真面目で、馬を大切にすると関係者からも信頼が厚い船山蔵人(くらんど)騎手。デビュー7年目を迎えました。
船山:出身は道東の浜中町です。幸太(長澤騎手)も近くに住んでいて、昔から知っていました。
父が馬を飼っていたことや、周りに馬や牛が多かったので、動物、特に大動物の仕事をしたいと思っていました。獣医になりたかったんです。父も馬が好きで、2人で道東の馬を見て歩いていた時に知り合った人に、ばんえいで働いてみないかと誘われました。父は自分が騎手になってから馬主になったんです。
斎藤:初勝利もお父様の馬、コトノカツマでしたね。
船山:今は種馬になりました。初年度が1歳ですが、いい馬が出ているみたいで、種馬としても活躍していますよ。
斎藤:昨年、ヒロインズカップで初重賞制覇したエンジュオウカン(牝12)について教えてください。
船山:自分が競馬場に来た年に、エンジュオウカンもデビューしました。1歳の時から草ばん馬で活躍していたので、名前は知っていたんです。ヒロインズカップは馬が自分でレースをしたので自分は乗っているだけ。騎乗前には、(以前乗っていた、同厩舎で元騎手の鈴木)勝堤さんに話を聞きました。ヒロインズカップ後、久田調教師に「ばんえい記念も乗れ」と言われ、その時は「無事ゴールできるかな......」と。ただ、コロナウイルスにかかって、取り消すことになってしまいました。ばんえい記念は一番上のレースですから、憧れです。うちの鈴木邦哉厩舎は、先生もだし、その兄の勝堤さんも2着までしか取れなくて。
斎藤:背が高くて、手足も長いですよね。2年目の舘澤騎手が、似た体形の船山さんにアドバイスを伺っていると聞きました。
船山:183センチです。有利なように思われますが、足場が狭くて乗りにくく、不利なところもある。
舘澤とは普段仲もいいんです。経験ないところ、センスないところが僕とそっくりじゃないですか(笑)。あいつはビュッフェとかおしゃれなところが好きなので、ランチに連れていかれます(笑)。
同期のケン(西謙一騎手)も仲がいいです。センスもいいし、今は若手のリーダー的存在になっています。上位騎手ともつきあいながら、自分の持ち馬を若手に乗せたりしています。
目標はやはり、鈴木恵介騎手です。兄弟子の村上章騎手は、みんながいやがる2歳馬の馴致や厩務作業も張り切っていて、1人でもやっています。そのようなところが目標ですね。
斎藤:ばんえいでは、左利きが有利と言う人もいます。今は、大口騎手と2人ですね。
船山:馬が進むのは叩くだけではなく、レース展開も重要だから、左というのがすごく有利かというと......ただ、ソリの立ち位置やハミの当て方も右と左では違うので、その点も違ってきます。
調教では、あまり叩くと馬の寿命が縮むという勝堤さんの教えがあるので、あまり叩かずにトレーニングをしています。ここぞ、というときだけ。
斎藤:レースで大事にしていることはなんでしょうか。
船山:馬との関係です。初騎乗の馬は運動を良く見るようにして、引っ張る格好やウイークポイントをチェックします。
斎藤:普段の生活を教えてください。
船山:調教は4時半頃から午前中いっぱいまで。今はデビュー前の馴致もあり、先日は旭川まで行って来ました。レースがない時は、午後も厩務員作業があります。今は、オイドン(牡5、ばんえいダービー、天馬賞など重賞5勝)と妹のハイカラサン、父が持つキタノリョウマとアキシノブを担当しています。
馬は驚くと普通は横や後ろを向くけど、オイドンは、前に飛ぶ(走る)んです。それでも大人になりました。年齢もありますし、荷物張るようになったので......。若い時は、体ができていないので無理させず、成長させるために調教の荷物も小さくします。今は体ができたので、レースもですが、運動も荷物を重くするんです。
ハイカラサンは気性が似ています。いつでも走ってるし、性格はキツい。ちゃかちゃかしてるから、危ないです(笑)。
馬との関係は、友達や兄弟のような感覚ですね。めんこがり、怒るときは怒る。オイドンは、タイプでいうと兄かな......意外と、構ってくれないんですよ。ハイカラサンは妹ですね。手を焼きます......。
斎藤:オイドンに乗りたいんじゃないですか。
船山:オイドンはトップホースすぎて、今の僕ではまだ無理です。
斎藤:そういえば、安藤勝己さんが騎手を引退しましたが、JRAジョッキーデーで話はしましたか?
船山:あまり話はしなかったのですが、安藤さんならばんえいの騎手になってもかなり乗れるんじゃないですか。地方から中央に行ったくらいだし、感覚がよさそうです。来られたら乗り馬が減るから困ります(笑)
斎藤:最後に目標を教えてください。
船山:今の目標は、自分というよりは、オイドンを一番の馬にすることです。これからもっと活躍しますよ。自厩舎の成績がいいことで、自分も含めて厩舎全体が盛り上がっていくような流れを作りたいです。
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インタビュー・写真 / 斎藤友香
3月1日時点で笠松リーディング5位、2月にはゴールドジュニアで久々の地元重賞Vを果たした佐藤友則騎手。そんな好調期まっただ中、レース直前の慌ただしいところ時間をいただいてインタビューしてきました。
地元のゴールドジュニアをゴールドブラザーで制覇(13年2月15日)
坂本:今年に入って調子がいいようですが?
佐藤:そうですね、リズムはいいですね。
坂本:先月(2月15日)にはゴールドジュニアも勝ちました。重賞は久しぶりのように記憶してますが?
佐藤:そうですね。地元重賞は久しぶりですね。オグリシルクの東海ゴールドカップ(08年12月31日)以来ですね。他地区も含めると、去年の盛岡での絆カップ(11月10日、トウホクビジン)以来です。
坂本:ご自身で『調子がいいな』という感じはありますか?
佐藤:トウホクビジンへの騎乗を頼まれるようになってから、ほんとにリズムがいいというか、他場でも勝つようになって、今まで東海以外では(JRA)阪神でしか勝ててなかったんですけど、盛岡、園田、大井でも勝たせてもらってるんで、リズムはいいですね。名古屋も今年はもう勝ってますし。
坂本:去年までと今年とで、乗っていて違いというのはありますか?
佐藤:う~ん、そういう違いというのはないんですけど、なんか流れがいいというか、リズムがいいなという感じはありますね。
トウホクビジン
坂本:最近、トウホクビジンで他地区へ遠征するようになりました。そういった他地区へ遠征したときの気持ちはどんな感じですか?
佐藤:関東へ行ったときは、雰囲気もいいですし、普通のオープンとか地方重賞とかだと勝ち負けしてくるから、気持ちは違いますよね。そこそこいいところまでくるんじゃないかという期待感と、馬もがんばってくれるので。
坂本:トウホクビジンの絆カップのときはありえないような位置から追いこんできました。
佐藤:馬主さんからも『着には来てほしい』というのはあって、折り合いだけをつける乗り方をしようと思ったら結果的に位置取りが後ろになっただけなんですけど、ペースも速かったので思った以上に後ろになっちゃったんですけど、まぁ、焦らず乗れたから馬も頑張ってくれたっていうのもあると思います。勝とう勝とうという気持ちよりもちょっとでも前にっていう気持ちがあったので、馬に余計な力をかけさせない乗り方ができたんじゃないかと思いますし、それが結果につながったと思います。
坂本:どのあたりで『勝ち』を確信しましたか?
佐藤:直線ですね。直線入るまでは3着はあるなと思ってたんですが、直線向いたら前が見えたので。直線に入る瞬間に馬もグンとハミ取って、一気に前との差がなくなったので、『これはとらえられるな』と思いましたね。
坂本:今年、まだ始まったばかりですけど『ここで乗ってみたい』という競馬場はありますか?
佐藤:3月(17日)に金沢での騎手招待レースに呼ばれてるんですけど、そういった招待レースというのには呼ばれたいですよね。正直なところ、WSJSの予選にも出てみたいですね。今のところ、リーディング争いも横並び状態ですし、今の調子が続けばチャンスは十分あるんじゃないかと思ってます。藤原(幹生)もがんばって勝ち鞍伸ばしてますし、お互いにいい刺激になってます。
坂本:では、今後の抱負を。
佐藤:まあ、焦らずのんびりと(笑)上位争いできればと思ってます。
他地区への遠征というチャンスからしばらくの間遠ざかっていましたが、『現役最多遠征馬?』トウホクビジンとのコンビで、はたまた招待騎手として活躍の場を広げるであろう佐藤騎手の今後の活躍に期待です。
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※インタビュー・写真 / 坂本千鶴子
荒尾競馬廃止と共に、一度は騎手を引退した田中純騎手。昨年再び騎手免許を取得し、弟の田中直人騎手と同じ佐賀競馬場で、第2の騎手人生を歩み始めています。引退から復帰までの葛藤、そして現在の心境をお聞きしました。
赤見:まずは荒尾時代のお話からお聞きしたいんですけど、廃止が決まった時はどんなお気持ちだったんですか?
田中:廃止と聞いた時は......正直全然実感がなかったですね。毎日の生活というか、調教してレース乗ってっていう今までと変わらないことをしていたので、廃止って言われてもピンと来なくて。 何年も前からそういう話もあったし、どこかに移籍しようかなとは少し考えたんですけど。自分の中でちょっと冷めてたというか、どこの競馬場に行ってもまた廃止の話が出るんじゃないかっていうのが頭にあって、結局移籍に関しては真剣には考えなかったです。
赤見:荒尾廃止後は、北海道の牧場で働いたんですよね?
田中:そうです。今まで騎手の仕事しかしたことがなかったので、初めての経験ばかりでした。牧場の仕事をやらせてもらって、騎手をしている時に忘れていた、騎手としての喜びを想い出したというか......。やっぱり、レースで馬と一緒にゴールに入れるのは騎手だけじゃないですか。そういう楽しかった想い出ばっかりよみがえってきて、改めて騎手になりたいって思ったんです。
赤見:そこからどう行動を起こしたんですか?
田中:今所属している頼本盛行先生や、真島元徳先生に相談しました。佐賀で厩務員をしながら騎手を目指そうと、真島厩舎でお世話になることになったんです。と言っても、厩務員さんの仕事というよりは、調教に乗ることが仕事だったので、レースに乗らないだけで、仕事内容は騎手時代とあまり変わらなかったです。
赤見:改めて、騎手免許試験を受けた時はどうでした?
田中:騎手を辞めてそんなに時間が経っていたわけではないので、試験の内容自体はそんなに苦労はなかったです。ただ、周りの方々にすごく良くしていただいて、すごくお世話になっていたので、絶対に失敗できないと思いました。こんなに環境を整えてもらったのに、落ちるわけにはいかないですから。とにかく、早く乗りたくて乗りたくて仕方なかったですね。
赤見:見事合格したわけですが、再デビューは福山競馬場でしたよね?
田中:そうなんです。地区によって騎手免許試験の日程が違っていて、佐賀より福山の方が試験日が早かったんですよ。それで、福山の方から、ジョッキーも少ないし期間限定でいいから来てみないかと言っていただいて。3か月限定で、騎乗させてもらうことになりました。
赤見:実際に再デビューした時はどんな気持ちでした?
田中:約10か月ぶりだったんですけど、やっぱり嬉しかったですね。ただ、もともと乗っていた荒尾だったらまだしも、初めて乗る競馬場だし、人間関係も大切ですから、不安もありました。新人と同じと言っても、10年も乗ってるわけだし、許されるふり幅は少ないという気持ちでした。でも本当に温かく迎えてくれて......。すごく感謝しています。
赤見:田中騎手が福山で騎乗している間に、福山の廃止が決定してしまいましたね......。
田中:僕も1年前に同じ経験をしましたから、気持ちはすごくわかりました。荒尾の時と同じように、やっぱり毎日の調教やレースがあるので、みんなあまり実感がない様子でした。廃止は経験してみないとわからないし、実際に終わってからじゃないと実感は沸かないと思います。 でも僕の存在を見て、『騎手を辞めようかなとも思うけど、お前みたいに乗りたくなるかもしれないから、移籍しようかな』と言ってくれた人たちがいて、すごく嬉しかったです。福山に行って良かったなと思いました。騎手を辞めるのは簡単だけど、戻るのは大変ですから。
赤見:現在は佐賀所属となりましたが、どんな心境ですか?
田中:まだ2か月なんで、ボチボチという感じです(笑)。いろいろ難しい部分もありますけど、荒尾からも近くてたまに乗りに来ていたし、荒尾時代の仲間もいるし、佐賀でもすごく温かく迎えてもらいました。弟(直人騎手)がすごい勝ってるんでね、兄の威厳を保つためにも負けてられないです! 一度騎手を引退して、遠回りしたんですけど......。いろんな人に迷惑かけたりお世話になったりして、いろんなものを見せてもらって。今まで見えなかったものが見えるようになりました。周りの方々には、本当に感謝しています。僕にとっては、必要な時間だったのかもしれません。騎手を辞めたことは無駄じゃなかったと思ってます。今、すごく楽しいですから。
赤見:では、今後の目標を教えて下さい。
田中:今は1日でも長く騎手を続けたいですね。もう簡単には辞めないです(笑)。一生懸命頑張って、上の方の人たちを蹴落とすくらいの存在になって、競馬の楽しさを伝えていきたいです。佐賀だけじゃなくて、いろいろな競馬場で乗りたいとも思っています。それで、1人でも多くの人にレースを楽しんでもらえたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:佐賀県競馬組合)
NARグランプリ2012で、最優秀勝率騎手賞を4年連続、さらにベストフェアプレイ賞を2年連続受賞するという快挙を成し遂げた、高知の赤岡修次騎手。地元高知だけでなく、地方競馬を代表するトップジョッキーとなった今、競馬に対する熱い想いを語っていただきました。
赤見:まずは、勝率とフェアプレイ賞のダブル受賞、おめでとうございます! なんかもう、毎年表彰されるのが当然みたいな雰囲気ですよね。
赤岡:そんなことないですよ! 毎年続けて獲らせてもらってますけど、よく獲れたと思いますもん。実際は綱渡りなんですよ。正直、去年の年末頃は、勝率は佐賀の山口勲さんやと思いました。周りの人の中には、『勝率危ないんやったら、勝てそうな馬選んで騎乗制限したら』って言ってくれた人もおったんですけど、自分としてはそういうことして獲るもんやないというポリシーがあって。 最終日の大晦日まで山口さんと競ってたんですけど、最終日は騎乗が4鞍しかなかったんです。でも本当にたまたまが重なって......。倉兼(育康騎手)が騎乗停止になって、さらに西川(敏弘騎手)さんがめったにないことやけど怪我してしまって、普段は乗ることがあんまりない倉兼の騎乗馬が回って来たんですよ。それで勝たせてもらって、最終的に去年も勝率1位を獲ることができたんです。
赤見:フェアプレイ賞も2年連続ですけど、あれだけ騎乗して制裁がないって凄いですよね。
赤岡:こっちはね、意識してできるもんなんで、かなり意識してますよ。僕のポリシーは、とにかく真っ直ぐ走らせることなんです。まだ候補生だった頃、人よりも何か努力しないと一番にはなれないって考えて、とにかく真っ直ぐ走らせようって決めたんです。朝一の馬場って、ハロー車でならした跡が綺麗に残ってるじゃないですか。その線に沿って馬を走らせると、1周真っ直ぐ走れるんですよ。 昔からかなり意識してたし、デビューして10年間は騎乗停止も一度もなかったんで、なんでフェアプレイ賞もらえんのやろって思ってました。『どうやったら獲れるんや!』って思ってたけど、今は明確な基準もあるし、今年ももらえるようにしたいですね。
赤見:今は高知だけでなく、全国で騎乗機会が増えてますけど、得意な競馬場はありますか?
赤岡:右回りは自信ありますよ。どこ行っても平気です。でも左回りは......最近は慣れたけど、前は相当意識してました。扶助使う時、とっさに右回りの扶助を使ってしまうんですよ。重心とか脚の位置とか、本当にちょっとしたバランスなんですけど、右回りと左回りでは真逆なんで。今はたくさん遠征させてもらったり、重賞の時のスポット参戦も声かけてもらったりして、経験を積ませてもらったんでね、スムーズに乗れるようになりました。
赤見:スポット参戦だけじゃなく、期間限定で南関東で乗る計画はないんですか?
赤岡:それねぇ......。乗りたい気持ちもあるけど、高知はオフシーズンがないから難しいですね。特に今はいい馬いっぱい任せてもらってて、攻め馬も自分でしてるでしょ。その馬たちを2か月ほっぽって行くことはできませんから。リーディングから落ちたら行きたいなとは思ってます。ただ、絶対落ちたくないですけど(笑)。
赤見:赤岡騎手といえば、ジョッキーとしてだけでなく広告塔として積極的に高知を宣伝してますよね。
赤岡:一時期は『廃止に一番近い競馬場』なんて言われましたけど、今は潰れそうにないですね(笑)。自分で動くの好きやし、色んな人と仲良くさせてもらってるお陰です。 特に(武)豊さんには本当に良くしてもらってますね。昔から何かと声かけてもらってたんですけど、ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場した時とか、全国に遠征に行った時とかに、色々話したり一緒にご飯食べたりするようになって。豊さんは凄すぎる人やから、みんな遠慮するんやけど、僕は腹割って話させてもらったり。高知の気質というか、ジョッキーもみんな明るいんで、そういう雰囲気も合ったのかもしれません。
赤見:豊さんから繋がって、福永祐一騎手発案の『福永洋一記念』も始まったんですもんね。
赤岡:そうそう。豊さんが『何でも協力する』って言ってくれたんでね、まずは夏の夜さ恋フェスティバルが実現して、その時に祐一くんを連れて来てくれたんです。それで、『親父の故郷で、冠レースがしたい』って言ってくれたんで、主催者にも『やりましょう!』ってガンガン言いました。協力するって言ってくれてるんやから、あとは自分らが積極的に動いて主催者を動かさんとね。
赤見:営業・企画・広報......すべてやってるんですね。
赤岡:人付き合いが好きなんですよ。中央もそうやし、今野(忠成騎手)が同期なんでね、南関東のジョッキーたちにも良くしてもらってます。南関東の騎手を招く交流戦もやってますけど、最初は戸崎(圭太騎手)が『高知に行きたいから交流戦作って下さい』って言うから動いたのに、アイツはスポットで重賞乗りに来ただけやから(笑)。そうやって『行きたい』って言ってもらえる競馬場と思うと、すごく嬉しいですけど。
赤見:戸崎騎手はJRAに移籍しましたけど、赤岡さんは考えたことありますか?
赤岡:行きたいとも思うけど、勉強して行くのは難しいでしょ。それよりね、違う方法を考えますね、僕は。今のままじゃ、やっぱりダメじゃないですか。中央と地方の壁を無くしていかないと。それには地方がまず全部開くことやと思うんです。高知はもともと色んなとこのジョッキーを受け入れてるんで、そういう考え方なんやけど、地方全体で考えるとまだまだ難しい部分もありますね。 でも、小さいとこが開いていったら大きいとこも開かざるを得なくなるんです。そういう話をね、中央のジョッキーや南関東のジョッキーとも話すんですよ。色んな意見がありますけど、ジョッキー同士やからこそ話せることもありますから。高知のことはもちろんですけど、競馬全体のことも考えていきたいです。少しずつでも変えていけたら、というのが目標です。
赤見:素晴らしい目標ですね!! ちなみに、赤岡さんの私生活って謎ですよね。
赤岡:謎ですか?! たいした生活してないですよ(笑)。毎朝仕事やし。ただ、色んな人と付き合うのは好きなんで、競馬以外の仕事の人たちともよくご飯食べたりしますね。それに、全国にたくさんファンやって言ってくれる方がいて、すごく励みになってます。 え?結婚ですか? そっちも頑張らんといけないですね。ただ、他のジョッキーたちから『赤岡さんが結婚したら夢が無くなる』って言われてるんで。この自由な感じがいいんですかね(笑)。もうしばらくは独身貴族で頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)
昨年117勝を挙げ、高知リーディング4位だった宮川実騎手。さらにアドマイヤインディとのコンビで、ダートグレード戦線でもその存在感を示しています。落馬事故により左目失明という大きな怪我を負って、復帰が危ぶまれた時期もありました。辛い試練を乗り越えて、さらなる進化を遂げた宮川騎手に、現在の心境をお聞きしました。
赤見:『TCK女王盃』では、アドマイヤインディとのコンビで沸かせてくれましたね。
宮川:本当に頑張ってくれました。4着だったけど、僕の乗り方次第で2着3着はあったと思うんです。向正面から上がって行った時、別にGOサインを出したわけじゃないんですけど、ハミをくわえて、持ったまま上がって行く感じで。あのままの位置にいて、コーナーでゴチャつくよりはいいかなと思ったんですけど、もう1呼吸2呼吸我慢出来たら、違った結果になったんじゃないかな。もっと経験積んで、上手くなりたいって改めて思いました。
赤見:アドマイヤインディは、その前の『クイーン賞』でも3着と頑張りましたね。
宮川:あの時は斤量も軽かったし、内々をロスなく回って来れたので、あの3着が本当の力なのかちょっとわからない部分がありました。今回は斤量も増えたし、自分から動く強い内容で最後まで粘ってくれたので、ダートグレードでも十分戦えると自信になりました。
今は脚元の状態と相談しながら調教をつけているんですけど、それでこれだけ走れるので、状態さえ良くなったら本当に大きいところを狙えると思います。こういう馬に出会えて、調教からレースまで乗せてもらえて、今、本当に楽しいですね。
アドマイヤインディと(TCK女王盃パドック)
赤見:アドマイヤインディは打越勇児厩舎の馬ですが、宮川騎手はお父さんの打越初男元調教師の厩舎からデビューしたんですよね。
宮川:そうです。初男先生、勇児先生には親子2代に渡ってお世話になってます。勇児先生が厩務員だった頃からずっと一緒にやってますから、調教師になってからも話し合いながら一緒に馬を育てられるのが嬉しいです。
僕が怪我から復帰した時も、初戦は勇児先生が担当の馬でした。あの時は周りの方が応援の気持ちを込めてレースに協賛してくれて、復帰戦は『打越厩舎一同応援・復帰おめでとう!特別』というレースだったんです。僕自身がしたいことしてるだけなのに......。もしかしたら周りに迷惑をかけてしまうかもしれないのに...。本当に温かく迎えてくれて、すごく有難かったですね。
赤見:今のお話にもあったように、2009年の落馬事故は、顔面複雑骨折・左目失明という重傷でしたが、復帰までの道のりは相当大変だったんじゃないですか?
宮川:本当にそうですね。怪我をした週に、名古屋と園田に遠征が決まっていて、これから高知だけじゃないく県外に行って色々勉強出来ると思っていた矢先だったので、怪我をしてすぐはとにかく乗りたくて乗りたくて仕方なかったです。考える時間はいっぱいありましたから。乗りたい気持ちと、何も考えたくない気持ちと......。キツイなと思っても、どうしても考えてしまうんです。
でも、『引退』ということは全く考えなかったですね。レースに乗って、それで怖いと思ったら仕方ないけど、とにかくもう1度乗るまでは...って思ってました。
赤見:何度も何度も手術を重ねて、さらにハードなリハビリにも耐えて......。約1年後に復帰した時はどんな気持ちでした?
宮川:調教は3か月くらいで始めたんですけど、その後も手術で休んだりしたし、復帰の時は緊張しました。レースの前に模擬レースみたいなことをさせてもらって、それで復帰したんですけど、実際乗るまでは本当に乗れるのか不安でしたね。でもいざ騎乗したら、それまで10年間培ったものがあったのか体が反応してくれました。復帰2日目で勝ち星も挙げさせてもらったし、こんなに早く勝っていいのかなと思ったけど、1つ勝って自信になりました。
怪我をしたことは本当に辛かったですけど、周りのみんなに支えてもらってることを実感しました。特に兄(浩一騎手)はかなり心配してくれて......。今も調整ルームが同じ部屋で、長い時間一緒にいるので色んなことを話します。兄の存在は大きいですね。騎手としてはライバルでもあるけど、兄弟仲はいいですよ。
赤見:高知リーディングの赤岡修次騎手が、『もともと技術は高かったけど、怪我する前よりさらに上手くなった。積極的になった』って言ってましたよ。
宮川:修次さんにそう言ってもらえて嬉しいです。自分自身ではよくわかんないですけど。特に何が変わったというのはないです。ただ、乗れるのが本当に楽しくて。もっと上手くなりたい、上手くなりたいって思ってるだけです。
赤見:2010年に復帰して、2011年はダート競馬の祭典・JBC(大井)に騎乗、さらに2012年はダートグレードで好勝負と、どんどんステップアップしてますね!
宮川:本当に有難いです。JBCに乗れると聞いた時は、正直ビビりました(笑)。大井開催だったんですけど、当日はパドックで声援を送ってくれた方もいたし、馬場に入った瞬間ものすごく感動したんです。騎手やってて良かった、辞めなくて良かった...って。あの経験は、本当に大きかったですね。
最近ではアドマイヤインディと一緒にいい勝負をさせてもらって、また違った経験になりました。『TCK女王盃』であれだけの競馬が出来たので、『クイーン賞』がフロックじゃないって証明出来たと思います。今までは挑戦者の立場だったけど、これからはマークされることもあると思うし、印も重くなって人気も高くなると思うので責任重大ですね。楽しさと一緒に、緊張感もあります。ダートグレードで勝負になる馬に乗れるなんて、なかなかないですからね。いい馬に巡り合えて、本当に幸せです。
赤見:では、2013年の抱負とファンの方々にメッセージをお願いします!
宮川:復帰した頃は、いつか1000勝出来たらいいなと思ってたんですけど、今972勝(1月28日現在)まで来たので、だいぶ現実的な目標になりました。大きな節目の数字なので、早く達成したいです。ファンの方々には、いつも応援していただきありがとうございますと伝えたいですね。競馬場に来られなくても、今はインターネットで手軽にレースが見られるので、ぜひ高知競馬を楽しんでいただけたら嬉しいです。そのためにも、一生懸命頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)