9月12日のばんえい第2レースでフンコロガシが勝ち、西邑春夫調教師(73)は1,500勝を達成しました。開業38年目、ばんえい競馬の調教師では歴代8人目(現役5人目)の快挙です。
(写真:ばんえい十勝)
1,500勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。年齢的にも少し焦っていたので無事達成できてよかったです。
旭川市出身ですね。競馬との関わりを教えてください。
姉が競馬場に友達がいて、その紹介です。スキーで高校に行きたいという思いもあったけれど、働いてほしいと親にも言われたから中西関松さんの厩舎に入りました。ばん馬は大きいし体重もある。家に馬もいなかったし、続けていけるんだろうか、と思ったけれど慣れてきた。
ばんえい草創期の大スターといわれる、中西関松さんのもとで働かれていたのですね。どのような方でしたか。
当時、中西さんは騎手と調教師を兼業していました。名人だ。馬に対しては厳しかった。「自分が食わなくても馬に餌やれ」と言われました。大事にするのは餌やり、運動。朝の調教、昼には外に馬を出し、夜には手入れ。きつかったですね。
教えが今の厩舎にも受け継がれているんですね。
時代が変わったから。同じことをしていたら人が長続きしないから、若い人がいなくなるよ(笑)。今厩務員は3人います。
騎手生活について教えて下さい。1973年デビューですね。
少し乗ってはいたけれど、2、3年かな。乗るのは嫌いだった(笑)。調教師のほうがいいよ。
その後、1977年に中西さんが58歳で調教師専業になり、騎手と調教師の兼業が終わりました。西邑先生の調教師開業は1984年でしたね。
中西さんはものすごく喜んでくれた。開業の時には道具を回してくれたり、たくさん後押ししてくれました。開業した年に、今厩務員をしている次男が生まれたのでよく覚えています。1カ月で競馬場に連れてきたな。所属騎手と兄弟のように育ったよ。中西さんには本当にお世話になった。1989年に調教師を引退してから1年たたずして亡くなられました。
さて、サカノタイソンについてお話を聞かせてください。3歳時に西邑厩舎に転厩し19連勝しました。
大きかったな。体高もあったし。他の厩舎から移籍して来たとき「すごいな」と。3歳だけど他の馬より大きいね、とみんなと話をした。ただ心臓が弱かった。レースが終わるたびに獣医師に見てもらって、鍼を打ったりしていたよ。夏が弱かったから、岩見沢はほとんど使っていないんだ。タイムが速い競馬もあるし。大事に使われていた。
レースは騎手に任せていた。20連勝を狙っていたけれど......(春休み明けの1999年6月のレースで4着)。調子が良くなかったけれど、連勝の期待がかかっていて使わざるを得なかったからね。
初めて勝ったばんえい記念(2001年)は、最初は使う予定がなかったんだ。だから主戦の藤本騎手はグレイトジャイナーに先約があって乗らなかった(大河原騎手騎乗)。当時5歳だったスーパーペガサスが来年はばんえい記念に出てくるだろうから、と早めに使うことにしたんだ。
勝ったときは嬉しかった。自分の厩舎でばんえい記念を勝てるとは感無量。2回目のばんえい記念(2002年、初参戦のスーパーペガサスは2着)の前は、特別戦ばかり走り、考えながら使っていた。種馬になったけれど、長生きできなかったな。心臓に爆弾抱えていたから......。
ばんえい記念を制したサカノタイソン(2001年2月18日)
一昨年、ホクショウマサルが19連勝の記録を塗り替えました。正直、その時どう思われましたか。
良かったなぁ、って。あれだけレースを使って連勝するのは大変だよね。あれくらいの馬はいない。騎手も大変だったろう。
ソウクンボーイの引退式。左端が西邑春夫調教師
過去の所属馬について教えて下さい。まずは今年引退式を行ったソウクンボーイはいかがでしょう。
障害だけが難儀するんだ。ずるいところもあった。ばんえい記念は、出る馬が少なかったから無理して使ったところもあった。2歳で重賞を勝つ(2012年ヤングチャンピオンシップ)とハンディもあってその後は大変だったが、いい思いをさせてもらった。馬主さんがとてもいい人だから、大事に使うことができた。
ユミタロウ(2003年旭川記念)は力があるが、ずるいところがあったな。種馬になろうとした矢先に事故で亡くなってしまいました。ナリタボブサップ(2010年ばんえいグランプリなど重賞6勝)もいい馬だったな。強かった。
騎手時代にはキンパイやヤマサラツキーが思い出に残っています。活躍馬ではカミチカオウですね。馬主から、周りの人たちからいい人に恵まれて、幸せだと思う。真面目な馬もいたし、いろいろと教えた馬もいたね。
ユミタロウ
現在の所属馬について教えて下さい。ビールはレースの際に、枝豆などおつまみの飾りがたてがみについていてかわいいですね。
ビールはもう少し体重があればな。これからです。
フナノダイヤモンドは馬場が軽いといいが、重くなると辛いんだ。期待はしている。
1,500勝をしたフンコロガシ、馬名の意味はわからないんだよな(笑)。
1,000勝達成時は2007年3月17日、ばんえいの4市開催が終わりを告げる頃でした。
こんなに長いことできるとは。4市による市営競馬組合が解散した時にもうばん馬は終わりかな、って思ったよ。存続して嬉しかった。願わくば、もう一箇所あればいいね。でも昔のように4市で回っていたら、体力的に続けられないと思う。昔は賞金も高かったし、いい時代だった。それでもここ最近は良くなってきたよ。
最後にオッズパーク会員に一言お願いいたします。
ファンや馬主さんに本当にお世話になった。これからも1勝1勝を大事に頑張っていきます。自分が引退してからも競馬が続くように、これからも盛り上げていただければと思います。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
8月31日に地方競馬通算2000勝を達成した愛知の大畑雅章騎手。2001年のデビューから20年、ここまでのことを振り返っていただきました。
地方競馬通算2000勝達成、おめでとうございます!
ありがとうございます。デビューした頃はまさか2000勝も出来ると思っていなかったので、すごく嬉しいですね。周りの方々や頑張ってくれた馬たちに感謝しています。
デビューからちょうど20年の節目に達成となりました。
20年......、長かったですね。デビューした頃は全然乗り馬がいなかったですし、目立たない存在でした。そこから自分なりに努力しましたし、錦見勇夫厩舎に移籍したのが分岐点だったと思います。本当にたくさんのいい馬たちに乗せていただきました。
2000勝達成はガッツポーズでゴール
その中でも、印象深い馬を挙げるとしたらどの馬ですか?
やっぱりピッチシフターとカツゲキキトキトは特別です。2頭ともかなり我が強いんですけど(笑)、全国の舞台で戦うことが出来て、ダートグレードでも上位争いをしてくれて、とてもいい経験をさせていただきました。
思い出のレースはどのレースですか?
たくさんありすぎて、どのレースとは言えないですね。まずピッチシフターでいろいろな経験をさせてもらって、その後にカツゲキキトキトに出会って、ピッチシフターでの経験がすごく活きたと思います。どんな舞台でも平常心で、緊張することもなかったですから。カツゲキキトキトで勝った東海ダービーは、初めてダービーを獲らせてもらって思い出深いですけど、とにかく馬の力で勝たせてもらった感じです。ダートグレードでもいい勝負をしてくれて、周りもすごい人馬が揃っている中でレースが出来たというのは面白かったです。
カツゲキキトキトで東海ダービーを制覇(2016年6月7日)
デビューから20年、今も馬乗りは楽しいですか?
楽しいですね!毎朝2時から攻め馬が始まるので1時半くらいに起きて、8時くらいまで乗りっぱなしです。だいたい20頭ちょっとくらいの攻め馬を毎日、それを20年やって来ました。確実な答えがないし、今でも馬乗りは楽しいです。
やめたいと思ったことは?
ないですね。全く乗れなかったデビューの頃も、怪我をした時も、やめたいと思ったことはないです。
では今後の目標を教えて下さい。
数字としては3000勝まで頑張りたいです。実は僕の兄の息子が今年の4月から地方競馬教養センターに入ったんですよ。兄は競馬とはまったく関係ない仕事をしているんですけど、甥っ子が僕を見て名古屋で一緒にやりたいって言うんでね、その子が一人前になるまでは付き合いたいと思っています。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも名古屋競馬を応援していただき、ありがとうございます。今の競馬場は来年の3月までで、着々と移転する準備が進んでいます。弥富のコースは毎日調教で乗っていますけど、すごく乗りやすくて、名古屋より直線が50mも長いですから、レースの質も変わってくると思います。今の競馬場がなくなるのは淋しいですけど、最終日までしっかり頑張って、新しい競馬場でも楽しんでいただけるよう頑張ります。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:愛知県競馬組合)
南郷家全騎手は1995年10月のデビュー。古い競馬ファンの方ならピンとくるかもしれないが、南郷騎手のデビュー戦や初勝利は旧盛岡競馬場だった。今となっては旧盛岡を知っている現役騎手は3人だけ。そんな大ベテランになった南郷騎手が8月30日、地方競馬通算1,000勝を達成した。
まずは1,000勝達成おめでとうございました。改めてになりますがその感想をお願いします。
ありがとうございました。もちろん素直に嬉しいですが、デビューから26年ですから長かった。"よくこれだけ長く騎手をやってきたな......"という感じでもありますね。
そうですね、デビューから26年、500勝達成から1,000勝までは9年でした。
ほら、やっぱり長い!(笑)。
8月30日盛岡第10レースで地方通算1,000勝達成
1,000勝達成が見えてきた5月、6月ごろかな、しばらく勝ち星から遠ざかっていた時期があったようにも見えたんですけども、やはりプレッシャー的なものがあって?
こういう事は焦ったところで勝てる、達成できるものじゃないですしね。そういう時は"順番が回ってくれば勝てる"と信じるしかない。
1,000勝した週の前後、この1カ月ぐらいはすごい勢いで勝っていますよね。
その"順番"が回ってきたということ。これはもう、焦らず騒がずタイミングが来るのを待つしかないですからね。
さて、岩手の騎手の中でも大ベテランになりましたね。旧盛岡競馬場を知っている数少ない現役騎手にもなりました。そんな南郷騎手からみて、この26年間の"岩手競馬の移り変わり"はどんなふうに見えました?
いろいろな事がありましたからね。終わりそうになった事(※2007年の廃止問題)があったし、地震(※2011年の東日本大震災)もあった。最近はまた売り上げが良くなってきていて。一言で言ってしまえば、浮き沈みが激しい、という感じですかね。
乗ってる騎手としてもそういう、賞金とか悪くなってまた良くなって......の感覚というか実感がありますか?
もちろん賞金とかにかかわってきますからね。最初の頃は凄く良かったけど一気に下がって。また最近ちょっとずつ上がってきているから、ホント浮き沈みですよね。ただ、若手の頃は騎乗数があまり多くなかったし、騎乗手当も今より少なかったから、賞金は高かったかもしれないけど稼ぎにはならなかったな......という記憶ですね。
2000年4月1日、水沢・スプリングカップを制したピスカリアンジュ
今の若手騎手はどう感じますか?昔と違うところがあったりする?
出てくる若手は基本的に上手いですよね。昔はレースに乗っても1クラとか2クラとかであまり乗れなかった。今はデビューしてすぐたくさん乗せられるから競馬を覚えるのも早い。やはり皆上手だと思う。
ところで南郷騎手はなぜ騎手になろうと考えたのですか?
小さい頃は身体も小さくて、父親の友人の紹介で"騎手にならないか"って誘われた時にちょっとやってみようかな、と。そこで城地藤男厩舎(※引退。1974~2010年)の見習い騎手として入りました。最初は厩務員として働きながら騎手の試験を受けた。だから、騎手に凄く憧れて目指したわけではなくて、全然知らないところからこの世界に入りました。
じゃあ、逆にそれで26年やってきたのは凄いのでは?
いや、他にやる事がないからね。中学校くらいから働いてたから、だからもう、競馬にしがみついてやるしかないよね。だいたい教養センターというところがもう凄い所だから。凄く苦しかったもの、センター時代。それを乗り越えてやっと手に入れた騎手免許、そうそう簡単に手放せない。辞めたくなった事は何度もあったけど、この免許を無駄にするわけにはいかない、って。
そうして粘り強く続けてきた騎手という仕事を今振り返って、どう思いますか。
やってきたおかげで1,000勝という結果を残せた。それは良かったですね。
さて、ここまで南郷騎手の思い出に残っている馬を挙げていただくとすると?1,000勝後のインタビューではラブバレットと言われていましたがその他にあれば。
マツリダパレス(※2005年の桐花賞を5番人気で優勝、その年の岩手競馬年度代表馬にも選出)かな。周りのメンバーが強かったし、自分の馬は強気に外を回っていける馬でもない。だからもう内ラチ沿いから動かないと決めていました。内が開くのを待つしかないと。そうしたら、前がパカッと開いた。
自分もよく覚えてます。あのレースは勝ってガッツポーズしたくなる気持ちが分かる。そして、ラブバレットもやっぱり記憶に残る馬になる?
あれだけ走った馬ですし、自分が騎乗したさきたま杯でも4着、あの時にこの馬は本当に走る馬だと思いました。
2015年さきたまJpnII。南郷騎手のラブバレットはダートグレード初挑戦ながら4着に健闘
結果は4着だったけれど凄く良い内容でしたよね。
3~4コーナーでJRAの馬と同じ脚で回って行けて、4コーナーを回る時に"これは勝てるんじゃ?"って。勝負所で外からノーザンリバーが捲り気味に動いてきて、そこで捲られずに付いて行けたのが十分に凄かったんですが、それでちょっと脚を使っちゃった。あれがなければ少なくとも2着争いはもっと差のない競馬ができていたと思います。
そうだ、マツリダワルツも聞いておきたいです。
デビュー前は気性が悪くて"競馬ウマになれるのか?"と心配されていたんです。当時は競馬場で若馬の馴致をやっていたのですが、ぜんぜん言うことを聞かない。何回やってもゲートに入らなかった。女の子だけど"きかん坊"。これじゃあゲート試験も通らない、無理だなって。それがある時観念したのか普通にゲートに入るようになって、そうしたらいきなり良くなった。
へええ。その後の活躍は自分も知っていますが、もしそこでワルツが観念してなければ(産駒の)ロードクエスト(JRA重賞3勝、8月1日盛岡・せきれい賞制覇)もいなかったかもしれない。
そうそうそう。競馬ウマになってなかっただろうから。
2007年サファイア賞。3歳時のマツリダワルツは芝・ダート問わぬ活躍。芝での走りがロードクエストら子供達に受け継がれている
さて、1,000勝という区切りを達成しました。この先の新しい目標を挙げていただくとすると......?
目標ですか......。とりあえず1,500勝を目指すか......。もしくは、調教師を考えながら......。でも、自分が櫻田浩樹厩舎に移ってからまだちょっとしか乗っていないですからね。たまたま1,000勝を自厩舎の馬で決めることができたけど、もっと櫻田浩樹厩舎で乗りたいかな、と思う。
そうか。騎手として現役を続けながら、恩返しじゃないけども......。
そう、恩返しかなやっぱり。俊光さん(※城地俊光調教師。昨年7月に逝去。南郷家全騎手の前の所属厩舎)が亡くなった後の自分を拾ってくれた。自分はけっこう厩舎を動いていたんだけど、そんな自分をね。今の厩舎で乗っている期間が、まだ短い。もっとここで一緒に......と。あとは身体に気をつけて、大きな怪我をしないようにしていこうと思っています。
最後にオッズパークの会員の皆さんに向けて一言。
これからも良いレースを見ていただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。
南郷家全騎手の"ベストレース"とすると自分は文中にも出たマツリダパレス、2005年の桐花賞を思い出す。馬群の内側3番手、行きすぎず引きすぎず絶妙な位置を守り続け、他の馬の意識が外に偏った瞬間を見逃さず内から飛び出して突き抜けたレース。あれは本当に南郷騎手らしい騎乗だったと思う。
1,000勝を決めたレースも馬場傾向や相手関係を見抜いて、思い切ってハナを奪っての逃げ切り。あれもまた南郷騎手らしかった。そのレースぶりを見ても勝負勘は健在。ここしばらくは大レースの勝ち星から遠ざかっている同騎手だが、また重賞で、"らしい"騎乗でファンをあっと言わせてほしい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
若杉朝飛騎手は今年4月14日に門別競馬場でデビュー。地方競馬教養センター時代のケガなど、さまざまな苦労を乗り越え、ホッカイドウ競馬では2シーズンぶりの新人騎手となりました。7月28日門別9レースではラテルネラに騎乗し、待望の初勝利を挙げています。
出身が長野県とのことですが、競馬に興味を持つきっかけについて教えてください。
もともと体を動かすのが好きで、小1から小6までは野球をやっていて、中学ではソフトテニス部に所属していました。それで漠然と「スポーツを仕事にしたいな」と考えていたときに知ったのが、騎手という職業だったんです。中学3年生で「騎手になろう」と考えてから、父と祖父に連れられて中京競馬場へ行き、競走馬に乗って走っている騎手の姿がかっこいいと思ったのがきっかけです。
その後すぐに騎手を目指したのでしょうか。
ちょうど進路を決める時期だったので、すぐ行動に移すことになりました。中央も1回だけ受けたのですが、1回目の受検で教養センターに合格できたので、そちらでお世話になることになりました。
所属先をホッカイドウ競馬に選択された理由は何だったのでしょう。
配属を決める際、実際に門別競馬場へ連れていってもらったのですが、2歳の馬が多いことや坂路コースがあることが珍しく、とても良い環境だと思ったからです。
教養センター時代に大変だったことはありますか。
入学が決まった後、実家近くの乗馬クラブに少しだけ通っていたのですが、いざ入ってみると、周囲が乗れる子ばかりだったので、最初のうちはついていくのにとても苦労しました。あと、もともと競馬に詳しいほうではなかったので、法規などを一から覚えるのも大変でしたね。
肩を骨折してしまったり、折れた箇所を修復するときに、骨が筋肉を挟んでしまったらしく、その治療をしなければならない影響があって留年をしていまいました。センターに戻るときに復学試験のようなものを受けなければならず、試験までに体を馬に乗れる態勢まで戻さなければなりませんでしたし、休んでいた期間に他の子たちにどんどん技術で置いていかれたので、その遅れを取り戻すことも大変でしたね。卒業試験をパスできたときは「すごく長かったな」と感じましたし、無事試験を乗り越えられた安堵の気持ちが大きかったです。
実際に騎手になってみて感じたこと、デビュー前に想像していたこととのギャップはありましたか。
想像していた以上に、実際のレースはシビアだと思いました。センターでの訓練とは違い12頭立てのレースもあり、しっかりと周りを見なければ事故につながりますので、レース中も注意深く周りを意識していかなければならないと感じました。
7月28日、初騎乗から87戦目での初勝利
そんななか、デビューからおよそ4カ月半、7月28日の門別9レースで初勝利を挙げました。ラテルネラに騎乗しての白星でしたが、レースについてあらためて振り返ってください。
それまでの3戦が、先輩のジョッキーが騎乗して上位に入る結果が続いていたので、ある意味ではプレッシャーを感じながらレースに臨んでいました。レース前、佐久間(雅貴)先生から「出遅れるのは仕方ない」と言われていたので、出たなりでも、とにかくコースロスがないように乗ることだけを心がけました。
直線では鋭い末脚で差し切りましたね。
直線ではとにかく「着を拾わなければ」と必死に追っていたので、まず入着できたことへの安心感が大きく、ゴールした瞬間はあまり勝った実感がわかなかったんですよね。検量棟に戻ってから、いろんな方に「おめでとう!」とか「長かったな」と声をかけられて、ようやく「勝てたんだなあ」というふうに思えたという感じです。
初勝利の記念撮影
初勝利を挙げたラテルネラはどんな馬ですか。
デビューして間もない頃から乗せていただいていた馬で、レースが決まってから、調教にも乗せてもらいました。普段はうるさいときはうるさいですけど、元気がよくてかわいい仔ですね。直線は追えば追っただけ反応してくれるので、勝ったレースもこの馬も良いところが前面に出てくれたのだと思います。
この馬みたいに、先生から「レースに乗せるから調教来いよ」と依頼してくださるパターンもあれば、調教に乗せてもらって「じゃあレースに乗ってみれば?」と言ってくださるパターンもあって、どちらかと言えば後者の方が多いですね。調教は多い日で12~3頭くらいに騎乗していますが、自厩舎(櫻井拓章厩舎)以外の馬にもなるべく乗せてもらうようにしています。ホッカイドウ競馬は2歳の若馬が多く、坂路コースでの調教が中心ですが、まずは馬に変な癖をつけないよう心がけています。
先輩ジョッキーや、所属先の櫻井拓章調教師からは、普段どのようなアドバイスを受けていますか。
ゲートを出たあとにしっかりと勢いをつけること、コーナーリングで膨れてロスをしないことの2点です。まだアドバイスされた内容をできたりできなかったり......という感じで、デビュー当初と比べて成長しているかどうかは、自分のなかでは何とも言えないところの方が大きいですが、日ごろ言われていることを少しでも取り入れて、試行錯誤しているつもりです。
8月18日にはヤングジョッキーズシリーズのトライアルラウンドが、地元の門別競馬場で行われました。東日本はホームでの開幕となりましたが、いかがだったでしょうか。
普段から騎乗している競馬場だったので、気分的にはだいぶ楽な気持ちでレースに臨むことができました。ただ、1戦目(5着)も2戦目(11着)も、それまでの課題が出てしまい、上位着を取ることができなかったので、もっと欠点を改善していかなければならないとあらためて感じさせられました。
卒業以来、センターの同期とはバラバラになってしまっていたのですが、一緒にレースに乗って「上手になっているな」と感じました。YJSは1戦目と2戦目の間に1レースあいていたんですが、自分はレースに騎乗していたのでバタバタしてしまい、あまり話ができなかったのは残念でしたね。
船橋(10月26日)、浦和(11月24日=1レースのみ騎乗予定)と、まだトライアルラウンドを控えています。抱負を教えてください。
これまで他の競馬場で騎乗する機会がなかったので、今まで経験したことを生かし、少しでも上の着順を取れるようにしたいです。左回りのレースに参加するのは初めてだと思うので、コーナーリングを意識しながら、注意して乗っていかなければなりませんね。
若杉騎手自身の、今後の目標についてはいかがでしょう。
現状、まだ他のジョッキーの方に迷惑をかけてしまうことも少なくないので、まずは周囲の方に「まあ大丈夫だな」と思ってもらえるよう、技術を磨いていくことです。1勝できてひとまずホッとしていますが、11月の閉幕まで開催も残っているので、もう少し勝ちたいという気持ちもあります。ありがたいことに、上の着順を狙えそうな馬も少しずつ任せていただけるようになってきたので、そういったチャンスをモノできるようがんばりたいですね。
目標としているのは、岩橋勇二騎手です。競馬場実習の頃からいろいろと声をかけてくださり、今もレースの合間に、コーナーリングの際の手綱の長さや、直線で追うときの姿勢など、わかりやすく教えてくださっています。
では最後に、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
まだまだ未熟者ですが、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 山下広貴
今年4月のデビューからすでに30勝を挙げる大山龍太郎騎手。デビュー前から「天才肌では!?」と注目を集めた一方、6月17日には周回錯誤により約2カ月間(開催20日)の騎乗停止という非常に苦い経験をしました。それでも、復帰すると以前と変わらぬペースで勝ち星を挙げています。不思議キャラだとも言われる大山龍太郎騎手の素顔は一体どのようなものなのでしょうか(成績は9月11日現在)。
デビューからすでに30勝と、たくさん勝っていますね。
勝っているのは全て馬の力で、僕は先生が集めてくださった騎乗馬に指示をもらって乗っているだけです。強い馬でしか勝てていません。
デビュー初日には2着が2回。実際にレースに騎乗してみてどうでしたか?
元々、あんまり競馬を見ていなかったので、もっといっぱい勝てるのかなって思っていました。そしたら、「全然勝てない......」と。当たり前のことなんですけどね(苦笑)。こんなに厳しいということを全く知りませんでした。今もそうですけど、全然思い通りにいきません。
そんな中、4月15日園田9レースをナリタウルフで1着となり、初勝利を飾りました。直線では大先輩の田中学騎手との追い比べを制しての勝利でしたね。
道中はついて行って、直線で追い上げようと思っていた通りに乗れました。馬も脚があったので「いける」と感じました。勝った後、坂本先生のあんな笑顔、初めて見ました。
4月15日、初騎乗から13戦目で初勝利
師匠の坂本和也調教師は「重賞を勝つより嬉しいです」と、目元が少しうるんでいました。デビュー初日からずっとレースが終わると坂本調教師から熱心な指導を受けていましたね。
初勝利を挙げるまではいつも以上に焦りもありましたし、初めてのことだらけで分からないこともあったので、聞いても全然理解できていませんでした。でも、1つ勝てたら気持ちが楽になって、そこからは落ち着いて騎乗できるようになりましたし、先生の言っていたことがあとになって分かるようになって、スムーズにレースに乗れるようになりました。
元々、ジョッキーを志したきっかけは?
父が身長が低くて、ジョッキーを目指していた時期があったようです。それで、「ジョッキーという仕事があるよ」と教えてもらって、どういう職業か知った時に「かっこいいな」と思いました。自分に合っているし、かっこ良くて、馬も可愛い、といろんなことが積み重なって、「ジョッキーになりたいな」と思うようになり、乗馬クラブに通いました。
ソロキャンプなど一人でいるのが好きとのことですが、地方競馬教養センターで全寮制の集団生活にはすぐ馴染めましたか?
それは全然大丈夫でした。どんな環境でも気にしないので、だいたい馴染めます。
「気にしない」という通り、感情の起伏が穏やかに感じます。
そうですね。喜んだり怒ったりすることももちろんありますけど、人にはあまり見せないかもしれないです。恥ずかしがり屋なので、見られるのが嫌で隠したがります。
デビューから順風満帆に勝ち星を積み上げていましたが、6月にはまさかの周回錯誤で即日騎乗停止。あまり思い出したくないかと思いますが、改めてファンのみなさんにお話しいただけますか?
騎乗したヨハネスボーイの関係者や、馬券を買って応援してくださったファンのみなさんに大変ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。
数時間後に検量室ですれ違った時、真っ青な顔で目の焦点が合っていなかったので、騎乗停止期間中どう過ごしているか心配でした。8月に復帰してどうですか?
大変なことをしてしまって頭が真っ白になりました。騎乗停止期間中も毎日調教に乗っていました。深夜1時から朝10時くらいまで25頭くらいで、レースに行ってジョッキーがいない時間帯には、馬に乗らない厩務員さんが担当されている馬の調教もさせてもらいました。復帰をしましたが、レースの感覚を忘れていたり、思うように体が動かなかったり、まだ慣れません。
大変なことをしてしまいましたが、「しっかり反省して復帰したら、また騎乗依頼するから」と応援してくれる調教師もいますから、また活躍を期待しています。今後の目標などは?
自分の学力で教養センターに受かったり、坂本厩舎に所属できたりと、恵まれた環境で勝たせてもらっています。今は「また何かやらかしてしまったらどうしよう......」と思い出して弱気になってしまうのですが、ご迷惑をおかけした方々に結果でお返しできるようにしっかり頑張りたいと思います。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
僕のファンっているんですか?もしいるんだったら、本当に感謝します。応援はできる限りいっぱいしてほしいですし、僕の馬券を買ってくださった人には、できるだけ馬券を当ててほしいので頑張って騎乗します。これからも応援、よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子