今年4月に岩手からデビューした坂井瑛音(えいと)騎手。騎手になるきっかけや、初勝利を挙げてから現在までの心境をうかがった。
初勝利からちょっと時間が経ってしまったので、まずは騎手を目指した理由から聞かせてください。
元々プロスポーツ選手になりたくて野球をやっていたんですけど、小柄な体格だったので、それを活かせる職業だったら騎手はどうだ?と父に教えてもらったのがきっかけでした。それで親と一緒に競馬を見ているうちにだんだん興味を持つようになりました。
何か競馬とか馬に関わりがあったりする家庭だったの?
いえ、全く関係ないです。父が競馬が好きだったもので。
競馬場はどのあたりに見に行きましたか?
大井、中山、東京でした。関東の競馬場はわりと行きました。
それが中学校くらいの頃。それから騎手になるための情報を集め始めた、と。
乗馬にも1年半ぐらいかな、東京乗馬倶楽部に通わせてもらいました。
教養センターでは同期の人数がわりと多かった年ですけど、どんなふうに過ごしていましたか?
自分がちょっとふざけたようなキャラだったので、仲良くやってたんじゃないかなと思います。
言ってみれば東京のど真ん中育ちの"都会っ子"でしょう?それで那須の教養センターで暮らすのってたいへんじゃなかった?
はじめの1カ月はもう本当しんどくて、家に帰りたかったですね。だけど家族が頑張れって言ってくれるから頑張らなきゃなと思いましたし、同期の中でも2年間頑張ろうって励まし合っていました。
学校時代は何が一番大変でした?
お菓子が食べられないことでした(笑)。減量は苦労しなかったですし、食べる量もそれほど多くない方なので空腹が......とかではないのですが、そういうものまで制限されるんだ、って。
では学校時代で一番思い出に残っているのは?
東京ダービー(2023年ミックファイア)を間近に見れたことですね。
2023年東京ダービーのあと、御神本訓史騎手と
あのレースは良かったよねえ。
あの雰囲気ってなかなか経験できないですし。レースで勝った騎手にその場でお話を聞けることもないですし。わざわざ自分たちのために来ていただいて、喋っていただいて。本当に良かったな、いい経験したなって思いました。
さあ、そして卒業が近づいて、岩手を選んだ理由は?
教官からは"お前の雰囲気というか人柄が岩手に合う"みたいな感じで紹介してもらって。自分も上手くなるためにはとにかく騎乗機会が多いところじゃないとダメだと思ったので岩手に決めました。希望を出した時に手を挙げてくださったのが菅原勲調教師で、リーディングの厩舎から声をかけて頂けるなんてそうある事じゃないですし、敢えて厳しい中で頑張ってみようと。
菅原勲調教師と
初勝利は4月22日でしたが、思い出せる?
もうその日は鮮明に覚えています。あのレースは、馬が最後ギリギリよく頑張ってくれました。
その時のコメントを見ると「ゴールして周りからおめでとうって言われたのが凄く嬉しかった」とあります。
ゴール過ぎて走っている時に周りの皆さんに「おめでとう」って声をかけてもらって。確か一番最初に言ってくれたのが(高橋)悠里さんでした。
4月22日水沢競馬第12レース、サンエイブレーヴに騎乗して初勝利
ご両親はなんて言ってました?
まずはじめに「馬券獲ったよ」って(笑)。わざわざ大井競馬場まで紙の馬券を買いに行ったんだそうです。
26戦目だったけど、それまでも結構勝てそうなレースがあったじゃないですか。デビューして2週間ぐらい、もうちょっと......みたいな時の気持ちとか考えは、どんな感じだったんだろう?
そうですね、自分が思ってる以上にレースの中で余裕が持てなくなってた、と思いますね。自分だとなかなか分からないんですけど、(菅原)辰徳さんが「勝ち負けの前にまずしっかりまっすぐ走らせるんだよ」と教えてくれて。それが一番大事なんだよな......と改めて思い直したりして。
実習中とかに、デビューしたらこういうふうに乗りたい、ああいうふうに乗りたいみたいな話をしてたじゃないですか。でも、そう簡単にはできないよね。
はい。現実って難しい。同期の成績も気にしちゃってましたね。同期が先に勝って、焦っているような感じは無いと思っていたんですけど、自分で気付いてなかっただけで、気にしていたんでしょうね。
でも、それがだんだんできるようにはなってきた?
それはまだまだですけど、自分の中では、ひとつひとつ丁寧に課題をクリアしていくだけなのかな、と思っています。
デビューしてから今まで乗ってきて、自分の中で変化があったことはありますか?
変化があったとしたら、レースの中での余裕はデビューした時と今では少しは違うかなと思います。だけど、教えてもらっても改善できてない事ばかりなので、自分でも変えていかないといけないですね。
ところで、水沢でデビューして盛岡でも騎乗したわけですが、乗ってみた感想はどうでしたか。
盛岡は乗っていても(コースが)大きい、直線長いなと感じます。もう少し自分が上手くなれば減量を活かせるコースなのかなと思います。水沢はやっぱりコーナーがきつい。コーナーコーナーでロスなく回るかが重要なコースだと思うので、そこは、ずっと課題になるだろうなと思っています。
5月27日、盛岡競馬場での初勝利(第6レース、メイショウホガラカ)
この先の目標は何になりますか。
まずは頂いた乗り鞍を、チャンスを無駄にしないように大切に乗る事と、自分の今ある課題を1つでも多く克服していくことが今の目標です。
では最後に、オッズパーク会員の皆さんに坂井瑛音騎手からメッセージを。
もっと勝鞍を伸ばせるように頑張りますので、ぜひ馬券で応援してください。
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フジユージーン。2歳時は5戦5勝、3歳となった初戦のスプリングカップも圧勝して6戦6勝。地元ファンのみならず全国からも注目される存在になったこの馬の近況と今後を、管理する瀬戸幸一調教師にうかがった。
フジユージーンと瀬戸幸一調教師(左)まず前走のスプリングカップのお話からいきたいと思います。こちらが勝手にいろいろ期待を膨らませて見ていたんですけど(笑)、まずは良い結果だったと思いました。
そうですね、思った通りの、それ以上の走りをしてくれたので良かったなと思っています。
いったん時間を戻してですね、昨年の南部駒賞からスプリングカップまでの中間の状況や調整などを改めてお聞かせください。
去年の南部駒賞の後、ちょっと爪の方が心配で、少し早く切り上げる形にはなったんですけど、次のレースのためにと思って富士ファームさんの方に戻りました。最初は京浜盃に間に合えば......とも思っていたんですけどもね。1月の中旬から一カ月ほど那須の教養センターにもいたのですが、なかなか思うようにいかなくて。時期も時期でしたし、競馬場に戻して、馬をよく知っている厩務員さんや装蹄師さんで見ていこうと。
遠征馬との初対決になった南部駒賞も難なく通過した(2023年11月12日)
それが2月の中旬ですね。
そこからは順調に調整が進んでくれました。普段はおっとりしているんだけど馬場に入ると気持ちも入る馬ですので、そこからの調整は苦労しなかったですね。スプリングカップまでも順調に進める事ができました。
ここでもうちょっと話を戻すんですが、フジユージーンはオータムセールで補助馬として購買された馬で、瀬戸幸一調教師も馬を選んで決められたんですよね。セリの時はどんなところが決め手になったんでしょうか?
決め手はですね、脚先のさばきが凄く軽かったんですよ。セリの当時から大型馬で、体高なんか今とそんなに変わらなかったんじゃないかな。大きい馬は脚先が重い感じがある。のそのそっとしたね。この馬はそうじゃなかったんです。
こういうとなんですけど、父(ゴールデンバローズ)はその時点では活躍馬がいなかったですし母は岩手で未勝利馬。それでもこの馬が......というのはなぜだったのか?は思ったりします。
確かに血統的にはそうですけど若馬はどこでどう変わるか、どう走るか分からないですし、オーナーが乗馬クラブをやられているから、これだけ馬格がある馬なら丈夫であればどんな道にもいけるから、と。それくらいの気持ちでいたのがたまたま当たったのかな。
母デザイナーも岩手デビュー馬だった(2015年8月16日、盛岡新馬戦のパドック)
しかし、デビューする頃には「この馬走るよ」という話になったじゃないですか。
調教の動きを見ていて、やっぱり違っていましたね。競馬場に来る前にも富士ファームさんで動きを見たんですけど、しっかり動かせば軽い動きが出ていたから、「もしかしたらもしかするのかな」と思っていました。
そうするとデビュー後の走りは、その感触通り?
そうですね。でも私は新馬戦は正直あまり期待していなかったんですよ。
「850m向きではないかも」と言われていたのを覚えています。
距離が距離ですし、ビュッと行く馬にはかなわないのかな......とか思っていたらうちの馬が速かった。そんな感じでした。
水沢ダート850mの新馬戦を大差で圧勝(2023年6月4日)
その後は順調に勝ってきましたが、今にして思えばいろいろ苦労もあってと想像するのですが、3歳になってそんなところも解消されてきたと思っていいのでしょうか。
そうですね、レースであればスタート。他の馬と五分に出る事ができるようになったかなとか、身体がひとまわり大きくなって、付くべき所に筋肉が付いてきたとかですね。この馬の場合まだ余裕があるのでもうちょっと筋肉が付いてくるのかなって感じはします。2歳の時と今とはフットワークも違いますしね。一段と大きくなって。期待通りに仕上がってきているなと見ています。
2歳の時もレースで速いなと思っていましたが、スプリングカップの瞬発力はもう一段変わったなと感じましたものね。
普段の調教から迫力が増しました。2歳の時もフットワークがきれいだ、柔らかみがあって良いなと思っていましたけど、今の方が数段上だなという感じがします。
3歳初戦のスプリングカップは3度目の大差勝ちで順調な発進(2024年4月7日)
さて、ここまで割と"べた褒め"なので、この先に向けて課題というかもっと良くなってほしい点を無理矢理にでも挙げていただければ......。
今思っているのはもうちょっと腰の方に筋肉が付いてくれれば。それが一つ。そして大型馬ですから脚元の負担はね、小さくないと思っています。まだ成長段階ですし、そこは常に気を遣っています。
ダイヤモンドカップ直前というタイミングですのでそこに向けたお話も。
距離やコースは全く心配していないです。そこまで順調に行ってくれれば。
さらに先の話は、まだダメでしょうか?。
そこはまだですね(笑)。まずはダイヤモンドカップ次第。そこを順調に乗り越えてから考えます。
6戦6勝というだけでなく大差勝ちが3回。そんな走りを見せつけられては期待しない方がおかしいというもの。全国の舞台で力を試してほしいと思うのだが、それはあくまでも外野の期待であって、今はフジユージーンの着実な成長を見守りつつ楽しみにしているべきだろう。まずはダイヤモンドカップ。自身初の1800mでどんな走りを見せてくれるか?でこの後の路線も定まってくるはずだ。
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2003年デビューの坂口裕一騎手は今年が21シーズン目。それが始まってすぐの3月20日に地方競馬通算1000勝を達成した。
実はその前日の3月19日には所属する村上昌幸調教師の地方通算1500勝も自らの手で達成している。この春はリーディング上位に付ける坂口裕一騎手に話を伺った。
1000勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
記録まで残り11勝という段階でスタートした今季でしたが、やはりまずはこれが目標、"早く達成してしまおう"というような気持ちだったのでしょうか。
どちらかといえば自分の記録よりは調教師の記録(所属の村上昌幸調教師の地方通算1500勝)を先に決めてしまいたいと思っていたから、自分の記録の早い遅いはそれほどこだわってなかったです。
とはいえ自分の勝ち星の方も非常に順調に増やしていっての1000勝達成でした。この春は調子も良いのでは?
自分自身は変わってないと思うけど、3月の最初の1週間は"ツートップ"がいなかったですからね。その分、自分にとっていい流れでスタートできたんじゃないでしょうか。
"1000勝"という記録の重みのようなもの、どう受け取っていますか?
そうですねえ。自分と同年代の騎手はたいがい通過していますからね。もちろん嬉しいですけれど、20年もやっているし......と思うところもありますね。
2023年3月20日、地方通算1000勝達成
確かに今でこそ同世代の騎手がたくさん勝っているけど、ちょっと前は1000勝以前に引退する騎手の方が多かったくらい。1000勝できた、20年も続けてこれたのが凄いと思う。さて、そんな20年の騎手生活で"思い出に残る馬""思い出のレース"を挙げていただくとすると。
どれか1頭・ひとつのレースというのは挙がらないかな。自分はこれまで何度か騎手を続けるか迷ったこともあったんですけども、結婚して"自分はこのままでいいのかな?"と思っていた時にナムラタイタンが来て、もうちょっと頑張ろうと思って。で、タイタンがいなくなって気持ち的に穴が空いた感じになっていた時にリュウノシンゲンに出会ったりして。他の馬でも重賞を勝たせてもらっているんですけども、ホントに"これだけ"という馬はなかなか浮かばないんですよ。
坂口騎手にとってナムラタイタンはやっぱり大きな存在だった?
大変でしたけどもね。調教は毎日乗って、レースも乗って。引退した時には"解放された"という気持ちもありました。ですが、いなくなるとやりがいが無くなって......。ああ、もしかするとナムラタイタンの最後のレースが思い出に残るそれだったりするのかもしれませんね。
3連覇した後の4回目、引退レースになった時の赤松杯ね。
あの時は調教から今までと違う感覚がありました。状態が悪かったというのではなくて、レースで最後まで走ってくれるのかな?という、気持ち面というか。レースでもスローペースで逃げたのに最後は無理しないような走りになって3着。"ついに終わりが来たんだな"と思ったのを凄く覚えています。
自分もその時の陣営とか坂口騎手の雰囲気をなんとなく覚えている。
もちろん、転入初戦の赤松杯でぶっちぎって勝ったのも印象に残っています。あの馬に乗って勝ったレースで一番インパクトが強かったですけども、その勝ったレースが4年後に引退レースになったわけですから。
2014年4月27日、赤松杯。転入初戦のナムラタイタンは持ったままで大差勝ち
そういうのは実際に乗っていた人にしか分からない感覚ですね。それで聞くけども、乗っていて、だんだん力が落ちていくような感触はあった?
能力的に落ちていくというか、年齢を重ねての気持ちだったのかな。本当に満足のいく状態で走れたのは、来た年の最初の3戦くらいでした。その後はこの状態で良くこれだけ走れる......と感じる方が多かったですからね。最後はそうですね、"ついに来た"という気持ちでしたね。
改めて重賞の成績を振り返ると、2010年のひまわり賞をコンゴウプリンセスで勝って初制覇。2011年は空いたけども2012年以降昨年まで、毎年何かの重賞を勝っています。結局坂口騎手は"引き"が良いのではないか?
そうですか?自分では引きが悪いと思っていますけど(笑)。周りの人を"みんな引きが良いなあ"と思いながら見ていますが(笑)
ナムラタイタンもそうだし、リュウノシンゲンでも重賞7つ勝っているし。エンパイアペガサスにも乗って勝っているくらいだから。節目の大きなレースにはいつも顔を出している。
じゃあそうなのかなあ(笑)
もうひとつ。坂口騎手は2003年のデビューで、岩手競馬が一番苦しかった時期に若い頃を過ごしてきた世代になります。今は同世代もみな上の方で活躍しているけども、やっぱり最初の頃は厳しいと感じた?
デビューした頃は騎手の数が多くて厳しくて、存廃問題が起きた頃には人が減ったけど別な部分で厳しくなって。若い頃は何が何だか分からずに過ごしていましたが、今同じ事が起こったら、堪えると思いますね。若いからやってこれたのかな......とか今になって思いますけども。
2003年4月19日、デビュー戦の際の坂口裕一騎手
20年間の騎手生活を経て、自分が騎手として変わったとか騎手として進歩したとか、そんな手応え、そんな部分はありますか?
どうなんですかねえ......なんだろう。そうですね、調教をした馬にレースで乗れるようになってから何か変わったのかもしれません。若い時ってやっぱり調教は乗るけどもレースでは上の人が......ということが多かったじゃないですか。だから、なんて言ったらいいんだろうなあ......。
"仕事だから片付ける"的な?
そうですね、流れ作業じゃないですけどもなんとなくやってたような。それが厩舎の馬に全部乗せてもらえるようになって、重賞なんかも勝てるようになって。取り組み方が何か変わったというわけではないでしょうけども、自分なりに考えるようになったんだろうと思います。
やっぱり昔とは凄く変わったんじゃないかなあ。昔は、今言っていたような雰囲気もあったけど、今はずいぶん違う。
調教師さんも変わってきたんだと思いますよ。昔は調教もレースも所属優先で、自分がレースに乗らない馬でも自厩舎だから調教していたのが、今は途中でも他の厩舎の馬に乗っていいよ......とかに変わってきているのもあるんじゃないですかね。
そうか。自分も変わってきたし、周りも変わってきたと。
そうですね。だからデビューして最初からたくさん乗れる今の若い子たちはうらやましいですね。
ああ、やっぱりそう思うんだ。
まあうらやましいって言うか、時代が変わった、いい環境になったんだなって。
さて。1000勝を達成しました、ということで、この先の新たな目標として挙がるものはありますか。
やはり、怪我には気をつけたいですね。まあ自分が気をつけていても事故は向こうから来ることもありますから、そういう時はどうしようもないですけども、第一は怪我に気をつけて。あとは......。
坂口騎手は岩手の大きな重賞をだいたい勝っているから、そういう目標が意外に出てこないのかもね。あとはグレードレースくらいだから。
そうなんですってね。グレードは、まあ運もありますし......。うん、そうですね、やっぱり怪我をしない事。
話が戻るけど、やっぱり家族は支えになっている?凄く家族を大事にするよね。
それは支えになっていますね。自分が迷ったり悩んだりしている時に結婚して。良い馬にも出会えたけど、家族ができて騎手を続けようと思えましたから。最近は子供もレースのことが分かるようになってきましたし、励みになるというか、"がんばらなきゃな"という気持ちになります。
坂口騎手にとって"結婚"という事が大きいきっかけになったんだろうね。
自分でもそう思いますね。
では最後に、オッズパークで岩手競馬の馬券を買ってくださっている皆さんへ。
いつも応援していただいてありがとうございます。コロナ禍も収まってきましたし、現地の競馬場にもぜひ来てください。
坂口裕一騎手といえばナムラタイタンとのコンビが記憶に残っているが、気がつけば同馬の引退からでも6年経った。ナムラタイタンとの足掛け4年は坂口騎手にとっても大きく飛躍した4年だったはずだけに、その最後のレースを「いつか将来、騎手を辞めて何年も経った後でふと思い出すレースが、あの最後の赤松杯なのかもしれませんね」と言うのも、それだけ強く結ばれたコンビだったからゆえなのだろう。
近い世代の騎手が調教師に転身し始める時期にもなってきたが、坂口騎手にはまだまだこれからも大レースを制する騎手として活躍し続けてほしいと思う。
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関本玲花騎手は2019年10月5日にデビュー。それから約3年2カ月後の昨年11月22日、レディスジョッキーズシリーズ第2戦を勝って地方競馬通算100勝を達成した。水沢開催に移った12月4日に101勝目を挙げて"新人騎手"も卒業している。冬期間は笠松競馬で期間限定騎乗をしている同騎手にこの先の目標をうかがった。
まず最初に、ちょっと時間が経ってしまいましたが100勝達成の喜びと感想をお願いします。
達成できて嬉しかったですが、もう少し早く達成したかったなとも思いました。
"もう少し早く"というのは、残りわずかになってからもっとポンポンと勝ちたかった?あるいは年数・日数的なもの?
もうちょっと短い月日で達成したかったです。
そうは言ってもまずまず早い方の100勝達成だと思いましたが。
女性騎手にしては早い方なんでしょうけども、3年かかってしまったから。もう少し早く、2年半くらいで達成したかったかな。
減量が取れる、女性騎手分はあるけれど、その"重み"のようなものは感じますか。
減量分は大きいと思うので、見習い卒業という面では感じます。いつまでも減量が残っているのは......と思うし、これで"新人"ではなくなった、見習いではなくなったと感じます。
見ていて、100勝が迫ってもあまり意識せず淡々と......という感じに見えていたんですけど、実際どんな気持ちだったのでしょうか。やっぱり意識をした?
あと10勝くらいから意識してましたね(笑)。盛岡の発走室にホワイトボードがあるんですけども、そこに"あと○勝"とカウントダウンを書いてました!
"あと10勝"というと......、9月11日か。この頃から自分でカウントダウンをしていたと。
100勝が近づいた最後の3勝くらいはわりと連続して勝てたんですけども、はじめはしばらく勝てなくて長く感じましたね。でも後になって見れば普段のペースとそんなに変わっていないから、やっぱり気持ち的に長く感じたんでしょうね。
ラストスパートはしっかり勝てて、そしてレディースジョッキーで決めたのがやっぱり良かったよね。
LJSで決めたい......と言うよりは良い馬に乗る事ができてチャンスでしたからね。そこで勝ちたい、勝とうという感じでした。結果的に良いレースで、良いタイミングで勝つ事ができました。
11月22日盛岡、レディスジョッキーズシリーズ第2戦で地方通算100勝を達成
さて、100勝達成のセレモニーで"岩手の女性騎手の勝利数で歴代1位を目指したい"と言われていましたが、デビューした頃からそういう目標を抱いていたのでしょうか?
デビュー当時は慣れる事に精一杯で目標は特になかったですが、100勝するあたりですか、ここまできたら超えたいなと考えるようになりました。
高橋優子騎手が203勝の記録(注:岩手競馬の記録による)を持っているのですが、3年で100勝したと思えばこの記録の更新も確かに見えてきた。
遠すぎる目標ではないと思うので、超えて記録を残したいです。100勝まで3年ちょっとで来ているから同じくらいで、あと3年半くらいまでには届けば良いかなと思っています。
ところで、気がつけばそんな女性騎手の中でも先輩になってきました。後輩の女性騎手が増えてきて、自分に何か気持ちの変化とかでてきましたか?
"先輩になってきた感覚"は特にないですね。だってまだ4年目ですし、それに佐々木世麗騎手や神尾香澄騎手はセンターで一緒の時期があったからそんなに後輩っていう感覚がないですからね。まだまだ"先輩"じゃないです。
初めて新馬戦を制したイイヒニナルでは、JBCデーのジュニアグランプリにも出走(8着)
ちょっと大きな事を聞くけれど、"女性騎手がもっと活躍するようになる、あるいはもっと増える"ためにどんな環境作りが必要だと思いますか?
そうですね、競馬場の設備の部分は自分だけでできる話ではないので分かりませんが、今はJRA・地方を含めて女性騎手のことが盛んに採り上げられているから、これから騎手を目指そうという女性は増えていくんじゃないでしょうか。
イイヒニナルと関本騎手
最後に、岩手競馬の新シーズンに向けての抱負をお願いします。
次の目標に向けて、今までよりも1鞍1鞍を丁寧に自分の競馬をできるように頑張っていきます。また、沢山の方が競馬場に足を運んで、レースを楽しんでくれたら嬉しいなと思います!
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2022年12月6日、高橋悠里騎手が地方競馬通算1000勝を達成した。デビューから18シーズン目、ここ2シーズンは年間100勝を超える勝ち星を挙げて円熟味を増す同騎手に、1000勝達成やそれまでの道のりをうかがった。
早速ですが1000勝達成おめでとうございました。今シーズンはやはり"1000勝を決める"という目標を持って挑まれたのでしょうか?
春先から目標にしていました。21年くらいの成績(124勝)を挙げることができれば達成できそうでしたから。正直、達成する前はそれほど気にしていなかったんですけども、1000勝に近づいてきてリーチがかかると周りからいろいろ言われて、それで逆に気になるようになりましたね。残り1勝からは本命馬にも結構乗っていたけどもなかなか勝てなくて。なるべく焦らないようにしよう...と思ったりしていました。達成した時はホッとしました。
そういうのは、やはり何かプレッシャーのようなものがある?高橋騎手はそういうのがあまりないタイプかなと思っていたけど...。
なんかちょっとこう、いつもとは違う感じがするというか...。気にしないようにはしていましたね。あと1勝という意識はしていましたけども。ただ、リーチがかかった直後に落馬して"あー、1000勝は来年かな..."とか思いながら馬から落ちてました。
自分もそれを見ていて"1000勝は持ち越しか?"と思いました。立ち上がって歩いているのを見てホッとした。
無事達成できてホッとしていますし、いろいろな方が喜んでくれたり祝福の言葉をかけてくれたりして、先輩騎手も一緒に口取り写真に入ってくれて凄く嬉しかったです。騎手をやっていて良かったなって。
デビューから500勝までがざっと言って11年で、500勝から1000勝が6年。凄くスピードアップしているように見えます。
そうですね、最初の頃はよく怪我をしていましたし、騎乗数もそんなに多くなかったと思いますし。500勝はソウルから帰ってきて達成したんですが、韓国に9カ月いたりもしましたしね(2015年)。そういう部分もあったとは思います。
2022年12月6日、地方競馬通算1000勝達成
1000勝を達成した直後は"1500勝とか2000勝とかはまだ考えられない"と言っていましたが、今の調子なら1500勝は4年くらいで届くんじゃないか?と思ったりするけど。
今のリズムが続けばそれくらいで...でしょうけど、そう簡単にはいかないと思っています。これは何回も言っていることですが"シーズンを怪我せず乗り続ける事"が一番大事ですね。やっぱり怪我をして乗れない期間が長いと復帰してから取り戻すのが大変。その点では最近は怪我とかしないでリズム良く行けているかなと感じていますね。
自分は、これだけ活躍できるようになったのはやっぱり韓国に行ったのが良い影響になったと思う。あの経験で凄く逞しくなったんじゃないかなって。
僕の中でも大きいと思っています。最初のソウルの9カ月ですね。倉兼さん(倉兼育康騎手・高知)にアドバイスをいただいたりはしていたんですけども何も知らずに行って、あの頃はソウルに日本人は自分一人でしたし。そんな中で"自分はもっとやれる"と思っていたのに全然思い通りにいかなくて、最初は全然勝てなくて...。泣きましたからね自分。
泣いた?悔し泣き?
悔し泣きですね。1カ月か1カ月半くらい経った頃でしたね。凄く天気が良い日で、調教をしている馬の上で空を見ていたら涙がポロポロって。家族を置いてきて、調教師が止めるのも振り切ってまでここに来て、1日1つ2つ乗るくらいで勝てない。何しに来たんだろう...って。
でもその後くらいか、勝ち始めたら、今度は急に騎乗数も勝ち星も増え始めたよね。
そこから軌道に乗り始めましたね。今度は毎日乗り鞍が増える感じになって、そうすると逆に人気すぎるくらいになっちゃって。何でも人気になりましたからね。通訳の方と"なんでこんなに人気になっているの?"って驚いてましたから。
韓国・ソウル競馬場での高橋悠里騎手。韓国では通算31勝
自分もソウルに行って見ていたけど、声援が多かったものね。"タカハシ!タカハシ!"って。パドックに出てきたらそうやって声がかかるし。凄いなと思って。
韓国はやっぱり良い経験になりましたね。異国で一人暮らししながらレースに乗ったことでメンタルが鍛えられたと思うし、レースの頭数が多いからそれを捌くことも経験できましたしね。我ながら頑張ったと思いますよ(笑)。倉兼さんの助言もですし、通訳さんも支えてくれましたしね。
話を変えるけど、高橋悠里騎手くらいの世代、2005年デビューだけど、前後数年の同じくらいの世代の騎手が頑張っているのが今の岩手競馬にとっては心強いと感じます。
やっぱり岩手競馬が廃止になるかならないかの苦しい時期を一緒に耐えてきた人たちですからね。自分くらいの世代は最初の頃はあまりいい思いをしていなくて、自分も入って2年くらいで廃止するかどうかとかになってしまいましたから。そういう世代だから逞しいのかもしれませんね。
とはいうものの、そういう世代ももう30代半ばとかになっています。高橋騎手は、自分の今後のこととか考えたことはない?
一度考えてみたことはありますよ。でも、まだまだやれるなって。あと10年くらいは騎手をやっていきたいですね。今はレースに乗っていて楽しいですし、あと自分は身体のどこが痛いとか悪いとかが今のところ無いんですよね。頑丈な身体に生んでくれた母親に感謝ですね(笑)。
最近はコンスタントに100勝以上できているし、1000勝という区切りも達成して、この先さらに伸ばしていくのに何か"やりたいこと・やるべきこと"はありますか?
そうですね、もっと思い切ったレースができるのかな...と思ったりはしますね。最近は昔ほど思い切ったレースができていないような気がしたりします。ただ、今はリズムが良いですから、無理に変えなくてもいいのかな、とも。昔は馬のことを機械的に考えていたかもしれないですね。自分のやりたいような競馬を馬にさせていた、というか。今は馬の脚質とか性格とかを考えて乗っているから、その辺は昔と変わっていると思います。
こんな話をしていると楽しくて終わらないので、あと二つ聞かせてください。"思い出の馬"というと、やっぱり初重賞勝ち(岩鷲賞)をプレゼントしてくれたトーホウライデン?
ですね。初めての重賞というだけでなく、その頃の僕は成績が凄く落ち込んでいて、トーホウライデンで勝った2008年は確か18勝くらいしかしていないんですよね(実際には20勝)。岩手競馬も落ち込んでいた頃でしたし、もう騎手を辞めようかなとも思っていた時期だったんです。だからあの馬に"騎手を続けなさい"と言われたような気がするんですよね。ロマンチックな話かもしれませんけども、でもトーホウライデンがいなかったら今騎手をやっていたかどうか分からないですよ。あの馬のおかげです。
2008年岩鷲賞、トーホウライデンで重賞初制覇
もうひとつは、1000勝を達成して目標とか、改めて言いたいこととか何か挙がりますか?
自分が1000勝を達成できたのは馬主さんやいろいろな関係者の皆さんのおかげですけども、1000勝を達成させてくれた馬達にも感謝しています。1000勝分走ってくれて勝ってくれた馬達にですね。そして先輩・後輩の騎手、中でも一番は同期の山本聡哉騎手。山本聡哉騎手がいてくれて、引っ張ってくれたからここまで勝てたのかなと思います。デビューした頃は1000勝なんて全く考えていなかった数字ですからね。
同期の山本聡哉騎手(左)も自分のことのように喜んでいた
見ている方とすればもっともっと存在感を高めていって欲しいと思いますね。山本兄弟に割って入るくらいになってくれれば。
割り込んでいきたいですねえ。あの兄弟は強いですけども(笑)。自分とすれば一番はやはり怪我をせずシーズンを通して騎乗して、ひとつずつ積み重ねていくだけですね。記録とかはその後のことかなと思っています。
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