昨年ホッカイドウ競馬でデビューした、下村瑠衣騎手(19)にお話を伺いました。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。八戸市出身ですね。
下村:家の近くに乗馬クラブがあったんです。ドサンコやポニーがいました。3歳か4歳の時にはじめて馬に乗って、気が付いたらもう騎手になりたかったんです。いつ、どうして、というのは覚えていないんです。市といっても周りは田んぼと馬だけのド田舎。コンビニに馬で行ったりしました(笑)。
父は、私が馬が好きだというので、盛岡競馬場に連れて行ってくれました。父は馬券も買わないし、競馬は全く知らないんです。私が騎手になりたいという夢を応援してくれていました。騎手のなり方はわからなかったので、中学校の先生が教えてくれて、地方競馬教養センターを受けました。JRAは知らなくって。
斎藤:中学校時代、スポーツはしていたんですか?
下村:運動はそんなに好きじゃないんですよ。小、中学校と吹奏楽部で、ドラムでした。今は演奏はしていないけれど、曲を聴くのは好きですね。ミスチルや斉藤和義が好きです。
斎藤:中学を卒業して教養センターに入所しました。高知の別府真衣騎手、森井美香元騎手や名古屋の山本茜騎手ら3人の後、5年半ぶり、久しぶりの女性騎手です。
下村:女子は1人だし、高校を卒業して来た人が多かったので、中卒の私は正直辛かったです。競馬は男の社会だというのを感じました。でも、やめたら騎手になれないし、親や周りの人が期待してくれているから、がんばりました。同期では、名古屋の丸山真一騎手、大井の山崎良騎手とはよくメールしています。いろいろと相談にものってくれていますね。
2年の時に、現在佐賀競馬にいる小山紗知伽騎手が入ってきました。私はほとんど実習だったので一緒にいることは少なかったけど、いろいろと話ができて楽しかったです。いる人にしかわからない、同じ悩みをかかえていましたから…。
斎藤:卒業の時、ちょうど東日本大震災がありました。
下村:教養センターが福島原発に近かったこともあり、みんなで出ることになりました。八戸にも帰りたかったのですが、そのまま北海道に来てといわれ、そのまま競馬場にいます。また、父の会社が津波で、すべて流されてしまいました。それでも親戚も含め、命があったからよかった。会社の人たちも応援してくれています。
斎藤:なぜ北海道に来たのでしょうか。また、今の生活を教えてください。
下村:学校から北海道がいいとすすめられて、谷口厩舎を紹介してもらいました。
今は、午前2時半に起きて、12時近くまで調教と厩舎作業。毎日12頭ほどに調教をつけています。それから午後1時から6時まで馬房の手入れや引き馬、乗り運動。休みは2週間に1度、半日だけあるので大変です。特に担当馬はいなくて、みんなで全部の馬をみます。
斎藤:大変ですね……。休みの日は何をしていますか。
下村:寝るか整体ですね。
斎藤:そういえば、骨折して少しの間休んでいましたよね。
下村:6月、調教中に落ちて後ろの馬に踏まれました。頭蓋骨骨折で頭がへこんじゃいなした。まだ痛みはありますが、休んでいると、どうしても仕事しなくちゃ、という気持ちになるんです。夢でも仕事をしていて、谷口先生も出てきて怒られました(笑)。完治には2年かかるのですが、休んでいられません。
斎藤:復帰後、8月15日に今年初勝利をあげました。
下村:みんな喜んでくれました。ほかの騎手も戻ってくるとき、おめでとうと声をかけてくれて。検量にいるおばちゃんたちも、かわいがってくれています。ファンの方は、次の日にケーキをもってきてくれました。
斎藤:パドックにも応援幕が出ていますね。
下村:競馬場近くにある居酒屋の社長さんが作ってくれました。1枚でもあるとうれしいです。毎月手紙を送ってくれるファンの方もいるし、ありがたいです。
斎藤:居酒屋に行くのは19歳だからまだですね。初勝利について教えてください。昨年8月23日、ほぼ1年前ですね。馬はレディープラネットでした。
下村:なかなか勝てなくて、向いていないんだ、やめようかな…と思っていた時でした。でも、馬に力があったから。昨年の(地元での)3勝はすべて逃げ切りなんです。
昨年思い出に残っている馬はその後2連勝したメモリダンサーですね。ものすごくうるさい馬で、乗る前は憂鬱…(笑)。レースで走ったらかわいいところはありますが、普段はすごくうるさい馬なんですよ。
斎藤:北海道には女性騎手の先輩、笹木美典騎手がいますね。
下村:はい、休みが合えば買い物とか、いろいろと連れていってもらいます。優しくておもしろい。
教養センター1年目の後半で北海道に行くことが決まったとき、なにもわからないので手紙を書いたんです。競馬学校は携帯を使えないので、何度か手紙をやりとりして、競馬場のことを教えてもらいました。
川島洋人騎手の奥さんの、安田歩元騎手とも調教中に話をします。かっこいい! 洋人さんといつも一緒に併せ馬をしていて。きっと今復帰しても勝てると思います。
斎藤:厩舎には所属の先輩騎手がいませんが、誰に教わっていますか。
下村:騎手はみんな優しいんです。若手が少ないというのもありますが、みんな教えてくれる。優しくない人はいません。中でも谷口厩舎で乗ることの多い、小国さんや岩橋さんがいろいろと教えてくれますね。引退した小嶋さんはとても優しくて大好きでした。お父さんみたい。おにぎりくれるんです(笑)。
斎藤:昨年、初出場したレディースジョッキーズシリーズはいかがでしたか。女性騎手同士、いろいろ話ができたでしょう。
下村:みなさんにいろいろと教えてもらいました。悩みも相談できたし、仲良くなってみんなといい関係です。今でもよくメールをするのは、別府さんや元岩手の皆川麻由美さんですね。他地区で乗せてもらえたことがとにかく楽しかったし、うれしかったです。でも、第1ラウンドの盛岡、第2ラウンドの荒尾では成績がでなくて……。どちらも緊張しました。盛岡も広かったことくらいしか覚えていないんです。
斎藤:道営の開催は終了していたので、レース勘を取り戻すのも大変だったのでは。
下村:馬場も凍っていたので騎乗もしていませんでした。第3ラウンドの福山は心配だし怖かったので、福山競馬から連絡がきた時に、レース前に馬に乗せてもらえるかを相談しました。徳本厩舎で、朝調教をつけさせてもらえることになったんです。
斎藤:そうでしたか! 福山ではパーフェクト、2勝しましたね。
下村:福山は強い馬に乗せてもらいましたから。また、1つ勝ったらものすごいテンションが上がって……他の人より、私は勝つことがうれしいから気持ちが盛り上がるんです。福山はものすごくいい場所でした。人が優しい!
経営が大変だといわれますが、主催者が熱心で、いろいろと用意してくれました。騎手として扱ってくれた。「みんなで競馬をやってる」というのが伝わってきました。食べ物は、明石焼きが美味しかったです(笑)。また行きたいですね。
斎藤:女性で有利と感じることはありますか。当たりが柔らかいとかいいますよね。
下村:ないですね。ひとつでもあればいいのですが…。男でも当たりが柔らかい人はいっぱいいるし、人それぞれだから。女性騎手は、自分が親なら反対しますね(笑) 大変ですから。
斎藤:北海道は女性騎手の減量特典がないですよね。
下村:一度話が出たそうなのですが、立ち消えになってしまいました。今の状況で頑張るだけです。
斎藤:ここまで話を聞いていましたが、相当頑張り屋さんですね。
下村:人前では明るくって心がけているんですが……部屋の中ではものすごく暗いですよ(笑)。今日ももっと、楽しい話ができればよかったんですが、こんな話しかできなくてすいません。
友達はみんな大学生。東京に行ったりばらばらです。しかも、競馬学校にいたときに携帯を持てなかったから、連絡先がわからなかったりする。
斎藤:友達は下村騎手に連絡してあげてください(笑)。そうそう、声がかわいいですよね。
下村:ああ……(笑)、生まれつきなんです。姉もこんな声なんですよ。2人姉妹で、姉は馬はいやだっていうんです。
両親は2カ月に1回くらいは来てくれます。でも、その時に勝ったことがない。なんとか一緒に口取り写真を撮りたいです。
斎藤:これからの目標を教えてください。
下村:まだ今は厩務員という感じ。自分は騎手です、と言える騎手になりたい。まだはじまったばかりなので、騎手を楽しみたい、というか、楽しいと思えるような騎乗を自分でつくっていきたい。幼稚園、小学校の時に描いていた騎手の感じではないんです。
今は毎日がいっぱいいっぱい。勝つことはもちろんですが、それ以前に、馬に乗って楽しくてしょうがなかった、その思いを取り戻したいです。
※インタビュー・写真 / 斎藤友香
春から秋は競馬、そして冬はデビュー前の馬の育成に携わるホッカイドウ競馬の騎手。
宮崎光行騎手は1984年のデビューからそのサイクルのなかで実績を重ねてきた。宮崎騎手2009年から北海優駿を3連覇。勝負強さを兼ね備えている騎手でもある。
宮崎騎手は1993 年に初のリーディングを獲得。デビューから10年目だった。
須藤三千夫調教師(故人)の一番弟子としてこの世界に入って、チャンスはたくさんもらえましたね。調教から何からいろいろと教わりました。よく怒られましたし、意見がぶつかることもありましたよ。でもそれは強い馬を造るという同じ目的の上でのこと。僕がここまで来られたのは、やはり須藤先生のおかげですね。リーディングということには自分自身、それほど意識はしていないんですよ。毎年毎年、いい馬との巡りあわせがあるかどうかということが大きいですからね。
その須藤厩舎の管理馬では、2000 年にヒットパークで道営記念を制覇した。
JRA では短距離戦が中心だったせいか、調教から行きたがって仕方がなくて。それでも転入初戦の瑞穂賞の2着で力があることがわかったので、調教方法を変えていくことにしたんです。ヒットパークは、須藤先生が初めてといっていいくらい、僕に調教からレースから任せてくれた馬なんですよ。
そのあと(転入2戦目の)北海道スプリントカップで4 着に入って、秋初戦はJRAのエルムステークスで5着。でもJRAの速いペースを経験して道営に戻ると、また行きたがってしまうと思ったので、南部杯に遠征させてもらって強い相手と対戦させました。そのとき、僕がいちばんに考えていたのは、ヒットパークと自分の呼吸とを合わせたいということ。その過程があったから、2000m の道営記念でも折り合えたんだと思います。短距離馬を2000m の大レースで勝たせたことは、僕の騎手人生のなかで大きな思い出のひとつとして残っています。
「勝つ」という目標に対して進めていく作業には、職人的要素が大いにある。その一方で、宮崎騎手は初コンビの馬を好走させた実績がたくさん。北海優駿は2010 年、2011年と初騎乗の馬で勝利している。
クラキンコ(2010 年)は、周りからいろいろな話が聞こえてきましたけれど、それは全部流すようにして、とにかく僕の感覚で乗るしかないと思っていました。1200m(北斗盃)から2000mになるわけですし、ひたすら「折り合い折り合い」と念じて。でもやっぱり重圧があったのかなあ。表彰式が終わってから、ものすごくホッとしたという気持ちになりました。
そういったなかでも結果を残せる勝負強さは、夏のJRA開催でもいかされている。
昨年までで10勝ですか。もちろん、JRA開催はモチベーションにつながります。でも最近は2歳馬が中心という傾向がより強くなっていますし、3歳時にJRAの芝で勝ったファインドロップみたいなタイプは少なくなりましたね。それでも今後もJRAには参戦していきたいと思っています。
2歳馬が中心の競馬ということは、必然的にケガをするリスクも高くなる。2009 年にはシーズン中のケガで、約3カ月の休養を余儀なくされた。
その年は「久々にリーディングが取れるかな」という勢いだったんですよね。そんななかでのケガでしたから堪えました。あれ以降、少し体が硬くなったように感じているので、毎日のストレッチは入念にやっていますよ。とにかく今は大きなケガをしないようにすることが大事ですから。
その大ケガの影響で、2008 年に続いてスーパージョッキーズトライアル(SJT)に出場できる可能性もついえてしまった。
シーズンが始まるとき、まず目標にするのはSJTの出場資格を得るということ。ほかの競馬場で乗るのは楽しいですし、そのなかでもSJT は本当に出たいと思える舞台。もちろん出場するのも勝ち抜くのも大変ということはわかっていますが、なんとか......とはいつも思っているんです。
宮崎騎手の勝負強さなら、その目標も手が届かないわけではないといえそう。実際、2009 年から3 年連続で連対率が1 位。2011年は勝率でも1位となっている。
「勝たせる」という前提で頼まれる馬も多いですからね。そういった馬でレースに臨むとき、僕は「この馬は強い」と信頼して乗るんです。あとは馬の邪魔をしないようにと気をつけながら。自分の馬が強いと思えば気持ちに余裕が出ますからね。それでもある程度の緊張感というかプレッシャーは、常に感じていなければならないとは思っています。
そういったなかでも、快心と思えるレースはたくさんあったことだろう。
強い馬に乗るのも楽しいですが、強い馬を負かすというのも騎手の醍醐味ですよね。カネマサコンコルド(2010 年北海道2 歳優駿1 着)のレースはまさにそれ。あのときは「ひょっとしたら」という思いはありましたが、無欲といえば無欲。この馬の競馬をして3着でも拾えたら最高だなというくらいの気持ちでいたら、勝ちましたものね。しぶといタイプなので道中はインコースでじっとしていたら前が開いてくれて、展開もピタリとはまってくれました。
昨年はピエールタイガーで北海優駿3連覇
数々の重賞タイトルを手にしている宮崎騎手だが、まだ若手にその地位を譲るつもりは全くない。
とにかく強い気持ちを持つことが大切なんですよ。負けが込むと少しヘコむこともありますが、そんな状態では勝てないんです。勝負ごとでいちばん大切なのは、気持ち。それと体調管理ですね。最近は減量が厳しいですが、プロですからしっかりしていかないと。自分の体調がいまひとつだといい結果も出ないんです。馬も同じですよね。体調がいまひとつだと動けない。ですから、どれだけいいコンディションで自分も馬もレースに臨めるのか。調教も普段の生活も、それを第一に考えています。
今年もSJT の舞台を目指して勝ち星を重ねるベテランジョッキー。「ケガなく」というテーマをクリアすれば、そのチャンスはおのずと近づいてくるはずだ。
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宮崎光行(北海道)
1966年11月24日生まれ いて座 AB型
北海道出身 松本隆宏厩舎
初騎乗/1984年9月30日
地方通算成績/10,604戦1,545勝
重賞勝ち鞍/北海道2歳優駿JpnⅢ、道営記念(3回)、
北海優駿(4回)、赤レンガ記念(5回)、王冠賞、
北斗盃、栄冠賞(2回)、瑞穂賞、サンライズカップ(5回)、
華月賞、フロイラインカップなど49勝
服色/胴白・緑元禄、
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※成績は2012年5月21日現在
(オッズパーククラブ Vol.26 (2012年7月~9月)より転載)
今年6月に1500勝を達成。三冠を達成したクラキンコを含む北海優駿2連覇など、今シーズンの道営ホッカイドウ競馬リーディング2位(46勝、8月25日終了時点)。ここ一番の勝負強さでファンや関係者からも絶大な信頼を集めている、ベテラン宮崎光行騎手にお話を伺いました。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。札幌出身ですよね。
宮崎:親が競馬が好きで、札幌競馬場によく見に行きました。両親は競馬関係の仕事というわけではなかったんです。背が小さいからなれるかな、と思って。
斎藤:でも今、そんなに体が小さい感じはしないですが...。
宮崎:中学3年の時は、体重が32キロしかなったんです。その時は、地方も中央もわからずに岩見沢に連れていかれました(笑)。
斎藤:所属は、須藤三千夫厩舎でした。
宮崎:騎手デビューの年(1984年)が、須藤先生の開業1年目で、先生の騎手時代の勝負服をそのまま受け継ぎました。先生には、「取り柄を持て」と言われましたね。ひとつずつやれ、と。スタートに気をつけるように、とよく言われました。2歳戦が多いので、若駒のスタートの出し方、ゲートの中の馬の御し方などを丁寧に教えてくれましたね。
斎藤:思い出に残る馬を教えてください。
宮崎:初めて重賞を勝ったツルギエイカン。
斎藤:平成元年の赤レンガ記念ですね。その年の第1回ブリーダーズゴールドカップでも3着でした。
宮崎:その時でデビュー6年目だけど、それまでは全然馬に乗せてくれなかったよ。それを勝ってから、大きいレースにも乗せてくれるようになった。そこからだね。
宮崎:それと、中央の芝で勝った、クラキングレディ(2005年8月13日、札幌12R)。芝で合いそうだね、って須藤先生とずっと言っていた馬で......。(その年の5月に)先生が亡くなった後に勝ったから。それは......ぐっときたね。芝で勝ちたかったから。先生は、厳しくて、きつい言い方もするから、喧嘩もしたし、ぶつかったりもした。でも、走る馬に乗せてくれた。
斎藤:須藤先生が、どんな時でも宮崎さんを乗せていた、という話はよく聞きました。今は松本隆宏厩舎所属ですね。松本さんも名騎手でした。
宮崎:先生が松本さんを乗せていたから、良く見ていた。簡単に乗ってぱぱっと勝つし、騎乗スタイルがきれいだよね。
斎藤:中央競馬でも10勝しています。私は1998年、チェックメイトに騎乗して単勝2万円台の穴を空けたときのことが印象に残っています。
宮崎:チェックメイトはあのあとエンジンかかって、重賞勝つまでになったからね。きっかけになってくれたのかもしれないね。どちらにしろ、強い馬に乗らないと勝てないから。
JRAで勝つというのはすごく大変。だからこそ、その中で勝つという醍醐味もある。初芝が多いので、一発勝負になるから、その中でも、できるだけいい結果を出せるように考えている。最初は芝に戸惑ったけど、今は何回も乗っているから、飛びや気性でその馬が芝に合うかどうかはだいたいわかる。適性は、ダートを走っててもわかるよ。まぁ、走ってみないとなんともいえないけど。
斎藤:今年まで、北海優駿を3連覇していますね(アラベスクシーズ、クラキンコ、ピエールタイガー)。このレースに思いはありますか?
宮崎:重賞はどんなレースでも勝てるのは名誉なことだから、どのレースが、ということは特にない。勝ちたいレース? ほとんど勝ってるからなぁ。そういえば、牝馬重賞を勝っていないな。今後は古馬の交流重賞で勝ちたいね!
斎藤:ブリーダーズゴールドカップのクラキンコは、地方馬最先着の6着でした。
宮崎:差があるよね...。馬も調子が悪かったからね。三冠の時に比べたら元気もなかった。でも、牝馬にしてはすごい馬だよね。
斎藤:クラキンコをはじめ、今までも大きなレースで乗替ることが多いですね。それでも乗りこなしていて...心臓に毛が生えているのではないですか?
宮崎:プレッシャーを感じないことはないですよ。もう28年乗ってるんで......スタッフの期待に応えるだけ。馬の能力と、厩舎スタッフが作り上げてきていることを信頼して、それを邪魔しないように乗るだけです。ゲート出てからは、もう馬のことを考えるだけですからね。
斎藤:では、趣味を教えてください。
宮崎:趣味はゴルフですね。騎手では、山口さんと行ったりします。
斎藤:自宅は札幌ですよね。札幌競馬場でレースがある時は、パドックから「パパ頑張って」と声がかかっていましたね(笑)。
宮崎:そうだったかな?(笑) 松本厩舎になってからは、全休の日もあるので、月に1~2回は家族に会いに行きます。娘が2人います。須藤先生の時は休みがなかったからなぁ。
斎藤:冬は遠征しないのですか?
宮崎:減量がきついので......。松本厩舎の馴致をしています。
斎藤:門別競馬場の印象はいかがですか?
宮崎:小細工がきかないから、強い馬に乗れば、乗りやすいよね。ただ、ペースが遅くて、ヨーイドンの直線競馬が多くなってしまう。雨降ると時計が変わるしね。霧の中で乗るのは大丈夫だけど、前で事故があったらわからないから危ないよね。後ろから行こうとすると、逃げ馬がどこにいるか見えないから、距離やタイミングがつかみにくいところはある。
斎藤:これからの目標を教えてください。
宮崎:あと何年乗れるかわからないからなぁ。
斎藤:何言ってるんですか、今もバリバリじゃないですか。
宮崎:若い頃よりは、衰えを感じるよ。気持ちはあるんだけど、昔ほど体がついていかない。2年前、足首を怪我したからね。去年も入院したし、門別になってから夏はいいことがないんだよな。
斎藤:(インタビューは騎乗停止になったすぐ後)......それも今年で最後でしょう! 今後の活躍を期待しています。ファンに一言お願いします。
宮崎:広い競馬場とナイター競馬を楽しんでほしいです。これからは2歳戦でスターホースが出てくるから、それを見つけてください。
思い切りのいい騎乗ぶりを見ていると、豪快な方なのかと思っていましたが、落ち着いた雰囲気はさすがベテランだと感じました。馬と人を信じてきた積み重ねが、結果に現れているんですね。これからも「あっ」と驚かせるような騎乗が楽しみです。
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※インタビュー / 斎藤友香
赤見:北海道所属の五十嵐冬樹騎手にお話伺って行きます。よろしくお願いします。
五十嵐騎手といえば、引退しました【コスモバルク】が印象深いですが、五十嵐騎手にとってはどんな存在ですか?
五十嵐:そうですねぇ、やっぱり僕の騎手人生の中で、中央の舞台で数多くのGIを経験させてくれた馬ですし、また海外のGIの舞台を教えてくれた馬ですから、一生忘れることの出来ない馬ですね。
赤見:まず、出会った時の印象をお聞きしたいです。
五十嵐:初めは【コスモバルク】自体、道営競馬デビューの時からは騎乗していなかったんですけど、強い馬だなと思ってました。
自分が騎乗する機会はないと思ってたんで、強いな~くらいの気持ちで見てたんですが、中央挑戦する時から騎乗依頼をいただいて、初めて跨ったのが返し馬の時だったので、その時すごく背中のいい馬だなって感じて、芝も合いそうだなって感じて、500万クラスの特別戦だったんですけど、この感じなら勝てるんじゃないかな...ってゆうのが最初の印象でしたね。
赤見:そして、一緒に重賞も勝って、クラシックも走って、あの時は競馬も盛り上がりましたし、五十嵐騎手にとっても大きかったんじゃないですか?
五十嵐:そうですね。 本当に色んな面で勉強させていただきましたね。
赤見:そしてシンガポール!あのレースも大きかったですよね。 国際GIを勝った時のお気持ちは?
五十嵐:やはり、僕も騎手になった以上、世界の舞台で...というのは夢の一つでしたし、また、【コスモバルク】に日本でなかなかGIを勝たせてあげられなかった。 その分、なんとかシンガポールで恩返しすることが出来たんでね。 あの時に、オーナーの岡田さんからも言葉いただいて、初めて自分がやって来たことが報われたかなって気持ちになりました。
赤見:そして、引退ということになりましたけれども、その事を聞いた時はどんな気持ちでしたか?
五十嵐:数多くのレースを経験して来て、年齢的にも成績的にもかなりのところまで来てたんでね、ボチボチ引退って話も聞こえたり聞こえなかったりしてた中で、牧場で功労馬として繋養することになったんでね、もうお疲れさまという感じで、ゆっくり休んで欲しいなという思いですね。
赤見:引退後、功労馬という形になったのはどうですか?
五十嵐:近くに牧場もありますし、時々会いにも行きますし、また会った時に昔のこと思い出したりすることも出来るんでね、本当にゆっくり休んで欲しいですね。
赤見:そうですよね。 そして今年は【ラブミーチャン】にも騎乗しましたけれども、この馬もまた地方競馬にとって大きな存在ですよね。 騎乗してみてどんな印象でしたか?
五十嵐:【ラブミーチャン】に関しては、北海道に入厩してからずっと調教から乗せてもらってるんですけど、まだまだ完成してない所もありますので、これから身体もしっかり出来ていけば、もっと活躍出来る馬だと僕は思っています。
赤見:具体的に、どの辺りが成長して欲しいですか?
五十嵐:腰の辺りが、まだ力がついてない馬なので、成長とともにその辺がしっかりしてくれれば、もっとスピードも生きてくるでしょうし、レースも楽になってくると思うんで、その辺がしっかりしてくれば、もっともっといい結果が出せると思います。
赤見:今の段階でこれだけ走るのはすごいですね。
五十嵐:そうですね。 潜在能力は高いものがあると思いますね。
赤見:そして、五十嵐騎手自身のお話もお聞きしたいんですけど、まず騎手を目指したきっかけは?
五十嵐:幼少期にばんえい競馬を父親とちょこちょこ見に行ってたんですけど、それで小さい頃から馬を見てたんです。 それで、中学生になってから競馬中継で初めて騎乗してる競馬っていうのを見て、これ自分もやりたいなって、ピンとくるものがあって、自分で騎手試験を受けようって決めました。
赤見:実際デビューして、お若い時から大活躍して来て、振り返ってみてここまでの自分に点数をつけるとしたら何点ですか?
五十嵐:いやいや、本当にまだまだで。5,60点くらいです。 まだ足していかなきゃいけないところもありますし。
赤見:いえいえ。 今年のオフシーズンには、南関東で騎乗予定ですよね?
五十嵐:初めての南関東での短期騎乗になるんですけど、出来る限りの成長を挙げてきたいと思っています。
赤見:普段の年のオフシーズンはどんな風に過ごしてるんですか?
五十嵐:主に2歳馬の調教をしてますね。 鞍付けから始めて、跨って、すべて自分たちでやってますんで、ある意味、競馬に関して一番大事な時期かもしれないですね。
赤見:トップジョッキーも鞍付けなどの調教からつけるんですね。
五十嵐:まぁ北海道はね、そういう流れのところなので、デビューしてからずっとやってますね。
赤見:それでは、今後に向けて豊富を聞かせて下さい。
五十嵐:これからも、また【コスモバルク】やいい馬たちに巡り会えるように、努力を惜しまず、頑張って行きたいと思います!
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※インタビュー / 赤見千尋
長い間在籍していた宇都宮競馬からホッカイドウ競馬に移り、第一線で活躍を続けている山口竜一騎手。30年近くに及ぶ騎手生活、そしてこの先の夢についても聞かせていただいた。
山口騎手が競馬の世界に入ったきっかけは、叔父のひとことだった。
■馬主をしていた叔父に、体が小さいし騎手にならないかと言われたんです。それで中2の夏休みに宇都宮の調教師を紹介されて、厩舎体験をしました。最初は2〜3日の予定だったのですが、そのままずるずると......。でも、そのときは騎手という仕事をあまり理解していませんでした。それでも最初に馬に乗ったとき、面白いなと思いましたね。馬乗りは順調に上達して、半月くらいで攻め馬に乗れるようになりました。
その後は順調に地方競馬教養センターを卒業。1981(昭和56)年4月25日にデビューを果たした。
■最初のレースは、わりと冷静に乗れたと思います(3着)。自分の頭のなかでペース判断もできたかなと。それから勝ち星が増えてきて、周りのマークがきつくなると勝てなくなって。どうにかしようと競馬に集中すると、逆に悪循環に......。そんなときに助けてくれたのが厩舎のみなさん。負けたときでも師匠は「乗り役が走っているわけじゃない」と言って、敗因を騎手に求めなかったんです。そういうふうに言われると、もっと頑張ろうという気になりますよね。スタッフも馬をしっかり仕上げてくれましたし、感謝しています。
その後も着々と勝利を重ねたが、05年3月14日限りで宇都宮競馬は廃止となってしまった。
■ラストの日の翌日以降は、スケジュールが真っ白(笑)。実は1〜2年くらい休もうと思っていたんですよ。でも、いざ何もしないでブラブラしていると、体がうずくんです。気を紛らわせようと飲みにいっても"大変でしたね"などと心配されて気が滅入るし。かといって家にずっといれば、なんだか気まずくて。休みはじめて1カ月くらいで、もうダメだと思いましたね。
そうした心境の変化が、騎手という道を再び思い起こさせた。
■廃止の前後には"こっちに移籍しないか"という誘いもありましたが、どうもピンとこなくて断っていました。そのあと、そういう風に気持ちが変わってきたとき、全然知らない土地である北海道に行こうと思いついたんです。北海道にはいい馬が集まりますし、JRAに遠征する機会も多いですから。それで、宇都宮に遠征に来たときに電話番号を聞いていたホッカイドウ競馬の齊藤正弘騎手に相談したら、"だいじょうぶだいじょうぶ。調教師も紹介するよ"と、あっさり。
そういう経緯で北海道への移住が決定。以来、単身での生活が始まった。
■それまで家事をしたことがなかったから、最初は手際が悪くって。でも今は料理の腕も上がりましたよ。よく作るのは親子丼とかカツ丼とか。カツは買うんですけど(笑)。
ナイターだと夜10時頃まで仕事で、翌日は午前2時半起き。体が覚醒していますから、すぐに眠ることもできなくて、晩酌をついついしてしまいます。そんな生活ですが、体には気をつけていますよ。疲れて食欲がないときでも、食事はきちんと摂るようにして。それから気分転換。北海道に来て、しばらく休んでいたゴルフを再開しました。コースに出て思いっきり打ってきますよ。
そうした北海道での奮闘のなかで、活躍馬、ジンクライシスとの出会いがあった。
■初めて乗ったとき、一瞬で鳥肌が立ちました。何十年も馬に乗っている人間がですよ。それくらいびっくりしちゃって。走らせてみると、横ブレもないし、スピードの乗りも違うし。そんな馬に乗れたことがうれしくてねえ。これでいつ引退してもいいや、そう思えるくらいの感動がありました。
ジンクライシスとのコンビで、JRAのエルムステークスでは2着に入った。
■JRAの舞台はワクワクしました。普段の札幌競馬場とは景色も違って見えて。レースではペースを守ってロスなく走らせることに専念しました。レベルの高いレースを肌で感じることができたのは財産ですね。
その後、06年には、インパーフェクトでJRA初勝利を飾り、ディラクエでは07年の北海道2歳優駿を制した。
■インパーフェクトは乗り味がなめらかで、芝適性とはこういうものかと教えてもらいました。ディラクエは入厩当初、全然仕上がっていなかったのが、能力検査を受けて走り方が一変。こんな馬はそういないと思えるくらいの変わりようでした。毎年、ゲート練習などで100頭くらいの2歳馬に乗っていると思うんですが、正直言って、シーズンの開始前にはどれがトップになるかなんてわからないものですよ。だからこそ、面白いんですけどね。
そうした優駿の卵たちとの出会い。宇都宮競馬の廃止時に消えかけた闘志はよみがえり、さらに前へと進んでいく。
■今度のオフシーズンは、シンガポールの短期免許に申し込もうと思っています。たとえ騎乗数が少なくても、そこで少しでも吸収できれば、と思って。今はなんだか、欲が欲を生んでいるような感じですね。
周りのみなさんは2千勝もしてすごいとか言ってくださいますが、自分としては騎手として成功したとは思っていません。満足感は数字では得られないもの。たとえ負けても、納得できるレースができたかどうかですから。これからも"最高の騎乗だった"と思えるレースを増やしていきたいと思っています。パーフェクトな騎乗をしたレースは、ビデオをみて自画自賛しますよ。『すげえな、この騎手』って(笑)。
「でも、勝つということは何千回やってもうれしいものですよ」とも。その心は向上心への原動力でもある。まだまだやめられないですね、と問いかけると、ニヤリと笑みを返してくれた。山口騎手はグランシャリオのアーティスト。円熟の魂がこもった騎乗に注目をしていきたい。
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山口竜一(ホッカイドウ)
やまぐちりゅういち
1964年1月26日生 みずがめ座 A型
栃木県出身 桧森邦夫厩舎
初騎乗/1981年4月25日
地方通算成績/17,893戦2,649勝
重賞勝ち鞍/エーデルワイス賞JpnⅢ2回、北海道2歳優駿JpnⅢ、北斗盃2回、王冠賞、南部駒賞、とちぎ大賞典2回、北関東ダービー2回、とちぎダービー2回など48勝
服色/緑、黄山形一本輪
※成績は2009年5月25日現在
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(オッズパーククラブ Vol.14 (2009年7月~10月)より転載)