小西重征調教師は今年77歳。調教師として開業されたのが1979年と既に40年以上経っているのだが、それ以前は20年近くトップジョッキーとして活躍されており、今では岩手競馬を最も古くから知る"生き字引"的存在でもある。その小西重征調教師が先の7月、岩手競馬の平地通算勝利記録を更新された。多くの名馬を育て、また勝利数でも記録を打ち立てられた小西調教師にうかがった。
まずは7月13日に達成された地方競馬通算1,844勝、『岩手競馬平地通算勝利記録』更新のお話からうかがいます。小西調教師は記録にあまりこだわっていない......とは思いますが、改めて振り返ってみていかがでしょうか
そうですね、今になって数えてみればああ届いていたのか......と。そうだな、届いたとか超えるとかでもなくて、そんなに勝っていたのか、という感じですね。
7月13日、岩手競馬平地通算勝利記録1,844勝達成の口取り
とはいえ40年間も調教師を続けて来たというだけだけでなく毎年ある程度以上は勝ち続けないとこんな数字にならないのですから、やっぱり凄いのではないでしょうか
凄いかどうかは分からないけどね。まあ、凄いというよりは長いこと調教師をやってきたその積み重ねなのでしょう。
その40年の調教師生活で小西調教師が一番記憶に残っている馬は......やはりトウケイニセイでしょうか?
そうですね、やっぱりトウケイニセイだろうね。自分もまだ若くて張り切っていた頃だから、最初の頃は勝って良かった嬉しかったと喜んでいたけれど、最後の頃になるとプレッシャーの方が大きかった。良い事も多かったが一番苦労もした馬だからね、トウケイニセイは。
最近のファンの方はトウケイニセイを知らない世代が多いと思うので改めてうかがいますが、トウケイニセイはどんな馬だったのでしょうか?
まず賢い馬だった。そして我慢強い。ちょっと故障がちな所があったがレースでは我慢して走ってくる。しかし調教中なんか、何かちょっとまずいところがあったら極端に歩様を乱してみたりするのさ。そうやって痛いとかどこかおかしいとかいうのを我々に対して教えるんだね。それで治療をするんだが、その間はピクリとも動かないで辛抱している。つまり"ここが痛いぞ"というのを見せつけて治してもらおうとするわけ。そんな馬だった。
2009年1月、水沢競馬場に里帰りしたトウケイニセイと小西調教師(右から3人め)
トウケイニセイのキャリア終盤の頃は、調教もレースも非常に慎重に、気を遣いながら戦っていました
ちょっと脚元にまずいところがあったからね。でもレースに出たら我慢して走ってくるから。その頃はもう、勝つとか負けるとかより無事に帰ってきてくれたらいいとだけ思っていた。
引退レースとなった1995年の桐花賞の時も、決して万全ではない脚元の状態で出走して、それでも強い走りで勝って。非常に印象深かったです
あの時は馬自身が"これが最後のレースかも"と感じて、そんな気持ちで走っていたんじゃないのかなと思いますね。トウケイニセイはカメラを向けるとカメラなのかカメラマンなのかを意識してポーズを取るような馬だったのに、その桐花賞で最後の口取り写真を撮った時は人に頬ずりするように甘えたりして、これまでとは違う雰囲気だったのを覚えている。馬自身も何か感じていたんだろうね。
引退して1年位経った頃に北海道に会いに行ったが、その時もまだ跛行していたからね、最後の頃はよっぽど我慢して走っていたんだと思う。
2011年、盛岡競馬場でのトウケイニセイ
考えてみれば、トウケイニセイは小西調教師が開業して10年ちょっとの頃に出会った馬ですよね。自分は"大ベテランの調教師が育てた馬"という感じに思っていました
トウケイニセイには色々な事を教えてもらった。騎乗していた菅原勲君(現調教師)もまだ若かったから、同じだったんじゃないかな。自分はあれを超える馬には会った事がないですね。
まあ、あの頃の走る馬はどこかしら悪い所がある、故障している馬が多くて、グレートホープもそうだったが、当時はそういう馬を治し治しやっていくのが競馬だと思っていた。手のかかる子供を育てていくというかね。何かしら悪い所があったりする馬を手をかけて面倒をみて、活躍するようになっていくのを見ているのが競馬の楽しい所だと今でも思っています。
では、調教師としてだけでなく騎手時代も含めれば岩手競馬を最も昔から見てきた小西調教師は、今の岩手競馬についてどう思われたり感じられたりしていますか?
やっぱり、そうですね、スターが出てこないと盛り上がらないんじゃないかなと思いますね。馬だけでなく人もね。スターホースとスタージョッキー。
例えば武豊騎手が来るか来ないかであれだけ盛り上がりが違う。皆が接戦で頑張っているのも良いが、抜けて強い馬、抜けて強い騎手もやっぱり必要なのではないかと思う。
そしてライバル。トウケイニセイの頃はライバルもたくさんいた。強い馬がいてライバルがいて、次はどっちが勝つか?と切磋琢磨していくとライバルも一緒に強くなっていく。馬も人もね。
齋藤雄一騎手(現調教師)が数年間使用した「胴桃・袖緑」の勝負服は小西調教師が騎手時代に使用していた服色を引き継いだもの
小西調教師はあと150勝で2,000勝に届きます。小西調教師がぜひまたそういう馬や人を育てていただけたら......。
それはちょっと無理じゃないかな(笑)。もうちょっと岩手競馬に置いてもらおうかなとは思っているが、それは若い先生方に任せる。馬とジョッキーを育ててもらって、岩手競馬をまた盛り上げてくれたら良いと思います。自分ももうちょっと頑張るかな。そうだね、もう少し頑張りたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
地方競馬での歴代最多勝利記録(記録の残る1973年以降)を更新し続けている雑賀正光調教師(高知)。1月29日には地方通算3500勝を弟子の永森大智騎手で達成しました。「目標は4000勝」と前人未到の数字を掲げ続ける雑賀調教師。あと500勝に迫ったいまのお気持ちや、かつて管理したグランシュヴァリエ産駒での重賞初制覇などについて伺いました。
地方通算3500勝達成おめでとうございます。以前から4000勝が目標とおっしゃっていましたが、あと500勝となってのお気持ちはいかがですか?
ありがとうございます。うーん、実は3500勝というのはあんまりピリッとは感じていないんです。3500勝を目標にこしらえていたら、4000勝までが遠いので。4000勝を目指していたら、この数字は誰でも通る道だと思っています。
地方通算3500勝をセキセキで達成。鞍上は永森大智騎手
(写真:高知県競馬組合)あくまで通過点で、意識はされていなかったんですね。
そうです。騎手でも2000勝を目指していたら、達成した後は油断して乗れなくなるので。2000勝を目指す人は目標として3000勝を置きますし、3000勝の人は4000勝を目標に進んでいます。だから長続きもするし、乗れます。それは下原(理騎手、兵庫)に言ったこともありますし、うちの永森にも「2000勝を目指すんやったら、3000勝を目標にせんかい」って言っています。
下原騎手はたびたび重賞のスポット騎乗で雑賀厩舎の馬に乗っていますが、そういうお話もされるのですね。他地区のジョッキーで言えば、昨年は高知優駿で御神本訓史騎手(大井)がナンヨーオボロヅキに騎乗し、見事勝利。大井のトップジョッキーを高知に招聘するなんて、雑賀調教師の偉大さが伝わってきました。
何の気なく、「御神本、乗れるか?」って言ったら、ちょっと考えよったけど、「乗ります」って。そしたらみんなから「高知に乗りにくるなんてビックリした」と言われて、私もあんなに騒がれるとは思わなくてビックリしました(笑)。
御神本訓史騎手で2019年の高知優駿を制したナンヨーオボロヅキ
(写真:高知県競馬組合)御神本騎手は2010年、騎乗停止・自粛明けに高知で3カ月の期間限定騎乗を行い、その時の所属が雑賀厩舎でしたね。
預かってほしいと言われた時、「(元騎手の)私より腕もセンスもある一流ジョッキーで、教えることは何もありません」と一度は断ったんです。騎乗に対しては全然言うことはありませんでした。御神本と本橋(孝太)は今でも母の日には私の妻に胡蝶蘭を贈ってくれます。
管理馬の話題では、重賞4勝を挙げ、マイルチャンピオンシップ南部杯JpnI・3着のグランシュヴァリエの産駒が昨年デビューしました。雑賀厩舎にも昨秋以降、門別から移籍してきましたね。
やっぱり姿、形、気性面がよう似ています。3頭がうちに来て、それぞれ違いますが、それでもやっぱりよう似ています。
中でも門別で2勝を挙げて移籍したリワードアヴァロンは先日、土佐春花賞で重賞初制覇を果たしました。
ええ勝負根性のある馬です。前の馬を抜くと止めるような悪い面もお父さんから引き継いでいますけど(苦笑)。土佐春花賞ではソラを使いかけましたが、永森が上手いこと乗りました。スピードはあるし、ジョッキーも父仔二代で乗っています。高知で父仔二代で乗る騎手って永森くらいじゃないですか!?
リワードアヴァロンで土佐春花賞を制覇
(写真:高知県競馬組合)調教師で父仔二代を管理というのもなかなかないケースのように思います。
そやからね、やっぱり他の馬と違って、「もうちょっと...!」って気持ちが出てきますね。リワードアヴァロンはお母さんもうちの厩舎やったので、孫みたいなもんで嬉しさも倍です。スピードがあるので脚元に気をつけながら、王道の3歳路線でいこうと思っています。永森は「距離延長が課題」と話していますが、私は大丈夫だと思っています。全弟も4月に入ってくる予定です。
兄弟ともども楽しみです!ところで、ここ数年は地元や全国リーディングから少し離れていますが、奪還への思いは?
リーディングを取ろうと思ったら、脚元の丈夫な馬を預かった方がいいと思うんですが、脚元に不安を抱えた馬をやりたいんですよね。ここ3年、それこそリーディングからちょっと離れたくらいの時から故障馬を触るのがさらに好きになりましてね。年を取った人が盆栽を触る感じで、脚元を治しながら走らせるのは本当に楽しいんです。
手をかければかけただけ応えてくれる醍醐味があるのでしょうか。2018年の黒船賞を制覇したエイシンヴァラー(当時は兵庫所属)も脚元に不安を抱え、今年はじめに雑賀厩舎に移籍してきました。
少しレースから離れたので、脚元も良くなってきています。高知に来て1回使ってから良くなって、こないだ勝ってくれました。この馬とは縁があるんです。黒船賞を勝った時、厩務員さんはゲートで、新子(雅司調教師)は取材の人に囲まれちゃって、馬を迎えに行く人がいなかったので、私が飛んで行って、採尿検査まで連れて行ったんです。それも少し頭の中にあって、オークションに出てきた時に馬主さんに勧めました。
改めて4000勝への思いを聞かせてください。
言った以上、4000勝を達成するまでは現役を辞めず、精一杯やります。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
高知競馬は一番先に潰れるところやったのに、ホンマによぉ残ったと思います。馬主も調教師もみんなよぉ我慢したけど、それ以上に主催者が偉いです。恥も見栄もすべてなくして、商売に徹しました。そして、こうして高知競馬のファンがついてくれてありがたいです。これからも応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
ばんえい記念を制したニシキダイジンやインフィニティーをはじめ、数多くの名馬を輩出した金田勇(かねた・いさみ)調教師が、10月6日に通算1000勝を達成しました。
1000勝達成セレモニー(10月14日)
1000勝おめでとうございます。ばんえいの世界に入ることになったきっかけを教えてください。青森県八戸市出身ですね。
当時は青森県のあちこちで草ばん馬が行われていたんだ。馬が好きで中学を出てすぐに競馬場に来た。当時は、若い厩務員は皆騎手試験を受ける流れで、俺も1993年、20歳で騎手になりました。当時は金山騎手などすごい騎手ばかりで、なかなか乗れなかった。腐ってきた時に乗せてくれて、「調教師になれば」と言ってくれたのがクインフェスタやトレジャーハンター、古くはエビステンショウの馬主だった高橋一二さん。亡くなって3年経つかな。
1000勝の表彰式でも、高橋オーナーの話を涙ながらにされていましたね。2003年、厩舎開業は30歳という若さでした。騎手への未練はありましたか。
ないよ! 技術の違いを感じていたから。なんとなく、育った環境といった越えられないものがあると思っていた。
調教師になってからはずーっと大変だったよ。2006年で存廃問題が起きた。とはいえ、ばんえいがいい時代の時も自分はずっと苦労してきたから、大変なのは今に始まったことじゃない。騎手の時は乗り馬がいなくて見ているだけのこともあったけれど、調教師は預かった馬を出走させられて、常に仕事がある。楽ではなかったが、楽しかったですね。
開業5年、ニシキエースで初重賞制覇(2008年黒ユリ賞)です。牝馬三冠も達成しました。その後着実に活躍馬を送り出しています。
ニシキエースは、気性が激しくて馴致で苦労していたんだ。オーナーに「危険もあるけど、まだ若いしやってみないか」と頼まれた。ストレスを与えないよう、のびのびと育てたら、集中力がついて体ができてきた。いい馬に巡り会ったな。それも、高橋さんが「こいつを男にしてやってくれ」と俺のために頭を下げてくれたおかげだ。いろんな人とつながりを作ってくれたね。
気を付けていることは。
健康だね。結果を焦らないこと。優しく育てることはトレーニングが甘いと思われがちだが、強く調教して能力引き出す技術はないから。愛情持ってやれば、恩返ししてくれると思う。
インタビューでもいつも馬への優しさを感じます。馬が応えてくれているんだと思います。馬の思い出を聞かせてください。
ニシキダイジンがばんえい記念を勝った時(2010年)は夢を見ているみたいだった。まさか参加できるなんて。でも、この時のダイジンは調子が良かったから、自信持って出せた。騎手時代は縁がなかったレースだから、送り出すのはすんげーうれしかったな。何回出しても特別なレースです。
インフィニティーは、最初は仲の良かった岩瀬和幸調教師が管理していたんだ。「勇のところに馬が入るなら、安心してやめられる」って言われてね。仔馬の時から見ている馬だったが、ばんえい記念まで取れるようになるとは。一緒に成長できた馬。若い頃、4、5歳の頃、古馬と、年齢によってこのように成長させていくんだな、と定年までの管理の仕方を教わった。物差しができたな。たまに会いに行くが、まだまだ若いよ。
トレジャーハンターはあれだけ頑張ってくれたからね。将来的にはゆっくり余生を過ごさせてあげたいと思っている。
2014年ばんえい記念 インフィニティー
クインフェスタやコマクイン、キサラキクなど、人気の牝馬も多く在籍していました。
みんな、厩舎の広告塔になってくれたね。
キサラキクは、女馬だと思ったことなかったな(笑)。いつも大きいレースに1頭だけ牝馬で出走していた。途中からは、俺の馬じゃなくて、ばんえいファンの馬。みんなから大事な宝物を預かっているようだった。
コマクインは最初に障害を降りるでしょ。あいつ見たら、「重い時、寒い時も一生懸命。少しくらい能力なくても、俺も頑張ろう」って思えるんだ。息子たち(3歳のコマサンブラック、2歳のコマサンダイヤ)は抜群の登坂力が似ているね。
そのほか、思い出の馬はいますか。
6歳で種馬になった、高橋さんが持っていたケンジュオーという馬。草ばん馬で、オープン馬とも引けを取らずに頑張っていた。知る人ぞ知る馬の子が活躍している、というのはうれしいんだよね。田舎魂っていうかね。親ができなかったことを子がやっている。高橋さんが亡くなった2日後にケンジュオーも亡くなったんだ。
2015年・北斗市の草ばん馬でケンジュオーと
産駒にはオープン・A級で活躍中のバウンティハンター(牡7)や、1000勝達成馬のアオノブラック(3歳、2018年ヤングチャンピオンシップ)がいます。
子どもたちが父さんの跡を継いで頑張りたいと言っていて、長男が厩務員で騎手を目指していて、三男が高校に通いながら厩舎を手伝っています。アオノブラックはみんなで管理している。教科書になる馬じゃないかな。家族で一緒に馬の話ばかり。いいよね。
ばんえい菊花賞2着 アオノブラック
いつも、お子さんたちが先生を慕っているのが感じられていいな、と思います。先生は草ばん馬も好きですよね。草ばん馬、馬の魅力とは。
草ばん馬は、そこにいる人が好き。自分の仕事を終えてから、馬のことも集中してやっている。俺以上に馬に狂っている人たちを見ていると、これでいいんだな、って思えるよ(笑)。
馬の魅力?なんなんだろうな。これに全てかけているからね。馬に惚れちゃってるから、しょうがないよね。自分が活かせるもの、これしかない。勝負はタイミングだよな。いい馬が寄ってくる、波がある気がする。
引退してしまったけれど、九州産馬もいたんだ。でも、競走成績のある馬が血統の2代、3代目にいないと競走馬としては難しい。北海道の人たちが試行錯誤して70~80年かけて育ててきた馬にはまだかなわない。血の改善が必要だけど、時間をかけて挑戦してみたい。九州産を走らせるのが夢なんだ。
オッズパークの会員の方々に一言お願いいたします。
俺は、ばん馬の足音が好きなんだよね。パカパカじゃない。本馬場入場の時とか、そばで力強い足音を感じてほしい。ニシキダイジンやインフィニティーは、独特の強い足音で、歩いているのが音だけでわかったんだよ。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
2017、18年とばんえい調教師リーディングに輝いたのが坂本東一調教師(65)。騎手としてばんえい歴代5位の2681勝を挙げ、2007年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞。調教師として12年目を迎えます。
ばんえいアワード2018特別賞の表彰式。白いスーツが似合っていて、騎手時代からのオーラは健在
リーディング、おめでとうございます。2018年度の勝利数は歴代最多の135勝でした。通算勝利数も7月22日現在915勝で、今年度中の1000勝も期待できますね。
調教師は陰の存在でいいんだ。表に出るのは騎手。周りは(リーディングだって)騒ぐけれど、騎手時代から数にはこだわってなかった。マイペース! 自分のレベルを超えたら失敗する。絶対壁にぶつかるから。
勝利数はもちろん、出走回数も1011とずばぬけている(2位は西弘美調教師の903)のはすばらしいですね。馬主からの信頼と、無事に馬を出走させていることが数字に表れています。
あまり営業することはないが、入れてくれ、と言われるから。気を付けているのは馬の健康管理。しぐさで判断する。今は通年走るから、勝てる場面が必ず来る。勝つ意志を持って出走させながら、そのチャンスを作っておく。人でさえ絶好調は何度もない。風邪、寝不足。それを管理するのが私の仕事。よそには作れない馬の作り方はあるよ。オリンピックに出る選手の筋トレが難しいのと同じだよね。
坂本調教師は騎手時代から、誰よりも早い時間に起きて調教していたそうですね。
今も午前2時くらいには起きて馬を見ている。昔は50人も騎手がいて、1頭乗るのも大変な時代だった。1勝するのはさらに大変。「果報は寝て待て」だよ。騎手になる前は、建設、船、トンネルを掘るなど、いろんな仕事をしてきた。船に乗っている時に疲れてカッパを着たまま寝てしまうんだ。「寝て」というのは、まさにそれだと思う。続けていけば、そのうち上の仕事を任されるようになる。
馬とはずっと話をしていたよ。「自分はこうしたいんだけど」というと「それ以上の力出せない」と馬が言うのがわかるから。厩務員と騎手では教えるポイントも違う。馬のことだけは人に指導されたくなかったから、オーナーにも「それはだめです」って屈しなかった。それで乗り替ったこともあるよ。
坂本先生は、ばんえい記念にも積極的に馬を出走させ、ともすれば頭数が少なくなりそうなレースを盛り上げてくれます。今年は重賞の常連シンザンボーイのほかに、ドルフィンとカンシャノココロを出走させました。出走馬の見極めについて教えてください。
頼むよ、と言われるからなぁ。あきらめないで、這うような馬を選んで、馬主さんに頼む。もう表舞台には立たないけれど、裏で協力できるならやる。
ドルフィンは、(馬場の重い)草ばん馬で使っていた。青森の草ばん馬はそりに乗らず、口元を持つために障害でよれることがあるので、真っすぐにさせるのがポイント。松田道明騎手には「俺ならゴールまで持ってこれる。絶対あきらめるな」と話した。「よくやった」と言ったよ。カンシャノココロも、耐えることができる馬だから出したんだ。
2007年、トモエパワーでばんえい記念制覇
ばんえい記念といえば、トモエパワーですね(2007~09年に3連覇、坂本騎手は07年に騎乗)。
ばんえい記念は1回しか勝ったことないんだよ。ただ、勝ち馬には一番調教を付けたかな。一番強かったのはフクイチ(1995、97、98年ばんえい記念)。力が違う! 700、800キロならおもちゃ。馬の反発心があるから、厩務員がやっても動かないんだ。その次に強かったのがトモエパワーかな。牝馬のキヨヒメ(1979、81、82年ばんえい記念)も強かった。若い時には何人も怪我をさせた。それでも、調教をこなしたら馬も観念して「この人に逆らったらだめだ」ってわかる。
ばんえい記念も以前は4市で行っていたけど、帯広は楽。一番大変なのは、道中重い旭川。北見は晴れると重く、さらさらした馬場になる。水分でかなり違う競馬場なんだ。
騎手時代に大事にしていたことはありますか。
第1障害からの乗る位置。中央の騎手と同じで、まずゲートを出す。平地競馬は位置取りが大変なので、その点ばん馬は(セパレートなので)楽。200mには1頭1頭のドラマがある。
俺は鈴木恵介騎手と意見がぴったり合うんだ。どん底見てきてるからな。あいつ(娘婿の阿部武臣騎手)はだめ! 2着が多い。最近は(俺の考えに)気づいてきているみたいだが。
リーディング2位の騎手に厳しいですね(笑)。引退してからは一度、2014年の『マスターズカップ』に参加して久しぶりの『東一ジャンプ』(そりの上で飛びながら追う)を見ました。
やめたらもう絶対乗らない、って決めていた。草ばん馬でも乗らなかったのに、あの時は馬主に頼まれて断れなくってな。ジャンプはサービスだよ。
今の騎手はプロ意識が薄れてきているな。50代はじめの頃は、スタート直後に蹴られて腕を骨折して、手綱で腕を巻きながら騎乗したよ。レースでは必死でしゃくる(手綱を引く)から、手が真っ青で夜は湿布をしていた。今もこんなに曲がっているよ。
すごいですね...。さて、今はホクショウマサルが25連勝中の記録更新中です。
もともとパワーはあったからね。800キロまでは調教が間に合うが、これから重くなると(手術した喉に)無理がかかる。ここがぎりぎりかな、と思うと休んでいる。出るからには負けたくないしね。負ける時が肝心。悔いのない負け方をしたい。調教を増やせば負担がかかるが、時間をかけて、おいおいはばんえい記念の出走を考えている。
連勝中のホクショウマサルと
オープン馬のシンザンボーイも活躍中ですが、マサルと同じ牧場出身の幼なじみなんですよね。
シンザンボーイは真面目。体が小さく、まとまっているからね。柔道みたいに階級があればトップなんだけど。その壁をクリアする方法を考えている。若い頃はマサルの方が比較にならないほど抜けていたが、シンザンボーイは階段をゆっくり上っていったね。
メムロボブサップは絶好調だから、正直古馬とは戦わせたくない。マサルの若い時のようだけど、つぶれたら終わりだから、気を付けている。
2歳のトワトラナノココロは、むちゃしない限り、将来活躍できると思っている。いい意味で気性が激しい。馬は階段、エスカレーター、エレベーター、と成長する馬がいるが、できるだけ階段を上るように調教していきたい。2歳ではカイセドクターもパワーがある。ひそかに狙っているよ。
かわいくて人気のタナボタチャンかい? 特に性格がきついんだ。反発心が強く、波があるから調整が難しい。調教も機嫌が悪かったら馬房から出てこないよ。普段はおとなしいんだけどな。
2019年3月3日、イレネー記念を制したメムロボブサップ(写真:小久保巌義)
中学生のお孫さん(阿部騎手の長男)も厩舎を手伝っているそうですね。
「俺が教えてやる」と言っているんだ。部屋にいると「ジジ大丈夫か」って、毎日俺の様子を見に来るんだ。ババ(妻の美香子さん)が4年前に亡くなってからいつも来る。妻が亡くなった時は、俺が「(競馬)やめるかな」と言ったら「俺がやるから、もうちょっと頑張ってくれ」と言ったんだ。
素質あると思うよ。100キロの重りを1人で持つほど力があるが「今から無理すんな」っていうんだ。
「来たかったら友達を連れておいで」と言ってる。今の時代は危ないとかいうけど、痛い思いをして物を覚えることも大事。俺が教えられるのはそれしかないから。
楽しみですね。では、オッズパークの会員に、ばんえいの見どころを教えてください。
いろいろな騎手の駆け引きがあることを知って欲しい。ドラマがあることを考えてみれば面白い。いつも来る人はわかっているよね。考えれば考えるほど深くなる。そして、根強いファンが増えてくる。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
兵庫一冠目・菊水賞を制覇したジンギ。間隔が詰まる兵庫チャンピオンシップは回避し、満を持して兵庫ダービーに登場します。5戦4勝、うち重賞2勝。父は今をときめくロードカナロアという3歳牡馬を管理する橋本忠明調教師に、ジンギのことやご自身のこと、さらに厩舎看板馬好調の理由を伺いました。
祖父の代から続く調教師一家で、お父様は重賞52勝を挙げた橋本忠男元調教師。ご自身も2013年、37歳で調教師になられましたが、小さい頃から競馬の世界に入りたいと思っていたんですか?
父が厩舎を開業したのは小学校5年生の時だったんですが、ランドセルを背負って調教スタンドで調教を見てから登校して、帰って来るとランドセルを背負ったまま寝藁を返したり掃除を手伝っていました。好きやったんでしょうね、めっちゃ早起きしていました。高校卒業後は北海道の牧場や、アメリカやアイルランドの厩舎で働きました。当初はJRAの調教師を目指していたのですが、父の厩舎が西脇から園田に移転する時、それまで働いていた厩務員さんたちは西脇に残るので、「どうする?帰ってくるか?」と声を掛けられて園田へ戻ることに決めました。帰ってきたのは運命かな、と思います。
2013年10月に厩舎初出走を迎え、昨年は地元リーディングは5位。今年早くも重賞5勝を挙げています。開業後、早い時期から活躍していましたが、ここまで振り返ってみていかがですか?
開業6年目になりますが、馬主様にも従業員にもすごく恵まれています。期間限定も含めて昨年は32馬房。勝利数や重賞勝ちなどに基づくメリット制で毎年馬房が増え、それに伴い従業員もだんだん増えていますが、私が「ちょっと休憩したら?」と思うくらいみんな一生懸命にやってくれています。そんな姿を見ていると、私もいい馬を集められるように努力しないと、とより思います。そういった好循環で、すごく上手く回っている気がします。
新春杯(1月3日)を制したエイシンニシパ(写真:兵庫県競馬組合)
今年は年明け最初の重賞・新春杯をエイシンニシパで制覇して幸先のいいスタートを切りました。同馬は昨年、10戦して2着がなんと6回。歯がゆい思いをし続けたと思いますが、今年はさらにはがくれ大賞典、兵庫大賞典と重賞を連勝しました。何か突き抜けるきっかけがあったのでしょうか?
今まで感性だけで仕事をしてきた部分が大きかったんですが、時代も変わって今は科学的なデータを取ることができます。ニシパに関してもそういった部分からのアプローチで、去年とは全く違うんです。また、負荷をかけることは故障リスクも伴いますが、スタッフが準備・上がり運動をしっかりやってくれたり、丁寧にケアをしてくれています。私も厩務員の時から常にそうでしたが、「大胆に攻めて繊細に見る」を基本にしています。兵庫大賞典はあれだけ調教をやれていなかったら、あんな強い勝ち方はできなかったのかなと思います。去年は調教をやっているつもりでしたが、今考えたらまだまだ足りていなかったんでしょうね。次走は6月14日の六甲盃を予定しています。
3歳馬ジンギも重賞2連勝中。デビューから5戦4勝、2着1回で兵庫ダービーへ向けて期待が高まります。父ロードカナロア、母の父ディープインパクトという良血馬ですが、第一印象はどうでしたか?
元々はJRAにいたのですが、自分から走ろうとするところが全くなかったと聞いています。それでJRAではデビューせずに、オーナーが「園田の橋本に」とおっしゃってくださいました。私でも知っているような血統。「これは絶対にモノにしないと」って馬を見る前にまず思いましたし、実際にジンギを見るとロードカナロア産駒らしい体つきをしていました。調教を始めた当初はすごく幼くて、発走検査や能力検査でも正直、動きはもうひとつかなと思ったのですが、能検で気持ちが完全に入りましたね。新馬戦では手前を替えてからの脚がすごかったです。
2戦目こそアイオブザタイガーの2着に敗れたものの、その後のレースでは強さが光りました。
2戦目は、砂を被る経験をさせたいということもありました。勿体なかったなという気持ちもありますが、次につながるレースでもあったと思います。重賞初出走になった園田ユースカップはまだ経験がなさすぎる中、内がすごく軽い馬場で2頭分外に出して勝ちきってくれました。やっぱり「モノが違うな」って感じました。それまではレース後、体を戻すのにすごく時間がかかっていたのが、ユースカップ後は戻りが早かったんです。だから調教も今までよりも攻めることができました。それが菊水賞の勝利にもつながったのだと思います。馬に体力がついてきましたね。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
6月6日の兵庫ダービーに向けて状態はいかがですか?
いいですね。パワーアップしていて、動きがすごくいいです。兵庫チャンピオンシップにも行きたかったですが、菊水賞から中2週と詰まってしまうのでやめました。その分、兵庫ダービーは絶対に決めないと!と思ってやっています。ジンギは直線に向いて左手前になったら絶対に伸びます。
同厩舎のテツも園田ユースカップで3着。その後はJRA芝1200メートルで2戦(5着、7着)しましたが、兵庫ダービーでは有力馬の1頭になりそうです。
テツはサマーセールで自分で見つけてオーナーに買っていただいた馬なんです。みんなそうだと思うのですが、「この馬で兵庫ダービーを勝つ」と思って選びました。ここ2戦は1200メートルを使わせてもらいましたが、兵庫ダービーの1870メートルに対応できるように一旦、近郊の牧場に出して立て直しました。これまで騎乗した騎手も「距離は持ちます」と言っていますし、対応できると思います。
今年は特に橋本調教師のダービーに対する並々ならぬ思いが伝わってきます。
過去3回、兵庫ダービーに出走してすべて2着だったんです。クリノエビスジン(勝ち馬トーコーガイア)、コパノジョージ(勝ち馬インディウム)、クリノヒビキ(勝ち馬コーナスフロリダ)。やっぱり勝ちたいですよね。
お父様の忠男元調教師も兵庫ダービーを勝ちたくて探してきた馬がオオエライジン(2011年兵庫ダービー馬)でしたね。さて、念願の兵庫ダービー制覇のほかに目標はありますか?
いま厩舎を引っ張ってくれているのはエイシンニシパですが、ジンギがそれを継いでくれたらと思います。ほかにもテツやエイシンミノアカ、エイシンエンジョイなど重賞に手が届きそうな馬もたくさんやらせていただいているので、まずは狙ったレースに向けて怪我をさせないように、きっちり仕上げて万全の状態でレースに出せるようにしたいです。そこからの勝負ですからね。いまはそういう気持ちです。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。東北や北海道、そして南関東も含めて全国の重賞を視野に入れて戦っていきたいと思っていので、応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子