各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。
各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。
金沢のトップジョッキー吉原寛人騎手は今年も各地へ積極的に遠征を続け、地元はもちろん全国区で存在感を示しています。そして今年、JBCが行われる金沢競馬の広告塔として様々な場所で宣伝活動も行ってきました。JBC開催目前の心境を伺いました。
秋田:今年は他地区に遠征をしながら金沢リーディングにも立ち、SJTへの出場も果たしましたね。
吉原:去年は半年ほど南関東にいましたから、金沢リーディングが獲れなかったことは悔しかったですが、自分のしたいことをした1年だったので実りある年でした。今年はその経験をもとに、遠征しつつも地元金沢でリーディングに立ってSJTに出場できました。自分の立てた目標通りに結果が出ているのは良いですね。
秋田:青柳騎手がトップの時期もありましたが、意識はしていましたか?
吉原:していましたよ! 青柳君も一生懸命でしたし、今まで立ったことないリーディングだったので『吉原さんの気持ちがすごく分かります。追われる立場って大変ですね』と話していましたよ。他の人は経験したことのない感覚だと思うので、それを青柳君と共有できることは刺激になります。
秋田:全国の競馬場に積極的に遠征している吉原騎手。そのモチベーションはどこから湧いてくるのですか?
吉原:デビュー1年目の中央遠征で初騎乗初勝利して、その後オーストラリアやドバイにも行って......。新人ではあり得ない経験ですよね。ほとんどの騎手は地元の競馬場で育って成長していくと思うのですが、初めから中央や世界を見てきた自分にとって、競馬はもっと広いんだよという感覚があるんですよ。だから若い時から、どこでも乗れるジョッキーという意識が生まれていたんでしょうね。自分のやってきた経験が今の自分をそうさせているのだと思います。
アメイジアで念願の南関東重賞初制覇(4月17日、川崎・クラウンC)
秋田:でも、正直なところ遠征が続くと疲れませんか?
吉原:移動が本当に辛くて......(笑)。慣れが一番大切ですよね。慣れていれば、移動でどのくらいの体力を使ってこのレースに臨めるなとか計算ができるんですけど、初めての場所だと移動での疲労の度合いが分からないので本当に大変です。でもいろんな場所で経験してきたので、もう分かるようになりました。日々の体調管理もすごく大事に思っていて、新人の頃よりサプリメントを飲むようになったし、ジムで体を作るようになりましたね。そういう部分ではプロ意識は高くなったかなと思います。
秋田:今年は、金沢競馬の広告塔としてJBCのピーアールもたくさん行ってきましたよね。JBC開催がすぐそこまで迫っています!
吉原:ここにきて、こういう取材が急激に増えたんですよ! だから、本当にJBCが近いんだなって(笑)。JBCにはこれまで何回か乗せてもらいましたが、すごい歓声なんですよね。僕がデビューしてから、金沢にそんなにお客さんが入った記憶がないんです。だからそれを経験できるのかなと思うとすごく楽しみです。
秋田:金沢競馬場の魅力は?
吉原:とにかく、食べ物が美味しい! 魚が美味しい! あと、良い感じの田舎なので、金沢に来たことのない人は泊まりがけで遊びにきてほしいですね。
秋田:では、JBCが行われる金沢競馬のコースについて教えてください。まず、JBCクラシックが行われる2100mは?
吉原:バックストレッチの奥からのスタートなので、直線が長いんです。だから力があればどの馬も良い位置が取りやすい。まぎれがあまりなくて力は出やすいコースですね。
馬の脚質的には、好位差しが一番良いと思います。金沢は逃げ馬がペースを握れるコースではないんですよ。どこでもマクレる広い向正面もあって、逆に逃げ馬がしんどくなるので、それをマークして競馬ができるのが理想ですね。
秋田:JBCスプリントが行われる1400mは?
吉原:オープンクラスだと、意外と(最初の)直線が短く、すぐコーナーだと思います。だから枠順も影響しますね。内に先行馬が多ければ、外から行ききれない可能性が高いです。外を回されると厳しい位置になってしまいます。だから、1400mの場合は枠順から勝負が始まりますよ。
秋田:そうすると1500mのほうが競馬はしやすそうですね?
吉原:そうですね。(4コーナー)奥からのスタートで直線が長いからまだ挽回はきくかなと。でも、1500mでも逃げ切れてしまうコースだと思うので、意外と面白くなるのではないでしょうか。
サミットストーン(7月28日、金沢スプリントC)
秋田:地元金沢からは、吉原騎手が騎乗するサミットストーンが注目です。
吉原:金沢に移籍してから具合も良いですね。ゲートに課題がある馬ですが、スタートで尾持ちするようになってなんとか形にはなったと思います。なかなか他地区の馬との力関係がわからなかったんですが、イヌワシ賞で高知のグランシュヴァリエなどに勝つことができたのは良かったですね。
白山大賞典では金沢の大将格ということで掲示板を確保できたけれど、今回の着差が中央勢との力差なのかなと。調教師ともスプリントのほうがいいかなぁとは話していますが相談ですね。ただJBCに出るならしっかり作戦を練って見せ場を作りたいと思います!
秋田:では、最後にJBCに向けてメッセージをお願いします!
吉原:金沢競馬でJBCができるなんて思っていませんでしたが、やるからには関係者一同、盛り上げたいという熱い想いがあります! 当日は、競馬の魅力を感じて欲しいですし、観光も兼ねて金沢の良い場所を巡ってもらいたいですね。そして、ファンのみなさんと一緒に盛り上がりたいです!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
7月末現在、青柳正義騎手は金沢競馬のリーディング争いでトップを維持。8月に入ってリーディングの常連、吉原寛人騎手にその座をゆずってしまったが、その地位を取り返すべく、奮闘を続けている。
浅野:今年の金沢競馬場での勝ち星が、すでに昨年(53勝)を超えました。躍進の秘密はどこにあるのでしょう?
青柳:やっぱり福山競馬場に行ったことが勉強になりましたね。金沢とはコースの形が違いますし、なにより馬群が金沢より詰まりますし。金沢は最後の直線になればある程度バラけるんですが、福山だとそうはいかないんですよ。だから、少しでもロスを減らそうと考えました。具体的には、位置取りとコーナーの回り方ですね。
浅野:福山での成績は、88戦11勝でした。
青柳:金沢競馬場は強い馬が勝ちやすいコースだと思うんですよ。でも福山はそうではなくて、力が上でもひとつミスしたら勝つのが難しくなる感じがありました。あのきついカーブでインコースをピッタリとは、なかなか回れませんよ。でも渡辺(博文)さんとか、みんなうまく回ってくるんですよね。
浅野:そこでの経験が大きな糧になって、今年の快進撃につながっているのでしょうね。
青柳:金沢での乗り方も昨年までとは違っていると思います。自分でも3~4コーナーをキッチリ回ってくるようになったと感じています。あと、福山ではロスをなくすために、誰がどこにいるのかとか、周りをよく見るように心がけたんです。それを金沢でも実践していることも、去年とは違うところです。それから、例年は金沢競馬の開幕日が久々の実戦となるんですが、今年は冬の間も競馬をしていましたから『いつもより体が動くなあ』という感覚がありました(笑)。
浅野:それ以前の冬はどういう過ごし方をしていたのですか?
青柳:岡山県の栄進牧場久世育成センターに何年かお世話になりました。そこでは2歳馬の育成が主な仕事になるんですけれど、金沢ではなかなか乗れないようなすばらしい馬がたくさんいますから、それはそれで勉強になりました。岡山ではエーシンクールディにも乗ったことがありますよ。
浅野:でもやはり、育成の現場と競馬場とでは得るものが違ったということですか。
青柳:そうですね。福山に行ったのは、金沢の調教師さんに、福山に冬の間は馬と一緒に遠征に出るから手伝ってくれないかと言われたことがきっかけでした。でも、行ったことがないところだし、福山には(教養センターでの)同期もいないし、不安がありましたね。行ってみたら、まったく問題なかったんですが。
浅野:そして、金沢での快進撃。周りの評価などはどうですか?
青柳:リーディングになっているのはたった3カ月とか4カ月程度なんですけれど、馬主さんや調教師さんにいろいろと声をかけていただきますし、明らかに昨年とは違う感じがありますね。でも個人的には、まだまだだと思っていますよ。デビューしてからしばらくは成績もよくありませんでしたし、先輩騎手などからは騎乗についてアドバイスを受けたことがありますが、"コイツはライバルにはならないな"と思われていたからこそ、教えてもらえたんだと思いますし。
浅野:確かにリーディング10位以内に入ったのは、昨年が初めてです。
青柳:デビュー当初に現役だった渡辺壮さんは、僕なんかがマネなんてできるわけがない、というレベルでした。どうやったらあんなに楽に乗れるのかと......。それでも平瀬(城久)さんとか吉原(寛人)さんとか、参考にしてきましたね。ただ、自分が吉原さんの乗り方を真似しても、しょうがないと思うんですよ。体型も違いますし。自分としては、柔らかく乗れて、いい位置につけて差す競馬ができるという点をアピールしたいですね。現在の金沢競馬場は昔と違って、内をさばいても勝てる馬場になってきましたし。
浅野:ただ、吉原騎手が成績を伸ばしてきました(取材日の7月29日時点では青柳騎手が2勝差でリード)。
青柳:なんとか、スーパージョッキーズトライアルの出場権を獲得したいと思っているんですけれど......。
浅野:第1ステージは青柳騎手の出身地(千葉県印西市)近くの船橋競馬場です。
青柳:船橋競馬場は車の窓から眺めた記憶はあるんですが、行ったことはないかも。子供のころ、父によく連れて行ってもらっていたのは中山競馬場です。その中山競馬場で叔父が馬場を作る仕事をしていて、その人に騎手という仕事を勧められました。当時は体がすごく小さかったんですよね。で、その気になって、小学4年のときに「将来は騎手になる」とクラスメートに話していたくらいです。初めて馬に乗ったのは、教養センターでの試験のときなんですけれど(笑)。
浅野:となると、地元に凱旋しての騎乗、実現させたいですね。
青柳:そうですね。それに、この仕事をしている限りは、やっぱり一番になりたいですから。
浅野:ところで、青柳さんからいい香りが漂ってくるんですが。
青柳:一応、(調整ルームの)外に出るので、香水をつけておこうかなと思って。自分の部屋にもありますし、ルームの部屋にも置いてあります。僕らは慣れているから感じないんですが、競馬場以外の人からは馬の匂いがするとか言われることが多いので。
浅野:ということは、独身?
青柳:ハイ。前は合コンとかにも行っていましたが、最近はあまり......(苦笑)。
でも今は本業を一所懸命にするべき時なのでしょう。8月18日現在の成績は第2位ということでワイルドカード(9月10日・門別競馬場)からのスタートとなりましたが、そこを乗り越えてスーパージョッキーズトライアルの舞台に立つことができるのか、注目です。
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※インタビュー / 浅野靖典
白山大賞典JpnIIIでは中央の強豪を相手に2着と健闘したナムラダイキチ。金沢の王者として君臨する、そのナムラダイキチの主戦をつとめるのが、デビューして12年目を迎える畑中信司騎手です。今年のシーズン前には福山での期間限定騎乗でも結果を残し、金沢のトップジョッキーのひとりとして活躍中です。
大川:白山大賞典ではナムラダイキチで2着。
畑中:くやしいですねえ。もうちょっとがんばれるかな、とは思っとったんですけどね。周囲の期待は感じていましたね。レース中も、1周目スタンド前でスゴい声援があったんで、うれしかったです。道中、ボクがイメージしていたのよりペースが落ち着いたんで、向正面ぐらいで、『あ、これは3コーナーまでガマンすると、逃げてるエーシンモアオバーが残っちゃうな』と思ったんですよ。ニホンピロアワーズの手応えはハンパなかったんでね。『あ、ちょっとこれにはかなわんな』とは思ったんですが、エーシンモアオバーはかわしたいなって。
大川:ペース上がらず、よくなかった?
畑中:ああ、そうですね。2コーナーの立ち上がりのところで、一度ひかえてから外に出す感じになっちゃったんですよね。もうちょっとペースが上がっとったら、ひかえて出すっていうより、流して出せたんですけどね。できるものなら、もうちょっとスムーズに、サーっと出していけたらよかったですね。
大川:残り800を切る前に動きました。
畑中:ペースが遅いなと思ったのもあったし、外に出したときにダイキチがいい感じにちょっとハミとっちゃったんで、無理矢理おさえるよりも、このまま流してったほうがいいかなと思って。交わせるなら交わしちゃったほうがよかったんですけど、内の手応え見たら、もう絶対かわせないなと思って(笑)。それほどニホンピロアワーズの手応えは、良さそうでしたね、横で見とって。3コーナー過ぎまで行ってから、一瞬ビュッて離されたじゃないですか。離されて、直線入ってからちょっとフワフワしたんですよ、ニホンピロアワーズが。その時にもう1回、交わせるかなって思って(笑)、がんばってみたんですけど、でも追いつかなかったですね。
イヌワシ賞(2012年9月4日)勝利時のナムラダイキチ(撮影:石川県競馬事業局)
大川:ナムラダイキチはよくやったという声も大きいですが?
畑中:ゴールしてからも、上がってきたら、「ようがんばった!」って、ファンの方から。負けたのにねえ、大きな声援を(笑)。2着でようがんばったって拍手もらったり、声援をあびるのは初めてですね。また来年はいいとこ見せられるように、交流重賞でがんばるので、応援よろしくお願いします。ボクも、『ナムラダイキチさん、ホント、ありがとうございました』って感じです(笑)。
大川:その後のナムラダイキチは?
畑中:涼しくなったせいか、またより一層元気になっちゃいましたね(笑)。白山大賞典でけっこうダメージ食らうかなと思ってたら、逆に元気になった(笑)。若さなんやろなあと思いますけどね。回復力がハンパねえな、って。タフですわ、ホントあの馬。
大川:ナムラダイキチは、これまでに出会った馬のなかで...。
畑中:一番ですね、やっぱ。レースに関しても無駄な動きをしないですね。遅くなったら遅くなったペースで走れるし、速くなったら速くなったペースでも走れるし。無駄に、こう、ガーって引っかかったりとかしないんですね。で、行くときはちゃんと行ってくれるし。一完歩がでかいですね。それもいいところだし、頭もいいし。競馬に行っても頭がいいですね。教えられることばっかりですね。
大川:出会ったことについて。
畑中:ホント感謝してますよね。ダイキチさまのおかげで、ボクもこうやってインタビューを受けさせてもらったりとか、みんな注目してくれたりとか。結局、乗り役なんて見られてナンボの商売ですからねえ。ホントありがたいです。
大川:騎手になったキッカケは?
畑中:中学校のときに、アレを見に行ったんです、阪神大賞典。96年の、ナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ち。ナマで見て、うわ、めっちゃカッコええやん、って。競馬ナマ観戦は、そんとき初めてだったんですよ。テレビでしか見たことなかったのが、初めてのナマで、あの一騎打ちを見てしまって。乗り役になりたいなと。母に騎手になりたいって言ったのは、中学校の進路相談の三者面談のときにね。先生に「畑中くん、何にするの?」って聞かれて、「ボク騎手になります」って言ったら、「はぁ!?」って(笑)。お母さんも初耳、先生も初耳(笑)。結局、ダメだって言われて高校に進学したんですけど。高校3年生のまた進路相談のときですわ、先生に「どうするんや」って聞かれて、「進学します」って言って、「進学ってお前、学力ないのに進学できんぞ」「いや騎手になりたいんで、その学校に」って言ったら、その先生も、「そんなんなりたかったんや」っていうふうで、けっこう動いてくれたんです。一度、中央の試験受けて、不合格で。で、近くの貝塚市にある牧場、春木競馬で厩務員やってた方の牧場かな、そこで「お願いします」って言うたら、「そんなら知ってるやつが金沢で調教師やってるから、そこで面倒見てもらえや」みたいな。そこで(現在の師匠である)寺田茂先生を紹介してもらいました。
大川:ナムラダイキチとコンビを組んでもうすぐ1年、冬季の期間限定騎乗でも結果をだしました(騎乗期間終了時点で福山リーディング1位)。
畑中:福山では、そんなに勝てると思ってなかったんですけど、行く前に寺田先生にも気合い入れられて。春木におった厩務員さんとかが福山で働いてるとか、けっこうおるらしいんですわ。「お前、オレの勝負服着て行くんやから恥をかかすなよ」って。ボク、先生の勝負服デザイン、もらったんですよ。乗り役として、コレはみんなよりうまいんちゃうかなあと思うワザをみがかないといけないな、と思うんですけどね。逃げるのは、あんま好きじゃないんですけど、周りのひとから見ると、『逃げたら残るじゃんアイツ』、みたいに見られることが多いんですよ。でも、ボクとしては、逃げ方が上手くなったのは、福山での騎乗が大きいですね。アレはホント勉強になりましたよ。ホント、今年は上手な逃げ方を覚えさせてもらったなあ、あの競馬場では。ダイキチに乗るようになって、乗り役として、自信が持てるようになりましたね。他のレースでも、落ち着いて周りが見えるようになりました。余裕、ゆとりがあるから、『ああ、前にコレとコレとコレがおって、ああ、コレとコッチは下がるし、コレの後ろではアカンし』みたいな。以前よりそういうものを、敏感に感じるようになりましたね。気持ちにゆとりができたんでしょうね。他の馬に乗っても、その馬の力のある程度の容量なんかを、敏感に感じるようになりましたね。もう今年は、ダイキチでも福山でもスゴい勉強させてもらいましたね。ホント、充実した1年でした(笑)。
大川:まだ今年、終わってませんが(笑)。最後に金沢を代表する騎手としてひと言。
畑中:ボク自身、知名度が上がるような活躍して、金沢競馬のために宣伝でもなんでもして、普段は競馬しないひとでも、「あんなイケメンジョッキーが乗ってるなら行ってみようか」って思ってもらえるならうれしいですね(笑)。
大川:金沢競馬のイケメンは誰ですか?...畑中騎手以外で。
畑中:ボクをのぞくとですか? ドングリの背比べですね(笑)。
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※インタビュー / 耳目社・大川充夫
いよいよ3月11日(日)に、今シーズンが幕を開ける金沢競馬場。開幕に合わせて、金沢リーディング常連の、吉田晃浩騎手にスポットを当てました。
赤見:まず騎手になるきっかけから教えていただけますか?
吉田「僕の場合は、中学を卒業して、北海道の静内にある育成技術者の養成学校に入ったのがきっかけです」
赤見:なんでその学校に入ったんですか?吉田騎手の生まれは神奈川県ですよね?
吉田「そう、神奈川です。実は小学校6年生の時に、北海道の過疎化が進んでる町に山村留学に行ったんですよ。僕の親がそういうのがあるって聞いてきて、面白そうだから行ってみようと思って
一年間、町の寮みたいなところに住んだんですけど、その時に馬に乗せてもらえる機会があったんです」
赤見:小学生で一年も親元を離れるなんて、すごい経験ですね。
吉田「う~ん、あんまり深く考えてなかったというか(笑)。勢いで行く行くって感じでしたけど、実際いろいろ体験出来て楽しかったですね」
赤見:その時の体験で、馬の仕事をしたいと?
吉田「いや(笑)、すぐには思わなかったです。
中学生になって地元に帰ったんですけど、学校があんまり面白くないというか、勉強がしたくなくて...。馬の仕事したいって言ったのは、実は勉強をサボる口実だったんです(笑)」
赤見:正直ですね(笑)。それで中学を卒業して、静内で育成の養成学校へ?
吉田「そうです。そこの装蹄師さんから、背が小さいから騎手になってみないか?って言われて、現在の所属調教師(佐藤茂先生)を紹介してもらったんです。騎手っていう職業自体あんまりよくわかってなかったんですけど、面白そうだなと思って挑戦しました」
赤見:地方競馬教養センターの生活はどうでした?
吉田「キツかったです!!静内の時がゆる~い感じだったんで、センターでの自由のない生活は本当に辛かったです。僕は短期生で半年間だったんですけど、けっこうイヤでしたね(笑)」
赤見:よくわかります!辞めようとは思わなかったですか?
吉田「辞めても後がないっていうか、することがなかったので耐えました。
センターを受験する時から佐藤先生にいろいろお世話になったので、辞めるわけにはいかなかったっていうのも大きかったですね」
赤見:佐藤先生は、もともとは上山所属でしたね。
吉田「そうです。廃止になってしまったけど、上山はすごく楽しかったですね。 僕は初騎乗初勝利をさせてもらったし、いろいろな思い出があります」
赤見:2003年の廃止は、とても残念でしたね。
吉田「本当に残念です。あの頃はまだ若くて、よくわかってなかったというか、あまり実感がなかったんですけど。浦和に移籍出来ることが決まったし、新しい場所でまた頑張ろうと、前向きな気持ちでした。
でも実際、浦和に移籍してみて、甘くないなと痛感したんです。
「あ、乗り馬いねー...」って思いました(苦笑)。
今まで乗れたのは、佐藤先生がいてくれたお陰だったんだって、初めて気付きました。感謝の気持ちというか、有難みというか...失ってみて、初めて気付いたんです。
浦和で2年やったけど全然お金にならないし、ちょうど落馬して怪我をしたんで、もう辞めちゃおうって免許を返上しました」
赤見:その後はどうしていたんですか?
吉田「その頃父親が定年間近で、母親だけ先に北海道に移住していたんですよ。うちは行動力だけはある家系なんです(笑)。
それで僕も北海道に行って、ふらふらしてました」
赤見:ふらふらとは?
吉田「まぁ、フリーターですね。色んなバイトしましたよ。引越し屋さん、コンビニ、居酒屋、パチンコ屋...あと、漁師になる!って言って、和歌山まで体験しに行ったこともありましたね。どれも続かなかったけど」
赤見:フリーター生活から、競馬の世界にもどったきっかけは何だったんですか?
吉田「佐藤先生は金沢に移籍してたんですけど、ある日突然電話をくれたんですよ。「お前、今何やってんの?騎手やる気はないのか?」って。
それで、戻れるならもう一度挑戦してみたいと思ったんです」
赤見:金沢の内規では、再度騎手免許を取得するためには一年間の厩務員経験が必要だったんですよね?
吉田「はい。その一年は、全然苦じゃなかったですよ。改めて、自分は馬が好きだったんだなと感じました。騎手とは違う側面から競馬に携わってみて、面白かったし勉強になりました」
赤見:一見遠回りしたように見えますが、得るものも大きかったんですね。
吉田「本当にそうですね。再デビューした時は、「今度こそ絶対に乗り役で食べて行くぞ!」って思って、前よりもずっと真剣に仕事に取り組むようになりました。
前は甘く考えていたところもあったし、せっかく恵まれた環境があったのに、その有難みもわかってなかった。
今は調教でもレースでも、ひとつひとつ真面目に向き合うようにしています」
赤見:その甲斐あって、現在は4年連続吉原寛人騎手に続くリーディング第2位ですね!
吉田「もう本当に佐藤先生のお陰ですよ。再デビューしてからずっと乗せ続けてくれたので、他の厩舎の方々にも、少しずつ認めてもらえるようになりました。
今の僕があるのは、佐藤先生をはじめ周りのみなさんのお陰です。あの時電話をもらわなかったら、多分今もフリーターをやっていたと思いますから。本当に救われました。」
赤見:では、現在の目標を教えて下さい。やはり、打倒・吉原寛人!ですか?
吉田「もちろん、それもあります。ここのところ、ずっと2位という成績ですから、上は目指しています。
でも一番は、今を一生懸命生きるってことですかね。あんまり数字とか先のこととか考えてないです。今すごく楽しいし、怪我をしないでこのままずっと騎手を続けていたいなって思ってます」
赤見:いよいよ今シーズン開幕です。ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
吉田「やっぱり、競馬場に見に来て欲しいですね。僕たちは、精一杯面白いレースを作れるよう努力します。金沢みんなで一丸となって、今年も頑張ります。ぜひ、生でレースを見て下さい!!」
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※インタビュー / 赤見千尋
2001年のデビュー年に、いきなり95勝を挙げて金沢リーディング3位に食い込んだのが吉原寛人騎手。2005年に初めてリーディングを獲得してからは、それが不動の位置。今年も2位以下に大差をつけて独走中だ。吉原騎手の今後には、大きな可能性が詰まっている。
吉原騎手は昨年の白山大賞典で、地元代表のジャングルスマイルを2着に導いた。
スタンドからの応援の声がすごかったですね。レース中でもよく聞こえました。ジャングルスマイルは3歳の秋に金沢に来た馬なんですが、最初は気が悪くて大変だったんですよ。
当初は馬場入りすらできないくらいだったんですが、担当の厩務員さんが一所懸命に調教して、なんとか馬場を回れるまでになったところで試しにレースに出してみたら、意外と走ったんです。そこから連勝が続いて4歳になりましたが、金沢の夏は湿度があって、馬にとっては厳しいんですよ。昨年はそのあたりを考慮しながら白山大賞典を狙っていったんです。でも正直なところ、自分としては半信半疑というところはありました。
夏は暑く、冬は寒い北陸地方。金沢競馬は年明けから春先まで休催期間がある。
ここは北海道と違って、騎手は冬の間、何もすることがないんですよ。そんな状況なんですが、僕は1年目の冬に名古屋に行かせてもらえて、2年目と3年目は笠松で騎乗しました。冬場を利用していろいろなところに行けるのは金沢の利点ですね。
そして4年目の冬からは、3年連続で海外遠征を敢行した。
このきっかけは、トゥインチアズで京都のもみじステークスを勝ったこと。そのおかげでJRAの森秀行調教師に目をかけていただいて、いろいろ話をしているうちにオーストラリアに行ってみるかということになったんです。いやあ本当に、一気に視野が広くなりましたね。行く競馬場は毎日違うし、馬場も相手関係もわからないし、まさに一発勝負の連続。レースもいい意味でアバウトに考えられるようになりました。また、海外での生活で、ハングリーさ、貪欲さが出てきたという気がします。
2006年3月25日には、ドバイゴールデンシャヒーンでアグネスジェダイに騎乗するという経験も得た。
金沢の騎手がドバイで乗ったんですからね。すごい経験ですよ。そんな経験が自信になって、それからはドンと構えて乗れるようになりました。海外に行っていちばん変わったのは、メンタル面が強くなったというところでしょうね。
2010年度から条件が緩和された南関東での期間限定騎乗制度にも手を挙げ、2011年1月から3月まで川崎所属で騎乗した。
行く前は、南関東ではほとんど騎乗できないのではと思っていたんですよ。北海道や岩手からもトップジョッキーがやってきて、激戦に輪をかけるみたいな感じでしたから。それでもいざ行ってみたら毎日が競馬漬けになって、夜ごはんを食べたらバタッと倒れるみたいな、そんな日々が続きました。夜、遊びに行ったのは1回だけかな......。でもその毎日がすごく楽しかったんですよ。どうすればもっとうまく乗れるのか、そればかり考えていましたね。惜しかったレースのあとに映像を何回も見直して「どうにかならなかったのか」と研究したりして。2カ月の限定期間が終わったときには、本当に名残惜しかったです。
しかしそうやって向上心が刺激されると、金沢では物足りなくなるかもしれない。
確かに舞台は大きいほうがいいですよね。ただ、こっちはこっちでいい馬に乗れますし、楽しみももちろんあります。今の金沢競馬場はとても難しくて、日によって馬場の傾向がすごく変わるんです。開催日にも調教に乗りますが、実際のレースになるとまた違うんですよね。カラカラに乾いていても前が止まらないとか。だから逆に、馬券を買う人も難しいんだろうなと思います。
騎手の立場で気がつく傾向といえば、外枠のほうが競馬をしやすいことですね。それと金沢で逃げ切るには、力量差がないと難しいということ。逃げ馬には厳しい競馬場だと思います。だから僕もなるべく好位を取る騎乗をしています。そして全体の流れを読んで、仕掛けどころを判断して。そういったことが体でわかってきたのは、ここ2~3年ですね。それまでは実のところ、何でこんなに勝てるのか、という感覚が心の中にありました。
金沢で5年連続リーディング。8月も大井競馬の重賞に騎乗するなど、開催期間中でも他地区からのラブコールは多い。
いろんな経験をさせてもらっていますが、もっと名前を売っていきたいですね。今年の大きな目標は白山大賞典。ジャングルスマイルは昨年よりさらに実が入りました。7月にはこの馬向きと思えない1400m戦でレコード勝ちしましたが、それも出るべくして出たという感じです。今まで乗った金沢の馬では、乗り味が別格。奥行きがすごくある馬なので、乗っていてときどき「これでいいのかな?」と判断に迷うことがあるくらいなんです。
となれば、2011年の白山大賞典はかなり楽しみ。そして吉原騎手自身も実りの秋にしたいところだ。
そうですよね。白山大賞典とスーパージョッキーズトライアル。ポイント制のレースって、どうもクジ運が悪いというか、なぜかイマイチなんですよね。でも今年はワールドスーパージョッキーズシリーズへの代表権を勝ち取って、そして本番でも勝ちたいと、強く思っているんです。大舞台を踏むことももちろんですが、その先にあるものがとても大きいと思いますから。
未来への希望、大舞台への夢は尽きないが、その一方で「現時点では、今できることに最善を尽くすことがベストと思っているんです。厩舎の皆さんもみんな一所懸命に仕事していますから、その人たちの頑張りにも応えないと」とも語る。その想いと行動は、きっと神様も見てくれているはず。吉原騎手が大きく飛翔するのは、遠い未来のことではないはずだ。
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吉原寛人(よしはらひろと)
1983年10月26日生まれ さそり座 O型
滋賀県出身 宗綱泰彦厩舎
初騎乗/ 2001年4月7日
地方通算成績/ 6,454戦1,294勝
重賞勝ち鞍/百万石賞2回、北日本新聞杯、
スプリングカップ2回、兼六園ジュニアカップ2回、
イヌワシ賞、オータムスプリントカップ、ゴール ド
争覇(名古屋)、オータムカップ(笠松)など 15勝
服色/胴赤・黒縦縞、そで青
※ 2011年8月17日現在
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(オッズパーククラブ Vol.23 (2011年10月~12月)より転載)