2016年6月26日に地方通算1000勝を達成した山本聡哉騎手。デビュー10年を過ぎてリーディング上位を争うまでになったこれまでのこと、またリーディング上位で互いに鎬を削る兄とのことなどをうかがった。
地方競馬通算1000勝達成(2016年6月26日)
まず聞きたいのが1000勝達成。6月26日に地方競馬通算1000勝を達成しましたが、今改めてその感想を聞かせてください。
デビューした頃は自分が1000勝できるなんて思ってもいなかったんです。自分がデビューしてから3年目くらいに阿部さん(阿部英俊騎手)が1000勝したのを見ていて"凄いなあ"と思って、自分もいつかはできるのかな?とか考えたりもしましたけど、当時の自分にとっては1000勝なんていう数字は目標にするには遠すぎましたからね。
だから達成してみても、ああ、1000勝したのかあ・・・・・・。そんな感じでしたね。昔の1000勝と今の1000勝では、騎乗数とか条件が異なるから重みも違うのかもしれないし。でも、同じ世代の騎手の中で一番最初に達成できたという事は自信になります。
今の姿からは想像できないファンもいるかもしれないけど、デビューした頃は騎乗数も勝ち星も少なくて、この先どこまでやっていけるんだろう?と思って見ていました。もちろん、当時の若手騎手はみなそういう厳しい環境の中にいたのは確かだけれど(※デビュー年度の山本聡哉騎手の成績は227戦9勝)。
佐藤浩一調教師も祝賀会の時に"正直これほど勝てる騎手になるとは思っていなかった"と言われていました。自分がデビューした頃は高松亮騎手が"乗れる""乗れている"って評価で、同期の高橋悠里騎手もすぐ重賞を勝ちましたしね。"出世コース"に乗っているのはあっちの方、自分は1000勝なんて想像もできなかったですね。
とすると、キャリアのどのあたりで道筋が変わったと思う?
そうですね、4、5年目頃でしょうか。板垣さんをはじめ新しく調教師になった先生達が自分ら若い騎手に乗せてくれるようになって、佐藤雅彦調教師や、(故)櫻田浩三調教師も良い馬に乗る機会を作ってくれて・・・・・・。
当時の若い騎手は、自分がそうですし兄(山本政聡騎手)や齋藤雄一騎手とかもそうだったと思うのですが、櫻田浩三厩舎の良い馬・強い馬に乗るチャンスを貰って、それで結果を出して名前を売る・・・・・・みたいなところがありましたね。
そこから良い馬に乗る機会が増えて、そして菅原勲騎手や小林俊彦騎手の引退もあって。その頃の自分が大きな怪我をしなかったのも良かったんじゃないでしょうか。高松騎手や高橋騎手は怪我をして乗れない時期がありました。自分は決して技術が卓越していた訳じゃないと思うから、怪我をせず過ごせた事で流れに乗れたのも大きかったと思います。
今はもうね、"トシヤに任せておけばいい"みたいな評価にもなっているんですが、今ここまで乗れる騎手になったのは、"もともと才能があったのが花開いた"のか、それとも"時間をかけて掴んでいった"ものなのか、どちらなんでしょう?
自分のタイプは、最初からポンとできるものではないですね。自分なりに研究して、うまく乗れるように確率を上げていって・・・・・・だから、最初から素質があったのでは無いと思います。
外に出たのも良かったと思いますよ。交流競走や騎手招待競走とかいろいろなレースを経験して場慣れして、そこで必要な乗り方を学べたのも。
他場でスポット騎乗の機会も増えている(2016年門別・栄冠賞)
研究という言葉が出たので突っ込んでみるけども、毎年ちょっとずつレースの仕方というか乗り方というか、つまりレースの作り方を変えているように思うんですが、どうなんだろう?
乗り方は変えています。毎回少しずつ変えているから全体的に見ると大きく変わったように感じるかもしれません。
そういう所が、ありきたりな言い方だけど"凄いなあ"と思ってみています。
やっぱり馬によって、その時周りにいる馬によってレースの流れが変わってくるし、今年は新人騎手が入りましたが、これまでと違う乗り方をする騎手が1人でも入るとまた流れが変わってくる。同じ人や馬でもその時その時の体調とか気持ちのリズムとかも違いますしね。例えば調子のいい騎手はマークしないといけないかもしれないし。そういう所が少しずつ変わっている、変える必要がある部分でしょうね。
では話題を変えて。ラブバレットの話を聞きたいです。レースでの活躍ぶりはファンにとって楽しい話題になるのですが、騎手にとってもいろいろな物をもたらしてくれているんじゃないですか?
強い馬、凄い馬に乗せてもらえるのはやっぱり大きな経験になりますよね。遠征で他地区の大きなレースに乗る事ができるのもそうですし、強い馬に乗る事で"強い馬ってどんなものか"という感覚が分かって、そこから他の強い馬の事も分かってくる、分析できる、みたいな。そういう経験を積む事ができる得難い存在です。
ラブバレットとのコンビでは重賞4勝を挙げている
クラスターカップでは2年連続3着。今年は見せ場を作って沸かせてもくれました。昨年は笠松で遠征勝利も成し遂げましたね。
今の岩手は短距離路線が充実しているし、地方競馬全体でも短距離のレースが多いですよね。ラブバレットのようなスピードがある馬が活躍できる舞台は多いと思うので、自分も楽しみにしています。
もうひとつ聞きたいのが、兄・山本政聡騎手の事です。兄の事をレースの中ではどう見ているか?
んー。兄貴は兄貴、かな・・・・・・。
兄貴は兄貴か。昔は、けっこう対抗心を見せて隠さなかった時期もあったじゃないですか。最近はそうでもないように見えるけども。
やっぱり昔は兄の方が、成績も上でしたからね。負けたくない、追い越したいっていう気持ちはありましたからね。
山本政聡騎手はリーディング3位。追いかけてくる位置にもいます。
今でももちろん対抗心はあります。負けたくないっていう気持ちもある。それは成績の話じゃなくて、単に勝ち負けじゃなくて、レースの中での騎手としての駆け引きの部分で勝った負けたのポイントで、でしょうか。
では最後に。『山本聡哉』という騎手はこれからどういう存在になっていくんでしょう?
そうですね、前は誰かのマネをすれば良かった。今は自分なりの考えで進んでいかなければいけない。成績的にはもちろん、まだまだ追いかけていかなければならないです。でも騎手としての考え方、スタイルを作って、それを周りにも見せなければならないと思っています。そしてそれは楽ではないだろうな、とも。
今はどうしても、あちこちで活躍している騎手の姿が目に入りますよね。そんな騎手を間近で見る機会もあります。良い所・凄い所を学んで、吸収して、凄い騎手たちと同じ舞台で一緒に戦えるようになりたい。そういう技術とか、ハートとかを掴みたい。
そうすると、いつの日か岩手の枠に留まっていられなくなるかもしれないよ?
そうかもしれないですね。そういう考えになったら、どこかに飛び出していってしまうかもしれない。でも今の自分がそう考えていないっていう事は、自分がまだそういうレベルに達していないのだと思いますよ。
プロ野球始球式のピッチャーも務めた
簡単にお願いします......と始めたインタビューだったが、いざ話し始めると話題はいろいろ多岐にわたり、結局ここでは書ききれなかった話がいくつもあった。それはまたいつか触れる機会を得る事ができればと思う。
話していて感じたのは「山本聡哉という騎手はまだまだ変わり続ける」という事。岩手のトップジョッキーとしての評価、1000勝という勲章をすらも踏み台にしてさらに上を目指そうという姿勢からはただただ勢いしか感じられない。もしかしたら何年か後には今とは全く違う『山本聡哉』になっているのかもしれない。それがどんな姿なのか?楽しみだ。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
10月12日(水)門別第10レースで、地方・中央通算2,000勝を達成した五十嵐冬樹騎手。昨年は6季ぶりのリーディング奪回を果たすなど、今なお、ホッカイドウ競馬のトップランナーとしての存在感を保つ五十嵐騎手ですが、2014年には調教中に右アキレス腱断裂の大ケガを負いました。「騎手人生で一番大きなケガだった」と本人が語るケガからの復活、そして「ベテラン」と呼ばれる立場となった現在のことを尋ねました。
通算2,000勝達成おめでとうございます。2,000という数字の重みについて、ご自身ではどのようにお考えですか?
ホッカイドウ競馬生え抜きのジョッキーで、まだ2,000勝を達成された方がいないなか、関係者の皆さんに乗せていただいたおかげでこのような数字を達成することができて、本当に光栄です。
2,000勝を達成されたときには、娘さんも同じ勝負服姿で記念撮影に収まっていましたね。
小3になる下の娘がポニー乗馬を始めて、この前の浦河の競馬祭で初めてレースに出たんですけど、それで作ったんですよ。普段は学校が終わった後に練習しているんですが、いまは馬に乗るのが大好きでしょうがないという感じですね(笑)。
2,000勝のなかでも、特に印象に残る勝ち星は何ですか?
レーシングクィーン(1996年・黄菊賞)での初重賞もそうですし......もちろん、コスモバルクでもいい経験をさせてもらいましたし、あとは交流重賞なんかでも、イングランディーレでブリーダーズゴールドカップを勝たせてもらったり、プリンシパルリバーの全日本2歳優駿だったりとか。2,000勝となると、ひとつひとつが思い出深いです。
園田競馬場で行われているゴールデンジョッキーカップの出場権も獲得しました。
今まで権利がなかったので、達成してすぐに出られるのかどうか分かりませんけど、やはりそういうレースに出られるのはありがたいことですね。
2014年には右アキレス腱断裂という大ケガも経験されましたが。
ここ何年か痛み止めの注射を打ちながら左膝の痛みを抑えていたんですが、そのせいで自分の歯車が狂っていた部分があって。それが、アキレス腱を切ったおかげでというのも変な話かもしれませんが、その膝を直す時間も一緒に与えられたので、万全の状態でレースや攻め馬に臨めるようになったんですよね。
ケガをされるまでは重賞制覇があり、勝率や連対率も前年以上の成績を残されていましたが、「せっかくいい流れだったのに馬に乗れなくてどうしよう」という焦りはありませんでしたか?
たしかに「せっかく調子よかったのになあ」というのはゼロではありませんでしたが、絶望感には襲われなかったですね。これが初めてリーディングを取れるチャンスだったら違ったかもしれませんけれど。それよりも、アキレス腱を切って、入院しながら膝を診てもらったときに、左膝の手術を決断したときのほうが不安は大きかったですね。
生まれつき左膝の皿が割れていたということですが、あえて腱を切りっぱなしにする手術も行ったそうですね。
そうですね。そこが引っ張られて痛みが出ていたので。馬に乗らないのであれば手術しなくてもよかったんですけど、やっぱりこれからも乗り役を続けていくつもりだったんで、手術した方がいいなって。ただお医者さんとしても、若いスポーツ選手ならまだしも、この年になって膝を酷使するような職業があまり前例がないみたいで、普通に馬に乗る分には回復できても、果たしてレースに乗るまで筋力が戻るかどうかという不安はありましたよね。
アキレス腱断裂を機に、元々抱えていた膝まで手術に踏み切ったのは、ある意味では「ケガの功名」というか......。
本当にそうですね。膝だけで手術に踏ん切りがついていたかどうかは分からないです。ケガするまでは注射を打ちながらあと2~3年くらい頑張って、それこそ2,000勝したら調教師に......くらいに思っていたんで。
手術が終わって、リハビリ中はどのようなことを考えていましたか?
手術してから1週間は完全に固定していて、それから軽く歩き始めたんですが、術後の経過が思った以上によかったので、体に関しては特に心配はなかったですね。その年に騎乗していた馬のことも気になっていたので、門別のレースに関しては全部チェックしていました。あと、レースに乗っていなかった時期に、騎手としてだけでなく人としてどうあるべきかとか、「若い頃からもっとこうしておけばよかったかなあ」ということも思い出して考えたりしていました。それが後々、気持ちの面で余裕ができたことにつながってきたのかもしれません。
体も思うように動くようになって、精神面でも余裕ができるようになったということで、ケガでレースを休んでいた期間というのは、その後の騎手人生にとってはプラスになったということですか?
いま思えばプラスだったと思いますね。いい意味での時間が与えられたというか。膝のストレスがなくなったというのはやはり大きいです。
2015年のシーズン初めに復帰し、その年は106勝を挙げて6年ぶりのリーディングの座に立ちました。何か意識の面で変わったことはありましたか?
特に新しく意識したことはありませんが、年をとると馬に乗るときの姿勢が崩れたりとかはしていたので、例えば技術の低下をなるべく少なくするとか、常にそういったモチベーションを保つことは今でも考えています。
「レース後のケアもしっかりしていきたい」ということも以前お話しされていましたが。
今よりはたくさん乗せてもらっていて、毎週のようにJRAにも遠征させてもらっていた頃は、週1回マッサージへ行っていたんですよね。それがレースや調教の後に「まあストレッチでもしてみるか」と思ってストレッチを入念に行うようになってからは、疲れが軽減するというか、マッサージもあまり行かなくて済むようになって、終わった後のケアが重要だと思うようになりました。
今年のリーディング争いは例年以上に激しいですね。
お客さんにとってはすごく面白いんだろうなというふうには思います。若手が育っている部分もありますし、また育ってこなければ困るし。そうやって世代交代の時期に来ていることを感じながらも、まだやれている部分はあるので、どうにかして頑張っていかなければと思います。食らいついていくのも簡単ではないけれど(笑)。
そんななかでも、連対率は現在ナンバーワンに立っていますね(10月20日現在)。
やはり可能性がある限りは、ひとつでも上へ着順を持っていきたいということは常に考えていますよね。去年は複勝率5割を達成できたのが自分のなかでも大きくて、そこを維持するくらいの気持ちで。ひとつひとつを大事にして上を狙う気持ちが、最後の結果に出ますからね。
今年騎乗されてきた馬のなかで、「この先楽しみだな」と感じる馬はいますか?
ストーンリバーとリコーソッピースですね。どちらもまだ課題は残っていますが、いいものを持っていると思います。ストーンリバーがブリーダーズゴールドジュニアカップを勝ったとき、僕は(同じ厩舎で3着の)ミルグラシアスに乗っていましたが、立ち回りもよく1600向きなので、一発あるんじゃないかと警戒していましたね。
そろそろ重賞勝ちを見たいというファンの皆さんの声もあると思いますが。
馬の巡り合わせや相手関係もあることなので、簡単なことではありませんが、少しでもいい馬を作って、なんとか久々に勝っていきたいなという気持ちはありますね。
(注:10月16日のインタビューの3日後、フライングショットでサッポロクラシックカップを制覇)
サッポロクラシックカップで2年5カ月ぶりの重賞制覇
今シーズンも残り少なくなりました。ぜひホッカイドウ競馬のアピールをお願いします。
拮抗しているリーディング争いも楽しみにしながら、最後までホッカイドウ競馬を応援していただきたいと思います。自分も何とか2年連続のトップに向けて頑張りたいですね。
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※インタビュー・写真 / 山下広貴
今井貴大騎手は昨年、2012年以来の3ケタ勝利となる123勝を挙げて躍進。2016年も引き続き好成績を挙げており、昨年以上の勝ち星が視野に入っています。
今年は昨年よりも成績が上がっていますね。
そうですね。7月と8月はすこし勢いが弱まったかなという感じはありますが、それは乗せていただく馬との巡りあわせもありますからね。今年の名古屋での成績は2位をキープできていますので、その地位をなんとか守っていきたいです。もちろん、本当は1位がいいんですけれど(笑)。
騎乗回数も昨年に比べると伸びていますね。
本当にありがたいです。これからもその数字を上げていきたいし、JRAでも乗りたいですね。そのためにはそういう馬に出会うことが必要。だからこそ、まずは名古屋でしっかりと土台を固めないといけないと思っています。
でも、東海ダービーを2勝した騎手って、なかなかいませんよ?
あまりそこは自分で意識していないところなんですけどね。今年は春先の時点では、ダービーで乗るのは厳しいかなと思っていたんです。でもキタノシャーロットが3月から6連勝してくれたので、ダービーに進むことができました。ダービーでは人気をわりと集めていたようなのですが、やっぱりカツゲキキトキトは強かったなあ。あの馬も今年になっていきなり連勝が始まったわけですから、馬って本当にわからないものだと改めて思わされました。
昨年は東海ダービーをバズーカで勝利(写真:愛知県競馬組合)
今年は通算800勝を達成。1000勝も見えてきましたね。
そこは次の目標ですね。そして名古屋の騎手も世代交代をしていかなければと思っていますよ。でも、先日引退された安部さん(幸夫騎手。地方3055勝、JRA24勝)が現役のうちに、安部さんを超えられるような騎手になりたかったとは思います。個人的にこれから伸ばしていきたいと思う点は、技術的な部分はもちろんですが、内面的な部分。精神面、それからやっぱり経験値を増やすこと。まだ判断ミスをしてしまったと感じるときがありますし、まだまだ勉強です。ただ、ひとつひとつのレースについて、終わったあとに深く考えても仕方がないんですよね。そう考えられるようになったのは5年目ぐらいからかなあ。うまくいかないことが多い世界ですが、それをバネにしていかないと。
経験値を増やすためには、「名古屋以外」というのもキーワードのひとつになりますね。
僕がよく乗せていただいている厩舎は、笠松にはあまり行かないんですよ。確かに名古屋以外ではあまり乗っていなくて、行ったことがあるのは、大井と浦和と、園田、金沢、高知、盛岡......ぐらいかなあ。園田と金沢以外はそれぞれ1回とか2回とかですし。だからこそ今の順位を守って、来年のSJTに出場したいですね。絶対にすごく勉強になる舞台だと思います。
それを目指してという意味を含めて、何か変えてみたところなどはありますか?
上半身を強化したいなと思ったので、ジムに行くようになりました。ポイントは胸筋と背筋ですね。あと、なんか最近になってちょっと太ってきたような気がするので、それを解消させるという意味もあります(笑)。
名古屋は一時期よりも騎手が増えてきましたね。
そうですね。新人騎手と、そして復帰された先輩と。岡部さんも韓国から戻ってきました。でも、やっと10年目にして、たくさんのかたがたに声をかけていただけるようになったわけですから、その信頼を失ってしまわないように頑張っていきたいですね。これまで大きなケガがなかったのもラッキー。そこはこれからも気をつけていきたいと思っています。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
デビューから30年目を迎えたベテラン、笠松の東川公則騎手。今年8月にはくろゆり賞を制し、地方通算2500勝を達成しました。現在笠松リーディングでも第3位(9月25日現在)につけ、存在感を放っています。
2500勝達成おめでとうございます。
ありがとうございます。区切りの勝利なので嬉しいです。けど、3000勝を目標にしているのでまだまだですね。デビューから29年かけてここまで来たわけですが、振り返るとあっという間だった気がします。気が付いたらこんな年(47歳)になってました(笑)。
本当に長い年月だと思いますが、どんなことが思い浮かびますか?
一番は2009年にケガしたことです。それまで大きなケガはなかったんですけど、この時は胸椎圧迫骨折で4か月休みました。乗れないし収入もないし...。体もそうですけど、精神的に苦しかったです。本当に治るのか、また同じように乗れるのかすごく不安でした。ちょっと焦る気持ちもあって、まだ3か月くらいの頃に調教に乗り出したんですけど、やっぱり思うように動けなくて。そこからは腹を括ってきっちり治るまで休みました。僕は体重が増えやすいので、入院している間はほとんど食べなかったです。病院食は残して、自分でおにぎりを作って調整しました。嫁さんも毎日協力してくれて。あそこでまともに食べてたら復帰できなかったかもしれません。
馬乗りにとって、馬に乗れない時間というのは辛いですよね。
本当にそうですね。4か月休んで、明日から調教に乗れるとなった時、もう嬉しくて嬉しくて前日なかなか眠れなかったくらいです(笑)。久しぶりに乗った馬の背中は気持ち良かったですし、馬に乗れることの有難さも実感しました。
サルバドールハクイでくろゆり賞を制し、地方通算2500勝達成(写真(C)funfunH.Taniguchi)
騎乗に関してのポリシーは何ですか?
こだわっているのは、キレイに乗るということです。例に出していいのかわからないけど、御神本くんなんかは本当にキレイなフォームでしたよね。僕がデビューした頃はまだ今ほどアブミを短くして乗るという感じではなかったんですけど、デビューから4、5年目くらいの時に、後藤保先生にワールドレーシングっていう海外競馬のビデオを見せてもらったんです。ほとんどがヨーロッパのレースだったんですけど、最後の7~8分にアメリカのレース特集があって、それを見た時あまりのカッコ良さに「なんじゃこりゃー!!」って衝撃を受けました。アブミが短くて、道中ビシッと背中を低くしてて、ものすごくカッコ良かった。自分もこんな風に乗れたら...と思って実際に取り入れてみたんですけど、周りからは「そんなんで馬が動くわけがない」って言われたりして。ただその頃まだ笠松にいた安藤勝己さんは「これからはそういうのも大事だよな」って言ってくれました。あの時アメリカのレースを見てから、騎手という仕事に改めて情熱を持ったんです。自分はすごくカッコいい仕事をしているんだって実感したんですよね。
今年は4年ぶりに園田のゴールデンジョッキーカップに出場しました。印象はいかがでしたか?
やっぱりああいう騎手レースは楽しいですね。全国のトップジョッキーに会えて刺激を受けました。特に的場文男さんですよ。当日が60歳の誕生日だったんですけど、もう本当にお元気で。まだまだバリバリですよね。今自分は47歳なんですけど、60歳になってもあんなふうに乗れるなんて本当にすごいなと思いました。
レースはどうでしたか?
初戦はいい馬に当たったんですけど、気持ちが入りすぎてしまって...。今振り返ると、勝ちに行き過ぎたなと。乗り方次第でもう少しいい着順だったと思います。3戦目は接戦の2着だったんですけど、あそこまで行ったら勝ちたかったですね。反省点はありますが、刺激をいっぱい受けたので、また呼んでもらえるようにがんばります。
ゴールデンジョッキーカップの騎手紹介式
今年は重賞・くろゆり賞をサルバドールハクイで制しました。
久しぶりに重賞を勝ててうれしかったです。調教も素直で大人しい馬で、とても扱いやすいですね。最初は少し掛かるイメージがあって、わざと抑えて乗っていたんですけど、最近はいい位置から競馬するようになりました。それがあの馬には合っていたんだと思います。まだまだやれる馬なので、これからも楽しみですね。
今年はすでに83勝(9月25日現在)を挙げ、昨年の78勝を上回っていますね。
ここ何年か、南関東期間限定騎乗で年間2か月行かせてもらっていたので勝ち星が下がりました。今年はずっと地元で乗っているので、数字的には上がってますね。南関東への遠征は、結果的には満足いく数字は挙げられなかったけれど、すごくいい経験ができたと思っています。もっと若い頃に行けていたらな、という気持ちもありますね。
南関東期間限定騎乗に行くには、笠松の場合はオフシーズンがないですから、地元のリーディングを諦めないと行けないですよね。
そうなんです。そこが悩ましいところです。JRAや南関東と違って、地方の場合は攻め馬してなんぼですから乗り馬が確実に減ることになる。ただね、僕にもっと技術があればそんなこと関係ないと思うんですよ。何か月いなかろうと、いい馬への騎乗依頼は来るはずですから。それで成績が下がったというのは、自分はまだまだなんだな、努力が足りないなと思います。
では、今後の目標を教えて下さい。
今年は久しぶりに年間100勝が達成できるんじゃないかと思います。若い子たちもがんばっているけれど、リーディングも目指したいですね。それから、2番目の息子が中学を卒業して騎手を目指したいということで、笠松で下乗りを始めたんです。最初は心配したけど、なかなかがんばっているんでね、上手くいけば3年後に騎手デビューですから、その時に上位で活躍している自分でいたいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
この春デビューした2名の新人騎手、その一人が鈴木祐騎手だ。鈴木騎手は初騎乗・初勝利という華々しいデビューを飾っただけでなく、デビューから8月までで19勝と順調に勝ち星を増やしている。そんな注目を集める新人は、どのようにして騎手を目指すに至ったかをたずねてみた。
さて、新人騎手へのインタビューという事なので、"なぜ騎手を目指そうと思ったか"ということから聞きたいのですが、木村直輝騎手がそうだったけれど、鈴木騎手も競馬とは関係がない家庭から騎手を目指したんですよね。
そうなんです。全く関係が無くて、競馬ファンもいなかったですね。それが急に親が言いだしたんです。"騎手になったらどう?"って。自分は身長が低い。動物が好き。それが当てはまる職業は騎手だ、騎手になってみないか、と。
理屈は分からないでもないけど、ずいぶん唐突だよね。
自分もそうでしたよ。馬に関わりがなかったし、生まれが茨城の山の方だったから競馬も知らなかったですし。乗馬クラブに通い始めたのですが、"乗馬をするクラブなんていうものが存在するんだ"とその時初めて知ったくらいでした。それが、乗馬クラブで初めて馬に跨った時に"うわ!"って自分の中で。なんて言うんですかね、"これは楽しい!"って感じるものがあったんです。それで自分も騎手になろう、と考えるようになりました。
それまでは何かスポーツとかやっていたの?
小学校の6年間はスイミングスクールに通っていました。
中学校では?
陸上部でしたね。
小さい頃から体を使う事が好きだったんだね。
いや、なんで陸上部に入ったかというとですね、小学校6年生の時に乗馬クラブに通い始めたんですけど、中学校では騎手になるための基礎体力を付けようと。そう思って陸上部を選んだんです。
へえ~!真面目だね。凄く真面目。
そうでしょう? 真面目だったんですよ。平日は部活、土日は乗馬クラブでみっちりでしたから。遊ぶ時間を削ってみっちり。何を考えていたんでしょうかね当時の自分(笑)。
初騎乗・初勝利(4月16日、水沢1R)
鈴木騎手は高校にも行っているんですよね。
高校は、馬術部がある高校(水戸農業高校)を選びました。騎手になる夢と並行して"馬術でもインターハイ優勝を狙う!"とか希望を抱いて。だから、馬のため、馬術のためにその高校を選んだと言っていいくらいですね(鈴木騎手のいた水戸農業高校は2012年のインターハイで準優勝)。
しかし、それくらい乗馬の経験を積んで、スポーツもやっているから体力もあって......で、教養センターに入ったら、ある程度自信があったというか、最初からいろいろ上手くこなせたんじゃない?
そういう風に自分も思っていたんですよ。最初の頃は"自分は乗れる方なんだろうな"と慢心した気持ちでいたんです。でも実際に入って1カ月、2カ月経った頃は完全に変わりました。このままじゃダメだと。もう、乗馬なんかやらないで未経験で入った方が良かったんじゃないかと思ったりしました。
それは乗馬のクセがついていたから、とか?
そういう部分もありましたね。毎日同じ所を注意されるんですよ。手綱の持ち方とかもう嫌になるくらい。楽に乗るクセがついていたのかもしれません。それと、半端に体力とか腕力があったから馬を力で操作してしまって、馬の気分は無視......とか。
そんな教養センターでは、どんな生徒でしたか。
一言で言えば"悪い生徒"でしたね。入った頃はさっき話したような事で、その後も続くような気がしなくて、何かやって見つかったら辞めればいいや、くらいに思っていて。センターの生活が辛かったんでしょうね。
でも木村直輝騎手に聞いた話では、センターでは鈴木祐騎手は優等生だったって。
その頃はもう改心していたんですよ。最初の頃は相当やんちゃしました。
櫻田康二厩舎を選んだ理由はなんでしたか?
教養センターの教官に教えてもらって勧められたからです。実は岩手に行ったことは一度もなかったですし、岩手で競馬をやっている事もあまりよく分かってないくらいで。最初に来た時は何も分からないから不安だらけでした。
デビューしてここまで、自分ではどう感じていますか? 初騎乗・初勝利とか派手なデビュー戦も飾ったけれど。
想像以上です。こんなに騎乗できると思ってなかったし、勝てるとも思っていなかったです。他ではこんなに乗せてもらえないでしょうから。岩手に来て良かった、岩手競馬で良かったなと思っています。
デビュー前の鈴木祐騎手が自ら「僕は"ビッグマウス"ですよ」と言っているのを聞いて妙に面白く感じた記憶がある。それだけ自信家なのだろうなとは思っていたが、今回こうして話を聞いて、小学生の頃から将来は騎手になると目標を決め、そのための努力をしてきたのだから、それも当然だろう、と改めて感じさせられた。
この話を聞くにあたって、櫻田康二調教師にもデビューから約4カ月経った鈴木祐騎手の事をうかがってみた。師いわく「こちらが思っていた以上にやれている部分はありますが、まだまだ足りない部分も当然ある。ここまではうまくいきすぎ......って面がありますよねやっぱり。ここから先が彼にとっての勝負の時期になっていくんじゃないか」
鈴木祐騎手のデビュー初年の目標は「50勝」だそうだが、残り4カ月ちょっと、確かにここからが"勝負の時期"になるのだろう。
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※インタビュー・写真 / 横川典視