各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。
各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。
2020年12月19日第2レースで、通算2,500勝を達成した服部義幸調教師(74)。開業36年目の偉業達成で、ばんえい競馬調教師の最多勝記録を更新中です。名伯楽は場内にある『ふれあい動物園』の園長など、ばんえい競馬の発展のために尽くしています。
2,500勝、おめでとうございます。インタビューでは、奥様と厩務員への感謝を述べられていました。
......嫁はともかく(笑)、厩務員がいないと競馬は成り立たない。馬がいても厩務員がいないとだめ。逆もしかりだけど。馬と厩務員の存在は、厩舎経営についてまわるから。お陰さまで今は9人の厩務員がいる。馬主もだし人には恵まれて、競馬させてもらっている。
出身は道東の弟子屈町ですね。
父が家畜商でした。会社員でしたが27歳でばんえいの世界に入り、9年騎手を経験した後39歳で調教師になりました。
それから36年。インタビューでは「大変なことばかりだった」とおっしゃられていました。
若いうちは、いい馬は来ないし、良くなってきても転厩してしまい、癖馬ばかりが回ってくる。そんなことが何年も続いた。そこで一大決心をした。自分で馬主さんを見つけ、何万キロも走って自分で馬を見つける。そして育てる。そうしたら、馬主さんの馬が1頭から2頭、と増えてきた。
馬主さんとは「長い付き合いをしよう」と決めたこともあって、今では「馬をやめるまでは先生のところに預ける」と言ってくれる人もいる。コロナ禍で馬を見に来ることのできない馬主さんは「あんたがいいっていうならいいでしょう」と。馬主さんに、赤字を出さないことが一番大事だと思っています。
家族にも大変な思いをさせた。調教師になって4、5年経って「一番になるぞ!」って嫁に誓ったことがある。一生大変な思いをさせないぞ、って。振り返れば「ようし、やってやる」って気持ちがあれば、できるな、って思う。
大変なことというのは、2006年度の廃止の危機のことなのかと思いました。当時は調騎会会長として奔走されましたね。
あのときのことは、口に表せなかった。大変な思いをした。当時の砂川敏文帯広市長の言葉に、車を止めて泣いたこともある。日本中の人が応援してくれて、その気持ちを裏切ってはいけないと思った。
14年経って、馬券の売り上げがいいのは嬉しい。しかし危惧しているのは、馬券の売上がいつ落ちるのか。全国のファンなど、世話になった人たちのおかげでばんえいが続いていることを忘れてはいけないね。
服部先生だからこそ存続できたのだと思います。ふれあい動物園やエキサイティングゾーンも先生のアイディアですね。
ふれあい動物園は、子どもが来てくれる場所で十分。欲でやるところではないんだ。
ふれあい動物園といえば、先日PR馬のキングが11歳という若さで亡くなりました。
少しでも元気な姿でいてほしかったけれど、病(蹄葉炎)には勝てなかったな。言うことをよく聞く、めんこい馬だった。牧場で休養させることも考えたのだが、この場所で親しまれていたのだから。本州からもたくさん手紙や花をいただいた。俺らよりも、ファンのキングに対する思いはもっとすごいな。
(今のPR馬)フクスケにその分頑張ってほしい。静かな性格だし、ふれあい動物園向き。体も大きくないから、長生きしてくれると思う。キングは大きかったからね。
キングの馬ソリを引く服部調教師
十勝管内の牧場で余生を送る、初代PR馬のリッキーは元気ですか。
元気だよ。たまに会っている。少しでも長生きしてくれれば。
インタビューでは、馬に教えられた、という話をしていました。
こんな気性の馬はこう、緩慢な馬はこう、と、何百頭もやっているうちに教えられた。馬の付き合い方を一頭一頭合わせて向き合えるようにしている。馬には感謝しないと。
思い出の馬、というとやはり2015年にばんえい記念を制したキタノタイショウでしょうか。
勝った馬だから、というわけではないのだけど。キタノタイショウに初めて出会ったときのことは忘れられない。1歳の春、朝に豊頃町の牧場で見て「大きくないけれどいい馬だな」と思った。それから陸別まで馬を見て回って(帯広-陸別は100キロ弱)、それでもこの馬のことが気になって、その日のうちに牧場に戻ってもう一度馬に会った。
ばんえい記念をはじめ重賞12勝を挙げたキタノタイショウ
どのようなタイプの馬が好きですか。ばん馬のほか、ふれあい動物園の馬も含めて教えてください。
一生懸命引っ張っている馬。体重は大きくなくても、体に幅があり、脚は長くなく胸囲がある。
動物園は、人に優しい馬がいい。(競馬場で生まれた)ロックは乗馬調教を終えて、そろそろ乗っていい、ってお墨付きかな(乗馬体験は休止中)。
引退後のばん馬を馬車用にほしいという話もよく聞きます。馬車がうんと増えたら、引退した馬も新しい余生を送れる。
調教など、馬と接する中で大事にしていることはありますか。
「これ以上無理だな」という限界以上にやらせない。おかしな方に行くから。馬が「うれしいよ、楽しいよ」と引っ張っている方がいい。「やだよ、やだよ」という時にやると、取り返しがつかないことになる。
先生、今でもケーキがお好きですか?
甘いものはなんでも好き。ケーキは1ホール食べちゃうし、夜中でも起きて食べちゃう(笑)。その代わり、酒は飲めないんだ。
オッズパーク会員に一言お願いします。
いつも応援ありがとうございます。競馬場が楽しいと思ってもらえるよう頑張ります。コロナも早く落ち着いて、ふれあい動物園に人が来られるようになったら、入場者も増えてくるかな。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香・小久保巌義)
調教師生活27年目の小林勝二調教師が、9月27日にシンエイジョッパリが勝利し、通算1,000勝を達成しました。馬にも人にも優しく、真摯な仕事ぶりが光る先生です。
ばんえいの世界に入ることになったきっかけを教えてください。
(北海道上川郡)下川町出身で父は馬を飼っていました。自動車整備の仕事をしていたけれど、同級生の田上忠夫調教師に誘われて、20歳の時に競馬場に来ました。田上調教師とはお互いの父同士も馬産振興会のつながりがあったんです。
1,000勝表彰式では、調教師会会長の田上調教師から花束
それから厩務員を3年やって、騎手試験には2年目で受かりました(1982年デビュー)。当時は40人ほど騎手がいて、現調教師の金山(明彦)さん、山田(勇作)さんなどが活躍。乗れなくてね。それでも12年やったかな。1994年、調教師になりました。
馬の特性を生かせられる調教方法を考えています。障害が悪くても、降りて歩ける馬だっている。とはいえ、この世界は正解がないから手探りですね。やればいいわけでも、やらなくていいわけでもないから。だから面白い。
思い出の馬について教えてください。まずは重賞勝ちの3頭について。
初重賞制覇となったニシキタカラ(2004年ばんえい菊花賞)は、重賞でも3着と惜しいレースが続いていた。この時はチャンスが巡ってきた気がする。でもレースの日は、二人三脚でやっていた妻がちょうど実家に帰ってていなくてなぁ。電話したよ。真面目な馬だった。
04年ばんえい菊花賞を制したニシキタカラ(写真:ばんえい十勝)
その菊花賞で8着だったのがニシキダイジン。開催が終わると、地元に帰って下川町の家で預かって、調教をつけていたんだ。デビュー前からやっていた。ダイジンは2歳の時から実力があったな。頭角表したのは夏からで、だんだん強くなっていった。2006年のポプラ賞を制し、3月までうちの厩舎にいました。流れに対応できるのが強み。自分でレース作れるからね。力はあったけれどばんえい記念を勝つまでは考えていなかったな。
2006年の明け3歳重賞、ホクレン賞を勝ったニシキセンプーはやんちゃだったなぁ。軽馬場が得意だった。
06年ポプラ賞を制したニシキダイジン
そのほかでは。
アグリミズキ(2009年カーネーションカップ4着)だね。いいところまで行ったが、喉に病気があって、繁殖牝馬にするために手術をしなくてはいけなくなり、競走馬人生を終わらせてしまって、かわいそうなことをした。今でも喉に穴が空いているんだ。
アグリミズキは子どもも3頭デビューしていますね。さて、先生といえば2012年にばんえいを舞台にしたNHKドラマ「大地のファンファーレ」でも協力されていました。
主役の馬、「トヨノコトブキ」を演じたハマクリシンザンを貸したんだよ。今は建て替えたけど、昔の厩舎もね。夜の撮影があって、長引いて午後11時を回ったこともあったんだ。俺の部屋も使っていたから家に入れなくてなぁ。調教師役の杉本哲太さんが入っていたんだよ。寒くて、外で薪をくべて暖まっていた。主役で騎手の高良健吾さんが、うちの柴犬とよく戯れていたなぁ。
気を付けていることを教えてください。
健康管理だね。馬は腹痛や熱発が多いから、馬は一通り、何回も見て回る。ちょっとしたしぐさを見逃さないようにする。
現役馬について教えてください。
右目だけ、黒目の周りが白い輪眼のシンエイシルビアは、昔からやんちゃだったな。青毛登録だけど、白い差し毛が多いから、芦毛じゃないかって一度確認してもらったことがあるんだよ。やっぱり青毛だった。
ペーパンヨシヒメは小さいが、体以上の仕事ができる馬。勝負は人一倍、馬一倍やる気まんまんだね。気持ちが表に出せるような調教をしている。
シンエイジョッパリのじょっぱりは「頑固者」という津軽弁で、名前通り。右引っ張ったって右に行く馬ではないんだ。でも今後期待している。
通算1,000勝を達成したシンエイジョッパリ(写真:ばんえい十勝)
厩舎には女性厩務員さんが2人いますね。
女性厩務員も増えてきているね。馬に対する手触りが良く、優しい。それもあって馬主さんは牝馬をよく預けてくれる。馬になめられることもあるけどね。女性もできる仕事と思うから。
表彰式では、娘さんがサプライズで来ていましたね。
道内で教員をしているんだ。息子もドイツで教育学を学んでいるらしいよ。
下川町出身とのことですが、下川といえばスキージャンプですね。趣味は何ですか。
スキーに乗ったりはしていたけどね。それよりモータースポーツが好き。バイクが好きで、山道をオフロードバイクで泥だらけになって、モトクロスとかね。今は忙しくて、乗る機会もなくなってしまったから、雑誌を見たりしているよ。
では、オッズパークの会員の方に一言お願いいたします。
今年はコロナで、まいっちゃったね。不要不急の外出を避けるから、「ちょっと見に行くか」って馬を見に行けない。
売り上げは伸びているよね。今は客が入っているし、やる気が出る。新聞で売り上げを見るのが毎日の楽しみになった。この調子で伸びるようになればいいな。
今年のばんえい記念も無観客で、ファンがとかちむらで見ていたと聞いたんだ。申し訳ないな。かわいそうだった。
この状況では仕方がないですが、末永くばんえいを応援してください。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
8月10日の佐賀第7レースで、地方競馬通算1,000勝を達成した佐賀の手島勝利調教師。1996年の初出走から25年目。これまでを振り返っていただきました。
1,000勝達成おめでとうございます!
ありがとうございます。まずはホッとしましたね。直前にちょっと足踏みしてしまって、もう少し簡単にトントンと行けるかと思ったんですけど。
この数字は意識していましたか?
専門紙にあと何勝と書かれていたので、早く達成したいなとは思っていました。
1996年4月の初出走から25年、ここまで長かったですか? それともあっという間でしたか?
長いといえば長かったなとも思いますが、最初の頃からいい馬に巡り合えたので、ずっといい流れで来られたと思います。頑張ってくれた馬たち、預けてくれたオーナーや、厩務員、ジョッキーのお陰です。
思い出の馬はたくさんいると思いますが、その中で1頭あげるとしたらどの馬ですか?
自分にとっては全馬大事な馬たちですけど、1頭あげるとしたら、グレードレースを勝たせてくれたエスワンスペクターですね。乗り心地も良かったですし、レースに行ってのスピードが全然違いました。ちょっとガンコなところもありましたけど、扱いやすい馬でしたね。
デビュー2連勝から、門別のエーデルワイス賞(2003年)を勝った馬ですね。
今考えると、よく2戦2勝の馬を北海道まで連れて行ったなと。今なら行かないですよね。あの時はJRAの馬たちもいましたし、2戦2勝とはいえ佐賀からの遠征でしたから、まったく人気もなかったんです。でもスタートして2番手につけると、いい手ごたえで進んでいましたから、4コーナーから直線にかけてずっと叫んでいました。勝った時は本当に嬉しかったです。引退後には繁殖になれましたし、子供のエスワンプリンスでも夢を見させてもらって。今でも北海道に行った時には毎回顔を見に行っています。
先生のことを覚えていますか?
最初の頃はイヤがっていました(苦笑)。競馬場にいた時は、お世話をしてくれる厩務員さんにはなついていましたけど、自分は攻め馬をしていましたから、威嚇してきたりして。でもお母さんになって何年かしてからは、じっとして顔を撫でさせてくれるようになりましたね。今はもうすっかりお母さんの顔になりました。
子供のエスワンプリンスは、九州ダービー栄城賞(2012年)を勝ち、佐賀で数々の重賞を勝ちましたし、笠松グランプリ(2013年)や園田FCスプリント(2014年)を制すなど、全国的に活躍しましたね。
スペクターの子供をやらせてもらえるということがありがたかったですし、その上すごく走ってくれて。この親子には本当に感謝しています。僕にとって特別な存在ですね。それに、佐賀デビューで最後まで佐賀で走らせてくれたオーナーにもとても感謝しています。こういうクラスの馬は南関東やJRAに行ってもおかしくないですし、当時はあまり賞金がいい時代じゃなかったですから。
2015年吉野ヶ里記念を制したエスワンプリンス
エスワンプリンスといえば、馬体重が計れないという印象が強かったのですが、気性的に難しかったですか?
ちょっと難しい面もありましたが、ファンの方が思われているほど悪くはないんですよ。ただ佐賀の体重計には絶対に乗らなくて。初戦は乗ったんですけど、2戦目からはものすごく嫌がるようになりました。あまり興奮させてもレースに影響がありますから、計らないで済ませたら、それを覚えてしまって。でも遠征に行くと見慣れない場所で、他の遠征馬と一緒に装鞍所に行くでしょう? それで前の馬にくっついて歩いていると、いつの間にか体重計に乗っているという感じで、遠征の時だけは計れたんです。ファンの方からは「なんで佐賀の時だけ計れないんだ」という声もいただき、大変申し訳ないと思っていましたが、「佐賀では体重計に乗らなくていい」と覚えてしまったもので......本当に頭のいい馬でしたね。
現在の活躍馬といえば、昨年の中島記念を勝ったウノピアットブリオの印象が強いです。
一気に化けたというか、とんとん拍子に出世して、まさかグレイトパールを負かして中島記念を勝ってしまうとは......。もちろんレース前から勝ちたい気持ちは強かったですけど、さすがにグレイトパールは強いよなと思っていましたから、正直びっくりしました。
2019年の中島記念を制したウノピアットブリオ
ウノピアットブリオは2018年の春に転厩して来ましたが、当時は裂蹄に悩まされたそうですね。
そうなんです。4肢あるうちの3肢が裂蹄でしたから、思い切って長期休養しました。それが功を奏して、復帰してからは蹄に問題はありません。
今年の春には山口勲騎手が怪我をした時期があり、その時2戦は岩永千明騎手がコンビを組みました。2戦ともに重賞ではありませんでしたが、大きな注目を集めましたね。
オーナーとは以前から、(山口)勲が乗れない時には千明ちゃんに乗ってもらおうという話をしていました。というのも、千明ちゃんが大怪我をしたのはうちの厩舎の馬で、ウノピアットブリオと同じオーナーの馬だったんです。あれだけの怪我をして休んでいましたから、僕としてもとても責任を感じていました。だから千明ちゃんが復帰してくれて、本当に嬉しかったです。
コンビ初戦となった高千穂峰特別では、かなりの後方から一気に差し切りました。これまでとはまた違ったレースぶりでしたね。
「気楽に乗って来て」と言いましたが、メンバー的には絶対に負けないだろうと思っていました。でも勝負所でも相当後ろだったので、これはさすがに負けたな......と思ったんですが、そこからの脚がすごかったですよね。勲が乗る時には前々から抜け出すという競馬でしたが、後ろから差すという新しい面を引き出してくれました。
岩永千明騎手で高千穂峰特別(2020年5月10日)を制したウノピアットブリオ
ウノピアットブリオは7月5日の佐賀王冠賞以来休養していますが、今後の予定は決まっていますか?
去年の夏から連戦連勝で来て、中島記念で強い競馬をしてくれて、その後体調が下降線だったので、今は牧場で休んでいます。もう少し涼しくなったら帰ってくる予定でいます。中島記念を目指しますが、馬の状態が第一なので年明けになるかもしれません。
10月3日から、いよいよ『ほとめきナイター』が始まります!オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。今も薄暮で後半の1、2レースは暗い時間にやっていますが、いよいよナイターが始まるということで、もっとファンの方が楽しみやすい時間になればと思います。一日の締め括りの楽しみとして、佐賀競馬も楽しんでいただければ嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
小西重征調教師は今年77歳。調教師として開業されたのが1979年と既に40年以上経っているのだが、それ以前は20年近くトップジョッキーとして活躍されており、今では岩手競馬を最も古くから知る"生き字引"的存在でもある。その小西重征調教師が先の7月、岩手競馬の平地通算勝利記録を更新された。多くの名馬を育て、また勝利数でも記録を打ち立てられた小西調教師にうかがった。
まずは7月13日に達成された地方競馬通算1,844勝、『岩手競馬平地通算勝利記録』更新のお話からうかがいます。小西調教師は記録にあまりこだわっていない......とは思いますが、改めて振り返ってみていかがでしょうか
そうですね、今になって数えてみればああ届いていたのか......と。そうだな、届いたとか超えるとかでもなくて、そんなに勝っていたのか、という感じですね。
7月13日、岩手競馬平地通算勝利記録1,844勝達成の口取り
とはいえ40年間も調教師を続けて来たというだけだけでなく毎年ある程度以上は勝ち続けないとこんな数字にならないのですから、やっぱり凄いのではないでしょうか
凄いかどうかは分からないけどね。まあ、凄いというよりは長いこと調教師をやってきたその積み重ねなのでしょう。
その40年の調教師生活で小西調教師が一番記憶に残っている馬は......やはりトウケイニセイでしょうか?
そうですね、やっぱりトウケイニセイだろうね。自分もまだ若くて張り切っていた頃だから、最初の頃は勝って良かった嬉しかったと喜んでいたけれど、最後の頃になるとプレッシャーの方が大きかった。良い事も多かったが一番苦労もした馬だからね、トウケイニセイは。
最近のファンの方はトウケイニセイを知らない世代が多いと思うので改めてうかがいますが、トウケイニセイはどんな馬だったのでしょうか?
まず賢い馬だった。そして我慢強い。ちょっと故障がちな所があったがレースでは我慢して走ってくる。しかし調教中なんか、何かちょっとまずいところがあったら極端に歩様を乱してみたりするのさ。そうやって痛いとかどこかおかしいとかいうのを我々に対して教えるんだね。それで治療をするんだが、その間はピクリとも動かないで辛抱している。つまり"ここが痛いぞ"というのを見せつけて治してもらおうとするわけ。そんな馬だった。
2009年1月、水沢競馬場に里帰りしたトウケイニセイと小西調教師(右から3人め)
トウケイニセイのキャリア終盤の頃は、調教もレースも非常に慎重に、気を遣いながら戦っていました
ちょっと脚元にまずいところがあったからね。でもレースに出たら我慢して走ってくるから。その頃はもう、勝つとか負けるとかより無事に帰ってきてくれたらいいとだけ思っていた。
引退レースとなった1995年の桐花賞の時も、決して万全ではない脚元の状態で出走して、それでも強い走りで勝って。非常に印象深かったです
あの時は馬自身が"これが最後のレースかも"と感じて、そんな気持ちで走っていたんじゃないのかなと思いますね。トウケイニセイはカメラを向けるとカメラなのかカメラマンなのかを意識してポーズを取るような馬だったのに、その桐花賞で最後の口取り写真を撮った時は人に頬ずりするように甘えたりして、これまでとは違う雰囲気だったのを覚えている。馬自身も何か感じていたんだろうね。
引退して1年位経った頃に北海道に会いに行ったが、その時もまだ跛行していたからね、最後の頃はよっぽど我慢して走っていたんだと思う。
2011年、盛岡競馬場でのトウケイニセイ
考えてみれば、トウケイニセイは小西調教師が開業して10年ちょっとの頃に出会った馬ですよね。自分は"大ベテランの調教師が育てた馬"という感じに思っていました
トウケイニセイには色々な事を教えてもらった。騎乗していた菅原勲君(現調教師)もまだ若かったから、同じだったんじゃないかな。自分はあれを超える馬には会った事がないですね。
まあ、あの頃の走る馬はどこかしら悪い所がある、故障している馬が多くて、グレートホープもそうだったが、当時はそういう馬を治し治しやっていくのが競馬だと思っていた。手のかかる子供を育てていくというかね。何かしら悪い所があったりする馬を手をかけて面倒をみて、活躍するようになっていくのを見ているのが競馬の楽しい所だと今でも思っています。
では、調教師としてだけでなく騎手時代も含めれば岩手競馬を最も昔から見てきた小西調教師は、今の岩手競馬についてどう思われたり感じられたりしていますか?
やっぱり、そうですね、スターが出てこないと盛り上がらないんじゃないかなと思いますね。馬だけでなく人もね。スターホースとスタージョッキー。
例えば武豊騎手が来るか来ないかであれだけ盛り上がりが違う。皆が接戦で頑張っているのも良いが、抜けて強い馬、抜けて強い騎手もやっぱり必要なのではないかと思う。
そしてライバル。トウケイニセイの頃はライバルもたくさんいた。強い馬がいてライバルがいて、次はどっちが勝つか?と切磋琢磨していくとライバルも一緒に強くなっていく。馬も人もね。
齋藤雄一騎手(現調教師)が数年間使用した「胴桃・袖緑」の勝負服は小西調教師が騎手時代に使用していた服色を引き継いだもの
小西調教師はあと150勝で2,000勝に届きます。小西調教師がぜひまたそういう馬や人を育てていただけたら......。
それはちょっと無理じゃないかな(笑)。もうちょっと岩手競馬に置いてもらおうかなとは思っているが、それは若い先生方に任せる。馬とジョッキーを育ててもらって、岩手競馬をまた盛り上げてくれたら良いと思います。自分ももうちょっと頑張るかな。そうだね、もう少し頑張りたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
地方競馬での歴代最多勝利記録(記録の残る1973年以降)を更新し続けている雑賀正光調教師(高知)。1月29日には地方通算3500勝を弟子の永森大智騎手で達成しました。「目標は4000勝」と前人未到の数字を掲げ続ける雑賀調教師。あと500勝に迫ったいまのお気持ちや、かつて管理したグランシュヴァリエ産駒での重賞初制覇などについて伺いました。
地方通算3500勝達成おめでとうございます。以前から4000勝が目標とおっしゃっていましたが、あと500勝となってのお気持ちはいかがですか?
ありがとうございます。うーん、実は3500勝というのはあんまりピリッとは感じていないんです。3500勝を目標にこしらえていたら、4000勝までが遠いので。4000勝を目指していたら、この数字は誰でも通る道だと思っています。
地方通算3500勝をセキセキで達成。鞍上は永森大智騎手
(写真:高知県競馬組合)あくまで通過点で、意識はされていなかったんですね。
そうです。騎手でも2000勝を目指していたら、達成した後は油断して乗れなくなるので。2000勝を目指す人は目標として3000勝を置きますし、3000勝の人は4000勝を目標に進んでいます。だから長続きもするし、乗れます。それは下原(理騎手、兵庫)に言ったこともありますし、うちの永森にも「2000勝を目指すんやったら、3000勝を目標にせんかい」って言っています。
下原騎手はたびたび重賞のスポット騎乗で雑賀厩舎の馬に乗っていますが、そういうお話もされるのですね。他地区のジョッキーで言えば、昨年は高知優駿で御神本訓史騎手(大井)がナンヨーオボロヅキに騎乗し、見事勝利。大井のトップジョッキーを高知に招聘するなんて、雑賀調教師の偉大さが伝わってきました。
何の気なく、「御神本、乗れるか?」って言ったら、ちょっと考えよったけど、「乗ります」って。そしたらみんなから「高知に乗りにくるなんてビックリした」と言われて、私もあんなに騒がれるとは思わなくてビックリしました(笑)。
御神本訓史騎手で2019年の高知優駿を制したナンヨーオボロヅキ
(写真:高知県競馬組合)御神本騎手は2010年、騎乗停止・自粛明けに高知で3カ月の期間限定騎乗を行い、その時の所属が雑賀厩舎でしたね。
預かってほしいと言われた時、「(元騎手の)私より腕もセンスもある一流ジョッキーで、教えることは何もありません」と一度は断ったんです。騎乗に対しては全然言うことはありませんでした。御神本と本橋(孝太)は今でも母の日には私の妻に胡蝶蘭を贈ってくれます。
管理馬の話題では、重賞4勝を挙げ、マイルチャンピオンシップ南部杯JpnI・3着のグランシュヴァリエの産駒が昨年デビューしました。雑賀厩舎にも昨秋以降、門別から移籍してきましたね。
やっぱり姿、形、気性面がよう似ています。3頭がうちに来て、それぞれ違いますが、それでもやっぱりよう似ています。
中でも門別で2勝を挙げて移籍したリワードアヴァロンは先日、土佐春花賞で重賞初制覇を果たしました。
ええ勝負根性のある馬です。前の馬を抜くと止めるような悪い面もお父さんから引き継いでいますけど(苦笑)。土佐春花賞ではソラを使いかけましたが、永森が上手いこと乗りました。スピードはあるし、ジョッキーも父仔二代で乗っています。高知で父仔二代で乗る騎手って永森くらいじゃないですか!?
リワードアヴァロンで土佐春花賞を制覇
(写真:高知県競馬組合)調教師で父仔二代を管理というのもなかなかないケースのように思います。
そやからね、やっぱり他の馬と違って、「もうちょっと...!」って気持ちが出てきますね。リワードアヴァロンはお母さんもうちの厩舎やったので、孫みたいなもんで嬉しさも倍です。スピードがあるので脚元に気をつけながら、王道の3歳路線でいこうと思っています。永森は「距離延長が課題」と話していますが、私は大丈夫だと思っています。全弟も4月に入ってくる予定です。
兄弟ともども楽しみです!ところで、ここ数年は地元や全国リーディングから少し離れていますが、奪還への思いは?
リーディングを取ろうと思ったら、脚元の丈夫な馬を預かった方がいいと思うんですが、脚元に不安を抱えた馬をやりたいんですよね。ここ3年、それこそリーディングからちょっと離れたくらいの時から故障馬を触るのがさらに好きになりましてね。年を取った人が盆栽を触る感じで、脚元を治しながら走らせるのは本当に楽しいんです。
手をかければかけただけ応えてくれる醍醐味があるのでしょうか。2018年の黒船賞を制覇したエイシンヴァラー(当時は兵庫所属)も脚元に不安を抱え、今年はじめに雑賀厩舎に移籍してきました。
少しレースから離れたので、脚元も良くなってきています。高知に来て1回使ってから良くなって、こないだ勝ってくれました。この馬とは縁があるんです。黒船賞を勝った時、厩務員さんはゲートで、新子(雅司調教師)は取材の人に囲まれちゃって、馬を迎えに行く人がいなかったので、私が飛んで行って、採尿検査まで連れて行ったんです。それも少し頭の中にあって、オークションに出てきた時に馬主さんに勧めました。
改めて4000勝への思いを聞かせてください。
言った以上、4000勝を達成するまでは現役を辞めず、精一杯やります。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
高知競馬は一番先に潰れるところやったのに、ホンマによぉ残ったと思います。馬主も調教師もみんなよぉ我慢したけど、それ以上に主催者が偉いです。恥も見栄もすべてなくして、商売に徹しました。そして、こうして高知競馬のファンがついてくれてありがたいです。これからも応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子