7月の北斗賞で念願の重賞初制覇を果たした浅田達矢騎手(36)。奈良県出身、遅い競馬デビューの苦労人が、ここ最近めきめきと頭角を現し始めています。
斎藤:ばんえい競馬では珍しい奈良県出身ですね。騎手になったきっかけを教えてください。
浅田:明日香村の出身です。医大の受験に失敗して、悩んでいる時に北海道を訪れました。関西人は「北への憧れ」みたいなのもあるんです(笑)。自転車で旅をしている途中、アルバイトをした牧場にばん馬がいたのですが、結局そこに2年いました。
ある日、北見競馬場に連れて行かれて、レースの迫力に衝撃を受けました。自分は背が高い(179センチ)し、年齢制限もないというから、自分には騎手がぴったりかな、と。
23歳で厩務員になり、2回目で騎手試験に受かったので、騎手になったのは27歳。競馬場は、何もかもが面白かった。馬もだし、人間も個性的。勝負の世界だからみんなこだわりがあるんです。
斎藤:2005年にデビューして以来、思い出に残る馬やレースは。
浅田:シンエイスターですね。星(減量)が取れて、いろいろと大変な時にも乗せてもらった。真面目な馬なんです。レースはニシキダイジンの帯広記念(2009年、9番人気で2着)ですね。あれは悔しかった! まだ、(重賞)獲るのは早いんだととらえました。
斎藤:ニシキダイジンをはじめ、惜しい重賞2着が何度かありましたよね。インフィニティーで重賞初制覇となった、北斗賞について教えてください。ゴール前は接戦でしたが、勝ったのはわかりましたか。
浅田:わかりました。ホッカイヒカル(2着)に勝ったな、と。着順が掲示板に出たとき、スタンドが揺れるのがわかって興奮しました。馬場が重かった(0.7%)けど、頑張ってくれましたね。オッズパーク杯(4月)は自信があったのに大事に乗ってしまって3着だったので、そのレースを教訓にしました。
斎藤:金田先生も涙を流して喜んでいましたね。お父様も来られていました。
浅田:元騎手だった先生には、いつも「俺の夢を実現してほしい」と言われていました。金田厩舎に来たのは3年前ですが、やっと恩返しができた。ここで勝ててよかった。馬と、先生、オーナーの駒井さんに乗せてもらえたおかげです。そう、父が来ると勝つことが多いんです。
斎藤:インフィニティーはどんな馬ですか。また、兄弟(6歳トレジャーハンター、3歳クインフェスタ)にも乗っていますが、それぞれの特徴は。
浅田:気性が荒いので、競ったら強いんです。去年の春からよくなりましたね。インフィニティーとクインフェスタは似ていますね。持続力があるタイプ。インフィニティーは2、3歳の頃は細かったけれど4歳になって体が出来てきて、クインフェスタと成長の仕方が似ていると思う。トレジャーハンターは瞬発力だし比較的早熟タイプ、全く違いますね。残念ながら母馬のクインフェアーは死んでしまったそうです。
浅田騎手とクインフェスタ
斎藤:ばんえいグランプリも僅差の3着でした。
浅田:勝てたかなと思ったけど、ちょっと足らんかったな。残り10mで先頭だったけれど......最初にしてはよく800キロをこなした。これからはハンデがついて大変だけど、いいレースをしていきたい。目標はもちろん、帯広記念、ばんえい記念ですね。
斎藤:ゴールはそりの後端ですが、僅差でもわかるものですか?
浅田:わかるね、脚色でだいたいわかる。あと、「ハナ木」(そりの前部分)を横と比べることもあります。
斎藤:ここ数年勝利数、勝率と上がっていますが、自分で「変わった」と思うところはなんでしょうか。
浅田:以前よりは、レース中に周囲が見えるようになったかな。でも、もっとばん馬を勉強しなくては。筋力も付けたい。やることはいっぱいあります。
斎藤:普段は家族サービスでしょうか?
浅田:(笑)。子どもは4歳の娘と1歳の息子がいます。
斎藤:ファンに一言お願いします。スタンドに入ってすぐのところには、浅田騎手のパネルとそりが置かれていますよね。
浅田:まだ置いてありますか(笑)。ここで写真を撮ってくれるのはうれしいですね。馬はマルニシュウカン(初勝利を挙げた馬で、映画『雪に願うこと』で主役を演じた馬)ですよ。
自分は、最初は場外でばんえいを見てて、その後、生でばんえいを見て衝撃を受けたんです。だから、競馬場に来て見てほしいです。最初は取っつきにくいかもしれないけれど、深く理解してわかったら、さらに魅力を感じられると思います。
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インタビュー・写真 / 斎藤友香
7月末現在、青柳正義騎手は金沢競馬のリーディング争いでトップを維持。8月に入ってリーディングの常連、吉原寛人騎手にその座をゆずってしまったが、その地位を取り返すべく、奮闘を続けている。
浅野:今年の金沢競馬場での勝ち星が、すでに昨年(53勝)を超えました。躍進の秘密はどこにあるのでしょう?
青柳:やっぱり福山競馬場に行ったことが勉強になりましたね。金沢とはコースの形が違いますし、なにより馬群が金沢より詰まりますし。金沢は最後の直線になればある程度バラけるんですが、福山だとそうはいかないんですよ。だから、少しでもロスを減らそうと考えました。具体的には、位置取りとコーナーの回り方ですね。
浅野:福山での成績は、88戦11勝でした。
青柳:金沢競馬場は強い馬が勝ちやすいコースだと思うんですよ。でも福山はそうではなくて、力が上でもひとつミスしたら勝つのが難しくなる感じがありました。あのきついカーブでインコースをピッタリとは、なかなか回れませんよ。でも渡辺(博文)さんとか、みんなうまく回ってくるんですよね。
浅野:そこでの経験が大きな糧になって、今年の快進撃につながっているのでしょうね。
青柳:金沢での乗り方も昨年までとは違っていると思います。自分でも3~4コーナーをキッチリ回ってくるようになったと感じています。あと、福山ではロスをなくすために、誰がどこにいるのかとか、周りをよく見るように心がけたんです。それを金沢でも実践していることも、去年とは違うところです。それから、例年は金沢競馬の開幕日が久々の実戦となるんですが、今年は冬の間も競馬をしていましたから『いつもより体が動くなあ』という感覚がありました(笑)。
浅野:それ以前の冬はどういう過ごし方をしていたのですか?
青柳:岡山県の栄進牧場久世育成センターに何年かお世話になりました。そこでは2歳馬の育成が主な仕事になるんですけれど、金沢ではなかなか乗れないようなすばらしい馬がたくさんいますから、それはそれで勉強になりました。岡山ではエーシンクールディにも乗ったことがありますよ。
浅野:でもやはり、育成の現場と競馬場とでは得るものが違ったということですか。
青柳:そうですね。福山に行ったのは、金沢の調教師さんに、福山に冬の間は馬と一緒に遠征に出るから手伝ってくれないかと言われたことがきっかけでした。でも、行ったことがないところだし、福山には(教養センターでの)同期もいないし、不安がありましたね。行ってみたら、まったく問題なかったんですが。
浅野:そして、金沢での快進撃。周りの評価などはどうですか?
青柳:リーディングになっているのはたった3カ月とか4カ月程度なんですけれど、馬主さんや調教師さんにいろいろと声をかけていただきますし、明らかに昨年とは違う感じがありますね。でも個人的には、まだまだだと思っていますよ。デビューしてからしばらくは成績もよくありませんでしたし、先輩騎手などからは騎乗についてアドバイスを受けたことがありますが、"コイツはライバルにはならないな"と思われていたからこそ、教えてもらえたんだと思いますし。
浅野:確かにリーディング10位以内に入ったのは、昨年が初めてです。
青柳:デビュー当初に現役だった渡辺壮さんは、僕なんかがマネなんてできるわけがない、というレベルでした。どうやったらあんなに楽に乗れるのかと......。それでも平瀬(城久)さんとか吉原(寛人)さんとか、参考にしてきましたね。ただ、自分が吉原さんの乗り方を真似しても、しょうがないと思うんですよ。体型も違いますし。自分としては、柔らかく乗れて、いい位置につけて差す競馬ができるという点をアピールしたいですね。現在の金沢競馬場は昔と違って、内をさばいても勝てる馬場になってきましたし。
浅野:ただ、吉原騎手が成績を伸ばしてきました(取材日の7月29日時点では青柳騎手が2勝差でリード)。
青柳:なんとか、スーパージョッキーズトライアルの出場権を獲得したいと思っているんですけれど......。
浅野:第1ステージは青柳騎手の出身地(千葉県印西市)近くの船橋競馬場です。
青柳:船橋競馬場は車の窓から眺めた記憶はあるんですが、行ったことはないかも。子供のころ、父によく連れて行ってもらっていたのは中山競馬場です。その中山競馬場で叔父が馬場を作る仕事をしていて、その人に騎手という仕事を勧められました。当時は体がすごく小さかったんですよね。で、その気になって、小学4年のときに「将来は騎手になる」とクラスメートに話していたくらいです。初めて馬に乗ったのは、教養センターでの試験のときなんですけれど(笑)。
浅野:となると、地元に凱旋しての騎乗、実現させたいですね。
青柳:そうですね。それに、この仕事をしている限りは、やっぱり一番になりたいですから。
浅野:ところで、青柳さんからいい香りが漂ってくるんですが。
青柳:一応、(調整ルームの)外に出るので、香水をつけておこうかなと思って。自分の部屋にもありますし、ルームの部屋にも置いてあります。僕らは慣れているから感じないんですが、競馬場以外の人からは馬の匂いがするとか言われることが多いので。
浅野:ということは、独身?
青柳:ハイ。前は合コンとかにも行っていましたが、最近はあまり......(苦笑)。
でも今は本業を一所懸命にするべき時なのでしょう。8月18日現在の成績は第2位ということでワイルドカード(9月10日・門別競馬場)からのスタートとなりましたが、そこを乗り越えてスーパージョッキーズトライアルの舞台に立つことができるのか、注目です。
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※インタビュー / 浅野靖典
1981年にデビューした兒島真二騎手は、すでにキャリア30年以上。数々の重賞タイトルを獲得しているが、今年はついに東海ダービーを制した。名古屋競馬は若手騎手の活躍が顕著だが、ベテランの存在感は別格だ。
ウォータープライドで東海ダービー制覇(写真:愛知県競馬組合)
浅野:東海ダービーの優勝、おめでとうございます。
兒島:ありがとうございます。ジョッキーとしてダービーを勝つのは念願でした。ダービーに参加する機会もそれほど多くはないわけですし、そのなかで勝てたわけですから、本当にうれしいことですね。
浅野:東海ダービー馬、ウォータープライドは、以前はスタートがいまひとつでした。
兒島:そうですね。笠松のライデンリーダー記念(3着)のときは全然ゲートから出て行かなくて後方からになったんですけれど、あの馬場(雨・不良)でよく差を詰めてきましたね。笠松ではプリンセス特別(3着)でも出負けしたんですけれど、これ、両方とも1番枠だったんですよ。
浅野:でも、名古屋競馬場では連対率100%です(2013年7月現在)。
兒島:東海クイーンカップでも1番枠でしたが、うまくゲートを出て1周目のゴール前で前に出て押し切りましたし、ダービーもスタートがよかったですからね。でも、先日のクイーンカップ(6月25日・笠松)はジンマシンで出走取消。何なんでしょうね。ただ、前走(7月25日・兵庫サマークイーン賞)ではゲートでトモを落としてしまいました。やっぱり、まだスタートに関しては心配なところがありますね。
浅野:それから兒島騎手といえば、2005年、名古屋競馬場で行われたJBCクラシックで、地元のレイナワルツを3着に導いたことが思い出されます。
兒島:あのレースは惜しかったというかなんというか。2周目の3コーナー入口で、ナイキアディライトと内ラチとの間、ちょっと狭くなりそうな感じがあったんですが、そこを突っ切ったのがポイントでしたね。それで4コーナーでは先頭で、うしろをちょっと見たら、2番手までそこそこ差があって。それを見たらもう「行けー!」って、必死に追いましたよ。でも3着。1億円が2千万円になっちゃって(笑)。悔しいなあという気持ちで検量室に引き揚げてきたんですけれど、瀬戸口(悟)先生に「いい夢を見させてもらったよ」と言ってもらってうれしかったことを覚えています。3着でしたが、あれは自分のなかでも最高のレースのひとつです。
浅野:兒島騎手は鹿児島県出身ですが、名古屋に来たのはどうしてですか?
兒島:僕の母が鹿児島の和田牧場の人と知り合いで、それで和田牧場のつてで騎手を探していた水谷文平調教師に紹介されました。それまで馬に乗ったことといえば、子供のころに鹿児島大学の学園祭かな、そこでの引き馬くらい。なのに、中学の卒業式の次の日に、トヨタに就職する人とかと一緒に列車に乗って名古屋に来たんです。競走馬を見たのは名古屋に来てからですね。
浅野:それでよく続きましたね。
兒島:怖かったですよ。何十回も落とされて。別に騎手になりたくて名古屋に来たわけじゃないから、いくらでも逃げ道はあったんですけどね。自分でも何で続いたのか、よくわからないです。
浅野:意地というか、そういう気持ちがあったんでしょうか。
兒島:うーん、そういう思いもあったのかなあ。でも、5年くらい前に引退するつもりだったんですよ。調教師を目指すとかじゃなくて、もう騎手はいいかな、というような感じで。それで、主催者側にも引退しますと言ったんです。
浅野:そうなんですか。
兒島:そうしたら、塚田(隆男)調教師が「まだやめるな」と夜中まで僕を説得してくれて。塚田調教師は僕の騎手時代の兄弟子なんですよ。まあ、それもあって引退するという話は撤回することにしたんです。でもそのおかげで塚田厩舎のウォータープライドとコンビを組めたわけですからね。続けていてよかったと思います。
浅野:5年前といえば2000勝達成前でしたが、すでに勝ち星は2100を超えています。
兒島:今はもう、いつやめようとか、そういうのは全然ないですね。ウォータープライドもいますし、これからまたいい馬にめぐり会いたいですし、それとやっぱり、まだ若い連中には負けたくないですからね。そういう思いで、一所懸命にがんばっていきますよ。
浅野:ちなみに中学までは何かスポーツをされていたんですか?
兒島:鹿児島なんですけれど、小学5年から中学3年までスピードスケートのショートトラックの選手でした。高校生になったら国体に出場する予定だったんですよ。その小回りコースで培った身のこなしが、競馬で役に立っているのかもしれないですね。あと私は、元騎手の宮下瞳さんの中学の先輩です(笑)。
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※インタビュー / 浅野靖典
このコーナーには2009年1月以来の登場です。当時はデビュー4年目、若干21歳の初々しい姿でしたが、一昨年からの1年間、海外遠征に挑戦するなど、その行動力と向上心には驚かされます。騎手として様々な経験を積み、日々成長している別府真衣騎手。新たな悩みを持ちながらも前向きな姿を見せてくれました。
秋田:前回のインタビューは5年近く前でした。当時と今は何が違いますか?
別府:良い意味でも悪い意味でも焦らくなったというか、落ち着いて状況判断できるようになりました。ただがむしゃらに乗るのではなく、いろいろ考えて乗れるようになったと思います。成績でいえば、がむしゃらに乗っていた頃の方が良いのですが。当時は減量の分もありましたし。精神面の成長がまだ成績には表れていませんが、この落ち着いて乗れるようになったという部分をレースに活かせるようにしたいなと思っているところです。
秋田:この5年間では海外遠征が大きな出来事だと思います。2011年3月から2012年2月までの1年間、韓国で短期免許で騎乗しました。きっかけから教えてください。
別府:釜山で行われた招待レース(2009年8月9日、第1回KRA国際女性騎手招待競走に日本代表として出場)がきっかけです。その時、精神的にやられてしまったんです。今までレディースジョッキーズシリーズでは良い成績を残せましたが、海外に出てみたら全然ダメで...。自分はまだまだだなということに気づかされました。
秋田:それで韓国で乗りたいと申し出たのですね。
別府:そうです。でも高知の騎手は人数が少ないし、その時高知競馬には私と森井美香騎手と女性騎手が2人いて、競馬場を盛り上げていく役目もあったので、なかなか許可が出なかったんです。それでもやっぱり行きたくて。
秋田:想いが叶って韓国・ソウル競馬場での短期免許での騎乗が決まりました。しかし、すぐにケガというアクシデントが...。
別府:着いて2週間くらいで足をケガしてしまいました。言葉も分からないまま手術室に運ばれて、何が何だか分からなくてすごく怖かった...。1年間、韓国にいるつもりだったので、日本の保険なども切っていったから日本にも帰れず、このままいるしかなかったんです。でも、歳が近い騎手たちがお見舞いに来てくれて、言葉が分からないなりにコミュニケーションをとってくれたりしたので、意外に辛くはなかったです。復帰まで2カ月くらいかかりましたが、その間に言葉を覚えることもできました。
秋田:ケガから復帰して、いざ韓国でのレース。日本との違いはどのように感じましたか?
別府:高知より直線が長いですし、韓国の競馬って乗り方が荒いのでけっこう危ないんです。でも、だからこそ冷静に物事を見る力も養えたと思います。
秋田:生活はどうでしたか?
別府:食べ物がすごく美味しくて、5キロ太っちゃったんです。もうパンパンでした(笑)。周りの騎手たちが、体重が軽すぎるからって言ってとにかく食べさせるんですよ。でも太った分レースで鉛を持たなくてもよくなったから、ちょうど良い感じで。日本に帰ってからまた痩せましたが、韓国ではいろんな意味で成長してましたね(笑)。
秋田:その間にレディースジョッキーズシリーズで帰国、見事に優勝しましたね。
別府:韓国での乗り方が慣れてきたところだったので、日本に帰ってきてとまどいました。流れなども違うので。最初の1、2戦はどうなることかと思いましたが、なんとか修正しながら優勝することができました。女性騎手の中では負けたくないという気持ちもありますし。私もいつの間にか女性騎手の中ではお姉さんになっちゃいましたね(笑)。レディースジョッキーシリーズは行われなくなってしまいましたが、このレースを見て騎手になりたいと思う
女の子たちもいると思うので、復活してほしいです。
秋田:改めて、韓国での1年間はどんな1年でしたか?
別府:親元(父は高知競馬場の別府真司調教師)を離れることが初めてだったんですが、意外と楽しく過ごせました。成績としてはあまり勝てたわけではないですが、勉強になった1年間。精神的にはびっくりするほど成長できたと思います。先生も慌てなくなったところは褒めてくれます。
秋田:そんな海外での経験を経て、今年2013年の調子はいかがですか?
別府:今ちょっと自分の中でリズムが良くないんですよね。馬に乗れている感覚がしっくりきていないので、その辺をまず調整することが一番です。足をケガしたからというのもあるかもしれませんが、バランスがとりづらいというか、どうしても可動域が狭くなってしまって。それを戻せれば良い波に乗れると思うし、また勝てると思います。そんなに焦ってはないですよ。
秋田:前回のインタビューでは、NARグランプリの優秀女性騎手賞の獲得と、全国の騎手の中でトップになりたいという目標をあげていましたが、現段階の今後の目標を教えて下さい。
別府:3月17日に地方通算400勝を達成して、宮下瞳さんの記録(地方競馬通算626勝)が見えてきたかなと思っています。ですので、まずはその記録を目指してトップになりたいです!
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※インタビュー / 秋田奈津子 (写真:斎藤修)
デビュー29年目を迎え、7月28日現在、通算2935勝のばんえいトップジョッキー、大河原和雄騎手。関係者やファンから高い評価を受けており、今年はキタノタイショウとのコンビで注目が集まります。
斎藤:出身は道東の別海町ですね。
大河原:実家は牧場で、中学生のころから家の馬でばん馬大会に出ていた。サラブレッドの騎手になりたかったけれど、体が大きくなったからばん馬にしました。今は、双子の兄が牧場を継いでいます。21歳で競馬場に入って、騎手になったのは25歳。当時でも遅めだったね。最初は晴披(はれまき)孝治厩舎に入って、久田(守、現調教師)がその時の先輩になる。
斎藤:キタノタイショウで今シーズン重賞2勝。どのような馬ですか。
大河原:臆病。何にでも驚くよ、水たまり、物音、カメラのフラッシュ。馬には、見て驚くのと音に驚くのと2種類いる。カネサブラックは物音に驚くタイプだったけど、タイショウは見て驚く方だな。臆病な馬の方が最終的に強くなる。サラブレッドでもそうだけど、逃げたがる性格を使ってレースをする。このくらいなら大丈夫だ、と。
タイショウは1歳の時から見ていたけれど、「違うな」というオーラがその時からあったよ。競馬場に入ってからは、俺が調教をつけていた。体壊したりしてテスト(能力検査)は良くなかった。それから体調を整えたからデビューは7月だったんだ。
北斗賞(7月14日、5着)は夏バテ気味だったのもあるかな、20キロ(差)は問題ない。今後はグランプリだね。
キタノタイショウ(2011年1月3日、天馬賞優勝時)
斎藤:騎乗停止中の1回を除いて、全て大河原さんが騎乗していますね。
大河原:ずっと乗せてもらえるのってばんえいでは珍しいから。(服部義幸)先生のおかげだ。服部さんは、気持ちを伸ばしてくれる先生だね。騎手でも、馬でも。我慢強いんだ。
斎藤:来年3月のばんえい記念については。
大河原:今年3着だから、それ以上は獲らないと。今年はばんえい記念の調教に時間がちょっと足りなかった。強い調教をしては休ませて、を繰り返すから。1カ月くらいはかかるんだ。時間があれば、もっと行けたと自分では思っている。
斎藤:数々の名馬に乗られていますが、一番思い出に残る馬は。
大河原:一番強いのはリキミドリだ。タイショウやカネサブラックにも乗ったけど、感度が違う。いい筋肉をしているし、センスの塊だった。イレネー記念を勝った時は、ゴール前手綱を持ったままだったんだよ。朝から「寿司取っとけ」って言ってたくらいだもの(笑)。残念ながら疝痛で、7歳の時に死んじゃったけどな。服部厩舎に入ったときに、ちょうどリキミドリが2歳だったんだ。リキミドリのオーナーは、タイショウと同じ木下英三さんなんだよ。
斎藤:明け3歳のイレネー記念を6勝し、能力検査でもほぼ毎年全てのレースに騎乗するなど、若馬での活躍も目立ちます。気をつけていることはありますか。
大河原:リラックスさせることかな。体を固くしては、能力が出せないからね。
斎藤:若い騎手に言いたいことはありますか。
大河原:あるとしたら、もう少し体をケアしろ、ってことだな。騎手として動きやすい体にしておけって。俺は年だから、トレーニングというよりは体をほぐしているよ。
斎藤:大河原騎手は、ゴール前ムチを入れずに馬を進ませている印象があります。
大河原:声をかけたほうがムチより効くんだ。叩くより、ハミをあてて「おら!」っていった方が行く。逆に、燃料なくなってアクセル踏んだって動かないでしょう。それと同じこともある。レースで大事にしているのは、馬が嫌がることはしない、ということ。
斎藤:ばんえいの魅力は。
大河原:子どもの目線でレースを観戦できるってことだね。子どもの足でもついていける。
斎藤:今後の目標を教えてください。
大河原:まずは目の前の3000勝です。
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インタビュー・写真 / 斎藤友香