが出来ました。さらに管理していたのが(佐藤)賢二先生だったので乗せていただくことになりました。ユングフラウ賞の前から調教にも乗せていただいて、すごくいい脚で2着に来て、重賞でもやれるという手ごたえを感じました。そこからですね。「次は桜花賞を勝つ!」と勝手に自分でプレッシャーを感じながら調教に乗っていました。その緊張感というのはとても心地いいというか、すごく楽しい時間でした。
アクアリーブルで浦和・桜花賞(2020年3月25日)を制し、佐藤賢二調教師と握手
桜花賞は好位から強いレースでしたね。
枠も良かったですし、馬の調子もグンと良くなって、とてもいいレースが出来ました。プレッシャーを感じつつ調教にも乗せていただいて、そこで勝てたというのは自分の騎手人生の中でもすごく大きな出来事になりました。(佐藤)賢二先生が急逝されたことはとても驚きましたし、残念で仕方ありません。弟(山本聡紀騎手)もお世話になっていましたし、僕が期間限定騎乗で南関東へ乗りに行くと、いつも1勝目は賢二先生の厩舎の馬で勝たせてもらっていたんです。いつか僕も、賢二先生のようなカッコいいホースマンになりたいと思っています。
地元岩手でも重賞をたくさん勝ちました。3歳牝馬ゴールデンヒーラーは今後の活躍が楽しみですね。
スピードもあって、レースセンスも高い馬です。2歳の時期は北海道の馬がとにかく強い中で、知床賞とプリンセスカップを連勝できたというのは大きいですね。地元馬同士ではある程度力関係や展開が読めますけど、他地区勢を迎え撃っての勝利でしたから。春になって久しぶりに乗ったら、馬体に幅が出て成長を感じました。調教では少しうるさくて神経質なところもありますが、競馬にいっての集中力がある馬で、気持ちの面もレースではいい方に出ていますね。今後距離がどれくらいもつのか、という問題になりますが、折り合いに苦労するタイプではないのでこなしてくれるんじゃないかと期待しています。
プリンセスカップ(2020年11月30日)を制したゴールデンヒーラー(写真:岩手県競馬組合)
年末や年明けの開催は雪の影響で中止が続きました。
僕にとっても初めてと感じるくらいの大雪で、水沢に昔から住んでいる厩務員さんたちも「こんなに降るのは初めてだ」と言っていました。近所のカーポートがいくつも潰れたりしていて、災害級の大雪でした。もう毎日毎日とにかく雪かきでしたね。僕らも本当はやりたい気持ちもありましたけど、さすがに環境的に難しくて。中止が続いてしまって、不完全燃焼な感じで終わってしまいました。
今年は3月12日からの開幕と、例年より早いスタートとなりました。今シーズンの意気込みを含め、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも岩手競馬を応援していただきありがとうございます!昨シーズンは大雪の影響で中止が続き、なんだか拍子抜けという感じになってしまいましたが、今年もリーディング目指して頑張りますので、応援していただけたら嬉しいです。岩手競馬にはゴールデンヒーラーはじめ今年活躍しそうな若馬がたくさんいるので、ぜひ注目してください。10歳になったラブバレットも頑張っています。今後コロナが落ち着いて、また皆さんと一緒に競馬を楽しめる日が待ち遠しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋