ホッカイドウ競馬の新人、石川倭(やまと)騎手(18)。7月16日現在10勝を挙げ、井上幹太騎手とともに新人らしからぬ騎乗で門別競馬を盛り上げています。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。出身は富山市ですね。
石川:親と祖父が競馬好きで、家ではいつも中央競馬を見ていました。子どもの頃からずっと騎手には憧れていて、小学5年の時、将来の夢を書く時に、初めて騎手になりたい、と意識しました。家族に伝えた時は、一時期金沢競馬の厩務員をしていた祖父には一度だけ、危ないから、と反対されました。今は応援してくれています。中学時代はハンドボール部でした。父もしていたし、地元は盛んで強いんです。スキーもするし、体を動かすことは好きです。
斎藤:騎手試験には一発合格でしたね。
石川:中学2年で乗馬を始めましたが、乗馬クラブの馬はそんなに指示出さなくても勝手に動いてくれるので......。教養センターでは、周りは経験者ばかりで、自分はついていくのでせいいっぱいでした。負けず嫌いなので、人の乗り方を見て、いいところを盗んでやってきました。
斎藤:北海道に決めたのはなぜでしょう。
石川:北海道と金沢で悩みましたが、2歳や若い馬が多いことや、乗りならしからはじめられるところで北海道を選びました。また、中央や他地区に挑戦できたらいいなと思っています。
斎藤:所属は、騎手としても1438勝を挙げた米川昇先生の厩舎ですね。勝負服も受け継いでいます。
石川:先生は、教えてもくれますが、基本的には「自分で考えて乗るように」という考えです。勝負服は、先生に「いただきたいので、いいですか?」と聞きました。すると「それでいいのか」と。偉大な騎手ですので、恥じないようにと思っています。先生が騎乗しているレースのビデオを探しているのですが、なかなか見つからないんです(笑)。
普段は、先生のほか、齊藤(正弘)調教師や、手伝いに来る川島雅人騎手、松井(伸也)騎手が教えてくれます。五十嵐(冬樹)さんは間近で乗っていると迫力があり、目標にしています。いろんな人のいいところを取り入れたいです。
斎藤:身長は167.5センチありますね。
石川:会うたびに「またでかくなったんじゃないか」と言う方もいますが、伸びずにすんでいます(笑)。手足が長いことを生かした追い方をするようにしています。道営には、齊藤調教師もですが、桑村(真明)さん、阿部(龍)さんとか、背が高くて上手な人がいっぱいいますから参考にしたいです。体重管理のために走るようにしています。厩舎が坂路に近いので、坂路も1本登るんです。
斎藤:初日(4月24日)のことを教えてください。第1レースから、同期の井上幹太騎手が勝ちましたね。
石川:「持ってるな」と思いました。自分は、初日は思ったより緊張しなかったのですが、次の日のパドックから緊張しはじめて。周りをみる余裕ができたのでしょうね。
斎藤:初騎乗(第4レース)は3着、2戦目(第5レース)は、井上幹太騎手の2着でした。
石川:あと200というところで、(井上騎手の馬を)交わせるかな、と思ったのですが、近づくにつれて向こうも伸びていった。ただ、負けたことが悔しくて。特に幹太だから、というのはなかったです。
普段は幹太のことは意識はします。どれだけ数乗っているか、どんな乗り方するか。普段は厩舎が遠いのであまり会えませんが、調整ルームなどでは仲がいいです。
(他場の)同期も、勝ったのを聞くとどんな競馬をしているか気になりますね。笹川(翼、大井)も勝ってるな、って。仲が良かったのは、船橋の木佐貫(泰祐)と、幹太です。
デビュー6戦目、自厩舎のアラマサアルデで初勝利
斎藤:初勝利は5月3日(第4レース)でした。
石川:人気(2番人気)だったのでほっとしました。逃げ馬で、スタートダッシュもよかったです。強い馬がいたので、その馬が来るまでじっとしていよう、と考えていました。人気馬に乗った時、どういう競馬をするかを考えさせられました。これからもチャンスに応えられるようにしたいです。
斎藤:5月22日には、フジノジャガーで特別レースを勝ちました。
石川:ナイターは気持ちか高ぶりますね。わくわくする。緊張して、いろいろと想定しすぎてしまいました。それでも思っていたように位置を取れたし、道中はタイミングを間違えないように、と考えていました。馬が強かったです。返し馬の時にキツネが出てきて、怖かったですけど。
斎藤:2歳馬の騎乗も多いですね。
石川:乗せていただいていますが、乗りこなすのは難しいです。悪いこともすぐ覚えるから、より集中が必要なんです。
斎藤:一番思い出に残るレースは。
石川:負けたレースなのですが、6月18日、フジノジャガーでシセイカイカの2着に負けたレースです。競馬の難しさを感じました。馬の力を全て出し切るのは難しい。状況によって、瞬時に判断できるようになりたいと思いました。レースが終わってからや、調整ルームでビデオを見ていると、騎手の先輩方がみんな「ここがこうだから」と教えてくれます。
斎藤:10勝なので、重賞にも乗れますね。
石川:まだ重賞に乗れるだけの技術には足りないので、自信もって乗れるように努力したいです。乗りたいのは道営記念です。道営馬だけのレースだし、去年見ていて、雰囲気にぐっと来るものがありました。
斎藤:普段の生活を教えてください。
石川:2時半までに起きて、3時から攻め馬、10時までです。一度休んで、午後は厩舎作業です。先生は「手伝いに行ってやれよ」というので、齊藤厩舎や佐久間厩舎、山中厩舎などの手伝いをしています。
斎藤:倭という名前は珍しいですね。パドックでも「ヤマト!」と声がかかっていますね。
石川:ヤマトタケルノミコトからです。小6の弟はたける(傑)で、騎手になりたいと言ってますが、身長がちょっと高いですね。
斎藤:目標と、ファンに一言お願いします。
石川:今年の目標は30勝です。将来的には、リーディングを目指していきたいです。そして、怪我をしないように。ファンの方には、穴を開けられるよう頑張ります。人気にも応えて、穴も開ける。チャンスをもらっているので、生かしたいです。
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インタビュー / 斎藤友香 (写真:斎藤友香、小久保巌義)
ホッカイドウ競馬の新人井上幹太騎手(19)。今シーズン開幕日の第1レースから初騎乗初勝利。この日は4レースに乗って3勝をあげる大活躍。昨年の阿部龍騎手に続く大物新人の登場です。
斎藤:まずは、騎手になったきっかけを教えてください。出身は兵庫県ですね。
井上:中学3年の時に、競馬ファンだった父に連れられて阪神競馬場に行きました。桜花賞の前日だったと思います。その時、騎手を見て、これだ、と決めました。それまでは高校に行こうと思っていたから、親もびっくりしていました。最初は危ないと反対されましたが、そのうち、行け、と言ってくれました。
斎藤:それまで、馬には乗ったことがなかったのですよね。
井上:小学校では野球、中学ではバレーボールをしていました。中学卒業後、千葉県のアニマル・ベジテイション・カレッジで騎手になる勉強をしました。はじめは馬の上が高くて怖かったですが、すぐに慣れました。
その学校では、障害馬術が面白かったです。資格も1級を取りました。ハミ受けとか、基本的な動かし方が今でも役に立っています。3年間コースだったのですが、2年目で騎手試験に受かったので途中で教養センターに行きました。
斎藤:教養センターの同期はレベルが高いと聞きました。
井上:経験者が多かったからかな。みんな仲が良かったです。いつもおもしろおかしくやっていました。辛かったのは、規則正しい生活......早寝早起き(笑)。減量は苦労していないです。
大井の笹川(翼騎手)がいつも1番で、自分はだいたい2番でした。
斎藤:なぜ北海道を選んだのでしょうか。
井上:教養センターの先生に、園田か北海道を薦められました。2歳馬をやってみたかったのと、より中央で乗れるチャンスがあるからと、北海道にしました。
斎藤:昨年度リーディングの原孝明厩舎に決まりました。実習で来た時の感想は。
井上:1日10頭くらい乗せてもらい、馬の力の強さにびっくりしました。当時の(原厩舎の)所属で、(北海道で)9連勝したクロタカ(現JRA)は、かわいくて強い馬でしたね。
勝負服は調教師が決めてくれました。兄弟子の坂下(秀樹)さんも宮平(鷹志)さんも優しく教えてくれます。見ながら学ぶ感じ。道営の騎手はみんな優しいです。
斎藤:そして、いよいよデビューを迎えました。その日のことを教えてください。初騎乗初勝利は兄弟子の坂下騎手以来27年ぶりだそうですね。1レース、4レース、5レースと3勝しました。
井上:3日前、調教を付けていたら「これ(ハンミョウ)でデビュー戦乗るから!」と言われました。普段も、騎乗馬は前夜版(出馬表)を見て始めて知るんです。楽しみですね。怖いということはないです。いっぱい乗れるかなー、って。レース前も、特に緊張はしなかったです。
開幕初日に初騎乗初勝利をあげたハンミョウ
斎藤:前向きですね。ハンミョウは先に行く馬ですが、中団からのスタートでしたね。
井上:やべ!と思いました(笑)。砂かぶると癖を出すと聞いていたので、まずは砂をかぶらないようにと。焦りはしなかったですね。馬を信じて追ったら、差しちゃった。前が止まっているように見えました。この日は両親と祖父母が来ていました。
マキハタテフロンに乗った4レースは、展開が読めました。なので、一番このレースが印象に残っています。
5レースで勝ったキタノダイフクは、実習に来た時から乗っていた、好きな馬なんです。たてがみがきれいだし、手入れしていると、かじってくるんですがそれもめんこい。初めはリーディングジョッキー競走に使うはずだったんですが、先生に「乗りたい馬いるか」と聞かれた時にこの馬の名前を出したら、ここで使ってくれたんです。
斎藤:すごい活躍ですよね。これまで、11勝(6月13日現在)です。
井上:取りこぼしもあるので、3、4勝は損しています。最近は、自分の流れがつかめていない。もまれてきているのを感じます。まずは、トレーニングして壁を壊そうかなと。ビデオで勝つ馬を見て、どうやって勝ったか、自分とは何が違うかを研究しています。まだ、今は馬に調教されている感じ。ハミを取るところなど、特にオープン馬が教えてくれます。
斎藤:乗りたいレースはありますか。
井上:北海道スプリントカップですかね。中央との交流に乗りたいです。乗りたい馬は、うちの厩舎のアウヤンテプイですね。かしこいんです。ハミかけたら、ガーン、と行くんです。なんだこいつ、と思いました。13日の北海道スプリントカップ(4着)は、ゴール前でセレスハントと並んだ時は本気で応援しました。これからも頑張ってほしいです。
斎藤:では、普段の生活を教えてください。
井上:午前3時から10時まで調教をつけています。厩舎作業はなく、ひたすら乗っています。それから1時まで休んで、4時半くらいまで乗り運動。うちの先生はマシン使わないんです。乗らないとわからないから、乗って確かめる。
仲がいいのは、(新人の石川)倭と、宮平さんですね。倭とは、競馬の話はしないけど、プライベートで買い物に行ったりします。特に意識はしていないです。休みの日はトレーニング。馬場を走るんです。2周くらいしますね。
斎藤:馬場を走るんですか! それは体力がつきそうですね。尊敬している人はいますか。
井上:吉原さん(寛人騎手)です。金沢に所属していながら、どこの競馬場に行っても乗れる。北海道に来たら、原厩舎の馬に乗ることも多いので話すことがあります。追い込みの力強さと、体が柔らかいところを真似したいです。
斎藤:兵庫出身ということですが、関西弁が出ないですね。
井上:出身は県北部の香美町というところで、どちらかというと鳥取なんです。大雪も降りますよ。小学校からスノーボードをしていました。(佐々木)国明さんはスキーをするので、冬に行こうと言われました。
斎藤:佐々木騎手もスキーが上手だそうですよね。では、目標と、ファンに一言。
井上:これからももっと精進して、ひとつでも多く乗って結果を出したいです。中央に乗りに行ければいいな。ファンの方には、「追い込みを見てくれ!」......と言えるように頑張ります。
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※インタビュー / 斎藤友香 (写真:小久保巌義)
昨年は初重賞制覇、今年1月には通算100勝を達成した6年目の黒澤愛斗(まなと)騎手。身長135センチと日本で一番身長が低い騎手は、ここ最近急激に勝ち鞍を伸ばしており今年も注目です。
斎藤:昨年は2歳牝馬の重賞リリーカップをハニーパイで勝ち、初重賞制覇を達成しましたね。
黒澤:宮崎騎手が怪我して、乗り換わりの騎乗でした。ゴール前は外から2頭追い込んできていましたが、我慢して勝つことができました。嬉しかったです。こんな形(乗替り)で重賞を勝てるとは...。次の目標は200勝ですね。
斎藤:100勝は名古屋でしたね。門別で待っていたのに(笑)。
黒澤:門別で...とは思っていたんですが。名古屋では、同期の2人(友森翔太郎騎手、阪野学騎手)がプラカードを持ってくれました。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。
黒澤:出身は茨城県です。家は全く競馬とは縁がないのですが、高校時代の先生に騎手になることを勧められてから、競馬を見るようになりました。中高と野球部で、体を動かすのが好きだったんです。監督が競馬が大好きだったのと、友達にも勧められて。高校を卒業してから1年間、千葉の乗馬クラブで乗馬を学んでから騎手試験を受けました。乗馬クラブでは、JRAの小野寺祐太騎手も一緒だったんです。親は好きにやらせてくれました。すぐやめるんじゃないかと思ったみたいです(笑)。
乗馬クラブではじめて馬を見て、「でかい!」って。乗ってみたら高くてびっくりしました。最初はやってけねーな、と思いましたが根が負けず嫌いなんです。それから教養センターでもみっちりとやりました。19歳で入ったので同期では自分が一番年上でしたが、敬語もなく、みんな仲が良かったですよ。
斎藤:2008年、デビューは札幌競馬場でした。初日から4鞍に騎乗していましたね。
黒澤:デビュー戦はレース前に急に緊張してきて、ゴーグルはしていましたが、板メガネを忘れたんです。レース中に「痛い!」と思って、馬降りてから「してねーじゃん」って(笑)
初勝利は1カ月後の旭川でした。同期がみんな勝っていたので、プレッシャーがありました。レースは小国さんと競り合って、ハナ差だったので勝ったか負けたかわからなかったんです。戻ってきてから、(恵多谷)先生に勝ったと教えてもらいました。うれしかったですね。
斎藤:同期はレベルが高いですものね。次の年明けには、高知の全日本新人王争覇戦で優勝しました。
黒澤:1月のこの時期は攻め馬もしていないし、普段は鐙も長くして乗っていたんです。レースはゲートで遅れたんですが、ペースが速くて前が止まっていたのがわかったんです。ゴール前びゅん、と差して「あっ、勝った」って。高知では1鞍しか乗っていないのに、次の日筋肉痛になりました(笑)。
同期では、川島(正太郎・船橋)とセンターの部屋が一緒でした。仲がいいのは名古屋の2人、友森と阪野です。大柿(一真・兵庫)は、(重賞勝ちの後、競馬場での)プロポーズの前に僕が乗っていたことのある馬について電話してきたのに、結婚の話はしなかったんですよ(笑)。
斎藤:今シーズンの冬は名古屋に2カ月間遠征しましたね。
黒澤:あちこちで乗りたいと思っているんです。いろいろな騎手がいるから、どういう競馬をするかを見たい。名古屋の2人からも、レベルが高いと聞いていたので、勉強になると思って行きました。位置取りが厳しく、黙っていたらいい位置を取られます。仕掛けどころも最初はわかりませんでした。小回りコースのいい勉強になりました。
斎藤:茨城出身ですが、北海道を選んだのは、冬の間の馴致をしたいからと聞いたと事があります。冬期間休みに入るホッカイドウ競馬では、その間今年デビューの2歳馬を育てていますが、忙しいし怪我も多く、大変だと聞きます。
黒澤:馬を一から(育てるところから)やりたかったんです。野生馬を馴致するようなものですから、2歳は大変です。2年目からだいぶ慣れてきました。今年は名古屋から戻ってきたら馴致は終わっていて、今は馬場での調教が始まっています。
斎藤:さて、一昨年33勝、昨年29勝と、ここ最近勝ち鞍が急激に増えましたね。
黒澤:乗鞍が増えたからですね。恵多谷先生が「ほかの厩舎手伝いに行け」と行ってくれるんです。やさしい先生です。
骨折もないですね。運がいいのかも。
また、2年前に結婚したことで、「稼がないと」って(笑)。頑張らないといけない、という気持ちが強くなりました。
斎藤:では、今は休みの日は家族サービスでしょうか。趣味は何でしょうか。
黒澤:家族で出かけたりもしますが、ゲームが好きです。特に「モンスターハンター」で、(阿部)龍も好きで、一緒にやりますよ。
斎藤:体が小さいということで、有利になることはありますか?
黒澤:ないですね。腕も短いし、不利なことが多いですが、それを埋めるために、レースでは馬を気持ちよく走らせることを大事にしています。
センターでは木馬に乗ったり器具を使ったり、ひたすら筋トレをしました。体が小さいから、誰より筋力をつけたいと思っています。背筋は160キロくらいありますが、騎手は馬に乗っていると背筋がつくんですよ。大事なのはバランスよく筋肉をつけることです。これからはもっと下半身に筋肉をつけて体重を増やしたいです。
今の体重は38キロ。食べても太らないんです。鉛は、特注のゼッケンにつけているんです。鉛だけで17~18キロになりますね。札幌は検量所から装鞍所までがとても遠かったので、手押し車に乗せて歩いていました。門別も、装鞍までは階段を登っていくから結構大変なんです。名古屋はすぐ後ろだったんですが。
斎藤:黒澤さんの筋肉はすごそうですね。パドックで軽々と飛び乗りしているのもすごい。
黒澤:センターでは1人で飛び乗りができないといけないんで。でも、意外と最初からすぐできたんです。
斎藤:先行と追い込みではどちらが好きですか。
黒澤:はじめは逃げ、先行が好きでしたが、最近は差しが好きになりました。オンワードリーベという馬に乗ってからです。門別は広いし直線が長く、差しが決まるからおもしろい。
いつも、スタンドから見ると、ナイター競馬はとてもきれいなんじゃないかと思っているんです。一度客として見てみたいですね。乗っていてもスタンドはきれいに見えますよ。コースは、旭川は暗かったですが、門別はとても明るいんです。
JRAでは一昨年初めて乗りました。芝は、クッションがきいていて、じゅうたんの上を走っているような、不思議な感じでした。中央で活躍している人が隣にいて、新鮮でしたね。
斎藤:目標の騎手を教えてください。
黒澤:五十嵐騎手ですね。リーディングを獲るだけではなく、ずっとそれを保つというのはすごいことです。
山口さんには、オレンジ帽の時から優しく教えてくれました。馬乗りもうまいし。
斎藤:黒澤さんを見ていつも思うのは、ハンディをハンディと思わないところが素晴らしいです。
黒澤:負けず嫌いなんですね。特に、ハンディがあるとは思っていないです。そこは、自分で補っていけたらと。小さい体で頑張っていますので、門別に来てください。
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※インタビュー / 斎藤友香
昨年52勝を挙げ、日本プロスポーツ大賞新人賞とNARグランプリ優秀新人騎手賞を受賞したホッカイドウ競馬のスーパールーキー、阿部龍騎手。周りからも「あいつのセンスはずば抜けている」という声を聞きます。
斎藤:NARグランプリで東京に行きましたね。サイン攻めだったんじゃないですか。
阿部:場違いでした...。ほとんどサインは求められなかったですよ。戸崎さんには、壇上でおめでとう、と言われました。馬主さんに「タキシード着たら」と言われていたのですが、冗談だと思ってスーツで行ったんですが、本気だったみたいで。(52勝できたのは)乗せてもらえたからです。(角川)先生も、乗せないと勉強にならないから、と馬主さんにも言ってくれるんです。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。出身は、宮城県南三陸町ですね。
阿部:背が小さかったからか、子どものころから父親に「騎手になれ」ってよく言われていましたが、冗談だと思っていたんです。小学校の時に、文集に将来の夢を「騎手」って書いてたそうなんですが、それも全く覚えていないんです。
斎藤:今は背は高いですよね? 何かスポーツはしていましたか。
阿部:中1で138、中2で142、中3で160になったんです。今は169センチで止まっています。減量は大丈夫。普通に食べています。
小学校の時に野球をしていたんですが、大腿骨を折る怪我をしてリハビリを続けていました。それから野球はやめたんです。運動というか、外で遊ぶのは好きでしたね。進路を考える時期になって騎手をすすめられましたが、JRAの試験は終わっていたので、地方もあると聞いて受けました。それまで馬には乗ったことがなかったんです。試験の前に馬に乗りに行ってみたのですが、高くて落ちそうになりました。こんなんでいいのか?と思いましたが、同期の騎手は乗馬の未経験者が多いんです。入学当時は経験者と未経験者は半々くらいでしたが。センターでは先生が、体形の似た外国人騎手の映像を見せてくれました。同じく背が高い、園田に行った鴨宮(祥行騎手)と一緒に見ていました。
斎藤:2010年に教養センターに入り、2011年3月に東日本大震災がありました。
阿部:センターのある場所が原発の影響で避難指示が出て、みんな実家に帰ったのですが、僕は実家と5日間連絡がとれなくて。家族が無事であることは、同期の家族がインターネットで調べていてくれてわかったのですが...。自宅は、家は残っているんですが、津波が浸水してもう住めない状態なんです。家族は秋田に避難しています。正月に帰りましたが、何も変わっていない。家もやっと取り壊しがはじまるそうです。2年も過ぎたのに、なんでかな、と思います。
センターの先生と相談して行き先を北海道に決め、前年の12月には角川厩舎に行くことが決まっていたので、震災後は門別競馬場に行くことにしました。馬場で乗るには許可証がいるんですが、もう調教師が用意していてくれたんです。ちょうど2歳が能検を前に乗り込んでいる時期。競馬場のおとなしい馬ばかりに乗っていたのに、はじめて若馬に乗りました。厩舎作業なども、厩務員さんに教えてもらいながらすすめて、やっと1週間すぎから要領がわかってきた。2週間でしたが勉強になりました。戻って学校で乗ったらすごく楽。その年の8月に再度実習でしたが、流れがわかっていたのでスムーズでした。道営は、騎手がみんなフレンドリーですね。
同期も、一旦実家に戻った後に所属競馬場に行ったんです。それまでは全体的にまとまりがなかったり、怒られてばかりでしたが、良くなりましたね。教官にも「変わったな」と言われました。
斎藤:そして昨年4月25日の開幕日にデビュー、次の日に初勝利でした。
阿部:初騎乗は、次のレースの準備が忙しいこともあって緊張はしなかったんですが、あっという間に終わりました。初勝利は、田中淳司先生に「気楽に乗ってこい」と言われたのがよかったです。ただ、オッズを見たら単勝1.5倍なんです(最終オッズは2.1倍)。(その時は)マジかー、って(笑)
斎藤:8月のリリーCで重賞初騎乗。エーデルワイス賞では2着、JRAでも騎乗しました。
阿部:重賞に乗ることは、前日に前夜版(出走表)を見て知ったんです。装鞍行って、ゼッケン見ると色が違うじゃないですか。名前入ってるし。テンションあがって、ブーツきれいにしてみたり(笑)。緊張はしないですね、むしろ楽しいです。
エーデルワイス賞は、この時は(馬場の)内が重かったので、ゴール前は真ん中に馬が集中していたんです。でも、それまで乗ってみて、内はそこまで重くないと思ったので、開いた内を行きました。
(JRAの)札幌競馬場は、人いっぺーいるわ...って。別世界です。ごつごつして、草原の中走っているみたいでしたね。楽しかった。映像で見ていた場所だし。
斎藤:騎乗で大事にしていることはありますか。
阿部:前の着順よりは上位に、ということは考えていました。大事にしているのは、馬に合わせること。初めて乗る馬は、もちろん今まで乗った人に話を聞いたりはしますが、返し馬で乗ってみないと実際わからない。その感覚と、聞いた話を照らし合わせます。周りには、「考えて乗れ」とよく言われています。
斎藤:勝負服はどのようにして決めましたか。
阿部:厩舎カラーの青とピンクを入れて、兄弟子(桑村騎手)から星をもらって、と、調教師がほとんど決めてくれました。
斎藤:桑村騎手とフォームが似ているように見えますね。桑村騎手は、体形が似ているからだと話していました。
阿部:初めて競馬場に行った時に、(桑村騎手の)真似をしました。実習の時もですね。それから吉田稔さんが門別に来て、かっこいいな、と思ったので真似しました。背格好は違うけれど、きれいな乗り方なので。また、自分のとレースを見比べて、稔さんとここが違うな、とチェックしたり、稔さんならどうの乗るかな、とイメージしたりするんです。形から入るタイプなんです。かっこいいな、と思った人や、レースによって、その場でいいな、と思ったら真似しますね。五十嵐さんや服部さんは逃げがうまいから、この逃げ方がいいな、と思ったら真似するし。
違う競馬場のレースが流れているときは見ますよ。御神本さんは背中がまっすぐだし、乗り方もきれい。戸崎さんが、「自分は人より追えないから馬に気持ちよく走らせる。無駄な力を使わない」と言っていたのを何かで読んで、それも参考にしています。
角川先生はうまいですね。先生が乗ったあとの馬は、乗りやすいんです。一緒に乗って、毎日見ているけど、先生はなかなか真似できないんです。
斎藤:今は2歳の馴致の時期ですね。大変ではないですか。
阿部:2歳は、自分のいいようにカスタマイズできる。大変ではないですよ。おとなしい馬が多いし。暴れる馬は、理由があるからやっているんです。ふざけているなら怒らないといけないし、かんしゃくなら理由を取り除いてやる。今年の角川厩舎の2歳も、期待馬が多いですよ。
斎藤:普段はどのようなことをしていますか? 趣味はなんでしょう。
阿部:ゲームが好きですが、今はまず、車の免許ですね。食べ物は、子どものころからビーフジャーキーが好きなんです。子どもの頃からイカソーメンとか食べてて。
斎藤:渋い!(笑)。では、今年の目標を教えてください。
阿部:怪我をしないこと、感謝の気持ちを忘れないこと、ひとつひとつ全力で乗ること、の3つですね。馬に乗ってからは怪我はしていませんが、子どものころ大けがをしてリハビリの大変さはわかっているんで、まずは怪我に気をつけたいです。
斎藤:具体的な数字とかはないのですね? 重賞制覇とか。
阿部:数字は、後々ついてくると思っています。
斎藤:最後に、ファンに一言お願いします。
阿部:何か面白いこと言った方いいですか。
斎藤:(笑)ノリいいんですね。
阿部:園田の鴨宮と仲がいいので、関西のノリが移ったんです。あいつは「やぁっ!」って切るまねをすると、ちゃんと倒れてくれます(笑)
そうですね...。自分は楽しいのが一番だと思っています。だから、ファンの方にも、競馬場に来て楽しんでほしいです。
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※インタビュー / 斎藤友香 (写真:斎藤友香、小久保巌義)
若手騎手の台頭が目立つホッカイドウ競馬の中でも、ここ数年リーディング上位に入る活躍をみせている桑村真明騎手。今年8年目の25歳で、435勝をあげています(10月27日現在)。10月25日には、エーデルワイス賞をハニーパイで制しました。
斎藤:エーデルワイス賞、おめでとうございます。前回は先行しましたが、今回は好位につけて抜け出しましたね。
桑村:ありがとうございます。流れが速かったので、そのまま流れに乗っていきました。もともと臆病なところがある馬ですが、今回は周りにも動じず、折り合いを取ることができました。状態も良かったのもあるのでしょう。
斎藤:では、騎手になったきっかけを教えてください。
桑村:出身は東京の神田です。父親が競馬ファンで、小学生のころから競馬中継を見ていて、中学の時に騎手になりたいと思いました。中学3年の時にJRAの試験を受けたのですが、落ちてしまって。北海道の大地に憧れたこともあって、高校1年の時に、競走馬の牧場にアルバイトに行きました。牧場に片っ端から電話して、競走馬のふるさと案内所に紹介してもらった牧場を経営していたのが、中村光春調教師の息子さんだったんです。「地方はどうだ」と聞かれて地方競馬のことを知り、翌年教養センターに入所しました。しんどかったですね。仲がいいのは高橋悠里(岩手)です。一昨年南関東に行った時には、町田直希(川崎)とよく遊びました。
斎藤:そして中村光春厩舎からデビュー。中村先生がその年に定年を迎え、清水日出夫厩舎に移籍しましたが、翌年清水先生が他界されて、角川厩舎へ。
桑村:勝負服はナイターでも目立つようにと考えました。
最初は生活が慣れなくて。朝早いのが辛かったです。仕事は多いし。
光春厩舎時代の兄弟子は服部さんで、今でも目標です。また、騎手時代に光春厩舎に所属していた角川先生の話をよく聞かされていました。「調教がうまい」と。
斎藤:角川厩舎に所属した3年目から、リーディング8位と成績が伸びましたね。
桑村:いい馬に乗せてもらっているからです。よく角川先生に言われるのは、「スタートが大事」「人間の気持ちが馬に伝わる」ということ。先生は、2歳の馴致でも、他の人がやっても動かせない馬を動かすし、おとなしくなり、折り合いもつく。
斎藤:角川厩舎の2歳の活躍の理由がみえた気がします。冬の馴致は大変ではないですか。
桑村:先生も一番大事にしているので、辛いけど頑張ります。ここでしっかりやらないと、翌年走らないので。
斎藤:活躍していた2歳が道営離れたら寂しくないですか?
桑村:「勝ってるな~」って。離れれば気にしないんです。
斎藤:今年は春に怪我をされましたね。
桑村:調教中、ひっくり返って馬の下敷きになり、耳の骨を折りました。1年目の冬に骨折したくらいで、あまり大きなケガはないですね。休んでいた時に阿部騎手がかなり乗れていたので、負けてられないな、と思いました。
斎藤:弟弟子(阿部龍騎手)の活躍もすばらしいですね。
桑村:兄弟子っぽいことはしていないですよ。ものすごく刺激になっています。自分はせわしない乗り方をしますが、龍は落ち着いてるんです。
斎藤:勝負服もですが、乗り方が似ているように見えます。
桑村:勝負服は調教師と決めたみたいなので、僕のとは関係ないんじゃないですか(笑)。背格好が似てるんです。僕の身長は167cmありますが、今は減量は楽です。3~4年前は辛かったんですが、その時期を通り過ぎました。
斎藤:思い出に残る馬は。
桑村:やはり、イナズマアマリリスですね(2008年9月20日、JRA札幌2歳500万下を最低人気で勝利)。正直、期待はしていなかったです。この直後から、中央に行くと乗せてもらう馬が増えました。気は悪くて......。
桑村:それと、ビッグバン(2009年ブリーダーズゴールドジュニアカップなど)。とても素直な馬で、調教も思った通りに動くんです。道営に戻ってきましたが、以前のような活躍ができず、ちょっと残念ですね。
ストーミングスター(イノセントカップ勝利)は器用な馬なので、これから走ってきそう。そしてハニーパイですね。
斎藤:新しく競馬場にできた坂路馬場の成果は出ていますか。
桑村:うちの厩舎はあまり使わないんです。自分が調教をつける中では、佐久間厩舎や齊藤厩舎が使っていますね。追い出しの反応がいいような気がします。乗っている方はゆるやかで、そんなにきつくは思わないんですけど、馬はゼイゼイいってますね。
斎藤:普段の生活を教えてください。
桑村:2時半に起きて、3時に厩舎へ。それから12頭くらい調教をつけて、9時半に終わってあとは競馬やフリー、という生活です。
あまり趣味はないんですよね。たまに札幌に買い物に行くくらい。家では「ミー」という名前のポメラニアンを飼っています。
仲がいいのは(黒澤)愛斗、岩橋さん、(川島)雅人さんですね。ご飯食べに行くくらいですけど。甘いものが好きで、競馬場の近くにある「パサパ」というケーキ屋によく行きます。朝飯ケーキでもOK。一番好きなのはイチゴタルトですね。
自分の性格はネガティブ。周りに言われても気にしないけど、自分で追い詰めるんです。
斎藤:意外な気がしますが、追い詰めて力を出すタイプなのですね。さて、今年も12月3日から約2カ月、南関東(川崎・佐々木仁厩舎)の遠征ですね。
桑村:2年前初めて行きましたが、厳しかったです。流れが全然違う。シビア。大井の内回りはコーナーがきついし、川崎は左だし。門別は調教も右回りだから、左回りには自分が慣れていないんです。門別は広くて乗りやすいし、馬にも優しい馬場です。
なくなっちゃいましたけど、旭川は小さいけど乗りやすくて好きでしたね。町が近くて楽しかった(笑)。残ればよかったな。
斎藤:今後の目標を聞かせてください。
桑村:リーディングとってみたいです。今年は五十嵐さんがすごいですね。五十嵐さんも目標にしています。
ファンの方には、ぜひ2歳戦を見に来てほしいです。
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※インタビュー / 斎藤友香