中西達也調教師は、フリビオンで2017年の高知優駿を騎手として制し、9月からはその馬を管理する側になりました。調教師に転身しておよそ10カ月、今の様子を中心に伺いました。
高知優駿から1年が経ちましたね。
この1年は本当に早かったですね。でも、騎手を辞めてからはずいぶんと時間が経ったような気がします。それだけ調教師になってから、濃密な日々を過ごしているということなんでしょうね。騎手時代は、馬は調教のときに乗ってレースでも乗って、という感じの接しかたでしたが、今は馬のそばにいる時間が長いですからね。現在(インタビューは6月中旬)は10馬房で、8月に15馬房に増える予定ですが、厩舎にいる10頭には全部乗っています。
調教師として初めての重賞となる珊瑚冠賞にフリビオンを送り出して勝利を挙げ、続く西日本ダービーも優勝しましたが、水沢のダービーグランプリでは2着でした。
西日本ダービーを勝ったらダービーグランプリに行きたいと思っていました。フリビオンは佐賀までの輸送でもわりとケロッとしていましたから、それより長い輸送距離でも大丈夫かなという手応えもありました。ただ、水沢は寒かったですね(苦笑)。そしてスーパーステションは強かったです。
調教師としてフリビオンで西日本ダービー制覇
騎手と調教師ではどういったところが違いますか?
まず、緊張感がまったく違います。騎手時代は午前の攻め馬が終わったら自宅に帰っていましたが、今は夕方まで厩舎にいます。馬の状態は常に把握しておかないといけないですし、小さな変化にも気づけるようにしないとダメですからね。馬には乗れても、馬を育てる引き出しみたいなものをまだ持ち合わせていないので、となりの厩舎にいる炭田先生にいろいろと教えていただきながら、そのうえで自分の色を出せていければと試行錯誤しているところです。
しかし中西厩舎の雰囲気は、高知競馬場のなかでは目立ちますね。
見ばえのよさ、そこは誰にも負けないようにしようと、調教師になる前から考えていました。壁のペンキ塗りも花壇作りも自分でやりましたよ。つい先日、テラス風に座れるところを作ったんですが、これもホームセンターで材木と屋根を買ってきて自分で作りました。やっぱり見た目、とくに入口、玄関は大切だと思うんですよ。調教師は個人商店、中西達也商店ですから、馬にも人にもいい環境を用意していかないと。そのためには普段の服装からきちんとしないと、とも思っています。
調教師として初めてとなる高知優駿には2頭を送り出すことになりました。
これはもう、馬主さんに感謝するしかないですね。今はまだ管理頭数が少ないですが、その少ないなかでも濃い内容を残していきたいと考えています。ただ、スタッフのなり手がいなくて......。人材不足ですよ。僕はなんというか、たとえば牧場に馬を見に行くとか、そういったいわゆる調教師らしい仕事をしたいと思っているんですけれどもなかなか......。
そこは課題として今後もついて回ることになるかもしれませんね。
生きものが相手ですから休みも少ないですし、福利厚生も整っているとは言えません。でも、そのあたりはこれから変えていかないと。
そういうところもこれから目指すところになりますね。ほかに調教師としての目標はありますか?
具体的な数字とか、そういう目標はとくにないですね。まずは経験を積んで、調教師としての引き出しを増やしていくことを目指したいです。また、これまでとは違って人を使う立場になったので、うまくチームワーク的な感じで進められればと思います。その上で、また県外のレースに行けるようになれればいいですね。これからも調教師として恥ずかしくないように、そして『中西厩舎っていいですね』と言ってもらえるように、頑張っていきたいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
田中淳司調教師は2015~17年と、ホッカイドウ競馬で3年連続リーディングを獲得中。5月16日の門別8レースでは、地方・中央通算900勝を達成しました。今年はシーズンオフにハッピーグリンがセントポーリア賞を制して念願のJRA初勝利を達成。北海道所属のまま牡馬クラシック戦線に挑戦するなど、各地への遠征でも結果を残しています。
ここまで3年連続でリーディングを獲得中です。活躍の原動力を教えてください。
まずはスタッフが一生懸命やってくれたからというのが大きいですね。開業当初からずっと1番を目指して、みんなが同じ方向を向いて仕事をしてくれた結果だと思います。3年連続でリーディングを取らせていただき、自分自身に余裕が出てきたような気もします。勝てないからイライラするということもなくなりましたし、周囲を冷静に見渡せるようになったというか。
お父様(田中正二調教師)も早くから調教師として活躍されています。競馬の世界に入るのは自然なことだったのでしょうか。
もともと競馬が好きだったというか、とにかく馬に興味があったんですよね。最初は騎手になりたかったんですけど、体格の問題であきらめて。高校を卒業してすぐに親父の厩舎に入りました。厩務員時代は、厩舎にベテランの厩務員さんが多かったですし、親父も「調教師の息子」ということで気を使ったのか、あまりいい馬を担当させてもらえなかったですね。重賞では3着が最高だったと思います。でも、そういった馬でいかにいい結果を出すか、自分で調教しながら試行錯誤していったことが、いま思えばいい経験になっているんでしょうね。
調教師への転身を意識されたのはいつ頃だったのでしょうか。
それほど早く調教師になることは意識していなかったんですが、両親も「試験なんて一発で受かるわけないんだから、早いうちから受けておきなさい」と薦めたので受けてみたら、1次試験を1回目で合格したんです。ところが2次試験の1週間前に、親父と牧場へ馬を見に行ったときに、走ってきた馬に蹴られて腎臓を傷めてしまって。それから数日間は絶食で、傷口も痛かったんですけど、どんな試験なのか自分でも覚えたかったのでなんとか根性で受けたんですが、乗馬の試験もろくに受けられず落ちてしまいました。ちょうどサクちゃん(佐久間雅貴調教師)と一緒に教養センターまで行って、体が痛いなか行き帰りに荷物を持ってもらったりして、本当に助けてもらったことを覚えています。試験に合格したのは2回目ですね。
開業当初はどうだったのでしょうか。
初年度から「絶対にリーディングを取ってやる!」という意気込みでやっていました。最初のころは頭数も少なかったので、いま考えたら「バカだなあ」と自分でも思うんですけど(笑)。ただ、初勝利がその年最初のフレッシュチャレンジ(2007年4月19日門別5レース、アイファーダイオー)で、それが「前代未聞だ」と大きく取り上げていただいたおかげか、そこから馬もだんだん集まってきましたね。
ここまで重賞47勝という実績を挙げられています。なかでも思い出に残っている馬を教えてください。
やっぱりハッピースプリントですよね。「これは負けないだろう」というほどの手応えを初めて感じさせてくれて、馬もそれに応えてくれましたし。初めてリーディングを取らせてもらった年の道営記念(2015年)をグランプリブラッドで勝たせてもらえたのも思い出深いですね。連覇を目指した道営記念の最終追い切りで故障してしまい、かわいそうなことをしてしまったという意味でも印象に残っています。
今年はハッピーグリンがJRAに参戦したことでも話題になりました。
「屋内坂路などの施設に恵まれた門別競馬場から、冬場も中央に挑戦したい」という馬主さんのご理解があったおかげで、今回の挑戦に至りました。昨年の夏、札幌競馬場へ遠征に行ったとき(コスモス賞、すずらん賞)も、必ずしもいい状態とは言えないなかで、いずれも3着に来ましたからね。道中の行きっぷりなんかを見ても、やはり芝向きだろうと思っていました。
セントポーリア賞の末脚は鮮やかでしたね。
夏の遠征のあと、秋口からトモの状態がどんどんよくなってきて、北海道2歳優駿にしても全日本2歳優駿にしても、自信を持ってレースに臨んだにもかかわらず結果が出ず、「おかしいなあ」と思っていました。2走とも内枠が当たって内々を進む形になってしまい、道中で馬がストレスを溜めるような形になってしまったことが敗因だと判断したので、大野(拓弥)騎手には「どこかで外に出してほしい」とだけ指示したんですが、しっかりと結果を残してくれました。「中央で勝ちたい」と思ってきて、それまでに62回挑戦して、あと一歩のレースもあったなかで、本当に夢が叶った一戦でした。
その後スプリングステークス→プリンシパルステークスと、中央のクラシック競走のトライアルに挑みます。
トライアルで結果を出さなければ本番に進めない立場で、毎回納得のいく状態まで持っていくのは大変でした。レース後にケアをしながら、自分でもほとんど毎日調教に乗って感覚をつかみつつ、「大丈夫だ」と判断したら坂路を1日3本入れたりもしました。2歳のうちは自分たちのほうが早くから競馬に使っているというメリットがありますけれど、年を越えてくると、中央の血統馬相手に同じことをしてはダメだと思ったので。今年に入って3回輸送して、そのたびにめいっぱいまで馬を仕上げていって。それでプリンシパルステークス(4着)も初めての2000メートルで33秒台の上がりを使ってくれましたから、一生懸命走ってくれた馬をほめるしかないですよね。
今後のローテーションについても気になるところです。
いまは競馬場近くの育成場に短期放牧に出ています。次走は巴賞(7月1日、函館競馬場)の予定です。52キロで出られるのは好材料ですし、ここを勝てば向こう1年間はGIのステップ競走を使いに行けるようなので。
ハッピーグリン
遠征といえば、エグジビッツもグランダム・ジャパンで2歳女王になり、今年も3歳シーズンで上位争いを演じています。
のじぎく賞は残念な結果に終わってしまいましたが、今年初戦の若草賞(名古屋)のときはカイ食いも十分でなく、体も減ってしまっていたことを考えると、馬の状態自体はかなりよくなっていますよね。2歳の頃はダートグレード競走で戦うにはちょっと頼りないかなと思っていましたが、今の感じだったら、中央勢はともかく、地方馬のなかではそう遜色なくやれるのではと思っています。開業当初から「チャンスがあれば他地区のレースも勝ちたい」と思ってやってきましたが、地理的な制約もあるなかで、遠征で結果を出してホッカイドウ競馬の名前をアピールすることにはやりがいを感じます。
エグジビッツ
今年の2歳馬についても教えてください。
動きのいい馬からフレッシュチャレンジに使っていますが、おかげさまでこれまで3頭勝たせてもらっています。ラブミーリチャードはスピードがある馬で、初戦は自信を持って臨むことができました。今のところ、最初のウィナーズチャレンジ(6月7日)を目標にしています。オスピタリタは、乗ったときのトビがノットオーソリティ(全姉)に近いですよね。ハナに立つとソラを使うようなところも似ていますので、そのあたりが課題だと思いますけど。オーナーサイドも「函館2歳ステークス(7月22日)を目指してほしい」と期待されているので、まずは権利取りを目指していくことになりますね。ホワイトヘッドはまだ前半のエンジンのかかりがちょっと遅い気がするので、距離が伸びてからも楽しめそうですね。使っていくうちに、馬もさらによくなってきそうです。
田中淳司厩舎所属として重賞を制したノットオーソリティの全妹オスピタリタ
今年は所属の落合玄太騎手がデビューしました。先生ご自身にとっても、1からジョッキーを育てていくのは初めてだと思います。
本人にもご両親にも、「リーディングで上位に入るジョッキーは2~3年でそれなりの数字を残すものだから、そのつもりでがんばってほしい」と伝えていますが、真面目に馬乗りに取り組んでいると思います。落ち着いて乗れているのもいいですね。北海道には「調教を手伝ってくれた子は乗せる」という風習がありますから、いろいろな厩舎に行って調教に乗せてもらって、自分自身の土台を作ってほしいです。いまの一生懸命さを忘れず、細かな指示を出さなくても結果を出せるジョッキーになってほしいですね。
今後の目標について教えてください。
4年連続のリーディングももちろんですが、やはりグレードレースを勝ちたいですよね。ハッピーグリンも中央の重賞戦線で勝負するためには、もうワンランク上の段階に成長しなければなりません。
最後に、オッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
ホッカイドウ競馬でデビューする2歳馬は、南関東をはじめとする他地区での活躍ももちろんですけど、昨年のダブルシャープやハッピーグリンのように、中央でも活躍できる素質馬も少なくありません。今年もそういった未来のスターホースがわんさかいると思うので、ぜひとも注目して見てもらいたいですね。
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※インタビュー・写真 / 山下広貴
『ばんえいアワード2017』のベストトレーナー賞を受賞した、槻舘重人調教師(57)。ばんえい記念を連覇したオレノココロや4歳三冠馬のセンゴクエース、マルミゴウカイなどを管理し、2017年度は重賞25レースのうち11勝を挙げています。通算1111勝(5月18日現在)、重賞は48勝と50勝まで王手をかけています。
ベストトレーナー賞、おめでとうございます。
思った以上に馬が一生懸命走ってくれました。今年もチャンスがあれば、一つでも多く獲りたいですね。
管理馬について教えてください。ばんえい記念馬オレノココロは2年連続のばんえいアワード「ベストホース」に選ばれました。
ありがたいですね。オレノココロは真面目で力持ちな馬です。開幕日の特別戦は脚を痛めて除外になりましたが、症状は軽くその後は順調です。翌週のオッズパーク杯は5着でしたが、どうしても春先はペースが速いから、重い荷物に慣れているこの馬には不利になる。障害で膝を折る不安もあるしね。
センゴクエースは年齢的に、昨年よりも重賞挑戦が増えるでしょう。障害を一気に抜けられるレースが理想。母のサダエリコの厩務員さんが今年から担当しているんだよ。
オレノココロ(2018年3月25日ばんえい記念)
5歳になったマルミゴウカイは、古馬ともいい戦いをしていますね。
まだ荷物が軽いとはいえ、想像以上。気性が勝っているし、センゴクエースよりも障害がいい。馬体もこれから大きくなるだろうし、重いレースに慣れてきたら、引けを取らなくなるんじゃないかな。重賞挑戦はどうかな? 狙うとしたらドリームエイジカップ。6月に5歳オープンの特別戦・瑞鳳賞があるので、そこでいい結果を出したいです。黒ユリ賞馬のミスタカシマも順調です。きれいな馬だよね。そのほかだと、ジェイコマンダーは降りてからの切れ味がいい。まだ勝ちきれないけれど、これからだね。ジェイワンも、力はあるんだろうけど、飼い食いと迫力がもう少しかな。
さて、出身は岩手県二戸市ですね。
競馬場で騎手をしていた兄を追って、中学を出てすぐ競馬場に来ました。
晴披孝治厩舎で20年近く厩務員をして、いろいろといい馬を担当させてもらいました。中でも思い出に残っているのはカヤベヒカリ(オイドンの祖母)。小さくて、930キロくらいだったはず。ゲート開いてすぐにキャンターで走れずスタートはゆっくりなのだけど、第2障害の手前で他馬と並べば、障害を降りて強い。全身バネのようでした。
ヤマトウンリュウという馬は、そろそろばんえい記念に出そうかな、というところで疝痛で命を落としてしまった。今でも残念に思っています。
マルミゴウカイ
そして1999年に開業しました。
騎手になりたかったけれど怪我をしてしまったので、晴披厩舎の解散後2、3年後に引き継ぐかたちで開業しました。
最初に在籍していたのはホワイトキャップ(2001年北斗賞など)。デビューから管理して活躍した馬にはミサイルテンリュウ(2006年帯広記念など)がいます。ミサイルは若い時は病気がちであまりレースも使えなかった。
誰が、というのではなくどの馬にも教わることはあるよね。いつも勉強です。
大事にしているのは健康面。えさの食べ方で、調教の仕方がかわってくる。ミスタカシマは、デビューしてからえさを食べなかったので休ませたんだ。
それが今の活躍につながっているんでしょうね。
毎日、馬場に出る前の午前2時には、馬たちがえさを食べているか確認する。今は10時ころまで調教しています。
常識なんだけど、疲労を残さないようにしている。走る時疲れちゃうようではね。調教がある程度できていないと、馬に無理をかけるレースになる。
微妙な感覚っていうのかな。自分なりの経験を積んできたと思います。
先生から見て、調子のいい馬、というのはどのような馬でしょう。
うーん、調子が良くても、オレノココロみたいにパドックであくびをする馬もいるからなぁ(笑)。マルミゴウカイみたいに抑えきれないほど元気な馬がおとなしいと、どうしたんだろう、と思うけれど...。体重は減るよりは増えている方がいい。とはいえ、今年のばんえい記念のオレノココロはすっきりした方がいいと思って減らし、マイナス21キロだし。難しいね。
自分なら、うるさいくらい元気な馬がいいような気するけどな。調教もやりやすいし、手応えがあるんだ。
センゴクエース
先生は気性の勝っている馬が好きな印象があります。それにしても、ばんえい記念や三冠のかかるレースなどで人気を背負うことが多く、プレッシャーは相当なものと思います。どうやって打ち勝っているのか気になります。
プレッシャー、ないことはないけど...。ばんえい記念の日は他にも出走馬が多くて、緊張する暇がなかった(笑)。でもレースが終わってから1週間は疲れが取れなかったな。気が張っていたんだろうね。
レースをテレビで見るのもいいけど、厩務作業も楽しみながらやっています。長いこと厩務員をしていたけれど、自分が触っている馬が1着を獲ったり、いい方向に向かっていくのがいい。結果がうまくいくと、苦労も忘れて励みになります。
オッズパーク会員の方に一言お願いします。
最近は本州からの馬主さんも増えているし、全国にばんえい競馬が広まっているのを感じます。できれば本場で、馬と一緒に歩いてレースを見てほしい。真近で見る馬の迫力は全然違うから。十勝は温泉もたくさんあるし、食べ物も美味しいからね。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
オッズパーク地方競馬応援プロジェクトで現在兵庫に在籍するのは2頭。マジックカーペット(牡4)は2016年園田ジュニアカップと2017年菊水賞、コーナスフロリダ(牡3)は2017年園田ジュニアカップを制覇し、世代を代表する重賞ウィナーとなっている。マジックカーペットは昨年6月に骨折・休養に入っていたが、いよいよ復帰に向け帰厩したということで、両馬を管理する田中範雄調教師に現況を聞いた。
デビューから7戦無敗ながら昨年6月、兵庫ダービー直前に左前脚の管骨亀裂骨折が判明し休養していたマジックカーペットがいよいよ帰厩したそうですね。
はい、4月14日に戻ってきました。骨折が判明した時は本当に残念でしたし、会員の皆さんには申し訳なかったです。当時500kg前後の馬体でしたが、今は成長して540kg。風格が全然違います。肩に幅が出て、完成された感じですね。実は去年の暮れに帰厩させようかとも考えたのですが、寒い時期は脚に入れているボルトに違和感を感じるのでは?と思い、暖かくなるまで待たせていただきました。私の経験上、ボルトが入った状態で寒い時期から使った馬はこれまで成功していないんです。会員のみなさんには長い間お待たせしてしまいましたが、おかげさまでとてもいい状態で帰ってきました。
帰厩したマジックカーペット
実際に見せていただいて本当に風格がありますし、背も高くなったように感じます。復帰戦など具体的なことは決まっていますか?
長い距離で復帰させたいですね。テンからスピードを要求される1400mは脚元に負担がかかります。しかし長い距離ならばスタートから前半は3割の力で行き、ある程度加速したところから後半800mで競馬をしていけば脚元にも負担がかかりにくいのではないかと考えています。兵庫ダービー前の骨折した時のあの嫌な感じが今でも忘れられません。あれは自分の不始末です。ですから、マジックカーペットには何か残してやりたくて、兵庫の無敗記録を作ってあげたいですね。復帰は条件戦からのスタートになると思いますが、オープンのA1まで上がってもいきなり重賞には使わずに、できるだけ連勝記録を伸ばして、斤量を背負わないといけないくらいポイントを稼いでから初めて重賞に出走させようかと考えています。
現3歳世代にはコーナスフロリダもいます。菊水賞は1番人気ながら4着。何かあったのでしょうか?
レースからあがってきた時の歩様がちょっとおかしかったんです。時間が経つにつれて歩様も戻り、レントゲンやエコーの結果、骨にも異常はないんですが、右脚内側の靭帯が腫れていました。何度もレースVTRを見て私なりに考えた結果、スタートして最初のコーナーで同厩舎のイチノフリオーソと接触し、そこで痛めたのではないかなと思います。実際、イチノフリオーソは右脚の外側を4針縫う怪我をして帰ってきているので。そんな状態で1周回ってきているので、伸びなかったのかなと。向正面でまくっていく感じもいつもと違いましたし、そうでないと4着なんて考えられません。7割のデキだった前走と違い、今回は最終追い切りで古馬とビシッと併せ馬をしてかなりいいデキでした。なんぼ悪くても2着には残らないといけないんですが......申し訳ございません。
園田ジュニアカップ(2017年12月31日)を制したコーナスフロリダ
写真:兵庫県競馬組合
それは不運でしたね。しかし、コーナスフロリダはまくっていく時の脚がすごいですね。
この馬のええとこは、平均ペースで長く脚を使えるところです。スタートはゆっくりですが、長距離ならば上がり4ハロンをどう走るかだけで、どの位置にいるかは関係ありません。コーナーを1つ回る度にポジションを上げればいいんですから。2戦目以降1700m中心に使って、そういう競馬を教えています。
菊水賞から4日が経ったところですが、今後の見通しはいかがですか?
今は安静にしています。どのくらいで治るか現時点では分かりませんが、問題なければ兵庫ダービーには間に合うのではないかと思います。そこから逆算して1レース使うことも治れば考えていますが、絶対に大丈夫とはまだ言えない状況です。装蹄師と相談して、痛がっている内側が少しでも楽に歩けるような蹄鉄に替えたりしています。
ここまでお話を聞いていて、田中範雄調教師の経験に裏付けされたお話がとても印象的です。通算1883勝(4月18日時点)、兵庫リーディングにも2004年、2014年に輝いています。改めて経歴を教えていただけますか?
父も兵庫で調教師をしていました。若い頃は遊んでいたんですが、20歳で父の厩舎で厩務員として働き始めました。その後、別の厩舎でも働きましたが、担当するのは脚が腫れている馬とかが多かったので、父にどうしたらいいか教えてもらいました。当時は進上金がよくて、若い頃やからね、遊ぶ金が欲しくて(笑)。「治せばなんとかなる」という発想で、どうしたらレースで結果を残せるかを考えていました。父が亡くなった後も、母から「腱の時は温めたらラクやからお父さんは温湿布しとったで」など教えてもらいました。
ここまで重賞52勝。マジックカーペットやコーナスフロリダでもさらに重賞制覇を期待しています。
長く使いたい馬は長距離で、と思っています。マジックカーペットも脚元のことがあるので長い距離で長く走らせたいですね。コーナスフロリダも治ればやれると思います。マジックカーペットも帰ってきたので今年は厩舎にエアコンを2基増設予定です。これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
NARグランプリ2017で、2年連続5度目の最優秀勝率調教師賞を受賞した名古屋の川西毅調教師。2005年1月の開業以来、順調に勝利を重ね、今年2月14日には地方通算1400勝を達成した。13年間の調教師生活の中で出会った思い出の馬を振り返り、今後の目標を語ってもらった。
2年連続5度目の最優秀勝率調教師賞(29.1%)、おめでとうございます。
結果として、そうなりましたが、成績そのものは前年より下がってますので、正直、喜べないんですよね(2016年は380戦151勝に対し、2017年は357戦104勝)。勝つことにこだわりはもちろんありますが、勝率にこだわっているわけではないので、気にはしていません。まず前年の成績よりも上かどうかが大事だと思ってます。
2月14日には1400勝も達成しました。
これも、主催者発表を見るまで気が付きませんでした(笑)。大人になったら誕生日が来ても、子供のころと違って、そんなに感慨がないでしょ?そんな感じですね(笑)。
ご出身は大阪と聞いていますが、競馬との出会いや名古屋にはどのような経緯で来られたのですか?
22歳で学校を卒業するまで大阪で育ちました。高校時代にオグリキャップの競馬ブームで競馬が好きになりました。大学時代には北海道の牧場にアルバイトに行きました。馬と関わるのが楽しくて、仕事にしたいと思って、バイト先に相談したら、弥富の厩舎を紹介されました。それが、調教師になるまでお世話になった河村功厩舎でした。その後、河村先生が引退されるのと、僕が調教師に合格したのが同時だったので、うまく厩舎を引き継げたのもラッキーでした。
開業以来、重賞は61勝。重賞13勝を挙げたヒシウォーシイや、交流JpnIIIのサマーチャンピオンで2着に入ったピッチシフターなど多くの名馬を手がけてきました。
ヒシウォーシイは遠征先の福山でも2度勝ってくれましたし、ピッチシフターは小柄な牝馬で最初のころはカイバを食べないので馬体の維持が難しかった。少しずつカイバは食べるようになってきたけど、今度は食べるようになったら、走らなくなって、調整の難しさを知りました。
東海ダービー(2008年6月6日)を制したヒシウォーシイ(写真:愛知県競馬組合)
やはり、この2頭が調教師生活の中で印象に残っていますか?
この2頭も印象深いけど、一番忘れられないのはリーダーズボードですね。
新春ペガサスカップ(2014年1月17日)を制したリーダーズボード(写真:愛知県競馬組合)
名古屋で7連勝後、JpnIIの兵庫ジュニアグランプリで中央勢相手に3着。その後も3連勝で駿蹄賞を勝ちましたが、そこで屈腱炎を発症し、ラストランとなった悲運の名馬でした。
レースに前向きなところが長所でした。短距離向きのブラックホーク産駒でしたが、母父のティンバーカントリーが強く出ていたので、2000メートル前後くらいまでなら大丈夫だったと思います。兵庫ジュニアグランプリで勝ったニシケンモノノフは昨年ついにジーワン馬になりましたし、2着マキャヴィティも中央のオープンを勝ちました。この2頭と差のない競馬をしたんですから、リーダーズボードの能力も相当なものだったと思ってます。本当にもったいなかったです。今、南関東に半弟で全日本2歳優駿3着だったハセノパイロ(父パイロ、NARグランプリ2017・2歳最優秀牡馬)がいますが、あの馬もかなり走りそうですね。
昨年はドリームズラインが東海地区からは24年ぶりとなる三冠馬(駿蹄賞、東海ダービー、岐阜金賞)に輝きました。
三冠は勝ってくれたけど、その後の古馬との対戦で結果を出せなかったので、後味が悪いんですよね。今は北海道に放牧に出ていますが、今年は三冠馬の名に恥じないような結果を出せるよう、立て直したいと思っています。
岐阜金賞(2017年10月13日)を制したドリームズライン
今後の目標を聞かせて下さい。
今年は古馬ではドリームズラインが壁に当たっていますし、3歳馬も(名古屋の重賞を独占している)サムライドライブに対抗できるような存在もいません。まず、確実に勝てるレースを勝って、昨年以上の成績を挙げて、1500勝を目指します。
最後にオッズパークのファンに向けて一言お願いします。
最近は地方競馬全体がネットでの売り上げに支えられて好調ですし、ファンの方には感謝しています。賞金も上がる傾向にはありますが、厩舎経営していく上では、良くなった実感はまだありませんし、もっと努力が必要と思っています。これからも強い馬づくりを目指していきますので、ご声援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 松浦渉