
オッズパーク地方競馬応援プロジェクトで現在兵庫に在籍するのは2頭。マジックカーペット(牡4)は2016年園田ジュニアカップと2017年菊水賞、コーナスフロリダ(牡3)は2017年園田ジュニアカップを制覇し、世代を代表する重賞ウィナーとなっている。マジックカーペットは昨年6月に骨折・休養に入っていたが、いよいよ復帰に向け帰厩したということで、両馬を管理する田中範雄調教師に現況を聞いた。
デビューから7戦無敗ながら昨年6月、兵庫ダービー直前に左前脚の管骨亀裂骨折が判明し休養していたマジックカーペットがいよいよ帰厩したそうですね。
はい、4月14日に戻ってきました。骨折が判明した時は本当に残念でしたし、会員の皆さんには申し訳なかったです。当時500kg前後の馬体でしたが、今は成長して540kg。風格が全然違います。肩に幅が出て、完成された感じですね。実は去年の暮れに帰厩させようかとも考えたのですが、寒い時期は脚に入れているボルトに違和感を感じるのでは?と思い、暖かくなるまで待たせていただきました。私の経験上、ボルトが入った状態で寒い時期から使った馬はこれまで成功していないんです。会員のみなさんには長い間お待たせしてしまいましたが、おかげさまでとてもいい状態で帰ってきました。
帰厩したマジックカーペット
実際に見せていただいて本当に風格がありますし、背も高くなったように感じます。復帰戦など具体的なことは決まっていますか?
長い距離で復帰させたいですね。テンからスピードを要求される1400mは脚元に負担がかかります。しかし長い距離ならばスタートから前半は3割の力で行き、ある程度加速したところから後半800mで競馬をしていけば脚元にも負担がかかりにくいのではないかと考えています。兵庫ダービー前の骨折した時のあの嫌な感じが今でも忘れられません。あれは自分の不始末です。ですから、マジックカーペットには何か残してやりたくて、兵庫の無敗記録を作ってあげたいですね。復帰は条件戦からのスタートになると思いますが、オープンのA1まで上がってもいきなり重賞には使わずに、できるだけ連勝記録を伸ばして、斤量を背負わないといけないくらいポイントを稼いでから初めて重賞に出走させようかと考えています。
現3歳世代にはコーナスフロリダもいます。菊水賞は1番人気ながら4着。何かあったのでしょうか?
レースからあがってきた時の歩様がちょっとおかしかったんです。時間が経つにつれて歩様も戻り、レントゲンやエコーの結果、骨にも異常はないんですが、右脚内側の靭帯が腫れていました。何度もレースVTRを見て私なりに考えた結果、スタートして最初のコーナーで同厩舎のイチノフリオーソと接触し、そこで痛めたのではないかなと思います。実際、イチノフリオーソは右脚の外側を4針縫う怪我をして帰ってきているので。そんな状態で1周回ってきているので、伸びなかったのかなと。向正面でまくっていく感じもいつもと違いましたし、そうでないと4着なんて考えられません。7割のデキだった前走と違い、今回は最終追い切りで古馬とビシッと併せ馬をしてかなりいいデキでした。なんぼ悪くても2着には残らないといけないんですが......申し訳ございません。
園田ジュニアカップ(2017年12月31日)を制したコーナスフロリダ
写真:兵庫県競馬組合
それは不運でしたね。しかし、コーナスフロリダはまくっていく時の脚がすごいですね。
この馬のええとこは、平均ペースで長く脚を使えるところです。スタートはゆっくりですが、長距離ならば上がり4ハロンをどう走るかだけで、どの位置にいるかは関係ありません。コーナーを1つ回る度にポジションを上げればいいんですから。2戦目以降1700m中心に使って、そういう競馬を教えています。
菊水賞から4日が経ったところですが、今後の見通しはいかがですか?
今は安静にしています。どのくらいで治るか現時点では分かりませんが、問題なければ兵庫ダービーには間に合うのではないかと思います。そこから逆算して1レース使うことも治れば考えていますが、絶対に大丈夫とはまだ言えない状況です。装蹄師と相談して、痛がっている内側が少しでも楽に歩けるような蹄鉄に替えたりしています。
ここまでお話を聞いていて、田中範雄調教師の経験に裏付けされたお話がとても印象的です。通算1883勝(4月18日時点)、兵庫リーディングにも2004年、2014年に輝いています。改めて経歴を教えていただけますか?
父も兵庫で調教師をしていました。若い頃は遊んでいたんですが、20歳で父の厩舎で厩務員として働き始めました。その後、別の厩舎でも働きましたが、担当するのは脚が腫れている馬とかが多かったので、父にどうしたらいいか教えてもらいました。当時は進上金がよくて、若い頃やからね、遊ぶ金が欲しくて(笑)。「治せばなんとかなる」という発想で、どうしたらレースで結果を残せるかを考えていました。父が亡くなった後も、母から「腱の時は温めたらラクやからお父さんは温湿布しとったで」など教えてもらいました。
ここまで重賞52勝。マジックカーペットやコーナスフロリダでもさらに重賞制覇を期待しています。
長く使いたい馬は長距離で、と思っています。マジックカーペットも脚元のことがあるので長い距離で長く走らせたいですね。コーナスフロリダも治ればやれると思います。マジックカーペットも帰ってきたので今年は厩舎にエアコンを2基増設予定です。これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
NARグランプリ2017で、2年連続5度目の最優秀勝率調教師賞を受賞した名古屋の川西毅調教師。2005年1月の開業以来、順調に勝利を重ね、今年2月14日には地方通算1400勝を達成した。13年間の調教師生活の中で出会った思い出の馬を振り返り、今後の目標を語ってもらった。
2年連続5度目の最優秀勝率調教師賞(29.1%)、おめでとうございます。
結果として、そうなりましたが、成績そのものは前年より下がってますので、正直、喜べないんですよね(2016年は380戦151勝に対し、2017年は357戦104勝)。勝つことにこだわりはもちろんありますが、勝率にこだわっているわけではないので、気にはしていません。まず前年の成績よりも上かどうかが大事だと思ってます。
2月14日には1400勝も達成しました。
これも、主催者発表を見るまで気が付きませんでした(笑)。大人になったら誕生日が来ても、子供のころと違って、そんなに感慨がないでしょ?そんな感じですね(笑)。
ご出身は大阪と聞いていますが、競馬との出会いや名古屋にはどのような経緯で来られたのですか?
22歳で学校を卒業するまで大阪で育ちました。高校時代にオグリキャップの競馬ブームで競馬が好きになりました。大学時代には北海道の牧場にアルバイトに行きました。馬と関わるのが楽しくて、仕事にしたいと思って、バイト先に相談したら、弥富の厩舎を紹介されました。それが、調教師になるまでお世話になった河村功厩舎でした。その後、河村先生が引退されるのと、僕が調教師に合格したのが同時だったので、うまく厩舎を引き継げたのもラッキーでした。
開業以来、重賞は61勝。重賞13勝を挙げたヒシウォーシイや、交流JpnIIIのサマーチャンピオンで2着に入ったピッチシフターなど多くの名馬を手がけてきました。
ヒシウォーシイは遠征先の福山でも2度勝ってくれましたし、ピッチシフターは小柄な牝馬で最初のころはカイバを食べないので馬体の維持が難しかった。少しずつカイバは食べるようになってきたけど、今度は食べるようになったら、走らなくなって、調整の難しさを知りました。
東海ダービー(2008年6月6日)を制したヒシウォーシイ(写真:愛知県競馬組合)
やはり、この2頭が調教師生活の中で印象に残っていますか?
この2頭も印象深いけど、一番忘れられないのはリーダーズボードですね。
新春ペガサスカップ(2014年1月17日)を制したリーダーズボード(写真:愛知県競馬組合)
名古屋で7連勝後、JpnIIの兵庫ジュニアグランプリで中央勢相手に3着。その後も3連勝で駿蹄賞を勝ちましたが、そこで屈腱炎を発症し、ラストランとなった悲運の名馬でした。
レースに前向きなところが長所でした。短距離向きのブラックホーク産駒でしたが、母父のティンバーカントリーが強く出ていたので、2000メートル前後くらいまでなら大丈夫だったと思います。兵庫ジュニアグランプリで勝ったニシケンモノノフは昨年ついにジーワン馬になりましたし、2着マキャヴィティも中央のオープンを勝ちました。この2頭と差のない競馬をしたんですから、リーダーズボードの能力も相当なものだったと思ってます。本当にもったいなかったです。今、南関東に半弟で全日本2歳優駿3着だったハセノパイロ(父パイロ、NARグランプリ2017・2歳最優秀牡馬)がいますが、あの馬もかなり走りそうですね。
昨年はドリームズラインが東海地区からは24年ぶりとなる三冠馬(駿蹄賞、東海ダービー、岐阜金賞)に輝きました。
三冠は勝ってくれたけど、その後の古馬との対戦で結果を出せなかったので、後味が悪いんですよね。今は北海道に放牧に出ていますが、今年は三冠馬の名に恥じないような結果を出せるよう、立て直したいと思っています。
岐阜金賞(2017年10月13日)を制したドリームズライン
今後の目標を聞かせて下さい。
今年は古馬ではドリームズラインが壁に当たっていますし、3歳馬も(名古屋の重賞を独占している)サムライドライブに対抗できるような存在もいません。まず、確実に勝てるレースを勝って、昨年以上の成績を挙げて、1500勝を目指します。
最後にオッズパークのファンに向けて一言お願いします。
最近は地方競馬全体がネットでの売り上げに支えられて好調ですし、ファンの方には感謝しています。賞金も上がる傾向にはありますが、厩舎経営していく上では、良くなった実感はまだありませんし、もっと努力が必要と思っています。これからも強い馬づくりを目指していきますので、ご声援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 松浦渉
2012年に厩舎を開業した新子雅司厩舎は、4年目の2015年に早くも兵庫調教師リーディングのトップに立ちました。昨年も104勝を挙げ、3年連続でのリーディングとなっています。
ここまでの道のりは開業前に思い描いたとおりだったのでしょうか。
2012年6月のスタート時は8頭分の馬房でしたから、年末までに20勝くらいできればと考えていました。それが実現できれば、馬房が16に増えたとき、年間で80勝できるという計算になります。実際は18勝でしたが、勝てる馬を年明けの開催に回した分がありましたからね。最初の半年でこれだけ勝てたのなら、次の年はリーディング上位に行けるだろうという手応えにつながりました。
厩舎開業時に苦労することとして、馬と厩舎スタッフを集めることの難しさがよく聞かれます。
調教師を目指していたときに、開業したら一緒にやりましょうと言ってくれる人もいましたし、その点に関しての不安はありませんでしたね。それで2年目はリーディング4位になりましたが、これはだいたい予測したとおりというか、そんな感じでした。
新子調教師は元ジョッキー。その後は厩務員、調教師補佐と経てきたわけですが、調教師になった今も所属馬には自らが乗るという方針を実践しています。
なんというか、僕はそれほど弁が立つタイプではありませんので、それなら実際に乗って、その感触を馬主さんに伝えていくほうが間違いないだろうということですね。そして自分が乗ることでのメリットはというと、スタッフとの結束力が強くなるということでしょうか。意見交換をするにしても、実際に乗っていないのでは、僕とスタッフとの間に温度差が出てくると思うんです。乗っているからこそわかることもありますから。
兵庫クイーンカップをタガノトリオンフで勝利(2017年11月9日、写真:兵庫県競馬組合)
新子調教師はまだ40歳ではありますが、そのためには体の維持が大切になりますね。
僕自身、馬に乗るのも好きですし、さわることも好き。そこが大きいですね。食事は1日1回にしていますが、それで問題なく過ごせています。食べ物が体に残っているときに乗りたくはないですし、内臓を無駄に動かさないという意味もあります。すべては健康で馬に乗りたいという、その思いだけです。いつまで乗れるのかとは思いますが、川原さんは元気に乗っていますし、大井には的場文男さんだっているわけですから。
新子調教師はもともと馬に携われる家庭環境だったのでしょうか?
いえ、奈良県の橿原市出身ですから、まったく関係ないですね。家庭の事情もありまして、中学を出たら働こうと考えていました。そうしたら中学3年ときに先生が「こういう職業があるぞ」と騎手を勧めてくれたんです。騎手なら早くから仕事ができますし、当時の教養センターは無料での寮生活でしたから、それで興味を持って受験したら合格できました。中学では野球をしていましたが、馬はゼロからのスタート。ですから入所後はついていくために必死でした。
そして騎手として126勝。そこからの転身となりましたが、すぐに切り替えはできたのでしょうか?
体重が増えてきた時点で、次の目標へと切り替えられました。それから厩務員、調教師補佐としておよそ10年、その経験は生きていると思います。僕が常に心がけているのは、馬の状態がいいときにレースに挑もうということです。
それが結果として、高い勝率につながっているわけですね。
常に100の状態で送り出すのではなく、レースによっては80くらいの力で、場合によっては60くらいの力でも勝てるようにしてあげたいですね。目指すところに合わせてその都度、馬のスイッチの入れ具合を考えています。
それぞれの所属馬にきめ細かく対応できるところも強みになりますね。それにしても厩舎初出走から1年弱での兵庫ダービー制覇は快挙だと思います。
ユメノアトサキが北海道から来たときの第一印象は「きゃしゃな牝馬」でした。繊細な性格も持っていましたが、乗ってみたらキャンターに移ったときの1歩目の感触が良かったんですよ。とはいえ、あれほどの活躍ができたのは、馬の気持ちにやさしく接してくれたスタッフの頑張りが大きかったのだと思います。
ユメノアトサキで兵庫ダービー制覇(2013年6月6日、写真:兵庫県競馬組合)
その翌年にはタガノジンガロでかきつばた記念を制しました。
ジンガロは育成牧場と連絡を取り合って、JRAと同じようにレース10日前に入厩して出走という形を取っていました。左に張るという課題がある馬でしたが、乗った感触としては「僕の重心のかけかた次第でなんとかなるかな」でした。
そしてその翌年、2015年には年間100勝を達成しました。
あの年は数字を意識しましたね。11月くらいに岩田さん(康誠騎手)に「年間100勝を目指せ」と言われたんです。数字を見てくださっていたんですね。でもそれを言われたときは正直、ちょっと厳しいんじゃないかと思いました。でもそれから馬とスタッフが頑張ってくれまして、そのおかげで大晦日の勝利で間に合いました。
そしてそれ以降も勝ち星は3桁を続けています。
個人的には常にキャリアハイを目指したいと考えています。2018年の目標としては、兵庫の調教師レコードの118勝を超えることですね。またダートグレードで勝負できる馬をつくっていきたいですし、兵庫ゴールドトロフィーは取らないといけないレースだとも思っています。今まで兵庫どころか地方所属馬が1回も勝っていないわけですから。昨年はエイシンヴァラーで5着でしたが、勝ち馬とは0.5秒差。今年もまた挑戦したいと思っています。
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※インタビュー / 浅野靖典
現役通算3373勝を挙げたトップジョッキーで、昨年調教師試験に合格。今年度の開業を待つ大河原和雄調教師(57)に話を聞きました。
2017年11月27日第9レース、最終騎乗を終えて
騎手生活お疲れさまでした。調教師試験の合格は西弘美調教師以来8年ぶりで、久々となります。
ありがとうございます。調教師試験を受けたのは今回が初めて。馬学の本や医学書を読んで勉強しました。
今まで調教師の免許は1月1日交付だったから、試験に受かっても12月まで乗るつもりでいた。今年から12月1日交付に変更になっていてショックだったな。試験に受かってから手続きが忙しかったよ。引退セレモニーでは、家族や親戚が集まって、親孝行ができたと思う。
騎手の引退はいつ頃から考えていたのですか。
キタノタイショウが引退したタイミング(2017年3月)だね。ただ、調教師には2000勝した時点(2006年)からやりたいと言っていた。もともと育てながら乗るタイプだったから。調教師は、スタッフにしても馬にしても、自分で全て責任を持ってやらないといけない。騎手の方が、調教してレースにも乗れるから贅沢だけどね(笑)。
育成に定評がある大河原さんならではですね。それでも、いままで騎手を続けていたのはなぜですか。
一番はキタノタイショウがいたこと。長澤幸太騎手が競馬場に来た。鈴木恵介騎手も(自分と同じ)服部厩舎所属になったから。
長く乗りすぎた(笑)。体力的にも辛くなってくる。ケガ(2014年にアキレス腱断裂)もしたしね。
ばんえい記念(2015年3月22日)を制したキタノタイショウ
騎手生活で、心に残っている馬を教えてください。
やはりばんえい記念(2015年)を勝ったキタノタイショウだね。2歳から引退までずっと関わることができた。それは騎手として最高の幸せだ。
昨年命を落としてしまったが、種牡馬としては人気で60頭くらいに種付けしたと聞いている。最近のばん馬にしてはかなり多い。
道東の浜中町にいたけど、十勝や上川からも種付けする牝馬が来た(注:ばん馬の繁殖牝馬はその地域の種牡馬をつける事が多い)。
牧場でも、水たまりをおっかながったり、納得するまで動かなかったり、競馬場と同じ性格だったって。
最初の子は3月末くらいに弟子屈町で生まれる予定。一度はタイショウの子をやってみたいな。
リキミドリには競馬の仕方を教えてもらった。特にレースでの"待ち方"。自分の引退式の日に、自分が勝った重賞レースのDVDをもらったからリキミドリのレースを懐かしく見ていたよ。俺がしくじって乗っていても、勝っていたんだよね。馬がカバーしていた。馬を育てながら乗ることも、リキミドリから教えてもらった。
1985年に初騎乗初勝利したカツハルのことは覚えていますか。
覚えていますね。「やっと仕事が始まったかな」と思った。自分で調教してレースに乗った馬で、自信満々で乗ったんだ。「このメンバーなら勝てる」と、ワクワクした。印はなかったけどね。トラックマンに「山さえ上がれば勝てるわ」って言ったんだ。
すごい新人ですね。
厩務員4年やっていたからね。
引退セレモニー(2017年11月26日)。服部義幸調教師と
それにしても(笑)。今はどのような生活ですか。
忙しいよ。競馬場では、服部厩舎やほかの厩舎の若い馬の調教を手伝っています。
まだ馬房数が決まっていないので新馬登録はまだだけど、スタンバイしている馬が牧場にいます。看板も出来ている(笑)。
開催日はだいたい競馬場だけど、それ以外は馬主のところに行ったり、スタッフを集めたり、馬主に連れて行ってもらって馬を見に行くなど道内を訪れています。前、キタサンブラック見てきたよ。
門別競馬場で話を聞いたりね。スタリオンでも乗馬にしても、いろんなところにいって話聞けば、かなり刺激もらえるからね。いいと思ってこだわる人はやはり違う。もう一歩先、一歩先を目指している。
スタッフ集め、ですか。
サラブレッドの牧場にいた人が来るよ。珍しがって来るんだ(笑)。サラブレッドというより馬を知っている人。馬のことで、聞きたいことが山ほどある。今の競馬場は頭が固いから。
スタッフには「かわさん」と呼ばせている。「先生」って呼んだら罰金だ(笑)。
4月の開業に向けて豊富を聞かせてください。
調教師になったからには、たくさんのファンに愛される馬を作りたい。そしてばんえい記念に出せる馬を牧場で探し、作り上げたい。1年目は極力無理せず、やれることを確実にやろうと思います。試したいことは山ほどある。馬も、スタッフも。
幸太(長澤騎手)も「どうやって乗ったらいいかな」って聞くけど、「好きなように乗ってこい」と言う。アドバイスは小さいことだけするよ。騎手には乗った後に話を聞くね。俺はそっちの方を大事にしている。ハミはどうだった、とか。感じ方はそれぞれ違うから、言葉一つ一つが楽しい。騎手の能力を知りたいんだ。
自分に余裕ができたら、ファンに対しても自分でできることを協力できればと思う。使命だしね。騎手は騎手、調教師は調教師の指命がある。
今は、ファンへの発信が少ないよね。はじめてばんえいを見る人とキャッチボールができたらいい。スタッフもファンも含めて、投げた球を返してくれるかどうかなんだ。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)
9月7日に地方競馬通算3000勝を達成した愛知の角田輝也調教師。12月24日現在、熾烈な全国リーディング争いで、僅差でトップを守っています。リーディングへの想い、そして4戦無敗のサムライドライブについて語っていただきました。
3000勝達成おめでとうございます。
ありがとうございます。特に伝手もなく厩務員から調教師になって、最初はここまで数字を重ねられるとは思っていなかったです。たくさんのいい馬たちを預けてくれるオーナー、頑張ってくれる馬たち、スタッフのお陰ですね。ここまで1戦1戦前向きに取り組んで、がむしゃらにやって来ました。開業当初から名古屋でリーディングを獲りたいという夢を持っていて、「3年でリーディングを獲りたい」って最初の調教師インタビューで答えたら「生意気だ」って言われていろんな人に叩かれて(笑)。でも、それくらいの想いを持ってやらないといけないなと思いました。結局4年掛かっちゃいましたけど。
4年でリーディングを獲ったというのも十分すごいです。秘訣は何だったんですか?
荒川友司先生(笠松)も川島正行先生(船橋)もご存命で、その先生方にいろいろと教えていただきましたし、その教えを忠実に守るということを大事にして来ました。一番になりたかったら、一番の先生に聞くというのが近道だと思っているので。先生方も快く教えて下さって、本当に感謝しています。
具体的にどんなことを教えていただいたんですか?
いい運動、いい食事、いいケアという3つを教わりました。いい運動をするためにはちゃんとしたケアと食事を取らなければならないし、いい食事をするためには体のどこも痛いところがない状態にしないといけない。この3つのバランスが大事なんだと考えています。
現在は名古屋リーディングだけではなくて、全国リーディング上位の常連ですもんね。
そこはそんなに深く考えていないです。名古屋では獲りたいと思いますけど、全国リーディングは意識していません。
そうなんですか?! 現在熾烈な全国リーディング争いのトップを走っていますけれども。
周りからは言われますけど、全然意識していないです。だって、全国リーディングを獲りたいって思っていたら、前開催(12月4~8日)の笠松に使いに行ってますよ。1頭たまたま使う馬はいましたけど、先日忘年会と3000勝のパーティーをした時に「次の笠松開催は基本的に休みます。全国リーディング狙ってませんので」と公言しました。
狙っていけば獲れるところまで来ているのに何故ですか?
自分の欲でいくと馬に負担が掛かるんですよ。そこはやっぱり全国リーディングを獲らせてもらって、あの時(2015年)は馬主さんからも「どうしても獲ってくれ」と言われて厩舎一丸となって目指したわけですけど、やっぱりその後馬に負担を掛けたなと。まずは馬の体調を優先したいです。
角田調教師、高知の雑賀正光調教師、金沢の金田一昌調教師のリーディング争いを見てドキドキしているんですけれども。
もちろん獲れたら嬉しいですよ。でも本当にすごい方々を見ていると、数字は気にしていないですからね。あくまでも数字は結果論ですから。
続いてはサムライドライブのことを伺いたいんですけれども。オッズパーク地方競馬応援プロジェクトの3世代目で、デビューから4戦無敗でゴールドウィング賞を制しました。
本当にセンスがいいんですよ。だけど、これまで万全の状態で出走したのは3走目のJRA認定競走だけなんです。この時は追い切りもしっかり行くことができて、いい状態で挑めました。
10月24日、ゴールドウィング賞を制覇
体質が弱いと前々から言われていますが、ゴールドウィング賞はそこまでの仕上げではなかったんですね。
もちろん重賞ですし人気になる馬ですから、ある程度は仕上げていますけれども、まだ体質的にびっちりと攻め馬をしてレースに挑めるほどの体ではないんです。そこはこちら側が配慮をしてあげないと。
前走はゲート入りにかなりてこずったそうですね。
そうなんですよ。1600mのスタート地点が初めてだったせいか、新しい場所だとかなりイヤがってしまって。基本的に怖がりなんですよ。昨日と風景がちょっとでも違うと、納得するまで動かなくなってしまったり。馬場の中の木を少しでもカットしたら、それに気づいてびっくりしてしまうんです。認定も勝ってますし、本来ならば遠征も経験させたいんですけど、ムリをしてしまうとマイナスの方向に行ってしまうのではないかなと。体もですけど、もう少し精神的に余裕が出て来てからと考えています。
2か月間お休みしましたけれども、現在の様子はいかがですか?
馬体もだいぶしっかりして、440キロ台から今は450キロ台まで増えました。ただ、この仔の成長期はまだ先なのかなと。本当はもう少し増えて欲しいですね。今は元日のレース(湾岸ニュースターカップ)を目指して調整しています。追い切りも本数を重ねていますし、順調ですよ。休み明けというのはありますが、ここまで無敗できていますから勝ちは意識しています。
ゴールドウィング賞の記念撮影
精神的にも肉体的にも成長期がまだ先だとなると、育てて行く上でなかなか難しいですね。
そうなんです。3歳の秋頃にはもっと成長してくれると思うんですけど、今はとにかくムリしない範囲で調教を積みながら筋肉をつけていきたいです。そこのバランスは大事にしていかないと。ゆくゆくは東海ダービーを獲りたいですし、精神面が成長してゲートが安定すれば、他地区への遠征にも行きたいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。うちの厩舎は調教師一人ではなくて、スタッフ全員でレースに挑んでいます。レースに出る限りは人気に関係なく精いっぱいのレースをしたいと考えていますので、応援よろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:愛知県競馬組合)