黒船賞(JpnIII)で5着に健闘したサクラレグナム。同馬を管理するのは2010年全国リーディングに輝いた田中守調教師です。これまでコスモワッチミーやサクラシャイニーなどでは他地区に遠征するなど、その活躍は高知にとどまりません。田中調教師ご自身のこと、厩舎のこと、そしてサクラレグナムについて伺いました。
騎手から34歳で厩舎を開業されて17年。どういった経緯で調教師に転身されたのでしょうか?
今はJRAにいる小牧太騎手や園田の尾林幸二調教師、門別の沼澤英知調教師と同期で、和歌山の紀三井寺競馬で騎手デビューしました。廃止後は益田競馬で半年ほど乗って、地元・宮崎に少し帰った後、紀三井寺時代の師匠からの紹介で高知競馬にやってきました。でも、減量続きで体も悪くなっていたので調教師試験を受験できる年齢になって割とすぐに受けました。当時は今よりも年齢制限が確か高かったんですよ。調教師になる時は、高知競馬が低迷していた時だったので、「調教師にならない方がいいんじゃないか」って声もありましたが、幸いにも僕はツラい思いをすることはそんなにありませんでした。開業当初は預託馬が集まったものの人手が足りなくて、調教も馬房掃除もいろいろ動いていましたね。
翌年にはナムラコクオーで建依別賞を勝って重賞初制覇。ここまで重賞44勝を挙げていますが、その間には他地区やJRAへも積極的に遠征しました。
県外に遠征に行きはじめたのはビッグフリートからでした。中西(達也騎手・当時)と東京盃やJRA京都競馬場でのプロキオンステークスにも行きましたね。プロキオンステークスに出走させたのは、一度中央を見てみたかったですし、ビッグフリートが中央でどれくらいのパフォーマンスを見せられるかというのも知りたかったんです。僕が調教していた馬で、レースは16頭立て11着でしたが、2番手からのレースで走破時計も着差も悪くないな、と。「これなら佐賀のサマーチャンピオンでいい勝負ができる」と思いました。結果は4着でしたけどね。
ナムラコクオーで重賞初制覇となった建依別賞(2003年9月15日)
写真:『Furlong』2003年10月号より
JRAから移籍のビッグフリートは脚元に不安のある馬だったそうですが、田中厩舎の調教は基本的にどんなメニューですか?
だいたいは運動が長めです。馬も1頭ずつ性格が違うので同じようにはできませんが、馬場に入ったらまずは軽速歩をゆっくりしてからキャンターで4コーナーから1800メートルほど走らせます。長い距離を乗らないので、ピッチは速めです。行かない馬は行かせてあげて、ハミ掛かりのいい馬は抑えたままでスーッと、という感じですね。これがいいのか悪いのかって言われたら「どうなのかな?」と思いますが、どの馬も故障もなく現役生活を長く続けられているので、これでいいんだろうと思って変えずに今まできています。
2010年には全国リーディングに輝きました。
あの頃はそういうことに全く頓着していなかったので、全然知らなかったんです。大晦日くらいになって「1位よ」って言われて、「え?え?全国??何それ」って(笑)。そういうところは(赤岡)修次はよく知っているんでね。NARグランプリ授賞式には最優秀勝率騎手賞を受賞した修次と優秀女性騎手賞の(別府)真衣ちゃんと3人で行きました。
さて、先月は黒船賞にサクラレグナムが出走して5着。年末の兵庫ゴールドトロフィーでも4着の実績があり、地元代表として期待が寄せられました。当日の馬の状態などはいかがでしたか?
ずっと状態の良さを持続していたのですが、当日は少しボーっとしていて、「こんな感じの子じゃないのに」って思っていました。前走からちょっと間隔が開き過ぎたかもしれません。黒潮スプリンターズカップの後、どこかで使おうかなとも考えたのですが、変に使わない方がいいと思い、黒船賞に直行しました。遠征に行けばシャキッとするんですが、地元で使うには間隔が長すぎたのかもしれません。
黒潮スプリンターズカップ(2019年2月3日)を制したサクラレグナム
写真:高知県競馬組合
レース当日はずっと「緊張する」とおっしゃっていましたね。地元での一戦だっただけに思いも強かったのではないですか?
サクラレグナムは輸送があまり得意な馬じゃないんです。修次も「地元だと馬の雰囲気が違って、蹴りもいい」と言っています。それでも遠征であれだけ走れるのは筋肉が柔らかいからなんでしょう。「輸送がなければもうちょっと走れる」っていうのもありましたし、メンバーを見て「今年は...!」と期待を持っていました。
その後、ほぼ連闘で重賞・御厨人窟賞に向かい、完勝。黒船賞は少し残念でしたが、地元馬同士だと負けないぞ!っていう強さを見せてくれて安心しました。
レースに申込みだけはしていたんです。黒船賞後にすぐに乗り始めて、調教に跨っている山頭(信義騎手)が「めちゃくちゃ元気です」と言うので、じゃあ行こうか、と。いい状態をずっと調教で維持するより、レースに使った方がいいと思いますし、黒船賞で負けた後だったので、勝ったらまた馬に自信を取り戻させられるかな、と考えました。勝ち時計はあの日の馬場にしたら速いですし、4コーナーは馬場の真ん中を走ってのものですから、よかったと思います。
サクラレグナムの今後の予定を教えてください。
5月1日かきつばた記念に向かう予定です。その後は地元では1400メートルの重賞が8月25日建依別賞までないので、去年と同じようなローテーションで南関東などへ遠征かな、と考えています。
サクラレグナム(2018年11月22日、笠松グランプリ出走時)
田中調教師ご自身は今後どのような目標を立ててらっしゃいますか?
やっぱりもう1回、NARグランプリ授賞式に行きたいなって思います。初めて行った時にカルチャーショックみたいな感じで、「うわ!すごい所だなぁ」と驚きました。だからもう1回、行けるようになったらいいなぁと思っています。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。またこれからも変わりなく応援していただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
カツゲキキトキトを管理する錦見勇夫調教師は調教師歴41年。これまでかきつばた記念JpnIIIや東海ダービーといった大レース勝利のほか、JRAでも勝ち星を挙げています。また、所属する大畑雅章騎手と木之前葵騎手も活躍。ご自身の半生とカツゲキキトキトの現在の状況をうかがいました。
騎手から調教師に転向されて41年。開業当時のことは覚えていらっしゃいますか?
生まれは競馬場の近くで、16歳で騎手免許をもらって30歳から調教師になりました。弥富トレーニングセンターができてから1年弱はジョッキーとして乗っていたんですが、厩舎が一杯だったので早めに調教師試験を受けたんです。1年目は10馬房、2年目が12馬房、3年目が13馬房でそれからしばらく増えなかったと思います。私の後に調教師になった人で開業を半年か1年ほど待った人もいました。
最初の頃は調教師も多く、馬房数が少なかったんですね。そんな中で一番印象に残っている馬を教えてください。
運良くたまたま開業の時にアラブでもサラブレッドでもオープンまで上がる若馬が入ってきましてね。おかげさまで頭数が少ない割にはそこそこの活躍馬に恵まれました。特に1989年東海ダービーを勝ったサンリナールや98年にJRAで中京日経賞(3歳以上900万下)を勝ったダイユウカイソク、2005年かきつばた記念を勝ったヨシノイチバンボシなんかが当時は地元で一番強かったですね。昔はC1特別で好勝負ができる馬は中央の500万下でも勝負ができたり、しまいに脚を使う馬はこっちでは差し切れなくても直線の長い中央に行くと出世したりするので、そういう馬はよく中央に移籍していましたね。
馬はご自身で牧場などへ行って見定めていらっしゃったのでしょうか?
昔はしょっちゅう牧場に行っていました。血統がいいか、体型の良さそうな馬を選んでいました。胴があまり長くなくて腰のしっかりした馬がいいですね。あとはとにかく平均的にしっかりしていて、ダート向きな馬がいいです。ただ、燕麦とかが中心だった昔と比べて、いまは濃厚飼料があったり食べ物が良くなっているので馬のつくり方もちょっと変わってきています。
ヨシノイチバンボシではJRA馬相手にかきつばた記念を制覇されましたが、どんな馬でしたか?
コロッとした感じの馬体でした。調教では掻き込むような走り方だったので吉田くん(稔騎手)はよう乗らんかったですが、レースではトビがしっかりしていました。初めて東海ダービーをサンリナールで勝った時(当時、名古屋優駿)も嬉しかったですが、かきつばた記念を勝った時もやっぱり嬉しかったですねぇ。3歳の時はJRA新潟にも何度か遠征したけど、なかなか勝てそうで勝てませんでした。それでも着は確実に拾っていたんですよ。
JRA遠征といえば、昨秋はJBCクラシック(12着)にカツゲキキトキトで挑戦しましたね。
揉まれてしまって、道中はチグハグな競馬になってしまいました。地元でもそういうレースになって馬が掛からない時がたまにあるんです。どちらかといえば1900メートルか2000メートルくらいが一番合っているのかなと思います。
名古屋記念(2019年1月4日、写真:愛知県競馬組合)
その後、地元に戻ると重賞2連勝。名古屋グランプリ5着ののち、前走・名古屋記念は楽勝でしたね。
名古屋記念はスタートからちょっと気合いを入れたので、2番手にスッと行きました。3コーナーでは、「あ、楽に勝つな」と。見ている方は楽でした。
なかなかそう思える馬やレースなんて少ないんじゃないですか?
カツゲキキトキトは3歳で(木之前)葵くんを乗せて秋の鞍を走った時、出遅れて後方からになってしまったのですが、それでも一気にまくって4馬身も離して勝ちました。それを見て、「やっぱり力が抜けとるんだな」って感じましたね。
秋の鞍(2016年9月19日)を木之前葵騎手で勝利(写真:愛知県競馬組合)
1月4日に名古屋記念を勝利後、カツゲキキトキトはレースから遠ざかっていますが、近況をお教えください。
2月14日の梅見月杯を使おうと思って調教をしていたんですが、調教後に左前の球節をぶつけて外傷を負ってしまいました。もう腫れも引いたので大丈夫だと思います。わんぱくな馬で、気に入らないことがあると調教中でもクルっと回ることがあるんです。でも、最近は運動では多少大人しくなりました。名古屋大賞典は日程的には厳しいかもしれませんが、間に合えばぶっつけで行くか、あとは地方馬同士のところで斤量やメンバーを見て、(木之前)葵くんを乗せて勝たせたいなと思っています。葵くんも最近、バランスや格好が良くなってきて、安心してレースを少し見られるようになりました。
カツゲキキトキトは地元の大将格ですし、ダートグレードレース制覇を期待するファンも多いかと思います。これからの目標となると、やはりそういったあたりでしょうか?
そうですね、ダートグレードも目標ですが、なんだかんだで中央の強そうな馬が次から次に出てきますから、なかなか勝つのは難しいかもしれません。それ以外では地方競馬の勝ち星ナンバー1を狙うとか!?アラブで一番勝ったモナクカバキチはうちにいた時もあったんですよ。うちでは15勝しました。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
もう1頭くらい、またサンリナールやカツゲキキトキトくらいの馬を出したいと思っています。一生懸命がんばりますので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
現役では3人目となる地方競馬通算3000勝を達成(2018年11月17日高知第8レース)した松木啓助調教師。高知競馬が現在の場所に移転してからほぼ同じ年月を調教師として過ごしてこられました。時代の変化や今でも忘れられない馬、そして今後について語っていただきました。
地方競馬通算3000勝、おめでとうございます。1986年4月の初出走から約32年での達成です。改めて、どんなお気持ちですか?
ありがとうございます。ある時からみんなに「もうちょっとや」って言われていたんですが、私自身はそんなに意識をしていませんでした。32年間の積み重ねで、いま考えてみたら長いですね。
厩舎を開業されたのは、高知競馬場が『桟橋競馬場』と呼ばれていた地から現在の場所に移転して1年後のことでした。当時はどんな状況でしたか?
移転して1年は騎手としてレースに乗っていて、それから調教師になりました。当時はスタンドも馬場も新しかったですね。移転して少ししてから売上げもバーッと上がって、あの頃は良かったですよ。
調教方法など、いまとの違いはありますか?
こっちではみんな内厩ですが、桟橋の頃は外厩が3分の2くらいは占めていましたかね。遠いと車で馬を連れてきていました。あと、昔は浜で乗っていました。浜の近くにも厩舎が結構あって、今の場所に競馬場が移ってからもしばらくは外厩という形で利用していました。砂浜での調教は屈腱炎とか故障馬にいいんですよ。あんまり砂が深い所で走らせると馬も疲れてしまうので、うまく調整しながらですね。
調教師になったばかりの頃は、他の調教師が嫌がる屈腱炎の馬とかを紹介してもらい預かっていました。屈腱炎の馬って、能力やスピードがあるんですよね。脚元を注意しながらですが、走れれば力は全然違います。朝、競馬場で調教を終えてから浜に行っていたので忙しかったですが、だからこそ成績も上がったと思います。開業当初は15馬房くらいしかなくて、まずは成績を上げないと馬房数も増えなかったですからね。
そうした苦労や工夫のおかげで、1年目は馬房数の約2倍にあたる29勝を挙げられたんですね。重賞はこれまで記録に残っている上では55勝です。特に印象に残っているのはどの馬ですか?
タイホウミラクルですね。開業3年目で高知県知事賞を勝ちました(1989年1月15日)。当時も県知事賞はビッグレースで、ええ馬に当たりましたね。気性のいい馬でした。
2004年には福山で全日本アラブグランプリをマルチジャガーで制覇。同馬は13連勝ののち4着を挟んで7連勝で同レース優勝だったんですね。カッコイイです。
2歳のデビューから高知でやった馬で、強かったね。スピードが違っていました。
最近ではセトノプロミスで2018年御厨人窟賞を勝たれました。
プロミスは高知にきてパパーッと勝ちましたね。距離は1400mか1600mがいいでしょう。1600mは掛かる時もあるけど、その時によって分かりません。折り合いがついたらいいですけどね。なかなか重賞っていうのはうまいこといかないと勝てないですから。この馬は脚元が良くなったり悪くなったりで、最近は年齢もあるかもしれません。でも、能力は高いですよ。
セトノプロミス(2018年3月11日・御厨人窟賞/写真:高知県競馬組合)
ご自身は重賞での活躍だけでなく、2000年からは4年連続で高知リーディングに輝くなど、毎年リーディング上位の勝利数を挙げています。今後についてはどのようにお考えですか?
高知の調教師には定年がありません。だから、自分で自分の引き際を決めないといけないです。でも、元気でやれるうちはやろうと思います。またマルチジャガーみたいな馬、やりたいですね。なかなか難しいことですが、ずっとやっていればどこかで当たるかもしれないですしね。
それと、いま厩舎に預けてくださっている馬主を大事にしたいです。景気が悪い時は高知競馬にも馬が300頭前後しかいなくて、経費も最小限に抑えていたから、1回走って2万5000円ほどの出走手当。私も預託料を下げましたが、それでも限界があって、結局馬主のところに負担がいってしまいました。もう辞めようかと思った時もありましたが、ナイターをやり始めてから売り上げも上がって、あの頃より良くなっています。だから、あの頃にお世話になった馬主は大切にしないといけません。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
高知の競馬は魅力があると思います。内の砂が深いことを買う方も考えないといけないでしょうし、ジョッキーも内枠に入ったら悩むと思います。
これからも高知競馬はまだまだやっていくと思います。売り上げも上昇してきました。どんどん買ってもらって、宣伝をどんどんしてもらって、高知競馬を発展させてもらいたいです。
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※インタビュー / 大恵陽子
12月23日(祝・日)に行われる、佐賀のグランプリレース中島記念。ファン投票第1位に選出されたのは2011年の覇者ウルトラカイザーです。昨年のこのレースは惜しい2着でしたが、10歳の今年はここまで8勝を挙げ絶好調。7年ぶりの中島記念制覇を目指すウルトラカイザーについて、真島元徳調教師にお話を伺いました。
見事ファン投票1位に選出されましたね。
本当に有難いことです。1番人気にしてもらいましたし、ちょっと距離が長いかなとは思いますけど、状態もすごくいいんでね、今年も挑戦してみようと思っています。
真島厩舎からデビューして、道営移籍などもありつつ、長年活躍していますね。
デビューからケタ違いに強かったです。もう、能力がずば抜けていました。性格はおとなしくて、基本的には全然手のかからない馬なんですけど、レースになるとテンションが上がるので、若い時にはちょっと苦労しましたね。特に輸送競馬は大変でした。本当に長く活躍してくれて、頭が下がります。
昨年はご子息の大輔騎手(大井)が騎乗して惜しい2着でした。
悔しかったですね。もう一度このレースを勝ちたいと思うんですけど、この馬にはちょっと距離が長いんですよ。最近はずっと1400メートルを使っているんですけど、だんだん年をとってきて、短い方が力を発揮できるようになって。年寄りの割にはムキになるんですよね(笑)。
年齢を重ねると、ズブくなる馬が多い印象ですけど。
前に馬がいるとムキになって追いかけるんです。それで抜いて1頭になると今度はズブくなるという(笑)。乗り難しいとまではいかないけれど、そのあたりかな。今年は多分弟(真島正徳騎手)に乗ってもらうことになると思いますが、うまいことなだめてもらえればなと。今年は夏も元気だったし、ずっといい状態をキープしていますから。
10歳で吉野ヶ里記念を制したウルトラカイザー(2018年7月22日、写真:佐賀県競馬組合)
勝ったら2011年以来7年ぶりということです。
すごいですよね。長い間頑張ってくれているからこそ、そういう記録も狙えるので、ぜひもう1回勝ちたいです。中島記念というのは佐賀競馬にとって、中央の有馬記念と同じグランプリレースですから。毎年勝ちたい気持ちは強いです。もちろん、どのレースも負けたくないですけどね。たくさんのファンの方に応援していただいて、ファン投票1位に選出していただきましたし、負ける姿は見せたくないです。どれだけ折り合ってレースに集中してくれるかだけ。状態はいいですし、期待しています。
他にも中島記念出走予定馬はいますか?
イッシンドウタイとデリッツァリモーネの2頭も出走するつもりです。イッシンドウタイは1800メートルが合っているし、自分のペースで行ければなかなか止まらないですから。佐賀ではまだ重賞を勝っていないけれど、力はあるしいいところはあると思っています。気になるのは枠順ですね。スタート自体はウルトラカイザーの方が速いけど、イッシンドウタイもマイペースで行けたら面白い。同厩舎で喧嘩したくはないし、理想を言えばイッシンドウタイの方が内枠だと競馬はしやすいかなと思っています。
デリッツァリモーネは自分の競馬に徹するだけ。中団前くらいで、前を見ながらついて行くという競馬に徹すれば、脚は必ず使ってくれる馬です。佐賀記念を使ってからガタッと来て、春先体調が良くなかったんですけど、ようやくここに来て状態が上がって来ました。3頭ともチャンスはあると思うので楽しみです。
続いては真島調教師ご自身のことを伺いたいのですが、昨年の12月から船橋の岡村健司騎手を期間限定騎乗で受け入れていました。当初、岡村騎手はレース経験があまりありませんでしたが、真島厩舎のバックアップで一気に成長し、年明けしばらくは山口勲騎手とリーディングを争うほどの活躍でしたね!
健司にはこちらがお世話になりました。たくさん勝ってくれて、お陰でうちはいい仕事をさせてもらいました。11月に船橋に帰りましたけど、たくさん経験を積んで上手くなりましたね。やっぱり騎手は乗ることが大事だと思うので、目に見えて成長してくれて、結果も出してくれて嬉しいです。
岡村健司騎手で佐賀皐月賞を制したリンノゲレイロ(2018年4月22日、写真:佐賀県競馬組合)
真島調教師はこれまでにも、若手騎手や一度辞めてしまった騎手を受け入れて来ました。その心意気、素晴らしいと思います。
ありがとうございます。でも面倒見ているようでいて、結局はこちらが見てもらっているんですよ。佐賀はジョッキーが足りないから、来てくれるととても助かるんです。地方競馬教養センターにも何度か行ってアピールしているんですけど、なかなかデビューから佐賀へという子は少なくて。もっと頑張らないといけないですね。
騎手を育てるための環境を真島調教師が中心になって作っているんですね。
そう取ってもらえると有難いです。今年は出水騎手がデビューして頑張っていますし、もっと若い人が増えてくれたら嬉しいです。自分の厩舎だけではなく佐賀全体のことも考えていかないと。結局自分のところだけ良くたって、競馬というのは相手がいてこそだから。みんなが団結した上で争うのが競馬で、負ける人がいなければ勝つ人もいないわけですから。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも佐賀競馬を応援していただき、ありがとうございます。中島記念には3頭出走を予定していますので、このまま好調キープして出走できるよう、厩舎一丸となって頑張ります。これからも佐賀競馬を楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
コウシュハウンカイ(牡8)やカネサブラック(2011、13年ばんえい記念)、トモエパワー(2007~09年ばんえい記念)などの名馬を管理し、2017年5月には通算1000勝を達成。2016年ばんえいアワードでは勝率1位でベストトレーナーに選出され、今年もリーディングトレーナー争いを続ける松井浩文調教師(53)に話をうかがいました。
左のポスターに写っているカネサブラック、トモエパワー、フクイズミは全て管理馬
父が元調教師の松井浩(こう)さんで、1989年に騎手デビュー。2004年に引退するまで1104勝をあげ、三冠馬で名種牡馬であるウンカイに騎乗していました。残念ながら10月に24歳で息を引き取ったウンカイの思い出を聞かせてください。
ウンカイは、地味だけどじわじわと歩くタイプ。3歳三冠を獲ったけれど、イレネー記念はゴール前で止まったんだよな。4歳のシーズンが終わってから、盲腸便秘で腹を切ったんだ。それであそこまで活躍するとは。おとなしい馬だった。障害は、止まったら意外と下手だったんだ。だからばんえい記念も苦戦した。アンローズ(2004~06岩見沢記念)と同じように、旭川や岩見沢はよかったけど、帯広が苦手だったんだ。
産駒は体ができていて、平均的に力がある。コウシュハウンカイはタイプが違って、どちらかといえばオレノココロの方がウンカイらしさが出ているかも。ばん馬で20歳以上生きるのはすごいよ。
似ている産駒はいますか。
ジェイエース(牡2)がタイプ的に似ているな。速い馬場が苦手で、降りてからは平均歩ける。2分以上かかるようなレースが増えるような、年齢が行けば活躍できるかな。
ほかに騎手時代の思い出の馬を教えてください。
牝馬でダイヤコトブキって馬がいた。騎手になって2年目だった1990年のイレネー記念を獲った馬だが、その後のオフシーズンに心不全で亡くなったんだ。あの馬なら、ばんえい記念を獲れたと思う。
それから調教師に転身しました。
一番の理由は、父が定年(65歳)を迎えたからです。減量もきつくなってきたしね。2005年に調教師になって、2年目で存続の危機が訪れた。厩舎を開業した時の設備投資のすぐあとで、お金がかかったあとに手当も下がって大変だった。他にできることないから、これで頑張るしかない。赤字だらけで大変だったが、存続してよかった。
2017年5月、1000勝セレモニーで父・松井浩さんから花束を渡される
思い出の管理馬を教えてください。まずはトモエパワーでしょうか。
4歳までは騎手として乗っていました。速い脚はなかったが、2歳から強かった。この馬はオープン行くと思っていたよ。最初のばんえい記念は、障害で止まって膝を折ったのに、それでも勝ったからね。ばんえい記念向き、という思いはあったが力が違った。
トモエパワーのほかにも、乗っていた馬が厩舎に入ってきた。そのうちの1頭、フクイズミ(2009、10帯広記念)は偉い牝馬だった。降りてからの末脚がすごかったね。厩舎に来た時は4歳で体もできていたが、障害で上がらないと、そのまま止まってしまうところがあった。どうやったらいいのか、いろいろと試した思い出がある。
カネサブラックは、力はないが瞬発力がすごかった。根性もあった。重い荷物を引かせて調教するとだめだから、大変だったよ。この時も考えた。
所属していた全部の馬が、いろいろなことを教えてくれた。調教すればいい馬もいれば、だめな馬もいて、一頭一頭違う。それがわかるまでが大変だよね。
連対率は3割を越えるなど今年も好成績を残しています。調教や管理において、こだわっていることを教えてください。
俺は馬に触る(自分で調教する)。触ってみなきゃだめ。レースを見たあとに、なんでこんなに障害が下手なのか?と思ったら、自分でやってみる。触るの好きだからね。
厩務員は4人いるよ。厩務員と仲良くなかったらうまくいかない。大切にしなくてはいけないところだ。でも、人集めが大変。ばん馬が盛り上がって賞金も上がって、馬はいるんだけど人がいない。一時期は人がいても、馬がいなかったのに。募集しているのになぁ。
馬が1着を獲った時の気持ちに勝る物はないよ。
調教師として思い出のレースを教えてください。
いろいろあるけど......(考えて)、カネサブラック最後のばんえい記念かな。その前の年は(コロナウイルスに罹って)出られなかったから。定年最後の年(11歳)を勝って、重賞21勝という記録を作って引退だからね。
ばんえい記念を2度制して引退したカネサブラック
カネサブラックの子もカネサダイマオー(牡3、イレネー記念)などで重賞勝ちを出しています。産駒についてはいかがですか。
体は小さいけど、走る子が出できたね。もっと強い馬が出てきてほしい。
現在の所属馬について教えてください。
コウシュハウンカイは、今年は前半活躍しすぎたから、ハンデを背負うことになるのがつらい。体調はいいよ。降りて一回止まったら弱いところあるな。岩見沢記念は、レースの前々日につなぎ場の棒を蹴ったことによる打撲。すぐ治ったから調教も再開できて、北見記念を勝つことができた。調教では、オレノココロやフジダイビクトリー、センゴクエースを見かけると怒るんだ。いつも同じレースに出ているからわかるんだろうね。気性は昔と変わらないね。
コウシュハウンカイの運動
マツカゼウンカイ(牡4)は、じわりじわりと進む馬。体があるし、古馬オープンでも入着しているから、ペースに慣れてくればそこそこいくんじゃない。
ギンノダイマオー(牡2)は、ナナカマド賞は1着馬(メムロボブサップ)が強すぎた。それでも、障害がうまいから楽しみ。インビクタ(牡2)は障害を降りてからが課題だね。カネサダイマオーは、イレネー記念を勝った後は調子悪いんだわ。堪えたかな。
期待しているのは、ハイトップフーガ(牝2)。重くなれば楽しみです。
では、オッズパーク会員の方に一言お願いします。
馬券買う人は買って、馬が好きな人は馬を見て、いろいろな形でばんえいを応援してください。ファンは一人一人違うからね。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香