今年4月に高知競馬からデビューした塚本雄大騎手。話をうかがった9月11日には7勝目を挙げています。デビューしてから現在までの心境をうかがいました。
騎手を目指したのは、お兄さん(船橋・塚本弘隆騎手、2014年5月5日初騎乗)の影響ですか?
兄と僕は騎手を目指したのが一緒くらいだったんです。僕が小学6年のときに、母から「身長が小さいから、騎手っていう職業があるよ」って言われて。母も競馬のことはあまり知らなかったみたいですけど、そのあと自分でいろいろ調べました。中学を卒業して、そのままストレートで合格しました。兄は3歳上ですけど、中学を卒業してから合格するまで1年かかったので、デビューは兄の2年あとです。
実際に、地方競馬教養センターに入ってみてどうでしたか。
今思えば、騎手になる心構えがぜんぜん足りなかったと思います。先生に同じことを何回も怒られました。体重は軽かったので、減量はしなくてもだいじょうぶだったんですけど。ただ、騎手になるという強い気持ちだけはあったので、卒業だけは絶対すると思ってやっていました。
所属する雑賀(正光)調教師はどうですか?
はい。かわいがってもらえるように頑張っています。
普段の生活のスケジュールを教えて下さい。
午前2時20分に起きて、2時半から攻め馬に乗っています。調教は毎日17~18頭くらい乗って、馬の手入れもしています。終わるのは10時から11時くらい。そのあと、最初のご飯ですね。昼寝をして、午後1時半くらいから、また厩舎作業に出てきます。3時半から4時くらいに終わって、夜は、8時から9時くらいには寝ています。
教養センターの修了式のあと、雑賀調教師とそのまま高知に来ましたが、その後は家には帰りましたか?
帰ってません。ここに身を埋める気持ちで来たので。親も、修了式を見に来ただけで、高知には来ていません。ぼくが学校(教養センター)で顔を骨折したときも、来ないって言ってたんですけど、全身麻酔の大手術になるということで、教官が話して母だけ来ました。でも直るのは早かったです。
教養センターを卒業する前に話を聞いた時に、目標は「1日1勝、月に8勝」と言っていましたが、今日(9月11日第2レースを)勝って、7勝目です。
ぜんぜんダメですね(笑)。考えが甘かったです。3キロの減量があればもうちょっと勝てると思っていたんですけど......。初勝利までも2カ月近くかかってしまいました。
初勝利のときのことは覚えてますか?
緊張しないように乗っていたんですけど、外に出せなかったんで、内から行くような競馬になってしまいました。それでも『やっと勝てた!』という気持ちでした。66戦目だったので。騎乗したエンジェルブレスは、その後、夏負けの症状があって、それ以来レースに出ていないんです。次の開催には使えると思うので、力はあると思うし、期待しています。でも、以前に乗っていた松木(大地)さんが金沢(の期間限定騎乗)から帰ってくるので、乗せてもらえるかどうか。
ほかに印象に残る勝利は?
ブイアールヒーローです(7月10日第4レースで勝利)。それほど人気がなかったので(6番人気)、気楽に乗ることができて、5着くらいを目指していたんですけど、気持ちが馬に伝わったのか、ゴーサインを出したらすぐにスッと先頭に立ってくれました。会心のレースでした。下手なレースをしたあとは、このレースの映像を見て思い出すようにしています。
思い入れのある馬は?
デビュー初騎乗のウイニングハートでは、逃げて行き過ぎちゃって......。今思えば、もうちょっと道中我慢させていけば、たぶん勝てたかもしれないなと(3着)。そのあと何回か乗せてもらって、選抜戦でも3着があったので、すぐに勝てると思っていたのですが、勝つことができませんでした。
今の課題は?
勝つことを意識しすぎて、ほかの人のじゃまをしてしまうことがあるので、そうならないようにということを一番考えながら乗っています。レースでは気持ちが強すぎて、危ないところに行ってしまうことがあるので、もうちょっと考えながら乗ろうと。
あとは追い方で、兄弟子の2人(永森大智騎手、岡村卓弥騎手)が上手いので、勉強しています。永森さんはスマートに追うんですけど、岡村さんは逆に迫力のある追い方をします。
直接教えてもらうことはありますか。
追い切りの時には、岡村さんには併せ馬をさせてもらっています。永森さんは、すごすぎて、ちょっと近づきがたいです(笑)。なので、映像とかで見ています。
あらためて考えている目標はありますか。
あまり大きいことを言うとアレなんで......今年、15勝を......いや、20勝にしとこうかな。20勝を目標にがんばります!
高知では、新人王争覇戦があります。
出られたときには、地元代表としてがんばります!
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※インタビュー・写真 / 斎藤修
2016年の春、岩手競馬としては久しぶりに同時に2人の騎手がデビューした。一人は鈴木祐騎手。そしてもう一人が木村直輝騎手。デビューが同じ頃となれば、何かにつけて比較されることになるため、"永遠のライバル"ともいわれる同期生。今回は木村直輝騎手の方にお話をうかがった。
木村騎手は競馬とか馬とかに関わりがない家庭から騎手になったそうですが、そこから騎手になろうと思ったきっかけを教えてください。
地元が千葉なので、母に船橋競馬場に連れて行ってもらって、そこから競馬に興味を持つようになりました。あとは時々大井競馬場にも行ったり。
地方競馬ばかりなんだ。JRAの競馬場には行かなかったの?
中山競馬場には1回くらい行ったかも。ほとんど地方競馬でしたね。親が地方競馬の方が好きだったのかもしれません。
それまでは競馬とか馬とかに興味を持っていた?
あまりなかったですね。馬も身近じゃなかったから特別好きという事もなかったですし。競馬場に行っているうちに興味が出てきて、身体も小さかったから騎手を目指すのもいいかなと。
じゃあそこから騎手になるという目標が出来てきた、と。
そうですね。騎手を目指そうという事で乗馬クラブに入って馬に触れるようになったら、それがすごく面白かったんです。実際に馬に乗ってみてハマっていったっていうか。それが中学生の頃でした。そして中学を卒業してアニマル・ベジテイション・カレッジに入ったんです。
小林凌騎手とか高橋昭平騎手とかも出ている所ですね。
はい。ですが、本来は2年間なんですが、JRAの競馬学校の試験を受けて不合格だったので学校を辞めてしまったんです。
え?途中で?
JRAの競馬学校に落ちて投げやりになってしまったのかもしれません。でも、やっぱり騎手を諦めきれなくて、地方競馬の試験を受けることにしたんです。そうしたら今度は合格しました。
その時のご家族の反応は?
"ああ、そうか"という感じでした。でも母がちょっと熱血で、"入ったら絶対辞めるんじゃない"みたいな熱の入りよう。母にはいつもそうやってけしかけられるっていうか後押しされますね。
教養センターではどんな生徒だった?
一言で言えば、まあ、目を付けられていましたね。いろいろ失敗をしてしまう"出来ないヤツ"で、毎日怒られていました。鈴木(祐)とか加藤(聡一・名古屋)、岡村(健司・船橋)が出来る方、優等生同士でつるんでいて、自分は出来ない方のグループ。
競馬場に実習に来るじゃないですか。木村騎手は競馬関係の出身じゃないから現役の競走馬とか実際にレースをしている厩舎とか経験が無かったでしょう? どんなふうに感じた?
やっぱり最初はビビリましたね。現役の競走馬は学校の馬とは全然違う。パワーが全然違いますから調教でもうまく御せなくて。慣れるまでは毎日のように"これからやっていけるのかな"と思っていました。
デビュー戦(2016年4月16日)は6着
いざデビューを迎える頃になると、ああ緊張しているな~と思って見ていました。それまではけっこう世間話とかしたけど、デビュー直前は口数も減った感じでね。
やっぱりデビューの1週間くらい前から緊張していたんだと思います。デビュー戦も危ないレースをしてしまって。全然考えていたようなレースになりませんでした。同期の鈴木祐騎手が派手なデビュー(初騎乗・初勝利)を飾ったり、その同期に自分の初勝利を阻止されたり......なんて事もありました。
同期の活躍はプレッシャーでしたね。"何でそこで勝っちゃうんだ!?"と。フミタツダイヤで、鈴木騎手に差されて2着になった時も堪えましたね(※4月23日の水沢5R、フミタツダイヤに騎乗して逃げた木村直輝騎手だったが、初勝利を目前に同期の鈴木祐騎手に差され2着)。そんな事をいろいろ考えたり悩んだりしたけど、他の同期とも話をしているうちに、あんまり焦ってもいけない、今の自分にできる事をやるしかないと。今はそう思っています。
14戦目での初勝利(2016年5月1日、盛岡7R)
デビューしてからまだ短い期間ですが、得意な戦法・好きな戦法はできてきた?
やっぱり逃げか先行ですね。得意なのは逃げかもしれない。差しは、馬の手応えが残っていても進路ができないと結果に繋がらないですから、そういう部分で自分にはまだ難しい気がします。盛岡と水沢なら盛岡ですね。コースが広いしコーナーも緩いから乗りやすく感じます。
所属する関本浩司調教師はどんな方ですか。
厳しいですけども自分の事を分かってくれているというか、自分はあまり怒られると逆に落ち込む方なんで、そういう所を理解してくれていると感じています。
そもそも関本浩司厩舎を選んだ理由はなんですか?
学校の教官に"お前みたいな奴を一人前の騎手にしてくれるのは関本浩司調教師しかいない"と勧められたんです。そこで鍛え直してもらえ、と。
騎手になった今の木村騎手に、ご家族はどんな事を言っていましたか。
騎手になるまでにお金を出してもらったり面倒をかけたので、今は少しずつ返しています。だからもっと活躍して勝たないといけないなと。
それは偉い! じゃあなおさら頑張らないとね。ご両親はレースを見に来たりしましたか?
デビュー戦の時は見に来ていました。でも、レースをインターネットでチェックしているんですよ。チェックして"どうしてあそこでもっと追わなかったの!"とか"だから(鈴木)祐君に負けるのよ!"とかメールで言ってくるんです。10件くらい一気に送ってくる事もあって真面目にブロックしたいくらい(笑)。そんな熱血過ぎる親だから、あまり見に来ないでいてくれる方が自分は楽です(笑)。
それだけ熱心に見てくれている・・・とはいえ、熱血だね(笑)。今日はありがとうございました。
招待レースで来ていた南関東のトップジョッキーと初勝利の記念写真
同期の派手な初騎乗・初勝利の陰に隠れてしまったが、木村直輝騎手のデビュー後14戦目での初勝利達成も決して遅いものではない。これからも自分の形をみつけつつ伸ばしていって欲しい。ちなみに木村直輝騎手の勝負服は『胴赤・袖赤/青山形一文字』だが、山形一文字の柄は岩手競馬では史上初ではないか?とのこと。そんな岩手ではレアな勝負服がより目立つよう期待したい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2014年、2年目で57勝を挙げ、NARグランプリ優秀新人騎手賞を受賞した石川倭(やまと)騎手。昨年度はホッカイドウ競馬で71勝を挙げリーディング4位、今年も順調に勝ち星を挙げ、8月10日には通算200勝を達成。ついにリーディングジョッキーの座にまで上り詰めました(8月25日現在)。
絶好調ですね。
関係者の方々のおかげでたくさん馬に乗せてもらい、経験を積めた結果だと思います。恵まれたチャンスを生かせている。レースのビデオを見て振り返ってきたことで、成績がついてきているのだと思います。
重賞もいくつか勝っています。昨年は北海優駿を自厩舎(米川昇厩舎)のフジノサムライで勝ち、ダービージョッキーにもなりました。
アクシデント(1番人気のオヤコダカがスタート直後に落馬)はありましたが、逃げというこの馬のレーススタイルを貫けたのが勝利につながりました。スタートしてしばらくは(逃げていたので)落馬は気付かなかったですが、途中で空馬が見えて描いていたレース展開が変わった。逃げればいいところがある、とその時に判断して、レースを進めました。
全体的に、逃げ馬での勝利が多いように思います。
単に、ダートは前でレースをした方が自らレースを作りやすく有利ということだと思います。好きな脚質は差し。ゴールした時にうれしい。
初重賞は2014年イノセントカップのコールサインゼロ。最低人気での勝利でした。
人気はなかったけれど、力があることはわかっていた。それまでは、2歳ということもあって気性面で力を出し切れていなかっただけ。馬の力を出せたことと、馬が所属していた原孝明先生の指示通り、馬のペースに合わせた結果です。
故・原孝明調教師と
コールサインゼロをはじめ、今年5月に急逝された原孝明先生の所属馬にも多く騎乗していましたね。
2年目の中盤からたくさん乗せてくれた。いまの結果は原先生のおかげです。一回一回、騎乗するごとにコミュニケーションを取っていたことが勉強になった。今は、原先生のところにいた活躍馬のオヤコダカ、アウヤンテプイ、シセイカイカなどが自厩舎にいて、僕が攻め馬をしています。これからも結果が出せるようにしないといけない。
因縁のオヤコダカにも騎乗しています。
北海優駿のことは特に気にはしていません。実績のある馬だし、乗せていただいているので感謝しています。パドックでは色気を出したり、うるさいところもありますが、本馬場に向かうとどっしりと構える。レースではスピードとパワーがある。カッとなることもあるけど、溜めが聞いたときの瞬発力や、追い出した時の反応の良さはすごい。このチャンスをいかしたいです。
オヤコダカだけではなく、どの馬も勝てるよう、結果にこだわっていきたいです。自分は、内回りの勝率、連対率が高いんです。直線が短いけれど、展開や位置取り、馬とのコンタクトをそこは瞬時に判断して考えています。
オヤコダカで星雲賞(7月7日)を制覇
昨年末は大井競馬で短期騎乗しました。その経験も、内回りの結果に結びついているのでしょうか。
そうなんですかね...? 大井の方が内回りのコーナーはきついです。調教は馬も人も多いし、馬の作り方や雰囲気も違う。人がたくさんいるので、騎手のフォームや重心の使い方など、刺激を受けることが多かったです。今年は、昨年のイメージを備えにして、雰囲気に慣れ、たくさん乗れるようにしていきたい。
背が高いですよね。
171センチあるので、減量に苦労することはあります。体調管理には気をつけたい。大事にしているのは柔軟な体を作ること。道営にもいますが、特に南関東には体が柔らかい人が多かった。
目の前のレースのことはもちろん、怪我をしないことを目標にしています。毎年怪我をしているんです。去年は8月に2週ほど休んだが、道営は半年競馬なのでそれが結果に響いてくる。
冬は馴致があります。
馬から教わることもあります。どうすれば馬が良くなっていくのか、毎年考えている。試行錯誤です。
8月13日の札幌10Rコスモス賞は、JRAの芝レースで初騎乗でした(ブラックプールで4着)。
新鮮だし、気持ちも良かったですが、緊張することもなくレースに集中していました。力は出せたと思います。
ブラックプールの川島洋人調教師もですし、騎手、調教師ともに道営では若手が頑張っています。
川島雅人調教師は、騎手時代、自厩舎に手伝いに来ていたから教わることも多かった。雅人さんの厩舎の馬で勝って恩返しをしたいです。
200勝達成時もそうでしたし、最近表彰式では、若手騎手が表彰される騎手の勝負服を皆で来ていますよね。微笑ましいです(笑)。
表彰があると、もうそういう流れになっているんですよね。服が並んでいるところから勝手に取ってきます(笑)。若手はみんな仲がいいです。
200勝は、いい馬に乗せてもらっているということなので、感謝したい。これからも結果に応えられるよう、取りこぼすことのないようにしたいです。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保巌義・小久保友香)
一昨年、昨年に続き、兵庫ダービー3連覇を果たした木村健騎手。7月1日には、兵庫デビュー騎手では地方競馬での勝利数がトップの小牧太騎手に並ぶ勝ち星を挙げています(インタビューは6月下旬)。
今年で兵庫ダービー通算5勝目。2011年に初めてダービーを勝ってから、6年で5勝となりました。それにしても今年はきわどい勝利でした。
いやあ、持ってますねえ(笑)。ゴール地点では勝ったかどうかぜんぜんわからなくて、内にいた吉村騎手に「どっちや?」と聞いたら「わからないです!」って答えられたんです。雨も降っていましたからね。でも終わってみれば、クビ差もあったんですね。
ノブタイザンで兵庫ダービー制覇(写真:兵庫県競馬組合)
それにしても、6番人気馬での勝利とはびっくりしました。
レース前は勝てると思っていなかったですよ。ダービーの前のレースで初めて乗ったんですけれど、冬毛がけっこう残っていたんですよね。でもダービーのときは毛ヅヤが一気によくなっていました。ただ、その前走がね......。5頭立てで5着でしょ。レース内容も後方のままでバタバタでしたから。
それなのに大一番で変わり身を見せるとは、本人も驚いたのではないですか?
ダービーのときも、そんなに前半の行き脚はよくなかったですよ。2コーナーで馬に気合を入れようと腰を入れたらあまり反応がなくて、2周目の向正面で牝馬のナツに馬なりでまくられてしまったくらいですから。3コーナーでもそれほどギュンとは来なかったんですが、差を詰めるには外を回らざるをえなくなって、そうしたら内にササりながらも伸びましたからね。今までの競馬人生で経験したなかでは、いちばんというくらいの変身でした。
これで兵庫ダービーは3連覇となりました。
なんなんでしょうかね。オオエライジンの前はあんなに勝てなかったのに。なんかよくわからないですけど、うまいこと行っているという感じがしますよね。今年は展開がハマったおかげですけれど。
(ここで川原正一騎手から「勝つときはそんなもん」とツッコミが......)
そうですね。確かにそういうところはありますね。一昨年のインディウムは勝つ馬でしたけれど、今年のノブタイザンは何もかもがうまくいったというような。
(写真:兵庫県競馬組合)
2011年のダービー初勝利のときは、検量室に戻ってきたときに目が真っ赤になっていました。
あのときは、ホクセツサンデー(2着)のほうが強いと思っていたんですよ。オオエライジンはデビューから負けなしで来ていましたけれど、3カ月の休み明け。ホクセツサンデーは僕が乗った兵庫チャンピオンシップで2着に入っていたという、それが頭のなかにありましたから。いま考えても、あの世代は強い馬が多かったと思います。
続く2012年は、メイレディで逃げ切り勝ち。ダービー連覇となりました。
あれは我ながらミラクルだったなあと思いますね。ロケットスタートを決めて、スローペースになって押し切って。
その翌年はユメノアトサキが逃げ切って、木村騎手のモズオーロラは2着。そして2014年はトーコーガイアで圧勝しました。
あの勝利はインパクトがありましたね。2歳のときから走ると思っていた馬でしたし。そして、その翌年のインディウムも強かった。もううれしくて、メチャメチャ大きくガッツポーズをしてしまいましたからね。それにくらべると、今年は本当に運がよかったんだと思います。4コーナー手前では、5着ぐらいはあるかなという感じだったんですが、直線で手前を替えたらいきなりギュンと伸びましたから。
それも、木村騎手の馬を動かす技術があるがゆえだと思います。今年は下原騎手の勢いがすごいですが、勝率と連対率は木村騎手がトップなんですよ(6月末日時点)。
そうなんですか。でも僕は、ひとつひとつのレースを全力で乗っているだけですよ。いつも言っていることですけれど(笑)。これからも1頭1頭、がんばって乗っていきます。
しかしながら、ファンとしてはどうしても体の状態が心配になります。頼りになる木村騎手だけに......。
もう、そこは覚悟していますよ。いつ、腰がダメになってしまうかなんて、わからないですからね。すでに椎間板が減ってしまっている状態ですから。前回の休養のときはペイン治療をやりました。手術前は怖かったし、ものすごく痛かったですよ。でも、だからといって、レースに出るからには、僕らしくない騎乗は絶対にしたくないですからね。痛み止めを飲んで騎乗することもありますが、これからもずっと全力で乗り続けていきます。
木村健騎手は、このインタビューの翌週、7月6日に椎間板ヘルニアを発症して休養することになってしまいました。騎手は体が資本だけに、良い治療法と巡り会って、快方に向かうことを祈りたいもの。時間はかかっても、木村騎手が再びその豪快な騎乗を見せてくれるときを待っていたいと思います。
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※インタビュー / 浅野靖典
長年佐賀のトップに君臨する山口勲騎手。NARグランプリ2015では、最優秀勝率騎手賞とベストフェアプレイ賞をダブル受賞し、改めて全国に存在感を示しました。今年もオッズパーク地方競馬応援プロジェクトで期待の新馬に騎乗予定。ご自身のことも含めてたっぷりと語っていただきました。
今年の2歳世代は、オッズパークの地方競馬応援プロジェクト第2世代になりますが、佐賀でデビュー予定のシュダイカ(牝2・父クロフネ)の様子はいかがですか?
先日能力試験を受けたんですけど、いい感触でした。今はまだソエが少し気になるので、そこまで強い調教はしていないんですよ。能力でも急かさないで馬なりで2番手に行って、そのまま素直に走ってくれました。デビューは8月頭の開催を予定しています。ここまで順調に来ていますよ。
性格的、肉体的にはいかがでしょうか?
性格はやっぱり牝馬なので、多少カーッとするところはありますね。ただ、ずっとイレ込んでいるわけではなくて、すぐに落ち着いてくれるので心配はしていません。肉体的には意外と強いみたいで、ゲート練習や能力試験をしても体が減らないんですよね。牝馬は体を保つのが大変な馬が多いですから、そこは大きな武器になると思います。
去年デビューしたローカルロマンは、そのあたりで苦労しているそうですね。
そうなんですよ。体がどうしても減ってしまって戻り切らないんですよね。だから調教でもあまり攻められなくて。レースでも他の馬を怖がる面があるので、繊細な性格が影響していると思います。ご飯を食べて体もしっかりしてくれれば、もっとやれる馬なんですけど。軽い走りをする馬で、前々から芝を使ってみたいと思っていたので、7月30日の小倉遠征は楽しみですね。
山口騎手は佐賀のトップに立って長いですけれども、今でも誰よりも長く朝の調教をつけているとお聞きしました。
頭数的には15頭くらいなので、もっとたくさん乗っている騎手もいるんですけどね。うちの厩舎は1頭に掛ける時間がかなり長いので、調教時間に換算すれば確かに一番長いかもしれません。朝1時過ぎから始めて、終わるのはだいたい8時半から9時くらいですね。
毎朝長時間の調教をする、そのモチベーションは何ですか?
なんですかねぇ。僕よりも、順番を待っている厩務員さんたちの方が大変だと思いますよ。長い時間運動しながら待っているわけですから。僕が調教するのは、他の人が乗れないような癖のある馬が多いですし、自厩舎だけじゃなく他所の馬も頼まれるので、責任感というのが大きいですかね。だからね、それもあって南関東の期間限定騎乗に踏み切れないところもあるんですよ。
佐賀はオフシーズンがないですから、長期的に競馬場を空けるのは難しいと?
行くタイミングは難しいですよね。南関東の方から「来てみないか?」とお誘いは受けるんですけど、2か月でしょう。ちょっと中途半端な期間ですよね。もっと1年とか腰を据えて行けるのならば、自分のお手馬を他の人にお願いして、思い切って挑戦してみたいと思うんですけど、2か月で終わりというのはなかなかね。だから、韓国遠征は本気で動いたことがあるんです。韓国は半年から1年行く人もいるでしょう。
実現しなかったのは何故ですか?
ちょうど鮫島(克也)さんと同時期に申請しちゃったんですよ。さすがに2人いっぺんに佐賀を空けるというのは困るということで、いったん諦めて。その後はなんとなく時間が流れてしまいましたね。やっぱり1年佐賀を空けるとなるとかなり大きな決断なので、次のタイミングが難しくて。今のところは長期的に遠征に行くプランは持っていないです。
そうなると、SJTやジャパンジョッキーズカップなどで、単発で遠征に行くことが大きな刺激になりそうですね。
ジョッキーレースに呼ばれることはかなり大きいですよ。それがないとなかなかモチベーションを保てません。SJTは勝てなくて残念でしたけど、ジャパンジョッキーズカップはあのメンバーの中で1つ勝つことができて嬉しかったですね。やっぱり、中央地方のトップジョッキーと戦うレースは面白いですし、そこで勝てたら自信になります。
ジャパンジョッキーズカップ(盛岡)第2戦を勝利(写真:岩手県競馬組合)
現在は3年連続でNARグランプリ最優秀勝率騎手賞を受賞していますが、やはり勝率は意識していますか?
勝率を意識するのは1年の後半に入ってからですね。勝ちにこだわりはするけど、今はまだそれほど意識していないです。去年はベストフェアプレイ賞を初めて受賞できたんですけど、正直そっちの方が嬉しかったです。年間を通して制裁がない全国1位の騎手ってことですから。フェアプレイで勝っているという証拠なので、とても重みのある賞だと思います。今年も勝率とベストフェアプレイ賞と、ダブル受賞できるようがんばります。
では、今後の目標を教えて下さい。
まずは休まず乗ることですね。そうすれば勝ち星などは後からついて来ますから。今は4000勝という大きな数字を目標にしています(2016年7月24日現在、地方3828勝)。僕は1000勝するまでかなり時間が掛かったんですけど、そこからは本当にたくさんの方のお蔭でペースアップすることができました。特に大きかったのは、今ほど遠征が頻繁じゃなかった時代に荒尾でたくさん乗せてもらえたことです。佐賀とは違うコースや流れを経験して、とても勉強になりました。残念ながらもう荒尾はないですけど、当時乗せてくれた方にも恩返ししたいので、まだまだ若い騎手には負けませんよ!
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※インタビュー / 赤見千尋