2020年12月19日第2レースで、通算2,500勝を達成した服部義幸調教師(74)。開業36年目の偉業達成で、ばんえい競馬調教師の最多勝記録を更新中です。名伯楽は場内にある『ふれあい動物園』の園長など、ばんえい競馬の発展のために尽くしています。
2,500勝、おめでとうございます。インタビューでは、奥様と厩務員への感謝を述べられていました。
......嫁はともかく(笑)、厩務員がいないと競馬は成り立たない。馬がいても厩務員がいないとだめ。逆もしかりだけど。馬と厩務員の存在は、厩舎経営についてまわるから。お陰さまで今は9人の厩務員がいる。馬主もだし人には恵まれて、競馬させてもらっている。
出身は道東の弟子屈町ですね。
父が家畜商でした。会社員でしたが27歳でばんえいの世界に入り、9年騎手を経験した後39歳で調教師になりました。
それから36年。インタビューでは「大変なことばかりだった」とおっしゃられていました。
若いうちは、いい馬は来ないし、良くなってきても転厩してしまい、癖馬ばかりが回ってくる。そんなことが何年も続いた。そこで一大決心をした。自分で馬主さんを見つけ、何万キロも走って自分で馬を見つける。そして育てる。そうしたら、馬主さんの馬が1頭から2頭、と増えてきた。
馬主さんとは「長い付き合いをしよう」と決めたこともあって、今では「馬をやめるまでは先生のところに預ける」と言ってくれる人もいる。コロナ禍で馬を見に来ることのできない馬主さんは「あんたがいいっていうならいいでしょう」と。馬主さんに、赤字を出さないことが一番大事だと思っています。
家族にも大変な思いをさせた。調教師になって4、5年経って「一番になるぞ!」って嫁に誓ったことがある。一生大変な思いをさせないぞ、って。振り返れば「ようし、やってやる」って気持ちがあれば、できるな、って思う。
大変なことというのは、2006年度の廃止の危機のことなのかと思いました。当時は調騎会会長として奔走されましたね。
あのときのことは、口に表せなかった。大変な思いをした。当時の砂川敏文帯広市長の言葉に、車を止めて泣いたこともある。日本中の人が応援してくれて、その気持ちを裏切ってはいけないと思った。
14年経って、馬券の売り上げがいいのは嬉しい。しかし危惧しているのは、馬券の売上がいつ落ちるのか。全国のファンなど、世話になった人たちのおかげでばんえいが続いていることを忘れてはいけないね。
服部先生だからこそ存続できたのだと思います。ふれあい動物園やエキサイティングゾーンも先生のアイディアですね。
ふれあい動物園は、子どもが来てくれる場所で十分。欲でやるところではないんだ。
ふれあい動物園といえば、先日PR馬のキングが11歳という若さで亡くなりました。
少しでも元気な姿でいてほしかったけれど、病(蹄葉炎)には勝てなかったな。言うことをよく聞く、めんこい馬だった。牧場で休養させることも考えたのだが、この場所で親しまれていたのだから。本州からもたくさん手紙や花をいただいた。俺らよりも、ファンのキングに対する思いはもっとすごいな。
(今のPR馬)フクスケにその分頑張ってほしい。静かな性格だし、ふれあい動物園向き。体も大きくないから、長生きしてくれると思う。キングは大きかったからね。
キングの馬ソリを引く服部調教師
十勝管内の牧場で余生を送る、初代PR馬のリッキーは元気ですか。
元気だよ。たまに会っている。少しでも長生きしてくれれば。
インタビューでは、馬に教えられた、という話をしていました。
こんな気性の馬はこう、緩慢な馬はこう、と、何百頭もやっているうちに教えられた。馬の付き合い方を一頭一頭合わせて向き合えるようにしている。馬には感謝しないと。
思い出の馬、というとやはり2015年にばんえい記念を制したキタノタイショウでしょうか。
勝った馬だから、というわけではないのだけど。キタノタイショウに初めて出会ったときのことは忘れられない。1歳の春、朝に豊頃町の牧場で見て「大きくないけれどいい馬だな」と思った。それから陸別まで馬を見て回って(帯広-陸別は100キロ弱)、それでもこの馬のことが気になって、その日のうちに牧場に戻ってもう一度馬に会った。
ばんえい記念をはじめ重賞12勝を挙げたキタノタイショウ
どのようなタイプの馬が好きですか。ばん馬のほか、ふれあい動物園の馬も含めて教えてください。
一生懸命引っ張っている馬。体重は大きくなくても、体に幅があり、脚は長くなく胸囲がある。
動物園は、人に優しい馬がいい。(競馬場で生まれた)ロックは乗馬調教を終えて、そろそろ乗っていい、ってお墨付きかな(乗馬体験は休止中)。
引退後のばん馬を馬車用にほしいという話もよく聞きます。馬車がうんと増えたら、引退した馬も新しい余生を送れる。
調教など、馬と接する中で大事にしていることはありますか。
「これ以上無理だな」という限界以上にやらせない。おかしな方に行くから。馬が「うれしいよ、楽しいよ」と引っ張っている方がいい。「やだよ、やだよ」という時にやると、取り返しがつかないことになる。
先生、今でもケーキがお好きですか?
甘いものはなんでも好き。ケーキは1ホール食べちゃうし、夜中でも起きて食べちゃう(笑)。その代わり、酒は飲めないんだ。
オッズパーク会員に一言お願いします。
いつも応援ありがとうございます。競馬場が楽しいと思ってもらえるよう頑張ります。コロナも早く落ち着いて、ふれあい動物園に人が来られるようになったら、入場者も増えてくるかな。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香・小久保巌義)
調教師生活27年目の小林勝二調教師が、9月27日にシンエイジョッパリが勝利し、通算1,000勝を達成しました。馬にも人にも優しく、真摯な仕事ぶりが光る先生です。
ばんえいの世界に入ることになったきっかけを教えてください。
(北海道上川郡)下川町出身で父は馬を飼っていました。自動車整備の仕事をしていたけれど、同級生の田上忠夫調教師に誘われて、20歳の時に競馬場に来ました。田上調教師とはお互いの父同士も馬産振興会のつながりがあったんです。
1,000勝表彰式では、調教師会会長の田上調教師から花束
それから厩務員を3年やって、騎手試験には2年目で受かりました(1982年デビュー)。当時は40人ほど騎手がいて、現調教師の金山(明彦)さん、山田(勇作)さんなどが活躍。乗れなくてね。それでも12年やったかな。1994年、調教師になりました。
馬の特性を生かせられる調教方法を考えています。障害が悪くても、降りて歩ける馬だっている。とはいえ、この世界は正解がないから手探りですね。やればいいわけでも、やらなくていいわけでもないから。だから面白い。
思い出の馬について教えてください。まずは重賞勝ちの3頭について。
初重賞制覇となったニシキタカラ(2004年ばんえい菊花賞)は、重賞でも3着と惜しいレースが続いていた。この時はチャンスが巡ってきた気がする。でもレースの日は、二人三脚でやっていた妻がちょうど実家に帰ってていなくてなぁ。電話したよ。真面目な馬だった。
04年ばんえい菊花賞を制したニシキタカラ(写真:ばんえい十勝)
その菊花賞で8着だったのがニシキダイジン。開催が終わると、地元に帰って下川町の家で預かって、調教をつけていたんだ。デビュー前からやっていた。ダイジンは2歳の時から実力があったな。頭角表したのは夏からで、だんだん強くなっていった。2006年のポプラ賞を制し、3月までうちの厩舎にいました。流れに対応できるのが強み。自分でレース作れるからね。力はあったけれどばんえい記念を勝つまでは考えていなかったな。
2006年の明け3歳重賞、ホクレン賞を勝ったニシキセンプーはやんちゃだったなぁ。軽馬場が得意だった。
06年ポプラ賞を制したニシキダイジン
そのほかでは。
アグリミズキ(2009年カーネーションカップ4着)だね。いいところまで行ったが、喉に病気があって、繁殖牝馬にするために手術をしなくてはいけなくなり、競走馬人生を終わらせてしまって、かわいそうなことをした。今でも喉に穴が空いているんだ。
アグリミズキは子どもも3頭デビューしていますね。さて、先生といえば2012年にばんえいを舞台にしたNHKドラマ「大地のファンファーレ」でも協力されていました。
主役の馬、「トヨノコトブキ」を演じたハマクリシンザンを貸したんだよ。今は建て替えたけど、昔の厩舎もね。夜の撮影があって、長引いて午後11時を回ったこともあったんだ。俺の部屋も使っていたから家に入れなくてなぁ。調教師役の杉本哲太さんが入っていたんだよ。寒くて、外で薪をくべて暖まっていた。主役で騎手の高良健吾さんが、うちの柴犬とよく戯れていたなぁ。
気を付けていることを教えてください。
健康管理だね。馬は腹痛や熱発が多いから、馬は一通り、何回も見て回る。ちょっとしたしぐさを見逃さないようにする。
現役馬について教えてください。
右目だけ、黒目の周りが白い輪眼のシンエイシルビアは、昔からやんちゃだったな。青毛登録だけど、白い差し毛が多いから、芦毛じゃないかって一度確認してもらったことがあるんだよ。やっぱり青毛だった。
ペーパンヨシヒメは小さいが、体以上の仕事ができる馬。勝負は人一倍、馬一倍やる気まんまんだね。気持ちが表に出せるような調教をしている。
シンエイジョッパリのじょっぱりは「頑固者」という津軽弁で、名前通り。右引っ張ったって右に行く馬ではないんだ。でも今後期待している。
通算1,000勝を達成したシンエイジョッパリ(写真:ばんえい十勝)
厩舎には女性厩務員さんが2人いますね。
女性厩務員も増えてきているね。馬に対する手触りが良く、優しい。それもあって馬主さんは牝馬をよく預けてくれる。馬になめられることもあるけどね。女性もできる仕事と思うから。
表彰式では、娘さんがサプライズで来ていましたね。
道内で教員をしているんだ。息子もドイツで教育学を学んでいるらしいよ。
下川町出身とのことですが、下川といえばスキージャンプですね。趣味は何ですか。
スキーに乗ったりはしていたけどね。それよりモータースポーツが好き。バイクが好きで、山道をオフロードバイクで泥だらけになって、モトクロスとかね。今は忙しくて、乗る機会もなくなってしまったから、雑誌を見たりしているよ。
では、オッズパークの会員の方に一言お願いいたします。
今年はコロナで、まいっちゃったね。不要不急の外出を避けるから、「ちょっと見に行くか」って馬を見に行けない。
売り上げは伸びているよね。今は客が入っているし、やる気が出る。新聞で売り上げを見るのが毎日の楽しみになった。この調子で伸びるようになればいいな。
今年のばんえい記念も無観客で、ファンがとかちむらで見ていたと聞いたんだ。申し訳ないな。かわいそうだった。
この状況では仕方がないですが、末永くばんえいを応援してください。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
デビュー10年目を迎えた島津新騎手が、今年大ブレイク。ミノルシャープで重賞3連勝(北斗賞、旭川記念、ばんえいグランプリ)、3歳馬のコマサンダイヤとゴールドハンターで1つずつと今シーズン9レース行われた重賞ですでに5勝しています。
すばらしい活躍ぶりですね。周りの反応はいかがですか。
周りに冷やかされています。「おかしいな」って(笑)。いい馬に乗せてもらっていますから。
7月から観客が入場できるようになり、「おめでとう」の声はうれしかったです。
有観客になってからのインタビューも島津騎手ばかりですね。それぞれの馬について振り返ります。まずはミノルシャープ。昨年秋の北見記念の前から乗り替わり、騎乗してほぼ1年です。
馬の良さは降りてからのふんばりと、伸び。馬も強くなっているが、重賞を何回か使って古馬のゆったりしたペースに慣れたのはある。若い時は2障害まで着くのも速いですからね。経験とペースです。性格はやる気満々。負けん気が強いんです。
特にばんえいグランプリは、自信が表れたレースでしたね。障害手前で横を向いていたのが気になりましたが。
思った通りのレース運びができました。これまでは「勝てるかな」と思っていたのが「勝つんだ」という気持ちで乗りました。コウシュハウンカイと並んでも、切れで勝負できると思いました。障害手前で、左向いて休む癖があるんです。前向くと行くサイン。
ばんえいグランプリを制したミノルシャープ
3歳路線一冠目のばんえい大賞典を勝ったコマサンダイヤは。藤野俊一騎手が騎乗停止で乗り変わりの勝利となりました。
イレネー記念を藤野さんが勝った時、インタビューで「(今後は)島津君に返します」と言っていたが返してくれなかった(笑)。やっと返してくれました。
レースは「この馬が一番強い」と思って騎乗しました。天板で苦労した分、馬に負担をかけて申し訳なかったが、頑張ってくれた。最近は、前に行きたい気持ちが出てきている。障害が上手ですね。
ばんえい大賞典を制したコマサンダイヤ
コマサンダイヤが回避し、騎乗した3・4歳重賞はまなす賞のゴールドハンターは、末を生かすこの馬の勝ちパターンに持ち込んだように思います。若いころは逸走もして、騎手にとって大変なイメージがありますが...。
積極的に勝ちに行ったレースでした。ご存知の通り若い時はやんちゃでしたが、厩舎が仕上げてくれて以前よりは落ち着きが出てきた。いつも120%の力で走ってくれるのがいいところです。まだやんちゃな部分はあるので、1障害まではそりに座っています。
はまなす賞を制したゴールドハンター
若い馬など、たまに騎手がそりに座ることがありますよね。なぜでしょうか。
横に逃げる馬は、手綱でお尻から挟むようにして制御します。力も入りやすい。
4歳馬は、銀河賞でコマサンブラックに騎乗しますね。
3歳になって力をつけてきた。あと重賞でどれだけ頑張れるか。
期待の2歳馬は。
アバシリサクラはまだ障害に課題があるかな。これからですね。
ミススマイルはまだ850キロくらいしかないが、切れ味があるから面白いよ。
ここ最近は、思い切りのいいレースが多いですね。
一瞬の判断ですね。インビクタ(牡4)に乗ってから思い切ったレースができるようになったのかも。道をひらいてくれた馬です。
10年経ち、自分自身の変化は感じますか。2011年度は日本プロスポーツ大賞新人賞、NARグランプリ優秀新人騎手賞受賞を受賞し、その後も70勝前後の勝利数は挙げていますが、昨年度まで重賞勝ちは2勝のみ(2011年クインカップ・キタノサクラヒメ、2014年帯広記念・ホリセンショウ)で、ちょっとさみしいように感じていました。
最近は勝ちに焦らなくなったかな。確かに、以前はもう少し勝ちたいなと思っていたが、我慢していればそのうち、と。この時代があるからの今だと思う。
藤野騎手からの乗り変わりも多いですが、同じ道南の出身でデビュー当時から憧れの騎手でしたね。勝負服も似ています。
はい、藤野さんと鈴木恵介さんのレースはいつも見ています。ゴール前や障害を見て、何か盗もうとしています。よく調整ルームでビデオを見ています。
ではオッズパークのファンに向けて一言お願いします。
長澤幸太騎手の舞(そりの上で舞うように馬を追う)を見てください(笑)。というのは冗談として、今はコロナ禍ですから、競馬場に来て迫力を見てとも言いにくいし、難しいですね。中継映像やインターネットで熱いレースを感じてほしいです。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
7月13日第12レースでアオノゴッドに騎乗して優勝し、通算1,500勝を達成した西謙一騎手。昨シーズンはばんえいリーディング3位と毎年上位に名を連ね、騎乗数はトップ。馬主など関係者の信頼を集めています。騎手会長としても3年目を迎えました。
おめでとうございます。1,000勝のときに9年9カ月で達成は年間100勝以上の計算という話をしましたが、14年目で1,500勝です。以前より乗り方が変わったと思うことはありますか。
以前よりは考えて乗れるようになったかな。馬に負担をかけないように、障害に行くまで、どれだけ馬にとって楽ができるかを考える。
最近の騎乗馬について教えて下さい。まずは古馬から。今年のヒロインズカップを勝ったアフロディーテはいかがでしょう。同期にはミスタカシマという強敵がおり、2着が続く中、先着も増えてきました。
2歳から乗ってきて、ヒロインズを狙って獲れたから、これは思い出に残るレースだったね。軽ハンディもあったし、1月頃から調子が良かった。昨年は夏は暑くて苦労したが、今年は順調だね。線の細い馬なので調教も無理できないから、少しずつ成長している。性格? おとなしくはないね。ミスタカシマという強い馬がいるのは仕方がないことだから。
ヒロインズカップ(2020年2月9日)を制したアフロディーテ
古馬戦線で活躍中のメジロゴーリキ(2019年チャンピオンカップなど)は。しばらく結果が出ていませんでしたが、ばんえいグランプリでは3着と好走しました。
重い荷物のレースがずっと続いてきたから、壁にぶつかっていた。調教師と相談して、軽い荷物で走路開放を使うなど気持ちが前向きになるよう考えている。
メジロゴーリキ
今年のばんえい記念はカブトゴールドで出走しました。善戦しましたね。
東北の草ばん馬に出ていて、重い荷物には慣れている。ばん馬では障害で止まることもあるから、ばんえい記念で止まっても心配ない。
今年ポプラ賞を制した3歳のアオノブラックも、メムロボブサップというライバルがいる中で健闘しています。
相手がいると、レースはしやすい。器用ではない馬だから。真剣に走ると強いよ(笑)。まだ遊んでしまう。
ポプラ賞(2020年3月15日)を制したアオノブラック
それでもポプラ賞の勝利インタビューでは、前向きになってきたと話していましたね。古馬ともいいレースをしています。
スピードがあるから、同世代より古馬とのほうがいいレースができるかなと。夏は調子がよくないから、涼しくなったほうがいい。今年は(4歳一冠目・柏林賞を勝ったメムロボブサップの)三冠を阻止したいね。
2歳はいかがですか。
まだ混沌としている。デビューから3連勝したリアンドノールになるのかな。荒いけれど、平ら(平坦コース)はいい。課題は障害だけだね。
リアンドノール
あらためて1,500勝について。思い出に残る馬は以前初重賞制覇(2009年銀河賞)アカダケキングや、ばんえい記念馬ニシキダイジンと挙げていただきましたが。
そうだね、「ニシキ」の冠の仙頭富萬オーナーは、新人の頃から乗せてくれていた。ダイジンもだし、ニシキタカラも。重賞でも乗せてくれたよね。アカダケキングは2歳から自分で運動していた馬。周りの人にお世話になった。
無観客競馬が長く続き、7月11日からは観客が入場しています。
無観客の時は静かだった。馬にとってはよかったかな。観客を入れたあとは、たくさんの客が見に来ている。パドックでは、2歳は人を見てびっくりしてはいたけど、それが本当のレースだから。
一日のスケジュール教えてください。
調教は午前4時前から、10、11時までかな。馬はいるけれど人がいないから。
ええっ! そんなに長くやっているんですか。休みはとれていますか。
休んでも今はどこにも行けないからね。厩舎は、インド人1人と帯広畜大の学生バイトがいて助かっている。インド人は気さくな人が多いし、言葉は通じないけれどなんとなく会話している(笑)。人は少ないけれど、若い人は増えている。騎手になりたいって厩務員になっている人もいるよ。騎手は減った(19人)から。増えたほうが楽しいね。厩務員も騎手も、レースで勝ったら楽しいよ。
ではオッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
リーディングは気にしない。それよりも、周りから信頼されることが大事だと思っています。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
2019年12月、ばんえい競馬に8年ぶりの新人騎手が誕生しました。38歳、元漁師からの挑戦です。
あらためて、ばんえいの世界に入るまでのことを教えてください。出身は兵庫県ですね。
釣りが好きで、「20歳の決断」と大学を中退し、鳥取県で沖合底びき網漁船に乗りマツバガニ漁師として働いていました。その頃から競馬や馬が好きで、大山(鳥取県)で乗馬をしたこともあります。
30歳を過ぎて紅ズワイガニ漁を始めたとき、若いときは覚えられたことができなくて、体力の低下も感じた。それで漁師をやめて、2018年、36歳の春に紹介を受けた浦幌町(十勝南部)の農家に行きました。北海道に行ったことないな、って。
中央競馬の馬券を買うために帯広競馬場に来たら、ふれあい動物園で乗馬をしていたのを見て、7月から乗馬をはじめました。そこで厩務員が不足していることを聞いたんです。中央は厩務員になるのが大変と聞いていたので、簡単になれると思わなかった。10月から小林長吉厩舎に入りました。今も厩務員になるのは難しいと思っている人いるんじゃないかな。そんなことないんです。
平地競馬のファンだったんですね。ばんえいの印象はいかがでしたか。
近くで馬を見るのが好きなので、距離が近い、騎手はかっこいいな、と。小林先生には「目標を持て」と言われたので、漠然とした夢物語として騎手を目指しました。「騎手やりたい」と口にすると周りには「やめとけ」「あと10年若かったら」と言われました。
昨年、初受験での合格。地方競馬の新規合格者では過去最高齢(それまでは兵庫・田村直也騎手の31歳)でした。
1次の筆記は選択問題ではなく、筆記ばかりで難しかったです。2次の実技は入った時から担当していたクロカミダイヤに乗りました。先輩騎手は最低でも8年(経験)の差がある。僕は年齢に注目されますが、この世界では絶対にプラスではない。一度、体力が落ちたからと漁師をやめたのに、同じようなことをしている。でも好きなことですから。この年でも厩務員になれること、夢が叶うことを知ってもらいたいんです。
勝負服は、船から見ていた日本海の青と、北海道をイメージした白を入れました。60代まで漁師をやりたかったという後悔もあるんです。それと、第2の人生の北海道の色です。
免許交付日の12月1日のお披露目式では「夢みる力」と書かれた色紙を手にしていました。
夢を見て、こうしたらこうなる、と考えて目標に変わる瞬間が好き。人に言うのも恥ずかしい夢があるが、目標に変わるよう頑張りたいです。
デビューは12月15日、レッドクレオパトラでした。10頭中10着、ほろ苦いデビューでしたね。
甘くないと再確認しました。馬の調子はすごくいいのに。前に行きたかったが、技術が足りなくておかれてしまった。パドックや直線でファンからの頑張れ、という声が聞こえました。
課題が多すぎ。前日の練習で、ハミ使いで力んで馬と喧嘩をしてしまったので、レースでは馬の行く気を損なわないように、と思いましたが......。ただ、10人騎手が並んでいるのはエキサイティングでした。
初勝利は15戦目となる3月15日、単勝1.9倍のダイリンファイターでした。それまでクロカミダイヤで2着2回。惜しいレースもありましたね。
ダイリンファイターは本来僕が乗るような馬ではないんです。強い馬に乗せてもらい、馬主さんや調教師、周りの方々に感謝しています。勝たなきゃいけないレースで、プレッシャーを感じていました。調教師も思い入れがある馬ですが、騎乗が決まってからは1週間手入れを任されました。ひと腰で(障害を)上がる馬が上がれなかったのは僕の技術不足。障害で右によれてしまった。自分に自信を持って乗れてないんでしょうね。2障害を最初に越えたとき、(前に誰もいない)目の前の景色に興奮しました。
クロカミダイヤは自分が一番のファンだと思っています。どこかで勝てるなんて考えていたが、そのまま繁殖入り。2着だった時のファンからの「林行けるぞー」という歓声が最高の思い出だったから、無観客は寂しいですね。
ダイリンファイターで初勝利(2020年3月15日、写真:ばんえい十勝)
怒涛の2019年度だったのではないでしょうか。
もともと技術と経験の差がありましたが、騎手になって、初めてわかったことがたくさんある。先生に、馬を運動場に引いていくときのハミ使いを細かく言われた理由がやっとわかりました。厩務員時代に教わったような、初歩的なことからコツコツやっていかないと、と思います。
一発で試験に受かったから頭がいいと思われているが、全くそんなことはない。漁師のときは兄貴分に1から100まで教えてもらったが、騎手はそういうわけにはいかない。職人のように「見て覚える」ことが苦手ですが、周りの先輩方も実演してくれるので覚えないと。レースはおもしろい!楽しいです。
開催が終わってからは、ずっとデビューを控えた馬の世話をしていました。(新馬に初めてそりをかける)馴致は、馬に信頼されないとまだまだ無理。それを任されるのが憧れですね。今はまだ手伝いです。
4月24日から新年度がスタートしました。目標と、オッズパーク会員に一言をお願いします。
ひとつでも多く騎乗したい。チャンスを生かしたい。まだ腕は足りないし、乗せてもらえるようになる環境づくりができていない。胸張って「乗せて」と頼めるようになりたいです。
38歳のスタートということで注目してくれて、ファンの方の力になるのならうれしいです。競馬は生で見る派だったので、無観客の楽しみ方は難しいですね。(鳥取から)一番近かった福山はもちろん、漁のないときは関東、関西の競馬場は地方も中央も見に行きました。見られるようになったら現地に来て、というしかないですね。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香