今年9月、ヤマトタイコーで銀河賞を制し12年目にして重賞初制覇。その後、11月にばんえい菊花賞とドリームエイジカップ、12月にはばんえいオークスと立て続けに重賞を勝ち、今年度のばんえいリーディング2位(12月13日現在)と波に乗る渡来心路騎手(32)です。
重賞制覇は今年でしたが、2018年度は勝ち星を前年の倍に増やして78勝、19年度87勝、昨年度は122勝。6月には通算500勝達成と活躍が著しいですね。きっかけはあったのでしょうか。
それが、特にないんです。何かをつかんだ、というのもない。チャンスと馬がまわってきた。運が良かったんだと思います。
デビューした2010年度は11勝で、それから30勝前後。2015年度はわずか2勝という年もありました。
はい、この年はレースには勝てない、勝てないと乗る馬もいなくなる。この時は本当に騎手をやめようかな、と思っていました。ジムに通って体力作りもしていたのですが。なかばあきらめながらも、当時人が少なかった久田厩舎に移りました。久田先生が馬に乗せてくれて勝てるようになり、他の厩舎からも声がかかるようになりました。ただ、馬にまかせた騎乗をしているだけ。帯広出身ですが厩舎育ちではない。営業をしているわけでもなく、人付き合いがいい方ではないのですが(笑)。
下積みがあったのですね。渡来騎手といえば思い切って先行する姿が見ていて気持ちいいです。
先行しているように見えますが、自分で前に行くわけではなく、馬にまかせた結果、そうなったんです。だから失敗もありますよ。ただ、逃げ切った時の印象が強いんだと思います。
そのインパクトが強かったのが、銀河賞のヤマトタイコーですね。
7番人気で、強い馬もいるから勝つのは難しいかと思っていました。ただ、ハンディも馬場も軽いので行っちゃえ、とレースをした結果です。
真面目な馬で、切れる脚はないが止まらず歩いてくれる。障害も上手です。今年は春から馬場が軽いのもこの馬に向いていた。最近体ができてきたし、先行しても障害力があるのがこの馬のいいところです。
ヤマトタイコーで重賞初制覇
そしてばんえい菊花賞、サクラヒメで重賞2勝目となりました。3週間後にはドリームエイジカップで、10歳のシンザンボーイを優勝に導きました。
(サクラヒメは)障害も良くなってきて、タイミングがいい時から乗せてもらいました。とても気持ちが強い馬。乗りやすいです。
シンザンボーイはスタートが遅い馬ですが、この日は出だしから走ってくれたので楽にレースができました。障害はしっかり上がり、降りたら歩いてくれる。10歳になっても頑張ってくれます。
牡馬や牝馬、ということは特に気にしていないです。
シンザンボーイ
「馬にまかせる」といいますが、その見極めはどのようにするのでしょうか。
スタートしてからです。「走ってるな、行きたいな」と思ったら行かせる。辛そうなら息を入れる。馬のことを考えて騎乗します。テン乗りもありますが、その時は「最近障害上がっていないな」と思ったら無理に先行せず、障害を上げるように乗るなどしています。いちかばちかが、たまたまうまくいっているんだと思います。
サクラヒメの場合は、気持ちの上で「行かない」がない。自分のレースをすれば勝てる馬です。ばんえいオークスも、先行した馬がいましたが(イオン)、気にせずに自分のレースをした結果。
馬は、一緒にレースに乗って楽しい存在。勝つとうれしいのは重賞でも普段のレースでも同じです。成績を残してこその騎手だと思います。
瞬時の判断力なんですね。自然と馬の特徴を捉えているのでしょう。サクラヒメはばんえいダービーも楽しみです。他に期待の馬はいますか。
ウンカイタイショウは、強いんだけど......。真面目だし、いいところがある馬。ただ、荷物が重くなると少し辛いところがあるので、まだ重賞では難しい。力をつけてからですね。
2歳は、ピュアリーナナセで黒ユリ賞を狙いたいです。ヤマノコーネルは年を取ってからの方がよさそう。
テン乗りでも結果を出している渡来騎手、今年はばんえい記念の出走もあるでしょうか。
ばんえい記念は負けても拍手をもらえるし、特別なのかなと思う。1トンを引くレースは経験したことがないので、どんなものなのかという興味があります。
厩務員時代には大きなけがをされたと聞きましたが、騎手になってからはいかがですか?
大きなけがはないです。ただ、最近体重制限が厳しくなってきました。年のせいか肉が落ちにくくなりました(笑)。昨年結婚して、気持ちの面ではストレスもなく過ごしています。
サクラヒメで勝った菊花賞
家庭ができたことも結果に結びついているのでしょうね。今後の目標などはありますか。
今年が良かったから、このままいい状態を続けていきたい。乗る馬を勝たせられるように。騎手は、一時期よりは賞金も増えている。頑張り次第でいくらでもよくなる世界です。
では、オッズパーク会員の皆さんに一言お願いします。
まだ「来てください」とは言いにくい時期ですが、来られるようになったらぜひ生で見てほしい。やはり迫力が違います。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
9月12日のばんえい第2レースでフンコロガシが勝ち、西邑春夫調教師(73)は1,500勝を達成しました。開業38年目、ばんえい競馬の調教師では歴代8人目(現役5人目)の快挙です。
(写真:ばんえい十勝)
1,500勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。年齢的にも少し焦っていたので無事達成できてよかったです。
旭川市出身ですね。競馬との関わりを教えてください。
姉が競馬場に友達がいて、その紹介です。スキーで高校に行きたいという思いもあったけれど、働いてほしいと親にも言われたから中西関松さんの厩舎に入りました。ばん馬は大きいし体重もある。家に馬もいなかったし、続けていけるんだろうか、と思ったけれど慣れてきた。
ばんえい草創期の大スターといわれる、中西関松さんのもとで働かれていたのですね。どのような方でしたか。
当時、中西さんは騎手と調教師を兼業していました。名人だ。馬に対しては厳しかった。「自分が食わなくても馬に餌やれ」と言われました。大事にするのは餌やり、運動。朝の調教、昼には外に馬を出し、夜には手入れ。きつかったですね。
教えが今の厩舎にも受け継がれているんですね。
時代が変わったから。同じことをしていたら人が長続きしないから、若い人がいなくなるよ(笑)。今厩務員は3人います。
騎手生活について教えて下さい。1973年デビューですね。
少し乗ってはいたけれど、2、3年かな。乗るのは嫌いだった(笑)。調教師のほうがいいよ。
その後、1977年に中西さんが58歳で調教師専業になり、騎手と調教師の兼業が終わりました。西邑先生の調教師開業は1984年でしたね。
中西さんはものすごく喜んでくれた。開業の時には道具を回してくれたり、たくさん後押ししてくれました。開業した年に、今厩務員をしている次男が生まれたのでよく覚えています。1カ月で競馬場に連れてきたな。所属騎手と兄弟のように育ったよ。中西さんには本当にお世話になった。1989年に調教師を引退してから1年たたずして亡くなられました。
さて、サカノタイソンについてお話を聞かせてください。3歳時に西邑厩舎に転厩し19連勝しました。
大きかったな。体高もあったし。他の厩舎から移籍して来たとき「すごいな」と。3歳だけど他の馬より大きいね、とみんなと話をした。ただ心臓が弱かった。レースが終わるたびに獣医師に見てもらって、鍼を打ったりしていたよ。夏が弱かったから、岩見沢はほとんど使っていないんだ。タイムが速い競馬もあるし。大事に使われていた。
レースは騎手に任せていた。20連勝を狙っていたけれど......(春休み明けの1999年6月のレースで4着)。調子が良くなかったけれど、連勝の期待がかかっていて使わざるを得なかったからね。
初めて勝ったばんえい記念(2001年)は、最初は使う予定がなかったんだ。だから主戦の藤本騎手はグレイトジャイナーに先約があって乗らなかった(大河原騎手騎乗)。当時5歳だったスーパーペガサスが来年はばんえい記念に出てくるだろうから、と早めに使うことにしたんだ。
勝ったときは嬉しかった。自分の厩舎でばんえい記念を勝てるとは感無量。2回目のばんえい記念(2002年、初参戦のスーパーペガサスは2着)の前は、特別戦ばかり走り、考えながら使っていた。種馬になったけれど、長生きできなかったな。心臓に爆弾抱えていたから......。
ばんえい記念を制したサカノタイソン(2001年2月18日)
一昨年、ホクショウマサルが19連勝の記録を塗り替えました。正直、その時どう思われましたか。
良かったなぁ、って。あれだけレースを使って連勝するのは大変だよね。あれくらいの馬はいない。騎手も大変だったろう。
ソウクンボーイの引退式。左端が西邑春夫調教師
過去の所属馬について教えて下さい。まずは今年引退式を行ったソウクンボーイはいかがでしょう。
障害だけが難儀するんだ。ずるいところもあった。ばんえい記念は、出る馬が少なかったから無理して使ったところもあった。2歳で重賞を勝つ(2012年ヤングチャンピオンシップ)とハンディもあってその後は大変だったが、いい思いをさせてもらった。馬主さんがとてもいい人だから、大事に使うことができた。
ユミタロウ(2003年旭川記念)は力があるが、ずるいところがあったな。種馬になろうとした矢先に事故で亡くなってしまいました。ナリタボブサップ(2010年ばんえいグランプリなど重賞6勝)もいい馬だったな。強かった。
騎手時代にはキンパイやヤマサラツキーが思い出に残っています。活躍馬ではカミチカオウですね。馬主から、周りの人たちからいい人に恵まれて、幸せだと思う。真面目な馬もいたし、いろいろと教えた馬もいたね。
ユミタロウ
現在の所属馬について教えて下さい。ビールはレースの際に、枝豆などおつまみの飾りがたてがみについていてかわいいですね。
ビールはもう少し体重があればな。これからです。
フナノダイヤモンドは馬場が軽いといいが、重くなると辛いんだ。期待はしている。
1,500勝をしたフンコロガシ、馬名の意味はわからないんだよな(笑)。
1,000勝達成時は2007年3月17日、ばんえいの4市開催が終わりを告げる頃でした。
こんなに長いことできるとは。4市による市営競馬組合が解散した時にもうばん馬は終わりかな、って思ったよ。存続して嬉しかった。願わくば、もう一箇所あればいいね。でも昔のように4市で回っていたら、体力的に続けられないと思う。昔は賞金も高かったし、いい時代だった。それでもここ最近は良くなってきたよ。
最後にオッズパーク会員に一言お願いいたします。
ファンや馬主さんに本当にお世話になった。これからも1勝1勝を大事に頑張っていきます。自分が引退してからも競馬が続くように、これからも盛り上げていただければと思います。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
5月9日ばんえい第7レースで管理するムサシブラザーが勝ち、通算2,000勝を達成した久田守調教師(68)は、騎手としても2,103勝を挙げ、ばんえい史上初の騎手・調教師での2,000勝を達成しました。競馬場に来て50年という今年、6月7日現在23勝とリーディングトップで、調教師会長としても奔走しています。
北見市出身ですね。騎手になるまでの経緯を教えてください。
気がついたら競馬場にいた(笑)。親は道営競馬にいて、千島一巳さん(道営の元調教師)などと知り合いだったんだ。まだ小樽市銭函で競馬をやっていた頃ね。
高校を卒業して競馬場に入って、次の年(1972年)に騎手になり、山本正彦調教師の父、山本幸一(ゆきかず)さんに世話になった。馬を大事にした人だったな。上手にかわいがって、走らせて。当時はそして金山明彦騎手(現調教師)、山田勇作さん、木村卓司さん、工藤正男さんなど、そうそうたる騎手がいた。デビューした年は3勝、翌年2勝だよ。
5月9日第10レース、カーネーションカップをシンエイボブで勝利し2001勝目(左から2人目)
でもそこからぐんぐんと成績をあげましたね。1978年には56勝、80年には80勝で8年連続リーディングだった金山騎手の2位。88年には前年の82勝(6位)から130勝と大幅に勝ち星を増やし、ついに金山騎手を逆転してリーディングです。88、89、91、92年と4度のリーディング騎手になりました。89年は当時の年間最多勝となる155勝、92年は161勝で記録を更新。1996年に当時史上2人目となる通算2,000勝を達成しました。勝ち星が増えた理由を教えてください。
どうやったんだったかな(笑)。昔の競馬は12月までで、春まで競馬がなかったでしょう。その時に、北見の山で調教をしていたんだ。山ごもりみたいなもんだ。障害よりもきつい急斜面の林道を上らせる。馬を動かすということがどういうことかを学んだ。馬を見る目が変わり、結果が出るようになったな。1988年からは勝利数も3ケタになった。競馬が面白かった時代だね。馬券が売れていた時で1日3、4億。木造スタンドで投票所には行列ができて、売り上げの計算だってそろばんはじいていたんだからね。投票用紙をゴムバンドで縛って、黒板にチョークでメモをして。
頭脳派なんですね。騎乗していて熱気は感じましたか。
迫力がすごかった。まだ馬を使っているファンが多いから、レース中も横に来て、馬を這わせるタイミングで声が入るんだ。下げて、前に出そうとすると「よいしょー!」って。
1995年はまなす賞をシャトルシンザンで勝利(主催者提供)
その時代を見たかったなぁ。それにしても先生、昔の写真を見てもとても細いですね。1996年12月に43歳で引退しました。
体重は50キロ台だったから、なくて苦労した。当時は体重制限が72キロで、それでも20キロくらいの弁当箱(重量を調整する重りを入れる箱)を持っていた。騎手をやって25年。体重がないので体に無理がかかっていた。毎日マッサージなど体のケアをしながら続けていたので、ここらがやめどきかなと。自分でいうのもなんだけど、のめり込んでやってしまうところがあるから。
頑張り屋の性格なのですね。騎手時代に思い出のある馬はいますか。ばんえい記念(農林水産大臣賞典)はニユーフロンテヤ、タカラフジで2勝していますね。
普通なら重賞を勝った馬の名前を挙げるんだろうけど、覚えているのは走らなかった馬だな。山を上がらなかったり、出走停止になったり。
ニユーフロンテヤは一度障害が悪くなったので、調教で障害練習を仕込んできた。おもちゃが壊れたら一度分解して直すように、馬も直していく。昔は障害もきつかったからね。今は馬場が軽いし、障害も低く、バイキさせなくても障害を登れる。昔は障害が3つあったから。1障害と2障害の間に30~40メートルくらいの高さの障害があって、旭川が一番大きかったな。バイキは腕だけでは馬に伝わらない。ボートを漕ぐとき、背中を反らすでしょう。あんな感じでしっかりバイキさせて、声を出すことが大事。ビデオを見たらわかるよ。
そして調教師になりました。調教師7年目の2003年度には、それまでの年間最多勝記録(96勝)を6季ぶりに塗り替え、107勝を挙げて初のリーディング。馬の健康管理を科学的に考えたいと、サラブレッドの獣医師に話を聞くなどしていたんですよね。
最初は馬が少なかったから、預かった馬を自分で調教していた。騎手は「乗りやすい」と言ってくれた。騎手時代から世話になった馬主さんは今でも預けてくれています。そういうの(勉強)好きだからなぁ。平地競馬だって、同じ馬を触っているんだから共通しているところもあるし、違うところも取り入れて勉強すれば違う発見もある。同じアスリートで、陸上選手と相撲取りのようなところがある。
久田先生といえば映画『雪に願うこと』では女性騎手役の吹石一恵さんに騎手指導をしましたよね。
彼女は始めから運動神経がすごかった。プロ野球選手の娘さんだからなのか、簡単に覚えていく。手伝わなくてもすっかり乗れるようになった。
それと、2016年のJRAジョッキーDAYでルメール騎手に手を取って教えたんだ!! こんなのって一生に一度だし、この2つは宝だね。
ルメール騎手に教える久田調教師
思い出の馬は苦労した馬でしょうか。では、私から何頭かリクエストします。まずはカーネーションカップを勝ったシンエイボブ。
ボブは、馬品がいいというのか、厩舎にいると牡馬が騒ぐんだ(笑)。幅もある。重賞まであと少しというところで勝つことができた。
ギンガリュウセイはセン馬というのもあったけれどおとなしくて、子供でも触れる馬。休養中に病気で命を落としてしまったが。オーナーの田中春美さん(JRA田中勝春騎手の父)とは、1999年ばんえいダービー、2,000年銀河賞を制したシンカイリュウが最初。平地競馬とのつながりはここからだね。シンエイキンカイは手がかからない馬だったな。街中で馬車を引いているムサシコマは、素直で真面目。おとなしかったよ。
現役馬だと、ヤマトタイコーは、いい雰囲気を持っている。もっとうまく乗り込んでいけば、上を目指せる馬。おとなしく力持ちだね。
ウンカイタイショウは、頑張っている馬だな。ウンカイの子は、食べるし運動するし、育てやすい。二世ロッシーニの系統というのは性格がレースに適しているんだと思う。カネゾウも、ハクタイホウも、行きたい、行きたい、って馬だな。プレザントウェーは落ち着いているよ。
2013年北見記念を3連覇したギンガリュウセイ
大事にしていることはありますか。
昔から「やってやれないことはない、やらずにできることはない」。稽古していればいつかは......と思っています。
今年から調教師会長に就任しました。オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
これからもっと、自分が先輩に教えてもらった技術を若い人たちに教えて育てていきたい。文化を後世に伝えていこうと思っているんだよね。ファンの方々には、コロナ禍で、来てって言えないからね。本当は直に見てほしいんだけど。こんな時だから、応援してほしい。一生懸命やってここを乗り越えて、落ち着いてくれればファンも戻ってくるかな。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)
明け3歳によるイレネー記念をオーシャンウイナーで制し、ばんえい記念ではキタノユウジロウ(牡6)で2着と、活躍が目立つ菊池一樹騎手を紹介します。
ばんえい記念は乗り替わりで2着でしたね。
(前日)朝、調教師に乗り替わりを告げられました。ばんえい記念は、年度最後の目標。お客様の数も違うし、騎手として乗りたいレースです。不安よりは、調子が上がってきている、という思いで臨みました。障害を一腰で上がった瞬間、あっ!(勝てるかも)と。軽馬場の割に道中はみな慎重で、ゆっくりしたペース。(騎乗予定だった)松田(道明)さんならもっと強気に前に行ってたかな、と今になって思います。道中はコウシュハウンカイを見ながら行き、ゴール前で差せるかな、と思っていたら外からホクショウマサルが来て2着でした。
ばんえい記念2着のキタノユウジロウ
前日はイレネー記念を制しました。乗り替わり2戦目ですね。
挑戦者という気持ちで乗りました。ゴール前は、脚がもちそうだと思ったのでハミをあてながら進みました。乗りやすいいい馬です。真面目で行きっぷりがいいし、息も入れやすい。降りてからもしっかり歩いてくれる。性格は臆病なところがあります。キタノタイショウの子はみんな父に似て、臆病なところがある。
厩務員さんが喜んでくれてよかったです。「ありがとう」って握手を求めてきました。これからはクラスも上がるので、ゆっくりと使っていくことになると思います。
イレネー記念を制したオーシャンウィナー
乗り替わりでの勝利が多いですね。緊張はしないですか?
だいぶプレッシャーはなくなりましたね。一緒に走っているクラスの馬や、前走、前々走を見るようにしています。
クセのある馬に乗ることが多いように思います。それでもけがは少ないですね。運動神経がいいのでしょうか。
一度気性の激しい馬に乗ってから「菊池に乗せれば大丈夫」というようになったのでしょうか(笑)。他の馬に近づけない、クセを出さない、など事故が起きないよう気をつけています。運動神経がいいわけではないですよ。
ばんえいも新しいシーズンが始まりました。期待馬はいますか。
ヤマトタイコー(セン4)は重賞でどのようなレースをするか楽しみですね。フクフクライデン(牡3)はまだこれから、成長に期待。サクラダイチ(牡8)は年度が変わって、重量が軽くなってからが楽しみです。
2歳はいかがですか。第1回能力検査で時計上位のキョウエイハンターは楽しみですね。ヘッチャラも障害のうまさが目立ちました。
キョウエイハンターは自信を持って乗りました。馬体が大きく期待している。ヘッチャラはセンスがありますね。バネもある。顔に大きな流星があって魚目。見た目も注目してほしいです。
2歳は、デビューするまでにソリにならす馴致を行います。所属厩舎以外からも頼まれながらやっています。1日3、4頭はいるかな。1頭に4人ほどついて行い、私は足が速い方なので、引っ張って馬と一緒に走ることが多いですね。
キョウエイハンター
先行と追い込み、どちらが好きですか。
追い込み馬というのは障害が苦手な馬が多いからなぁ。逃げられるなら、障害力を生かして先行して降りて、歩いてくれる馬がいいですね。
菊池騎手は、もともと平地競馬のファンで、インターネットの求人を見てばんえい競馬の世界に飛びこんだんですよね。
馬ならなんでも良かったんです。平地のファンだったことがかえってよかったのかもしれない。ばんえいを知っていると大変さとのギャップに悩んでいたかもしれません。今は厩務員が少なくて大変です。試しでもいいから体験してばん馬に触れてみてほしい。それから考えてもいいと思う。最初から、人生かけようと思わなくていいんです。最近は、女性厩務員が頑張っていますよ。長く働いていますね。
騎手としては、結果が出なかったり、乗れなかったりするとやめたくなるときもありました。でもそういうときに限って調子が上がってくるんですよね。
オッズパーク会員の方に一言お願いします。
なかなかコロナが落ち着かないですね。ファンの方には体に気を付けてほしいです。今ではインターネットなどの画面でも見られるので、迫力が伝わるレースをできるよう頑張ります。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
昨年12月にデビューしたばんえい競馬の新人、金田利貴騎手(23)。金田勇調教師の長男として厩舎で育った元甲子園球児は、騎乗数も着実に増やし、2月28日現在29勝。すでに関係者やファンの信頼を集め始めています。
デビューから2カ月半が経ちました。12月12日のデビュー翌日には初勝利を挙げ、1月3日はコマサンエースで重賞の天馬賞に騎乗(4着)。印象に残ったレースはありますか。
どれも経験になっていますが、強いてあげるなら初めて特別戦(2月1日ダイヤモンドダスト賞)を勝ったコマサンエースでしょうか。それまでも乗っていましたが、障害が得意なはずなのに、島津騎手や藤野騎手のように障害を上がらなかった。島津さんがゲートから2障害までの進め方や登坂時のハミ使いなどを教えてくれて、実践したら簡単に上がりました。
先輩と仲が良さそうに見えますか? 失敗をからかわれたりしています。先輩の様子を伺いながら、聞けそうなときは質問しています。
コマサンエースで4着と健闘した天馬賞
新人騎手の減量特典(10キロ減)を生かした積極策が気持ちいいですね。特典が取れる50勝も目の前ではないでしょうか。
先行は意識していますが、行き過ぎないよう心がけています。50勝まであと半分。減量特典がなくなった後が大変なので、それまでにレベルアップしていきたいです。
キタミライのレース(2月15日4レース)では10キロの差を感じました。ひと腰で上げることを考えて後ろから行き、末脚を生かして勝ちました。障害を超えた時は先頭とは距離があり、10キロ差がなかったら届いていなかったのではと思います。
堂々とした騎乗に見えます。扶助となる声が大きくて、さすが元野球部ですね。
百戦錬磨の騎手に混ざってレースをするのは、怖くなります。他の騎手は本当に上手です。声を出して馬を前に出しながら、自分自身の緊張をほぐしています。うるさいと思われるくらいに、とやっています。声が大きいのはキャッチャーだったからでしょうか。
白樺高校時代は、野球部に所属し2015年夏の甲子園に控え捕手として出場しました。
今年千葉ロッテに入団した河村説人投手ら同級生でLINEグループを作り、励まし合っています。甲子園は控えで連れて行ってもらった立場ですが、辛いこともあった中、成功体験ではありました。
同級生も(競馬を見に)来ているという話は聞きます。デビュー戦では聞き慣れた声が聞こえ、ありがたかったです。それまでばんえいに興味のなかった友達が、自分が騎手になったことで競馬場に来てくれるようになったことが嬉しいですね。
野球からばんえいの世界へ転向したきっかけは。
甲子園が終わってから、厩舎の馬糞出しなどを手伝っていました。野球をできたのも、父や馬のおかげと、卒業する頃ばんえいへの思いが強くなったんです。高校時代に活躍した馬にインフィニティー(2014年ばんえい記念)がいました。
入学した札幌大経営学部では、恩返しの意味もこめてばんえいの研究をしました。北海学園大の古林英一教授に話を聞いたこともあります。そのうち、ばん馬の生産が減っていることを知り、生産に興味を持ちましたが、父は「馬に触ってみないとだめだ、厩務員になれ」、ゼミで会った経営者には「生産者の生産者にならないと、分母が大きくならない」と言われ、思い切って退学し競馬場に入りました。
最初は騎手になるつもりはなかったのですが、もともと勝負の世界が好き。周りの誘いもあり、2度目の受験で合格しました。勝負服は、袖は青に白一本輪の父に似せて(金田騎手は二本輪)、重厚感があって好きな黒色を胴に入れました。インフィニティーに騎乗していた浅田元騎手も黒が入っていましたよね。
ダイヤモンドダスト賞 コマサンエース
ファンへのお披露目式で、2006年の存続運動に触れたコメントが印象的でした。「ばんえいを守ろうと尽力してくれた人に騎乗で恩返ししたい」と話していましたね。
存続の危機を迎えた2006年は野球を始めた年。家では父母が暗い表情をしていました。野球の少年団の人たちに存続の署名を集めていましたが、多分そんなことはしたくなかっただろうな、と子どもながらに思っていました。近くのスーパーの署名活動にもついていきました。
さて、今はデビュー前の馬が入厩し、レースを教える馴致をするシーズンです。危険が伴いますね。
自分が厩務員になって最初に馴らした2歳は、ゴールドハンターやコマサンブラック、アバシリルビーといった、(気性の激しい)そうそうたる面々で、危険というものを教えてもらった。でも、その後重賞を勝つようになった馬たちです。それに比べると、今年はまだおとなしい馬ばかりかな。
最後に、オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
いろいろとばんえいの良さや見てほしいところはありますが......。普通に歩いているように見えますが、馬はまっすぐに歩かせるだけでも大変なんです。難しいことを簡単にやってのける騎手ばかり。そのようなところも見て楽しんでほしいです。
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※インタビュー / 小久保友香