昨年は61勝を挙げ、岩手リーディング10位。今年デビュー11年目を迎えた坂口裕一騎手に、これまでのこと、また今後の意気込みについてうかがった。
横川:川崎競馬の厩舎で育ったんだってね。
坂口:父が川崎競馬の厩務員だったので厩舎で暮らしていました。生まれた頃は競馬場の厩舎で、自分が小3の頃に小向に移りました。同期の山崎誠士騎手なんかは学年は違いますが同じ小学校・中学校でしたよ。
横川:じゃあ小さい頃から競馬や馬に慣れ親しんで暮らしていた?
坂口:それが全然興味がなかったですね。厩舎の2階で暮らしていたのに高校くらいまでは全く競馬に関心がなかった。子どもの頃に喘息になった事もあって"馬と一緒の生活は合わない"とずっと思っていましたし、馬が傍にいるからって触りに行ったり乗ってみたりしようともしなかった。だいたい厩舎から普通の高校に通っていたんだから、つまり(騎手に)なる気はなかった......という事でしょ(笑)。弟の方がよっぽど関心があって、騎手になりたいんだろうなって思っていましたから。
横川:それがどうして自ら騎手を目指す事に?
坂口:そんな頃、父がラハンヌという馬を担当していたんです。父の自慢の馬だったんですけど、デビュー戦でぶっちぎりで勝ってその後もけっこう活躍した。それを見ていて"競馬もおもしろいのかな"って思うようになったんです。
2000年スパーキングレディーカップ出走時のラハンヌ(月刊『ハロン』2000年11月号より)
横川:今調べると、デビューから3連勝、それも佐々木竹見騎手が手綱をとって......だから期待馬だったんだね。重賞もリリーカップとトゥインクルレディー賞で2回2着。
坂口:レースを競馬場に見に行ったりするようになって、それまでは行った事がなかったけど牧場に遊びに行ったりとか。茨城の牧場でセイウンスカイの引き運動をした事もありますよ。その時は知らずに"ずいぶん白い馬だな"と思っていたくらいでしたが後で聞いたらセイウンスカイだった。しかし、そのトゥインクルレディー賞2着の直後に父が急に亡くなったんです。それが自分が高2の時。それで自分は岩手に移ってきた。
横川:じゃあ、お父さんが亡くならなかったらそのまま南関東で騎手を目指していた?
坂口:いや、騎手になるよう勧めてくれた馬主さんの紹介もあって、志望は最初から岩手でしたよ。
横川:そういうきっかけがなかったら、騎手を目指してなかったんだろうね......。
坂口:父自身も騎手になりたかったけどなれずに諦めていた人でしたから。中学生の時に鹿児島から出てきて、騎手を目指したけど体重が重くてなれなかったそうなんですね。じゃあ自分がその跡を継ぐのも有りかな......と。
横川:坂口騎手って、そんな熱いエピソードがあるわりには『醒めた』イメージがあるよね。
坂口:馬主さんにも言われた事がありますよ。"お前は勝って嬉しいと思わないのか?"って怒られ気味に。
横川:いや、レースで勝った時は喜んでいる方でしょ。ゴールしながら笑顔になってる時もあるし。
坂口:そうですかね?
横川:よくあるよ。凄く嬉しそうにゴールしてること。
坂口:うーん。人気のない馬とか、自信があるのに印が薄い馬とかで勝つと嬉しいけど......。でもまあ、あまりそういう、勝って派手に喜んだり騒いだりするのって、周りから見てて格好悪いんじゃないかな~?って思うんで、意識的に抑えようとしている所はありますね。そういうのがさっきみたいな"嬉しくないのか"って怒られる原因になる。
横川:ガッツポーズとかもしないものね。
坂口:やってもいいかな~?と思う時もあるんですけどね。でもゴールの瞬間になると"ん?待てよ?"って。でも去年白嶺賞を勝った時はやっておけば良かったな。勝つ自信があって勝てたレースだったし、あの時くらいは思い切りガッツポーズしてみても良かった。
2012年12月22日、白嶺賞をクレムリンエッグで勝利
横川:基本的に『冷静』に振る舞っている方?
坂口:熱くなると空回りするタイプなんですよ。騎手になった当初なんかそうだったし。自分自身でそうだと分かっているから余計に"冷静に冷静に"というところはありますね。
横川:普段はどんな生活をしているの? いや、若い騎手が次々結婚しててさ、若手の中で"最後の独身の大物"といわれているのが坂口君だからさ。知りたい人も多いと思って~。
坂口:え~? 最近はタバコも止めたし、お酒もあまり飲まないし。引きこもり......ですかね...。
横川:競馬がない時は?
坂口:調教→ご飯→寝る。
横川:え(笑)。じゃあ競馬がある時は?
坂口:競馬→ご飯→寝る。ですね。
横川:変わらないじゃないか(笑)。
坂口:後は撮りためたビデオを見るとか......。車を買った時はドライブに行ったりしたけど今はあまり...だし。
横川:えー、坂口騎手はこんな人です。興味がある女性は、覚悟してください(笑)
坂口:こんな話でいいんですかね?
横川:いいよいいよ。掴みはOKだしね。"亡き父の遺志を継いで騎手になった男"なんて、ドラマだよ。普段こんなにクールな人にそんな熱い背景があったなんて、本当にいい話。
坂口:ラハンヌって、父が担当していただけじゃなくて、馬主さんも父の後輩の厩務員だった人で、その人が自ら外国で探しあててきた馬なんですね。脚元がそんなに良くなくて手をかけながら走っていたのが印象深かったですからね。
横川:思い切って聞くけど、"坂口裕一"にとって騎手や競馬はどんな位置づけ?
坂口:昔は話した通りですが、今は馬に乗るのもレースも好きですよ。でも"騎手はこうあるべき"みたいなのは、あまり考えないですね。考えすぎて熱くなるとダメなんで、無心で乗る方がいいなと思っていたりして。
横川:"5年後の坂口裕一"はどんな騎手になっていると思う?
坂口:あまりそういう将来イメージを考えた事がないんで......。あ、こう見えても1日1日、調教もレースも全力でやっているから、けっこう精一杯なんですよ。将来は調教師になる...とか考えられないから、乗れるだけ乗り続けている、でしょうかね。
とまあ、ややのらりくらりとした会話になってしまったが、話していて何となく合点がいくところがあった。一見すると競馬からちょっと距離を置いているような、第三者的な視線を向けているような態度に見える。競馬に過剰にのめり込む事はなく仕事と割り切って、仕事とプライベートはきっちり分けている。しかしいざ実戦になると、例えばそのレースの流れの中心にいる馬がどれなのか? そこをかぎ分ける嗅覚は鋭いし、強い相手にも臆さず喰らい付いていってあわよくば負かす事に喜びを感じているかのような騎乗ぶりを見せるのが彼だ。
生活スタイルはあくまでも今風の若者。古い言葉だが『新人類』という言い方が当てはまる。一方の競馬に関しては、立ち向かう姿勢は今風ではなく、ひとまわり・ふたまわり上の世代の騎手たちに近い雰囲気を感じる。意外に昔気質の勝負師な所があるのだ。競馬に関心がなさそうな姿勢にしたって、彼自身があえてそういう風に見せているだけだろう、と思う。
坂口騎手は怪我や病気で思うように乗れなかった時期が何度かあるが、その度、何事もなかったかのように復帰してくるし、そんな事があった事自体、自分から言い出す事はない芯の強さがある。そもそも人並み以上に根性が据わってなければ、普通の高校に進んでいた人生をひっくり返して騎手になる......なんて決断ができるわけがない。本人は競馬に興味がなかったという幼少時代なのだが、亡くなったお父様はじめ競馬界の住人の、それも80年代~90年代前半の全盛期の南関東競馬の世界で生まれ育った事が、坂口騎手に"その時代の競馬人"の思考パターンのようなものを刻み込んでいたのではないか? そんな風に感じる。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
4月17日にデビューした、兵庫の新人ジョッキー小山裕也騎手。同期の騎手達が次々に初勝利をあげていますが、1勝までの道のりは、なかなか厳しいようです。インタビューにはどんな受け答えをしてくれるのか少し不安がありましたが、とても明るく前向きな小山騎手がいました。デビューしてからの1カ月間と、これからの大きな夢も語って頂きました。
秋田:まずは、騎手になろうと思ったきっかけから教えてください。
小山:小学校5年生の時、競馬好きだった父親に京都競馬場に連れていってもらったんです。そこで見た騎手の姿に憧れて、騎手をめざそうと思いました。
秋田:その想いを抱いた後から、地方競馬の教養センターに入るまでは?
小山:小学校から中学校まで、ずっと野球少年だったので、馬には乗ったことがありませんでした。中学3年生の時にJRAの試験を受けましたが落ちてしまって...。高校に入ってから、阪神競馬場にある乗馬クラブみたいなところに1年通いました。そして、高校1年で地方の試験を受けて、合格しました。
秋田:教養センターはいかがでしたか?
小山:初めの頃は全然上手くならなくて、怒られてばかりだったんですが、半年くらい経ったときに1頭出会った馬がいて、その馬がきっかけでちょっとずつ上達したんです。
秋田:それはどんな馬だったんですか?
小山:ニホンカイイサリビという馬。ちょうど障害訓練をしていて、それまで障害訓練が凄く苦手で嫌いだったんですが、その馬に乗ったら、馬と一緒にどんどん進歩できました。先生からも「お前じゃないと、この馬は動かないんだ」って言ってもらえるくらい。だからすごく感謝しています。
秋田:デビュー戦は4月17日の第2レースで8着でしたね。
小山:スタートの時点でダメでした。緊張して。パドックから緊張していました。やっぱり、レースは難しいなと...。ペース判断や、展開を読むのが。騎手学校とは違いますね。
秋田:ここまで29戦しましたが、(取材は5月16日)、印象に残っているレースを教えてください。
小山:2戦目です。大暴走でしたね。
秋田:まさに、大逃げというレースでしたが、どういう状況だったんですか?(結果は10着)
小山:逃げろという指示だったんですが、出遅れてしまいました。それで逃げないと、と思って押していって先頭に立ったのに、まだ逃げないと逃げないとと思っていたら...。馬も気が入っちゃったし人間もパニックになってしまって、戻ってきた時にやっとあんな風になっていることに気づいたんです。
秋田:レース中、あれだけ離して逃げていたのが分かっていなかったんですか?!
小山:そうなんです。ぱっと後ろを見た時、確かに馬がおらんなぁと思ったんですが、あそこまで離れているとは気づかなくて。それだけパニックだったんですね...。
秋田:レース後に、調教師や先輩から何て?
小山:冷静になれって(笑)
秋田:そのレースの翌日、3戦目は1番人気の馬でしたしチャンスでした。(結果は3着)
小山:この馬も逃げました。ただこのレースは、展開の難しさを感じましたね。仕掛けどころで一気に他の馬に来られてかぶされてしまったので、馬が嫌気をだしてしまって。逃げ馬の難しさを教えられました。
秋田:デビューから1カ月が経ちましたが、まずは初勝利ですね。
小山:はい。でも最近、勝とう勝とうじゃなくて、がんばって着を拾おうくらいの気楽な気持ちでいます。そのせいか、デビューの時より少しは落ち着いて乗れていると思います。
秋田:同期のみんなは、全国で続々と初勝利をあげていますが、焦りはありせんか?
小山:騎手学校時代からあまり上手くなかったので、焦らずにやっていこうと思っています。そうすればそのうち勝てるやろって。
秋田:まずは1勝。それからの今年の目標を教えてください。
小山:減量が取れるようになりたいですね。
秋田:騎手としての目標や、夢は?
小山:園田のリーディングを獲って、中央でも乗れるような騎手になりたいです。
秋田:勝ちたい重賞はありますか?
小山:海外のレースになっちゃうんですけど...、凱旋門賞です!
騎手になりたいと思った小学生の頃、ちょうどディープインパクトが現役の時で、この馬でも負けるんだなって。まだ日本人も勝ってないから、自分が勝ってみたいです。
秋田:園田から世界へ、いいですね!!では、プライベートの夢は?
小山:フェラーリに乗りたいです。
秋田:おぉ!フェラーリを乗るには、1億円稼いでも足りませよ(笑)。でも凱旋門賞を勝てるくらいの騎手になれば、乗れるかも。
小山:そうですね(笑)、がんばります!!
秋田:では最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
小山:一戦、一戦、大事に乗って、早く勝てるようにがんばります!
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※インタビュー / 秋田奈津子
今年3月限りで廃止となった福山競馬から、笠松競馬へと活躍の場を移した池田敏樹騎手にお話しを聞きました。
坂本:笠松に来てしばらく経ちましたが、慣れましたか?
池田:だいぶ慣れました。
坂本:笠松の雰囲気とかはどうですか?
池田:そうですね、関係者の方々に優しくしていただいて、とてもいい感じです。
坂本:聞くところによると、笠松は移籍候補地の第一希望ではなかったそうですが?
池田:まぁ、そうですね。ただ、家族といろいろ話をした結果、笠松に来ることに決めました。
坂本:家族の皆さんは、こちらにはまだいらっしゃっていない?
池田:そうです、まだ来てないです。夏前くらいにはこっちに来る予定です。
坂本:それまでは単身赴任ということですね。
池田:そうですね。
坂本:さみしくないですか?
池田:いや...まぁ...子供の顔があんまり見れないのはさみしいですね。でも、電話ではちょくちょく声を聞いてるので。
坂本:名古屋でも騎乗していましたが、池田騎手はどちらが乗りやすいですか?
池田:福山と違って、どちらも馬場が広いんで、乗りにくいという感じはないです。
坂本:ファンとの距離感という点ではどうですか?
池田:そうですね、みなさん声をかけてくださって、優しいですよね。
坂本:新天地に移って、今後の目標を聞かせてください。
池田:ひとつでも多く勝ち鞍を重ねて、ファンのみなさんや関係者のみなさんのご期待に沿えるようがんばりたいです。
慣れない土地で新たなスタートをきった池田騎手。今後、どんな活躍を見せてくれるか、楽しみです。
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インタビュー・写真 / 坂本千鶴子
福山競馬一筋で2200勝以上を挙げたベテラン・渡辺博文騎手が、この4月から新天地の佐賀競馬場で騎乗を始めています。福山競馬が廃止されたときの心境や、佐賀競馬の印象についてうかがいました。(取材は4月20日)
斎藤:佐賀に移籍して2週目ですが、慣れましたか?
渡辺:なんとなくやけど、まだちょっとわからん部分も多いかな。でも福山よりはぜんぜん乗りやすい。福山はコーナーがきついし、内を閉めて回るんで、内にハマッたらもう出られない。こっちはコースが広いし、乗りやすいです。
斎藤:そういう意味では、福山からは10名のジョッキーがいろいろな競馬場に移籍しましたが、どこに行っても乗りこなせるんじゃないですか。
渡辺:福山の場合はスタートで半馬身遅れたら、もう致命的なんですね。ここ(佐賀)なら半馬身くらいならすぐに取り返せる。それくらい福山のスタートはきつかったです。スタートから折り合いを考えて行けるんで、テンからビシバシ行くレースは少ないですね。
斎藤:すでに重賞でも、そこそこ人気の馬に乗っていらっしゃいますね。
渡辺:そうですね。ちょっとまだ馬のレベル的なことがわからない部分があるんですが、いい馬には乗せてもらっています。
斎藤:福山競馬のことをお聞きしたいのですが、廃止が決まってから、実際に廃止になるまでの心境は......。
渡辺:それは言葉に表すことができないですね。長く騎手をやってきたというのもあるし、思い入れがありますから。3年ほど前に亡くなったんですが、父が厩務員やってたし、兄も騎手だったんです。ぼくが騎手になったのは、その影響が大きいですね。いろんなことがこみ上げてきました
斎藤:福山で思い出に残っている馬は?
渡辺:特別にこれというのはいないんですけど、ミスターカミサマですかね。ファンも多かったしね。絶対勝たないといけないレースで、ちゃんと勝ってましたから。引退したあとも(地方競馬)教養センターにいることは、噂には聞いていました。
斎藤:印象に残ってるレースはありますか。
渡辺:福山ダービーを勝てなかったことですね。27年間乗ってきて、結局1度も勝てなかった。重賞は、それこそほとんどというくらい勝ってるんですけど、ダービーだけは......。
斎藤:佐賀への移籍は、所属している柳井宏之調教師と一緒でした。
渡辺:そうです。特に佐賀とのつながりはなかったですが、調教師さんと一緒に移籍ができる可能性があったのと、なんとなく佐賀に来てみたいというのがありました。
斎藤:ご家族はどうされていますか。
渡辺:子供は3人いるんですけど、一番下の子も福山で就職が決まって、3人とも社会人になっています。で、家内はついてきたいということで、何の心配もなく2人で佐賀に来ました。
斎藤:これまで佐賀競馬場で乗ったことは。
渡辺:西日本アラブ大賞典には、第1回(91年3月)にイケフジキング(5着)で来て、たしか3回か4回くらいは乗りに来てると思います。
斎藤:福山の騎手では、15人中10人が移籍しましたが、他のジョッキーの活躍とかは気にされていますか。
渡辺:はい、やっぱりチェックはしてますね。楢崎君が最初に勝ったレースは見ました。ぼくが佐賀で最初に勝ったときは、メールがたくさん来ました。騎手をやめて競馬を離れてるんですが、騎手会長だった黒川君からは、勝ったあとすぐ来ましたよ。やっぱり見ててくれてるんだなって、うれしかったです。
斎藤:福山から厩舎で連れてきた馬はいますか。
渡辺:今のところ6頭来ていて、全部で12頭来る予定です。転入時の格付け条件があまりよくないみたいで、通用するかどうかはわからないですけど、それでも馬場に合うか合わないかもあるんで、そこには期待しています。
斎藤:佐賀で競馬が続けられるということでは安心しましたか。
渡辺:この仕事をやるからには、現役にこだわりたいというのがあるし、あと何年乗って調教師になろうとかも思ってないし、乗れるだけ乗って、そのときになったら調教師になりたいと思うかもしれないけれど、それはまだぜんぜん考えてないです。今はただひたすら乗るだけです。福山で獲れなかったダービーを佐賀で獲りたいです。
斎藤:最後に、ネットで見てくれているファンへのメッセージをお願いします。
渡辺:現場で乗っているぼくらは、あんまり感覚がないんですけど、それでも遠くのファンの方から、たくさん手紙とか写真とか送ってくれるんで、ああ見てくれてる人はたくさんいるんだなあ、ありがたいなあと思います。
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※インタビュー・写真 / 斎藤修
名古屋競馬場に、3人目となる女性ジョッキーが誕生しました。木之前葵騎手です。
デビューが1開催遅れたものの、2日目に初勝利を挙げると、1日1勝のペースで開催中3勝をマーク。明るく素直で誰からも愛される、そんな印象の木之前騎手に、騎手になっての感想などを聞きました。(取材は4月18日)
坂本:今日でデビュー3日目ですけど、今、どんな気持ちですか?
木之前:ん~、もっときれいなレースをしたいです(笑)
坂本:初日(4月15日)の第2レースで名古屋競馬デビュー、初騎乗だったわけですが、まずパドックに出てきたときの感想を教えてください。
木之前:今まで外から見ていた風景を、実際中に入ってみると『ああ、騎手になったんだなぁ』っていう実感が湧いてきました。
坂本:パドックの騎手待機室の中では、先輩騎手から何か言われましたか?
木之前:『とりあえず、まっすぐ走れよ』って言われました(笑)
坂本:騎乗命令がかかって、馬に跨りました。そこから見た風景というのもまた感じました?
木之前:そうですね、視界が全然違うし人もたくさんいたので緊張しました。
坂本:当日は、取材カメラも入ってました。
木之前:それはあまり気にはならなかったですけど、『人が多いなぁ』とは感じましたし、びっくりしました。
坂本:パドックでのお客さんからの声援は聞こえました?
木之前:はい、聞こえました。『落ちるなよ』とか『がんばって』とか。でも、その声援で一番心に響いたっていうか、ファンの声が聞こえたのが、初勝利したときが一番、観客席から聞こえてうれしかったです。
初勝利はデビューから9戦目
坂本:初勝利(17日第5レース)は、ご両親がみえてる間に挙げたかったですね。
木之前:そうですね。その前の第2レースでもっといい騎乗ができたら勝てたのに、それについてはすごく悔しいし、初勝利の勝ち方もまだまだ型にはまってないレースなので、もっとよくしていきたいなと思います。
坂本:勝った瞬間はどんな感じ?
木之前:『勝ってしまった...』(笑)。あれ?勝っちゃったなぁみたいな感じですね。
坂本:うれしかったですよね?
木之前:そうですね、うれしかったですけど、騎乗があまりちょっと......なので、100%は喜べないです。もっと内容をよくして、きれいなレースとかっこいい騎乗をスタイルにしていきたいです。
坂本:厩舎の先輩でもある大畑騎手からは、アドバイスとかいろいろ受けてるみたいですね?
木之前:一緒に走る馬の特徴とか、どういう展開になりやすいとか教えてもらって、私の乗る馬っていうのも大畑さんが乗ってた馬が多いので、その馬の特徴なども聞いてますし、『ま、とにかくまっすぐ走らせろよ』というのは言われてます(笑)
坂本:じゃあ、今はとにかく馬をまっすぐ走らせるということを意識して乗ってる?
木之前:そうですね、コーナーとかもまだ膨れてるので、もっとよくしていきたいです。
坂本:では、今後の目標ですが...?
木之前:とりあえず、きれいなレース(笑)。あと、かっこよく乗ることです。
坂本:もうひとつ、数字的な目標......といってもはっきりとは言えないですよね?
木之前:ん~、減量を自力で減らしていきたいです。
坂本:では、ファンの方々に向けて一言。
木之前:まだまだ足りない面が多いんですけど、応援していただくととてもうれしいです。よろしくお願いします。
馬場入場の際、ものすごい勢いで飛び出して行ったり、内柵に突っ込んでいきそうになったりと、関係者をヒヤリとさせる場面もまだまだある木之前騎手ですが、レース後には先輩騎手にアドバイスをもらい、また、レースの内容などをノートに記すなど勉強熱心なところも。そういった姿勢を、所属先である錦見調教師だけでなく他の調教師も高く評価しており、今後の活躍に期待したいですね。
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※インタビュー / 坂本千鶴子