
2017、18年とばんえい調教師リーディングに輝いたのが坂本東一調教師(65)。騎手としてばんえい歴代5位の2681勝を挙げ、2007年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞。調教師として12年目を迎えます。
ばんえいアワード2018特別賞の表彰式。白いスーツが似合っていて、騎手時代からのオーラは健在
リーディング、おめでとうございます。2018年度の勝利数は歴代最多の135勝でした。通算勝利数も7月22日現在915勝で、今年度中の1000勝も期待できますね。
調教師は陰の存在でいいんだ。表に出るのは騎手。周りは(リーディングだって)騒ぐけれど、騎手時代から数にはこだわってなかった。マイペース! 自分のレベルを超えたら失敗する。絶対壁にぶつかるから。
勝利数はもちろん、出走回数も1011とずばぬけている(2位は西弘美調教師の903)のはすばらしいですね。馬主からの信頼と、無事に馬を出走させていることが数字に表れています。
あまり営業することはないが、入れてくれ、と言われるから。気を付けているのは馬の健康管理。しぐさで判断する。今は通年走るから、勝てる場面が必ず来る。勝つ意志を持って出走させながら、そのチャンスを作っておく。人でさえ絶好調は何度もない。風邪、寝不足。それを管理するのが私の仕事。よそには作れない馬の作り方はあるよ。オリンピックに出る選手の筋トレが難しいのと同じだよね。
坂本調教師は騎手時代から、誰よりも早い時間に起きて調教していたそうですね。
今も午前2時くらいには起きて馬を見ている。昔は50人も騎手がいて、1頭乗るのも大変な時代だった。1勝するのはさらに大変。「果報は寝て待て」だよ。騎手になる前は、建設、船、トンネルを掘るなど、いろんな仕事をしてきた。船に乗っている時に疲れてカッパを着たまま寝てしまうんだ。「寝て」というのは、まさにそれだと思う。続けていけば、そのうち上の仕事を任されるようになる。
馬とはずっと話をしていたよ。「自分はこうしたいんだけど」というと「それ以上の力出せない」と馬が言うのがわかるから。厩務員と騎手では教えるポイントも違う。馬のことだけは人に指導されたくなかったから、オーナーにも「それはだめです」って屈しなかった。それで乗り替ったこともあるよ。
坂本先生は、ばんえい記念にも積極的に馬を出走させ、ともすれば頭数が少なくなりそうなレースを盛り上げてくれます。今年は重賞の常連シンザンボーイのほかに、ドルフィンとカンシャノココロを出走させました。出走馬の見極めについて教えてください。
頼むよ、と言われるからなぁ。あきらめないで、這うような馬を選んで、馬主さんに頼む。もう表舞台には立たないけれど、裏で協力できるならやる。
ドルフィンは、(馬場の重い)草ばん馬で使っていた。青森の草ばん馬はそりに乗らず、口元を持つために障害でよれることがあるので、真っすぐにさせるのがポイント。松田道明騎手には「俺ならゴールまで持ってこれる。絶対あきらめるな」と話した。「よくやった」と言ったよ。カンシャノココロも、耐えることができる馬だから出したんだ。
2007年、トモエパワーでばんえい記念制覇
ばんえい記念といえば、トモエパワーですね(2007~09年に3連覇、坂本騎手は07年に騎乗)。
ばんえい記念は1回しか勝ったことないんだよ。ただ、勝ち馬には一番調教を付けたかな。一番強かったのはフクイチ(1995、97、98年ばんえい記念)。力が違う! 700、800キロならおもちゃ。馬の反発心があるから、厩務員がやっても動かないんだ。その次に強かったのがトモエパワーかな。牝馬のキヨヒメ(1979、81、82年ばんえい記念)も強かった。若い時には何人も怪我をさせた。それでも、調教をこなしたら馬も観念して「この人に逆らったらだめだ」ってわかる。
ばんえい記念も以前は4市で行っていたけど、帯広は楽。一番大変なのは、道中重い旭川。北見は晴れると重く、さらさらした馬場になる。水分でかなり違う競馬場なんだ。
騎手時代に大事にしていたことはありますか。
第1障害からの乗る位置。中央の騎手と同じで、まずゲートを出す。平地競馬は位置取りが大変なので、その点ばん馬は(セパレートなので)楽。200mには1頭1頭のドラマがある。
俺は鈴木恵介騎手と意見がぴったり合うんだ。どん底見てきてるからな。あいつ(娘婿の阿部武臣騎手)はだめ! 2着が多い。最近は(俺の考えに)気づいてきているみたいだが。
リーディング2位の騎手に厳しいですね(笑)。引退してからは一度、2014年の『マスターズカップ』に参加して久しぶりの『東一ジャンプ』(そりの上で飛びながら追う)を見ました。
やめたらもう絶対乗らない、って決めていた。草ばん馬でも乗らなかったのに、あの時は馬主に頼まれて断れなくってな。ジャンプはサービスだよ。
今の騎手はプロ意識が薄れてきているな。50代はじめの頃は、スタート直後に蹴られて腕を骨折して、手綱で腕を巻きながら騎乗したよ。レースでは必死でしゃくる(手綱を引く)から、手が真っ青で夜は湿布をしていた。今もこんなに曲がっているよ。
すごいですね...。さて、今はホクショウマサルが25連勝中の記録更新中です。
もともとパワーはあったからね。800キロまでは調教が間に合うが、これから重くなると(手術した喉に)無理がかかる。ここがぎりぎりかな、と思うと休んでいる。出るからには負けたくないしね。負ける時が肝心。悔いのない負け方をしたい。調教を増やせば負担がかかるが、時間をかけて、おいおいはばんえい記念の出走を考えている。
連勝中のホクショウマサルと
オープン馬のシンザンボーイも活躍中ですが、マサルと同じ牧場出身の幼なじみなんですよね。
シンザンボーイは真面目。体が小さく、まとまっているからね。柔道みたいに階級があればトップなんだけど。その壁をクリアする方法を考えている。若い頃はマサルの方が比較にならないほど抜けていたが、シンザンボーイは階段をゆっくり上っていったね。
メムロボブサップは絶好調だから、正直古馬とは戦わせたくない。マサルの若い時のようだけど、つぶれたら終わりだから、気を付けている。
2歳のトワトラナノココロは、むちゃしない限り、将来活躍できると思っている。いい意味で気性が激しい。馬は階段、エスカレーター、エレベーター、と成長する馬がいるが、できるだけ階段を上るように調教していきたい。2歳ではカイセドクターもパワーがある。ひそかに狙っているよ。
かわいくて人気のタナボタチャンかい? 特に性格がきついんだ。反発心が強く、波があるから調整が難しい。調教も機嫌が悪かったら馬房から出てこないよ。普段はおとなしいんだけどな。
2019年3月3日、イレネー記念を制したメムロボブサップ(写真:小久保巌義)
中学生のお孫さん(阿部騎手の長男)も厩舎を手伝っているそうですね。
「俺が教えてやる」と言っているんだ。部屋にいると「ジジ大丈夫か」って、毎日俺の様子を見に来るんだ。ババ(妻の美香子さん)が4年前に亡くなってからいつも来る。妻が亡くなった時は、俺が「(競馬)やめるかな」と言ったら「俺がやるから、もうちょっと頑張ってくれ」と言ったんだ。
素質あると思うよ。100キロの重りを1人で持つほど力があるが「今から無理すんな」っていうんだ。
「来たかったら友達を連れておいで」と言ってる。今の時代は危ないとかいうけど、痛い思いをして物を覚えることも大事。俺が教えられるのはそれしかないから。
楽しみですね。では、オッズパークの会員に、ばんえいの見どころを教えてください。
いろいろな騎手の駆け引きがあることを知って欲しい。ドラマがあることを考えてみれば面白い。いつも来る人はわかっているよね。考えれば考えるほど深くなる。そして、根強いファンが増えてくる。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
兵庫一冠目・菊水賞を制覇したジンギ。間隔が詰まる兵庫チャンピオンシップは回避し、満を持して兵庫ダービーに登場します。5戦4勝、うち重賞2勝。父は今をときめくロードカナロアという3歳牡馬を管理する橋本忠明調教師に、ジンギのことやご自身のこと、さらに厩舎看板馬好調の理由を伺いました。
祖父の代から続く調教師一家で、お父様は重賞52勝を挙げた橋本忠男元調教師。ご自身も2013年、37歳で調教師になられましたが、小さい頃から競馬の世界に入りたいと思っていたんですか?
父が厩舎を開業したのは小学校5年生の時だったんですが、ランドセルを背負って調教スタンドで調教を見てから登校して、帰って来るとランドセルを背負ったまま寝藁を返したり掃除を手伝っていました。好きやったんでしょうね、めっちゃ早起きしていました。高校卒業後は北海道の牧場や、アメリカやアイルランドの厩舎で働きました。当初はJRAの調教師を目指していたのですが、父の厩舎が西脇から園田に移転する時、それまで働いていた厩務員さんたちは西脇に残るので、「どうする?帰ってくるか?」と声を掛けられて園田へ戻ることに決めました。帰ってきたのは運命かな、と思います。
2013年10月に厩舎初出走を迎え、昨年は地元リーディングは5位。今年早くも重賞5勝を挙げています。開業後、早い時期から活躍していましたが、ここまで振り返ってみていかがですか?
開業6年目になりますが、馬主様にも従業員にもすごく恵まれています。期間限定も含めて昨年は32馬房。勝利数や重賞勝ちなどに基づくメリット制で毎年馬房が増え、それに伴い従業員もだんだん増えていますが、私が「ちょっと休憩したら?」と思うくらいみんな一生懸命にやってくれています。そんな姿を見ていると、私もいい馬を集められるように努力しないと、とより思います。そういった好循環で、すごく上手く回っている気がします。
新春杯(1月3日)を制したエイシンニシパ(写真:兵庫県競馬組合)
今年は年明け最初の重賞・新春杯をエイシンニシパで制覇して幸先のいいスタートを切りました。同馬は昨年、10戦して2着がなんと6回。歯がゆい思いをし続けたと思いますが、今年はさらにはがくれ大賞典、兵庫大賞典と重賞を連勝しました。何か突き抜けるきっかけがあったのでしょうか?
今まで感性だけで仕事をしてきた部分が大きかったんですが、時代も変わって今は科学的なデータを取ることができます。ニシパに関してもそういった部分からのアプローチで、去年とは全く違うんです。また、負荷をかけることは故障リスクも伴いますが、スタッフが準備・上がり運動をしっかりやってくれたり、丁寧にケアをしてくれています。私も厩務員の時から常にそうでしたが、「大胆に攻めて繊細に見る」を基本にしています。兵庫大賞典はあれだけ調教をやれていなかったら、あんな強い勝ち方はできなかったのかなと思います。去年は調教をやっているつもりでしたが、今考えたらまだまだ足りていなかったんでしょうね。次走は6月14日の六甲盃を予定しています。
3歳馬ジンギも重賞2連勝中。デビューから5戦4勝、2着1回で兵庫ダービーへ向けて期待が高まります。父ロードカナロア、母の父ディープインパクトという良血馬ですが、第一印象はどうでしたか?
元々はJRAにいたのですが、自分から走ろうとするところが全くなかったと聞いています。それでJRAではデビューせずに、オーナーが「園田の橋本に」とおっしゃってくださいました。私でも知っているような血統。「これは絶対にモノにしないと」って馬を見る前にまず思いましたし、実際にジンギを見るとロードカナロア産駒らしい体つきをしていました。調教を始めた当初はすごく幼くて、発走検査や能力検査でも正直、動きはもうひとつかなと思ったのですが、能検で気持ちが完全に入りましたね。新馬戦では手前を替えてからの脚がすごかったです。
2戦目こそアイオブザタイガーの2着に敗れたものの、その後のレースでは強さが光りました。
2戦目は、砂を被る経験をさせたいということもありました。勿体なかったなという気持ちもありますが、次につながるレースでもあったと思います。重賞初出走になった園田ユースカップはまだ経験がなさすぎる中、内がすごく軽い馬場で2頭分外に出して勝ちきってくれました。やっぱり「モノが違うな」って感じました。それまではレース後、体を戻すのにすごく時間がかかっていたのが、ユースカップ後は戻りが早かったんです。だから調教も今までよりも攻めることができました。それが菊水賞の勝利にもつながったのだと思います。馬に体力がついてきましたね。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
6月6日の兵庫ダービーに向けて状態はいかがですか?
いいですね。パワーアップしていて、動きがすごくいいです。兵庫チャンピオンシップにも行きたかったですが、菊水賞から中2週と詰まってしまうのでやめました。その分、兵庫ダービーは絶対に決めないと!と思ってやっています。ジンギは直線に向いて左手前になったら絶対に伸びます。
同厩舎のテツも園田ユースカップで3着。その後はJRA芝1200メートルで2戦(5着、7着)しましたが、兵庫ダービーでは有力馬の1頭になりそうです。
テツはサマーセールで自分で見つけてオーナーに買っていただいた馬なんです。みんなそうだと思うのですが、「この馬で兵庫ダービーを勝つ」と思って選びました。ここ2戦は1200メートルを使わせてもらいましたが、兵庫ダービーの1870メートルに対応できるように一旦、近郊の牧場に出して立て直しました。これまで騎乗した騎手も「距離は持ちます」と言っていますし、対応できると思います。
今年は特に橋本調教師のダービーに対する並々ならぬ思いが伝わってきます。
過去3回、兵庫ダービーに出走してすべて2着だったんです。クリノエビスジン(勝ち馬トーコーガイア)、コパノジョージ(勝ち馬インディウム)、クリノヒビキ(勝ち馬コーナスフロリダ)。やっぱり勝ちたいですよね。
お父様の忠男元調教師も兵庫ダービーを勝ちたくて探してきた馬がオオエライジン(2011年兵庫ダービー馬)でしたね。さて、念願の兵庫ダービー制覇のほかに目標はありますか?
いま厩舎を引っ張ってくれているのはエイシンニシパですが、ジンギがそれを継いでくれたらと思います。ほかにもテツやエイシンミノアカ、エイシンエンジョイなど重賞に手が届きそうな馬もたくさんやらせていただいているので、まずは狙ったレースに向けて怪我をさせないように、きっちり仕上げて万全の状態でレースに出せるようにしたいです。そこからの勝負ですからね。いまはそういう気持ちです。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。東北や北海道、そして南関東も含めて全国の重賞を視野に入れて戦っていきたいと思っていので、応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
黒船賞(JpnIII)で5着に健闘したサクラレグナム。同馬を管理するのは2010年全国リーディングに輝いた田中守調教師です。これまでコスモワッチミーやサクラシャイニーなどでは他地区に遠征するなど、その活躍は高知にとどまりません。田中調教師ご自身のこと、厩舎のこと、そしてサクラレグナムについて伺いました。
騎手から34歳で厩舎を開業されて17年。どういった経緯で調教師に転身されたのでしょうか?
今はJRAにいる小牧太騎手や園田の尾林幸二調教師、門別の沼澤英知調教師と同期で、和歌山の紀三井寺競馬で騎手デビューしました。廃止後は益田競馬で半年ほど乗って、地元・宮崎に少し帰った後、紀三井寺時代の師匠からの紹介で高知競馬にやってきました。でも、減量続きで体も悪くなっていたので調教師試験を受験できる年齢になって割とすぐに受けました。当時は今よりも年齢制限が確か高かったんですよ。調教師になる時は、高知競馬が低迷していた時だったので、「調教師にならない方がいいんじゃないか」って声もありましたが、幸いにも僕はツラい思いをすることはそんなにありませんでした。開業当初は預託馬が集まったものの人手が足りなくて、調教も馬房掃除もいろいろ動いていましたね。
翌年にはナムラコクオーで建依別賞を勝って重賞初制覇。ここまで重賞44勝を挙げていますが、その間には他地区やJRAへも積極的に遠征しました。
県外に遠征に行きはじめたのはビッグフリートからでした。中西(達也騎手・当時)と東京盃やJRA京都競馬場でのプロキオンステークスにも行きましたね。プロキオンステークスに出走させたのは、一度中央を見てみたかったですし、ビッグフリートが中央でどれくらいのパフォーマンスを見せられるかというのも知りたかったんです。僕が調教していた馬で、レースは16頭立て11着でしたが、2番手からのレースで走破時計も着差も悪くないな、と。「これなら佐賀のサマーチャンピオンでいい勝負ができる」と思いました。結果は4着でしたけどね。
ナムラコクオーで重賞初制覇となった建依別賞(2003年9月15日)
写真:『Furlong』2003年10月号より
JRAから移籍のビッグフリートは脚元に不安のある馬だったそうですが、田中厩舎の調教は基本的にどんなメニューですか?
だいたいは運動が長めです。馬も1頭ずつ性格が違うので同じようにはできませんが、馬場に入ったらまずは軽速歩をゆっくりしてからキャンターで4コーナーから1800メートルほど走らせます。長い距離を乗らないので、ピッチは速めです。行かない馬は行かせてあげて、ハミ掛かりのいい馬は抑えたままでスーッと、という感じですね。これがいいのか悪いのかって言われたら「どうなのかな?」と思いますが、どの馬も故障もなく現役生活を長く続けられているので、これでいいんだろうと思って変えずに今まできています。
2010年には全国リーディングに輝きました。
あの頃はそういうことに全く頓着していなかったので、全然知らなかったんです。大晦日くらいになって「1位よ」って言われて、「え?え?全国??何それ」って(笑)。そういうところは(赤岡)修次はよく知っているんでね。NARグランプリ授賞式には最優秀勝率騎手賞を受賞した修次と優秀女性騎手賞の(別府)真衣ちゃんと3人で行きました。
さて、先月は黒船賞にサクラレグナムが出走して5着。年末の兵庫ゴールドトロフィーでも4着の実績があり、地元代表として期待が寄せられました。当日の馬の状態などはいかがでしたか?
ずっと状態の良さを持続していたのですが、当日は少しボーっとしていて、「こんな感じの子じゃないのに」って思っていました。前走からちょっと間隔が開き過ぎたかもしれません。黒潮スプリンターズカップの後、どこかで使おうかなとも考えたのですが、変に使わない方がいいと思い、黒船賞に直行しました。遠征に行けばシャキッとするんですが、地元で使うには間隔が長すぎたのかもしれません。
黒潮スプリンターズカップ(2019年2月3日)を制したサクラレグナム
写真:高知県競馬組合
レース当日はずっと「緊張する」とおっしゃっていましたね。地元での一戦だっただけに思いも強かったのではないですか?
サクラレグナムは輸送があまり得意な馬じゃないんです。修次も「地元だと馬の雰囲気が違って、蹴りもいい」と言っています。それでも遠征であれだけ走れるのは筋肉が柔らかいからなんでしょう。「輸送がなければもうちょっと走れる」っていうのもありましたし、メンバーを見て「今年は...!」と期待を持っていました。
その後、ほぼ連闘で重賞・御厨人窟賞に向かい、完勝。黒船賞は少し残念でしたが、地元馬同士だと負けないぞ!っていう強さを見せてくれて安心しました。
レースに申込みだけはしていたんです。黒船賞後にすぐに乗り始めて、調教に跨っている山頭(信義騎手)が「めちゃくちゃ元気です」と言うので、じゃあ行こうか、と。いい状態をずっと調教で維持するより、レースに使った方がいいと思いますし、黒船賞で負けた後だったので、勝ったらまた馬に自信を取り戻させられるかな、と考えました。勝ち時計はあの日の馬場にしたら速いですし、4コーナーは馬場の真ん中を走ってのものですから、よかったと思います。
サクラレグナムの今後の予定を教えてください。
5月1日かきつばた記念に向かう予定です。その後は地元では1400メートルの重賞が8月25日建依別賞までないので、去年と同じようなローテーションで南関東などへ遠征かな、と考えています。
サクラレグナム(2018年11月22日、笠松グランプリ出走時)
田中調教師ご自身は今後どのような目標を立ててらっしゃいますか?
やっぱりもう1回、NARグランプリ授賞式に行きたいなって思います。初めて行った時にカルチャーショックみたいな感じで、「うわ!すごい所だなぁ」と驚きました。だからもう1回、行けるようになったらいいなぁと思っています。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。またこれからも変わりなく応援していただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子
カツゲキキトキトを管理する錦見勇夫調教師は調教師歴41年。これまでかきつばた記念JpnIIIや東海ダービーといった大レース勝利のほか、JRAでも勝ち星を挙げています。また、所属する大畑雅章騎手と木之前葵騎手も活躍。ご自身の半生とカツゲキキトキトの現在の状況をうかがいました。
騎手から調教師に転向されて41年。開業当時のことは覚えていらっしゃいますか?
生まれは競馬場の近くで、16歳で騎手免許をもらって30歳から調教師になりました。弥富トレーニングセンターができてから1年弱はジョッキーとして乗っていたんですが、厩舎が一杯だったので早めに調教師試験を受けたんです。1年目は10馬房、2年目が12馬房、3年目が13馬房でそれからしばらく増えなかったと思います。私の後に調教師になった人で開業を半年か1年ほど待った人もいました。
最初の頃は調教師も多く、馬房数が少なかったんですね。そんな中で一番印象に残っている馬を教えてください。
運良くたまたま開業の時にアラブでもサラブレッドでもオープンまで上がる若馬が入ってきましてね。おかげさまで頭数が少ない割にはそこそこの活躍馬に恵まれました。特に1989年東海ダービーを勝ったサンリナールや98年にJRAで中京日経賞(3歳以上900万下)を勝ったダイユウカイソク、2005年かきつばた記念を勝ったヨシノイチバンボシなんかが当時は地元で一番強かったですね。昔はC1特別で好勝負ができる馬は中央の500万下でも勝負ができたり、しまいに脚を使う馬はこっちでは差し切れなくても直線の長い中央に行くと出世したりするので、そういう馬はよく中央に移籍していましたね。
馬はご自身で牧場などへ行って見定めていらっしゃったのでしょうか?
昔はしょっちゅう牧場に行っていました。血統がいいか、体型の良さそうな馬を選んでいました。胴があまり長くなくて腰のしっかりした馬がいいですね。あとはとにかく平均的にしっかりしていて、ダート向きな馬がいいです。ただ、燕麦とかが中心だった昔と比べて、いまは濃厚飼料があったり食べ物が良くなっているので馬のつくり方もちょっと変わってきています。
ヨシノイチバンボシではJRA馬相手にかきつばた記念を制覇されましたが、どんな馬でしたか?
コロッとした感じの馬体でした。調教では掻き込むような走り方だったので吉田くん(稔騎手)はよう乗らんかったですが、レースではトビがしっかりしていました。初めて東海ダービーをサンリナールで勝った時(当時、名古屋優駿)も嬉しかったですが、かきつばた記念を勝った時もやっぱり嬉しかったですねぇ。3歳の時はJRA新潟にも何度か遠征したけど、なかなか勝てそうで勝てませんでした。それでも着は確実に拾っていたんですよ。
JRA遠征といえば、昨秋はJBCクラシック(12着)にカツゲキキトキトで挑戦しましたね。
揉まれてしまって、道中はチグハグな競馬になってしまいました。地元でもそういうレースになって馬が掛からない時がたまにあるんです。どちらかといえば1900メートルか2000メートルくらいが一番合っているのかなと思います。
名古屋記念(2019年1月4日、写真:愛知県競馬組合)
その後、地元に戻ると重賞2連勝。名古屋グランプリ5着ののち、前走・名古屋記念は楽勝でしたね。
名古屋記念はスタートからちょっと気合いを入れたので、2番手にスッと行きました。3コーナーでは、「あ、楽に勝つな」と。見ている方は楽でした。
なかなかそう思える馬やレースなんて少ないんじゃないですか?
カツゲキキトキトは3歳で(木之前)葵くんを乗せて秋の鞍を走った時、出遅れて後方からになってしまったのですが、それでも一気にまくって4馬身も離して勝ちました。それを見て、「やっぱり力が抜けとるんだな」って感じましたね。
秋の鞍(2016年9月19日)を木之前葵騎手で勝利(写真:愛知県競馬組合)
1月4日に名古屋記念を勝利後、カツゲキキトキトはレースから遠ざかっていますが、近況をお教えください。
2月14日の梅見月杯を使おうと思って調教をしていたんですが、調教後に左前の球節をぶつけて外傷を負ってしまいました。もう腫れも引いたので大丈夫だと思います。わんぱくな馬で、気に入らないことがあると調教中でもクルっと回ることがあるんです。でも、最近は運動では多少大人しくなりました。名古屋大賞典は日程的には厳しいかもしれませんが、間に合えばぶっつけで行くか、あとは地方馬同士のところで斤量やメンバーを見て、(木之前)葵くんを乗せて勝たせたいなと思っています。葵くんも最近、バランスや格好が良くなってきて、安心してレースを少し見られるようになりました。
カツゲキキトキトは地元の大将格ですし、ダートグレードレース制覇を期待するファンも多いかと思います。これからの目標となると、やはりそういったあたりでしょうか?
そうですね、ダートグレードも目標ですが、なんだかんだで中央の強そうな馬が次から次に出てきますから、なかなか勝つのは難しいかもしれません。それ以外では地方競馬の勝ち星ナンバー1を狙うとか!?アラブで一番勝ったモナクカバキチはうちにいた時もあったんですよ。うちでは15勝しました。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
もう1頭くらい、またサンリナールやカツゲキキトキトくらいの馬を出したいと思っています。一生懸命がんばりますので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
現役では3人目となる地方競馬通算3000勝を達成(2018年11月17日高知第8レース)した松木啓助調教師。高知競馬が現在の場所に移転してからほぼ同じ年月を調教師として過ごしてこられました。時代の変化や今でも忘れられない馬、そして今後について語っていただきました。
地方競馬通算3000勝、おめでとうございます。1986年4月の初出走から約32年での達成です。改めて、どんなお気持ちですか?
ありがとうございます。ある時からみんなに「もうちょっとや」って言われていたんですが、私自身はそんなに意識をしていませんでした。32年間の積み重ねで、いま考えてみたら長いですね。
厩舎を開業されたのは、高知競馬場が『桟橋競馬場』と呼ばれていた地から現在の場所に移転して1年後のことでした。当時はどんな状況でしたか?
移転して1年は騎手としてレースに乗っていて、それから調教師になりました。当時はスタンドも馬場も新しかったですね。移転して少ししてから売上げもバーッと上がって、あの頃は良かったですよ。
調教方法など、いまとの違いはありますか?
こっちではみんな内厩ですが、桟橋の頃は外厩が3分の2くらいは占めていましたかね。遠いと車で馬を連れてきていました。あと、昔は浜で乗っていました。浜の近くにも厩舎が結構あって、今の場所に競馬場が移ってからもしばらくは外厩という形で利用していました。砂浜での調教は屈腱炎とか故障馬にいいんですよ。あんまり砂が深い所で走らせると馬も疲れてしまうので、うまく調整しながらですね。
調教師になったばかりの頃は、他の調教師が嫌がる屈腱炎の馬とかを紹介してもらい預かっていました。屈腱炎の馬って、能力やスピードがあるんですよね。脚元を注意しながらですが、走れれば力は全然違います。朝、競馬場で調教を終えてから浜に行っていたので忙しかったですが、だからこそ成績も上がったと思います。開業当初は15馬房くらいしかなくて、まずは成績を上げないと馬房数も増えなかったですからね。
そうした苦労や工夫のおかげで、1年目は馬房数の約2倍にあたる29勝を挙げられたんですね。重賞はこれまで記録に残っている上では55勝です。特に印象に残っているのはどの馬ですか?
タイホウミラクルですね。開業3年目で高知県知事賞を勝ちました(1989年1月15日)。当時も県知事賞はビッグレースで、ええ馬に当たりましたね。気性のいい馬でした。
2004年には福山で全日本アラブグランプリをマルチジャガーで制覇。同馬は13連勝ののち4着を挟んで7連勝で同レース優勝だったんですね。カッコイイです。
2歳のデビューから高知でやった馬で、強かったね。スピードが違っていました。
最近ではセトノプロミスで2018年御厨人窟賞を勝たれました。
プロミスは高知にきてパパーッと勝ちましたね。距離は1400mか1600mがいいでしょう。1600mは掛かる時もあるけど、その時によって分かりません。折り合いがついたらいいですけどね。なかなか重賞っていうのはうまいこといかないと勝てないですから。この馬は脚元が良くなったり悪くなったりで、最近は年齢もあるかもしれません。でも、能力は高いですよ。
セトノプロミス(2018年3月11日・御厨人窟賞/写真:高知県競馬組合)
ご自身は重賞での活躍だけでなく、2000年からは4年連続で高知リーディングに輝くなど、毎年リーディング上位の勝利数を挙げています。今後についてはどのようにお考えですか?
高知の調教師には定年がありません。だから、自分で自分の引き際を決めないといけないです。でも、元気でやれるうちはやろうと思います。またマルチジャガーみたいな馬、やりたいですね。なかなか難しいことですが、ずっとやっていればどこかで当たるかもしれないですしね。
それと、いま厩舎に預けてくださっている馬主を大事にしたいです。景気が悪い時は高知競馬にも馬が300頭前後しかいなくて、経費も最小限に抑えていたから、1回走って2万5000円ほどの出走手当。私も預託料を下げましたが、それでも限界があって、結局馬主のところに負担がいってしまいました。もう辞めようかと思った時もありましたが、ナイターをやり始めてから売り上げも上がって、あの頃より良くなっています。だから、あの頃にお世話になった馬主は大切にしないといけません。
最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
高知の競馬は魅力があると思います。内の砂が深いことを買う方も考えないといけないでしょうし、ジョッキーも内枠に入ったら悩むと思います。
これからも高知競馬はまだまだやっていくと思います。売り上げも上昇してきました。どんどん買ってもらって、宣伝をどんどんしてもらって、高知競馬を発展させてもらいたいです。
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※インタビュー / 大恵陽子