2016年6月26日に地方通算1000勝を達成した山本聡哉騎手。デビュー10年を過ぎてリーディング上位を争うまでになったこれまでのこと、またリーディング上位で互いに鎬を削る兄とのことなどをうかがった。
地方競馬通算1000勝達成(2016年6月26日)
まず聞きたいのが1000勝達成。6月26日に地方競馬通算1000勝を達成しましたが、今改めてその感想を聞かせてください。
デビューした頃は自分が1000勝できるなんて思ってもいなかったんです。自分がデビューしてから3年目くらいに阿部さん(阿部英俊騎手)が1000勝したのを見ていて"凄いなあ"と思って、自分もいつかはできるのかな?とか考えたりもしましたけど、当時の自分にとっては1000勝なんていう数字は目標にするには遠すぎましたからね。
だから達成してみても、ああ、1000勝したのかあ・・・・・・。そんな感じでしたね。昔の1000勝と今の1000勝では、騎乗数とか条件が異なるから重みも違うのかもしれないし。でも、同じ世代の騎手の中で一番最初に達成できたという事は自信になります。
今の姿からは想像できないファンもいるかもしれないけど、デビューした頃は騎乗数も勝ち星も少なくて、この先どこまでやっていけるんだろう?と思って見ていました。もちろん、当時の若手騎手はみなそういう厳しい環境の中にいたのは確かだけれど(※デビュー年度の山本聡哉騎手の成績は227戦9勝)。
佐藤浩一調教師も祝賀会の時に"正直これほど勝てる騎手になるとは思っていなかった"と言われていました。自分がデビューした頃は高松亮騎手が"乗れる""乗れている"って評価で、同期の高橋悠里騎手もすぐ重賞を勝ちましたしね。"出世コース"に乗っているのはあっちの方、自分は1000勝なんて想像もできなかったですね。
とすると、キャリアのどのあたりで道筋が変わったと思う?
そうですね、4、5年目頃でしょうか。板垣さんをはじめ新しく調教師になった先生達が自分ら若い騎手に乗せてくれるようになって、佐藤雅彦調教師や、(故)櫻田浩三調教師も良い馬に乗る機会を作ってくれて・・・・・・。
当時の若い騎手は、自分がそうですし兄(山本政聡騎手)や齋藤雄一騎手とかもそうだったと思うのですが、櫻田浩三厩舎の良い馬・強い馬に乗るチャンスを貰って、それで結果を出して名前を売る・・・・・・みたいなところがありましたね。
そこから良い馬に乗る機会が増えて、そして菅原勲騎手や小林俊彦騎手の引退もあって。その頃の自分が大きな怪我をしなかったのも良かったんじゃないでしょうか。高松騎手や高橋騎手は怪我をして乗れない時期がありました。自分は決して技術が卓越していた訳じゃないと思うから、怪我をせず過ごせた事で流れに乗れたのも大きかったと思います。
今はもうね、"トシヤに任せておけばいい"みたいな評価にもなっているんですが、今ここまで乗れる騎手になったのは、"もともと才能があったのが花開いた"のか、それとも"時間をかけて掴んでいった"ものなのか、どちらなんでしょう?
自分のタイプは、最初からポンとできるものではないですね。自分なりに研究して、うまく乗れるように確率を上げていって・・・・・・だから、最初から素質があったのでは無いと思います。
外に出たのも良かったと思いますよ。交流競走や騎手招待競走とかいろいろなレースを経験して場慣れして、そこで必要な乗り方を学べたのも。
他場でスポット騎乗の機会も増えている(2016年門別・栄冠賞)
研究という言葉が出たので突っ込んでみるけども、毎年ちょっとずつレースの仕方というか乗り方というか、つまりレースの作り方を変えているように思うんですが、どうなんだろう?
乗り方は変えています。毎回少しずつ変えているから全体的に見ると大きく変わったように感じるかもしれません。
そういう所が、ありきたりな言い方だけど"凄いなあ"と思ってみています。
やっぱり馬によって、その時周りにいる馬によってレースの流れが変わってくるし、今年は新人騎手が入りましたが、これまでと違う乗り方をする騎手が1人でも入るとまた流れが変わってくる。同じ人や馬でもその時その時の体調とか気持ちのリズムとかも違いますしね。例えば調子のいい騎手はマークしないといけないかもしれないし。そういう所が少しずつ変わっている、変える必要がある部分でしょうね。
では話題を変えて。ラブバレットの話を聞きたいです。レースでの活躍ぶりはファンにとって楽しい話題になるのですが、騎手にとってもいろいろな物をもたらしてくれているんじゃないですか?
強い馬、凄い馬に乗せてもらえるのはやっぱり大きな経験になりますよね。遠征で他地区の大きなレースに乗る事ができるのもそうですし、強い馬に乗る事で"強い馬ってどんなものか"という感覚が分かって、そこから他の強い馬の事も分かってくる、分析できる、みたいな。そういう経験を積む事ができる得難い存在です。
ラブバレットとのコンビでは重賞4勝を挙げている
クラスターカップでは2年連続3着。今年は見せ場を作って沸かせてもくれました。昨年は笠松で遠征勝利も成し遂げましたね。
今の岩手は短距離路線が充実しているし、地方競馬全体でも短距離のレースが多いですよね。ラブバレットのようなスピードがある馬が活躍できる舞台は多いと思うので、自分も楽しみにしています。
もうひとつ聞きたいのが、兄・山本政聡騎手の事です。兄の事をレースの中ではどう見ているか?
んー。兄貴は兄貴、かな・・・・・・。
兄貴は兄貴か。昔は、けっこう対抗心を見せて隠さなかった時期もあったじゃないですか。最近はそうでもないように見えるけども。
やっぱり昔は兄の方が、成績も上でしたからね。負けたくない、追い越したいっていう気持ちはありましたからね。
山本政聡騎手はリーディング3位。追いかけてくる位置にもいます。
今でももちろん対抗心はあります。負けたくないっていう気持ちもある。それは成績の話じゃなくて、単に勝ち負けじゃなくて、レースの中での騎手としての駆け引きの部分で勝った負けたのポイントで、でしょうか。
では最後に。『山本聡哉』という騎手はこれからどういう存在になっていくんでしょう?
そうですね、前は誰かのマネをすれば良かった。今は自分なりの考えで進んでいかなければいけない。成績的にはもちろん、まだまだ追いかけていかなければならないです。でも騎手としての考え方、スタイルを作って、それを周りにも見せなければならないと思っています。そしてそれは楽ではないだろうな、とも。
今はどうしても、あちこちで活躍している騎手の姿が目に入りますよね。そんな騎手を間近で見る機会もあります。良い所・凄い所を学んで、吸収して、凄い騎手たちと同じ舞台で一緒に戦えるようになりたい。そういう技術とか、ハートとかを掴みたい。
そうすると、いつの日か岩手の枠に留まっていられなくなるかもしれないよ?
そうかもしれないですね。そういう考えになったら、どこかに飛び出していってしまうかもしれない。でも今の自分がそう考えていないっていう事は、自分がまだそういうレベルに達していないのだと思いますよ。
プロ野球始球式のピッチャーも務めた
簡単にお願いします......と始めたインタビューだったが、いざ話し始めると話題はいろいろ多岐にわたり、結局ここでは書ききれなかった話がいくつもあった。それはまたいつか触れる機会を得る事ができればと思う。
話していて感じたのは「山本聡哉という騎手はまだまだ変わり続ける」という事。岩手のトップジョッキーとしての評価、1000勝という勲章をすらも踏み台にしてさらに上を目指そうという姿勢からはただただ勢いしか感じられない。もしかしたら何年か後には今とは全く違う『山本聡哉』になっているのかもしれない。それがどんな姿なのか?楽しみだ。
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※インタビュー・写真 / 横川典視