10月21日に地方通算1,000勝を達成した藤ケ崎一人調教師。さらに11月には管理馬で宮下瞳騎手が地方通算1,000勝目を挙げたほか、ナムラマホーホが東海菊花賞を勝つなどおめでたいニュースが続きます。
地方通算1,000勝おめでとうございます。
ありがとうございます。近づいているのは分かっていましたが、あとから「このレースで1,000勝でした」と聞いたので、実感はそんなになかったです。
お父様も名古屋の調教師。その背中を見て、この道を志したのでしょうか?
父が騎手をしていたので、小さい頃からその姿を見てきて、馬が近くにいる環境でした。大学を卒業してから栗田和昌厩舎で厩務員をして、調教師補佐の試験を受ける前に父の厩舎に移りました。
厩舎の初出走は33歳の時で、若くして調教師になられたんですね。
流れのままと言いますか、年齢的に調教師補佐を受ける頃になったので受験し、何年か補佐をやったら次は調教師、という感じで受けました。
厩舎初出走からもうすぐ24年目になります。これまでで一番嬉しかったことはなんですか?
少しですけど重賞も勝たせていただいて、それも嬉しいのですが、一番嬉しかったのはアラブのオープンレースを勝った時です。キタイセネオンという馬がいたんですけど、開業当時はまだ若かったので自分でも調教に乗っていました。深管骨瘤で脚元に不安があって、強めに乗ると歩様が悪くなり、なかなかスムーズに進められなかったのですが、時間をかけて少しずつ力をつけて勝ち上がって、アラブのオープンレースを勝ったんです。実力は結構あると感じていて、体質が強くなってからはさらに活躍してくれました。
宮下瞳騎手が地方通算1,000勝を達成したリアルスピード
嬉しい出来事と言えば、11月18日に宮下瞳騎手が地方通算1,000勝を達成した時に騎乗していたのが藤ケ崎厩舎のリアルスピードでしたね。
うちの馬で勝てればいいなと思っていましたが、めぐり合わせですからね。新聞には印がついていましたけど、ちょっと難しいところがあって、色気を出してスタートから仕掛けていったり、勝負所で早めに仕掛けると、しまいの脚が甘くなってしまう馬なんです。
この日のレースはバラけた展開になって、「こんな展開で大丈夫かな?」と心配していたんですけど、(宮下)瞳ちゃんがその辺りを考えて追い出しをすごく我慢して、上手く乗ってくれました。
勝った時のお気持ちはどうでしたか?
リアルスピードのオーナーが前日からすごく楽しみにしていて、喜んでくださってよかったです。1カ月ほど前にオーナーとお会いした時に「うちの馬で1,000勝目を勝てるといいなぁ」とおっしゃっていました。その時はまだいつ頃に達成しそうか見えていなかったんですけど、前日の最終レースを勝って999勝で、次の日の1鞍目がリアルスピード。僕や馬よりもオーナーが興奮されていました。
その翌日にはナムラマホーホで東海菊花賞を勝って、厩舎はおめでたいこと続きでした。ナムラマホーホは昨年2月にJRA未勝利から移籍してきましたが、当時の印象はどうでしたか?
430kg台でそんなに大きな馬でもないですし、馬っぷりも「すごくいい馬だ」というわけでもなかったんですけど、移籍初戦が強い勝ち方で、想像以上に走る印象がありました。
ナムラマホーホで東海菊花賞制覇
その後は連勝街道を歩み、今年7月の名港盃(1,900m)で重賞初制覇を果たすと、1,400mのベイスプリントも勝利。短距離でも中距離でも重賞を勝っていますが、適距離はどのあたりでしょうか?
1,800mや1,900mの方が序盤に慌てさせずにすむので、いいような気がします。移籍当初は下のクラスからだったので逃げ・先行が多かったですが、上のクラスに上がって他に速い馬が出てきた時に中団からでも競馬ができたことが、ここまで活躍できている要因かなと思います。長い距離になっても掛かることもありませんしね。
藤ケ崎調教師ご自身はこれからの目標などは定めていますか?
オーナーから大事な馬を預かっているので、これからも毎日コツコツ、手を抜かずに管理していきたいです。少しでも喜んでいただけるように、いい成績を残せられたらと思います。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
来年4月からは競馬場が移転して、弥富でレースが行われます。今の競馬場に来られている方にとっては遠くなってしまいますけど、少しでも足を運んでいただいて応援していただけると嬉しいです。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
8月16日の盛岡第6レースで村上実調教師が地方通算1,500勝を達成した。村上実調教師は騎手として812勝を挙げ、岩手のトップジョッキーとして活躍。そして調教師としてもトップクラスのトレーナーとして見事な勝利数を積み重ねてきた。今回は師に思い出の馬などを振り返っていただいた。
まずは1,500勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
1984年に調教師として開業されて37年になりますが、この1,500勝を振り返ってみて、ここまでの道程の感想とか苦労された事とかは何かありますか?
特別な苦労というのはあまり感じなかったですね。わりと順調に来た方ではないでしょうか。良い馬にも巡り合ったし、特別に"苦労した"という感じはないかな。
村上先生は騎手から調教師になられたので改めておうかがいしたいのですが、騎手としてもトップジョッキーとして活躍されて、みちのく大賞典や桐花賞も勝たれていますけれども、それほどの騎手が若くして引退されたのはどうしてだったのでしょうか。
いやもう減量がきつくてね。なんせ毎年10キロから減量しなくちゃいけなかったから。騎手を引退したのが32歳の時ですか。もうちょっと乗りたかったんですけども、体が追いつかなくなった。減量には勝てなかったですね。
調教師に転身された当初の苦労は何かありましたか。
開業した当時は資金も足りなかったし、いろいろ苦労はありましたね。でも開業2年目にトウケイフリートという走る馬に恵まれて、それからはほとんど苦労はしなかったです。
自分が岩手競馬を見始めたのはもう少し後の頃からなので実際のトウケイフリートを知らないんですけれども、どんな馬だったんでしょうか。
ごろっとした幅のある馬でしたね。馬体重は500キロぐらいあったと思ったね。上にはそんなに大きくはなかったけど幅があった。脚がちょっと内向で、それがあったから中央とかに行けなかったんじゃないかな。でも故障しないでよく走ってくれた馬でした。
デビューが今で言う3歳の4月で、かなり遅いですよね。
やっぱりその内向のせいで強い調教がなかなかできなかったんですね。徐々に調教のペースを上げていかないと脚元が保たなかった。じっくり仕上げていったのでデビューが遅かったのだと思います。でもデビュー2戦目にはもう特別を勝ったのだからやはり力がある馬でした。
こういうとなんですが、開業してまだ2年目くらいの新人調教師のところに重賞を勝ちまくるような馬が巡ってきたわけですから、凄い順調というか幸運というか......。
トウケイフリートが来たのは騎手時代に同じ馬主さんの馬(トウケイホープなど)に乗っていた繋がりのおかげでもありました。トウケイフリートの時は、馬主さんが若駒を買ったから見て来いということで、あの馬はえりも農場の生産でしたけども、えりもまで見に行ったこともあります。結果、その馬が当時あった重賞のほとんどを勝つくらいになって厩舎の流れも良くなった。上手くいきすぎといえばいきすぎでしたね。
さて、思い出に残る馬としてはまずトウケイフリートが挙がるとして、もう1頭挙げていただくとするとやはり......。
トニージェントだね。
トニージェント(2005年みちのく大賞典の返し馬)
トニージェントが先生のところに来た経緯は覚えておられますか。
トニージェントは確か補助馬だったんじゃないかな。牧場まで見に行って決めたんです。若馬の頃は細かったね。細くて脚長で。小さい頃の見栄えはイマイチだったと思う。徐々に身体の幅が出てきて良くなってきた。
デビュー戦の時は453キロでしたね。
初戦はもちろん勝ったんだけど、身体はまだ弱かった。レースを使って動きが悪くなって、確かしばらく休養したと思う。今思えばその休養が良かったんじゃないのかな。それで身体ができてきた。
そうですね、半年休養してからの復帰戦が490キロになっていますね。
ああ、そうでしょう?その辺からだんだん体ができて、走るようにもなっていった。
トニージェントは、グレードレースを勝ちたかったですね。勝てそうなレースはいくつかあったんじゃないかと今でも思っています。
船橋(2003年かしわ記念)は惜しかったね。あの時は、4着だったか。1コーナーで少し進路が狭くなる不利があって、あれがなければもっときわどい勝負になっていたんじゃないかなと思っていました。勝った馬から1馬身ぐらいしかなかったからね。
2003年かしわ記念(当時GII)。トニージェント(左)は4着に食い込んだ
上山のさくらんぼ記念や佐賀記念、名古屋大賞典なんかも惜しかったですね。当時下川さん(トニージェントの担当厩務員)と"もうちょっとで勝てたよね"と悔しがった記憶があります。
これも今思えば直前の輸送にはちょっと弱かったかもしれないですね。東北ダービーの新潟もそうだし、上山でも負けてるから。それで佐賀記念の時は早めに移動して長期滞在で挑んだ。相手が強くて勝てなかったけれども馬には滞在競馬の方が良かったと思う。それから夏場はあまり良くなかった。
というと?
夏は暑さにちょっと弱くてね。夏はあまり勝っていないでしょう?でも冬のレースは勝っている。冬場は体調が良くてすごく調子がいい時期だったね。
ああ、確かにみちのく大賞典を勝ったのはレースが8月から6月に移動してからですね。8月の時は2回走って2回とも負けています。
そうでしょう?夏場はちょっと良くなかったからね。だから7歳、8歳の頃は夏は休養にあてて、マーキュリーカップを走った後は北上川大賞典まで間を開けていましたね。やはり寒い頃は走ったね。
ところでそのトニージェントなんですが、デビューから引退までほぼずっと村上忍騎手が乗っていました。先生としてはやはり息子の忍騎手を育てようという狙いというか意思があったんでしょうか?
もちろんそうですよ。やっぱり強い馬に乗せないと上手くならないからね。馬に教えられるわけだから、重賞を勝てるような馬に乗っていないと騎手も上手くならないですから。
村上実調教師は騎手だった80年代からずっと岩手競馬を見ておられるわけですけども、昔と今の岩手競馬で変わった点とかありますか。
自分が騎手だった頃は交流競走がほとんど無かったですよね。今はどこでも乗れるからね。最近はコロナで難しかったりするけども、その辺が一番違うんじゃないかな。レースに出すにしても中央に行って使うなんて自分が若い頃には無かったですから。
最近は売り上げも上がってきてるんですけども、苦しい時期を乗り越えたといえる今はどう思われますか。
だいぶ良くなったけれど、でもまだまだと言いたいですね。これからどんどん伸びてくれればいいんですが。
村上実厩舎の期待の馬を挙げていただくとすると。
リリーモントルーかな。夏場は夏負けで調子が良くなかったですが涼しくなって立ち直ってきた。中央の頃は芝で走っていたし、トビが軽い馬ですから芝がいいかなと思って連れてきたけど、でもダートでもどっちでもいいのかもしれない。重賞を何か勝てればいいなと思っています。
厩舎の期待馬リリーモントルー
ひと区切りの1,500勝を達成したということで、この先の目標を教えてください。
この先といっても大きな目標は持ってないですが、何か重賞を獲りたいですね。それが今は一番の目標かな。
リリーモントルーや、ハーベストカップを勝ったリンシャンカイホウ(写真)は村上忍騎手の息子・村上朝陽厩務員が担当。"親子三代"での重賞制覇を目指す
それでは最後にオッズパークの会員さんにひとことを
いつもインターネットで岩手競馬の馬券を買っていただいてありがとうございます。これからも岩手競馬を応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
9月12日に地方通算2,000勝を達成した九日俊光調教師(佐賀)。初出走から27年の間には九州ダービー栄城賞4勝や、5年連続佐賀リーディングなど多くのタイトルを手にしてきました。今年も佐賀リーディングを走る九日調教師のいまのお気持ちとは。
2,000勝おめでとうございます。記録が近づいているのは意識してらっしゃいましたか?
ありがとうございます。2,000勝は全然気にしていなかったです。この年齢になると、2,000くらい勝てるかな、と感じています。
厩舎初出走は1994年4月。調教師になったきっかけは何でしたか?
佐賀で騎手をしていたんですけど、体重が重たくてね。
開業した頃の思い出に残っていることは何ですか?
初勝利がB級の重賞(1994年佐賀競馬リーディングジョッキー特別・カイキョウロマン)で、首からかけるレイがあったんですよ。開業にあたって他の先生のところから預かった馬だったんですけど、記憶に残っています。
9月12日、地方通算2,000勝を達成したシゲルブチョウ(写真:佐賀県競馬組合)
それから27年、多くの重賞レースを勝ってきました。記憶に残っている馬は?
ありがたいことにここまで恵まれてきて、思い出の馬はいっぱいいます。開業して最初に預かった2歳新馬がキングオブザロードという馬でした。それがめちゃくちゃ走ってね、佐賀で賞金を1億円稼ぎました。2歳で来た時はそんなことはなかったのですが、年が明けて3歳になるといい馬になってきて、ダービーとかを意識できるようになりました。
佐賀のダービーにあたる栄城賞を勝ち、その後も重賞を勝ちました。
プロキオンステークスや小倉日経オープンなど中央競馬にも遠征に行けて、若かったので「挑戦だ!」とはしゃいで楽しかったですよ。安藤くん(安藤勝己元騎手)とは同級生なんですが、当時は彼もまだ笠松から中央に遠征していた時で、遠征先で一緒になるといろいろ話したりご飯を食べたりできて、楽しかったです。
安藤くんが佐賀のJRA認定レースをうちの厩舎のコウエイリードで勝って、ひまわり賞(小倉競馬場が改修中のため京都開催)に遠征したんですけど、その時も安藤君に乗ってもらいました。佐賀の馬に笠松のジョッキーが乗って中央に遠征するっていうのが楽しかったですね。
JRA遠征と言えば、スーパーマックスの2017年チャレンジカップ(GIII、阪神芝2,000m)も5着で興奮しました。
気づけば5着で、「やったじゃん」という感じでした。翌年には阪神大賞典にも出走したんですけど、佐賀デビューの馬でGIIに出走できるというのが嬉しかったです。GIIに出走できることなんて、最初で最後かもしれないと感じました。
阪神大賞典に出走したスーパーマックス(写真:大恵陽子)
そういった活躍馬をこれからもどんどん育てられることと思います。
もう自分たちはゴールに入った後の流し運転に入っている感じで、若い子たちにガンガン抜いていってほしいなと思います。
今年61歳。後輩たちの活躍も願ってらっしゃるんですね。とはいえ、今年も佐賀リーディングを走っています(10月17日現在)。
馬房数が40くらいあって、馬がたくさんいますからね。馬主さんに恵まれています。何年か前に売り上げが落ちて一番キツかった頃に馬房数を増やせたんですけど、あの頃は佐賀の在籍馬も少なくて、潰れるんじゃないかって言われていました。今は売り上げが伸びていて、ありがたいですね。
2018年九州ダービー栄城賞を制したスーパージェット(写真:佐賀県競馬組合)
今後について、目標や勝ちたいレースなど教えてください。
佐賀競馬の調教師としてはこれまでたくさん勝たせていただきました。高知優駿も、今から考えると「佐賀の馬が勝てるなんて」と思いますが、スーパージェットで勝たせていただきました。佐賀の調教師として中央のGIを勝つっていうのは、それはもう夢物語なので、セリで自分が見つけた馬が中央の先生の元でGIを勝ってくれることが夢ですかね。
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※インタビュー / 大恵陽子
9月12日のばんえい第2レースでフンコロガシが勝ち、西邑春夫調教師(73)は1,500勝を達成しました。開業38年目、ばんえい競馬の調教師では歴代8人目(現役5人目)の快挙です。
(写真:ばんえい十勝)
1,500勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。年齢的にも少し焦っていたので無事達成できてよかったです。
旭川市出身ですね。競馬との関わりを教えてください。
姉が競馬場に友達がいて、その紹介です。スキーで高校に行きたいという思いもあったけれど、働いてほしいと親にも言われたから中西関松さんの厩舎に入りました。ばん馬は大きいし体重もある。家に馬もいなかったし、続けていけるんだろうか、と思ったけれど慣れてきた。
ばんえい草創期の大スターといわれる、中西関松さんのもとで働かれていたのですね。どのような方でしたか。
当時、中西さんは騎手と調教師を兼業していました。名人だ。馬に対しては厳しかった。「自分が食わなくても馬に餌やれ」と言われました。大事にするのは餌やり、運動。朝の調教、昼には外に馬を出し、夜には手入れ。きつかったですね。
教えが今の厩舎にも受け継がれているんですね。
時代が変わったから。同じことをしていたら人が長続きしないから、若い人がいなくなるよ(笑)。今厩務員は3人います。
騎手生活について教えて下さい。1973年デビューですね。
少し乗ってはいたけれど、2、3年かな。乗るのは嫌いだった(笑)。調教師のほうがいいよ。
その後、1977年に中西さんが58歳で調教師専業になり、騎手と調教師の兼業が終わりました。西邑先生の調教師開業は1984年でしたね。
中西さんはものすごく喜んでくれた。開業の時には道具を回してくれたり、たくさん後押ししてくれました。開業した年に、今厩務員をしている次男が生まれたのでよく覚えています。1カ月で競馬場に連れてきたな。所属騎手と兄弟のように育ったよ。中西さんには本当にお世話になった。1989年に調教師を引退してから1年たたずして亡くなられました。
さて、サカノタイソンについてお話を聞かせてください。3歳時に西邑厩舎に転厩し19連勝しました。
大きかったな。体高もあったし。他の厩舎から移籍して来たとき「すごいな」と。3歳だけど他の馬より大きいね、とみんなと話をした。ただ心臓が弱かった。レースが終わるたびに獣医師に見てもらって、鍼を打ったりしていたよ。夏が弱かったから、岩見沢はほとんど使っていないんだ。タイムが速い競馬もあるし。大事に使われていた。
レースは騎手に任せていた。20連勝を狙っていたけれど......(春休み明けの1999年6月のレースで4着)。調子が良くなかったけれど、連勝の期待がかかっていて使わざるを得なかったからね。
初めて勝ったばんえい記念(2001年)は、最初は使う予定がなかったんだ。だから主戦の藤本騎手はグレイトジャイナーに先約があって乗らなかった(大河原騎手騎乗)。当時5歳だったスーパーペガサスが来年はばんえい記念に出てくるだろうから、と早めに使うことにしたんだ。
勝ったときは嬉しかった。自分の厩舎でばんえい記念を勝てるとは感無量。2回目のばんえい記念(2002年、初参戦のスーパーペガサスは2着)の前は、特別戦ばかり走り、考えながら使っていた。種馬になったけれど、長生きできなかったな。心臓に爆弾抱えていたから......。
ばんえい記念を制したサカノタイソン(2001年2月18日)
一昨年、ホクショウマサルが19連勝の記録を塗り替えました。正直、その時どう思われましたか。
良かったなぁ、って。あれだけレースを使って連勝するのは大変だよね。あれくらいの馬はいない。騎手も大変だったろう。
ソウクンボーイの引退式。左端が西邑春夫調教師
過去の所属馬について教えて下さい。まずは今年引退式を行ったソウクンボーイはいかがでしょう。
障害だけが難儀するんだ。ずるいところもあった。ばんえい記念は、出る馬が少なかったから無理して使ったところもあった。2歳で重賞を勝つ(2012年ヤングチャンピオンシップ)とハンディもあってその後は大変だったが、いい思いをさせてもらった。馬主さんがとてもいい人だから、大事に使うことができた。
ユミタロウ(2003年旭川記念)は力があるが、ずるいところがあったな。種馬になろうとした矢先に事故で亡くなってしまいました。ナリタボブサップ(2010年ばんえいグランプリなど重賞6勝)もいい馬だったな。強かった。
騎手時代にはキンパイやヤマサラツキーが思い出に残っています。活躍馬ではカミチカオウですね。馬主から、周りの人たちからいい人に恵まれて、幸せだと思う。真面目な馬もいたし、いろいろと教えた馬もいたね。
ユミタロウ
現在の所属馬について教えて下さい。ビールはレースの際に、枝豆などおつまみの飾りがたてがみについていてかわいいですね。
ビールはもう少し体重があればな。これからです。
フナノダイヤモンドは馬場が軽いといいが、重くなると辛いんだ。期待はしている。
1,500勝をしたフンコロガシ、馬名の意味はわからないんだよな(笑)。
1,000勝達成時は2007年3月17日、ばんえいの4市開催が終わりを告げる頃でした。
こんなに長いことできるとは。4市による市営競馬組合が解散した時にもうばん馬は終わりかな、って思ったよ。存続して嬉しかった。願わくば、もう一箇所あればいいね。でも昔のように4市で回っていたら、体力的に続けられないと思う。昔は賞金も高かったし、いい時代だった。それでもここ最近は良くなってきたよ。
最後にオッズパーク会員に一言お願いいたします。
ファンや馬主さんに本当にお世話になった。これからも1勝1勝を大事に頑張っていきます。自分が引退してからも競馬が続くように、これからも盛り上げていただければと思います。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
林和弘調教師は6月24日の門別第6レースで通算1,000勝(地方・中央)を達成。ホッカイドウ競馬では現役6人目の快挙を達成しました。今シーズンはラッキードリームでホッカイドウ競馬の3歳三冠制覇を達成し、史上4人目の"三冠トレーナー"の称号も手にしています。
97年の初出走から、およそ24年で通算1,000勝の大台に到達されました。この数字についての率直な印象はいかがでしょうか。
まあ長くやっているのでね。数字はともかくとして、ここまでやってこられたのは、馬主さんやスタッフのおかげだと思っています。
8月5日終了時点で重賞競走も42勝されています。これまでの調教師人生のなかで、印象に残っている馬やレースがあれば教えてください。
バンブーボカで交流重賞をクビ差負けした(2004年宇都宮・とちぎマロニエカップGIII)ですかね。道営記念を勝つようになる(05年)まで成長してくれただけに、グレードレースを勝たせてあげられなかったのが悔いとして残っています。もちろん、勝ったレースはどれもうれしいですが、負けてしまったレースでいちばん思い出に残っているのは、やはりそれでしょうかね。
元々JRAでデビューできず、ホッカイドウ競馬へ移籍した馬だったかと思います。調教するにあたって、難しい点などはなかったのでしょうか。
それは特に感じなかったですね。持って生まれた力を出してくれましたから。馬の能力は生まれつきである程度決まっていて、それを「調教で走らせた」というのは、人間のおごりではないかと思うんです。馬を調教していくにあたっては、馬の能力、成長力を阻害しないことが一番大事でしょうね。
以前は門別や旭川、札幌など、各競馬場を移動する開催形式でしたが、現在は門別に開催が一本化されました。調教のスタイルなども変化はあったのでしょうか。
門別に集約されたのもそうですが、やっぱり屋内坂路コースができたのが大きいですよね。馬場での調教だと6~7くらいしか出せなかった能力が、坂路で調教できるようになると、9~10の力を出せるようになったような気がします。
ホッカイドウ競馬は2歳馬の入厩頭数が多いですが、例えば若い馬を扱ううえで意識していることは何でしょうか。
「2歳馬だから」といって特別に気をつけるようなことはありませんが、2歳のうちに力を出し切ってしまって、古馬になって能力を発揮できないということにはならないようには意識しています。早い段階からあまり無理使いをしないように。古馬になってからも力を発揮できるよう、態勢を整えるようにはしているつもりです。
ショウリダバンザイやリンノレジェンドなど、2歳時に林厩舎のもとでデビューし、古馬になってから活躍する馬も多いですよね。そういった意味では、昨年JBC2歳優駿を制したラッキードリームが、今年のホッカイドウ競馬3歳三冠を達成しました。同世代のリーチともども、セリで購買された馬だったと思いますが、第一印象はどうだったのでしょう。
2頭ともセリの段階から見てきたんですが、馬体の見た目が良かったですよね。馬の好みは人それぞれの部分もあるので、いい馬の定義っていうのはなかなか難しいですが、ラッキードリームのほうは、親父(林正夫オーナー)もひと目見て気に入ったみたいでね。リーチに関しては、オーナーが芦毛の馬を欲しがっていたんですが、セリに出ていた芦毛の馬のなかでは「いい馬だな」と思いましたし、値段を考えてもちょうどいいと思ったんですよね。オーナーや佐賀の真島(元徳)調教師とも一緒に見たんですが、皆さん気に入ったようでした。2頭とも期待以上の活躍をしてくれましたし、特にラッキードリームは、JBCまで勝ってくれましたからね。
王冠賞(7月22日)を制して三冠を達成したラッキードリム。リーチ(右)は3着
ラッキードリームの三冠までの道のりについて教えてください。
うちの厩舎にいた厩務員が不祥事を起こしてしまい、昨年の12月から1年間、北海道と岩手の限定免許になってしまったんです。リーチもそうだったんですが、全日本2歳優駿に向かう際は櫻井拓章厩舎に転厩して臨むことになりました。馬に罪はないんですが、転厩せざるを得なかったことで、オーナーに迷惑をかけてしまいましたね。
ラッキードリームについてはかねてから、今年は北斗盃から始動するつもりで考えていました。レースを1回使うと、我々が思った以上に負担がかかるものですから、無理使いせず、馬のことをいちばんに考えたローテーションで臨んだつもりです。
北斗盃は初の内回りを克服しての快勝でした。
やはり今年初戦ということもあったので、正直なところ、力関係がどうなっているのかというところが不安だったんですよね。それがいざレースになると、能力の高さをあらためて証明してくれる内容だったので、ホッとしましたね。
それからほぼ1カ月間隔で三冠制覇となったわけですが、中間の馬の様子はどうだったんでしょう。
いい意味で大きな変化はなかったんじゃないでしょうかね。調子の波もなく、順調に来てくれたと思います。馬体重が500キロを超えたので、そういう意味では、2歳の頃と比べての成長もあったんじゃないでしょうかね。
リーチも三冠戦線で2、2、3着と安定した走りを続けました。2頭の今後について教えてください。
ラッキードリームはダービーグランプリ(10月3日、盛岡競馬場)へ直行しようと思います。少しレース間隔はあきますが、無理せず、いつも通り進めていければいいですね。各地の力のある馬も出てくると思いますが、うちの馬でも十分通用するような力はあると期待しています。
リーチについては、三冠では距離が伸びたなかでもいい結果を出してくれたと思いますが、本質的には1400から1600くらいまでの方がいいのではないでしょうかね。今後については、門別では短めの距離を中心に使っていって、もし出られるようであれば、楠賞(11月2日、園田競馬場)へ出走できればと思っています。
三冠で2、2、3着だったリーチ
林調教師自身の、今後の目標についても教えてください。
目標......何だろう?(笑)。まあ馬も人間も健康で、1日でも長く続けられたらと思いますけどね。これから1歳馬のセリも本格化しますが、いい馬を見つけて、自分の厩舎で結果を出していければ喜ばしいですよね。
林調教師は北海道調騎会の会長も務めていらっしゃいます。昨年はホッカイドウ競馬の馬券発売額がレコードを更新し、今年の売り上げもそれを上回るペースです。
コロナがきっかけで、多くのお客さんに知ってもらえたのが大きいですよね。そんななかでも、お客さんの期待に応えるべく、馬に携わっている一人ひとりと、公社(ホッカイドウ競馬を運営する一般社団法人北海道軽種馬振興公社)の皆さんががんばっているおかげだと思います。
ラッキードリームはホッカイドウ競馬史上6頭目の三冠馬
では最後に、オッズパーク会員の皆さんへメッセージをお願いします。
いつもホッカイドウ競馬の馬券を買っていただき、本当にありがとうございます。これからもみんなで一生懸命やって、少しでも、皆さんに楽しい競馬を見せられるようがんばりますので、これからも応援のほどよろしくお願いします。
林和弘調教師は、令和3年9月4日(土)にご逝去されました。
故人のご功績を偲び、心より御冥福をお祈り申し上げます。(2021年9月6日追記)
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※インタビュー・写真 / 山下広貴